正しい善知識

最近になってまた親鸞会をやめた方の相談が増えているのだが、「親鸞会をやめたあと、誰の話を聞いたらいいですか」という質問が結構ある。

親鸞会に居るときは、「正しい善知識」に教えを聴いて、「正しい信心」を頂かなければならないと徹底的に叩き込まれるので、どうしても親鸞会をやめた多くの人が、会長である高森顕徹さんの代わりを探すことになる。

気持ちは分かるし、それもまた一つの真宗の姿だろが、結局親鸞会をやめて親鸞会の代わりを探すようなもので、根本的な解決になってないように思う。

実際のところ、首尾よく高森さんの代わりになる「正しい善知識」を見つけると、今度は親鸞会の誤りとその善知識の正しさを、全力でアピールする人も見てきた。それって、親鸞会が本願寺を批判し、高森会長を賛美して自分たちの正しさに酔うのと、根源的に何が違うのだろうか。

いや気持ちはわかるのだ。親鸞会をやめたら聞法の敗残者とか言われたりするから。自分こそが勝利者であって、正しい道を歩んで人生の目的を達成したのだ、お前らはまだじゃないかと言いたくなるわけで。だから聞かれもしないのに、何年何月に〇〇先生に出会って信心いただきましたと言ったり書いたりもする。

しかしそれは仏教を自己実現の手段として使っているわけで、自尊心を信心という思いで満たしている姿に他ならない。狭い集団の中でお互いに喜び合って他を下に見るような聞法ばかりを好むので、自らの疑城胎宮が破られない。

私は、親鸞会に居たときに、こんな小さな北陸の教団が、自分たちだけが真実の教団で世界唯一の真実と狭い世界で頷き合っているのを見て、なにか鼻白む思いがした。講師部だったときだってその思いは消えなかった。しかしその思いが今となっては大事だったと思う。

今一度、自分の立っている場所を離れて自分の姿を見てほしい。果たして、これが本当に親鸞聖人の教えなのか、サンガの姿なのか。自分のいるところが正しさに酔う集まりではなく、正しさを疑うことができる集まりなのか。

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GAKKOは親鸞会のダミーサークルです。

親鸞会のダミーサークルの活動情報です。未だにやってるみたいですね。
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私は以前、早稲田大学の親鸞会ダミーサークルに入っていたため、情報提供によってご協力ができればと思い、メールを送らせていただきました。
私が入っていたのは「GAKKO WASEDA」というダミーサークルです。「国立立山青少年自然の家」で合宿が行われました。そして合宿の後半では、「親鸞会館」に連れていかれました。やがて秋学期が終わると、サークルのLINEグループから「来年用のグループを作るので一旦解散します!」という謎の理由で全員脱退させられていました。おそらく来なくなった人たちを排除して新しいグループを作るためだと思われます。
そして、今もGAKKOという名前で活動しているようですので、今年も同じ場所で合宿が行われるかもしれません(コロナ禍なので行われないかもしれませんが…)。以下がGAKKOのTwitterアカウントです。
①早稲田大学
②明治大学(2022年に新しく作られたそうです)
これらのTwitterのフォロワーを見ると、やはり大学1年生ばかりで、未だに正体を隠しながら新歓活動をしていることが窺えます。
私からの情報は以上ですが、何かお役に立つことができれば嬉しいです。

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全国仏教カウンセリング協会代表理事、岡本一志氏と親鸞会のこと

最近、クラブハウスという音声SNSが流行りのようなのですが、そのSNS上の対談でこんなものが上がってきたと話題になっています。

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ここで出ている小池陽人氏は、真言宗須磨寺派大本山須磨寺の副住職。Youtubeで地道に法話をアップして、多くの視聴者を得ている著名な方です。そして、細川普輔氏は臨済宗妙心寺派大澤山龍雲寺の住職。この方も数多くの著作を出している有名な僧侶です。

さて、問題はゲストに呼ばれている岡本一志氏です。私は実は彼のことをよく知っていて、ずっと共に浄土真宗親鸞会という教団に所属した仲間であり、学生時代は同じ東京の学生部で各地の大学でのダミーサークルを作り、いわゆる「偽装勧誘」に勤しんでいました。その後、私は教団の専従職員である講師部に入り、彼も二年遅れで入ってきましたが、その後も関係は深く、親鸞会の高岡会館という教団施設にいたときは同室で寝食を共にしていました。当時は六畳の部屋に彼を含めた20代の男性3人で暮らしており、楽しかったことからろくでもない事まで様々な思い出がいまもあります。2005年頃まで一緒にいました。

彼は親鸞会の講師の中でも幼年層の育成に携わっていました。話題が豊富で、一緒にいて楽しく、いささかやんちゃで不真面目なところもありましたが、硬い人が多い親鸞会の中では、それが故に多くの人に愛されていました。

その後私は親鸞会をやめ、彼は講師部を続けました。その後は彼は新しい形の親鸞会の布教に積極的に関わり、いくつかの本を出しました。私も読みましたが、内容は親鸞会で教えられていたことそのまんまでした。下記のブログに詳しくレポートが出ています。

書評 心が「ほっ」とするほとけさまの50の話(岡本一志・親鸞会講師)高森顕徹会長の歩んだ道をたどり始めた講師部員
https://shinrankaidakkai.hatenablog.com/entry/2018/04/02/030506

さて、問題は彼が、自分が親鸞会の講師であることをずっと隠してこれらの活動をしてきたことです。親鸞会で仏教に出会い、親鸞会の会館で暮らし、親鸞会の講師として布教し、親鸞会から給与をもらって生きてきたのに、それらのことへの言及が全くありません。彼の全国仏教カウンセリング協会のプロフィールには

「大学を4年で中退して、仏教を本格的に学び始めたのです。それから、20年間、学びと執筆や講演などの活動を続けてきました。」

とありますが、誰から何を学んだのか、20年間どういう立場で何をしてきたのか、これ以上の記述はありません。

今回の対談の相手である小池陽人氏のTwitterによると、彼は親鸞会を離脱したと語っているようです。ただこれはあまり信用できません。というのは、親鸞会では岡本氏のような布教活動をする人については、機関誌に氏名を載せないとか集会で制服ではなく平服の着用を許すなど、柔軟な対応をして「親鸞会」であることを隠す手助けをしてきたからです。

ただ、岡本一志氏が本当に親鸞会をやめている可能性もあります。もしそうなら、自分の経歴をごまかすことなく、きちんと自分自身の言葉で説明するべきでしょう。親鸞会は社会的に様々な問題を今まで起こしてきたのですし、彼自身がそういった問題のある布教活動に最前線にいたのですから、なおさらです。

過去にどんな宗教団体にいたか、個人のプライバシーなのだから言わなくてもいいという人もいます。しかしそれは一般人の場合です。彼は全国仏教カウンセリング協会という組織を立ち上げ、その代表でありいわば「宗教家」として活動しています。そうした人物がどこで仏教に出会い、誰に学んだのかを明らかにせず、宗教家として人を指導しようとしているのは不誠実としか言いようがありません。

親鸞会をやめたのならそう書いてもいいはずなのに書けないのは、それについて「反省」も出来なければ「肯定」するわけにも行かないからでしょう。これでは、仮に親鸞会をやめていたのだとしても、未だ親鸞会の影響下にあるのだと思われても仕方がありません。

宗教家は、人に対して極めて大きな影響力を与える立場です。であるから、常に自分の語っていること、求めている教えが、どんな経緯で誰によってもたらされたものかを公にする義務があります。

私は岡本氏が本当に親鸞会をやめたのか分かりませんが、もしこれから彼が自分の経歴を隠し続け、誰の指導下にも就かず、誰からも学ばず、親鸞会の教義をベースに独りで教えを広めようとするのなら、それは極めて危険なことだと思います。長年カルトの問題を手掛けてきて、そうやって誰からも注意されることの無くなった宗教家の組織が、次第にカルト化していく過程を数多く見てきたからです。

元親鸞会の人が頑張っているのを否定しているのではありません(私も元親鸞会ですし)、やめたのならやめた、続けているのなら続けていることを、仏教を看板にして人を導く立場にいる限りは、明らかにするのが当然だと言っているのです。それが出来ないなら、出来なくしているなにかがあるのです。

今回の対談、私は残念ながらiPhoneを持っていないので聞けませんでしたが、著名な僧侶が彼と対談したことで、宗教的権威付けが行われることを私はとても危惧しています。小池氏や細川氏は私にとって面識のない方ですが、この投稿を読んでくださることを願っています。

追記:親鸞会を離脱した(本人談)という岡本一志さん、親鸞会の講師が主催する仏教講座には未だに講師として積極的に出ているそうです。名目上脱会されたのかどうかは定かではありませんが、未だ強いつながりがあるのは間違いなさそうです。

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新刊のご案内「なぜ人はカルトに惹かれるのか」

このたび、「なぜ人はカルトに惹かれるのか」という本を出しました。
10年近く脱会支援に携わってきた経験から、
どうやってこの重い問題に向き合うべきなのかを考えて書きました
人がカルトに惹かれる根源的な理由、また脱会支援のあり方については特に力を入れて書いています。

親鸞会のこともかなり書いていますが、その他に主に論じているのはオウム真理教(アレフ)です。
ただ、親鸞会の問題点を列記したり、カルトと名指ししたりはしていません。このブログの読者のみなさんが期待する内容とはちょっと違うかも知れませんが、だからこそ私は皆さんに読んでもらいたいと思っています。

5月に書店に並ぶ予定でしたが、新型コロナウィルスの影響で新刊の配本も予定通りには進んでないようです。もしよろしければ、amazonなどでご予約頂ければ幸いです。5月半ばくらいに発送とのことです。
https://amzn.to/3aMtrOF

版元の販売サイトではすでに先行販売がされていますので、早く読みたいと思ってくださる奇特な方は、こちらからご注文下さい。5/6まで送料も代引手数料も無料とのことです。FAXでの注文もできます。
http://www.hozokanshop.com/Default.aspx?ISBN=978-4-8318-8779-5

買ってくださるとありがたいです。

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講師部員としての矜持、あるいは高森会長から教えられた大切なこと

親鸞会で高森会長から教えられたことの中には、今の私を支えている大切なことがたくさんあります。その一つが「仏法をお伝えするのに、衣食のことを心配する必要はない」という言葉です。これは講師部員だった頃に何度も聞きました。一生懸命に仏法を伝えていたら決して飢えることはないと。講師部員の給料が全額カットされて、法礼だけで生活しなさいと言われたときにも随分言われました。

その時は随分無茶なことを言うなと思ったものですが、結果的にはこれは真実だったと思います。親鸞会にいたときも、親鸞会を出た後も、仏法を聞いてお伝えする活動をしている限りは、経済的に行き詰まることはありませんでした。もちろん苦しいときがなかったわけではありません。でも、なんとかなったのです。

なのでこの言葉は今をも自分を支えている大きな根拠ですし、若い人にも積極的にこの言葉を伝えています。ただ、現在の親鸞会の講師部についてはそうではないようです。

今の親鸞会の講師部は随分減ってしまいました。私がいたときは全盛期で200名以上の講師部員がいましたが、今は100人を切っているようです。名前を聞くと、当時私よりずっと一生懸命で真面目だった人、優秀で力のあった人が次々といなくなっていました。そうやってやめた人の中で、仏法を伝えていこうと思って活動している人はほとんどいません。

現役の講師部員も、なんだかよくわからない経営コンサルをしたり、セミナーの講師になったり、学習塾を開いたり、スピリチュアルサロンのようなものを開設したり。親鸞会で培った「話す力」や行動力、浅い仏教知識を活用して儲けようとする人ばかりです。いったい講師部員の矜持はどうなってしまったのでしょう。私がいたときはこんなことをしたら除名間違いなしでした。講師部員は仏法を伝える以外の活動はしてはならなかったし、そんな暇もなかったのです。

思えば、講師部員という立場は不遇に扱われてきました。給料がもらえていたのが突然もらえなくなり、お布施の収入だけでやっていくように言われ、そのお布施で講師を支えていた担当会員も講師から引き剥がされました。一時期は自由に法話することも許されなくなり、押し付けられて丸暗記した10分間の法話しか話することが出来なかった時代もありました。高森会長は講師部員のことをおそらくすこしも信頼していなかったのでしょう。

今現在の講師部員を見ていると、一部の幹部は親鸞会という組織の存続のことしか考えてないし、末端の講師部員は生活のことしか考えていないように思います。命を投げ出す覚悟でこの世界に入り、仏法を求めて伝えるという使命を抱いて厳しい研修をくぐり抜けて来たのに、どうしてこんな事になってしまったのか。講師部員は優秀な集団でしたし(もちろん例外もありましたが)、一人ひとり魅力的な人物が揃っていました。

でももう、新天地で一から布教していこうという思いのある人もいないだろうし、教行信証を地道に読んでいるような人もいないでしょう。沈みゆく教団にしがみついている幹部も、将来へのビジョンが描けず、上ずったアジテーションを繰り返すばかりで、すっかり元気がなくなってしまいました。親鸞会は老いてしまったのでしょう。この田舎の新宗教の教団としての寿命はせいぜい半世紀くらいのものだったのだろうと、残念に思っています。

「仏法をお伝えするのに、衣食のことを心配する必要はない」

もうこの言葉は親鸞会の中ではすっかり力を失っていることでしょう。こんなことを信じる人もいないし、支えにする人もいないでしょう。この言葉をまだ信頼しているのは、親鸞会から罵倒されて除名になった私くらいのものかも知れません。

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親鸞会講師、伝統教団の僧侶と友達になりたがる

SNSには親鸞会の講師が溢れています。もちろん「親鸞会の講師」と明確に書いている人は稀で、多くは「仏教講師」「浄土真宗講師」「東洋哲学講師」などなど、嘘じゃないけどホントでもないような謎の肩書を書いていたりします。

そういう人たちがネットのイベント情報共有などで人を集めて勧誘をしている昨今なのですが、その手の謎肩書な親鸞会講師が、東西本願寺を始めとする伝統教団の僧侶をSNSで見つけては友達申請をしています。

以前、私が親鸞会にいた時に、日本全国様々なところで親鸞会制作のアニメの訪問販売がなされていましたが、新しい土地を回る前に、まずその地域の中の寺に挨拶に行くことがありました。そこでアニメなんて売れなくていいのです。玄関で住職さんにあって、さらっと一言会話するだけで構いません。

その後、その地域を個別訪問する時に、おばあちゃんが「うちは◯◯寺の門徒でなぁ」と言われたら、「あー、◯◯寺さんですか。ご住職さんとお話しました、よく知ってます!」と言えば、大変信頼感がアップするわけです。せこいやり方ですよね。

さて、SNSで伝統教団の僧侶に友達申請をしまくってるある親鸞会の講師さん、早速とある売り込みの場で、「私は◯◯先生と知り合いで」と有名僧侶とさも親しいかのようなことを言ってたそうです。

後日不審に思ったその相手の人が「◯◯先生」に問い合わせてみると、案の定「そんな人は知らん」ということで。いかにも親鸞会の講師がやりそうなことですね。

普段は東西本願寺の僧侶を徹底的に批判することで自分たちのアイデンティティーを必死に握りしめている彼らが、自分たちの箔付けのために伝統教団の権威を利用するのに何の臆面もないのはなぜなのでしょう。

親鸞会という教団の内向きのプライドの高さと、外に向かっての卑屈なほど権威により掛かる姿の差異には、いつもながら驚かさせられます。

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「不安がきえるたったひとつの方法」の著者は親鸞会講師です。

恐ろしく遅い新年の挨拶ですが、今年もよろしくお願いします。

最近は親鸞会を批判するエネルギーをすっかりなくしてしまって、たまに親鸞会サイト「くもりのち晴れめでぃあ」のワンパターンな記事とか見て溜息ついてるくらいです。まあもうやめて13年経ちますからね。情熱を失って当然と言うか。今も年に数件くらい脱会の相談は来るのですけど。

ただ、最近の親鸞会は、社会的な問題性は次第に薄れてきた代わりに、顕正新聞とかを見ると、酷い内容のウェブとか映画とかヘンテコで退屈な法話とか、宗教としての力を失いつつあるように思えます。中にいないので本当のところは分からないですけど。

それで、もうすぐこんな本が出ます。
不安がきえるたったひとつの方法

著者の長南瑞生さんは、親鸞会の講師部員です。過去にはこんな記事もかきました。
http://sayonara1929.txt-nifty.com/blog/2016/03/post-99ab.html

こういうソフトな正体隠しみたいなのはずっとやってますね。ひょっとしたらこの本を出すにあたって、長南瑞生さんは対外的には「親鸞会の講師じゃないよ」ということになっているのかもしれません。長南さん、もし今は違いますよというのなら、私まで連絡ください。

まあでも、彼の主催する「日本仏教アソシエーション」という団体のサイトにある仏教解説は、親鸞会そのものですけどね。

「不安がきえるたったひとつの方法」を知っているならまことに結構なんですけど、今の親鸞会は高森顕徹亡き後どうなるかで不安いっぱいのように見えます。長南さんの教えで不安がきえたらいいですね。

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さよなら親鸞会【特別版】ってのを出しました。

さよなら親鸞会って本が出てから、もう何年になるんでしょう。実は順調に版を重ねていて、もう1万部ほどは売れてるみたいです。高森会長の本には全くかなわないけど、まあまあ健闘している方だとは思っています。

それで、最近「さよなら親鸞会【特別版】」ってのを出しました。出していただきました、って言ったほうがいいのか。

http://amzn.to/2BGwfwo

これは、amazonで書籍を販売する場合、e託サービスを使うと420円以上じゃないと扱えなかったので、今までの300円のさよなら親鸞会は電子書籍版以外は出せなかったのです。

今回、amazonで取り扱うために、分量を増やして(巻末に法話を載せた)、500円にして出したわけです。

従来通り巻末に法話が載ってないものは継続して300円で売っています。
http://samgha.shop-pro.jp/
施本や研修会資料としてたくさん購入して使うには、こちらのほうがいいでしょう。「親鸞会Q&A」も載ってます。

amazonはどうも売り切れになりやすいのですけど、版元は地道に補充してくれてますから、在庫切れでも安心して購入してください。補充され次第発送されますから。

サンガ伝道叢書さん、ありがとうございました。

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嶋田さんに会いに

先日、福井まで嶋田さんをお見舞いに行きました。説明の必要はないと思いますが、嶋田さんは私の一年前に講師部を退部した元親鸞会講師で、いま「あなたの白道」というブログを公開しています。

私自身も講師部時代にご縁のあった方です。退部してからは一度、京都十条の華光会館でお会いしました。その後、私は華光に行くことはありませんでしたが、嶋田さんは華光で聞法を続けておられたようです。

お見舞いに行ったときには、ちょうど祖父江省念師の説法の録音を聞いておられました。

嶋田さんご縁の深い方を連れて二人で行ったのですけど、とても喜んでくださって、講師部時代の思い出や、仏法のことなどに話が弾みました。

どうして講師部員は親鸞会をやめないんだということを最後まで仰っていました。

私はなんとなく多くの人がやめられない理由がわかります。講師部員でも親鸞会で教えられている浄土真宗はおかしいと思っている人は一定数います。でも、やめたあとの人生が想像できないのです。今まで多くの講師部員や親友部員の相談を受けてきましたが、やめられないで今も会に残っている人はほぼこの理由によってです。

親鸞会をやめたあとに、自分がどのように生計を成り立たせて、どこで仏法を聴けば良いのかわからないのです。

気持ちはわかります。でも、嶋田さんは心配しなかったそうです。私は大いに心配しましたが、一歩踏み出してみたらなんのことはありませんでした。

大丈夫ですとしか言いようがないです。みんなに大丈夫だと思ってもらえるように、私は私で一生懸命にこの人生を歩んでいきたい。

自分につまらない言い訳ばかりして親鸞会にしがみついてないで、後ろ指さされてもいいから、一人になってもいいから、本当の南無阿弥陀仏の救いとは何か、求めたら良いのに。

みんなでキレイ事ばかり言って、高森顕徹さんを競って奉る求道ごっこなんて、ほんと、やめたら良いのに。

苦しくないですか。本当にこれでいいのか、本当にこれが自分の求める道なのか。親鸞会の上司ではなく、お仏壇の前で阿弥陀様に聞いてみたら良いんです。

仏道を求めて歩む人を阿弥陀様は決して見捨てないですよ。阿弥陀様が歩ませ、ともに歩む道なんだもの。

嶋田さんとは歩んだ道は違ったけど行く先は一緒です。

親鸞会の皆さんはどうですか?

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親鸞会との関係が問題になったしばた未来(柴田未来)さん、再び選挙へ。

去年、このブログでも、参院選で出馬した柴田さんと親鸞会との関係を問題にしました。

しばた未来(柴田未来)さんと親鸞会の問題について

私自身も柴田さんの説明会に行って本人に聞いてみましたけど、その時は「親鸞会は脱会した」と明言されていて、なのに「親鸞会の偽装勧誘には問題はない」と強弁されていたのを覚えています。問題がないのにどうして脱会したと明言しなければならないのか謎すぎましたけど、こういうことについて嘘をついたりごまかしたりすることに抵抗のない方なのだろうなと感じました。

その後、柴田さんを支援されている市民活動家の方とお話しましたが、柴田さんには確かに親鸞会との問題はあるけど、彼女は必ず気づいて親鸞会と離れる、自分は柴田さんの護憲と安保法案反対の信念は本物だと思うので信じる、と言われていました。この方は筋金入りのリベラルという感じで、私は好感をもったものでした。

柴田さんは選挙に出る前から、護憲と安保法案反対を講演などで主張していた方です。

当時大谷派の僧侶で、政治理念は共感できるが親鸞会との関係上応援したらいいか迷う、という相談が私の元へ多数寄せられました。私は親鸞会という団体で柴田さんがやってきたことを説明し慎重に考えるべきだといいつつも、柴田さんが親鸞会と離れたら、自分も応援したいなと思ったものです。

その後、宗教問題15号に親鸞会の高森会長がインタビューが載り、柴田未来さんが親鸞会の信者であること、親鸞会が柴田さんを支援していたことがはっきりと語られていました。つまり脱会したというのはどうやらウソのようでした。

さて、今回の衆院選では柴田未来さんは石川2区で希望の党から出馬されることになったようです。希望の党といったら改憲や安保法案を支持する政党です。柴田さんは自分の信念を曲げて当選できそうな政党に擦り寄ったのでしょうか。となると、あの頃「政治理念としては改憲や安保法案反対の柴田さんを支持するしか無いが、親鸞会との関係が気になる」として真面目に真剣に迷った多くの人達の悩みはなんだったのでしょうか。

親鸞会は自公の候補者を応援することは決してありません。それは自民は靖国問題、公明は創価学会というその点で、親鸞会のもつ教義と明確に反するからです。

つまり、親鸞会としては柴田さんを支援して政治的なプレゼンスを得たいだけなら、出馬するのは自公以外の政党なら何でも良かったのかもしれません。

今回も柴田さんの動向については日刊ゲンダイやや日刊カルト新聞が報じてますので、知りたい方はそれらを見て下さい。

私自身は呆れてしまって、もう一切関わり合いになりたくない気持ちです。

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1981年の親鸞会 ぶるうの