親鸞会が夜中に脱会者の家に押しかける(完全版)

親鸞会が夜中に脱会者の家に押しかける、というタイトルでYoutubeの動画を紹介しましたが、ある方が親鸞会に電話で問い合わせても事を否定するばかりで、「調査中」の一言も聞かれなかったそうです。内部関係者に事情を聞いても、どうも会では「捏造」という事になっているそうです。

豊田商事事件のときに親鸞会は、マスコミから豊田商事の永野会長との関係を問われたとき「永野会長は親鸞聖人の教えに反する雑行をしていた」「永野氏の顔も知らなければ、会ったこともない。もち論、話をしたこともまったくない」と言い、更には親鸞会の講師が豊田商事で説法をしていたことについては「極重の悪人に近づいて仏縁を与え、真実に導いてこそ阿弥陀如来の本願に叶うというものである。」と完全に開き直っています。

そこには社会的問題を起こした所から献金を受けていたことについての反省はまったくなく、ただ「デマ」と断ずるばかりでした。豊田商事から金を騙し取られたお年よりは、親鸞会のこの姿勢をどう思ったことでしょうか。

ある最高幹部の不倫疑惑事件のときも、高森会長は三日間の合宿で首謀者をあぶり出し、徹底的に相互批判させ粛清しました。一方疑惑自体は「捏造」と決め付けられ、疑惑の張本人は何の処分も受けずに元の地位に返り咲きました。

他にも、ネットで何か親鸞会にとって都合の悪いことが明らかにされるたびに、捏造だの本願寺の陰謀だのという言葉が飛び交い、その一方で「著作権侵害」という理由での削除要請。大学での偽装サークル活動は「学生が勝手にやったこと」。

親鸞会に自浄能力はありません。あればこんな無責任な団体にはならなかったでしょう。人の批判は一人前に出来ても、自分を正すことはまったく出来ないのですから。

さて、Youtubeの動画は10分しか出せませんので、ここに親鸞会が夜中に脱会者の家に押しかけるの完全版の録音を置いておきます(39分)。本当にこんなものが捏造できるのかどうか、よく考えてみたら良いでしょう。

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やはり太陽は西からはのぼらない

浄土真宗東本願寺派から高森顕徹会長に「執筆依頼」が届いたそうです。10月10日号の「東本願寺報」に掲載したいということ。最初は冷やかしかと思った高森会長も、後日文書で正式に依頼が来たので、執筆を承諾したとか。

このことは親鸞会の会内でも宣伝され、「一大方向転換」とか本願寺との共存とか、高森会長も会員もおおはしゃぎ。「親鸞会に法論で負け続けて(?)きた本願寺が、ついに高森先生を認めざるを得なくなった」と痛い勘違いな話までされていたとの事です。(ちなみにこの浄土真宗東本願寺派とは、真宗大谷派から分派した宗派で、高森会長が法論した本派本願寺とは全く別の団体です)

ところが10月9日、速達で高森会長に届いた通知は「編集上の都合で掲載できない」というもの。親鸞会も高森会長も完全に振り回されただけで終わったのでした。

今まで散々に本願寺を馬鹿にし、見下し、ことあるごとに批判し続けてきた高森会長と親鸞会。新聞に正本堂の写真を載せれば「これで本願も親鸞会を脅威に思うだろう」とご満悦。記事を載せたいと本願寺(から分派した団体)から依頼がきたら子供のようにおおはしゃぎで「方針転換」まで言い出す始末。

しかし本願寺は親鸞会に対して、脅威に思うどころか全くの無関心。この一連の掲載をめぐる騒動も、高森氏のことを良く知らない編集者の単なる勇み足だったようですし、本当に残念でしたね。

こんな落ち着きのないリーダーの一喜一憂に振り回される会員はたまったものではないでしょう。脱会者が増えているのも頷けます。

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親鸞会が夜中に脱会者の家に押しかける

「親鸞会が夜中に脱会者の家に押しかける」というタイトルで、以下の動画がYoutubeにあがっていました。

http://jp.youtube.com/watch?v=7YOzsFg2ZQk

この出来事については、以下に詳しく説明されています。

http://kiyomorimondo.blog70.fc2.com/blog-entry-68.htm

夜中に脱会者や会員の家に押しかけて説得をするというのは、他にも同様のケースを聞いたことがありますし、恥ずかしながら私自身も会員時代に、深夜にアパートの前で待ち伏せするなどのことをしたことがあります。

それにしても、親鸞聖人がはっきりと「取り返さなくてもいい」と仰っているものを、どうして深夜に大勢で待ち伏せしてまで取り返す必要があるのでしょうか。

こんな非常識で脅迫まがいのことをしてまで本尊を取り返すことが、親鸞聖人の心にかなうことなのでしょうか。ほんの少し考えれば分かることなのに、なぜ自分で考えられないのでしょうか。

完全に、マインドコントロールされているのでしょう。こんなことをさせるから、脱会したときに罪悪感に苛まれ、苦しむ人が後を立たないのです。

問題の動画はここにも貼っておきます。親鸞会の人はくれぐれもこの動画を削除しようなどと思わないように。これはあなた方の自業自得なのだから。

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統一協会も親鸞会も一緒ですね

最近、有田芳生氏のブログにこんな記事を見つけました。

福本修也〈統一教会信者〉弁護士からの削除要請を嗤(わら)う

統一協会さんはWikipediaやブログで都合の悪い記事が出ると、削除するのに必死なようです。親鸞会と全く一緒ですね。ご苦労様です。

親鸞会でも、例えば明橋大二氏と親鸞会の関係、1万年堂出版と親鸞会の関係などがWikipediaに書かれると、間髪いれずに消去してくるマメな人がいらっしゃいます。よほど知られたくないことなのでしょう。

親鸞会自体が社会的に問題のない団体になれば隠す必要など何もないと思いますが、そういう発想は思い浮かばないみたいです。親鸞会は過去犯罪に問われたことは一度もないとか胸を張って主張する割には、ネット対策やらWikipedia対策やら偽装サークルやらすばらしく熱心な方々ばかりで本当に頭が下がります。

最近の顕正新聞を見ても華光会への批判や聞法ドメインの記事ばかり。高森会長の孫たちは「人間として一番大事なことを教える」顕真学院には行かずに、真生会病院に就職。その真生会病院は特専部員が自分の財産投げ打つ契約をしてその将来を保障しています。

なんで病院なのか?決まっているじゃないですか。高森会長にとって一番大事なのは、親鸞会でもなく親鸞聖人の教えでもありません。聞法ドメインや真生会に代表される事業や建物の財産であり、自分たち一族の繁栄なのです。

活動費や布教の最前線に立つ講師部員の給与を削り、会員にひっきりなしに財施をせびり疲弊させ、その一方でせっせせっせと病院や事業に金を集めているのはなぜか。大量の建物を本部周辺に配置し、地方には顕正室ひとつ作らないのはなぜか。孫たちが「最高の道」に全く進む気配もないのはなぜか。ほんの少し考えれば分かることばかりです。

親鸞会の人は、なんで統一協会の信者が文鮮明をメシアと崇めるのか理解できないでしょう。ほんの少し考えれば分かることなのに、と。

親鸞会も一緒ですよ。同じやり方で勧誘・育成されて、同じようなことを盲信しているわけですから。マインドコントロールが不毛とか言っている暇があったら少しは自分の頭で考えてみては如何でしょうか。

最近高森会長は、自分は蓮如上人のやり方をまねてきた、と豪語しているそうです。著作の盗作や建物を建てまくることのいい訳だとしたら実に小さい人物です。蓮如上人が人の著作を丸々パクリして書いた本があったら是非教えてください。

こんなくだらない言い訳に蓮師のお名前を使うくらいですから、最初から親鸞、蓮如上人に対する想いなどないのでしょう。会員の皆さんは早く眼を覚ましたほうが良いですよ。もうずいぶん目が覚めた人もいるみたいですけど。

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われわれは動物として生きるよりも、むしろ人間として死にたい

バートランド・ラッセルの『幸福論』より。

趣味や生き甲斐とは何か、ということを語っています。

酒を飲むことは、一時的な自殺にほかならない。
いかなる形においてでも、陶酔を求める人間は、忘却以外の希望はすべて投げ捨ててしまっている。
趣味や生き甲斐は、多くの場合、いや、おそらく十中八、九まで根本的な幸福の源泉ではなくして、むしろ現実からの逃避の方法であり、直面するのにはあまりにも困難な何かの苦痛を忘れるための手段にすぎないだろう。

親鸞会ではこの言葉が良く使われ、だから親鸞会でないと本当の幸せにはなれないんだと説きます。しかし私は親鸞会こそが「一時的な自殺」であり「現実からの逃避の方法」に他ならないと思います。

私は親鸞会で趣味や生きがいを超えた本当の幸せになった人など、誰一人として知りません。それどころか、長年親鸞会で「救われたー」と体験談を書いていた人が、実はそれは華光会で救われた体験であったりとか、またそれ以外の人もその内容にはかなり怪しく不可解な点が多く信心に対する会の見解もコロコロ変わっている上に、高森会長の救済体験でさえ怪しい点が多いからです。

それなのに会員は「趣味や生きがいは現実からの逃避、親鸞会で求道すれば本当の幸せになれる」と「思い込んで」布教や財施に一生懸命です。保障も見込みもないものを本当の幸せと信じ込んで、現実の苦痛から逃避しているという点では、ラッセルの言う「趣味や生きがい」と何のかわりもありません。

親鸞会の人と接していると、そのあまりにステレオタイプな人生観に驚く人も少なくありません。勧誘のときは「一緒に人生について考えよう」「人生に疑問を持つのは大事」といいながら、実際に会に入ってみると、決まった答えを盲信するだけの活動で、善知識の言うことに無条件服従せよ、自分の腐った頭で考えるな、親鸞会以外の仏教書を読むな、親鸞会を批判するサイトや見るなと徹頭徹尾「考えること」を放棄させているのですから、当然といえます。

ラッセルはクルーチ氏の次の言葉を引用しています。

「われわれは動物として生きるよりも、むしろ人間として死にたい」

疑問を持つことも批判することも禁じられ、一方的に「真実」を押し付けられ、一方では財施や布教という形でとことん搾り取られるその姿は、家畜と何が違うのでしょうか。

考えるのも悩むのも苦労を伴うことです。その苦しみを放棄して捻じ曲がった「真実」とやらを信じ込み、ラッセルなどの識者を言葉を子供のように振り回して「真実知らない人」を見下す様は、滑稽としか言いようがありません。

最近長年親鸞会で活動してきた幹部の脱会が相次いでいます。彼らもまた、動物として生きるよりも、人間として死にたいと考えたのでしょう。

誰しも、自分が騙されていたと認めたくありません。しかし、実際には人間は騙される存在です。騙された自分を認めたくないがゆえに考えることを放棄してはなりません。

勇気を持って自分の進む道を再考し、方向転換を成し遂げた人たちに、心から敬意を表したいと思います。

私もまた動物として生きるよりも、人間として死にたいものです。

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カビの生えた学者の造語

マインドコントロール研究で有名な静岡県立大学の西田准教授が、NHKの「視点・論点」で語った内容が話題になっています。

http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/13235.html

マインドコントロールが「カビの生えた学者の造語だ※」と言っている人もいるようですが、そういう方には是非読んで欲しい内容です。もっとも、これを自分のこととして捉えることの出来る思考力をお持ちかどうか怪しいものですが。

※しかしこういうことを書く人はいったい何の根拠があって言っているのでしょう。社会心理学の雑誌や研究書を十分お読みになって判断しているのでしょうか。おそらくこういう人にとっては、自分が目にすることが少なければそれだけで「カビが生えた」になってしまうのでしょう。親鸞会という閉鎖された世界に長くいると、どんなに知性の乏しい視野の狭い人間になるのかという典型的な例のように思います。「造語」というのも面白いですね。世の中にもともと「造語」でないものがひとつでもあるならば是非教えていただきたいものです。

最近では布教の最前線に立っていた古参の講師部員が、「講師部をやめることに何の悔いもない」と言って退部したそうです。退部前にその講師に「親鸞会をやめたい」と相談した人は「君の気持ちも分かる」と殆どとめられなかったとか。他にも各地で活動意欲の低下や脱会者数の増加が見られています。

親鸞会は余程空気を読めてないのか、脱会者に「近づくな」という指示を出す一方、また新しい壁画に総額1億円の財施を募っているそうです。まったく、親鸞会とは愉快な団体です。

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 実際、みなさんが考えておられる以上に、多くの方々が、詐欺や悪質商法の騙しにあって大金を奪われています。なかには老後の蓄えをすべて奪われたような 悲惨な方もおられます。それから、かつてには、一般には理性的で教養も高いと目される人々が、親鸞会の高森教祖に騙されて、マインドコントロールされた状態に陥り、その意義もわからず、経典に書かれていない「必堕無間」という言葉を信じ、他人のパクリだらけの著作を「高森先生が命がけで書いてくださった」と信じ、弁当屋や風呂、壁画と次から次へと金を搾り取られても「親鸞聖人のみ教えを伝えるため」と信じきっています。これらは別物と思われ るかも知れませんが、私は、騙しの心理的な仕組みはとても似ていると分析しています。

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高森写楽

最近更新がないというご指摘をよくいただきます。ここしばらく本当に忙しいので、なかなか記事をアップする時間がないのです。申し訳ありません。

結局高森会長は人の体験を自分の体験のように語り、人の著書を自分の著書だと言って読ませ、それがバレそうになると信者を使ってなりふり構わぬ隠蔽工作をする、ただの俗人に過ぎなかった。それだけで十分だと思うようになりました。

高森顕徹氏の昔を知る人の話によると、彼の枕元にあるとき親鸞聖人が現れ説法して、それで信心決定したんだと熱一杯に語っていたんだそうな。まあ、勝手にしてくださいとしか言いようがありませんね。

以下、2ちゃんねるから、内容的にとてもよくまとまっている書き込みをアップしておきます。私は個人的には「回想 メンタルヘルス友の会」の文中に出てくる「高森写楽」という言葉が心に残りました。そうだな、写楽だよな、ただの恥知らずのパクリ魔なんだと。


719 :神も仏も名無しさん:2008/10/22(水) 21:05:44 ID:b+9eQlR2
>>707
ここにいる人たちの頭はフツーじゃないからねぇ・・・
 
http://nigawaraihonmono.blog59.fc2.com/blog-entry-85.html
 
もっと厳しいことを言うならば、高森先生が漢訳原文を引用していながら、実際には漢訳原文は
読んでおらず、親鸞聖人の読み方を採用している浄土真宗系の「書き下し」に基づいて論じているから、
このような初歩的な誤りをしてしまうのではないかと思います。
http://kiyomorimondo.blog70.fc2.com/blog-entry-103.html
 
 
このように比較してみると、高森氏は『横から見た赤穂義士』を正しく引用してはいませんでしたが、 
『歎異抄入門』 からは忠実に引いていて作文しているのがわかります。 
ですので、タイトルも本多氏の本から忠実に引いてきたので「赤穂義士」ではなく「赤穂浪士」になっていたわけです。 
http://hpcgi2.nifty.com/nonsect/spict/smallpict.cgi?mode=view&key=3767_3766
 
 
「会報」などの著書には大沼法龍氏の著書の文章を大量に貼り合わせるようにして使っていて、
善知識と言いながら己証(伝統教学を元にした独自の教義解釈)がない
(写すのが上手なので高森写楽と皮肉られました)。
http://aggott.at.infoseek.co.jp/page/037.htm
 
 
… 一字一句同じと言ってもいいでしょう。こんなことをするというのは何もわかっていない証拠でもある。 
ただ伊藤氏が法然の念仏と親鸞の信心を対比させてしまっているもんだから、 
それを何も考えずに写してしまう。伊藤氏の言うことが本当かどうかなど問題ではない。 
こんな態度で、人にはこれを書いたのは俺様だと言う。 しかも病気のときも一日も休まず頑張って書いたんだと言ってたらしい。 
その裏では、ただ書き写していたわけだ。これこそ詐欺ではないか。 しかも本にするつもりでいたんだが、インターネットで剽窃が公にバラされると、 
途端に取りやめにする。なんと分かりやすい馬鹿なんだろうか。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=552019920&tid=betezbfbfbda1a4rcfbf4a4k&sid=552019920&mid=1206 
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=552019920&tid=betezbfbfbda1a4rcfbf4a4k&sid=552019920&mid=1224 

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高森顕徹会長の所得申告

高森会長の所得申告について疑問が持ち上がっています。

私も親鸞会の中にいて、「○○会館は高森先生お一人で建てられた云々」という「美談」をしょっちゅう聞き、また地方の行事では御法礼の他に「お礼」と称して毎回数百万のお金が高森会長に渡されるのを見てきました。

その高森会長が、富山県の高額納税者名簿に全く載っていないというのです。多くのお金が現金で渡されていましたから、いくらでもごまかしようはあるのかもしれませんが、これらのお金は一体どこから来てどのように処理されているのでしょうか。

以下は2chに上がっていた書き込みです。尚、文中で触れられている富山県の高額納税者名簿は、富山県立図書館などで閲覧可能です。私が所持している資料は北日本新聞のそれぞれ2005/5/17、2004/5/18、2003/5/17、2002/5/17、2001/5/17、2000/5/17、1999/5/18発行のものです。
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私は会員のものですが、高森会長の所得申告に疑義があります。

1998年から2004年までに発表された高額納税者名簿を確認しました。
高額納税者の発表は、2006年より中止されておりますので、それ以前の分しか確認できませんが、過去の富山新聞に高岡税務から発表されたすべての高額納税者名簿が掲載されております。

大変驚いたことに、高森会長の名前は一切ありませんでした。

基本的に、概ね所得税額1000万円以上の人が高額納税者として公表されておりました。これは年間の所得にすると約3000万円ほどです。
高森会長は、まず親鸞会から、他の講師と同様に法領(給料)を受けとっています。布教局長が毎月200万ほど受け取っていたことから推測すると、ほぼ年収3000万近くは基本法領だけで、受領していたものとおもわれます。

さらに、毎月の法話の法礼が「現金で」高森会長に渡されていました。
本部の行事では、半分程度が会長に渡されていたと推測されますため少なく見積もっても2500円x2000人x月3回x12ヶ月=1億8000万円 が別途法礼として会長に現金として渡されていたとおもわれます。
当然、この法礼は親鸞会の収入ではありませんので、個人の事業収入となりますので、課税対象となるはずです。
正直に申告していたならば、少なくとも毎年6000万~7000万円の税申告がなされていたはずであり、高額納税者の上位に名を連ねていたはずとおもわれます。

かつて、顕真会館(11億)、高岡会館(8億)、滋賀会館(5億)顕真学院(5億)すべて、高森会長のポケットマネーで建築されたことが、会員には発表され、「先生のお慈悲」と宣伝されてきました。

ここで、留意すべきなのは、宗教法人親鸞会が建てたのではなく、高森会長個人が建てられた、という点です。

しかし、これだけの建物を即金で建築されるのは、当然相当の個人の所得がなければ到底ありえない話です。
となると、当然、合計で数十億をこえる大きな所得が発生していたはずであり高額納税者に名を連ねてしかるべきです。

過去の富山新聞を確認したとき、高額納税者名簿に名前はあるだろう、しかしどのくらいの金額なのだろうか、とおもっておりましたが、一切載っていなかった。衝撃でした。

同朋の里事業についても、高森会長がまず施設を買収して、会員から後付で、財施を集めている様子です。相当額の金をもっているのでしょう。

親鸞会の申告所得が毎年14億5千万円で、会費収入を差し引くと正本堂や地下道で集めた100億ほどの金の所得申告がなされていないことが読み取れます。

不思議なことに、2003年ころから、正本堂の財施の納入は銀行振込みではなく、できるだけ現金で、と指示が流れました。
これらの金も会長の個人所得になっている可能性さえありえます。

脱税の時効は、5年ほどといわれます。

マルサの女という映画では新興宗教の教祖が、脱税をしてつかまるシーンもありますが、親鸞会についても映画の中の話ではないというように感じます。

以上高森会長の所得申告についての疑義を申し上げます。

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人生を奪われる人たち

前のエントリで親鸞会の信用情報というのをアップしました。その後コメントで補足情報がいろいろ付いてますがすべて事実です。わずかなお金で調べることができるので疑問に思う人は調べたらいいと思います。

この情報がアップされた2chのスレッドには、何者かによって親鸞会の宣伝文章が昼夜を分かたず数千回にわたって書き込まれ、2ch運営側によるアクセス制限が行われるまで完全に機能を失いました。

これだけではありません。親鸞会の教義的な問題点が明らかになると、即座に元会員を装って問題点のごまかしと論点ずらしの書き込みを行う人。Wikipediaの1万年堂出版や高森顕徹明橋大二などの項目を常に監視し、親鸞会に都合の悪い記述が入るとすぐに削除する人。「徹底検証」と称して、法論の負けをごまかす為の記事を延々と投稿し続ける人。親鸞会を宣伝するページに手当たり次第にソーシャルブックマークを付ける人。華光会や上田氏、清森氏への印象操作のコメントや記事をひたすら作っている人…一体どれだけの人がこの愚かな工作に関わっているのか想像も付きません。

彼らは誰のためにこんな事を延々とし続けているのでしょうか。仮に自分のためだとしたら、一体これらの行為が彼らに何の利益をもたらしてくれるのでしょうか。

親鸞会の末端の講師部員や職員は驚くほどの薄給で休日もろくにとらず親鸞会のために働き、さらにその中から骨身を削って親鸞会に献金をしています。その献金の使い道の不透明さを必死に隠しているのが他ならぬ彼らだとしたら、これ以上の茶番があるでしょうか。

彼らの人生を縛り親鸞会から離れられなくしている教義の矛盾点を、必死に隠しているのが縛られている当事者の彼らだとしたら、これ以上の悲劇はあるでしょうか。

そうやって愚直に親鸞会に尽くした人でも、親鸞会は邪魔になったら本人にも言えない様な理由で次々と除名処分にしてきました。その時、ネットに張り付いて工作していた経験やスキルなど何の生活の足しにもなりません。

一方、高森会長の孫たちは布教も活動もロクにせず、高森一族が保有する「真生会富山病院」にさっさと就職して将来は安泰です。病院が赤字でも親鸞会から補填されますし、仮につぶれても特専部の医師や弁護士が債務保証しているので自分たちは痛くも痒くもありません。

工作員の皆さん、自分たちのやっていることを自分の親や子供に堂々と説明できますか?自分の仕事に誇りはもてますか?これからもずっとそんなことをし続けるのですか?

ある元エホバの証人の信者は、こう語っています。

「エホバの証人は長くやればやるほどやめられません。他のカルトもそうなんでしょうが、やめるということは立ち直れないほどの自己否定につながるんです。いままでの私の人生って何だったんだろう。やめれば、仲間たちは自分を卑怯で情けない人間だと見るだろう。そんな恐怖感が自分の気持ちを縛っているんです。人間の心の弱さ、防衛本能だと思います。ただ、わたし、エホバの証人の体験をしてよかったことがあるんです。それは自分だけは洗脳されない人間だと自負していたのに、あっさりとマインドコントロールにかかってしまった自分の愚かさに気づいたことです。

彼らが自分の愚かさに気づくのは、果たしていつの事なのでしょうか。

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親鸞会・真生会病院の信用情報

最近、2chに貼られるたびに、猛烈な荒らしの書き込みによってかき消されてしまっている情報を、ここに掲載します。

原文は一部伏字になっていますが、信用情報を含めすべて根拠があることですので、実名で掲載しました。

最近また「同朋の里」の財施が始まり、第1期が8億、9月中に収めるようにという指示で、これが第3期まで続く予定です。なぜか高森会長の著作「歎異抄をひらく」の財施から予約用紙を書かなくなり、今回も書かないそうです。何かを隠蔽するためでしょうか。

講師部員が「最高の道」と宣伝しているのに、高森会長の孫たちは真生会病院に就職し、誰一人として講師になっている人はいません。その一方で、無茶苦茶とも言える施設の拡張や頻繁な財施が募られ、その使途は明らかにされることもありません。

会員の皆さん、そろそろ気づいてもいいころだと思います。

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親鸞会の信用情報によると、 2002年~2007年まで、毎年、法人申告所得は、14億5000万円となっています。

これはおそらく、公式に発表している会費・行事の収入であるとおもわれますが、2002年から2007年まで、毎年変化がない、ということは実に不思議です。 この申告所得は、親鸞会の会費収入がおそらく、毎月1億円弱とおもわれますため、正本堂の総額が80億とすると、つじつまがあいません。

私は会員ですが、自分がおさめた地下道などの高額の財施はどのように使われているのか、知りたいとおもいますが、とても会の中では聞けません。

真生会病院に毎年1億の援助を親鸞会からおこなっていたともいわれています。今年から、その援助が打ち切られ、真生会病院の経営は一層悪化している模様です。

また、真生会病院の信用情報です。
〔売上〕
2003年(29億)2004年(30億)2005年(29億)2006年(32億)2007年(33億)
〔利益〕
2003年(1.2億赤字)2004年(5000万赤字)2005年(1.5億赤字)
2006年(5000万赤字)2007年(7000万赤字)

この期間の赤字分は、親鸞会から補填されていた模様です。 地下道や絵画、座布団などの高額の財施は、こういった使途にもつかわれていたのでないか、と考えられます。同朋の里などの財施も実際は何に使われるか不明です。

ちなみに、真生会病院の資本金は、7億9800万円。出資者は高森一家となっており、医療法人は高森一族の資産となっているのが実態です。

すでに、会長の娘が経営の実権を握っており、高森一家の孫たちも勤務をはじめています。

仏法のため、血のにじむおもいで出された財施を、会長は自分の一族を末代まで繁栄させるための病院経営にまわすという事実を、それも仏法のため、と心からおもえる会員もいれば、信じられないという方もあるでしょう。

客観的な事実を知って、一人一人が判断してください。

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親鸞会の活動は善因善果ですか?

初めて当ブログに投稿をいただきましたので、掲載いたします。
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私は最近まで学友部で幹部として活動していた元学徒です。大学で幹部として活動していましたから、学業そっちのけで、朝から晩まで会合か破邪顕正の活動をしていました。(もちろん正本堂での聴聞やバイトの日もありましたが)

そのときに1年生のときから信じていたことは、「自分たちのやっている活動は因果の道理に従ったもの。善因善果・自因自果だから、活動すれば自分に善果が返ってくる」というものでした。親鸞会で活動している人もみんなそう思っていることだと思います。

1年生の時はその思いで報恩講でも顕正の結果を出しました。やればやるほど幸せになれると思っていたのです。

しかし2年生、3年生になり、活動が激しくなり、幹部にもなり、目標の数字に追われるようになってくると、だんだんと、その活動は苦しいものになってきました。

ある部門の最高責任者を任されて、4年生になったときには、ココロが悲鳴をあげていたのです。

「おかしいではないか。善因善果なら、学年があがるほど、どんどん幸せになっていく、恵まれていくはずなのに、実際はその逆でどんどん苦しくなってくる。追い込まれてくる。一体どういうことなのか」

初めて活動に不審をもちました。

「因果の道理が間違っているのだろうか。いや、大宇宙の真理だから間違いであるはずがない。一体何が間違っているのだろう」

と思い続けながらも、幸せになれない親鸞会の活動に絶望し、自然と親鸞会から足は遠のいていきました。

脱会して、自分を振り返ってみて、今ならば分かります。自分のやっていた活動は、【善因善果】ではなく【悪因悪果】でした。相手を幸せにしたいという心もないのに名利の心で他人を勧誘し、公然とうそをついて相手をだまし、それが善だと思い込んでいたのです。

それは今までやってきた活動のほとんどだと言えます。親鸞会のみなさんが善だと思って今一生懸命やっていることは、もしかしてそれは悪ではありませんか。よくよく振り返ってください。

一脱会者からの、愚かな意見です。

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統一協会・偽装勧誘終了のお知らせ

カルト問題で多数の著作のあるルポライターからの情報によると、日本の統一協会・原理研の会長が最近変わり、現場に「勧誘するときは正体を明かすように」という通達が下りたそうです。

統一協会は偽装勧誘については親鸞会と似ていて、「一部の信徒が勝手にやっていること。ビデオセンターも組織とは関係ない」というスタンスでしたから、これが本当だとすれば画期的なことです。

しかし、もし統一協会が実際に「偽装勧誘」をやめたとして、それは統一協会に自浄能力があって、これまでの反社会的な活動を反省したからでしょうか。

そうならばこれほど喜ばしいことはありませんが、私はそうは思いません。一言で言うとそれは統一協会が「賢い」からであって、これ以上社会的な批判が高く、裁判でも違法判決を受けた勧誘方法を取ることが、教勢の維持に「得策ではない」と判断しただけだと思います。

正体を隠して勧誘し、親対策や引き離し対策などのテクニックを駆使して無理矢理入信者数を増やしたとしても、やがて末端信者は疑問を抱きやめてゆきます。かくて大量入会、大量脱会が繰り返され、教団に不信や恨みを抱いた人を毎年大量生産することになります。実際に親鸞会では大学で入会した人の大部分は卒業後やめてしまいますが、統一協会でも同様の状態だったようです。

かくて教団の評判は悪くなり、マスコミやネットで教団の負の面が明らかにされ、ますます「正体を隠して」勧誘せざるを得なくなります。

統一協会も親鸞会も、この負のスパイラルに完全に陥っていました。統一協会がそのスパイラルから早めに抜け出すのが「得策である」と考えても何の不思議もありません。

この情報はガセネタだと考える人もいるようですし、残念ながらこのルポライターの情報には信頼できない部分もかなりあります。しかし親鸞会と違って統一協会の次期トップはハーバード大学でMBAを取っている人物です。こうした合理的な考えを実行することは大いにありえると思います。

さて、「統一協会」「摂理」「親鸞会」という偽装勧誘の御三家から統一協会が抜けたら、親鸞会は今後どうするのでしょうか。何度も同じ失敗をしながら「学生が勝手にやっていること」と開き直って、これからも偽装勧誘を続けるのでしょうか。

十分な補給もせずに万歳突撃を命令して、幾度も多くの将兵を死に追いやった日本軍のように、今後も自分たちのやり方をまったく省みることなく、苦しむ人たちを再生産し続けるのでしょうか。

その判断をするのにハーバード大学に行く必要などありません。人間として最低限の知恵と理性があればできることです。

ただ、今も何とかの一つ覚えの如く「自分が昔暴走族で暴れていた」だのと全国で話をしている「次期トップ」には、ちょっと難しいかもしれませんが。

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親友部のリストラ

親友部内で「リストラが始まるのではないか」と噂になっているそうです。

今のところは単なる噂に過ぎないようですが、病院経営は慢性的赤字のうえに、「正本堂」や「同朋の里」施設群の建設費、維持管理費の負担、さらにそれらを支える会員の減少により、リストラの可能性は十分にあると思います。

かつて親鸞会は、「ビデオの再生ボタンさえ押せれば大丈夫」「収入は前職の水準を十分に考慮する」といううたい文句で、ビデオ部員を大量に募集しました。その数、200名。仕事をやめてビデオ部員になった人も多数いました。

しかし、幾たびも制度が変更され、次第に給与は減らされ、最終的にはほとんどの人がやめてしまいました。

同じことは、講師部員に対しても行われています。「私と同じ道を歩みたいだろう」と講師部員の給料が突然なくなったのは記憶に新しいところです。

そして、その後正本堂が建ち、同朋の里施設群が建設されました。ひっきりなしに集められる財施で、多くの講師部員や会員が経済的に苦しい思いをしている裏で、一部の幹部講師は自宅を新築したりしています。

親友部員はそんな現実をずっと見てきているはずです。「人」の給与が切られ、「建物」には湯水のようにカネがつぎ込まれる団体。そしてその会計報告すらなされない団体。

だからこんな噂が出てきているのでしょう。

噂している暇があったら、勉強して資格でも取って、早く親友部をやめて一般の会社に転職したらいいと思いますよ。手遅れになる前に…

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新しい道を歩む

浄土真宗親鸞会被害家族の会の掲示板に、こんな書き込みがありました。
http://hpcgi2.nifty.com/nonsect/spict/smallpict.cgi?mode=view&key=3701_3701

私の白道や、チューリップ企画と田中氏の法論などを読んだことがきっかけで、親鸞会に疑問を持ち、新しい進路を目指し始めたという事です。心から良かったと思うとともに、いくつか思うところを述べさせていただきます。

私は親鸞会に子供さんが入っていることで悩まれる親御さんを数多く見てきました。中には親鸞会に自分の子供を「取られた」と思われる方もおられたように思います。しかしこれは決して、取ったとか、取られた、という問題ではありません。

親鸞会に長くいた自分が実感する事ですが、親鸞会に入ったというのは子供さんが真摯に人生を生きようとしたひとつの結果であって、難しいことですが、そのことを認めて受け入れてあげて頂ければと思いますし、それが出来たからこそ、ご本人が気づくことが出来たのだと思います。

ネットを見たというのは一つのきっかけに過ぎません。親鸞会に対する疑問が生じたのは、ご本人の「間違いを間違いと認める」勇気と、子供さんの人格を受け入れた上で、その幸せを願い続けた親御さんの努力が実った結果です。

自分が長いこと「真実」と思い続けてきたことに疑問の目を向けるには、相当な勇気が必要です。外から見ると「なんでそんな馬鹿げた事を信じているのか」となりますが、本人にしてみれば馬鹿げた事でもなんでもない、自分が人生をかけようとしてきた事なのです。出来ればずっと真実だと思いたい。そのほうがどれだけ楽か知れません。

それなのに親鸞会に対する批判の声に耳を傾け、疑問を疑問として受け入れるのは、辛く、屈辱的なことです。中には自主的にこれらのことを成し遂げた人もいますが、殆どは周囲の人のサポートがないと難しいと思います。何があっても全力で子供を受け入れる、という親御さんの決意と愛情があって初めて、本当に辛く苦しい一歩を踏み出すことが出来るのだと思います。もちろん、私もそうでした。

>まだ、息子もいろいろ迷ったりふっきれないところがあるようです。

とありますが、疑問を持ったからといって、夢から覚めるようにはっきりするというものでもありません。まだスタートラインに立ったばかりの状態だと思います。どうか長い目で見守ってあげて欲しいです。

また、
>「この気持ちはお母さんにはわからないと思う。」と言っています。相談にのってあげたくても、理解できないでしょう。息子の力になれないのは悲しいことです。

息子さんの力になってないということは決してありませんが、気持ちが理解できないのは仕方がないと思います。逆にご本人にとっても、ずっと心配し続けてきた親御さんの気持ちはなかなか分からないと思います。

自分の母親は私が学院に行ったことを悲しみ、もともと痩せていた体が更に痩せこけて行きましたが、少なくとも会にいるときは何も分からなかった。脱会してしばらく立ち、自分もいつの間にか人の親になりましたが、それでもあの時心配し続けた両親の気持ちは簡単には分からないのだと思います。

そして脱会した本人も、誰しも焼け野原に一人たたずむような気持ちになりますし、生きる指針を失い真っ暗闇の中で彷徨うような思いをする人もいるでしょう。それもまた、なかなか理解されにくい事です。

私はそれでもいいと思います。私は両親にそのことを理解して欲しいとは思いませんし、理解したつもりにもなって欲しくなかった。そっとしておいて欲しかった。そして、私の望みが通じたのか通じてないのか、両親は私がカルトに居た事について何も触れません。ありがたいことでした。

私は今でも親鸞会について色々と複雑な思いがあります。まだ整理できてないことも沢山あります。だからこんなブログをやっているのかもしれませんが、なかなか一筋縄でいくことではないのです。

これからだと思います。どうか、がんばってください。

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如来のみ声

かつて高森布教局長の不倫疑惑が講師部を揺るがし、高森会長自らによる粛清合宿が繰り広げられたときに、高森会長はネット上の批判は「如来のみ声だ」と言っていたと聞いています。それにしては不倫疑惑自体を「捏造」と決め付け何の検証も許さなかった訳ですが、この高森会長の言葉自体は間違っていないと思います。

当時の親鸞会にはまだネットやマスコミの批判をすべて捏造と決め付けるのではなく、「もっともな批判があるのならば耳を傾けよう」という空気がありました。その証拠に、身分詐称は多くの指摘を受けてあまり行われなくなりましたし、ネットに書き込まれた脱会者の声を読んで「あんなふうに思われているとは思わなかった」と反省する講師部員もいたのです。

それがいつしか「ネットの批判は本願寺の陰謀」「書かれていることは捏造」とされ、少しでもネットの批判に同調的なことを言おうものならば、まるで悪魔の手先になったかのように非難されるようになり、そして読むことすら禁じられました。

たとえば私の白道清森問答といったサイトには、親鸞会にとって非常に貴重な提言が数多く含まれていると思いますが、当然ながら会内でこうしたサイトの内容について真摯に耳を傾けようという動きはまったく見られません。

親鸞会を脱会した人の書いたものです。当然、私情は入っているでしょうし、誤解や不当な非難もあるでしょう。すべてを受け入れろと言っているのではありません。批判というのは、一見理不尽なように見えても、全てがそうではなく、中には全うなものもあるという当然のことを言っているまでです。

当然それは私たち反カルト側にも当てはまります。カルトがすべて悪で、反カルトが絶対の善のように取り違え、自分たちに寄せられる批判の声を善悪二元論で全て切り捨てるようならば、それはカルトと何の違いもありません。

批判する人も批判される人も、全てが正しいのでもなく、全てが間違っているのでもありません。カルトの全てを悪と決め付けたら説得はできません。自分たちが全て正しいと相手を見下ろしていれば対話にはなりません。

お互い間違いだらけの身なのです。私たちは悪を糾弾するという姿勢ではなく、ただ脱会して知らされたことを語る。それを聞いてやめるかやめないかは本人が考えることです。

親鸞会が自分たちに寄せられる批判の一部でも「如来のみ声」と聞くようになれば、もはや親鸞会はカルトではありません。それを期待する我々もまた同様の姿勢でなければならないのは、言うまでもないことです。

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聞法ドメインがそんなに大事なのでしょうか

それまでは堅実に経営を進めてきたのに、自社ビルを建てたとたん経営が悪化する企業があるといいます。

最初のころは地道に頑張っていたのに、利益があがってくると自分の身の程をわきまえず、豪華なビルにお金をつぎ込み、気持ちが大きくなって無駄な設備に投資したり無理な経営拡大に走ったりして、資金繰りが悪化してしまうのです。

最近の顕正新聞を見ていると、退会した元講師や華光会への批判のほかは、聞法ドメインの記事ばかりが目立ちます。

食堂、大浴場、D館。当初は老人福祉施設や幹部会員の富山移住の計画も進められていました。射水のあの土地を親鸞会の建物で埋め尽くしたくて仕方がないのでしょう。何かというと「2000畳」と「ドメイン」ばかりです。

そしてガラガラの大講堂を会員で埋め尽くそうと無理な勧誘が繰り広げられ、大学には大量の職員が派遣され違法な勧誘が行われ、会員にはひっきりなしに献金の依頼がきています。

一体親鸞会はどうなってしまったのでしょうか。

私がいたころの親鸞会は、建物の大きさや設備の豪華さを強調するような団体ではありませんでした。

いろいろな問題を抱えている団体でしたが、少なくとも「一宗の繁昌と申すは、人のおほくあつまり、威のおほきなることにてはなく候ふ。」と蓮如上人が言われた事から、大きく外れるような方向には動いていなかったように思います。

最近の親鸞会は、昔とはまったく別の団体になってしまったようです。

事業がそんなに大事ですか。建物がそんなに自慢でしょうか。

私の住まいの近くに、天聖真美会という新宗教の建物があります。信者からの多額の献金で建てられた巨大な施設を見るたびに、どこの新宗教の教祖も考えることは同じだと知りつつ、親鸞会だけは違うと信じ続けてきた自分の浅はかさを思い知らされます。

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親鸞会さん動画を削除しないでください

当ブログでも紹介している悲願の法城のビデオが、度々親鸞会からの権利侵害の申し出により削除されている模様です。

誰かがアップしては消されるという繰り返しなのですが、たとえばYoutubeには親鸞会の宣伝ビデオが大量にアップされているのに、このビデオだけが消されるのはなぜなのでしょうか。

「家を売っても、アパートで生活すればいいのです。喜捨をしないのは親鸞学徒ではありません」と高森会長が話す動画を公開するのが、なぜ問題なのでしょうか。

座談会という場で、高森会長が会員に向かって公に説法した動画なのですから、隠す必要は無いはずです。それを隠そうとするのは、結局親鸞会という団体が数多のカルト宗教と同じく、「見せれるところだけ見せて、都合の悪い部分は徹底的に隠す」所だからだ思われても致し方ないでしょう。

今後、こうした形で親鸞会が自分たちの正体を隠そうとするのならば、私にも考えがあります。この先一度でも当該の動画が削除されるようなことがあったら、そのときはあるメディアファイルをアップするつもりです。

親鸞会にとっては、公にしてほしくないものでしょう。ちなみに、著作権侵害等のクレームでは削除できない性質のものですので、お楽しみに。

以下はYoutubeから。会内では捏造されたものと言われているそうですね。自分たちのした会合を「捏造」として闇に葬り、「捏造」に出来ないようなものはクレームをつけて削除する。実に卑怯な団体です。親鸞会って。

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本願寺はなぜ親鸞会に無関心なのか

最近、若干ではありますが、本願寺(大谷派)から呼ばれて話をする機会も出てきました。その際に感じたことです。

以前から私は、本願寺がなぜ親鸞会に対して無関心なのかが不思議でした。たとえば日本基督教団は統一協会に対して行っているような積極的な取り組みが全く見られないのはなぜかを知りたいと思っていました。

その理由が多くの僧侶と話すことで分かってきました。意外でしたが、殆どの寺にとっては親鸞会の影響が全くない、あるいはあっても極めて軽微であるから、無関心なのです。

親鸞会が言うように、門徒が「本願寺に騙されていた」と憤慨し、親鸞会の法話にはせ参じるようなことは殆どありません。親鸞会サイドから見るとたまにそんな話が顕正新聞などに掲載されていますが、掲載されている本人に直接聞くと、実際は本願寺に対してそんなに憤慨もしていないし、別に縁を切ったわけでもありません。

門徒が親鸞会の会員であったり親鸞会の行事に参加していたり、と言うことは珍しくありませんが、大半は寺との関係もそのまま維持しています。門徒の一家が丸ごと親鸞会に移るというケースも極めてまれであり、講師部員の子供でさえ親鸞会の活動を熱心にしている人などいないのに、二世信者、三世信者と代々会員が続く家などまず見られません。家族の何人かが会員になっていても、中心となる会員がやめればみんなやめてしまいます。

つまり門徒の家で誰かが親鸞会の会員になったとしても(それ自体がレアなケースですが)、その家や会員と寺との関係が切れることは殆どありませんし、大概は「その人だけ」で親鸞会の会員も終わりであり、寺にとっては何の影響もないと言っても良いくらいなのです。これでは関心を持てというのも難しいくらいです。

ですから、親鸞会では「本願寺が親鸞会を脅威に感じ、親鸞会の布教を妨害している」と会員向けに主張していますが、実際は脅威どころか「無関心をどうにかしなければ」というレベルなのです。

それでも最近は親鸞会に対する相談件数の増加から、大谷派を中心にカルト問題、親鸞会に対する活動が行われていますが、あくまで「社会問題として取り組む」という姿勢です。しかもそれでさえ、親鸞会よりも大きな影響力を持つ、とある新宗教団体の方がより関心を持たれています。

親鸞会は会員数も参詣者数も減り続け、今は6000人程度の会員しかいません。それなのに「一万人の人が聞法出来る受け皿作りが必要だ」と、月に数日しか稼働しない施設を建てまくり、加えてそれで集めたお金の使途すら公表できていません。初代会長は高齢で、2代目は会員の信頼を得られておらず、3代目は講師にすらなっていません。

近いうちに親鸞会は身の丈に合わない施設の維持で経済的に行き詰まり、自らの重みで瓦解するでしょう。そんな団体が脅威にならない事自体、冷静に考えれば分かることです。

親鸞会が「本願寺が親鸞会を脅威と思っている」と宣伝するのは、会員向けのプロパガンダに過ぎません。それは親鸞会に対する批判を「本願寺の陰謀」とすり替え、自浄努力を放棄し親鸞会の抱える問題から会員の目をそらすためのものなのです。

しかし中には、本当に「本願寺が親鸞会を脅威に思っている」と信じ込んでいる人もいます。顕正新聞に正本堂の写真を大きく載せ「これをみたら本願寺は驚くだろう」と得意げに話す姿は単なる妄想以上のものを感じます。

このケースは単に元から思いこみが強い上に老いて判断力が低下しているのか、あるいは最初から思考力に問題があるかのどちらかであって、何かしら根拠があって言っているのではないことを知っておいてください。

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私が親鸞会をやめられたのは弘宣部長のおかげ

脱会した元講師部員からこんな話を聞いたことがあります。

かつて親鸞会で「光戦」(1セット10万円のアニメ「世界の光親鸞聖人」を頒布すること)が最優先と言われていたときは、講師部員も親友部員(職員)も年輩の会員も学生も、皆寸暇を惜しんでアニメを持って街を歩きました。暑い日はワイシャツを汗でぐしょぐしょにしながら、寒い日は足先の感触を失い震えながら。毎日行く先行く先で断られ、精神的にぼろぼろになりながらもまわったそうです。

その元講師部員が学院生だったときは、その光戦の最盛期とも言える時代でした。学院でも月に2回「光デー」があり、学院の担当講師も学院生も皆アニメを持って外に出ました。そんなときに、一人だけ「記事の執筆があるから」と光戦にまわらない人がいました。当時の副学院長です。その後何度か副学院長は変わりましたが、光戦に出なかった副学院長はその人だけでした。

その人はその後弘宣部長になり、M晴をあまりいじめないでくれ事件の時は議長に選ばれ、批判分子の講師を徹底的に指摘しました。すさまじい合宿で、普段高い立場にある人や講師歴の長い人も、自分に非があれば土下座し涙して心からわびていました。ところが弘宣部長だけは「私もネットに色々書かれているが、そんなものはデタラメだ!」と聞かれてもないのに言っていたそうです。デタラメと言ったのは「破廉恥行為をして2度も左遷された」ことです。この合宿では例の「不倫事件」は捏造だという結論が無理矢理出されましたが、ついでに自分の破廉恥事件も捏造にしたかったのかも知れません。しかし、すでに多くの人が顛末を知っている事件でしたので、彼が「デタラメ」と言ったときに、会場は何とも言えない白けた雰囲気になったそうです。

さて、最近顕正新聞にこんな記事がありました。

ところがである。自分の獲信体験なるものを得意げに書きまくり言いまくり、他人にも読ませ、聞かせている者たちがいる。
ある者は、「オレは弥陀の呼び声を聞いた。お前ら、まだ獲信できんのか」とうそぶき、「法施も財施も要らん。聞いてさえおればいいのだ」と放言する。
善の勧めの否定は、弥陀の三願転入の仏意の蹂躙であり、親鸞聖人のみ教えの破壊である。その大罪の自覚もなければ、「救われた」と言いながら、懺悔も歓喜もない。無論、「遠く宿縁を慶ぶ」心などさらにない。
弥陀より賜る白道どころか、恨みと呪いの真っ黒な愚痴を言いっぱなして恥じない〝自称獲信者〟もいる。
ニセ体験であることは明白だが、なぜこうしたニセモノが後を絶たないのか。(顕正新聞2008年6月15日号)

この「自称獲信者」が、私の白道の著者と華光会をさしていることは想像に難くありません。最近の華光会には親鸞会の人の参詣が絶えないそうですから、親鸞会も余程恐れているのでしょう。批判の内容を見ても、すでに「私の白道」の文中で否定されていることばかり。親鸞会得意の悲しいほどワンパターンなレッテル貼り批判です。

この文章を新聞に載せたのは先に触れた弘宣部長であることは明かですが、同じ講師部員として生きてきて、同じ高森会長や布教局長の問題を見てきて、どうしてこんな違いが出てしまったのでしょうか。

私は、私の白道の著者が親鸞会を後に出来たのは、真剣に高森会長の言うことに従い、真剣に法を求めようとしてきたからだと思います。どんな役職にあっても、布教の最前線で真摯に活動する方だった。だから気づくことが出来たし、気づいたときにやめることが出来たのです。

真剣にやってないから、親鸞会の問題を知る立場にあっても、それを直視せず、自分の問題として考えることもせず、適当に誤魔化して自分の立場を正当化して、言われるままに「自称獲信者」と見下した記事を書くことが出来る。

「私の白道」の著者が、真剣に光戦で重い鞄を担いで全国を回っていたときに、彼は何をしていたのでしょうか。ぬくぬくと暖かい学院の事務室や、弘宣部ビルの3階の大きな机にふんぞり返ってパソコンをいじっていたのではなかったか。私の白道の著者が、合宿で除名通告を受け、正座して涙していたときに、彼は指示棒を振り回して、批判分子の糾弾のついでに自分の破廉恥疑惑を「そんなものはデタラメだ!」と叫んでいたのではなかったか。

脱会したその講師部員は、「私が親鸞会をやめられたのは弘宣部長のおかげ」と言っていました。彼の姿を見て、ここにこれ以上いてもしょうがないと考えることが出来たと。

弘宣部長が心の底から「親鸞会は間違いだった」と知らされたとき、親鸞会をやめて一から出直す勇気はあるのでしょうか。いや、おそらく無理でしょう。適当に理由をつけて納得させ、「親鸞会が間違いだった」と考える事すらも出来ないだろうと思います。

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信仰と真実

ここ数日で私の周りにも様々な動きがあり、知らされたことも多くありました。親鸞会では降誕会が行われたようですが、参詣者は確実に減っているそうで、特に学友部の不振が目立っています。これは予想通りですから驚きませんが、それ以外にかなり衝撃の事実が明らかになってきています。これは、いずれお話しようと思います。

さて、「親鸞会の組織や体質は問題だと思うが、高森会長が真実を説く唯一の人だから聞く」という人がいます。

私も親鸞会の中にいたときはそう思っていましたので、その気持ちはわかりますし、いろいろな方とお話をすると、そう思っている人はかなり多いようです。しかし考えてください。「高森会長が真実を説いている」という主張に、何か論理的な裏づけはあるのでしょうか。

そもそも、宗教で説かれる「真実」というのは、証明も反証も不可能であり、まったく確かめようがありません。ですから、それを真実とするか否かは純粋に「信仰」の問題です。

その「真実」と「信仰」の問題を一緒にし、そもそも高森会長が「真実」を説いているという事を自分の信仰の前提にしてしまっている人が多いように思います。真実だから信仰するのではありません。信仰があっての「真実」なのです。

私は親鸞会の会員には、このことを取り違えている人が多いと思います。高森会長が救われたかどうかも、説いていることが真実かどうかも、「あなたが信じているだけでまったく確かめようのない事」で、信仰の前提にも裏づけにもなりません。

著作は伊藤康善や大沼法竜からの盗作、教義もそれらのパクリ損ない、昔と今といっていることが違いすぎ、自分の息子のした不祥事は関係者を粛清してまで闇に葬る、命がけと言って置きながら500回忌は理由もいわずに勝手に「キャンセル」、法論をすれば相手の主張を歪曲する、金を集めても使い道すら公開しない、それでいて、自分の指示に「無条件で従え」と朝晩忠誠を誓わせる…

さて、こんな人が「他のところはウソと誤魔化しだらけだけど、説いていることは真実だから」といっても、誰が信用するのでしょうか。

理性的に判断すれば到底信用できない人を信じていることに、早く気づいてほしいと思います。

「自分は理性的に判断して選んだんだ」という人は、自分が信ずるにいたったプロセスを、統一教会信者やオウム信者のたどってきたプロセスと比べてみてください。驚くほど一緒ですから。

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いくら教義が立派でも

5月30日付けの朝日新聞夕刊で、「いくら教義が立派でも」というタイトルのコラムが掲載されました。下に張っておきます。クリックすると拡大しますので、一度内容をお読みください。

28418ff4 親鸞会の会員の方はこの記事を見て何を思われるのでしょうか。自分たちの団体の運営は健全であり、開かれたものだと考えているのでしょうか。

私は親鸞会にいたときは、親鸞会は誰からも疑いようのない健全な運営がなされているから、そもそも疑う人もいないし公開の必要もないと思っていました。しかしそれは間違いです。そもそも健全ならば隠す理由はないのです。公に出来ないということは、それだけ見られてはまずい情報が満載だということです。今となっては馬鹿馬鹿しい位に当たり前のことですが、なぜあの時はわからなかったのでしょうか。

今は昔と違って親鸞会の運営に疑問を持つ会員も増えてきました。機関誌に華々しく取り上げられているような会員が、別の場所では「親鸞会は信用できない」と言うのです。内部では批判が禁じられているから言わないだけです。それを真に受けて、「会員は疑問も持たずに言われたとおりに金を出す」と上層部が思っているのだとすれば、その思いは早々に打ち砕かれることになるでしょう。親鸞会の終焉は刻一刻と近づいています。

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偽なる者は甚だもって多し

●偽なる者は甚だもって多し

「然るに濁世の群萌・穢悪の含識、乃し九十五種の邪道を出でて、半満・権実の法門に入ると雖も、真なる者は甚だ以て難く、実なる者は甚だ以て希なり、偽なる者は甚だ以て多く、虚なる者は甚だ以て滋し」(教行信証)

これは外道の者が、折角、仏縁を結んでもと、いうことだけのことではなかろう。

「真なる者(真実信心の人)は甚だもって難く、実なる者(真実信の人)は甚だもって希なり。偽なる者(安楽椅子の人)は甚だもって多く、虚なる者(安楽椅子の人)は甚だもって滋し」

とも、仰っている親鸞聖人のお言葉である。

安易に座れる椅子は満ちている。勧める者も数多い。襲いくる群賊悪獣悪知識のその中を、千万の化城(安楽椅子)を突破して

「常没の凡愚・流転の群生、無上妙果の成じ難きにはあらず、真実の信楽、実に獲ること難し」 (親鸞聖人)

「信を得る者希なり」 (蓮如上人)

の聖語を、全身で聞き獲るものこそ、まことの親鸞学徒である。

(顕正新聞平成20年6月1日号)

以前台湾布教に赴いた親鸞会のK講師に、現地の会員さんが「K先生はいつ信心決定されたのですか?」と尋ねたところ、「あともう少しです」と答えたそうです。ところが別の人が同じ事をK講師に尋ねたところ、「10年前に信心決定しました」との答え。結局この講師は他の問題もあり現地の会員さんの信頼を失い、日本に帰りました。

育児関係の著作で有名なある特専部の精神科医は最近、「大学時代に信心決定した」と明言したそうですが、大学卒業後顕正新聞に「我が身が信心決定することこそ先決と頑張らずにおれない」と書いていたことが判明しています。

チューリップ企画で法論しているサービス課の山田氏は、「自分は救われている」と法論中に宣言。しかしそれまで周囲の人も彼から「救われた」などと聞いたことは一言もなかったそうです。

その他にも、元徳育教授の瀬戸川さんが「2度救われた」件や、滋賀県の篤信者であるTさんの、殆ど同じ内容の獲信の体験談が華光誌と親鸞会の機関誌に掲載されている件。また、高森氏自身の信心もかなり怪しい事など、今までも取り上げてきました。

「偽なる者は甚だもって多し」

顕正新聞もたまには良い記事を書くもんだと、感心した次第です。

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同朋の里、拡張

親鸞会の会計報告についてインターネットで調べると、「以前は吉村総長から会計報告がされていたが、現在はされていない」といった情報が出てきます。

私も在会中この「会計報告」を聞いたことがあります。大幹部限定で301会議室に集合がかかり、その年の収支を発表します。しかし発表は口頭で「人件費○○億円、車両維持管理費○○億円」といったきわめて曖昧なものですし、資料は配られず誰が監査したのかも分かりません。大概赤字なのですが、「赤字分は会長先生が出された」とか何とか、きわめて怪しい内容のものです。

当然ながら、世間ではこんな誤魔化し可能な報告は「会計報告」とは言いません。収支や資産・負債の残高まで1円の単位できちんと記載された資料を配って、初めて会計報告と言えるでしょう。

しかしこんな会計報告でさえ、正本堂の募財や建設が本格化すると無くなってしまいました。募財は何度も募り直しされた上に、地下道や鷲のマーク、大型映像、松林の絵画等々次々と項目を変えて金集めがなされ、その収支は一切公表されていないのはご承知の通りです。

その後、聞法ドメインと称して周辺施設の建築が始まり、都度数億円から数十億円の募財がなされました。宿泊施設や弁当屋、食堂に何億という金が注ぎ込まれ、会員はそれらの施設に幾ら金が集められ、幾ら注ぎ込まれたのかは知ることもありません。

1万年堂出版から「歎異抄をひらく」が出版されたときは、予約用紙さえ配られず金が集められ、10万以上の献金をした人には木村泰山氏の書が印刷された記念品が配られました。この金が何に使われたかの報告ももちろんありません。

さて、更に追加で「同朋の里」施設群の拡張がなされ、その募財がなされています。食堂と100人入れる大浴場の建築がすでに始まっており、額は8億。これが第一期分で、その後更に増築・拡張がなされそのたびに二期、三期の募財も計画されています。それにしても8億がつぎ込まれるという食堂とか浴場、顕正新聞で写真を見ても、どうしてこれに8億もかかるのか全く不明の代物です。総大理石にでもするつもりでしょうか。

これらの拡張、何でも「会員の希望」だそうでして、会館への入場料が値上げされたときと同じ理由ですね。ウソかホントか分かりませんが、何でも会員の希望とでもしておけば文句も出ないと思ったのでしょうか。

会員さん、これを機会に「会計報告」も「会員から希望」されては如何ですか?一体幾ら集められ、何にどれだけ使われたのか。これを発表するのは組織としては当然のことです。

この後更に、50周年の献金と20億のドメイン財施の残りと正本堂建設の利子などが残っています。会員は疲弊し、末端の講師部員はますます貧しくなり、その代わり小杉の山奥には月に数回も使わないような施設が次々と建設され、幹部は新築の家を買っています。

親鸞会の将来がますます光り輝く事を確信せずにはおれません。いろんな意味で。

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「私の白道」が完結

清森問答」に連載されていた「元講師部員」の体験手記「私の白道」が完結しました。

初めての方でも読みやすいように、ここに一覧を掲載します。

私の白道1
http://kiyomorimondo.blog70.fc2.com/blog-entry-77.html
私の白道2
http://kiyomorimondo.blog70.fc2.com/blog-entry-78.html
私の白道3
http://kiyomorimondo.blog70.fc2.com/blog-entry-79.html
私の白道4
http://kiyomorimondo.blog70.fc2.com/blog-entry-80.html
私の白道5
http://kiyomorimondo.blog70.fc2.com/blog-entry-86.html
私の白道6
http://kiyomorimondo.blog70.fc2.com/blog-entry-90.html
私の白道7
http://kiyomorimondo.blog70.fc2.com/blog-entry-113.html
私の白道8
http://kiyomorimondo.blog70.fc2.com/blog-entry-114.html
私の白道9
http://kiyomorimondo.blog70.fc2.com/blog-entry-134.html
私の白道10
http://kiyomorimondo.blog70.fc2.com/blog-entry-135.html
私の白道11(最終回)
http://kiyomorimondo.blog70.fc2.com/blog-entry-136.html

文中にあった「M晴をあまりいじめないでくれ事件」についてはこちらのリンクを、
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/6979/1158394190/1-8

また、高森顕徹氏の剽窃問題についてはこちらのリンクが詳しいでしょう。
高森顕徹氏の著書のルーツ

この「私の白道」の中で触れられている、高森光晴布教局長の不倫問題を中心とした高森一族についての出来事は、ほとんど私も直接見聞きしてきたことばかりであり、何かの必要があり証言を求められた際には、進んでそれに応ずるつもりであることをここに明言します。

そのほかにも、浄財の横領疑惑や、それを明らかにしようとした講師部員への報復、東西総本部時代の嫌がらせなど、本当に色々な事がありました。

現役の講師部員の大部分は、高森布教局長に対してこの「元講師部員」と同じような思いを持っていたと思います。もちろん、言葉に出せば粛清されますから言いませんが、それでも親しい間柄では局長や組織に対する不信を漏らす人は大勢いました。

脱会した講師部員と、こうした不信を持ちながら講師部員を続けている人たちにどんな違いがあったのでしょうか。

それは、組織や局長に対する不信が、それらの源である高森顕徹会長を問い直すところまで達したか、達しなかったかの違いではないでしょうか。

「局長はおかしい、しかし高森先生は正しい。あれだけの問題を起こしながらも局長をかばい続けたのは先生の御心だ。だから私たちもそれに従わなければならない」

高森会長が自分の息子である光晴局長を、全講師部の活動を停止させたまでもみ消し、多くの会員や講師部員に一言の謝罪をすることも、させることもなく。徹底して隠蔽しかばった。

その強い意志の前に、一部の人を除いては、これ以上何かを考えることも行動することも出来なかったのだと思います。

私も、その一人でした。しかし、その考えは程なくして変わりました。

局長の不倫を暴いた人たちが糾弾され「執行猶予付きの除名処分」にされた後、再び表に出た局長の口からは、ただの一言の謝罪の言葉もなく、以前にもまして威張り始めました。

不倫を暴いた当事者の中には、人が変わったように局長に尻尾を振るようになった人もいます。あれほど声高に局長のことを批判していたのに…ただ、その気持ちは私は痛いほどわかりましたので、軽蔑するとかそういうことはありませんでした。

尻尾を振らなかった人の中には、陰湿としか言いようのないいじめを受ける人も出てきました。些細なミスで数百通の詫び状を書かなければならないような新しい規則が出来、毎日のようにポストにほかの講師部員の詫び状が入っていました。

これを茶番といわずに何というのでしょうか。私の疑念の目は局長から次第に高森会長に移って行きました。すると、盗作や隠蔽された過去がずるずると出てきました。

局長はおかしいけど、その局長を許した会長先生はおかしくない。そこでおさめて納得しておいたほうがよほど楽か知れません。誰しも数十年真剣に求めてきたものを問い直したくありません。そんな辛く苦しい葛藤をするくらいならば、盲信して進んだほうが楽に決まっています。

親鸞会の会員で、特に長く続けてきた人で、これらの問題に疑問を抱かない人はいないでしょう。そこからどうかもう一歩考えを進めてほしいと思います。その一歩は限りなく重く苦しいでしょうが、あなたの人生にもっとも必要な一歩であることは間違いありません。

そのために、「私の白道」は貴重な道しるべとなるのではないでしょうか。「元講師部員」と同じ疑問を持ち、同じ不信を抱いた人は少なくありません。しかし、歩を進める人は少ない。勇気と覚悟が必要だからです。

私はこの「元講師部員」と、光戦で一緒に活動したことがありますが、とても誠実で真面目な方だった。あの人だから、出来たことなのでしょう。今親鸞会の内部では早速「元講師部員」への中傷が始まっています。しかしそんなことに同調する前に考えてほしい。

「元講師部員」と高森布教局長、どちらがより誠実で真面目に人生を生きていますか?

二人を知っている人、考えなくても結論は出ているはずです。

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造花には 蜂や蝶も 寄りつかぬ

「香りはと 問われて困る 造花かな」
「造花には 蜂や蝶も 寄りつかぬ」

最近高森会長が顕正新聞に書いたメッセージです。

他にも、顕正新聞には造花(人工信心)を批判するメッセージで満ちています。最近の会員や元講師部員の華光会への流出に危機感を感じて、書いているのでしょう。

しかし、肝心の「華光会」という団体名はどこにも出てきません。だから彼らの「体験談」を批判するときも、どの機関紙のどの部分に載っている話かも出せませんし、また華光会とは全然関係のない土蔵秘事の話を織り交ぜたりして、何しろめちゃくちゃです。

高森会長はどう説明する気なのでしょうか。自分が華光会にいたこと、18歳のときに華光誌で獲信の体験談を書き、20歳で「獲信の記録」を書いたこと、そして伊藤康善氏の著作から剽窃した文章を自分の著作として出版し、後に理由も明らかにせず廃刊にしたことを。

後ろめたいことが沢山あるから、華光会のことを名指しで批判も出来ない。ただ、曖昧に「造花」と書くしかなかったのでしょう。

土ではなく心に咲く信心の花が本物か否かは、弥陀と本人しか知らぬことですから、私は高森氏の信心が本物かどうかはわかりません。

しかし、最近の親鸞会の参詣者数の減少を見ていると、高森氏が「造花には 蜂や蝶も 寄りつかぬ」と言うとおりの事が、いま実に親鸞会の上に起こっているのだと思います。

高森氏よ、聞きなさい。

会員は華光会が魅力的だから親鸞会から離れるのではありません。自分たちの団体の不誠実さにあきれて、出てゆくのです。

彼らに対して、信仰に妥協は許されぬと激しく破邪の利剣を振るわれた聖人だったが、「諸寺の釈門」「近世の宗師」「真信に昏い輩」とまでは言い切られたが、比叡や天台を直接、非難されているところはない。
方便とはいえ、後生の一大事を知らされた因縁がある。その仏縁を、重く有り難く思われたからではなかろうか。(中略)
『歎異抄をひらく』の大反響に、「あれを導いたのはオレだ」という心ないうわさも聞こえてくる。無理もない。羽振りがよくなると、突然親戚が増えることも、ままあることである。本会が呪われた犯罪集団となり、世を騒がせているのなら、「あんなもの知らん」となるだろうが。
「千万の化城を突破して、まことの信心決定あれかし」と念じられるお心が、彼の人々にも、いつか知らされる日が来よう。(顕正新聞平成20年5月1日号)

華光会を名指しで非難しないのは、親鸞聖人が「後生の一大事を知らされた因縁を有難く思われたから、比叡や天台を直接非難されてない」のと同じといわんばかりです。

本願寺についてはネットでも機関誌でも、名指しでひどい非難をするのが親鸞会ですが、本願寺には「後生の一大事を知らされた因縁」はなく、華光会にはあるのでしょうか。

「『歎異抄をひらく』の大反響に、「あれを導いたのはオレだ」という心ないうわさも聞こえてくる。」については、我田引水もいいところです。こんなこと書かせて、恥ずかしくないのですか?

嘘と誤魔化しに満ち溢れた自称「善知識」が、いまさら「あれは造花だから、近づくな」といったところで、誰が信用するというのでしょうか。

親鸞会では今は支部間の移動も禁じられ、会員はみな地元の支部で支部長の監視下に置かれているそうです。しかしそんなことでは、離れる人たちを留める事はできないでしょう。

こんな恥知らずな論説を掲載した弘宣部長の心中はどのようなものだったのでしょうか。

高森氏の過去を知っていながら、幹部として高い待遇を受け、もう他に生きる道も無く自分を偽って受け入れているのか。あるいは、何の疑問も無く心底信じきっているのか。

在会中世話になった方だけに、本当にかわいそうでもあり、またさびしくもあります。

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悲願の法城(親鸞会の集金ビデオ)再掲

親鸞会のクレームによって消されてしまった「悲願の法城」(親鸞会の献金要請ビデオ)ですが、沢山の方から資料として欲しい、また閲覧できるようにして欲しい、という要望をいただきました。

高森会長が「家を売っても、アパートで生活すればいいのです。喜捨をしないのは親鸞学徒ではありません」と公言している映像を公開することは、親鸞会にとっても自分たちが「最もアピールしたいこと」を全世界に伝えるいい方法だと思うのですが、なかなか理解していただけなかったようです。

末端の講師部員は経済的に苦しい生活をしていても、幹部や一部の講師部員は、たとえ若くても「家を売って財施する」どころか「新築一戸建てを買っている」訳ですから、たぶん後ろめたくて出せなかったのでしょう。そんなことじゃ、ビデオの高森先生にしかられますよ!!

あ、そういえば高森会長自身も家を売って財施なんてしてませんでしたね。「みな人に 欲を捨てよと すすめつつ 後でひろうは 寺の上人」とは親鸞会のことだったみたいです。

親鸞会の「悲願の法城」はいろいろ探せば実は閲覧できるのですが、一応ここに再度公開します。高森会長とその息子さんの「献金要請」をじっくりお聞きください。

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オーマイニュースに親鸞会の特集記事

オーマイニュースに親鸞会の特集記事があがっていました。

GW後に本性を現す「浄土真宗親鸞会」

親鸞会の最新の情報が反映されているほか、学生の献金を煽る浄土真宗親鸞会と題して、字幕つきの録音資料も掲載されています。

大学当局や学生に、親鸞会の勧誘について警告するにはベストの内容だと思います。是非大学生の方はページを印刷して自分の大学の学生課に持っていって、カルト対策を促してください。

オーマイニュースはメディアとしての歴史は浅いですが、今はプロのライターを多数擁し、ヤフーニュースに配信するまでになっています。反響が楽しみです。

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悲願の法城(親鸞会の集金ビデオ)

「悲願の法城」というビデオが、ニコニコ動画にアップされていました。ニコニコ動画のアカウントを所持していない人でも見られるように、Youtubeにアップされたものも紹介しておきます。

これは親鸞会が正本堂建築資金の献金を募るときに作ったビデオで、高森光晴布教局長のテンションの高い声と、とにかく「金、金、金」な内容がとても印象に残ります。

今Youtubeで「親鸞会」と検索すると、親鸞会の宣伝ビデオが大量にヒットします。親鸞会の弘宣部がアップしたものです。それと見比べると、外部に向かっての宣伝用のビデオと、内部の会員に向けてのビデオの違いが分かって興味深いと思います。

ひとたび親鸞会の会員になるとこんな異様なビデオを見ることになるのだと。また、長く会員を続けると感覚が麻痺して、こうしたビデオが異様とも思えなくなることを、知っておいても良いでしょう。

※追記:ニコニコ動画は削除されたようです。公開されて困るようなビデオなら最初から作らなければ良いのに。「家を売っても、アパートで生活すればいいのです。喜捨をしないのは親鸞学徒ではありません。」という高森会長のお言葉がそんなにまずかったのでしょうか。まあ、高額な財施で苦しむのは常に末端の会員で、高森会長や幹部で誰一人として家を売って喜捨している人なんていませんけどね。

※さらに追記:Youtubeにアップしたものも親鸞会からの「著作権侵害」というクレームで削除されていました。親鸞会認定の宣伝ビデオは良いけど、献金を募るビデオは駄目なんだそうです。動画ファイルが見たい方は私までメールください。






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あなた方が守りたいのは一体何なのか?

高森顕徹会長の代表作「会報」が、かつて「私の道」と改題して出版される予定があったことは、高森顕徹著『会報』に関する基礎知識にも紹介されています。

当時出版にあたって、会報に掲載されている挿話や引用の出典が調べられました。

ところが、真宗聖典に掲載されているような根拠についてはすぐにわかったものの、それ以外の出典がわかりません。問題となる部分をすべて印刷し、出典が明らかになったものとそうでないものをファイルに分けましたが、「出典不明」のファイルに収められた書類は一向に減りませんでした。

「わからないって、高森会長が書いたのだから、高森会長に聞けば知っているはずだろう」と思われるかもしれません。しかし、不思議なことにそれはなされませんでした。

そしてネットで会報の「パクリ」が明らかになると、「私の道」計画はいつの間にか消え、会報は何の説明もなく廃刊になったのです。

会報だけでなく、「光に向かって100の花束」が1万年堂出版から出たときも、同じように挿話の出典が調べられました。しかし、結局多くの話が典拠不明のまま、明らかにされることはありませんでした。

高森顕徹氏の著書のルーツや、高森顕徹著「光に向かって100の花束」は大沼法龍の著作のパクリですといった一連の記事で、高森会長の著作が伊藤康善や大沼法竜といった人たちのパクリであることが明らかになっています。しかしそうなると必ずそれを否定し、高森会長を擁護する人が出てきます。

曰く、『蓮師も白骨の御文は後鳥羽上皇の「無常講式」から文をとっておられる』『祖師聖人も「取捨を加ふといへども毀謗を生ずることなかれとなり。」と「取捨は可」と教えておられる』といった理屈です。

もし高森会長が、蓮如上人や親鸞聖人が言われるのと同じ理由で、「仏法のものは自由にパクってOK」として堂々と自著に使ったのならば、どうして部下に典拠を探させた時、『実はあの部分は伊藤康善の「安心調べ」からほとんど丸々持ってきたのだ』『光に向かっての種本はこれだ。大沼法竜の「教訓」だよ』と言わなかったのでしょうか。

それどころか大沼法竜の本をパクった事実を隠し通して、「余裕は、タナボタでは来ない」と自慢している位です。こんな人物と蓮如上人や親鸞聖人と比較したら、蓮師や祖師に失礼です。

清森問答には、こんな記事が上がっています。

○私はこれまでほとんど高森先生、親鸞会発行の出版物しか読んだことがなかった。皆さんもそんな人、多いと思います。
何しろ高森先生だけが、唯一の善知識だから、他は読む必要は無い、間違っている。読むこと自体高森先生をおろそかにしている謗法罪だという意識しかありませんでした。
禁止を破った清森さんはその為、何日も講師部会合の時、前に出