最近、クラブハウスという音声SNSが流行りのようなのですが、そのSNS上の対談でこんなものが上がってきたと話題になっています。
![1692323 1692323](https://sayonara1929.txt-nifty.com/blog/images/1692323.jpg)
ここで出ている小池陽人氏は、真言宗須磨寺派大本山須磨寺の副住職。Youtubeで地道に法話をアップして、多くの視聴者を得ている著名な方です。そして、細川普輔氏は臨済宗妙心寺派大澤山龍雲寺の住職。この方も数多くの著作を出している有名な僧侶です。
さて、問題はゲストに呼ばれている岡本一志氏です。私は実は彼のことをよく知っていて、ずっと共に浄土真宗親鸞会という教団に所属した仲間であり、学生時代は同じ東京の学生部で各地の大学でのダミーサークルを作り、いわゆる「偽装勧誘」に勤しんでいました。その後、私は教団の専従職員である講師部に入り、彼も二年遅れで入ってきましたが、その後も関係は深く、親鸞会の高岡会館という教団施設にいたときは同室で寝食を共にしていました。当時は六畳の部屋に彼を含めた20代の男性3人で暮らしており、楽しかったことからろくでもない事まで様々な思い出がいまもあります。2005年頃まで一緒にいました。
彼は親鸞会の講師の中でも幼年層の育成に携わっていました。話題が豊富で、一緒にいて楽しく、いささかやんちゃで不真面目なところもありましたが、硬い人が多い親鸞会の中では、それが故に多くの人に愛されていました。
その後私は親鸞会をやめ、彼は講師部を続けました。その後は彼は新しい形の親鸞会の布教に積極的に関わり、いくつかの本を出しました。私も読みましたが、内容は親鸞会で教えられていたことそのまんまでした。下記のブログに詳しくレポートが出ています。
書評 心が「ほっ」とするほとけさまの50の話(岡本一志・親鸞会講師)高森顕徹会長の歩んだ道をたどり始めた講師部員
https://shinrankaidakkai.hatenablog.com/entry/2018/04/02/030506
さて、問題は彼が、自分が親鸞会の講師であることをずっと隠してこれらの活動をしてきたことです。親鸞会で仏教に出会い、親鸞会の会館で暮らし、親鸞会の講師として布教し、親鸞会から給与をもらって生きてきたのに、それらのことへの言及が全くありません。彼の全国仏教カウンセリング協会のプロフィールには
「大学を4年で中退して、仏教を本格的に学び始めたのです。それから、20年間、学びと執筆や講演などの活動を続けてきました。」
とありますが、誰から何を学んだのか、20年間どういう立場で何をしてきたのか、これ以上の記述はありません。
今回の対談の相手である小池陽人氏のTwitterによると、彼は親鸞会を離脱したと語っているようです。ただこれはあまり信用できません。というのは、親鸞会では岡本氏のような布教活動をする人については、機関誌に氏名を載せないとか集会で制服ではなく平服の着用を許すなど、柔軟な対応をして「親鸞会」であることを隠す手助けをしてきたからです。
ただ、岡本一志氏が本当に親鸞会をやめている可能性もあります。もしそうなら、自分の経歴をごまかすことなく、きちんと自分自身の言葉で説明するべきでしょう。親鸞会は社会的に様々な問題を今まで起こしてきたのですし、彼自身がそういった問題のある布教活動に最前線にいたのですから、なおさらです。
過去にどんな宗教団体にいたか、個人のプライバシーなのだから言わなくてもいいという人もいます。しかしそれは一般人の場合です。彼は全国仏教カウンセリング協会という組織を立ち上げ、その代表でありいわば「宗教家」として活動しています。そうした人物がどこで仏教に出会い、誰に学んだのかを明らかにせず、宗教家として人を指導しようとしているのは不誠実としか言いようがありません。
親鸞会をやめたのならそう書いてもいいはずなのに書けないのは、それについて「反省」も出来なければ「肯定」するわけにも行かないからでしょう。これでは、仮に親鸞会をやめていたのだとしても、未だ親鸞会の影響下にあるのだと思われても仕方がありません。
宗教家は、人に対して極めて大きな影響力を与える立場です。であるから、常に自分の語っていること、求めている教えが、どんな経緯で誰によってもたらされたものかを公にする義務があります。
私は岡本氏が本当に親鸞会をやめたのか分かりませんが、もしこれから彼が自分の経歴を隠し続け、誰の指導下にも就かず、誰からも学ばず、親鸞会の教義をベースに独りで教えを広めようとするのなら、それは極めて危険なことだと思います。長年カルトの問題を手掛けてきて、そうやって誰からも注意されることの無くなった宗教家の組織が、次第にカルト化していく過程を数多く見てきたからです。
元親鸞会の人が頑張っているのを否定しているのではありません(私も元親鸞会ですし)、やめたのならやめた、続けているのなら続けていることを、仏教を看板にして人を導く立場にいる限りは、明らかにするのが当然だと言っているのです。それが出来ないなら、出来なくしているなにかがあるのです。
今回の対談、私は残念ながらiPhoneを持っていないので聞けませんでしたが、著名な僧侶が彼と対談したことで、宗教的権威付けが行われることを私はとても危惧しています。小池氏や細川氏は私にとって面識のない方ですが、この投稿を読んでくださることを願っています。
追記:親鸞会を離脱した(本人談)という岡本一志さん、親鸞会の講師が主催する仏教講座には未だに講師として積極的に出ているそうです。名目上脱会されたのかどうかは定かではありませんが、未だ強いつながりがあるのは間違いなさそうです。
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