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小さな親鸞会

何となく思う。

親鸞会で一生懸命真面目に求めていた人は、同じことを親鸞会の外で求めようとする。

一部のリーダー的脱会者や僧侶は、そうした人たちに「あなたが本当に求めていたものはこれでしょう」と与える。

これはかつて親鸞会で求めていたものと違う、これこそが本物だと思うのだろうが、実際のところはほとんど変わらない。

そんなふうにして、解決を獲た人たちがそこら中に小さな親鸞会を作っていく。

似たような言葉、似たような思い。それらを共有する人たちのサンガが出来てゆく。

私はそういうのをここ何年か、とても苦々しい思いでみてきた。嫌悪感と言ってもいい。

しかし、人はそうでもしなければ親鸞会を出た後の人生を歩めなかったのだろうと今は思う。

私もひょっとしたら似たようなものなのかもしれない。

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