小さな親鸞会
何となく思う。
親鸞会で一生懸命真面目に求めていた人は、同じことを親鸞会の外で求めようとする。
一部のリーダー的脱会者や僧侶は、そうした人たちに「あなたが本当に求めていたものはこれでしょう」と与える。
これはかつて親鸞会で求めていたものと違う、これこそが本物だと思うのだろうが、実際のところはほとんど変わらない。
そんなふうにして、解決を獲た人たちがそこら中に小さな親鸞会を作っていく。
似たような言葉、似たような思い。それらを共有する人たちのサンガが出来てゆく。
私はそういうのをここ何年か、とても苦々しい思いでみてきた。嫌悪感と言ってもいい。
しかし、人はそうでもしなければ親鸞会を出た後の人生を歩めなかったのだろうと今は思う。
私もひょっとしたら似たようなものなのかもしれない。
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コメント
お久しぶりです。
YOUTUBEだけでなくあちらこちらで活躍されていますね。
とても尊い事と思っています。
個人的には「それでいいんじゃないですか」と思います。
所詮、人間そんなもんです。
世界を見ても同じじゃないですか。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
投稿: とくよしみね | 2021年12月10日 (金) 19時54分
追加です。
私も同じようなものです。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
投稿: とくよしみね | 2021年12月10日 (金) 23時26分
宗教組織は人を不幸にする、と思ってきましたし、ミニ親鸞会のような存在を苦々しくおもってきました。
でも、とくよしみねさんの言われるとおり、それが人間の業であり、私の業が映し出されたものなのでしょうね。
お互いに別の道を歩んでいますね。でもお念仏の通じている先はお浄土ですし、この世の生が終わったら還ってくる生に生かされているのだなあともおもいます。
もうしばし、この世を活かされるままに、法と自分の心を頼りに頑張りたいと思います。
投稿: a | 2021年12月14日 (火) 12時53分
教義と方針の違いが分からないからそうなると思う
投稿: ななし | 2022年7月13日 (水) 22時58分