« 「歎異抄をひらく」がいい映画だった | トップページ | 全国仏教カウンセリング協会代表理事、岡本一志氏と親鸞会のこと »

親鸞会が失ったふたつのもの

少し前に、福井県あわら市の顕真学院が同朋の里に移転し、人のいない元の学舎の写真がブログで紹介されていました。

https://shinrankaidakkai.hatenablog.com/entry/2020/09/14/220542

移転した顕真学院も入学者はほとんどいないそうです。今後は既存メンバーの研修などの需要が中心になると思いますが、私が1998年にここで学んだときの賑わいは完全に消えてなくなりました。いま振り返ってみても、私が研修を受けたあのときが、親鸞会の最盛期だったのでしょう。

言うまでもなく若年層の信者に恵まれた教団は大きく飛躍しますし、そうでなければ年ごとに平均年齢が上がり衰退します。いかなる教団でも、将来ある若者の入信と育成は最優先事項として取り組んでいる問題です。ですから、若者向けのスポーツ大会やバーベキューをしたり、天理教のように年に一度大規模な祭典を開いたり、あるいは最近の築地本願寺のように婚活パーティーまでするところも出てきています。

そんななか、親鸞会は例外的に若者の入信勧誘に成功していた教団でした。しかもレクリエーションをするのではなく、また宗教二世と言われる信者の子供の育成に頼るのでもなく、純粋に人生に悩み宗教を求める人を、大学のキャンパスから探し当てて育成する優れたシステムを持っていました。これは様々な新宗教の活動を知っている私から見ても、多くの優秀な人によって練られたかなり優れたものであったと思います。

しかし、ご存知のように宗教団体であることを隠して活動するそのやり方は、社会的に相容れないものであったことも間違いなく、2010年付近から急激に衰退しました。そしてそのやり方に頼り切っていた教団は、新たな方法を模索する努力も怠りました。

私が親鸞会にいたときは、学生が全国各地からバスを連ねて数百人の規模で参詣していました。聴聞会場の一角は白いワイシャツを着た学生の集団で占められ、休憩時間には真宗聖典を片手にした学生のリーダーがそこかしこで会合をする様子を目にすることができました。しかしそれは確実に過去の一シーンになりつつあります。

かつて親鸞会は、浄土真宗の正当な歴史はわれに続いているのだという自負がありました。その夜郎自大な主張の是非はともかくとして、あの頃の親鸞会の聴聞会場には、確かにその言葉を裏付ける若者のエネルギーがありました。その象徴が学友部であり顕真学院だったと思います。

しかし今の親鸞会はそのどちらも失いました。もっとも、若者のエネルギーが失われたのは親鸞会に限らず東西本願寺にしても同じことです。ただ、両本願寺が600年かけて栄え衰退してきた歴史を、親鸞会は高森顕徹の誕生からわずか100年足らずで駆け抜けようとしている。おそらく親鸞会が衰退したあとも真生会病院くらいは残るだろうと思います。しかしあの射水市の巨大な伽藍が、あわらの旧顕真学院の建物のようながらんどうになる日は、そう遠くないのかも知れません。

|

« 「歎異抄をひらく」がいい映画だった | トップページ | 全国仏教カウンセリング協会代表理事、岡本一志氏と親鸞会のこと »

コメント

確かに昔は学生部が主力であり、一流大学で勧誘する事が親鸞会の繁栄につながっていましたね。学生は素直に純粋に奴隷の様に従いました。常に金が無いのが残念でした。高齢者は金持ちですが人生経験が豊富なので大事に大事に扱わなければなりません。外人が入ると国際的に賑わっているという印象が強くなりますが、皆個性的なので強要する事などは出来ません。自由気ままにさせないと直ぐに離れてしまいます。宗教団体の経営は大変な事ですが、大事なのは常に中身だと思います。
ウイルスの様な悪戯をする人が多いので投稿様式を変えられたのですか。責任ある投稿の為に良い試みだと思います。これからの活躍に期待します。

投稿: 0k | 2020年9月30日 (水) 15時03分

40年近く昔、彼らが出した『本願寺の現状』なる本、
表紙の写真は背中の曲がった老人男性が、
本山の大師堂前に立つ、という図柄でした。

天に唾した親鸞会、というところでしょうか?

投稿: 人生の目的っ! | 2020年9月30日 (水) 16時28分

瓜生さんらしいセンチメントに溢れた記事をありがとうございます。
私も最盛期の親鸞会に在籍した一人です。
あの頃の親鸞会は確かに勢いがありました。
もはや親鸞会への興味も薄れましたが、当時の光景を思い浮かべると、ある種の懐かしさを覚えます。
親鸞会を肯定する気はさらさらありませんが、昔の自分への感傷でしょうね。

投稿: イガルカ | 2020年10月 1日 (木) 00時16分

学生部時代の担当講師は高圧的でいつも威張ってました。
芦原の研修センターの受け売りで、常に学生を厳しく監視してました。
上下関係、師弟関係を強く持とうとする態度が気に入りませんでした。
その原動力にあるのが、真実の教えを聞かせて頂いているんだという自信だと思います。
後生の一大事の解決が仏教の目的だという殺し文句に反発できませんでした。
説かれているのは真実の教えであり、その真実の仏教を聞かせて頂いているという自覚が根本にあり、素直に従うより仕方ありませんでした。実際にその教え自体は間違いありませんが、宗教法人の運営という体制に問題があり、箱物に資金を投資しすぎたのが致命傷だと思います。正本堂も地下道も野球場農場も弁当屋も映画バスも反対しましたが、結局作ってしまいました。高森先生のバックに阿弥陀様がついているからそれもいいのかと見逃していました。
しかし、皮肉な事に因果の道理は真実であり、因果を変える事は出来ません。事業を起こせば資金がかかるのは当然の事であり、借金は返済しなければなりません。会員も資金を出したくはありませんので辞める人が続出するのも因果の道理です。難しい真実開顕を宝刀に世俗の因果を見誤ったのか。内輪の会員だけを見て、真実を聞かない衆生だという事を見逃したのか。

投稿: ok | 2020年10月 1日 (木) 06時47分

>難しい真実開顕を宝刀に世俗の因果を見誤ったのか。

そもそも真実の教えを説いていなかったのが親鸞会衰退の一番の原因です。
次に、経営と後継者選びの失敗です。

嘘つき団体の日々もいまとなっては懐かしいものですね

投稿: a | 2020年10月 1日 (木) 17時47分

親鸞会は仏教に関しては正しく説いていたと思います。
なので多くの人の心に真実は突き刺さりました。
煩悩具足で真実を聞く気が無い者に真実を説く事は難しい。
会員は素直に聞いている様で聞いてはいない。
それを知りながら無理難題を専任講師に押し付けてしまいました。
仏法よりもお金が大事、自分が大事なので無理な事ばかり言う親鸞会は気違いだという事にして逃げ出すのが賢い人のやる事です。
口に念仏称えて往生だと信じる事が信心だと言われれば安心します。
後生不安な心も無くなります。
弥陀から賜る信心が念仏であると言われれば、うんその通りだとなります。
その信心の念仏をお礼の言葉に限ると親鸞会は意味不明な事を言いだします。
一体どうなっているのだ。一念の信心とは何なのだ。弥陀の救いが火に触る様にハッキリとするという話も嘘なのか。殊更疑問に思います。
aさんも後生の一大事よりも自分が大事だと思い、自力の信心を拵えて自力の信心に縋っている輩なのですか。ハッキリとした聞即信の一念はどうなっているのですか。捨自帰他の一念はハッキリしない何時とはなしになのですか。
親鸞会はハッキリすると断言しています。それが聞き続ける理由に会員はなっています。弥陀にハッキリと救われる為に無理難題を言われても、犠牲を払ってでも聞き続けています。あの箱物の借金は世間的に見て爆弾級の破壊力がありますので早く逃げるが勝ちだと思う筈です。それでも逃げられないのはなぜなのですか。後生の一大事が心にかかっているからだと思います。

投稿: Ok | 2020年10月 2日 (金) 06時09分

〉親鸞会は仏教に関しては正しく説いていたと思います。

ヨリ正しくは「人間の実相に関しては」ではありませんか?

一切の凡夫が、とかく眼前の小利によろめきがちであることを、御用絵師(紺敏子氏のこと)のあの作品はなかなかよく描いておりましたが、高森氏もまたそういう凡夫の一人にすぎぬということを、高森氏自身はもちろん、取り巻きの幹部らも口を閉ざして語らなかった。この点にこそ、数多くの悲劇が生み出された根本原因があるように思われるのですが。

投稿: 人生の目的っ! | 2020年10月 2日 (金) 18時13分

人間の実相とは言いましても、仏教で説かれている事は万人に当てはまりますので私の実相であります。煩悩具足で名利の大山に迷惑している姿は親鸞聖人も告白している通りです。信心を獲た特別な人だと思わせて、会員から善知識だと言われている高森先生も同じ凡夫に変わりはありません。なのに親鸞会の中では常に頂点に立ち、特別扱いを受け続けてきました。これは有頂天になるのは当然だと思います。世界が自分中心に動いていると錯覚します。
昔、仏縁の深い人を高森先生のビデオご法話に誘いましたが、高森先生が威張り散らしてアシスタントを支持棒で指し、上から目線で違う違うと言っているのが許せないと怒っていました。弥陀の光明に照らされれば常にそういう凡夫の姿が照らし出されて謙虚にならざるをえなくなります。弥陀の前にはみな平等になるからです。親鸞会では常に上下関係を作り競争させようとする体制が気に入りませんでした。もっとも最近は昔の様な強引で高圧的な体制は完全になくなったと思います。今と昔のギャップに当惑して辞めた人も多数いると思います。ターゲットも学生から高齢者になり、海外の人になったのも関係していると思われます。いずれにしても俗諦門であり、変化するのは当然だと思います。変わらないのは仏教の教えであり、阿弥陀仏の本願のみです。怒りに任せて、その様な親鸞会から聞いてきた仏法の心髄は決して侮ったり謗ったりしてはならないと思います。なので前の投稿で瓜生さんが「歎異抄の映画は素晴らしかった」と評価したのは素直な気持ちだと受け止めています。それに対してウイルス攻撃をかけて消し去ろうとした人は悪意に満ちて良くないと思います。天皇制は何も関係のない話です。

投稿: ok | 2020年10月 2日 (金) 19時55分

沈乱会の堕落が加速度的に増している現状、因果の道理狂い無し、あの流行期に脱出して良かったヨカッタ!

投稿: TM | 2020年10月 3日 (土) 19時13分

〉アシスタントを支持棒で指し、上から目線で違う違うと言っているのが許せ〉ないと怒っていました

全く同感です。普通の神経の人ならそう思うでしょう。けれども高森氏は老境に至るも、こうした態度を改めるふうもありません。すなわち、目下ネット上で唯一拝聴できるその御法話を見るに……https://shinrankai.jp/kouen12

差別語「め●●」をわずか9分間に5回も連発なさることに加え、弟子が必死に描いた亀の絵を笑い飛ばすなど、宗教家である以前に人間としてどうかと思われる挙措が多々あり。

「こんな宗教にも信者がいる」とは29年前、本多勝一氏が幸福の科学を批判した名言ですが(エッセーのタイトルになっている)、これをそのまま親鸞会へも贈りとうございます。

投稿: 人生の目的っ! | 2020年10月 4日 (日) 08時19分

スプーン曲げや透視能力のある人がいて、その人に白道燃ゆを見せたところ、この人は宗教家ではないと怒り出しました。必堕無間と言っている所が気に入らなかった様です。お釈迦様の言葉だと言ったら、お釈迦様はその様な事は言わんとこれまた怒られてしまいました。親鸞会で聞いた話を一般の人に話すと大概怒りを買います。親鸞会にその様な事を報告すると、真実とはそういうものだ。真実を聞く事が出来た事を喜びなさいと言われます。

投稿: ok | 2020年10月 4日 (日) 16時33分

〉必堕無間と言っている所が気に入らなかった様です

スプーン曲げはインチキ臭いのでどうにも好きになれませんが、この言葉自体はまっとうな批評だと思います!

「一切衆生必堕無間」というが、衆生の中でも大善知識さま、つまり高森御大のみは地獄ゆきを免れ得るのでしょうか? 高森氏はそんなにえらいのでしょうか? 落ち着いて考えれば、『白道燃ゆ』の所説がいかに弥陀のお慈悲に反しているか、ということぐらいわかりそうなものですよね。

投稿: 人生の目的っ! | 2020年10月 6日 (火) 17時04分

大善知識様も自業自得の因果にまかせれば無間地獄ゆき間違いなしです。
弥陀の強縁である信心を獲得していれば、本願力により往生させて頂く事が出来ます。しかし、実機は変わる事なく地獄一定なのですね。
高森先生を偉い人だと祭り上げているところに親鸞会の間違いがあります。
スプーン曲げはユリゲラーの十八番ですが、あれはコツをつかめば誰でも簡単にできますね。

投稿: ok | 2020年10月 6日 (火) 17時56分

そもそも親鸞会の言う後生の一大事は本来の意味とかけ離れており必堕無間も造語。信心獲得は、仏様並みの智恵が身につくもの(阿弥陀様が見える等)だと吹聴している。この2つが信者の心を捕らえていた主因と思います。
聖教に基づいた反証は沢山あるので、ネットで反論されて逃げ回る始末。
実に巧みな教義の歪曲だったと、騙されたものとして感心します(笑)こんな教団、衰退して当然ですね。

投稿: とら | 2020年10月 8日 (木) 13時52分

後生の一大事や宿善は蓮如上人が言い出した事で、正しくは生死の一大事という事です。仏教の根幹にある因果の道理と悪しか出来ない実機を正しく見れば後生の一大事は大問題になって当然ですが、少しも驚く心がありません。それが一大事だと親鸞会は言います。後生の一大事が分からないから、会員は騙されていると疑いながら聞き求め続けているのだと思います。
信心を獲ても何も変わりありません。煩悩は減りもしなければ無くなりもしません。仏の智慧もつかず、病気も治らず、貧乏人は貧乏人のままです。因果の道理を捻じ曲げる事は仏様でも出来ません。本願を疑う疑情が晴れて、死んだらどうなるのかがハッキリとするのみです。往生極楽は弥陀の本願に間違いなかったとハッキリするからであり、往生極楽は死んでみなければ分かりません。知る智慧などどこにもありません。ただ信じて念仏申すのみです。
親鸞会の言う事は全部が全部、嘘捏造ではありません。そこが曲者の宗教法人の姿です。名利の中に真実が隠され、真実を表に名利が潜んでいます。

投稿: ok | 2020年10月 8日 (木) 17時19分

〉名利の中に真実が隠され、真実を表に名利が潜んでいます。

額に入れて飾りたい名言です!! 「真実を表に名利が潜んでい」るとも知らず、親鸞会とおぼしい団体に入った、劇画『青春の旅立ち』の主人公は、その後どういう人生を歩んだのでしょうか? 

中曽根首相や岡田有希子さんとおぼしい女性が登場するから、あの劇画の時代背景は1986年頃でしょうか?どうにも気になるところです。

ヒロインが京都郊外の山寺に住まう先輩を訪ねるあたり、寺院を完全に排撃したその後の親鸞会に比して、この劇画発刊当時はまだまだ良心的だったと思われるのですが。以上、とりとめもない文面でごめんなさい。

投稿: 人生の目的っ! | 2020年10月 8日 (木) 18時41分

>劇画『青春の旅立ち』の主人公は、その後どういう人生を歩んだのでしょうか?

その後の人生コース分類

コース①(90%):親鸞会の活動についてゆけず退会して普通のおじさん、おばさんになっている。親鸞会の時代は過去の苦い思い出。家族にも職場でも話せない消したい過去。現在は、無宗教(宗教はこりごり)

コース②(6%):やめるのが怖くて親鸞会に籍だけ残し、未練を残しているが、金や時間を収奪されることがわかっているし、全然救われる感じもしないのであまり近づないようにしている。

コース③(3%):バリバリの親鸞会会員(学徒)として生き残り、やめた人間を敗残者と見下すことで自分の精神状態をかろうじて保っている。今の救いについてはほぼあきらめている。死ぬときに観音菩薩の臨終説法にほのかな期待。

コース④(1%未満):退会後、親鸞会の間違いに気づいて、善知識にあい真宗の教えを聞き、ただいまの救いにあい、親鸞会の暗黒時代にも感謝できる人生を歩ませていただいている。

こんな感じでしょうね

投稿: a | 2020年10月 9日 (金) 09時31分

「青春の旅たち」については余り知りませんが、憶測すると
親鸞会の活動からは離れて世間で世俗的に仕事をしているのかな。
仕事をしながらどこかに聴聞してきた事が引っ掛かり、悶々としている。
形は離れていても、何かが引っ掛かり、それが何なのか分からない。
親鸞会で聞いてきた事は過去の出来事として忘れ去ろうと努力しています。
お寺の坊様の話に耳は傾けても理解など出来ませんね。
そういった日々を過ごしていると思います。
しかし、それは阿弥陀仏に泳がされているだけであり、やがて自分はお腹に餡子を抱えたタイ焼きだと気付き、阿弥陀仏に釣りあげられてしまいます。タイ焼きだと気付いた時には食べられているのでしょう。

投稿: ok | 2020年10月 9日 (金) 13時26分

兄が親鸞会の信者でした。
両親の葬式はどちらも独断で親鸞会の僧侶がとりしきりました。
葬式の後、決まったように仏教の話をします。私から見れば全く仏教ではないのですが、仏教を知らない人からしたら、それが本当の仏教に思えるのでしょうか・・・ 
僧侶は、怒鳴り声を上げて説法していました。周囲のみんなは嫌な雰囲気になっていましたが、信者の兄だけが満足そうに熱心に聞き入っていました。
説法中、葬式の弔問客が来ていましたが、僧侶は自分の話に夢中で弔問客に気づかないまま、結局、弔問客はそのまま帰りました。
独善的ですね。
これが本当の仏教だ、という押し付け~
結局は、親鸞会の自慢話、布教になっていました。
それで、居合わせた人はみんな、親鸞会を嫌いになりましたが、
僧侶と信者の兄だけは、自分たちはいい仕事をした、と満足気でした。
後に、メールでその事について親鸞会のHPへ問いただしたら、一応、謝罪の言葉は来ましたが、
今でも親鸞会への嫌悪感は消えないですね。

投稿: 宮川義弘 | 2020年11月 3日 (火) 08時38分

独善的な己に気付かず、我こそは本物だと胡坐をかく。
堕地獄間違いない愚かな集団がまだ生き残ってるんだね(笑)

投稿: t車m号 | 2020年11月 5日 (木) 19時47分

独善的な己に気付かず、我こそは本物だと胡坐をかく。
堕地獄間違いない愚かな集団がまだ生き残ってるんだね(笑)

投稿: t車m号 | 2020年11月 5日 (木) 19時47分

最初の文面に「2010年付近から急激に衰退しました。」と書かれてあるけれど、母の葬式は1990年で、父の時は2004年だったから、その頃はまだ隆盛活発な時期だったのかも・・・
信者の兄は、自分の結婚式も親鸞会にやらせて仏教形式でやった。
居合わせた親戚たちはみんな困惑していたけれど・・・
結婚式でお経を唱えたのだから~
それも、日本語訳の文を読み続けた。
そして兄は「これが本来の正しい結婚式だ。」と言っていた。
完全に、洗脳されているな~、と思った。
一度、親鸞会の信者と仏教で議論し、私が反論すると、そこから一気に兄の私に対する態度は冷淡になった。
今では、こちらから縁を切っている状態だけれど、今も信者でいるのかどうかはわからない・・・

投稿: 宮川義弘 | 2020年11月 7日 (土) 20時04分

宮川義弘さま:

2度にも及ぶ貴重な御証言、誠にありがとうございます。とても参考になります。新宗教が伝統宗教の猿まねをしても押しつけがましくなるだけだということがよく認識できました。

農民あがりの将校や将軍は、コンプレックスを解消しようとしばしば無理な行軍を課し、その挙句が八甲田山の死の彷徨や、当初はドイツ軍に負けてばかりのソビエト軍といった事例を残しております。親鸞会の怒声交じりの法話も、こういう歴史の先例に照らせば十分に納得が参ります。兄上さまとの和解は難しいこととは存じますが、それでも何か良き御縁があることを蔭ながら念じ上げます。

繰り返しますが、貴重な御証言ありがとうございました!

投稿: 人生の目的っ! | 2020年11月 8日 (日) 20時02分

葬式だ葬式だと力んでいたN講師がいましたが、親鸞会の葬式は一般常識からかけ離れ、会の内輪行事になっていますね。ただカモにされているだけだ。友達もN講師のカモにされ、弔電披露も県会議員や市長は名前だけ披露で、M春の文は筆頭に全読されるという状況であり、参列者は度肝を抜かれて以後御家断絶にされてしまいました。知らない人や常識ある人からみたらとんでもない葬式なのにN講師は自慢げに葬式をやったと弁論大会でおおほらを吹いていました。とても頭にくる弁論でした。

投稿: ok | 2020年11月14日 (土) 06時44分

ちなみに香典返しに白道燃ゆを100冊買わされて、それを受け取った人はみな激怒してました。香典返しは昔からお茶に決まってます。やるなら常識をわきまえてやってくれよな。独善的な話など誰も聞きませんし、かえって仏縁を叩き切る事になりますね。N講師は反省したのか二度と葬式だと祭り騒ぎをしなくなりました。最近は顔も見なくなりましたが退会でもしたのでしょうか。坊様の真似事しても所詮は猿芝居でしたとさ。

投稿: ok | 2020年11月14日 (土) 06時55分

N講師の殺し文句は、「年中無休で絶対に潰れない阿弥陀銀行に貯金しよう」であり、まんまとニコニコ顔に騙されて40万円の大金をご報謝してしまいましたが、あのお金は紙切れ一枚でネコババされたのかもしれないかもです。その証拠にN講師は姿を消してしまいました。親鸞会の恐ろしいところです。他にも金銭問題を起こしているとか噂を聞きました。葬式をやってボロ儲けしてトンズラしてしまったのでしょう。まったく酷い話だぜ。

投稿: ok | 2020年11月14日 (土) 20時33分

ok さま、貴重な御証言の数々ありがとうございます。

本願寺を葬式佛教とけなしておきながら、或る程度歳月をへて、会員のための葬式をやらざるを得なくなる。その点では、阿含宗や幸福の科学なんかと択ぶところはないわけですね。

今現在の親鸞会のお葬式は、本願寺のマークを鷲のマークにすり替えただけの法会を来た式衆がやっているようですが、評判はどうなのでしょうか?

https://shinrankai.jp/faq/funeral

「在家上がり」というのは使ってはいけない言葉ですが、あなた様や宮川義弘様の御証言をうかがうにつけ、心に湧いて参ります。

投稿: 人生の目的っ! | 2020年11月14日 (土) 21時02分

  道を求めることは何であれすばらしい。でもその熱意を他者へ有無をいわさず押し付けるのは考え物です。22年前、親鸞会の横浜アリーナでの行事に参加しましたが、金属質のせっぱつまったような感じの「正信偈」で、がっかりした記憶があります。もっとゆったりとお唱えすることはできぬものだろうか?と思いました。

   寺院住職や寺族の中には、光晴氏も顔負けの色と欲におぼれた人もおりましょう。ただ、そこは世襲の余裕。親鸞会のあの勤行のようなぎすぎすした印象を与える声の人は、たぶんそんなにいないと思います。「在家上がり」というのは恐ろしい差別表現ではありますが、そこにも多少の道理があるようにも思われるのですが…。

投稿: 人生の目的っ! | 2020年11月15日 (日) 19時42分

親鸞会のお勤めは独特の節で淡々と唱えてゆきます。私はいつも書き下し文を読む事に徹しています。その方が内容を理解しやすいです。綺麗に聞きたいならば東本願寺のお勤めがいいと思います。葬式用は西本願寺のがいいと思います。
親鸞会は独善的に強引なところが多々あります。その強引だった人も強引に強要されて強引になっているだけであり、そういう人は数年後にいなくなっています。人を思いやる優しさのある人は残っています。強引な講師に強要され続けた人も辞めてしまうのでしょう。その強引さは軍隊からきており、今では時代錯誤も甚だしく親鸞会も悔い改めた模様です。その反動で更なる動揺が引きおこっている模様です。ご機嫌取りに走ったり、葬式で金儲けに走る様ではいけませんね。会費のクレジット払いも頂けませんね。毎回痛い思いをして工面する所に価値があります。お金をケチって出したくない心しか無いのが凡夫ですから。N講師は葬式で失敗して首にでもなったのでしょう。

投稿: ok | 2020年11月15日 (日) 20時58分

ok さま:

  貴重な御証言ありがとうございます! 親鸞会の勤行の声を「金属質」と批評したのは、室生忠氏。

  同氏は昭和59年(1984)に親鸞会を取材した際の印象を、その著『若者はなぜ新・新宗教に走るのか』 の中で語っておられますが、そこに出て来る表現が、この「金属質な」であります。

  私はこの言葉を胸に、平成10年(1998)初夏、横浜アリーナでの法話会を覗いてみたのですが、たしかに金属質であるし、しかもなにか、大波にさらわれそうなところを岩に齧りついて必死で救いを求めているような印象を受けました。繰り返しになりますが、もっとおだやかな感じでお唱えすることはできないものでしょうか? 老人が多くを占めるようになった今は、もう少しゆったりした、いや、ゆったりせざるを得なくなったとは思うのですが。

投稿: 人生の目的っ! | 2020年11月16日 (月) 14時40分

最近は声のいい導師がいてお勤めのCDまで出しているのではと思います。
声のいい導師が一人で淡々と唱えていますね。本願寺のは数人いてハモっています。色々な声が一つになっています。その違いではないかと思います。西本願寺は更に独特でブイブイうなっていますね。やはり東のがおすすめですね。

投稿: ok | 2020年11月16日 (月) 19時39分

親鸞会本体、1万年堂が今や起死回生をかけて始めた新企画「ケモノガタリ」。
敵ながらあっぱれと思う反面、このような初歩的なミスを大事なオフィシャルサイトでやらかすとは……

一葉落ちて天下の秋を知るというが、もはや冬を知ると言ったほうが、いいかもしれませんね。

https://www.kemonogatari.com/characters/deer
(登場人物)
名前と顔が一致しているのは、脇役的存在のライオンのみ。
大丈夫なんでしょうか?そのうちしれっと訂正なさのを
待望しております。

敵に塩を送るようですが、この作品が縁となって、
親鸞会とは関係なしに、若者が真摯に真宗や人生を考えるようになることを
念じてやみません。

ちなみに、トップ画面の左上には「下着ドロボーよ!捕まえて~」なる
セリフあり。こんなところにも、
いよいよ就任間近い2代目善知識さまの品性が
見事反映されていると思われます。

https://www.kemonogatari.com/」

投稿: 人生の目的っ! | 2020年11月17日 (火) 12時14分

なんかトーンダウンしているような、いい子ちゃんになっているような・・・
今更、親鸞会に気遣う必要があるのでしょうか?
そもそもこういう会があること自体、人を惑わす根源になっているのだから。
逆に言えば、惑わされるということは、真実を知らないからそうなるわけで、それは単に日本仏教界全体の堕落を象徴していることにもなります。

そもそもはインドで発祥した仏教が中国を経て日本に伝わったわけで、当然そこには中国思想のフィルターがかかっているわけで、その中国仏教を基本に日本の仏教は発達した。
親鸞も、もともとは比叡山天台宗で学んだ僧侶であり、だから浄土真宗とは親鸞独自の仏教で、親鸞が解釈した仏教だし、
それをまた、親鸞会が独自に解釈していることになる。

つまり、大本のインド仏教に多くのフィルターがかけられ続けて今日の日本の仏教の各宗派があるわけで、そのどれもがフィルターでぼやけているのに、それぞれが「我こそは真の仏教なり」と主張している。
親鸞会も、単にそんなナンセンスな愚行の1つにすぎない~
問題は、教団を作って組織化し、巨大化することによって権力化すること。
結局は、やっている人間の俗っぽさと欲とエゴが前面に出てくる。
で、それを人に押し付けて支配するようになる~
それに振り回されて人生を犠牲にすることはもうやめましょうや・・・

付け加えるなら、葬式は最大の霊感商法です。
ただ、「昔からやっているから」とか「みんながやっているから」という理由で、誰もそれを疑わないことが問題だけれど。

投稿: 宮川義弘 | 2020年11月25日 (水) 09時53分

親鸞会の法話を聞いていると嫌な気分になったが、親鸞会は、これが本当の仏教だ、と言っていた。
ということは、
仏教は人を嫌な気分にさせるものなのか?
なぜそんなものを信仰しなければならないのだ?

また、真宗の信者は日本で一番多い、と言って自慢していたが、数が多いことの何が自慢になるのだ? 数が多いことが正しいのか?

また、女は業が深い、と言って女を蔑視していた。
親鸞会は女性蔑視の立場のようだ。みんな、女から産まれているのに~

また、「釈迦の前に釈迦はなく、釈迦の後に釈迦はない、と言われている」と言ったが、そんな言葉は聞いたことがないし、仏陀を釈迦と呼ぶ時点で間違っているけれど、釈迦は仏陀が生きていた種族の名前「シャーキ族」から来ているもので、固有名詞ではない。

そもそも親鸞会の法話はデタラメが多いけれど、それをデタラメと認識できない無知さが問題~

そのおかげで、親鸞会を通して、親鸞が大嫌いになりました。

投稿: 宮川義弘 | 2020年11月25日 (水) 10時50分

宮川義弘様:

 「私を嫌いになってもAKBを嫌いにならないでください」をもじって、
「親鸞会を嫌いになっても親鸞聖人を嫌いにならないでください」というのが、私や他の書き込み者のあなたさまへの思いだといって過言ではありません。

 宮川様はどちらかといえば原始仏教に親近感をお持ちのようだし、そのお気持ちも理解できますが、原始仏教で説かれた瞑想とかを実践するほどの力量に恵まれていない者が、正統派の親鸞聖人の教え、すなわち、親鸞会でない他の大多数のまともな真宗の法話を聴くことは、決して責められたり、笑われたりして良いこととは思われません。いかがなものでございましょうか?

  兄上さまが速やかに目を醒まし、宮川様との今生での兄弟の御縁を、双方に納得のゆく形で回復されることを念じ上げつつ。

投稿: 人生の目的っ! | 2020年11月25日 (水) 15時38分

人生の目的っ!様、いつも好意的なコメントをありがとうございます。
こういう書き込みの場を設けていただいたことに感謝します。
なかなか、こういう内容のことを書ける機会はありませんし、同様の思いを持っておられる方々がいるのを知ることは、自分への励みにもなります。

私の末の妹は私以上に親鸞会に嫌悪感を持ち、それが理由で家族と縁を切っています。
やはり、信ずる者だけが救われるのでしょうか・・・
親鸞会は大したことをやらかしたものだ、と思っています。

投稿: 宮川義弘 | 2020年11月26日 (木) 19時18分

いまだに洗脳から抜け出せてない人がいるのには驚きますが、
ディストピア世界のバイブルともされるジョージ・オーウェル「1984」を読んでみてください。 訳文無料公開もされてます。
もしくはユーチューブにある映画を観てみてください。
拷問と恐怖によって党の象徴たる架空のビックブラザーを崇拝させ、敵対国と裏切者をヘイトすることでモチベーションを保つ、常に過去や事実を改ざんし、二重思考という矛盾することでも信じ込ませ、共産独裁、全体主義を維持する。
本願寺を敵対視し、必堕無間などで脅し、善智識帰命させる高森会はそのまんま型にはまっています。

投稿: こり | 2020年12月19日 (土) 23時10分

こりさま:
 
  見事なまでの名作の読み方。活眼を開いて活書を読むとはあなたさまのことではないかと仰がれます。ジョージ・オーウェル「1984」にこんな有益な読み方があろうとは! とりわけ「常に過去や事実を改ざん」しているという点が親鸞会には実によく当てはまります。40年前は信心決定体験談を重んじていたのが、10年前の稚拙なマンガ(公式サイトに発表)では、「体験談 自慢話のほかはなし」と化けている。

 とにかく、すてきな御教示ありがとうございました!
 

投稿: 人生の目的っ! | 2020年12月22日 (火) 00時48分

この場で実名を出しているのは私だけでしょうか?
私の名前は大いに使ってもらってけっこうです。
以前は、オウムの坂本一家殺害のように、親鸞会を批判すれば、会から誰ぞが来て私を脅迫するかも、と恐れていたが、今のところ、それはないようです。
もし脅迫するものがいれば、親鸞会とはその程度のもの、ということになります。

投稿: 宮川義弘 | 2020年12月28日 (月) 08時09分

宮川義弘さま

 尊敬と共に書き込ませて頂きます。すると宮川さまの御著書は、いかなるご縁で執筆されたものなのでしょうか? お西のお寺の住職が日本に多年お住まいのスリランカ仏教僧侶のお弟子となり、お寺を単立法人にしてしまったこともあって、真宗関係者の中にはテーラワーダを快く思わぬ向きもあるようでございます。

 僕ですか?およそ宗教とは、、身も蓋も無い言い方ですが、化粧品のようなもの。真宗が肌に合う人もあれば、テーラワーダが肌に合う人もあり。

 ただしお互いに強制し合うのはよくない。上記の寺院住職も御自分が寺を出るべきであって、今のままでは御門徒がかわいそうだと思います。博士号もあるし、学問もあるのだから、日本なり、スリランカなり、どこででも食べてゆけると思います。

 なんだか取り留めも無い文面でごめんなさい。親鸞会のおぞましい実態を葬儀という形でよく御存知の宮川さまの御健勝と御活躍とを年の終わりにあたり、幾重にも念じ上げるばかりでございます。

投稿: 人生の目的っ! | 2020年12月28日 (月) 23時55分

宮川義弘さま

 失礼致しました!あなたさまがお詳しいのはラジニーシ師のように拝されます。そこで非礼を承知の上で25年来の疑問を提示させて頂きます。けっしてラジニーシ師を貶めるものではなく、ただただ同師ゆかりの人に率直な御感想をうかがいたい一心でございます。

 座右にずっと大事に保管してきた『アエラ』の1995年5月25日緊急増刊号(オウム魔法を解く)のあとがきに、同誌のその当時の編集長の言葉が載っております。これによれば、星川淳氏が1979年にラジニーシ師の『存在の詩(うた)』を邦訳なさった際、「一般の歴史書にある史実と反する講話がある」んで、訳者たる星川氏がラジニーシ師へお伺いを立てたところ、同師は

  「私は歴史など信じない。歴史など忘れなさい。そのまま訳せばいい」と
語ったとのこと。この点に関して、『アエラ』編集長は、
「耳あたりのよい説法ですが、あぶない言い方です。たとえば日本の教育に問題はあります。でも、オウムの教育は理想的といえるか。ひっかかりやすい理屈です」
と断罪しております。

  でもこの編集長・大森千明氏(1947~2017)は、10年をへた2005年にいたり、サラ金会社からのリベート受け取り事件で、つまり、武富士に取材費を負担させたのに同社の社名を記事に明示しなかった、という事件により失脚。翌年、失意のうちに退職しています。東大卒なり。なんかもう、何を信じていいのかわかりません。宮川様の率直な御感想が期待されてなりません。

投稿: 人生の目的っ! | 2020年12月29日 (火) 00時12分

私の名前で検索すればラジニーシに辿りつきましたね。
確かに私はラジニーシ・・・今ではOSHOと言います・・・の本の翻訳をしていますが、別にラジニーシを盲信しているわけでもないし、彼を弁護する気もありません。
彼の言っていることは矛盾だらけですし、あえて矛盾させています。
「アエラ」の編集長のコメントは、言葉だけを捉えるならもっともな感想でしょう。
ただ、あなたがこれについて25年来の疑問であるなら、私なりの考えを述べさせていただきます。

「私は歴史など信じない。歴史など忘れなさい。そのまま訳せばいい」
これは確かに「アエラ」の編集長の言うように「あぶない言い方です。」かもしれません。ラジニーシの、このような言い方は他にもいくらでもあります。「私は自分が昨日何を言ったのかを忘れている。」とか・・・

この編集長・大森千明氏が言う「あぶない~ ひっかかりやすい~」は、何を恐れているのでしょう?洗脳でしょうか?
ラジニーシは我々を洗脳しているのでしょうか?確かに当時のメディアはそのようにラジニーシを批判していました。
例えばここで「歴史など忘れなさい」ということの真意は、歴史は学者が考える現状での仮説であり、新たな発見で歴史は何度も書き変えられている、だからそれを絶対的なものと見るな、固定観念にするな、ということであり、本質的なことに目を向けなさい、ということです。

ラジニーシは本質的なことを語るので、そのために歴史的に矛盾することを話すのは方便とも言えます。
ラジニーシは、特定の教えを強制していません。人の個性を大切にします。その教えは個人的な、個別のもので、しかも普遍的です。だから表面的には矛盾していて、根本的には一貫しています。

ラジニーシをどう見るか、は、全くその人に委ねられています。彼をどう思ってもその人の自由だし、それは逆にその人の理解度が試されます。
彼の膨大な講話の中に、たった一つの事実に反することが述べられていたとして、それで彼の全ての教えを否定するかどうか、それはその人次第です。
往々にしてメディアは批判的な事を書きたがるものです。その方が注目を受けやすいからで、例えば「ラジニーシ・堕ちた神」という本のように。

あなたは「何を信じていいのかわかりません。」と言っています。
あなた自身の直感を信じてください。他人の言動に惑わされないでください。それがラジニーシの教えの本質です。それはあくまで「個」にあります。
ラジニーシは「何も信じるな」と言います。それはラジニーシ自身に対しても、です。
ある弟子がラジニーシに「私はあなたを信じることができません。」と質問したら、ラジニーシは「誰が私を信じろと言ったのだ?そうやって物事は誤解される。」と答えています。

彼は最初から、集団に属するな、組織化された宗教は本当の宗教ではない、カルト化にならないように気をつけろ、と何度も言っています。
そんな彼がカルトの教祖のように見られているのは皮肉なことで、それは大衆の理解度が表面的である証拠です。

私は約20年間、ラジニーシを否定してきました。彼を理解できなかったのです。そして、たまたま彼の本を翻訳して、初めて彼を理解することができました。それは私のケースで、私の人生です。

ラジニーシを完全に理解することは不可能です。
だから、その人なりに理解するしかないし、それでいいと思います。
何にこだわり、何を求めるのか、それは人それぞれで、それが個性です。
自分に役立つもの、自分に合うもの、それだけを選んで理解すればそれでいいと思います。
否定すも、肯定するも、自由です。
ただ、他人に押し付けないことだけです。ほとんどの宗教団体はそれをしています。教祖の教えを押し付けて、それに従うことを強制します。
親鸞会も同じです。

ラジニーシは全てを受け入れます。「ラジニーシ・堕ちた神」という暴露本を書いたヒュー・ミルンは、その本を書いた後、後悔の念に襲われて自殺未遂をしています。とあることがきっかけで、ヒューはラジニーシから否定されたと感じ、それでその悔しさからその本を書いたようです。それでもラジニーシはヒューを受け入れています。

私は、そんなラジニーシの本を提供するだけです。
それをどう読むかはその人の自由です。ただ、外野の批判的な、物好きな見方のマスコミ・メディアの言論に囚われるよりかは、直接に彼の本を読むことを勧めます。それを読んでどう判断するか、それはあなたの自由です。

あなたの直感を信じてください。あなたはとても誠実な人です。

長々と失礼しました。


投稿: 宮川義弘 | 2020年12月30日 (水) 10時37分

追伸
直感を信じることについて~
そのために瞑想があります。瞑想、といっても、難しく考えないで、ただ黙想する、何も考えずにじっとしていて、自分が感じることを受け入れる、ということです。
ラジニーシはよく、マインドに囚われずハートに従いなさい、と言います。
マインドとは思考、理屈、物事に一貫性を求めること、です。
「アエラ」の編集長のコメントはまさにマインドに囚われたものです。
ハートに従うこと、心の声を聴くこと、つまり、感じること、直感に従うことです。言葉にとらわれず、その真意を汲み取ること、そして、その真意があなた自身にとって意味があるかどうか、あなた自身にとって重要かどうか、それがポイントです。
それを感じてみてください。

投稿: 宮川義弘 | 2020年12月30日 (水) 11時56分

宮川義弘さま:

 懇切な、染み入る御教示ありがとうございます! 私ももうそんな若くはありませんが、今後の長く人生の、求道上の指針とさせて頂きます。ぶるうのさんへも、このような場を縁として宮川さまからの素敵な御教導に接することが出来た、という点で、改めて深い感謝を捧げます。

 「あなたの直感を信じてください。あなたはとても誠実な人です。」
 「言葉にとらわれず、その真意を汲み取ること、そして、その真意があなた自身にとって意味があるかどうか、あなた自身にとって重要かどうか、それがポイントです」 

 この2句を特にうれしく拝受致します。ありがとうございました!生きててよかった!南無阿弥陀仏

投稿: 人生の目的っ! | 2020年12月30日 (水) 12時45分

  英雄 英雄を識る、と申しましょうか、やっと高森先生の名文をひそかにパクる人が現れました。これまたカルト教団として悪名高い「冨士大石寺顕正会」の最高指導者・浅井昭衛氏です。その大著『日蓮大聖人の仏法』の第一章「日蓮大聖人とはいかなる御方か」にいう、

  「人生の目的を知らずに生きるているのは、行先不明のバスに乗っているのと同じである。
   人生の目的は、実に成仏を得るにある。成仏とは、生死を乗り越えて永遠に崩れぬ、無上の幸福境界をいう。
   日蓮大聖人の仏法を実践すれば、いかなる人も宿命が変わり、現世には幸いを招き、臨終には成仏の相を現じ、死後の生命も大安楽を得る。これが成仏の境界である。」

  これを書いていた浅井さんの机上にはきっと、高森先生の御大著が燦然と輝いており、ただ、教義上の違いから、浅井さんは高森先生の名文に「信心決定」とあるのを「成仏の境界」と改め、ほかにも、親鸞聖人とあったのを単に日蓮大聖人へと置き換えたのでしょう。ああ、高森先生、以て瞑すべし。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月 1日 (金) 20時59分

顕正会は大きな会場を借りて大教学試験をやってました。
恐るべきカルトの大集団です。
より強力なカルトを作る為に親鸞会を参考にしたのでしょう。
浅井の書庫には親鸞会の書物が秘密裏に沢山飾られているのでしょう。
浅井先生は日蓮大聖人の生まれ変わりだと神聖化されているのかな。
多くの会員は騙されて貢物を謙譲するのに必死です。

投稿: ok | 2021年1月 2日 (土) 13時17分

日蓮大聖人の言う通りにしないと日本が滅ぶと言ってます。
コロナも日蓮大聖人の言う事を信じなかった報いだと言ってました。
念仏称える人は頭が七つに割れて無間地獄に堕ちると言ってました。
念仏称える人は必堕無間だと怒鳴り散らし、
念仏一行だと反論すると、ばい菌を見る様に震えあがっていました。
恐ろしいカルトの姿です。
カルトから目覚めて辞めた人がいますが、その後の嫌がらせが甚だしく
地域に棲めないくらいまで追い込まれ、ノイローゼになってました。
その人に浴びせた事葉が、仏罰が当たった。もっと酷い事になるぞ、生き地獄をみるぞです。

投稿: ok | 2021年1月 2日 (土) 13時25分

ok様
「日蓮大聖人の言う通りにしないと日本が滅ぶ」・・・
「辞めた人がいますが、その後の嫌がらせが甚だしく」・・・
はあ・・・ただ、ため息しか出ません~笑
未だにこんな愚かなことを言う人がいるのですか・・・
まったく、ワンパターンの決め台詞ですね。
○○に従わないと罰が下る、というパターン。どの宗教もこの手口を使います。逆に言えば、知恵がない、というか、人間は精神的にはまったく進化していないみたいですね。いや・・・まさにこれは狂った状況としか言えません。大衆は本当にこの程度のレベルなんですね・・・

投稿: 宮川義弘 | 2021年1月 2日 (土) 15時27分

okさま、宮川義弘さま:

 それぞれに深く考えさせられる御反響をありがとうございます!駅の前から
エホバの証人が姿を消し、すがすがしい思いでおりましたが、顕正会のほうはまたぞろ姿を見せるようになりました。上の書き込みで私が引用したのも、実はそういう人々からもらったビラにダイジェストとして掲載されていたものであります。

 ところで、私はキリスト教の教義その他には何ら共感を覚えません。ただ、戦時中に迫害されていたホーリネス派の関係者の回顧録などに、

  「私どもを法廷へ引きずり出すべく用意された取り調べ文書は、東京大空襲で司法省の建物ともども灰燼に帰した。見よ、大いなる神の御業を!」

ってな感じで書かれた、それこを鬼の首でも取ったような文章を読むと、

  「そうなのかなぁ……」

と思ってしまいます。むろん、たまたまそういうめぐり合わせだったのでしょうが、それでも、こんなふうにちらっと思ってしまい、いかにも情けないです。

  お二方のお考えを、お暇な折にでもお聞かせ頂ければ幸いです。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月 2日 (土) 21時18分

 さすがに光晴氏を話題にするような方も見かけなくなり、ほっとしております。

  ただ、光晴氏が御自身も関与した、昭和40年代後期から50年代後期(1972~1984頃)における富山県下の暴走族の活動について、懺悔とともに語ってくださるのであれば、それはそれで青少年犯罪史の欠落部分を補う壮挙だと思いますし、光晴氏の悪業も少なからず浄化されるものと思っております。

  最近では、36歳の落語家・瀧川鯉斗さんが、愛知県下における暴走族指導者としての思い出を、悔悟とともに語っています。

https://news.yahoo.co.jp/articles/f6a697bff3e6a009b8b3ff768435d2bcd4471575

  光晴氏も暴走族の幹部クラスの人物だったそうでありますから、瀧川さんとの対談をも織り交ぜた懺悔の書を10000万年堂からお出しになるのであれば、相当な反響を呼ぶことでしょう。繰り返しますが、得難い懺悔であり、それ自体、地方における青少年犯罪史の欠落を補うものとなります。

  月刊『警察公論』などを見ますと、わが国の警察幹部が書いた暴走族関係の論文はもとより少なくないのですが、たいていが首都圏における暴走族をのみ論じております。地方に関しては、今や年老いた当事者が懺悔と共に語るのを待つしかありません。光晴氏のこの方面での活動に心底期待しつつ。

  なお、最後に、上に御紹介した記事の中でもとりわけ読みごたえある部分を引用して、この書き込みを締めくくらせていただきます。

 「瀧川は『暴走中に(道路にある)お店ののぼりをかっぱらってやってました…」と告白。その理由を「警察を煽るために…、(単車を)降りていって警察に威嚇とかしてた…ような気は…しますけど』と苦笑いしながら、過去を振り返った。

 暴走族ではあったが、母親が心配して呼びに来ると、早めに自宅に帰ったなど、母親には弱かったというエピソードも暴露され、照れていた。」

  光晴さんの朝帰り、いえいえ、夜明け帰りを、お父様はともかく、お母様はどんな顔で迎えてくださったのでしょうか?

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月 2日 (土) 21時29分

地方の田舎町ですが、夜終電間際にぞろぞろと人がいて、帰る人に話かけていました。それがなんと顕正会の人達でありました。富士山の写真をバックに細かい字でグシャグシャと何が書かれているのか分からない顕正新聞を見せて、日蓮大聖人の言う通りにしないとコロナで世界が滅ぶぞと言ってました。思わず、「この野郎、念仏誹謗の輩は無間地獄だ。念仏一行だ。」と反論したら、念仏無間の恐ろしい人がいる。恐ろしや恐ろしやとか言って、仲間がぞろぞろと集まってきて取り囲まれました。電車に乗り遅れるからとその場を立ち去りましたが、恐るべきカルト集団でした。
その後、勤労者福祉センターで顕正会の連中と再会しました。大教学試験らしく、みんな本をどっさりと持って必死に勉強してました。30人位はいたと思います。ロビーに異様が空気が漂ってました。何を読んでいるのか覗いてみたら立正暗黒論だと思います。真宗聖典よりも細かく厚くグチャグチャと赤線引いた本を片手に問答をしてました。
あの会は親鸞会よりもはるかにカルトであり、どう洗脳したらああいう風になるのかと不思議に思いました。おそらく洗脳が解ける事はないでしょう。幸いにも駅前で絡まれた相手はいなかったのか忘れているのかトラブルには巻き込まれませんでした。顕正会は創価学会と敵対関係にあるらしいです。大石寺と何らかの関係があるのかと思います。
ちなみに退会して嫌がらせを受けている人は、私の所に本を送り付けてきた人であり、因果の道理や後生の一大事や阿弥陀仏の本願についてトコトン話してやった人です。何で日蓮の言う事をきかないと全く無関係な人が巻き添えを食らわなければならないんだ。日蓮は人に不幸を与える悪魔なのか。世界が滅びなくても無常の風が吹いたら確実に全てを失うんだぞ。後生は大丈夫なのか。などの言葉が洗脳を緩めたのかは知りません。嫌がらせを受けて姿を消してしまいましたが、罪な事をしてしまいましたかな。

投稿: ok | 2021年1月 3日 (日) 12時19分

私の偏見でしょうが、日蓮を教祖と仰ぐ教団にはロクなものがないように思えます。
洗脳された人には関わらない方が無難でしょうね。話が通じないし、下手に反論すると身の危険もあります。
占い的に見て、今年は変な宗教団体が生まれやすいらしいです。混乱や不安が大きい人は宗教に食いものにされやすいですし、その意味では今のコロナの時代は気をつける時でしょう。人の不安につけこんだ論法・手口は本当に単純ですね。

東京大空襲が大いなる神の御業ですか・・・
人間はいろいろと自分に都合のいいように解釈するものですね。
つまり、キリスト教の神は日本が滅びることを望んでいるのですか?
神、という概念こそ、人類が洗脳されている最大のキーワードですが・・・

しばらくはまだ、顕正会のようなめんどくさい宗教があちこちで騒動を起こすことになりそうですね。

投稿: 宮川義弘 | 2021年1月 3日 (日) 15時48分

okさま:

  〈何で日蓮の言う事をきかないと全く無関係な人が巻き添えを食らわなければならないんだ。日蓮は人に不幸を与える悪魔なのか〉

宮川義弘さま:

 〈人間はいろいろと自分に都合のいいように解釈するものですね。
つまり、キリスト教の神は日本が滅びることを望んでいるのですか?〉

 お二方からそれぞれに「目から鱗」(『聖書』の文言ですが…)のお言葉を賜り感謝に堪えません。キリストはもちろんのこと、日蓮もまた神格化ならぬ仏格化され、何やら神秘的な力を帯びた人とされているので、キリスト教と顕正会とに似たような言説が認められるのも、思えば不思議な事ではないかもしれませんよね? ともあれ、的確な御教示、誠にありがとうございました!

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月 3日 (日) 21時29分

私が親鸞会の信者と討論した時に、よく聞いた言葉が「後生の一大事」というもので、ここでも取り上げられていますが、私なりの理解では、死後に救われるかどうか、という問題でしょうか?
ようするに、死んだ後、極楽浄土に行くか地獄に行くか、ということですか?
それだと、キリスト教が言うところの「悔い改めた者は天国に行き、罪人は地獄に行く」という教えと基本的には同じに見えます。

一番の問題は、死が怖いことであり、死んだ後にどうなるのか、がわからないことです。わからないから不安になります。
これはデリケートな問題ですね。
死について知らないから、死後のことについて断定的に自信持って強く主張する人に反論できない。それで、つい、その人の言うことを信じてしまう。これで私も過去にずいぶんと迷い、混乱してきました。
その経験から1つ言えることは、1つの考え方にとらわれたり固執しないことです。今でも死に関する本は山ほど多くあります。そして、それぞれ、いろんなことを言っています。
正直、どれが本当かわかりません。
その理由は、死後の世界が主観的だからです。人によって見える世界が違います。だからその人にとっては真実でも、他の人にとっては違うことがあります。
だから「後生の一大事」も、最初にそれを言った人にとっては真実だったのかもしれませんが、それが絶対に正しいとなると、それは違ってきます。それを「絶対だ」と主張することが洗脳に繋がります。
「後生の一大事」を知ることが仏教の一番の教え、という言い方には、私は抵抗があります。

結局、生きている人間には死はわかりません。死んだらどうなるかは、死を体験した人、つまり、実際に死んだ人にしかわかりません。
問題は、死んだ人は口が利けないことです。死者と交信、対話する話もあります。交霊術、霊界通信、霊能力・・・私もこれらに関する本を多く読みましたが、自分に経験がないため、その本に書かれてあることを100%納得できるかどうかは確かではありません。なんとなく、そういうものか・・・という程度です。

死とは何か、死んだらどうなるか、これが全ての宗教の命題だと言えるでしょう。
特定の宗教を信じること、特定の信仰を持つことは、その特定の教えを固定観念にすること、つまり視野が狭くなること、
そんな危険性を感じます。

投稿: 宮川義弘 | 2021年1月 4日 (月) 09時51分

宮川さんの言う通りですね。
私も聞き始めの頃は、後生の一大事の連打攻撃を受けました。
死んだらどうなるのか。これ以上に大事な問題はありませんが、洗脳するのに好都合な課題です。死んだら天国に行ってハッピーだと思い込む丹波でルンバが一番いい教えだと思いました。
しかし、仏教は違います。根底にあるのが因果の道理であり、すべて自業自得だと説かれます。そして心を最重要視するので根本的に異なります。極楽か地獄かは自分の行いが決める事だと言われます。ここまでは納得出来る間違いない事です。
次に阿弥陀仏が出てきて信じる者は救われると言います。このフレーズはキリスト教とさほど変わらないと思います。とても怪しい宗教の匂いがしてきます。日蓮に至っては、信じない人は不幸になる。信じなければ人類が滅ぶと脅しにかかります。そして、日蓮の教えを聞いて弘めない奴は死ぬ奴だと畳掛けて、街頭で勧誘活動をただ働きで時間を奪ってやらせます。こういうのを宗教の奴隷といい、脅迫観念だけで洗脳します。エホバの証人の人も来ましたが、神と悪魔の戦いのハルマゲドンが脅し文句でした。こちらは典型的な例ですね。霊友会に至っては先祖の因縁で不幸になるぞが脅し言葉でした。今不幸が次々に起こるのは三代前の先祖が地獄に堕ちてあなたに助けを求めているからだ。供養しないと呪い殺されますよとか脅してきます。
親鸞会の言う「一切衆生必堕無間」も脅しの一種ですが、先ほど述べた仏教の因果の道理を根本にしてますので、単なる脅しだと一蹴出来ない所が何とも言えません。騙される人は真面目な人ばかりだと思います。

投稿: ok | 2021年1月 4日 (月) 11時22分

宮川義弘さま、OKさま:

  お守り代わりの素敵な御教導ありがとうございます! 上の方で私が取り上げた親鸞会発行の劇画『青春の旅立ち』ですが、ヒロインは父親の癌死もあって、死んだらどうなるかということをひっきりなしに考え続け、果ては飛び降り自殺をも企図する超まじめ人間です。その彼女が京都で親鸞会とおぼしい仏教サークルに出会い、左翼の女性闘士さながらの剣幕で、左翼学生運動をしている主人公の男子大学生へ、

  「反核運動をするのも、要するに死がこわいからでしょう?死の恐怖が取り除かれれば、そんな運動をする必要もないんじゃないの?」

と詰め寄る場面は圧巻です。

  でも、高森氏を見る限り、死の恐怖を克服しているとは到底思えません。そもそも死が怖くないのなら真生会病院など開く必要もありますまい。とりわけ例の「お通じ外来」は、その名こそ笑えますが、彼が胃腸方面の癌を極度に恐れていることをありありと物語っています。ちなみに、上記の劇画のヒロインのお父様も、胃がんで苦しみながら亡くなった。しかし枕元には『仏教聖典』を置いていた、という設定であります。

  ヒロインも、主人公の青年も、死の恐怖の解決、いわゆる後生の一大事の解決を求めて親鸞会に入ったのでありますが、その結果は大きな幻滅に終わったものと思われます。以上、取り急ぎありがとうございました。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月 4日 (月) 15時07分

死が怖いと思わす前に、相対の幸福の話が先行します。
一生懸命に求めたものが、いとも簡単に崩れ去る。
より強い者と比較したら喜べなくなる。みな相対の幸福を求めて裏切られる。
この話は今までの経験から本当だと実感が持てます。
次に、絶対の幸福があるから絶対の幸福を求めましょうときます。
この絶対の幸福という言葉が曲者です。
注文の多いレストランの様に、言われる通りに裸になって、風呂で体を洗い、
塩で身を清めたところで食べられてしまうのではないのかと疑います。
疑いの心を以て宗教と関わっている間はいいですが、そのうちに洗脳されます。
みんな絶対の幸福になってるよと言っていた先輩も実はまだだった。
偉そうな事ばかり言っていた専任講師の人も実はまだだった。
いつになったら絶対の幸福という御馳走が食べられるのかな。
絶対の幸福が単なる餌だったのかな。
人生の目的っさん。少しは参考になりましたでしょうか。
様々な宗教が人生の目的という言葉を殺し文句に使っています。
人生の目的はなければならないものですが、一体どこにあるのだろう。

投稿: ok | 2021年1月 4日 (月) 19時43分

ok さま:

  貴重な御教導に感謝致します。このような場で人生の指針となり、かつはこれまでずっと疑問に思っていたことに対し平明なお答えを賜り、喜びに堪えません。そしてこんな場を設けてくださったブログ主・ぶるうのさんへも感謝あるのみでございます。

  〈騙される人は真面目な人ばかり〉、ほんとにそのとおりです。被害者家族の会の初期の主要メンバーでいらした方も、そのお嬢さんがお母様(その主要メンバーさんにとっては亡き奥様)を喪った心の痛みから親鸞会へ心を寄せたと語っておられました。国立大学の理工系へお進みの、親に心配をかけない優秀な方でいらしたのに。

   そうだ、それから、私の職場の元同僚も、80歳を過ぎたお父様が久しく親鸞会に洗脳され、お困りでいらっしゃいました。被害者’御当人にお目にかかったこともございますが、うつろな目で「人生の目的っ!」とお念仏のようにつぶやき続けるお姿(決して認知症になったわけではない)には、これが若かりし日には、船長として太平洋の荒波を叱咤したエリートかとは到底思えませんでした。

   ちなみに私は、その業界でリストラに遭い、元同僚は別の職場で栄達なさったので、助けを求めたのですが、家の恥を知っている年少者を彼が歓迎するはずもありません。「いろいろ知識を提供してやったのに、何という不知恩な野郎だ!」とは思いました。でも、そういう蛇蝎の心が根強く救う自己の姿をも、この10数年、いろいろな方への聞法を通じていやいやながらも見据えて参りました。阿弥陀さまをどう捉えてよいものか、今も多少の困惑を禁じ得ません。ok さまのおっしゃるように、
  〈阿弥陀仏が出てきて信じる者は救われると言います。このフレーズはキリスト教とさほど変わらないと思います。とても怪しい宗教の匂いがしてきます〉
 でも、これまでの経緯やもはや若くも無い年齢から見ても、己が救われる道は、どうもこのあたり(浄土門)にしかないようであるし……困っています。宮川様が教えてくださったように、〈直感を信じ……そのために瞑想〉しようかと思います。野狐禅だっていいじゃないか!と。とりとめもないお礼で申し訳ございません。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月 5日 (火) 01時34分

人生の目的!様
長く1つの宗派を信じて生きてこられた人にとって、それを捨てる、忘れる、ことは困難でしょうね。
特に、信じてきたものが信じられなくなった時のショックと喪失感、路頭に迷う感覚は大きいと思います。

「阿弥陀さまをどう捉えてよいものか・・・」
阿弥陀仏信仰は私にはないので、あなたの心を推し量ることはできませんが、たぶん、阿弥陀仏というものを自分と違う第三者のように捉えるから、どこかに実在する救世主のように捉えるから、よくわからなくなるのではないでしょうか?

非常に現実的に聞きますが、阿弥陀仏を見たことがありますか?実際に逢ったことがありますか?
そうでなければ、どこまでもそれは架空の存在であり、心の問題です。
だからといって私はそれを否定するものではありません。

要は「何を阿弥陀仏と見るか」でしょう。
第三者的な存在としてみるなら、あなたと阿弥陀仏との関係が生じ、阿弥陀仏に救いを求めるなら依存が生じ、期待するなら失望し、信じるなら裏切られる危険が生じます。

直感を信じることは、自分を信じることです。
あなたの人生はあなたのものです。あなたのために生きることが一番大切です。他の誰かの犠牲になってはいけません。
結局、阿弥陀仏とは、その人の本当の姿、隠されている可能性、なのではないでしょうか?
直感を信じる~心の声を聴く~ つまり、心の声はあなたの中にいる阿弥陀仏の声、と捉えたらいいのではないですか?

こういう考え方は浄土門的立場から見たら間違いかもしれません。
でも、あなたにとってはそれが正解だと思います。直感は常に正しいので・・・
これからも浄土門の道を信仰される中で、あなたの中に阿弥陀仏がいて、それがあなたを導いている、と捉えてもいいのではないでしょうか?
私は浄土門のことはよく知りませんが、率直にそう感じました。

投稿: 宮川義弘 | 2021年1月 5日 (火) 08時29分

そうですね。自分を信じるのが一番だと思います。
阿弥陀仏は悪しか出来ないんだと見抜いて本願を立てられているとの事ですが、
自分の良心は困っている人がいたらその人の立場に立って助けるし、善果だけを求めて善い事を行っているわけではありません。
悪い事をすれば悪い結果になるのは当たり前の常識です。
自分の心を信じて阿弥陀仏を信じればいいと思います。
そして、阿弥陀仏のお見通しの通りだったと知らされればそれでいいのではないですか。
悪しか出来ない必堕無間の者だと鵜呑みに信じて宗教に絶対服従する必要はないと思います。善が出来る善人様だと自分を信じるのがいいのではなかろうか。悪しか出来ないと思ったら阿弥陀仏を信じて聞き求めて見れば別の何かが分かると思います。自分を無くして絶対服従なんかしたら奴隷になるだけだ。
顕正会やエホバの様に宗教の奴隷にはなりたくないです。
私があるから仏教があり、阿弥陀仏があるのです。

投稿: ok | 2021年1月 5日 (火) 09時06分

参考になるコラムがあったので貼り付けます。

https://news.yahoo.co.jp/articles/6129463b635540389a11c7dddd7460c2df6d8774

投稿: ok | 2021年1月 5日 (火) 09時24分

人生の目的っ!様
暫くぶりに見ましたが、迷走されているように見えるので一言。

>己が救われる道は、どうもこのあたり(浄土門)にしかないようである
と思われるのであれば、一旦本腰を入れてご聴聞されては如何でしょうか。
真面目に聞く気さえあれば、開祖親鸞聖人が「愚鈍往き易き捷経なり」と述べられている通り、時間はかかりません。
信心決定してから相対化しても遅くはないのではないでしょうか。
浄土教に当たりをつけられたのであれば、「聞くべきことは全て聞き終えた」と思えるまで、聞き切られた方が良いように思います。

瞑想をするのは良いと思いますが、どの流派で行くのか、誰の指導を受けるのか、など、今後の過程で試行錯誤は避けられません。
色々なことを学んでいるうちに、人生はあっという間に終わってしまい兼ねません。
世界は私の脳より遙かに広く、一生で学べることは限られています。

他力信心を決定しても、いささかも理性が減ぜられることはありません。
自らの信心を相対化し、瞑想を学び実践することも可能です。
まずは早く終わることを先にされることをお勧めします。

投稿: あ | 2021年1月 5日 (火) 20時04分

お三方、特にaさまへ:

 それぞれに懇切なお言葉ありがとうございます。自分の中でお三方のお言葉をじっくり熟成させて頂き、進むべき道へ進みたく思います。

 お三方の中でも毛色の違ったお言葉を賜ったaさまへ…あなた様をがっかりさせてしまうかもしれませんが、そして、この場ではあまり立ち入ったことが書けないのですが……上記のリストラ事件に前後して、当時聞法に通っていた大谷派のお寺さんやその関係者との間で、かなり残念な事態がございました。要するに、私の置かれた事情への無理解に根ざした、言葉の暴力とでもいうべきものを加えられまして、今でもその傷が癒えていないといえばウソになります。

  また、私に暴言を浴びせる結果となった人物がが急逝なさったあと、彼の遺した会社が今般のコロナ禍でかなり危なくなっており、それを人づてに聞いて、「ざまあみろ!」という思いが湧かないといえば、これもウソになります。

  幸い、法を語り合うに足る友人には恵まれているほうです。こんなどす黒い人間がいくら聞法したところで、信心決定などあろうはずもありません。むろん聞法は御縁ある限り致しますが、肩ひじはらず、のんびりやらせてもらいます。

  迷走しているけれど、今は安心して迷走しています。お気遣いありがとう。貴兄の言葉がちょっと上から目線に感じられましたが、それはしかし、錯覚だということも分かっています。でもそれぐらい、上記の事件負ったダメージが大きかったのです。繰り返しますが、迷走しているけれど、今は安心して迷走しています。

  いろいろな事情で、残念だけど、今は本腰を入れて聴聞できる状況にはないのです。むろん今後も御縁のままに聞法して参りますが、どうか無理なことはおっしゃらないでください。いろいろな状況の人をひとしく救うみおしえと信じております。以上申し上げたことがお気に障ったらどうかお許しください。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月 5日 (火) 21時45分

宮川義弘様:

  本来ならば「先生」と申し上げるべきところ、非礼の段お許しくださいませ。御教示にいう、
  〈瞑想、といっても、難しく考えないで、ただ黙想する、何も考えずにじっとしていて、自分が感じることを受け入れる、ということです〉。
わかりました。幸い静かにものが書ける、勉強できる環境には同世代の他の人々よりは恵まれております。ありがたいことです。

 また、私が浄土真宗について語り合える師友の中で、2人までは禅宗にも造詣の深い人です(一人はお西の寺の住職、一人は老齢のフリーライターさん)。いろいろ意見を仰げると思いますが、むろん自分の感覚を大切に致します。

 さまざまなカルト教団の栄枯盛衰に関心をもって25年。とりわけ深いかかわりをもったのが親鸞会となりました。これも何かの縁でしょう。私自身は実は、インド哲学方面の大学院に進むために、関西方面の某宗派の本山(真宗ではない)で1年修行し、大学院の面接では丸めた頭を見せて、見事合格致しました。

 それから月日は流れ、大学院時代の研究仲間が、とある浄土門系の宗派でかなり出世していらしたので、今度は彼のいる本山で改宗のうえ再度しばらく修行したのですが……結果はいい年齢をして発達障がいを指摘され、これでは寺院職員は無理であろうということになってしまいました。まあ事実ですから受け止めるほかはありません。友人にはとんだ迷惑をかけ、穴が有ったら入りたい。

  今はよい主治医さんにも恵まれ、どうにか日々を過ごしています。息子の私がこんなふうに不甲斐ないから、老親は最近、市営墓地の合葬墓に応募する羽目になりました。当選したからいいようなものの、なんとなく情けなく、先祖に対しても申し訳ない、そんな思いでいっぱいです。自分自身の最期もどうなるのだろうか?いろいろ未知数であり、苦悩を覚えないといえばウソになります。

  いろいろな囚われから解放されるためにも、いよいよラジニーシ師の御著作に取り組んでみようと思います。ありがとう! 

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月 5日 (火) 21時59分

ok 様:

 お礼が最後になり、申し訳ございません!教えて頂いたコラム、読み応え満点というべきところ、肝心の「鬼滅の刃」をまだ見ていないので、薄紙一枚のところで分からない箇所がございます。でも、ありがとうございます。

 〈私があるから仏教があり、阿弥陀仏があるのです〉。ありがとうございます。そのつもりで参ります。宮川様への御礼コメントの中でも申し上げたとおり、今現在の私はまがりなりにも浄土門に籍を置いております。寺族でもないし、障がいもあるから、お寺の住職や職員などは無理ですが、それでも信仰を内に秘めた学術論文とかならば書けるはずだし、また、そうしなければなりません。

  何と申しましょうか、非常に卑近な譬えで心苦しいのですが、映画館(寺院)の経営者(住職)やスタッフ(役僧)は無理でも、映画作品を撮る(=公開するに足る論文や文芸作品を書く)ことはできるはずです。いや、これまでもそうでした。

 〈善が出来る善人様だと自分を信じるのがいいのではなかろうか。悪しか出来ないと思ったら阿弥陀仏を信じて聞き求めて見れば別の何かが分かると思います。自分を無くして絶対服従なんかしたら奴隷になるだけだ〉。良質の処方箋のようなお言葉ありがとうございます。このお言葉を拝したけでも10年以上、このブログを拝読して来た甲斐がありました。

  私が親鸞会に苦しめられつつあった元同僚父子を助けようとしたのは、まさに典型的な「雑毒の善、虚仮の行」です。ただそれでも、「やらない善より、やる偽善」だと思うのです。元気が出ました。ありがとうございます!
 

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月 5日 (火) 22時19分

人生の目的っ!様
上から目線の言い方をしてしまい申し訳ありません。
他のコメント欄でもコメントされている、aさんとは別人です。
ご事情がおありなのですね。
せっかちなことは申さないことにします。
阿弥陀様はお見捨てになりませんので。

投稿: あ | 2021年1月 6日 (水) 00時18分

あ様:

  親切な御教示を賜ったのに失礼な物言い、あまつさえお名前を書き間違えた非礼の段、お許しくださいませ。毎年今時分は古傷が特にうずくのです。リストに逢ったのは決して私だけでなくほかにも40人ほどいらしたのですが、私を傷つけた彼は、
   「リストラされてすぐに救いの手が伸びて来ないのは、人徳がない証拠」
うんぬんと傷に塩を塗ることを書き寄こして来ました。彼は中途障がい者として、もっと以前はいじめの被害者であり、そのことを御自分の講演などで力説し、感動を湧き起こしておられましたが、他人の苦痛に対しては容赦がない人だったように今は思われます。

 彼は軽からぬ障がいを負っていらっしゃるので、聞法の帰り道にお供するよう住職さんにも頼まれお供したこともありますが、御自分の趣味について非常に立ち入ったお話をされ、それで黙っているのも失礼なことと考え、なるべくきちんと応対したつもりでいました。そしたら、私の声が、突然の障がいを負った彼を苦しめた創価学会ほか、新興宗教の布教師の声を思わせ、不快極まりないとのことでした。
 自分の甲高い声が彼に不快感を与えたのかな?と自分なりに反省し、
男性ホルモンか何かを喉仏に注射しようかとさえ考え、家族に止められたこともございます。

 「人徳の有無と弥陀の救い」というテーマは、この10年念頭を去らず、ご縁ある先生がたを困らせたことも一度ではありません。とにかく、あ様、このたびはありがとうございました。ご縁のままに、聞法方面でできることはできる限りやって参ります。
 〈せっかちなことは申さないことにします。阿弥陀様はお見捨てになりませんので〉。はい、このお言葉を深く信じております。どうか今年が貴兄にとってよい一年となりますように。 

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月 6日 (水) 00時42分

人生の目的っ!様
あなたは本当に真面目で繊細な人だと思います。だから仏門に入られたのだと思いますが、それが逆にあなたを苦しめる原因になっていることは、まさに本末転倒ですよね。
でもそれはほとんど全ての教団に言えるようです。集団化されると、どうしても権力化します。それはラジニーシの弟子たちに関しても同じでした。だから私は20年間、ラジニーシを、正確にはその弟子たちの集団を避けていました。
それは今も同じで、私はどの組織や団体にも所属していないし、したいとは思いません。

「いよいよラジニーシ師の御著作に取り組んでみようと思います。」
それなら僭越ながら「真理の泉」という本をお勧めします。
各章のタイトルが根本的な主題ばかりなので、それに魅せられて翻訳しました。
1.知識と理解 2.真理と科学 3.宗教と教育 4.思考とビジョン 5.生と死 6.愛と幸福
よろしければ一度読んでみてください。ただ、こうすれば救われる、願いが叶う、というような内容ではありません。
あなたにとってよい人生が訪れますように~

投稿: 宮川義弘 | 2021年1月 6日 (水) 08時41分

「人徳の有無と弥陀の救い」というテーマというのには感心があります。
どういう内容なのか聞かせて頂きたいと思います。
その内容について私なりの意見を述べさせて頂けたら幸いです。
「鬼滅の刀」は大ヒットしてますが、意味深いものがあります。
先ず、鬼の存在です。鬼を外部の悪者に仕立ててますが、あれは内にある心ですね。いい夢を見させて最後に全てを食い尽くす鬼、・・・一生すぎやすし電光浅露夢幻なり。その他自身の煩悩から作り出された鬼がうようよと出てきます。
最大の鬼の親分が後生の一大事という鬼です。(きめつじむざん)
その鬼と戦う為に炭次郎が求道に励んで強くなろうと修行します。(求道)
柱と呼ばれる達人が何人か出てきますが、あれは仙人講師の様な存在ですね。
柱の親方様が高森先生ですか。その親方様の為に命を捨てるという考え方についてあのコラムでは色々と批判していました。
色々な見方があるので何とも言えませんが、とても興味深いものがあると思います。

投稿: ok | 2021年1月 6日 (水) 08時51分

宮川義弘様:

  懇篤なお返事ありがとうございます。宮川様は御法名があるように拝されますが……この私もむろん、前の宗門(聖道門)にいたときと、現在の宗派に入ってからと、それぞれ法名あり。今でも学術の世界と縁が切れたわけではないから、このような爵位(?)はなお当面必要かと思われます。党費、もとい、教師会費その他を納入する義務も果たさねばなりません。

  爵位(僧籍や住職資格)がないとどうも重んじられないという、わが国のインド哲学界や仏教学界の風潮は、外国人研究者からすればあるいは物笑いの種かもしれませんが、私はしかし、愛山護法の精神を胸に仏教学・インド哲学・宗教学を研究し、業績を発表するのは、わが国ならではの美風だと思っております。死ぬまでその感想は変わらないでしょう。

  敬愛できる真宗寺院の住職もむろん少なくありませんが、宗派教団としての本願寺、とりわけ大谷派さんは、いくつかの左翼系の政治勢力の顔色を気にするあまり、輪廻転生を否定したり、否定しないまでも、極めて懐疑論的な立場に立ったり……輪廻転生思想によって心に傷を負わされた多くの人々を気遣うのはむろん尊いことですが、それでも「曲学阿世」になってはどうにも情けないと思います。

  私が10数年前に出会った親鸞会被害者の会の幹部さんは優秀な自然科学者でしたが、唯物無神論と、それに根ざした政党を支持する御方でした。だから、親鸞会へ走った優秀なお嬢さん(国立大学工学部卒)とはどこまでも平行線でした。彼が支持していた政党の『哲学教室』なる啓発文献を読み込んだことがございますが、

  「後に続く人々へ希望を寄せつつ、最後まで革新者としての本分を尽くして死んでゆくのみ」

とか書いてありました。これだけじゃ満足できない人も多いだろうし、お嬢さんはお母様の死が機縁となって、死への不安に取りつかれてしまったのだろうと思いました。お父上は優秀な学者さんでしたが、彼女を満足させられそうな答案は、彼自身にも、彼が支持する政党にも準備されていないものと思われました。

  とりとめもない文面ですが、どうか行間から私の満腔の謝意をお感じ頂ければ幸甚でございます。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月 6日 (水) 15時40分

okさま:

わざわざ私のような者の悩みに耳を傾けてくださり恐れ入ります。人徳とは、その人の生き方が他者をおのずと引き付けることを指しているのだと思うのです。とはいえ、それはあくまで自分自身がある程度の年齢に達してのち、静かに自己の来し方を省みて、「人知れず微笑(ほほえ)まん」的に感じ取ればいいことであり、他人の容喙を許さないものだと思います。

 ピンチに陥った主人公へすぐに周囲から救いの手が差し伸べられたら、そりゃあ絵になりますが、そうならなかったからといって、事情を知らぬ他者がみだりにその苦痛せる当事者へ「君っ、人徳がないんじゃないの?」などとは決して言っていいものではないと思います。私の場合は、たまたまその世界ではかなり名の通った人物だったので、かなり傷つけられました。直接抗議することが許される相手とは到底思われなかったので。

 その後、かの乙武洋匡さんがああいう事件の渦中に巻き込まれ、少し救われた思いがしました。「障害者だからと言って何を言っても、あるいは何をやっても許されるというわけでもないぞ!」と(乙武氏は不倫事件が発覚する以前にも、どこかのレストランで問題発言事件を起こされました)。

  なんだか取り留めも無い文面でごめんなさい。やりたい放題、言いたい放題の高森会長父子、とりわけ御子息は、果たして人徳があるのでしょうか?

  彼が字下手で、箸の持ち方も下手なのは脳機能障がいのためであり、その点では、私と事情は全く同じです。私はそれで家人をがっかりさせたり、矯正に苦労したりしました。箸の持ち方は治っても、字が下手なのは相変わらずで、修行先のお寺では御朱印を書かせてもらえませんでした(まあ当然のことですが……)。

  一方、光晴氏といえば、ok様も富山その他の地で御覧になった通りです。彼はああいう欠点を「六十の手習い」で矯正に着手する様子もまるでありません。そして、このまま彼一代の間は高森家も親鸞会上層部も安泰でしょう。どうしてこうなのか? 阿弥陀さまは一体何をみそなわしていらっしゃるのか?凡夫なるがゆえの煩悩的疑問を抱えつつ、生きて参りますが、あなた様の御意見をうかがえれば、幸甚至極であります。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月 6日 (水) 16時00分

結局、人徳の有無とは光晴講師の事を言っているのですか。
タコ焼きを御馳走して、後でお礼状書かなかったのは誰それだとか言った話を聞きました。果たして三輪空だと講演している人の言動ですかね。
阿弥陀仏の本願は人徳に関係なく平等です。
平等なのに、本願を信受できる人と出来ない人と差ができるのは何故ですか。
それは「邪見驕慢悪衆生 信楽受持尽以難」であり、自惚れている人は難しいのです。親鸞会の優秀な講師に特に多いと思います。
なので、不幸な人ほど救われやすいと思います。不幸な境遇を諦観しやすい環境にあるからです。人生の目的さんもリストラにあったり、ののしられたり、発達障害だと言われたり、色々と辛い事が連続した様ですが、そういう逆境にある人ほど本願に近いのではと思います。
光晴講師の様に、会員や講師に威張り散らしている人は、自分は善人様だぞ。俺様の言う事を聞かない奴は許せないぞ。俺様の黄金の特別ワゴン車を追い抜く奴は反省文かけよ。などと頭が高く自惚れた事を言っている人は、ほど遠いと思います。親鸞会のお偉い講師達が右え習えとやってました。
結論から言いますと、弥陀の本願は平等であり、人徳などというものは関係ありません。むしろ耳四郎の様に素直に我が身を反省出来る人の方が早く救われると思います。境遇や優劣も全く関係ありません。それらは各々の業が生み出したものであり、多種多様です。救われてからも1ミリも変わりません。

投稿: ok | 2021年1月 6日 (水) 19時14分

ok 様:

  さっそくの懇篤なお返事ありがとうございます。染み入ります!

〉結局、人徳の有無とは光晴講師の事を言っているのですか。

 まあそういうことですが、強いて言えば、光晴氏はもちろんのこと、彼を含めて、たとい他者から憎まれつつも相当な栄華を誇っている人物を指しております。光晴氏が言い放ったという、
 
  「教えてやろうか?それは私に人徳があるからだ!」

というお言葉も、実は彼一人のものではなく、およそ業縁のあやなしのまま今生ではひとまず成功者としての姿を現じた人すべてが内心にいだく声ではないでしょうか? このお言葉は、やりたい放題の彼を、相当数の人がいまいましげな眼で見るようになったある日、彼が傲然と言い放ったものだと聞いておりますが、ほんとうですか?

  ところで、障がいと立派に闘われつつも、かつて失意のどん底にあった私へ、無理解や偏見に根ざした暴言を吐いた亡き知人。彼の場合は、その真宗への深い造詣・実践とはまた別のところで、こういう声が脳裡を掠めなかったとは言えないのではないか? まあいつかお浄土で、おだやかな気持ちで彼と再会した際、このあたりのことをうかがえるようでありたいです。

  終わりに、懇切な御教導、重ねて厚く御礼申し上げます。なお、光晴氏が講師らへお礼を強要したのはたこ焼きでなくて、タイ焼きでないかという説もあり。どちらが正しいんでしょうね?見事な雑毒の善であることに変わりはないのですが。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月 6日 (水) 21時13分

人生の目的っ様

>こんなどす黒い人間がいくら聞法したところで、信心決定などあろうはずもありません

念仏の信心だけがまことですので、こんなことはないとおもいます。

親鸞会の批判もしましたたが、寺院関係の問題については、親鸞会の指摘にも一理あると考えています。

宗教は人を救うが、宗教組織は人を不幸にする、と感じます。

宗教組織の正義を振りかざし、教義を盾に言葉の暴力を吐き、自分の我欲のまま怒り散らすような職業布教者がいかに多いことか。

よき法縁にあわれることを念じます。

投稿: a | 2021年1月 7日 (木) 08時55分

タイ焼きが正解だと思います。
一番の大事件は、「許してやってくれ」事件だと思います。
近藤真彦が永久追放される様な事をやらかして親の一声で帳消しされた。
その後に、人徳がどうのと発言したのであれば言語道断です。
再研修で顕真学院の最下位の便所掃除以下まで突き落とされて、闡提の心を猛反省して弥陀をたのめば救われていたかもしれませんね。
講師を退会する人も無く、益々威厳ある強権な会になっていたかもしれません。
子を思う親の心が穴となりました。
何よりも仏法が重いと言っていた分、裏切られたという気持ちが大きくなりました。それが煩悩という奴であり、煩悩から離れる事は出来ません。
高森先生が親鸞会で命がけで布教すると宣言しているのも名誉欲からだと思います。命がけの使命感を会員に表す事により、鬼滅の刃の親方の様な威厳が保てるという訳です。そして会の中では絶対的な存在に成りました。その一言により、光晴講師は威を借るキツネの様な存在に成ってしまいました。
柱も親方様が命をかけて鬼を倒すという使命感により、命をかけて戦って死にました。
親鸞聖人が善鸞を勘当した時の気持ちは計り知れません。

投稿: ok | 2021年1月 7日 (木) 09時19分

 a様:

  あ様に続き、今度はあなた様からも心温まるお言葉を賜り、誠にありがとうございます。〈宗教は人を救うが、宗教組織は人を不幸にする〉、心の守り刀とさせて頂きます。

  大谷派のお寺さんでは、まじめなお寺さんであるほど、東京本願寺、すなわち、お東紛争で分離脱退した元の浅草別院をあしざまに罵る人が多い。気持ちはわかります。ただ、日頃から「韓国・朝鮮との連帯を!」とか言っている大谷派さんですが、彼らのいう「偽本山」の「偽法主」、すなわち、元の浅草別院(東京本願寺)に住まう「偽法主」こそ、法主クラスの僧侶の中で、歴史上はじめて韓国人(女性)と結婚しております。

  そういう面では、大谷派は、まだ「偽本山」にも及んでおりますまい。この「偽法主」、神奈川県民ならだれもがため息とともに敬意を払う名門公立高校を出てから早稲田の理工学部に進み、その後はハワイやニューヨークに住まい布教しておりました。ハワイ在住中に不幸にして幸福の科学と出会い、一時は相当な入れ込みぶりでしたが、その後は幸いに目を醒ましたようです。誰か周囲に諫言してくれる人がいらしたのでしょう。これぞ誠の「幸福の科学」です。今でも東京本願寺へ参りますと、彼の文章が冊子で配られており、いろいろな宗教の美点に学ぼうとする人物であることがよくわかります。

  だからこそ、幸福の科学に隙を衝かれたのかもしれません。でも、歩く生殖器以外の何物でもないどこかの二代目善知識サマとはレベルが違います。そして、東六・西六の「浮かれ名」で祇園で遊んでいた彼の御先祖様(こうした偽名は、東西両本願寺の江戸中期の数人の法主が使った)よりもずっとマシです。

  なんだか取り留めも無い文面になりましたが、東京本願寺が高森氏に一度は接触を図り、寺報に何か書いてもらおうとしたのも、「偽法主」さんの真面目な知識欲の現れでしょう。そしてそんな彼を引き留める知恵袋的な人が彼の周囲に確実にいることも結構なことです。

  100%純粋な宗教団体など存在しないことを、馬齢を重ねるにつれいよいよ知りつつあります。「寺は娑婆だ」という、とある大谷派寺院住職のお言葉も今、なつかしく思い出されます。

  江戸時代から続く日本一の歓楽街のそばのバス停に、両本願寺でない某派の東京別院が昔からあります。そのお寺さんが江戸期に金融業を営み、最寄りの歓楽街のお店へお金を貸し付けて大儲けした、その実情を、近年とある女性歴史学者が冊子型の著作の中で鋭くも暴いております。高森氏の理財計画(株をやって失敗)その他のお粗末な世間事も、いつかこういうふうに明るみに出ればいいのに…とひそかに念じております。

  とにかくa様、ありがとうございます!

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月 7日 (木) 10時36分

ok様:

  懇篤なお返事ありがとうございます。なぁに、われわれの心の中にも光晴さんが住んでおります。少なくとも私が彼と同じ立場に置かれたら、彼以上に体力も考えず夜の帝王になっていたものと思われます。

  近藤真彦さん、創価学会2世信者として生を享け、中森明菜さんを精神的に追い詰め、深い傷を負わせております。ただ、その同じ彼がどこかの海水浴場で溺れかかった男の子を颯爽と救い上げ、名も名乗らず去って行ったのも事実であります。これこそ創価学会が説く十界互具の姿そのものではないかと思われます。

   光晴さんにも他人の知らない善なる面があるのでしょうが、明るみに出た言動を見る限り、彼の中の仏・菩薩・声聞・縁覚はまだ冥伏(みょうぶく)しているように思われます。彼が今後、夜の街に生きるシングルマザーたちへお金をばらまき、礼状も求めないのであれば、私は彼に対する一切の批判を辞める用意があります。

  そりゃ原資は会員から巻き上げたお金でしょうが、シングルマザーとその子女の救済という大義に用いられるのであれば、大悪転じて大善となり、騙された(元)会員たちも浮かばれましょう。でもどうでしょうかね?

  とにかく懇篤なお返事、ありがとうございます!

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月 7日 (木) 10時43分

a様、宮川義弘様、皆々様:

  親鸞会の専任講師ばかりが独りよがりな布教(葬儀も含めて)をするわけではないことをふと思い出しました。

  亡き上之郷利昭氏(1936~2006)の往年の名著『東本願寺の変 10年紛争を解く』(サイマル出版会,1979年)には、同朋会の講師が、つまり一般には正義派と見られている改革派の僧侶が、おじいさんおばあさんばかりの集う聞法会で、やおら
  「王舎城の悲劇をどう思うかっ?あなたにとってどういう意味があるか?」
と出席者を問い詰め、答えられない老人を責め立てるという場面がございます。これに対し、責め立てられた側のお年寄りも、「いきなりそういうことを聞かれてもねぇ」と不満を禁じ得なかったことを、上之郷氏へ語っております。当然のことだと思います。

  この本は保守派(東京本願寺ほか「偽本山」)の側に甘いというので、大谷派のお寺では殊に評判が悪いようであります。けれども今にして思えば、上記のような事態は、実際に起こったようであります。

  a様のいみじくもおっしゃった〈宗教組織の正義を振りかざし、教義を盾に言葉の暴力を吐き、自分の我欲のまま怒り散らすような職業布教者がいかに多いことか〉ということは、保守派だろうが、改革派だろうが、特に世間一般には正義派とされる後者にこそ、見受けられたことではないかと…。

  お東紛争といえば、改革派の側に立った落合誓子女史の著作が一般には広く信用されているし、私もこの点ではほぼ異議ありませんが、「正義派なるがゆえの光と影」の影の部分は、今後、お東紛争が歴史の一場面となる過程でもっと検証されてもいいのではないか、と愚見しております。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月 7日 (木) 14時33分

ここで語られている内容は、親鸞会に限らず全ての組織宗教団体に当てはまることばかりですね。
語られている方々も、いろんな方面での体験談を伝えていますし、情報としてはすごく意味深くて貴重で、私もすごく勉強になります。
これだけ内容の濃いサイトは他に知りません。本当にありがたいです。
私も長年の鬱積をここで表現することができ、また、同じような経験をされている方々を知ることができて、心が軽くなりました。
ある意味、権力を持った人間の愚かさはどこでも同じということでしょうね。

投稿: 宮川義弘 | 2021年1月 7日 (木) 16時49分

皆々様:

  私がこれまで幾度か話題に挙げた親鸞会の劇画『青春の旅立ち』では、
終わりに近い場面で、主人公の男子大学生が、ゲバ学生と機動隊員とを前にして西の空を指さしつつ、お浄土の存在を高らかに断言する場面あり。それなりに感動しました。

  でも科学が進み、地球の丸いことが証明され、固定した西など存在しないことが誰にも知られるようになった今、こんな旧態依然たる指方立相説を、高森先生をはじめ、幹部らはたとい口先、筆先だけでもほんとに信じているのでしょうか?

  指方立相説を批判したために、金子大榮師も、野々村直太郎教授も、それぞれ宗門大学の教壇から追われましたが、その後の歴史は彼らのほうが、とりわけ金子師の見解のほうが主流的な見解となっているではありませんか。少なくともお東はそうであり、ついでに輪廻転生説までどこかの有力団体におもねって、ひっこめざるを得なくなっております。

  お西のほうはお東ほどではないにしても、龍谷の教壇で今時真顔で「西のかなたにお浄土があります」などと説く教授はもはや一人もいないのではないのでしょうか? 
  親鸞会の公式見解が盛られたオフィシャルサイト(ただし旧版)におきましても、「自性唯心説」をこんなにも批判している以上、彼らの立場は言わずして明らかだとは思うのですが、この点、実況を知る方々の御証言が待たれます。いかがなものだったのでしょうか?

https://www.shinrankai.or.jp/b/gendai/20100301shinrangakuto.htm
親鸞学徒の本道の要諦

「さらに親鸞学徒が驚いているのは、彼らが「浄土真宗」から「浄土」を外し、今まで後生や浄土を全く説いてこなかった実態である。西方浄土を否定し、弥陀や浄土を観念的にみる迷いを仏説に混入してきたからだ。」

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月 8日 (金) 19時05分

どういう事なのか自分なりに考察してみたいと思います。
先ず、後生の一大事ですが、地獄の存在が問題視されます。
地獄という別世界があって、そこに鬼や閻魔大王がいて、死んだら皆地獄に行って再開するというものではありませんね。
仏教で説く地獄は自業苦の延長であり、死んで体を失っても業力は無くならず、永遠に迷界を因果因果と続いていくという思想ですね。悪しか出来ないので悪道から離れる事が出来ない。阿弥陀仏の強縁に遇えば迷界から離れられるというものです。そして本願名号は実在するという教えです。
西方浄土も、西を目指して進めば極楽に往けるというのではありませんね。実際に西に進めば、地球を一周して元の位置に戻るだけですね。
西というのは、大陽が沈む至極の意味があると思います。太陽は慧日といい、阿弥陀仏の光明を表しています。日光が出れば天が煩悩の雲霧に覆われていても闇が無いと言われています。阿弥陀仏に向かって信心を獲ればという意味かと思います。
10万憶土の仏土を超えてと阿弥陀経に説かれていますが、これも超高速ロケットで宇宙のかなたに極楽があるのではなく、今の私とそれだけ離れた位置に阿弥陀様が存在するという心の状態を表し、念仏を称えていても心ははるかかなたにあって少しも阿弥陀仏を念じる心が無い事を意味していると思います。
この距離を超えて、仏の方より只今救われるという不可思議な体験が信心決定であり、そこまで進みなさいと親鸞会は言っているのだと言いたいのだと思います。詳しい事は何とも分かりません。勝手な考察ですのでご判断願いたいと思います。

投稿: ok | 2021年1月 9日 (土) 11時45分

okさま:

  さっそくの懇篤な御教示に感謝致します。わかりやすい御説明です。思うに科学の世を生きる我らにとって、西方浄土についての納得のゆく説明は、程度の差こそあれ「自性唯心」的にならざるを得ないようですね。

  けれども、そのことを、阿弥陀仏も親鸞聖人も容認したまうことと信じております。また、科学ごときに吹き飛ばされる阿弥陀仏や親鸞聖人ではないとも信じております。

  なお、親鸞会は、人の死後については、断見・常見の両者のうち、明らかに常見に傾いており、この点、さまざまな事情(主として有力な政治団体への遠慮)から、断見に傾いているように愚見されます。お東さんの出版物(カレンダーの法語についての解説冊子)の中で、

   「死後の世界など、まやかしでしかないっ!」
と大見得を切った住職さんがおられました。

  だったら、葬式や年回忌などやるな!と申し上げざるを得ません。「仏法に接する縁として葬式や年回忌を営む」というのは、大谷派さんのよく使うエクスキューズですが、どうもやはり無理はありましょう。

  お東さんのことはさておき、『こんなことが知りたい』のどれかの巻の中で、高森氏は死後の魂(厳密には業識)の存在について、1840年代のアメリカで起きたとされる「ラップ現象を起こした幽霊」をその証拠としています。

  けれども、故意か偶然か……恐らくは故意なのでしょうが……高森氏は、ラップ現象に最初に気づいたとされる少女が、その後、良心の呵責に耐えかねて真相を語った(自身の膝の関節を鳴らしただけ)、ということについては一切触れておりません。とにかく、親鸞会・高森氏の観点は、明らかに常見に傾いているものと思われます。

  以上、取り留めも無い文面でごめなさい。取り急ぎ御礼まで。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月 9日 (土) 13時33分

死んだら全て無くなるという見方と
永遠に変わらない魂が存在するという見方ですか。
両方とも間違いだと言われています。
業流の如く、滝の様に形はあれど猛スピードで移り変わって行きます。
釈迦の説く涅槃の悟りと阿弥陀仏の救済とは同じ様で違い、違う様で同じだと思います。悟りが開けたか開けないかの違いです。
悟りが開けない凡夫が凡夫のまま成仏するほどの一大事はありません。

投稿: ok | 2021年1月 9日 (土) 14時29分

okさま: 

  簡明で染み込むお返事ありがとうございます。まずちょっと上のコメントを訂正…。

「この点、さまざまな事情(主として有力な政治団体への遠慮)から、【大谷派は】断見に傾いているように愚見されます。」

【 】内の主語を抜かしておりました。ごめんなさい。「地獄も極楽も経験したことがないからわかりません」とは、清沢師の名言であり、これがために同時代の大谷派の保守派や、近年では親鸞会から批判されました。でも私に言わせれば、頼りないが正直で、好感の持てる言葉だと思います。

 話半分に聞いておりますが、以前、親鸞会のサイトにこんな話が載っておりました……お東の近代教学を熱心に信奉する人をおじいさまに持たれた若者が、縁あって親鸞会に入り、もちろん当初は、おじいさまやお父上(この人も近代教学の信奉者)の怒りを買ったけれども、月日は流れ、やがて臨終の床に就いたおじいさまは、孫が語る「正しい」真宗教義(実は高森氏の、多分にパクリの多い妄説)に傾耳しつつ、正念のうちに往生を遂げる。

  死に臨んで人間がいかにか弱いか、ということを思い浮かべれば、鬼の首でも取ったかのような親鸞会の書きっぷりに疑念を呈することもできるのですが、私はこのおじいさまを笑えません。高森氏はやがてどんな御臨終を迎えるのでしょうか?
  そして、どう見ても地獄などどこ吹く風の光晴氏は、その強い婬欲ゆえに、死して後、こういう世界へと堕ちてゆくことを少しでもこわいと思ったことはないのでしょうか?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%85%AD%E5%B0%8F%E5%9C%B0%E7%8D%84_ (%E8%A1%86%E5%90%88%E5%9C%B0%E7%8D%84)
(十六小地獄(衆合地獄(しゅごうじごく)),漢文原典は、『大正新脩大蔵経』第17巻33頁上段以下を参照。『正法念処経』巻6の終わりから巻7の冒頭にかけて…

  富山大学の学長ともなられた小沢浩先生はその著『新宗教の風土』(岩波新書,1997年)の中で1章をまるまる割いて、しかも非常に好意的に親鸞会を取り上げていらっしゃいます。その際、当該章のサブタイトルに「真宗原理主義」と付けていらっしゃいます。

  ただ、原理主義だというわりには高森父子が本気で西方浄土や、地獄(とりわけ上記の衆合地獄,性欲強き男専門!)の存在を本気で信じているようには見えません。このあたり、ok様並びに皆様からのおもろうて、やがて哀しき証言が待たれます。

  またしても取り留めも無い文面をここまでお読みくださって、ありがとうございます。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月 9日 (土) 20時43分

本人は絶対に本音を明かさないので何を言っても推測にしかなりません。
しかし、高森さんが後生も因果も気にも留めない一闡提であるとすれば、これまでの彼の行状は全て合理的に説明がつきます。
逆に浄土や地獄や、輪廻や因果を少しでも信じているとすれば、全体として彼の言動の説明がつかなくなると思います。
つまり、高森さんは自分で信じていないことを説法と称して喋っていたということになります。
宗教詐欺と称される所以です。

投稿: あ | 2021年1月10日 (日) 00時11分

あ様:
 
 懇篤でわかりやすい御説明ありがとうございます!〈後生も因果も気にも留めない一闡提〉。なるほど! では高森さんの言うことを信じて「極楽すっきり、往生はっきり、すっきりはっきり、すっきりはっきり」の彼Tさんは、ものの見事に高森氏に利用された、というわけですね?

 彼Tさんが起こした会社は、5年前の時点では存在していたはず。そしてそのオフィシャルサイトには、その会社が手掛けた作品(建築物)が写真入りで載っていたかと記憶しますが、その中に親鸞会舘は見当たりませんでした。御子息もTさんが亡くなった当時は会員だったはずですが、その後は親鸞会に別れを告げたということでしょうか……なんとも切なく、後味の悪い思いが致します。

  取り急ぎ御教示への御礼まで。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月10日 (日) 02時04分

>>高森さんが後生も因果も気にも留めない一闡提である>>

これが阿弥陀仏に見抜かれていた地獄一定の真実の姿なのです。
阿弥陀仏の本願のみが正であり、その他は邪になります。
浄土がある事、地獄がある事は阿弥陀仏の本願が本当だったと知らされれば
ハッキリします。とはいっても悟りを開いた訳ではないので観る事は出来ません
本願が本当だったと疑いが無くなれば、地獄も極楽も間違いないと分かります。
悔しいけれど親鸞会は阿弥陀仏の本願一つを説いているだけだと思います。

投稿: ok | 2021年1月10日 (日) 08時27分

人生の目的っ!様
「往生スッキリハッキリ」の信心が親鸞聖人のご信心と同じかどうかは私にはわかりません。
高森さんは他人を操り利用することにかけては高い能力があったと思います。
また、親鸞会が会員のご家族に迷惑を掛けていたケースは複数耳にしております。義理で会員になってもご家族は冷静なので、親鸞会の本質を見抜かれていることが多いでしょう。

投稿: あ | 2021年1月10日 (日) 10時03分

あ様:

  貴重な御証言ありがとうございます。

さん:「病気が治ったら、今度こそしっかり聞かせてもらうで…」
Tさんの息子:「父さん、もう今度ってことは無いんだよ…」
Tさん:「………」

  以上は、上記の小川浩先生(富山大学学長)の著書からの、記憶による引用です。記憶違いはほぼないものと信じております。この対話が事実ならば、Tさんのみならず、Tさんの御子息もまた、その後はともかく、お父上の逝去前後は、高森氏とその配下の者たちにものの見事に惑わされていた、ってことになりますよね?

  同じく富山大学の学長であっても、梅原真隆師は、盟友の友松円諦が実体としての西方浄土を否定したため、「これじゃ自性唯心だ、いっしょにやってゆけぬ」と、昭和初期に一世を風靡した「真理運動」から脱退なさいました。

  書けば長くなりますが、もしも梅原師が小沢氏に代わって、富山の新宗教を扱う本をお書きになるとすれば、もっと気骨のあることをお書きになったことでしょう(小沢先生の上記の『新宗教の風土』では、もっぱら富山に根ざした新宗教・江戸末期の異安心を取り上げています)。

  取り留めも無い文面でごめんなさい。取り急ぎ、しかし心から御教示を謝しつつ。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月10日 (日) 10時27分

ok様:

 毎度の懇篤な御教示ありがとうございます。立ち入った法義は、時に理解を絶するときがございます。お許しくださいませ。

 私が気になるのはやはり、木村氏(書家)や、紺女史(多年にわたる御用絵師)のような人々のことです。

  この二人の芸術家は、高森氏やその家族に親近する機会が、かの明橋医師や、「兼六」弁護士、先般自死なさったIT会社(ですよね?)の社長並みに多かったか、時として彼らよりも多かったはず。にもかかわらずずいぶん長く与同随逐して来たのはやはり報酬が相当なものだったからでしょうか?

  ただ、木村氏についてはその後反目し、その書道作品を使わなくなった、もしくは使えなくなったと聞きますが、実態はどうなのでしょうか?
「宗教と芸術」というのは大きなテーマです。また、紺女史に話が戻りますが、「人間の実相」図とか、「火車来現」図は、なかなかの出来栄えですが、高森父子は、ほんとはああいうのを信じてもいない、ということですよね?

   およそ御法義と無関係な、程度の低いお尋ねでお恥ずかしい限りです。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月10日 (日) 10時37分

Tさん:「病気が治ったら、今度こそしっかり聞かせてもらうで…」
Tさんの息子:「父さん、もう今度ってことは無いんだよ…」
Tさん:「………」

ここの部分が要だと思います。
聴聞を重ねたら助かると思っている・・・・これが自力の心
病気が治ったら・・・いつまでも死ぬ事が無いと思っている=闡提の心
「・・・」   何も聞いて来なかった。助かる縁がない奴だ=宿善開発
「往生ハッキリスッキリ」   ただだった本当だった=信心決定

投稿: ok | 2021年1月10日 (日) 10時44分

ok様:

  わかりやすい、素敵な御説明ありがとうございます! でもまさか、だからといって、親鸞会の「教義」が肯定されるってわけではありませんよね?

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月10日 (日) 12時18分

悔しいけどその様になってしまいます。
だとすれば闡提の心を抱えた状態で盲目的に聞き続けろって事になりますよね。
それは非常につらい事であり、辞めたくなるのが当然です。
実際に辞めてしまい世間を相手に働く事にしました。
親鸞会に洗脳されたくないので、疑いの心を忘れずに少しづつ聞く事にしました。
最近の親鸞会は居心地よくなってますが騙されてはいけないと思います。
きっと組織の中で苦しんでいる人が沢山いる筈です。

投稿: ok | 2021年1月10日 (日) 13時33分

人生の目的っ!様

>この対話が事実ならば、Tさんのみならず、Tさんの御子息もまた、その後はともかく、お父上の逝去前後は、高森氏とその配下の者たちにものの見事に惑わされていた、ってことになりますよね?
文面通りだとすると、高森さんの教義に沿ったやり取りになっていますので、その時点では高森さんに惑わされておられたように思います。

西方という具体的な方角は、私としても象徴的なものと理解するしかありません。
地下を掘っても地獄はなく、ロケットで上昇しても天上界がないのと同じです。

以下、横からです。失礼します。
親鸞会の立ち上げには海月氏という書家が関わっていました。
海月氏は親鸞会最古の会員です。
海月氏の逝去後、氏の書を使用することにご家族の許可が得られず、すべて撤去されたと聞いています。
(実際会館からも出版物からも全て無くなりました)
代わって突如現れたのが泰山氏です。
最近の泰山氏がどうなったか私は知りません。
そもそも、会員だったかどうかも不明です。
海月氏の書は素晴らしかったのですが、泰山氏のは海月氏と比べてしまうと軽量級と言わざるを得ないですね。
親鸞会も色々無理していると思います。

投稿: あ | 2021年1月10日 (日) 19時27分

ok様:

 居心地がよくなったというのは、もはや見真学院も存在せず、コーヒーも飲んでよくなったということでありましょうか?たしかに……
 ただ、2009年(平成21年)の『とどろき』のどれかの号に載っていたイラストに、若い講師から「わかりましたか?」と言われて、素直に「わかりました!」と答える老夫婦が描かれていて、何とも暗澹たる気分に陥りました。あれから10年以上。「わかりました!」と答える老夫婦はもっと増えていることでしょう。こんな状態がもうあと数年、高森氏が世を去るまで続くのでしょうか。


あ様:

  貴重な情報と細かな御分析ありがとうございます!「つくべき縁あらばともなひ」とはうかがいますが、海月さんの御遺族と会との間にそのような確執があったとは初耳です。

  もとより人の不幸を念ずるなどあるまじきことですが、やがてやって来る紺女史の御逝去ののち、彼女の御家族が親鸞会との間にどのような関係を築くのか、あるいは破棄するのか、相当に強い関心を寄せざるを得ません。

 お二方、意を尽くさぬお礼の言葉をお許しくださいませ。どうか今後ともよとしく御教導のほど。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月10日 (日) 22時25分

あ様:

  上の方であなた様には御心配をおかけしてしまい、重ねておわび申し上げます。繰り返しますが、既に後半生に入って久しい今、とにかく御縁ある限り聞法につとめますし、それを助けてくださる御縁にも幸い恵まれております。どうかこの点、御安堵ください。
  禅を中核とする瞑想には、ある御縁で相当にかかわっており、それなりの知識を得ているし、知人(多くは寺院住職をも兼ねた学者です)も多いほうですが、決して瞑想にのみ迷走することはありません。この点、どうか御心配なく。

  あなた様によく似たお名前のa様からは、〈宗教は人を救うが、宗教組織は人を不幸にする〉という、さながら光を放つ名剣にも比すべきお言葉を賜りました。
  上にも申し上げたように、私こと、一種の障がいを負っているので、むやみにいろんなところに顔出しして、常連さんとの間に軋轢を生ずることを深く恐れます。決して貧弱ではない今現在の法縁を大切にして参ります。よろしゅうございますか? 
  このブログの主、ぶるうの様が脱会ののち奥様とともに華光会を尋ねた際に出くわした不快な思いに勝る不快な思いを、私も相手方も味わうものと憂慮されるのでございます。

  ところで、こんな言葉がいま、ひさびさに脳裡をよぎりました。

  「わが子は、たとい親鸞会を辞めて目をさましてくれても、貴君の見るところでは、そんないわば【聞法ジャンキー】になってしまうのですか?ああっ……」

  ずっと昔、あの「家族の会」の幹部的なお方とお目に掛かった際、そのかたの息子さん(優秀な大学院生)がめでたく迷いを覚まし、無事親鸞会をお辞めになったとして、さてどういう道を歩まれるか、予測を申し上げたことがあるのです。それで私、

  「ひとたび真宗のおみのりに触れたら、形式的にどういう宗教的立場に属しようが(その親子の菩提寺は禅宗でした…)、やはり依然として真宗の法を求めずにはおられますまい」

と率直に申し上げたのでございます。

 むろん大多数の脱会者が、仏教も真宗ももうこりごりと、二度と信州のお寺へ向かうことがないという現状も承知しておりましたが、その親子の場合、お子さんが親鸞会に出会ったきっかけが近しい御親族の死であり、しかもその亡くなられた御親族は、仏教方面の造詣のひときわ深いお方だったとのこと。こうなりますと、無事脱会したとして、やはり弥陀の強縁は免れますまい。

 私と会ってくださった、上記の「家族の会」の幹部的なお方は、社会的な地位もあり、しかも唯物思想(仏教でいう断見)を心底信じていらっしゃるお方でした。だから、その息子さんがたとい脱会したところで、この社会的にはエリートともいうべきお父上(が脳裡に蓄えた思想信条)からは到底救いを得れらないだろうな……と心ひそかに思ったことでございます。
 家族から【聞法ジャンキー】と見なされるか、カルト脱会後の建設的で有意義な精神的リハビリと見なされるか、運不運も分かれるように思われるのでございます。

  その息子さんはその頃、見真学院ゆきをお父上に反対されるやいなや、「道を求めたいんだ!」と叫びつつ、身を傷つけることも厭わなかったとのこと。彼は親鸞会のすべてが虚偽だったと誰の眼にも明らかになった今、どうしていらっしゃるでしょうか?

  こんなにも多くの真面目で優秀な若者の人生を台無しにして、高森父子もその取り巻きも、良心が痛まぬのでしょうか?ほんとうに、あなた様の仰せのとおり、親鸞会の最高幹部らは〈後生も因果も気にも留めない一闡提〉です!

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月11日 (月) 11時00分

人生の目的っ!っさんもコーヒー禁止令を知ってますか。
あれは昭和60年頃の話でしたよね。
寒い中、駅で缶コーヒーを飲んで暖を取っていたらいきなり怒られました。
これにはさすがに頭にきました。コーヒー飲む人は救われないのかと反論しました。高森先生が飲まないというから飲むなという事でした。
その他似た様な禁止令に、タバコや酒を飲むなというのがあり、懇親会や宴会は牛乳で乾杯してました。これにも腹を立て、恐る恐る一人でキャバレーに行って2万円とられてしまい後悔しました。一方地元ご法話では1万円出せば施主になり前の方で聴聞出来ると言われて素直に1万円を出しました。世間に使うお金は悪で親鸞会の為に使うお金は善だという理屈です。
今でも相変わらず牛乳で乾杯しているみたいですが、コーヒーは逆に注文までとってすすめている有様です。

投稿: ok | 2021年1月11日 (月) 12時16分

ok 様:

  懇篤なお返事ありがとうございます。私は1998年(平成10年)初夏、横浜アリーナで開催された大型法話会にて、コーヒーが出されているのを(有料だったか無料だったかは忘却…)確認致しました。

  私こと実は生まれてこのかた富山へ行ったことはなく、もっぱら研究者として、観察者として、同年以来、ずっと親鸞会を見つめて参りました。とりわけこの16年間というもの、某本山(真宗にあらず)での半年近い修行期間を除けば、このブログをはじめ、いくつかの重要サイト・ブログをほぼ毎日閲覧して参りました。もはや人生の一部と申し上げても過言ではないと思います。

  私が学んだ大学院では、先生や諸先輩(多くは寺院住職か寺族)が新宗教の研究を私ども学生に対し、創立以来厳しく戒めており、それで何か論文のたぐいを発表したことは一度もありません。また、今後もたぶん無いと思われます(学術界と少しでもかかわっている間は…)。

  そうですか、キャバレーへ行かれましたか。シングルマザーの多い女性たちへ、大変な功徳を施されましたね。心より御尊敬申し上げます。光晴氏ならばそういう点ではもっと功徳を積めるでしょうが、彼の場合、すぐにお礼を要求し、超弩級の「雑毒の善」となることでありましょう。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月11日 (月) 13時14分

キャバレーの次はスナックに行きました。カラオケデュエットしてボトルを入れて言われるままにしていたら25000円の請求がきました。残ってるブランデーを飲みに行き、飲み干したらまた新しいボトルを開けられて高額請求を受けました。バブル絶頂期だったので色々な所に行きました。ディスコは最高の楽しみの場でした。朝方まで低額で飲み食い踊って楽しみました。次はフィリピンパブにはまりました。ここでは貧しいフィリピン人と仲良くなり、相当貢物をしてきました。
酒飲むな、世間事は悪だ、タバコ吸うな、コーヒー飲むな、仏教以外に金使うななどと私生活まで支配しようとする親鸞会はカルトだ糞食らえと逃げてました。ああいうカルトから離れてもっと楽しく生きようと決めました。もともと宗教団体が大嫌いな私でした。親鸞会ほど居心地の悪い場所はありませんでした。震えがゾッときます。ロボット人間の集まりだと思いました。
なので親鸞会が言う事を認めざるを得ないのは悔しい限りです。

投稿: ok | 2021年1月11日 (月) 13時35分

KIZUNA会とかいう、2世会員を引き留めるための組織が造られたのだとか。漢字では「絆」と書きますが、この漢字の意味はあまりポジティブなものではなく、「主人がペットや家畜をつなぎとめる」という意味です。2世会員は親鸞会にとってペットや家畜なのでしょうか?こんなところにも、彼ら幹部の本音が滲んでいるかのようです。

せめてENISHI(縁)会としてほしかった。そもそも「絆」っていうのはちょうど10年前の東日本大震災の際に、一般のNPOさんが多用した言葉です。親鸞会の宗教団体としての矜持や独自性はどこへ行ってしまったのでしょうか?

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月11日 (月) 19時20分

ok様:

  夜の街での武勇談、まじめな興味とともに拝読致しました。〈貧しいフィリピン人と仲良くなり、相当貢物を〉なさったとのこと。フィリピン人といえば90%以上がカトリック教徒、しかも相当に熱心な信徒であり、色や春をひさぐ女性は、特にその傾向が強いと聞きます。
  若き日のあなた様の支援は、きっと彼女らへ良い思い出を残していることと信じます。室津の遊女へ説法した法然上人も嘉(よみ)したもうことでしょう。見かけの清潔さだけを追う親鸞会は、こういう人々やそこで働く女性たちを会員として受け容れることはありますまいが……彼らこそ正客なのに!

 ちなみに、あのモルモン教では、お茶もコーヒーも駄目なくせに、コカ・コーラはOK。というのも、大管長や十二使徒と呼ばれる最高幹部らが神に祈った結果、OKだという神託が下ったからなのだそうです。〈高森先生が飲まないというから飲むな〉というのでは、親鸞会はモルモン教並みの外道ということになりますよね?

  またしても取り留めも無い文面ですが、私の意のあるところをお汲み取り頂ければ幸甚です。御自身を裸にしての貴重な御証言ありがとうございました!

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月12日 (火) 01時52分

親鸞会がカルトなのは、高森会長の教えていることが根本的に間違っているからで、教えは正しいなんてことはありません。
okさんの高森会長に対する認識には賛同できません。

投稿: JSS | 2021年1月12日 (火) 07時07分

JSS様:

  なるほどとうなずかされます。とはいえ、カルト経験とは、悪い結婚詐欺しに騙された経験にも比すべきものであり(浅見定雄教授のお言葉)、悪を悪と認識しつつ、自己を騙した詐欺師に対し、少なからぬ被害者が目を醒ましてのちも、時としてなつかしさを感じてしまう……カルトの唾棄すべき点は実にここにあるように思われます。

  ところで、あなた様御自身はいかにして高森会の過ちに気づかれ、そして今現在は、どのように聞法していらっしゃるのですか? それとも仏教も真宗ももうこりごりという感じでいらっしゃいますか?

  なお、私自身の認識は……世の中に組織として完全無欠な宗派もなければ聞法団体(例えば華光会さんなどの)もない、ただ、法を語り合うに足る師友は広い空の下に確実に存在する、というものであります。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月12日 (火) 10時49分

20数年も会員を続けてきて、ある時疑問に思うことがあってネットを調べてみてびっくりです。
カルト教義の三本柱が、指導者への絶対服従、堕地獄の恐怖、そして善の勧めです。
この3つは真宗教義とは真逆であったことがわかり、退会というより追い出されたわけです。

地獄一定の意味も知らずに、それが知らされるのが機の深信のように未だに言っている人がありますが、お聖教を読めと言いたいです。

投稿: JSS | 2021年1月12日 (火) 11時02分

指導者への絶対服従は拒否してきました。そんな事など出来ないわ。
必堕無間も全く思ってもいません。  が因果の道理を聞かされるとその様になります。そして二つの心があると畳掛けます。これには参りました。
善のすすめはその通りだと思いますが。  お布施しろ。破邪顕正しろには素直に従えませんでした。
まあこんな感じで素直に会員を続けてきました。うるさく騒ぐ担当講師には「うるさい」と態度に出さずに炎上して無視してきました。
そして親鸞会から離れた生活を続けてきたのですが、教えられた仏教から離れる事は出来ませんでした。なので悔しいけどと言いました。
フィリピンパブは最高に癒される場所でしたが、片言に話をしなければならないのですが、その話す内容がどうしても仏教の話になってしまうのです。有無同然や無常の話や因果の道理や心常念悪の話など、世間事に照らして何気なく話していました。そういう話が好まれたのかただカモにされたのか、また来てねと言われてまた言って指名する。3000円で入って返りには12000円になっている。それでも惜しみなく通い仏教じみた話を面白おかしく話してました。
湾岸戦争に参加しなかった報復でフィリピン人が来日できなくなり、フィリピンパブは絶滅してしまいました。アメリカは人身売買だとこじつけましたが、日本に来るために必死で日本語を勉強して、稼いだお金を殆ど母国に送金しており、今の日本人よりもよほど苦労して努力している姿が印象的でした。
その様な社会勉強を重ねて親鸞会から聞いて来た事を振り返ると全くその通りでしたので悔しいけどと何度も言います。仏教の教えが全部嘘で自分が正しいのであればざまあみろと親鸞会を見下してやれるのですが、仏教に間違いはなく、間違っているのは自分の方なので文句も言えませんです。渋々仕方なくカルトに付き合う事にしました。

投稿: ok | 2021年1月12日 (火) 13時31分

因果の道理は、善のできる善人に対しての教えです。観経で言えば、上輩の善人に対して因果の道理を信じるという散善を勧められています。中輩には因果の道理を信じる散善はなく、もちろん下輩には善すら勧められていない。この基本中の基本が抜けていると親鸞会のカルト教義の善の勧めに騙されるわけです。
ちなみに、倫理道徳の善は、真宗でも大いに勧められますが、それと定散二善との違いがわからないのが親鸞会です。
因果の道理どうのこうの言っている人は上輩の善人ですから、一般庶民とは違う偉いお方です。

投稿: JSS | 2021年1月12日 (火) 13時44分

ok様:

  室津の遊女らへ説法した法然上人や叡尊律師を拝する思いです。光晴さんも夜の街で散財なさったようですが、財施のみで法施がないのだから、あなた様の偉業に比すればものの数にも入りません。下品ついでにうかがいますが、特殊なお風呂屋さんへは行かれなかったのですか?

  ああいうお風呂屋さんで働く女性らを対象とした職探しサイトを覗いたら、お店で出くわした体験を語るという長寿コラムあり。あるとき、「寺の娘」を自称する女性が、お店の同僚女性たちの迷信深さ、とりわけ幽霊を根強く信ずる姿を慨嘆していらっしゃいました。「そんなもん(幽霊)いるわけないでしょ。亡くなった人に失礼だわ」と。

  この「寺の娘」とは、明らかに真宗寺院の娘さんであり、業縁のあやなしのままに特殊なお風呂屋さんで働くこととなったのでしょう。仏法はし(知)りさうもなきものが知るぞ」(『御一代記聞書』末第166条)という蓮如さまのお言葉はやはり千古の真理かと拝されます。

  薩摩藩の統治下、琉球では真宗が禁じられておりましたが、それでも辻遊郭に生きる女性たち(この遊郭は女性の手によって経営されていた)が、あらゆる手を尽くして教えを伝えたと聞きます。あなた様がかつてフィリピン女性たちへ語ったお言葉が、何らかの形で実を結ぶことを念じてやみません。

  そりゃああなた様が彼女らに語ったことの多くは、親鸞会や高森会からの受け売りだったかも知れませんが、でもそんな毒性の強い内容ではなかったですよね?そう信じております!

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月12日 (火) 15時34分

JSS様:

  あなた様のハンドル名の由来は、ひょっとしてJapan Skeptic Societyにちなむものですか?「カルト教義の三本柱」を(1)指導者への絶対服従、(2)堕地獄の恐怖、そして(3)善の勧めだと喝破なさったのは全く同感であります。善の勧め自体は結構なことですが、その「善」がくせものなのですよね?

  安斎先生の御著書は、監修なさったものも含めて、私も5冊まで所持し、折々愛読しております。ただ、先生の共産党への賛同の意を感じないわけには参りません。その共産党は、私が上の方で引用したように、信徒、おっと党員向けの『哲学教室』の中で、 

 「後に続く人々へ希望を寄せつつ、最後まで革新者としての本分を尽くして死んでゆくのみ」

とか書いてありました。でもこれだけじゃ満足できない人も多いだろうし、私の存じ上げてる被害者家族の会の元幹部のお子さんも、その一人かと思われます。

  その人は、お母様(元幹部さんの亡き奥様)の死が機縁となって、死への不安に取りつかれてしまったのです。お父上は優秀な学者さんでしたが、彼女を満足させられそうな答案は、彼自身にも、彼が支持する政党、具体的には共産党にも十分には準備されていないものと思われました。

 この点、JSS様はどうお考えになられますか? 深い敬意を込めつつ、うかがう次第でございます。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月12日 (火) 15時44分

人生の目的っ!さん

JSSは、数十年前にO講師が親鸞会の飛行機を描いてその尾翼にJALを真似て書いたものです。
Jodo Shinshu Shinrankai
私は
Jodo Shin Shu
のつもりです。

さて安斎氏のことは良く知りませんので、コメントは控えます。

投稿: JSS | 2021年1月12日 (火) 16時42分

フィリピンパブで語ったのは受け売りではなく、自分が感じている事や思っている事を素直に話しました。
親鸞会の講師が気に入らないのは、いつも高森先生の言った事の受け売りしか話さない事です。金まで出してわざわざ飲みに行って受け売り話を話しても少しも面白くありませんからね。
人生で思っている事や感じた事を素直に話すとそれをちゃんと聞いてくれました。仏教の話だとは言いませんし、キリスト教は邪教だという話もしません。
特殊な風呂屋は友達とつるんで吉原へ何度か行きました。とても刺激的でいつまでもいい気持ちに浸る事が出来ました。しかし、回数を重ねると次にどうなるのか読めますので楽しくなくなりました。ああいう店に五万円も出すのがアホらしくなりました。楽しい事も仏教を聞いていたせいで白けてしまいました。高森先生の説法が憎らしく脳裏を横切り罪悪感で白けてしまいました。
やはりフィリピンパブが一番楽しかったです。

投稿: ok | 2021年1月12日 (火) 17時36分

ok様:

 わが身を裸にしてのお返事、恐れ入ります。浄土宗の信徒ばかりで恐縮ですが、明治以前では最大の往生伝、『近世往生伝』では、全5編の最終編最終巻最終話で、孤燈という僧侶を扱っております。はじめは増上寺でまじめに勉学していたが、突き上げる性欲を押さえかね、買春を重ねているうちに奉行所に逮捕され、八丈島へ流される。このあたりが浄土真宗でない僧侶のつらいところです。
 島では現地の女性と結婚し、2女に恵まれ平和に暮らしていたが、老いた母からの手紙が届き、慚愧の果てに島内の山の洞窟に籠り、法然上人のお出迎えをも得て、念仏往生を遂げる、というお話であります。買春は感心できないけれど、それでも買春したぐらいで往生が遮られるものではない、世俗の倫理道徳を越えた宗教の風光が、編者の俊雄上人の手でさりげなく描かれております。
 買春したわけでもなく(そんなお金もありますまい)単に疲労の果てに高速道路を逆走しただけのあの専任講師さんならば、この孤燈法師の場合と同様、法然上人なり、親鸞聖人なり、あるいは阿弥陀さまが親しくお出ましになり説法なさって当然。それを何ですか、「臨終に観音菩薩の説法に逢う」だなんて!

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月12日 (火) 19時47分

JSSさま:

  立ち入ったことをうかがい、失礼いたしました。飛行機の尾翼ってことは
「行く先の決まっていない飛行機、燃料が切れるまで飛び続ける飛行機」のたとえ話をした時のことでしょうか?なんだかその場面が目に浮かぶようでございます。
  なお、安斎先生の本は、先生と同じ思想をいだく、被害者家族の会の元幹部のかたから勧められ、今に至るも愛読しております。
  

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月12日 (火) 20時39分

JSS様:
 たびたび恐れ入ります。安斎先生、安斎育郎先生は、上記のJapan Skeptic Societyの重要なメンバーでいらっしゃいます。
 そして、家族の会の元幹部さんもこのグルーㇷ゚には深くかかわっておられ、唯物無神論を啓発しつつありました。その対象に選ばれたのが時あたかも親鸞会に深く傾倒しつつあったお子さんであります。この事態は、双方にとって不幸であったとしか言うほかはありません。
 

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月12日 (火) 20時44分

将来の親鸞会を絵にした展示会が親鸞会であって、そこに聴聞バスならぬ聴聞飛行機の絵があったというだけのことです。
被害者家族の会には一度呼ばれて参加したことがありますが、安斎氏のことは聞きませんでした。

投稿: JSS | 2021年1月12日 (火) 20時45分

JSS様:

  上の方でも申しましたが、別のこの元幹部さんに限らず、彼らはわが子が目を醒ましてのちにはもう【聞法ジャンキー】になど二度となってほしくないとお考えのかたが多いように拝されました。

  しかしそれは、あなた様のような親鸞会を憎みつつも、真摯に真宗の真義を求めんとする人々にとってはありがた迷惑なことでありましょう。あなた様は、被害者家族の会にはどんな印象をお持ちになられましたか?

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月12日 (火) 22時45分

私は信者の兄を通してしか親鸞会を知らないのでよくわからないのですが、そもそもなぜみなさんは親鸞会に入会したのですか?察するに、親鸞会は批判しているが真宗は信仰している、という感じです。
わざわざ親鸞会に入会する意味は何だったのですか?伝統的真宗と何が違うのですか?
その、入会したくなる魅力? 必要性? それがわかりません。
伝統的真宗に満足されているのなら、あえて親鸞会に入会する必要はないと思うのですが、これは外部からしか事情を知らない私の感想です。

伝統的な教えに飽き足らないから親鸞会のような宗派が生まれたのではないでしょうか? これはあくまで私の推測ですが・・・

それと
阿弥陀仏や西方浄土に関する解釈の違いによる議論もあるようですが、
そもそも、親鸞が生きた時代は鎌倉時代で、戦国時代であり、戦や飢饉などで多くの死者が溢れ、世の中はまさに地獄のようなものだったと思われます。
当然、民衆は救いを求め、そこから阿弥陀仏による救済や、死んだら極楽浄土に行けるという希望を与えたことは必然的な成り行きだったと思えます。当時の民衆はその教えに感動したのでしょう。その時代では親鸞の教えは民衆の心に訴えただろうと思います。

問題は、その教えが現代でも通用できるか? 役に立つか? ということだと思います。物質科学が発達した現代では無理があると思いますが・・・
ただ、現代でも死の問題は不確定です。科学はまだ死を知りません。だから死後の世界の有無について議論されるのです。死がわからないから、そこに付け入る隙があり、一般的には葬式の時にだけ仏教に接するという状況になり、それで葬式仏教となります。
後生の一大事も、ようするに死後の世界の問題でしょう。


西方浄土・・・なぜ、西か? という議論もありますが、
親鸞が生きた時代、外国とは中国がほとんど全てであり、文化や宗教は中国から来ていて、中国は西の方角にあります。そして仏教発祥の地はインドで、それも西にあります。
つまり当時の人々は、西にある中国やインドを仏教の理想の国と見ていたのではないでしょうか? 憧れの地、桃源郷のようなもの、として思っていたのでは?
もう一つは、太陽は西に沈み、そして夜・闇になる・・・ つまり、死後の世界のようなもの。そして、死後に救われたい、という思いから、西にある死後の世界に憧れを持ったのかもしれませんね。

投稿: 宮川義弘 | 2021年1月13日 (水) 08時32分

被害家族の会や会員のご家族の方は、親鸞会に入る人の気持ちが理解できないのだと思います。
それはやむを得ないことでしょう。
厭離穢土欣求浄土は、過去も現在も変わりません。この苦しみ穢れた世界から抜け出したいというのが、仏教の出発点です。
インドにおいても西方浄土ですから、外国を理想の国という見方は間違いになります。
親鸞会に入った人の中には、絶対の幸福なる究極の快楽を求めている人もあるかもしれませんが、そうでない人もいます。

投稿: JSS | 2021年1月13日 (水) 09時41分

宮川義弘様、JSS様:

 それぞれに考えさせられるお言葉、ありがとうございます。私もまた富山へは一度も行ったことが無く、いつの日か富山射水で廃墟と化した親鸞会関連施設を眺め、それから、日本有数の規模だというムスリムのコミュニティーをも見てみたいと念じております。宮川様のおっしゃる〈親鸞会は批判しているが真宗は信仰している、という感じ〉の一人といってもよいでしょう。少なくとも大きな好感を寄せていることは否定できません。

ただ、真宗と無縁の地域や時代に生れた人が「救われなかった人」であるなどと考えてはいけないことはよく認識しております。さもなくば、ダンテがその『神曲』の中で、キリスト生誕以前に生れた善人が行く場所として「リンボ」なる架空の世界を描き出したのと同じ愚を犯すこととなりましょう。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月13日 (水) 09時51分

インドで仏教とキリスト教が融合して西方浄土思想が出来たという論文をどこかで読んだ事があります。
仏教で説く涅槃は自我を消し去るという教えであり、人々は死んだら天国に行って永遠に生きられるというキリスト教に寝返りました。
それを防ぐ為に天国を極楽と名付け、イエスの生まれたエルサレムを西方浄土となずけて、全知全能の神を慈悲の塊のアミターバと名付けて古い仏教感を一新させたとその論文には書かれていました。
更に中国で、死者の霊を敬う儒教と融合して、葬式仏教が完成して日本に定着したと続いています。
その論文に書かれている内容は説得力がありますが、親鸞会はその思想を全面的に否定します。阿弥陀仏の本願は無始よりあるが、神様は人間が作り出したお粗末なものだとと言います。しかし、神もありてあるものだとユダヤの者は弥陀の本願と同じ様な事を言います。果たして超元始にさかのぼれば、仏教もキリスト教もイスラム教も、元が同じ宗教になってしまうのでしょうか?
騙し騙される様な単純な宗教理論ではないと思います。

投稿: ok | 2021年1月13日 (水) 10時14分

キリストは韓国出身だとか、日本人のルーツはユダヤ人と同じだ、という説もありますので、玉石混交の説を一々論うのも愚かしいことです。
因果の道理を信じながらフィリピンパブ巡りに勤しむ奇特な方は、一般庶民とは境涯が違います。

投稿: JSS | 2021年1月13日 (水) 10時30分

JSS様,ok様:
 それぞれに味わい深い、私にとって大きな指針となるお書き込み、誠にありがとうございます。〈因果の道理を信じながらフィリピンパブ巡りに勤し〉んでしまうのも業縁かと思われます。これは社会的階層のいかんを問わないことかと存じます。
 問題はそうした経験の中から何を学び、昇華させるかということかと存じます。私もお金があれば、若き日のok様や、もっと事情が許せば光晴氏のように振る舞ってみたかった。しかしそうするだけの御縁がなかった。
 めぐり合わせ次第で誰もが洗脳されてしまうのは、さして魅力的な男性とも思えぬ人物にほれ込んでいる正真正銘の姫君(泡姫ではなく…)の場合とて同様でございます。改めて高森氏のような者が再度生まれることなきよう、研究しなければなりますまい。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月13日 (水) 10時42分

結局は、親鸞会の存在理由、それが生まれた原因と、西方浄土の方角にこだわる理由はわからないままで、それ以上に立ち入ると真宗の教義の基本そのものを揺るがしかねないのか・・・ 
やはり各個人の解釈で様々な考えがあるのなら、独自の解釈で他人を説き伏せようとする第二、第三の親鸞会が生まれる可能性は捨て切れません。
仏教全体を見ても多くの宗派があり、その各宗派にも多くの派閥があります。
東本願寺やら西本願寺やら・・・
徒党を組み、カルト化することは必然なのでしょうか・・・
オウム真理教も、信者に高学歴者が多いというのは重要です。彼らは既成の宗教に満足できず、社会への不満を持った人たちで、入信の動機は純粋だったでしょう。サリン事件以前はマスコミもオウムに対しては好意的でした。
救われたい人たちの受け皿として、こういう組織は必要とされ、これからもいろんな団体が生まれてくるように思えます。

人生の目的っ!様の云われるように、「改めて高森氏のような者が再度生まれることなきよう、研究しなければなりますまい。」というお気持ちは大切だと思います。
王道の真宗の教えを信仰されるのであれば、親鸞会を反面教師とする資料として、その検証をする必要はあるのではないか、と思われます。

投稿: 宮川義弘 | 2021年1月13日 (水) 12時28分

宮川義弘様:
 私自身どこの真宗寺院の門徒でもありません。また、特定の左翼的思想にややもすれば加担しがちな両本願寺、とりわけお東さんのお寺で自分の葬式をやってもらうのは、霊魂とか業識とかいうものがあるとすれば、いかにも厭わしい感じが致します。
 お東の有力者はよく左翼的な言辞でもって皇室を批判するが、そういう自分の寺がそもそも世襲ではないか?と。それに私自身、上のほうでも申し上げましたが、そもそも某宗派の爵位(住職資格)があり、学界とかかわりがある以上、現状維持で参ります。とは申せ、お念仏とそれが意味する浄土思想には、自己の身分の変遷にかかわりなく、今後も敬意と共にかかわってゆくこととなりましょう

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月13日 (水) 13時50分

 かつて熊本だか山梨だかのオウム教団施設の外に「オウムからの決別/これが新たな人生へのスタートだ」とかいう巨大な立看板が、これ見よがしに設置されていたように記憶しております。私のような第三者の目にも押しつけがましく、上から目線に思われました。少なくともこれを読んで社会復帰しようと思うオウムの忠誠なる信者はいくらも現れないだろうと思われました。

 それからオウム家族の会の当時の副会長さん(文学にも造詣深い高校数学教師)が、オウムに入信した子息へ与えた書簡を拝読しましたが、「人生の意味を知りたければドストエフスキーの✖✖を読め!」うんぬんと高圧的なものでした。

  不幸にして御子息はお父上ほどの俊敏な頭脳はお持ちでなかったようで、ますます殻に閉じこもり、オウムで出家。その後いちおう脱会して帰宅したものの無理な激しいアルバイトが災いして帰らぬ人に…。親子って難しい!そして北風と太陽の寓話を改めて思い起こします。きっと親鸞会会員さんの御家庭でも似たようなことがあったのではないかと思われます。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月13日 (水) 15時38分

私の友人にもオウムに入信した者がいます。実際、ラジニーシの弟子たちもラジニーシの団体から離れてオウムに入信した人は多かったです。その頃はまだオウムは危険視されておらず、若者の新しい宗教という形で受け入れられていました。
麻原はほとんどラジニーシからそのスタイルを真似ています。だからオウムとラジニーシはほとんど同じもののように受け取られたのも仕方がないかもしれません。
オウムの信者にラジニーシの元弟子が多いから、同じように見えるのは当然で、上九一色村のオウムの施設の強制捜査が行われた時は、ラジニーシの弟子も同類の者たちと疑われ、各テレビニュースもそのように報道しました。
とんだ、とばっちりです。マスコミがいかに勝手な思い込みと決めつけで報道するのかが、その時よくわかりました。
そもそも麻原は、自分が世間から受けた虐待に復讐したくて権力的組織集団を作ろうとし、そのためには宗教団体の教祖になることが一番手っ取り早い、ということをわかっていました。

そこからわかることは、宗教団体の教祖になりたがる人間は、本質的には麻原と変わらないということです。ようするに人を支配できる権力が欲しいだけです。それは親鸞会に関してもみなさんのコメントから教祖の高森氏に対して同じように感じます。

この欄の最初にあるok様の「説かれているのは真実の教えであり、その真実の仏教を聞かせて頂いているという自覚が根本にあり、素直に従うより仕方ありませんでした。実際にその教え自体は間違いありませんが、宗教法人の運営という体制に問題があり、箱物に資金を投資しすぎたのが致命傷だと思います。」という言葉が問題の核心なのでしょう・・・
教義自体が間違いでないのなら、組織を運営する人の人間性の問題になります。そうなると、どうしようもないでしょうね。教祖になる、ということ自体が間違いの始まりだと思えます。

投稿: 宮川義弘 | 2021年1月13日 (水) 16時50分

教えは正しいが組織運営する人間性の問題というトリックに多くの会員が騙されました。OKさんなんかは、その典型です。
教えが間違っているのです。
だから、法論はいつでもどこでも受けると公言しながら、実際は言い訳をして法論から逃げまくりです。理論的に破綻しているから、会長も講師も退会者を怖れている有様です。
OKさんのような中途半端な親鸞会批判が、会員の心情をよく表しています。

投稿: JSS | 2021年1月13日 (水) 17時50分

JSS様:

  あなた様の御意見に同調致します。ok様のお気持ちも理解できますが、この際大いに「偶像破壊」してくださればよいが…とも念じております。
  「どんな実がなるかでその木の良し悪しが分かる」というのは、たしか『聖書』の文言だったかと記憶しますが、だとしたら、『聖書』の専売特許にしておくのはもったいない。JSS 様は現在も引き続き御聞法のように拝されます。いささか立ち入ったことですが、東なのか西なのか、それ以外の真宗十派なのか、まともなお寺さんでの御聞法をへてどういう境地が開かれたか、ぜひお差支えなき範囲でお聞かせくださればと念じております。

宮川義弘様:

  麻原某は御指摘のように、主としてラジニーシ師を模倣したほか(鵜の真似をする烏ですが…)、桐山靖雄の阿含宗による教団経営手法をも学んだと聞いております。なおまた、もっと以前、1980年代前半には西山祥雲氏のもとで、もっと根本的な、しかし非常にゆがんだ宗教観を培っております。高山文彦氏がその労作『麻原彰晃の誕生』の中で描かれたように、若き日の彼は「宗教は弱い人をターゲットにするんですね…わかりました」と言いつつ、目を妖しく光らせたのだとか。取り留めも無い文面ですが、私や他の皆様に頂いた言葉のプレゼントへのせめてもの返礼でございます。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月13日 (水) 20時52分

人生の目的っ!さん

仕事が忙しいのとコロナ禍で、最近は聞法はできていません。西も東も無く、良い布教使ならば所属に拘りません。
私は高森会長の教えを全て捨てて他力信心を頂きました。因果の道理云々とバリバリの自力信心の人が哀れです。

投稿: JSS | 2021年1月13日 (水) 21時01分

  見かけ以上に死臭の漂う親鸞会の歴史の中でも、とある会員がおばあさん2人を北陸のどこかの路上でオートバイではねて死なせてしまった事件は誠に胸が痛みます。その会員はたしか会の会合に急ぐ途上にそういう事故を起こしたとうかがっております。人生をかけるに値しないパクリや謬見ばかりのカルトに身も心も金も捧げた挙句、交通事故の加害者になってしまったというのでは、おばあさんたちがおいたわしくてなりません。むろんそのまだ若かったであろう会員もです。
 日航機事故以前は最大の飛行機事故だった雫石事故において、加害者とされた自衛隊機のパイロットさんはその後、救難飛行で多くの人を救いつつ定年を迎えたと聞いております。親鸞会会員による上記の交通事故はしかし、あの凄惨な雫石事故に比してすら、どこにも救いがないと感じております。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月13日 (水) 21時05分

JSS様:

  不躾な私の質問に対し懇篤なお返事誠にありがとうございます。つまりあなた様は、因果をかるがると乗り越え吹き飛ばす、弥陀のお他力を感得なさったということなのですね。羨望に堪えません。ただ、あなた様にはあなた様の花が、私には私の花が咲くものと信じております(この表現は、稲垣瑞剣師のお言葉をかなり拝借…)。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月13日 (水) 22時29分

皆々様:

 唐突ですが…明橋医師に次ぐ真生会病院のスター医師は、1万年堂から著書を出した女性眼科医師でしょうか。スマホの普及により、今後も目を悪くする人は激増しこそすれ、減ることはありますまい。でも彼女も明橋医師もいわば長良川の鵜飼いの鵜にひとしく、せっかく稼いでも結局は鵜飼である高森家に収奪されてしまうわけですね?彼らの生きる意味ってなんでしょう。

 真生会病院の医師たちが親鸞会から解放される道が一つだけございます。ズバリ、イスラム教改宗です。病院の眼と鼻の先のモスクへ行き、イマーム(導師、パキスタン人のはず)を前にして
  「アッラーのみが神であり、ムハマドはアッラーの使徒」
と誓約する。あとは自動的にサウジアラビアの慈善財団が万一の場合の債務を肩代わりしてくれるはずです。ただし、親鸞会をも含む仏教に回帰したら、殺されても文句は言えません。
  「メッカ―(正しくはマッカ)は邪教だけかね?」

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月14日 (木) 11時32分

  『青春の旅立ち』、すなわち親鸞会の劇画では、日ごろ左翼理論を自ら信じ人にも信ぜしめんとしていた学生組織のリーダーが左折トラックに巻き込まれてあっけなく「肉の塊」と化したことが記されており、左翼思想、唯物思想が死後の問題に答えてくれないことへの不満が表明されています。
  それで思い出されるのが、亀井勝一郎氏の『ある心の自叙伝』の一場面です。非合法時代の共産党員であり、東大生だった彼が、とある老工員からの「共産党では南無阿弥陀仏はどうなっておりますかな?」との問いを、他の党員らとともに無知だ、ブルジョア思想だと嘲ったことが、後悔懺悔の筆致で描かれております。
  それで、被害者家族の会の元幹部さんへは、『青春の旅立ち』を差し上げました(私から示されるまで存在御存知なかった由)が、あれから読み込んでくださっただろうか? さもなくばお子さんがどうして親鸞会に走ったのかも本当の意味で理解するのは困難ではないかと思われました。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月14日 (木) 20時12分

私は学生運動を中学生の頃にニュースで見ていた世代で、いまだにあの騒ぎは何だったのかよくわかりません。左翼理論もわかりません。私の兄はまだその運動世代の影響を受けたみたいです。
兄が親鸞会に入ったきっかけは、歎異抄の中の「善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや」という言葉に感銘を受けたから、と言っていました。自分は悪人なのに、それでも救われる、ということに心を動かされたみたいです。それで、同じ共感してくれる仲間が欲しくて親鸞会に入信したのでしょうね。
兄は私とは異母兄弟で、母からは前妻の子という嫉妬からずいぶん虐められて育ちましたし、私は側でそれを見てきましたから、兄の何かに救いを求める気持ちはわかります。そんな育てられ方をされたので自分を悪人だと思っているのかもしれません。それに親鸞会がどう応えてきたのかはわかりません。

投稿: 宮川義弘 | 2021年1月14日 (木) 23時33分

宮川義弘様:

  取り留めも無い私の書き込みへの御芳答ありがとうございます。新宗教評論家としてかつてはよく知られた室生忠氏はその著作『若者はなぜ新・新宗教に走るのか』の中で一章を割いて親鸞会を取り上げております。
 1984年当時、20代後半だった若者数名が主たる取材対象となっておりますが、その時点でとあるシンクタンクに務めていた生活感あふれる女性、たしか28歳だったかと記憶します(書籍そのものはトランクルームに預けており、いま手許にございません)。
 この女性は、高校生の時、母親を癌で失い、新しい母親(父親の後妻)との軋轢にも苦しまなかったわけではなかった……と室生氏へ答えております。この女性は、あなた様の兄上さまよりは若い世代に属するかと思われます。なお、私がかつてご縁を頂いた被害者家族の会の元幹部さんも奥様を喪い、お子さんにさびしい思いをさせたと慚愧しておられました。
 誰が悪いのでもないのです!そういう心に傷を負った人を鴨にする親鸞会やその他カルトが悪いのです!ただその元幹部さんについては、せめてお子様とは左翼思想抜きで語り合って頂けたらよかったのに……という思いがないわけではありません。と申しますのも、亡くなられた配偶者が仏教文学には相当に通じた御方であり、お子さんが親鸞会に捕まってしまったのも、下地がなかったわけではないからであります。
 しかるに、父親であるその方の奉ずる思想は、そのお子さんの疑問に答えるだけの力を書き、単に「人類の進歩に尽くし、満足と共に無に帰するのみ」だなどと説くばかりです。ほんとに思い出してもやる瀬ないです!

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月15日 (金) 00時45分

生活感あふれる女性 → 清潔感あふれる女性 です。
疑問に答えるだけの力を書き → 疑問に答えるだけの力を欠き

ミスタイプです。ごめんなさい。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月15日 (金) 00時48分

およそ学習能力に欠けているのが親鸞会の大きな欠点の一つです。ただ、時局柄、願わくはこんな愚挙を繰り返さぬように!

http://sayonara1929.txt-nifty.com/blog/2011/06/post-6495.html#comment-142852925

 さて降誕会、報恩講というと思い出すつらい思い出があります。当時私は親友部の保育部でした。
 92年秋に風疹が流行、子供部屋では病児保育はしていないため、子供が風疹にかかったら、母親も聴聞をあきらめざるを得ない。
 やがて報恩講の時期。そこでどうしたと思います?3階のある部屋を風疹の子を預けるへやにしたのです。母親が交代で保育するというものでしたが、その悲惨さ。全国から顔中の赤い発疹、熱でぐったりした子供たちが何人もつれてこられていたのです。母親たちは「来れてよかったね」と喜びあっていました。わが子を心配する人なんていたんでしょうか。
 私は、汚い話ですが、トイレで吐きました。思い出して吐きました。そして泣きました。「ごめんね、先生はあなたたちをまもれなかった」涙と吐いたものでぐじゃぐじゃでした。今もそのことを思い出すとつらくなります。親鸞会行事の時期になると思い出します

投稿: カーリー | 2011年6月20日 (月) 18時22分

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月16日 (土) 01時28分

それは酷いものを見てしまいましたね。
杜子春の話にたとえると、信心決定する為ならば我が子を犠牲にしても構わないと講師に言われ、言われる通りに病気で苦しむ我が子の事を顧みずに富山まで連れて来たという話ですか。
杜子春の話では、親を犠牲にしてでも仙人になる道を選んだならば、即刻お前の命を奪ってやろうと思っていたと最後に仙人が言い残しました。
火の中かき分けて聞け、信を獲るならば身を捨てよ。などと厳しい事を言われますが、果たして、ハイ分かりましたと素直に聞く人が救われる人なのでしょうか。とても疑問に感じます。真実の為に悪を行えと言われて行う様な人は救われる人なのでしょうか。サリンを地下鉄に撒いてこいと言われて素直に従う人は救われる人なのでしょうか。
一歩間違うととんでもないカルトになるのが親鸞会ですね。オウムとさほど変わりませんね。絶対服従せよと言われてロボットの様に服従する人はカルトの人ですよね。私はそういう操り人形のロボットには成りたくないと親鸞会から離れてきました。恐ろしい宗教団体だと思い続けています。

投稿: ok | 2021年1月16日 (土) 11時54分

人生の目的っ!さま、宮川さま okさま 皆さまこんにちは

「安心問答」「親鸞会を脱会した人へ」のブログ運営されている宮田秀成さんが明日17日に桜嵐坊師のYou Tubeチャンネルにてライブ配信します。某教団について語ろうです。もちろん親鸞会のことですね。質問してくださいとのことですので是非ご視聴ください。
https://shinrankaidakkai.hatenablog.com/entry/2021/01/15/213348

投稿: すずめ | 2021年1月16日 (土) 12時02分

博多でけんてつ と豊田商事の殺された永野会長と同じエレベーターに乗ったことがある

吉村も永野の友達の岐阜の菊池もいたなあ~
金の亡者 極悪人が狭い空間にいっぱい

今から思うと刺激的な瞬間だな

あの時辞めてつくづくよかったと思う
あの頃けんてつの異常性に気づく者が少なくて…

投稿: K | 2021年1月16日 (土) 12時30分

Kさま:

  10年を超える粘り強いお書き込みに心より敬意を表します。あなた様のお書き込みにより、はっと目を醒まされた方もさぞ多い事でしょう。この際私が願ってやまないのは、このお書き込みを今少し増補なされ、光晴氏や徹晴氏が父親とともに、どのように永野会長とかかわっていたか、御証言頂きたいということでございます。

  永野会長といえば、大阪南・北はもちろんのこと、琵琶湖湖畔の不夜城でも豪遊され、お店を24時間借り切って、なんと「催して来たら交わる」というお盛んぶりであったことが、伊藤麻貴著『楽園の女たち―ソープランド街・笑いと涙の物語』(1990/12/1)なる文献に明記されております。

  もはや当時のことを知る、しかも勇気をもって語ることのできる関係者はあなた様ぐらいでないかと思われます。この点、ぜひ御証言あらんことを。「1980年代前半の光晴さんはまだ新婚当時で、家庭人としてはまじめだった」という通説を覆す、実に貴重な証言となりますから。

  いまだに親鸞会のパッチワーク教義に囚われてしまわれていらっしゃる、幾人かの人々にとっては、私生活をも含む高森家関係者について、徹底した偶像破壊、いわゆる「鬼神からの解放」(平野修師の名著から拝借)のあることが望ましく思われます。これは決して☝から目線の思いで申し上げているわけではありません!

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月16日 (土) 15時12分

永野会長・・・ウィキペディアの情報によれば、殺されたのは32歳で、その時の所持金は700円ほどだけだったとか・・・哀れな人生ですね。
親鸞会はこんな人間と関わっていたのですか。
詐欺の被害に遭われた人たちは本当にかわいそうです。ほとんどが老人だったとか・・・
この永野会長も宗教団体を作るつもりだったとか。
やはり似た者同士は共鳴して集まるのでしょうね。

投稿: 宮川義弘 | 2021年1月16日 (土) 23時20分

高森顕徹について知らなかったので、ウィキペディアで調べました。

高森 顕徹(たかもり けんてつ、1929年 - )は、富山県氷見市生まれの宗教家、浄土真宗親鸞会会長。龍谷大学専門部卒業。

まだ生きているのですか?生きているとしたら92歳か・・・

1929年、富山県氷見市の本願寺末寺に生まれる。
1945年、大日本帝国海軍海軍飛行予科練習生。特別攻撃隊に志願しているが、所属基地や配属されていた部隊は公表されていない。
敗戦で復員。龍谷大学専門部に進学(時期不明)。
龍谷大学で増井悟朗師から「仏敵」(著者:伊藤興善師)を頂き信心決定を目指す。
18歳の時に信心決定(阿弥陀仏から揺るぎない信心を得ること)したと自称している。
1952年、徹信会(現・宗教法人浄土真宗親鸞会)を創立。
1970年、浄土真宗本願寺派の僧籍を離脱。
1980年代には西本願寺と幾度も宗義論争を繰り広げている。

・・・18歳の時に信心決定(阿弥陀仏から揺るぎない信心を得ること)したと自称・・・
これがくせものですね。自称ですから。個人的体験は他人には計り知れません。何とでも言えます。
後は、それを他人に押し付けてきたわけですね。これが絶対に正しいのだ、と・・・
個人的な感想は、戦争体験がこの人の出発点になっているようで、古い世代で当時の狭い日本の仏教界しか知らないという印象です。つまり視野が狭い。顔を写真で見た印象も、頑固者で人に説教をしたがる傲慢さが感じられます。話が通じる相手ではないみたいな、人を威圧させるものを持っています。
私的には関わりたくない人間ですね。

投稿: 宮川義弘 | 2021年1月17日 (日) 09時10分

親鸞会を新興宗教団体だと思っていましたが、1952年創立とはまあまあ古いですね。私が生まれる前ですか・・・
長い仏教の歴史から見れば新しいでしょうが、
そもそも親鸞会という組織が生まれる原因は、本家の浄土真宗がだらしないからではありませんか?

投稿: 宮川義弘 | 2021年1月17日 (日) 10時22分

宮川様:

  高森氏はまだ御存命です。また、そのお姿と肉声とは、会のオフィシャルサイトで見ることができます(https://shinrankai.jp/kouen12)。弟子が黒板に描く亀の絵を笑い飛ばし、いかにも傲慢です。また、9分間に5回も差別用語「め✖✖」を連発しています。二三の視覚障がい者団体へも通報しましたが、「宗教家の講話は糾弾になじみませんので」という主旨のお返事でした。
  ほかにも、彼は大沼法竜師の法話をさんざんパクっていますが、大沼師御自身が生前、異端的僧侶と見なされていたためか、御遺族は騒ぎになるのを恐れてでしょう、立派な著作権侵害なのに、今に至るも告訴する御様子を拝しません。彼は人徳があるのでしょうか?ある意味大変な幸運児です。ラジニーシ師のように、生前、迫害を受けずに済んだのですから。意を尽くしませんが、以上の内容が御参考ともなれば幸いでございます。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月17日 (日) 12時08分

宮川様:

 高森氏は例の18歳の折の信心決定が「火を見るように明らかだった」と誇称する一方で、伊藤康善師へは「会報をお寄せ頂き、【次第に】その迷雲も晴れました」などと述べております。
 狂信的な支持者はこの【次第に】という言葉が古典にあっては「~するやいなや」という意味があることを利用して、高森氏を弁護しておりましたが、どうにも無理がございます。
 ちなみに伊藤師のお嬢さんへ若き日の彼はほのかな恋心をいだいたようですが、彼女の心は、高森氏の先輩で先年死去した増井悟朗師へ向かっておりました。失恋をバネにとてつもない事をやらかしたという点では、同じく若き日の池田大作氏や大川隆法氏と並び称すべき偉人ではありましょう。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月17日 (日) 13時39分

人生の目的っ!様

とても参考になります。親鸞会とはどういうものかが少しわかってきました。
高森顕徹について上に書いた年表から私が推測すれば~
1945年、特別攻撃隊に志願・・・ここから一種の攻撃的な、熱狂的な性格が窺えます。たぶんここで自分の死を覚悟したでしょう。国のために死ぬ、と・・・ そのまま死ねずに終戦を迎えたため、その後は何も怖くなくなったのでしょうね。そういう人は無鉄砲な人生を生きるようです。
そして、
1952年、徹信会(現・宗教法人浄土真宗親鸞会)を創立。
この時、まだ23歳の若さです。それから現在までずっと組織のトップに君臨し続けていることになります。そりゃあ傲慢になりますよ。
ある意味、凄いことでもあります。他の誰も彼を倒すことができなかった、ということが・・・
オウムの麻原と同様、この人にも何かのカリスマ性があったのでしょうね。70年も権力の座に座り続けていることは、何か人を引き付ける力があるのでしょう。人を迷わす力と言ってもいいです。まさにカルトの要因を十分に持っています。

投稿: 宮川義弘 | 2021年1月17日 (日) 14時36分

追記・・・

1929年、富山県氷見市の本願寺末寺に生まれる。

なるほど・・・
ようするに、浄土真宗の世界しか知らず、その世界だけで生きてきた、というわけですね。
その外側の世界も、他の宗教も、全て浄土真宗を基準に見ている、ということでしよう。
私からすれば、生きている世界が、知識の範囲があまりにも狭い、つまり、小さな世界の中のお山の大将、という感じです。

投稿: 宮川義弘 | 2021年1月17日 (日) 18時07分

宮川様:
 ほぼ正確な御観察と仰がれます。強いて申しますと、高森氏はお母様の連れ子でありました。お寺の跡目は当然のことながら異母兄が継がれたのですが、高森氏は大学まで出してくれた御継父にあまり感謝することもなく、むしろ寺を継げぬことを怨みに思い、多少は仏教知識もあったので、学生服のまま京都の街角で辻説法したら、相当に受け(てしまっ)たのであります。ここにすべての根源がございます。宮川様の兄上さまも、ひょっとして高森氏のうえに自己と同じ匂いをを認めたのかもわかりません。
 なお、高森氏のお母様を在日朝鮮人と決めつける人が以前はネット上におりました。ただ、私の調べた限りでは、昭和4年(1929)当時の富山の真宗寺院はとてつもない階級社会であり、そのような女性が後妻さんとしてであれ、寺院に嫁げるような余地は全く認められませんでした。以上、御参考ともなれば幸甚でございます。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月17日 (日) 20時53分

師匠が師匠なら弟子も弟子。
https://www.youtube.com/watch?v=JQEQ4Yrm35M
「片目のサル」を社会の主流に、「両目のそろったサル」をマイノリティーに
なぞらえています。主旨は理解できますが、今や片目の達磨が視覚障碍者団体からの強い抗議にさらされる、そういう社会情勢をば、この講師はこんな若い身空でまだお気づきでないようです。それとも今や病篤しと聞く高森氏のお眼鏡に、それでも彼は叶いたいのでしょうか。

投稿: 人生の目的っ | 2021年1月18日 (月) 02時08分

親鸞会の僧侶の誰かが「インドは仏教の国だ。」と言っていましてが、それを聞いた時点でこの人の知識の薄っぺらさがわかりました。

投稿: 宮川義弘 | 2021年1月18日 (月) 08時53分

宮川様:

  厳密には親鸞会には僧侶はおらず、「お寺」と言おうものならどやされるありさま【だった】とうかがっております。教祖がお寺を継げなかったことから来る怨念は幹部全体に瀰漫しておりまして、法衣ふうの衣装で会員の冠婚葬祭をやったり、納骨堂を経営したりしています。
  会員の中にも物故者が増えると、遺族は家族本来の菩提寺にそういう物故者の冠婚葬祭を委ねるに至り、新興宗教はその分収入を喪います。そこで創価学会も立正佼成会も、ここ20年ほどは、会員向け冠婚葬祭、とりわけ葬式の充実に腐心して来たのであります。宮川様がおっしゃった〈葬式は最大の霊感商法です〉とは、実に千古の真理かと仰がれます。
  そう、それから、あなた様が〈死んだらどうなるかは、死を体験した人、つまり、実際に死んだ人にしかわかりません〉というお言葉も、その正直さゆえに強い共感を覚えます。ラジニーシ師もこんな御方に御著書を日本語訳されて、さぞ喜んでおられましょう。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月18日 (月) 12時36分

https://shinrankai.jp/kouen12

高森さんは、開口一番「人身(じんしん)受け難く 今すでに受く」
とおっしゃるけれど、人身事故でもあるまいに、正しくは「にんじん」じゃないの?と思います。「真生会(しん【せい】かい)」は、かりにも仏教精神を謳う以上、より正しくは「しん〔しょう〕かい」だろうし、「あんしん弁当」はどうして思い切って「あんじん弁当」と言えないのでしょうか?世間を見下しつつ、世間に迎合して儲けようとする。「1万年堂」ではなく「一万年堂」にすればいいのに。洋数字と漢数字の違いに過ぎませんが、意味するものはやはり大きく異なってくるはずです。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月18日 (月) 14時22分

人身をじんしんと読むのは、「本当はにんしんと読むが聞き間違えないように」と高森さんは言っていました。「にんじん」ではなく「にんしん」と言っていました。
あんしん弁当の安心は安心決定ではなく食材や衛生の安全安心でしょう。実際は雑なことをしていますがね。

投稿: あ | 2021年1月18日 (月) 19時28分

あ様:

 簡明な御教示、誠にありがとうございます。とても参考になります。

〉実際は雑なことをしていますがね

 以前、同社のオフィシャルサイトで、スタッフ各位の紹介の中に「猫が好きで好きでたまりません」という男性スタッフがおりました。

 「前世は猫だったのではないか」と語る高森会長に喜んでもらいたい一心だったのでしょうが、彼はしかし調理の現場に立つ人なので、猫が大好きというのは「書かずもがな」のことと思われました。食事中にうんこの話をされるようなそんな気分が、少なくとも私はしましたよ。

 「人身(にんしん)」ということですか。連声(れんじょう)で「にん〔じ〕ん」となるでしょうに、やはり彼は連れ子さんの哀しさ、正確な読み方は習わなかったのですね?

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月18日 (月) 20時57分

https://www.youtube.com/channel/UCRp2YGsneVzODT0t2knBcWg/videos
(仏教きみチャンネル)
https://ja-jp.facebook.com/kimiyo.miyamoto.79
(フェイスブックのトップページより)

海外生活の長かった女性による仏教講話の数々。親鸞会の匂いがどうにも漂って参りますが、どんな方なのでしょうか。誰にだって食べてゆく権利はある。明橋医師にも、光晴講師にもです。とはいえ、どうにも気になります。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月19日 (火) 10時26分

https://www.youtube.com/watch?v=cOoH5HBB64U
医療と仏教✳️医療現場で見た生死の実相 ブッダの教えを知りました。命の儚さ♡by仏教キミちゃんねる

この年齢よりはるかに若く見える男性小児科医師は、真生会病院の医師ではなさそうです。「キミちゃん」はよい信者を得られたことと思われます。この医師は仏教系の高校をお出になったとのことで、なまじ仏縁があったが、専門の知識を欠いていたがゆえに、彼女のような邪師(失礼!)に出会ったしまったのでしょう。一切は縁だというが、邪師に出くわすのも縁なのでしょうか。

 ちなみに、私がかつて学んだ私立高校は医師の子弟が多く、中には傲慢が服を着て歩いているような者もおりました。そういう者に比すればて、見るからに謙虚なこの医師には強い好感と敬意とを禁じ得ません。それだけに、彼が邪師に出会ってしまったことを案じないわけには参りません。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月19日 (火) 11時08分

http://sayonara1929.txt-nifty.com/blog/2017/11/post-0d65.html
K島T子
京都女子専門学校(引用者注:現在の京都女子大学,土井たか子女史母校)
投稿: | 2017年12月 1日 (金) 21時34分

池田大作氏初恋の人「三宅さん」(創価学会初期信徒の娘,大作氏を座談会に誘う)
大川隆法氏は東大在学中、意中の人へ小包でラブレターを送るが半年後、便箋一枚で拒絶される。

……「大疑あってこそ大悟あり」とは悟りを開いた禅僧に関して、よく聞く言葉ですが、カルト教祖の場合は、ひどくゆがんだ形で発展を遂げるもののようです。
 このK島T子さんという女性が、華光会の増井師の奥様となった人でしょうか?すると伊藤康善師のお嬢さんというのは? このあたり、事情を知る御年輩の元会員さんによる証言が待たれます。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月19日 (火) 12時01分

人生の目的っ!様

紹介されましたYouTubeを見てみました。確かに親鸞会の匂いが漂いますね。特に下のものなど、後半にはほとんど高齢の女性たちが傾聴しています。

https://www.youtube.com/watch?v=uhQBj8Cg8Cg

私が知っている親鸞会の話し方に近いです。
問題は、ここで語っている教えが本家の浄土真宗と何が違うのか?ということです。それが個人的に知りたいことですね。
私の直感ですが、一般的な仏教知識の持ち主ならこの話に納得させられ、仮にこの人が親鸞会の会員だとしたら、そのまま親鸞会に入会してしまうでしょう。そもそもこういう会合に参加する時点でその危険があります。つまり、ただでは帰れない、ということです。

一番の問題は、一般的に知られている仏教の知識が非常にあやふやではっきりしないことだと思います。
仏教とは何か? 「仏」とは何か? 「悟り」とは何か? 「救い」とは何か?
それが明確でないから、この人のように断言的に話すことに対して反論できず、説得されてしまうのです。
阿弥陀仏を持ち出した時点で、私としては聞く気になれませんが・・・

投稿: 宮川義弘 | 2021年1月19日 (火) 12時06分

〉阿弥陀仏を持ち出した時点で、私としては聞く気になれませんが・・・

宮川様のお気持ちは、深く理解できます。思えば以前頂いたお言葉の中にも、〈結局、阿弥陀仏とは、その人の本当の姿、隠されている可能性、なのではないでしょうか?直感を信じる~心の声を聴く~ つまり、心の声はあなたの中にいる阿弥陀仏の声、と捉えたらいいのではないですか?〉とあり。私もこれまでの生涯で、これほどまで明晰にお念仏や阿弥陀仏を納得のゆく形で教えて頂いたことはありません。改めて御礼申し上げます。

 そしてこのお言葉を、「南無釈迦牟尼仏」(禅宗)とか、「南無妙法蓮華経」(日蓮宗)とか「南無大師遍照金剛」(真言宗)とかへも応用して参る所存でおります。
 親鸞会にはたしかに「真宗原理主義」(富山大学学長でいらした小沢浩氏の言葉)という側面があり、表向きは今も「指方立相説」(西方浄土)を固執しておりますが、そんな思想は早晩破綻するでしょう。現代人にそのまま説いて、誰が信ずるでしょうか?
 現代に在っては、まともな人間(高森氏は例外か…)なら、誰が浄土や阿弥陀仏を説いても所詮はいわゆる「唯心の浄土・己心(自性)の弥陀」という側面を持たざるを得ないように愚見されます。

 それはそうと、この「いちごの里」(http://www.ichigonosato.jp/)の経営者さん、ほんとに無防備だと思います。田舎の人の善意を悪用するとはほんとに彼女も罪深い。その報いは現世では来なくとも、次の世では…と思わざるを得ません。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月19日 (火) 13時00分

宮川様:
  誠に釈迦に説法でございますが……戦後の浄土真宗は、諸般の事情で、「輪廻転生」を否定はしないまでも、公の場では語らなくなりました。これに対し、高森氏は事実上、お西教団から追放されたので、その立場をむしろ全面的に活かして、戦前まで各地のお寺の法話で説かれていたやや陳腐な法話を引き続き、しかも【ご自分の勝手な解釈をも交えて】説くようになり、こんにちに至っております。いわば彼は「裸の王様」なので、わずか9分の間に差別語「め✖✖」を5回も連発しても、誰も諌める者とていないのでございます。
 輪廻転生については、東西両本願寺、とりわけお東は「断見(死んだらそれまでよ~)」に傾く傾向があり、「死んだらどうなるの?」という御門徒からの質問に対しては、「そういうことを考えること自体迷いだっ!」と答える御住職が私の知る限り少なくないようです。
 一方、高森氏は反対に「常見(死んでも霊魂あり)」にどうにも傾いております。取り巻き連が何と弁護しようが、彼は初期の主著『こんなことが知りたい』の中で、1840年代、ニューヨーク州の寒村で起きたとされる「ラップ現象」を取り上げ、死後の霊魂の存在を証拠付けるものと見ております。ちなみにこの現象については、関係者の娘さんが後年、懺悔とともに真実を語っています、「膝の関節を鳴らしてただけです」と。
 親鸞聖人が龍樹菩薩の言葉を借りて「正信偈」の中でおっしゃっているように、「有(常見)無(断見)を離れる」のが本来の仏法ではないかと拝されます。別に親鸞聖人でなくとも、まともな仏教の高僧はきっとそうおっしゃることと存じます。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月19日 (火) 14時47分

更新が止まったもん太さんのブログ「イミズム」では、親鸞会の新しい会館が落成し、仏壇開眼がなされるたびに、「うるわしい女性の手でするすると除幕」などと書いていました。女性を讃歎しているようで、無意識の中では軽んじている表現だと思ったことです。

さて、女性講師とおぼしい方のなさっているyoutubeチャンネルにあっても、
例えば、
https://www.youtube.com/watch?v=Sl76ViY2lRI
(9秒目,「美人アシスタント」)
をはじめ、この女性講師さんは一度ならずアシスタントのことを「美人✖✖」とおっしゃっている。お気持ちは理解できなくもないが、上記のもん太さんとやはり同じ過ちを犯しているように思われます。

これはしかし個々人の問題というよりも、宮川様が上の方で鋭くも指摘なさったように、組織の体質として「女性蔑視の立場」に拠っているからでありましょう。〈みんな、女から産まれているのに~〉という宮川様のお言葉を彼らへ聞かせてやりたいものです。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月19日 (火) 16時25分

人生の目的っ!様

「死んだらどうなるの?」という御門徒からの質問に対しては、「そういうことを考えること自体迷いだっ!」と答える・・・
一見してそれは論理のすり替えのように見えます。つまり質問にまともに答えていません。こういう答え方は個人的には嫌いです。
 
 輪廻転生については、実際にブッダの過去生を説いた本生経(ジャータカ)という経典もあります。有名な話では、飢えた虎のために自らを犠牲にした話などがあります。

 私自身は霊魂の存在も輪廻転生もあるという考えです。そもそも霊魂とは何かということですが、ざっくり言えば生命エネルギーです。
 
人生の目的っ!様は前にも取りあげられましたが、こちらの~
 「1840年代、ニューヨーク州の寒村で起きたとされる「ラップ現象」を取り上げ、死後の霊魂の存在を証拠付けるものと見ております。ちなみにこの現象については、関係者の娘さんが後年、懺悔とともに真実を語っています、「膝の関節を鳴らしてただけです」と。」

 これは1848年3月にニューヨーク州西部のロチェスター市郊外の寒村に住むフォックス家に起こった「ハイズビル事件」というスピリチュアリズムでは有名な心霊現象です。科学的な捜査が行われ、心霊現象は嘘ではないことが立証されましたが、その後、この現象を起こしたフォックス姉妹を利用して見世物にして金儲けをする者が出たりして、フォックス姉妹は世間で有名になり、それを信じる者と疑う者・トリックだと主張する者が対立します。そしておっしゃるとおり、後年、懺悔とともに真実を語り、「膝の関節を鳴らしてただけです」と言われていますが、

ウィキペディアによれば、

 「それから約1年半後、マーガレットは暴露の内容の撤回をした。当時の彼女の貧困状態や、姉とのいさかいの中での情緒不安定な環境に乗じて申し入れて来た反スピリチュアリズム派の者からの金銭がらみの申し入れに応じたことなどを告白した。また、その後、生涯通じて彼女ら(マーガレットとケイト)は、この現象について事実であったと主張し続けた。」
 とあります。
 霊能力者が世間から詐欺師扱いを受けてバッシングされるのは今も同じですね。
 あなた様がこれを信じるかどうかは自由です。ただ、私は一応日本で手に入るスピリチュアル、心霊的な本はほとんど読んだつもりですし、このような現象はいくらでもあります。ただし、嘘・デタラメも多いです。その見分けは難しいし、だからと言って、一つのデタラメだけを取り上げて全ての現象を否定するのは間違いだと思います。

 心霊世界を科学分析的に学ぶのであれば、神智学を勉強するのは必須です。神智学を知らずに霊魂や死後の世界を否定するのは愚かです。ただ無知なだけです。他には、シルバー・バーチや、シュタイナーなどがいます。江原さんの言っていることも霊的には真実ですが、非常に初歩的なところに留まっています。それは彼も一般大衆には完全に理解されないことをわかっているからです。

 そもそも神智学はインドのヒンドゥー教、バラモン教を基礎に西洋向けに生まれた神秘学で、その知識の基はバラモン教にあり、ブッダは修行期にバラモン教を学んでいます。
 つまり、インドの本来の仏教にはそのような霊的な知識も含まれていますが、日本に伝わる過程でそれがどこまで正確に日本の仏教に伝わったかは疑問です。むしろ神道にそれは伝わっているような気がします。


 

投稿: 宮川義弘 | 2021年1月19日 (火) 17時25分

宮川義弘様、皆々様:

 このすばらしいブログを長年にわたり御運営のブログン主さんは大谷派のお寺の御住職ゆえ、言葉を選びつつ書かねばなりませんが……「今生で差別される、もしくは障がいを負ったのは前世の業の報いだ」というのは、今の日本の仏教界では禁じ手であり、親鸞会と創価学会・日蓮正宗・顕正会の法話のみが今も依然としてこのような差別的思想を平然と説いております。
 私自身も自分以外の他者から、私の障がいを前世の業の報いだなどと言われれば、やはり立腹を禁じ得ません。とはいえ、そのことと輪廻転生の真偽性とはまた別の問題だと考えております。
 さて、「ハイズビル事件」につきましては、安斎育郎先生(東大卒)のお書きになった一連の著作で、これまで一面的な見方ばかりして来たと反省しております。これらの著作をお勧め下さった方が、この親鸞会の被害者の会の草創期の幹部さん(某旧帝大卒)でいらっしゃいます。
 その御方は親鸞会に迷うお子さんを説得する際にも、安斎先生の著作を御活用なさったけれど、そのお子さんは、2007年の時点では依然として親鸞会の活動に没頭しておられました。亡くなったお母様が、唯物論者のお父様とは対照的に仏教文学方面に造詣の深いかただったので、健在する男親さんがいかに優秀で社会的に相当な地位があろうとも、亡き女親さんのほうからの影響のほうが大きかったのでしょう。
 社会主義時代のモンゴルの革命博物館には、チベット仏教やチベット医学がいかにインチキであるかを、社会主義リアリズムの手法で描いた絵画がたくさん点字されておりましたが、今や攻守ところを換え、社会主義国家を造ったスフバートルのミイラ(レーニン式に保存されていた)は、チベット僧の修法にて荼毘に付されたと聞きます。何を信じればいいのか……官尊民卑で優秀な国立大学卒業生の言葉をどうしてもヨリ信じてしまう自分がいます。取り留めも無い文面で申し訳ありません。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月19日 (火) 19時38分

人生の目的っ!様

「今生で差別される、もしくは障がいを負ったのは前世の業の報いだ」・・・
なるほど・・・なんとなくわかりました。日本の仏教が輪廻転生をどのように考えているのが・・・
そういわれるのは傷つきますね。なんでそういうふうに見るのだろう?まるで前世ではとんでもない悪人だったように見ていますね。それが日本の仏教の教えなんですか?
私ならそんな教えは糞食らえ!と思います。 
確かに因果応報というものはありますが、問題は解釈です。
で、結局のところ、本当のことはわかりません。だから人による好き勝手な解釈が生まれるのですし、そうやって信じ込まされて支配される危険があります。
微妙な問題ですね・・・
それについては、いろんな人がいろんな解釈をしています。私も正解はわかりません。ただ、自分を傷つけるような、あるいは低く陥れるような教えなら、私は拒否します。たとえそれが伝統的な権威のある宗教であれ、私は否定します。
それが、私は仏教をわかっていない、と言うのなら、そんな仏教はわかりたくないです。いや、わかる価値はないと思います。
何のための宗教ですか?
自分を大切に思い、自尊心を持ちましょう。

投稿: 宮川義弘 | 2021年1月19日 (火) 20時50分

失礼、日本の仏教、というのは誤解しました。
親鸞会と創価学会・日蓮正宗・顕正会の法話のみの話ですね。

投稿: 宮川義弘 | 2021年1月19日 (火) 20時55分

宮川義弘様:

  懇篤なお言葉ありがとうございます。今後幾度か拝誦し、潜在意識の下へ浸透させて参ります。繰り返しますが、ありがとうございます!
  さて、「ハイズビル事件」ですが、殺された行商人の頭部のみは、彼女ら姉妹も、周囲の人々も、いっかな探しても見つからず、実に50年以上もたって、姉妹も他の人々の多くも鬼籍に入ってのち、彼らが思いもよらなかった場所(壁の中)から、偶然にも廃墟で遊んでいた子どもらが見つけた……というふうに、上記の安斎先生の一連の著作では説かれております。
  安斎先生は、これをもって、くだんの姉妹の霊能力はいかにも疑わしいものだと結論づけておられます。私も実は、今のところなお、安斎先生のこの結論のほうに頷いてしまいます。
  姉妹たちの「懺悔」と、「懺悔後の撤回」と、どちらが信ぴょう性が置けそうですか?実は韓国の統一協会の元幹部・朴正華も、ひとたびは『六マリアの悲劇』を出したけれども、その後また、教祖にわびる著書『私は裏切り者』を出しております。それで、浅見定雄教授は両者のどちらの信ぴょう性が高いかを彼なりに分析し、教祖指弾本(『六マリアの悲劇』)のほうが信用できる、としています。同じ検査手方を、フォックス姉妹へも適用できないものかとかねて愚見致しております。
 さらに申せば、この親鸞会についても、一たびは叛旗をひるがえした元幹部が、お金に目がくらんでわびを入れて戻って来る可能性がないとも言い切れず、それでこんなことを申し上げた次第でございます。宮川様ゆかりの領域で申せば、例のヒュー・ミルンの『ラジニーシ・堕ちた神』とその後の彼の懺悔とを比較対照すると、何かこれまで見えなかった真実があぶり出されるのではないかと? 素人の思い付きで申し訳ございません……。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月19日 (火) 21時50分

人生の目的っ!様

「ハイズビル事件」の件ですが、その安斎先生はどこからこの情報を得たのでしょうか?そしてどの点が疑わしいのでしょうか?
私の知る限りでは、フォックス姉妹が心霊現象を感じた時は、床下から少量の骨と毛髪と歯が出たこと、そしてそこで5年前に行商人が殺され、死体を地下室に埋めたという証言があります。そして50年後に子供が壁から死体の残り全身とその行商人のカバンを見つけた、という話です。
 頭部のみが見つからなかった、というのは違いますね。頭部が後から見つかったことがこの事件のでっちあげの理由なのでしょうか? 最初に見つかったのは頭部の一部です。その点で事実と食い違います。
 安斎先生の疑いは、事件の後に死体の頭部を現場に仕組んだのだろう、ということでしょうね。まず、事実認識が間違っていますし、いずれにせよ、最初に見つかっているのは人体の一部です。
 それに、でっちあげだとするなら、なぜ50年後に見つけたのでしょう? なぜそんなに時間を待たなければならなかったのでしょうか?

「姉妹たちの「懺悔」と、「懺悔後の撤回」と、どちらが信ぴょう性が置けそうですか?」
 警察から冤罪で自白を強要されていったんは罪を認め、後になって無罪を主張するのと同じことです。
 「懺悔」が本当なら、なぜ後になってそれを撤回しなければならないのでしょうか? 何のために? 
 そしてそもそも、これが全てデタラメだとして、そうするメリットは何でしょうか? ただの貧しい田舎の人です。
 そして一番問題なのは、もしこれがデタラメだとして、心霊現象はないとして、どこからこんな事件の発想が生まれるでしょうか? 
全く起こったことのない現象を想像できますか? 
仮にできたとしても、わざわざそれをする目的は何でしょうか?
この事件をきっかけに、この姉妹はいろんな苦労をしています。彼女たちに何の得があるでしょうか?

この事件を疑うことで、逆に多くの疑問が生まれます

 

投稿: 宮川義弘 | 2021年1月19日 (火) 22時48分

宮川義弘様:

 目も覚めるような御教示ありがとうございます。貧乏な初老の研究者の宿命で、今現在の仕事に不要なものは、さしあたって近所のトランクルームに預けてあり、安斎先生の一連の著作も、そうしたもののひとつでございます。不確かなことを書き綴りましたこと、おわび申し上げます。24時間出入りできるトランクルームなので、今後は原物にあたり、正確を期しとうございます。
 そうですか、壁の中から出て来たのは頭部ではのうて〈死体の残り全身〉であり、最初に見つかった部分遺体(←なんだか御巣鷹山の日航機事故を連想させますが)こそが実に〈頭部の一部〉でしたか。ごめんなさい。
 安斎先生の御著書は、遺憾ながら、私の記憶する限り詳細な文献リストを拝しません(とはいえ、上の誤謬多き書き込みの文責は、むろん私にございます)。先生はまた、親鸞聖人を高く評価しております。と申しますのも、親鸞聖人がその和讃の中で、吉日や良い方角探しに奔走する同時代の多くの人々の姿を慨嘆しているからであります。
 なお安斎先生は、手品はプロ級であり、国際学会などでも余興に手品を見せて多くの人々を喜ばせたそうであります。ですから、どの著書も、手品の知識をも踏まえつつ、唯物論の立場から一切の「迷信」を打破してやろうという意気込みに溢れております。けれども、これらをいくら拝読しても、肉親を失って死後の世界に関心を持つ人々の癒しとはなりますまい。
 この先生や、その同調者で被害者家族の会の幹部でいらした御方らは、彼らが奉ずる『哲学教室』にいう、
  「後に続く人々へ希望を寄せつつ、最後まで革新者としての本分を尽くして死んでゆくのみ」
という言葉で自らを支えてゆけるのでしょう。でも、みんながみんなそんな超人であろうはずもなく、亀井勝一郎の『ある心の自叙伝』に出て来る、老工員の言葉「共産党では南無阿弥陀仏はどうなっておりますかな?」のほうが大多数の人間のいつわらざる自然な声と思われます。そして、この「南無阿弥陀仏」とは広く「死後の世界」と換言できるかと思われます。
 取り留めも無い文面で申し訳ありません。なお、このブログ主さんは太陽が西から昇っても親鸞会にわびを入れるような人ではありませんが、「無給の専任講師」の中には(日本語として破綻していますが、これが実態!)ここ数年、会と距離を置いて御無沙汰しつつ、何とか食べてゆこうとあがく人が少なくありません。それで、上のコメントでは「一たびは叛旗をひるがえした元幹部が、お金に目がくらんでわびを入れて戻って来る可能性がないとも言い切れず」と申したのであります。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月19日 (火) 23時41分

人生の目的っ!様

 とても素直なご返信をありがとうございます。往々にしてこういう場合、特に唯物主義的で頭ごなしに霊的現象を否定する人は、頑固に自分の考えを守るためにいろいろと理屈をならべて反論するものです。私はそういう人たちとずいぶん議論してきましたが、基本的にそういう議論は無駄・不毛であることがわかりました。基本的に知識が無い、またはマスコミ的な表面的情報だけを頼りに知ったかぶりで主張している人が多いです。
 この安斎育郎と言う人は知らなかったので、ウィキペディアで調べましたが、その著作で異常に「だます、だまされる」という言葉が多いのが気になりました。なぜ彼はそこにこだわるのか?
 そこであなたの言われる「唯物論の立場から一切の「迷信」を打破してやろうという意気込みに溢れて・・」と言う言葉で納得しました。
 年齢も1940年生まれでけっこう高齢だし、基本が物理科学のようですから、その方向に頭が凝り固まっていて、おそらく霊的な知識はほとんどないと思われます。人から聞きかじった知識だけを取り上げているようです。無理もないです。ほとんどの人がそうですから。
 まだまだ「霊や死後の世界を信じないことが科学的で常識的だ」という風潮は強いです。日本の心霊科学はイギリスに比べて100年遅れていると言われています。日本でのスピリチュアリズム・神秘学は1980年代に一時的に盛り上がりましたが、それからまた下火になり、非常にマイノリー~少数派になっています。そして今はただの願望成就的な、慰めを与えるだけの世俗的なものに堕落しています。
 仏教の流れも同じですね。大衆化すると俗っぽいものになり、堕落します。それの典型が親鸞会・創価学会・日蓮正宗・顕正会でしょう。

投稿: 宮川義弘 | 2021年1月20日 (水) 08時07分

 1980年代の一時的なスピリチュアリズム・神秘学ブームはチベット仏教に関心が向き、雑誌「ムー」なども発刊されましたが、その方向性はどうも超能力開発にありました。桐山靖雄の阿含密教などにも注目が集まり、オウム真理教が生まれる基盤にもなりました。オウムの教義はチベット仏教を好き勝手に都合よく解釈したものですが、当時、チベット仏教自体が珍しく、一般的にあまり知られてなくて、おおえまさのり訳の「チベットの死者の書」があるくらいで、だからオウムの麻原の言うことの真偽がわからず、超能力を持つことへの憧れから信じ込まされる人が多くいた、というのが現実です。当時のマスコミや知識人はほとんどがオウムに好意的でした。単に本物のチベット仏教を知らないため、麻原の言うことに納得させられていました。当時の誰も麻原の言うことに反論できないところに日本の仏教界の知識の貧しさを感じます。
親鸞会に騙されるのも結局は仏教知識がないからでしょう。

明治時代、本当の仏教を求めて単独チベットに渡り、チベット仏教を学んだ河口慧海や多田等観のような気骨ある仏教僧侶が好きで憧れます。

投稿: 宮川義弘 | 2021年1月20日 (水) 10時31分

宮川義弘様:
  
  私の文章の不備を責めることなく、懇篤なお言葉の数々、ありがとうございます。恐れ入ります!たしか以前は、代々木上原駅のホームには日本心霊学協会さんの看板が出ておりましたが、今はどうなっているでしょうか。一子二女のうち、二人にまで先立たれた大詩人・土井晩翠(1871~1951)が、あの世でのわが子2人の声を聞かんものと、浅野氏時代の同協会の門をたたきました。そのことを、
   「さしもの大詩人も、心が弱ったんだねぇ」
というふうに、多くの学術書では評し去っております。むろん、心が弱ったということもありましょうが、それ以上に私は、私と誕生日を同じくするこの大詩人の真摯な態度に拍手を送らざるを得ません。
 以上、またしても、取り留めも無い文面で申し訳ありません。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月20日 (水) 12時42分

宮川義弘様:

 たびたび恐れ入ります。大谷派(お東)の女性僧侶・鈴木君代女史のオウム死刑囚井上某(宮川様と漢字こそ違えど同名ゆえ特に略す…)への教誨活動は、大谷派のみならず日本の伝統仏教界の21世紀初頭における教誨活動の精華として永く記憶さるべきものか、と仰がれます。
 ただ、鈴木女史はあくまでも井上某が逮捕・オウム脱会後も捨てなかった輪廻転生思想の土俵に御自身も降りたうえで、教誨活動をしておられました。
 大谷派さんは、ややもすれば日本共産党の路線に同調しがちな僧侶が指導部の主流を占めており、それこそ「(死後の世界を問うこと)自体が迷いだっ!」みたいな僧侶にのみ光が当たりがちです。そのような中で、在家出身の鈴木女史の御行動は勇敢であり、賞賛に値するものでした。ただ、彼女を含め、大谷派の御僧侶には彼らの教誨活動を許す司法当局に対し、死刑制度の是非は横へ置いて、もっと素直に感謝の意を表明して欲しい…とひそかに念じております。
 日本が唯物無神論を国教として奉ずる社会主義国でないことを、教誨師さん(特に大谷派さんの)も、受刑者も、もう少し感謝してもよいのではないかとも存じます。輪廻転生思想が「差別の論理」として悪用されることを現代に生きるわれわれは、断乎阻止しなければなりません。それでも、だからといって、原始仏教以来説かれているこの思想を丸々否定するのは愚かなことだと存じます。さもなくば、親鸞会に迷う犠牲者を増やすだけです。以上、またしても取り留めも無い文面でごめんなさい

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月20日 (水) 13時21分

人生の目的っ!様

 日本心霊学協会についてはよく知りません。私よりもお詳しいですね。浅野氏とは浅野和三郎さんですね。この人の功績は大きいと思います。それでも心霊の世界に傾くことを「心が弱った」と見る偏見は残念ですね。
 日本仏教の輪廻転生思想がどういうものかよく知りませんが、前に挙げられた内容のものなら、逆に否定したくなるのもわかります。
 それだけに正しい知識を伝える必要があるのですが、仏教そのものがつかみどころがなく、難解なイメージもあり、宗派によって教えが様々なので、その知識をどうまとめるかは困難でしょうね。浄土真宗の中だけでもまとまらないようですし・・・ これは永遠の課題でしょうね。

投稿: 宮川義弘 | 2021年1月20日 (水) 15時00分

宮川義弘さま:

 「浅野さんを通じて亡きわが子らと交信できるから、ちっとも寂しくなんかないよ」と晩翠は友人や教え子らへ語ったのですが、額面どおり受け取ってくれる人は少なく、単なる「強がり」とされてしまった、というのが実情でありました。親鸞会被害者の会の初期の幹部さんのお子さんも、亡きお母様のことが気がかりでならず、自分自身も死んだらどうなるかわからず、ところが優秀で地位のあるお父上の信奉する思想は、その答えを与えてはくれなかった。繰り返しますが、「後に続く人々へ希望を寄せつつ、最後まで革新者としての本分を尽くして死んでゆくのみ」と。
 お葬式や結婚式を司るほどの親鸞会高級幹部らのまじめさを、私は露ほども疑いませんが、だからこそ、自己と異なる死生観や人生観の持ち主に対し、土足で畳の上へ上がり込むような感じで、自己と同調するよう強要できるのでしょう。まじめほど、恐ろしいことはありません。かつて宮川様の御両親のお葬式を台無しにし、兄上の結婚式を門外漢にとっては意味不明のものならしめた親鸞会の悪業は鼓(つづみ)を鳴らして攻めるべきですが、上記の「お子さん」は、そんな親鸞会に入らねばならないほどに、お父上の奉ずる思想や、そこで説かれた死生観を受け容れられなかったのでしょう。ほんとに切なくなります!

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月20日 (水) 15時40分

皆々様:

 「奈良の大仏をおがんだら、真宗門徒のおばあちゃんに叱られた」というのは『こんなことが知りたい』のどの巻だったでしょうか? 創価学会が日蓮正宗と組んでまだバリバリだった頃、『折伏教典』ほか一部の教理文献には、
  「国民全員が日蓮正宗に帰依したら、奈良の大仏や他の邪悪な本尊は博物館入りする」
と書かれており、背筋が寒くなりました。それもこれも、親鸞会にせよ、創価学会にせよ、その教義がカトリックの上をゆく一神教ならぬ一【仏】教だからでありましょう。カトリックは聖人崇拝を認めているから、むしろ大多数の仏教諸宗派なみの多神教でありましょう。以上、取り留めも無い、ただ、私にとっては知りとうてならない事でございます。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月20日 (水) 16時08分

宮川義弘さま:

 御参考ともなれば光栄でございます。主要な伝統仏教宗派にあって、しだいに公の場の法話でタブーとなりつつあるテーマのひとつに、
   「子どもは親を選んで生まれて来る」
というのがございます。仏教で説く因果観、より厳密には因縁果観からそれほど乖離した思想とは思われません。さりながら、昨今は児童虐待事件が頻発しており、今現に虐待されている子どもや、過去の虐待による心の傷をかかえた人々を傷つけてはいけない、というので、上にも申し上げたように、公の場の法話ではタブーとなりつつあります。ただし、親鸞会とか、創価学会・日蓮正宗・顕正会などでは実のところどうかなのか存じません。
  今は亡き日蓮正宗の最高指導者(阿部日顕法主)が「新年の挨拶」の中で、「過去の因を知らんと欲すれば、まさに現在の果を観るべし」
という「お経」の文句を引いておりました。
 これは「お経」とはいえ、『法苑珠林』や『諸経要集』など、中国で編纂されたお経のダイジェスト集にのみ見える文言であり、ほんとにインド伝来の何らかのお経の文言だったのかどうかは未詳です。
  しかも因・縁・果とある中の「縁」(間接原因)の力量をば、無視とは言わぬまでも過小評価する言葉であり、仏教の正確な因果観念(因・縁・果)だとは評しかねます。阿部法主も、もしも他の宗派の最高指導者だったら、この言葉ゆえに物議をかもしたことでしょう。実に幸運な人です!
  毎度取り留めも無い文面で申し訳ございませんが、宮川様が今後何か仏教布教方面の書籍を御覧になる際に、御参考として頂ければ光栄でございます。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月20日 (水) 21時06分

人生の目的っ!様

 「子どもは親を選んで生まれて来る」は伝統仏教でも言われるのですか。スピリチュアルでも同じことが言われます。ただ、同じ意味かどうかは知りません。スピリチュアルでは、この世に生まれることはカルマ(業)の清算のためであり、生まれる子供は自分がどんなカルマを背負ってどんな人生を生きるのかを生まれる前に知っている、そのカルマを清算するために最適な親を選ぶ、ただし生まれてからはそのことを全て忘れている、と言われています。
 ただ、これを公に言うと誤解されます。というか、理解されません。確かに、それだと親に虐待される子供はどうなるのだ?と言う問題があります。
 現世だけの視点で見るとそれは不幸ですが、スピリチュアルな視点で見るとそれは負のカルマを解消したことになります。そしてカルマは自分のものだけではありません。家系のカルマ、民族のカルマ、地球のカルマも背負います。
 今の時代に、日本に生まれ、その家族に生まれたことは全て必然です。全て意味があります。スピリチュアルに偶然はありません。ただしそれは出発点・境遇・環境であり、人には自由意志がありますので、それをどう活かして学び、成長に役立てるかはその人によります。
 つまり、スピリチュアルにとって世俗的な幸福はあまり重要ではないのです。重要なのはカルマ~つまり宿命~を通して何を学び、成長したか、が重要になります。運命は変えられますし、そこからどう生きるかはその人次第です。
 そして人は、幸福よりも不幸を通して学ぶことが大きいです。本来の魂はそれを知っていて、だからレベルの高い魂ほど大きな試練を受ける人生を選ぶらしいです。

 ただ、こんなことを言っても、例えば今不幸に遭っている人にとっては何の助けにもならないかもしれません。そこは相手によって言い方を選ぶことが大事でしょう。何より相手の苦しみを逆撫でするような、罪悪感を抱かせるような言い方は良くないと思います。前世が悪かったから今その報いを受けている、というような・・・

 結局は、人生の目的~あなたの名前でもあります~は、カルマの解消にあるとも言えますが、どのように生きるかはその人の自由です。われわれはカルマの奴隷でも操り人形でもありません。
 ただ、どう生きるか、その答えは知っているはずです。忘れているだけです。魂は生まれる前に自分の人生の青写真を知っています。どうなるかをあらかじめ知っています。
 それを知る方法が、直感を信じることです。心の声を聞くことです。そのためには他人の言うことに惑わされないことです。たとえそれが偉い仏教の高僧だったとしても・・・

投稿: 宮川義弘 | 2021年1月20日 (水) 22時02分

宮川義弘様:

〉「子どもは親を選んで生まれて来る」は伝統仏教でも言われる

一番知られておりますのは、『倶舎論』の中のあるくだり……「父母の性交する姿を見て、娘は母親に嫉妬し、息子は父親に嫉妬し、かくてこの世へやって来る」と。さきの「過去の因を知らんと欲すれば、まさに現在の果を観るべし」などとは対照的に、明らかにインド由来の仏典の言葉であります。

 このほか、「お浄土には女性も身体障がい者もいない」などと説く経文もあり。かの龍樹菩薩(大乗仏教の大成者とされる)が著したとされる「十二礼(じゅうにらい)」がそれであります。
 かつて縁あって熟読した豊田穣(1920~1994)の直木賞受賞作『長良川』では、著者であり主人公でもある豊田氏が、アメリカ・テキサスの捕虜収容所で、他の捕虜仲間らとともに礼拝堂でこの「十二礼」をお唱えする場面は特に印象的ですし、感動的ですが、上に申し上げたような差別表現が含まれていることも事実であります。
 いろいろと懇篤な御教示の数々ありがとうございます。「スピリチュアルじゃ駄目なんだよ…」が口癖の御住職のいらっしゃるお寺へ15年以上も昔、幾度か法話を聞きに参上しました。ただし、彼の言葉は、要するに【反対のための反対】を事とする、かつての社会党みたいな感じで、
  「では、御住職、何ならよいのですか?」
という疑問が、いつも喉まででかかっておりました。具体性を欠く、とでも申しましょうか。
 むろんまだ若く、理解力も乏しかった己の至らなさをついつい棚にあげがちなことを忘れてはおりません!彼が江原氏の商業主義をいろいろ批判なさっていた点は理解できなくもありませんでしたが、あなた様のように決して商業主義でないスピリチュアリストも世の中にはまだまだ多いのですから、彼の言葉はやはり説得力に欠けると今にして思います。
 とはいえ、浄土真宗や親鸞聖人への敬意が損なわれたわけではございません。この点は、あなた様とはスタンスが違うので御海容頂ければ幸甚でございます。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月20日 (水) 22時56分

人生の目的っ!様

 江原氏の商業主義をいろいろ批判・・・
 これもよく誤解されているところで、何を指して商業主義と言うのかよくわかりませんが、江原さんはまずテレビに出ることを気乗りしなかったそうです。個人の霊視も今は受け付けていません。主な収入源は講演会と本の印税くらいでしょう。スピリチュアリストも生活しなければなりませんし、それくらいは普通だと思いますが・・・
 江原さんがテレビに出るまでは、霊の話は暗くて怖いイメージが強かったのを、非常に普通に語れる明るいイメージに変えた功績は大きいです。
 先に書いたスピリチュアルのカルマの話も、半分以上は江原さんから知った知識です。
 でも確かに巷では偽者の霊能者が高額な料金でデタラメな商売をしているのがほとんどですから、真偽のわからない人は霊能者全てを詐欺師と見てしまうのも仕方がないでしょうね。

投稿: 宮川義弘 | 2021年1月21日 (木) 00時09分

途中から話についてゆけなくなり、別サイトで
ルパンさんにもご迷惑をかけてしまったので
しばらくお休みします。
親鸞会に対する不信感や不満を少しだけ吐き出す事が出来て
スッキリしました。人生の目的っ!さんも宮川さんも
正直な人だと感謝します。
また機会があれば話を聞いて下さい。

投稿: 小澤健司 | 2021年1月21日 (木) 08時43分

宮川義弘様:

  浄土真宗は日の吉凶とか方角の吉凶とかを一切否定しますし、いわゆる奇跡のたぐいも否定します。自然科学並みに筋道だったところがあり、キリスト教よりもさらに自然科学と共存共栄できる教えではあります。

  では問題がないかといえば、さにあらずで、高森氏のような特定の指導者の言うことに盲従する、「善知識(ぜんじしき)頼み」という悪しき流れが昔からございます。真宗中興の祖と仰がれる蓮如上人も、その傾向を戒めてはいらっしゃるのですが、哀しいかな、彼自身がいわゆる聖人扱いですし、彼自身も御門徒(信徒)からそのように見られていたことを止めようとしなかった嫌いがございます。

  兄上様は、どこで親鸞会と遭遇してしまわれたのでしょうか?年代や場所により、熱狂度も異なるはずです。今でも会員なのでしょうか?間近に迫った会長交代で、目を醒ます可能性(希望?)もかなりございます。と申しますのも、会長の御子息の光晴氏が、宗教家としての素質を欠いた、あまりにも無茶苦茶なお人だからであり、光晴氏自身そのことを動物的な感覚で察知しつつ、それでも何とか父親の築いた栄華を継承すべく、血道をあげております。

  繰り返しますが、私はそもそも1秒として会員になったこともなく、生まれてこのかた、本部のある富山に行ったこともございません。ただ、この15年以上、一部の期間を除きほぼ連日、会の様子をウオッチングはして参りました。北陸の空のように曇りがちな、しかし本質的にまじめな若者たちが入会したのが45年以上も昔のこと(毎日新聞社『宗教を現代に問う』のどれかの巻にルポあり)。この10年はしかし、ネットの発達でもはや若者を籠絡できなくなったので、80歳以上の、情報弱者と呼ばれるお年寄りにターゲットを移し、かつ、2世会員(会員の子女)への洗脳を継続しております。罪深い団体です。  
  私の元同僚のお父上も、老いたる犠牲者の一人でした。私は多少の知識もあったので、同僚一家の困惑をかなり解決できたと自負してはおりますが、そういう些少な善行に胡坐をかく「邪見驕慢悪衆生」であることを、これからも真宗に触れつつ言い聞かせて参る所存であります。とはいえ、どこか特定の真宗寺院の信徒となるつもりはなく、また、現在の私の立場も私がそうすることを許してはくれますまい。それでいいと思います。
  

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月21日 (木) 09時30分

小澤健司さま:

  あなた様が決してあのルパンさんでないことは、分かる人には分かると思います。誠にお苦しみのことと拝します。どうか気が向かれたらまたお書き込みあらんことを。いろいろ学ばせて頂きましたこと、心より御礼申し上げます。
  あなた様がルパンさんとは対照的に、親鸞会教義の迷妄から御覚醒なされつつあることは、お書き込見の数々を虚心に読めば、十分に理解できます。いよいよ良き御法縁にめぐり合われますことを心より念じ上げます。ルパンさんとの間で似たような事蹟(バブル経済期のフィリピンパブ遊び)のあったことが、お二方の混同される原因となったのでしょう。それだけ親鸞会は、似たような行為をなす男性信徒さんを量産とはいわぬまでも、産み出したのではないか、と思われます。
 私も含めて、われわれは聖人君子などではないのですから、一方で高尚(とされる)法話を聞きつつ、一方で紅燈の巷に遊んだり、人妻さんと不適切な関係をしかねないことは、仏さまも御見通しであります。「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひをもすべし」と。問題は、親鸞会の会長父子が、われわれに対し、およそ自分自身出来もしないことを強要する点にございましょう。そのことは、噂の2代目会長候補者さんを見れば思い半ばに過ぐるものがあります。あんな彼でも今後1年をへずして、あの2000畳の正本堂の新たなあるじとなるのですから、因縁とは誠に恐ろしく、やるせないものであります。
 どうか小澤様もお元気で!

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月21日 (木) 09時42分

人生の目的っ!様

私が少し熱っぽく語りすぎたのではないかと思います。人生の目的っ!様がもし傷ついたのであればお許しください。
ただ、あまりに世間のスピリチュアルに対する偏見や悪意が強いのをこれまで見てきましたので、そこはどうしても語らずにおけなかったことは理解していただければ幸いです。
 私の兄がいつどこで親鸞会に入ったのはわかりません。少なくとも1982年には入っていました。その頃、熊本での会合に連れて行かれたのが最初です。数百人が集まっていて、全員が教壇に立って話をしていた人~誰かはわかりませんでしたが、たぶん教祖の高森氏だったでしょう~を、参加者全員が真剣に注目している光景が異様でした。

 私は人生の目的っ!様も親鸞会から離脱した人だと思っていました。そうだったのですね~
 逆に言えば、入会していなかったから、外側から冷静に分析できるのだと思うし、それは私も同じ立場ですから、その第三者的立場にいる私たち二人だけがここでコメントを盛り上げているというのもおもしろいです。

 そして人生の目的っ!様がラジニーシや麻原、浅野和三郎のことなども広く偏見なく知られておられることに驚き、歓心しました。本当に固定観念がなく、心を開かれた素晴らしい方だと思います。
 私のコメントで御無礼がありましたら、どうか許してください。
 

投稿: 宮川義弘 | 2021年1月21日 (木) 10時04分

宮川義弘様:

 「自分だけが真理を知っているという傲慢さ」。これは若き日の上皇后さまの相談相手としても知られた精神科医師・神谷美恵子女史(1914~1979)がひそかに日記に書き綴っていらした思いであります。その後文庫本になっておりますが、教授として奉職していた神戸のミッション系女子大で見かけたクリスチャン教員をひそかに批判した言葉であります。別段キリスト教に限らず、マルクス主義であれ、スピリチュアル思想であれ、ひとつの思想に通暁し、収入(教員奉職であれ翻訳や講演であれ)を得るようにでもなれば、慢心が伴うことは避けられません。
 宮川様がかつて反感をいだき、兄上が法悦に浸った親鸞会にあっても、高森氏をはじめ、 「自分だけが真理を知っているという傲慢さ」を顔に出さずにいられぬ人が多かったのでありましょう。
 この頃はしかし、会自体の体質の変化も小さくありません。兄上もいつの間にかがっかりして退会していらっしゃらぬとも限りません。それとなく様子を探られてはいかがかと存じます。もしも兄上が退会し、泡の抜けたビールのようなお姿を呈していらっしゃるとしても、
  「ほら、だから昔あれだけ注意したじゃないか!」
などと言わないであげてください。御聡明で人生経験ゆたかな宮川様のこと、むろんそのような挙には出られぬことと信じておりますが…。
 ちなみに、私の元同僚は別の職場へ転職して栄達なさったので、リストラされたばかりの頃の私が救いを求めに行ったら、にべもなく追い返されました。家の恥を知る年少者が身辺に居ては、落ち着いて仕事にも取り組めますまい。私が彼でもそうします。でも、その頃も今も未熟な人間なので、私は彼への電話の中で、洗脳されたお父上(現役時代は大型船の船長さん)の惨状をデフォルメしつつ、「人生の目的っ!」と悪態をついたのです。これが私のハンドルネームの由来でございます。私は高尚な人柄でもなんでもありません。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月21日 (木) 10時38分

姉なる人がうつ病の果てに電車飛び込み自殺を遂げたというお方がやっていらしたサイトを拝見したことがございます。彼女は宮川様のお言葉を借りれば、〈死に関する本は山ほど多くあります。そして、それぞれ、いろんなことを言っています。正直、どれが本当かわかりません〉という意味のことをおっしゃっていました。強い実感とともに私自身のことも思い出しました。1986年4月8日の岡田有希子さんの死に衝撃を受けたという若者は少なくなく、その当時の私は大学受験を控えていたにもかかわらず、それこそ、この女性や宮川様と同様、〈死に関する本〉ばかりか、霊媒師・霊能者と言われる人々がマスコミの取材に答えた記事をも読み漁りましたが、以前も今も〈正直、どれが本当かわかりません〉。まともな浄土真宗で説かれる浄土観はむろん美しい。しかし、そのような浄土が西にあるということは、現代科学を知ってしまった者として、どうにも受け取りかねます。親鸞会あたりに何と言われようが、心の中にあるとしか答えようもありません。宮川様の兄上もそしてその奥様、相当に優秀で真面目なお方と拝されますが、このあたりのことをどう考えていらっしゃるのでしょうか。時間とお金があり、後顧の憂いがないのであれば、浄土目指してどこまでも西へ向けて歩いてゆかれるのでしょうか?

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月21日 (木) 10時51分

人生の目的っ!様

ご存知でしょうが、私は日本の仏教に対してはかなり批判的です。
私の考えで恐縮ですが、浄土という具体的な場所は無いと思っています。だから西方という方角を決めることは全く理解できません。
浄土にどんなイメージ、期待を持つかは人それぞれでしょう。だから各自の憧れの、想像の理想郷でいいのではないでしょうか。ようするに心の世界だということです。
 要は、西方浄土という観念が生まれた過去の時代の人たちにとっては、その考えは魅力があったでしょうが、それが現代にも通用するか? ということです。私は無理な感覚を持ちます。
 だから、なぜ西なのか?という疑問は残りますね・・・

投稿: 宮川義弘 | 2021年1月21日 (木) 12時14分

自殺について言えば、スピリチュアル的には人の寿命は決まっていて、この世は学びの場だから、自殺することは途中で学びを捨てることを意味します。そういう意味でスピリチュアルは自殺を悪と見ています。ただ、そこでも自殺する理由・動機が重要で、ようするに現実逃避の自殺はよくないが、例えば武士の切腹のような責任を取る自死はまた違ってきます。
 自殺することは、カルマの話にも繋がるけれど、自分が背負ったカルマを果たさないことになるから、来世に生まれ変わってまた同じカルマを生きなければならない。つまり、同じ苦しみを次の生でも味わうことになる。カルマを卒業するまでそれは続く。
 だから江原さんは「這いつくばっても生きなさい」と言っているのに、アンチな人は「江原は死後の世界が美しいと言って自殺を勧めている」と非難したりしました。こいつら本当に江原さんの本を読んでいるのか?と疑いますね。
 ちなみに、死後の世界の地獄なんてのもありません。それらはみんな人を脅して支配するための方便です。だから「神を汚す者は地獄に行く」とか言うのはみんな嘘です。宗教勧誘で「地獄に堕ちる」は決め台詞になっているが、絶対にありえない。むしろ、この世界こそが地獄です。
 ちなみに、全てのカルマを解消することが「悟り」になり、そうなると輪廻転生から解放されます。

投稿: 宮川義弘 | 2021年1月21日 (木) 17時37分

宮川義弘様:

 平明な、わかりやすい御教示ありがとうございます。上のほうで取り上げた親鸞会の布教用の劇画『青春の旅立ち』といい、1996年12月に北国新聞社(金沢市)が出した宗教ルポ『蓮如さん今を歩む―真宗王国と新宗教』といい、岡田さんの事件に影響を受けた若者がいかに多かったかを伝えております。
 後者には、あの事件が原因で仏教に興味を持ったはいいが、不幸にして学園布教を推進していた親鸞会に魅せられてしまった会員が登場しております。

 「スピリチュアルでは救われない」と断言し、東本願寺での講話が冊子にもなっているのが青木新門氏。そう、『納棺夫日記』の著者であります。映画「おくりびと」のほうは、原著者に説かれた浄土真宗の教義が反映されていないことを理由に、青木氏は映画ポスターその他に「原作:『納棺夫日記』」と標示することを拒否なさいました。

  青木氏が東本願寺でなさった講話冊子『いのちのバトンタッチ』(真宗大谷派宗務所出版部,2007年)ではキューブラー・ロス女史を、「晩年は不幸にしてスピリチュアルにからめとられたので、多くの支援者を失った」と批判しておられます。とはいえ、キューブラー女史のほうがよほど、本来のインド仏教や他のインドの宗教(ラジニーシ師をも含む)で理想とされる
    「ほぼ無一物、名誉も銭も求めない晩年」
を忠実に実践していらっしゃるように思えてならないのですが……。青木氏は真宗門徒として、その教理に拠りつつ、「阿弥陀さまの光に触れれば死をも受け容れられる」という主旨のことを仰せです。青木氏のように、富山県(親鸞会の本拠地でもある)で真宗の土徳(どとく)のもとに生まれ育ったのなら、その「光に触れ」ることも決して困難ではありますまい。名古屋や広島の人でも同様(真宗が主流主教を占める)。けれども、そうでない土地の人はどうなってしまうのか?
 宮川様がうえのほうでおっしゃった、〈死後の世界〉は〈主観的〉であり、〈人によって見える世界が違います。だからその人にとっては真実でも、他の人にとっては違うことがあります〉ということを、かつては全面的に御尊敬申し上げていた青木氏の思想についても考えざるを得なくなりました。何百何千もの人々の「おくりびと」となられた同氏の温かくもがっしりした手のひらの感覚をなつかしく思い出しつつも。宮川様、私の深省を促す御教示、改めて御礼申し上げます。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月21日 (木) 19時02分

後生の一大事というのがいまだにピンときていなかったので、こちらのサイトを見てみました。

https://xn--udsw7h21snjj.jp/jodogosho.html

これによると、「後生とはどんなことかというと、来世のことです。」とあります。来世・・死後の世界でしょう。
 それの一大事ということは、死後、自分はどうなるのかを知ることが一大事、ということでしょう。ようするに死後の不安を解消することのようです。

気になったのは、ところどころに、根拠のわからない決め付けがあることです。

☆「仏教は「後生の一大事に始まり、後生の一大事に終わる」教えです。」

 ~なぜ、そう断定するのですか? 仏教を非常に狭い考えに限定しています。

☆「後生の一大事から始まって後生の一大事の解決で仏教は終わるのです。」

 ~これも断定的、限定的で、なぜか?という理論的説明がありません。

☆「後生の一大事が分からなければ、仏教は絶対に分かりません。」

 ~仏教の教えを後生の一大事だけに限定するならそうでしょう。問題は、絶対に分からない、と断定することです。ここで既に洗脳の匂いが漂います。
 ということは、仏教とは死後の世界についての教えだけ、ということでしょうか? すごい決め付けを感じますが・・・
 この後、後生を極楽浄土と地獄に分ける設定をしています。二分化するという極端化です。中間のグレーゾーンはないようです。つまり、極楽でもなく地獄でもない中間の世界はないのでしょうか?
 そもそも誰が、何を基準に、極楽行きか地獄行きを決定するのですか?やはり閻魔ですか?今の時代でもそれを信じるのですか? つまり我々は閻魔大王の価値観の奴隷ですか?完全な独裁政権ですね。

☆「仏というのは、低いものから高いものまで52あるさとりの最高のさとりです。」

 ~これも意味がわからない。なぜ52なのか?なぜ悟りに段階があるのですか?

☆「地球上で仏のさとりを開かれた方は、今日までお釈迦さま以外にありません。」

 ~一番納得いかないのがこれです。これを書いた人は、これまで地球上に生まれた全ての人間を調べたのですか?
 では、クリシュナは悟っていないのですか? マハヴィーラは? パタンジャリは? カビールは? クリシュナムルティは? ラジニーシは? ティロパは? サラハは? 
 たぶんこれを書いた人は彼らの名前すら知らないでしょう。ようするに自分の持つ狭い知識だけで決め付けているのです。

 全てに対して言えることは、理論的根拠が全くないことです。頭ごなしに、これが真実だ、これを信じれば救われる、という単純な、まったく子供騙し的な教えですね。逆に言えば、理論的に考えることを否定しているようです。
 というか、教えを疑うことを悪と見ているような・・・、疑うことに対しても「迷いだ!」と一喝するような雰囲気を感じます。完全な教えの強制、押し付けですね。

投稿: 宮川義弘 | 2021年1月22日 (金) 08時59分

http://sayonara1929.txt-nifty.com/blog/2016/03/post-99ab.html
(長南瑞生(中村僚)は浄土真宗親鸞会の講師です。)

宮川義弘様、皆々様:

  宮川様が御指摘のサイトは、この親鸞会専従職員の手になるものであります。ぶるうのさん(本ブログ運営者様)のこの記事にあるとおりでございます。ただし「講師部員」といっても、無給の可能性あり。税法上は、個人事業主扱いにされている「専任講師」が親鸞会では多くを占めていますから(日本語を破壊するな!)。ただし、大枠の上からすれば、まともな真宗教義からそれほど逸脱しているものではありません。
  ただ、何度も申しますように、親鸞会は要するに「善知識だのみ」であります。しかも教祖のオリジナルな説法ならまだかわいげがありますが、彼の著悪の中でも美文調の名文に限って、大沼法竜師や伊藤康善師の名文からのパクリだったりします。
 また、私の独自の調査によれば、「悪人ばかりの家」(清澤満之師,明治時代の大谷派を代表する名僧)や、「モルモットの脚を折った場合の雄雌それぞれの反応の違い。雌は耐え忍ぶ」(『失楽園』ほか男女小説の大家・渡辺淳一氏)など、聖者を装わねばならぬ高森氏が立場上、出典を明示出来そうにない先人の著作を剽窃した箇所もございます(2000年に出た『光に向かって100の花束』より)。
 清澤師は、あるいは宮川様には縁遠い宗教家かも知れませんが、「浄土が心のうちにある」、という方向でお説きになったためと、お寺の出身でないがためとで、40年の波瀾の生涯を、本人は納得の上で生き切られました。
 また、渡辺淳一氏は確かに自他ともに認める唯物無神論者でしたが、人間の愛の種々相とか、それこそ「人生の目的」などを、高森氏などとは違って生涯、自分自身の言葉で語り続けられました。高森氏ほか二三流の宗教家よりもずっと尊敬できる人です。こうした尊いかたがたのお言葉をさもさも自分の言葉であるかのごとく平然と書く高森氏には、やはり大きな問題ありと申さざるを得ません。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月22日 (金) 12時37分

 今現在50代前後で、今でも親鸞会会員でいらっしゃるか、会員は辞めても
よその普通のお寺さんで聞法はお続け中の皆様にとっては、布教用劇画『青春の出発』にもさりげなく描かれている「岡田有希子(1986年4月8日)さんの自死」は、忘れがたい事件であろうかと拝されます。
 私こと彼これ30年ほど昔、お誘いを受けて都内某所在住の霊媒師宅へ参りました。私を誘った人は大変熱心な彼女のファンでしたが、その霊媒師(「天才たけしの元気が出るテレビ」にもお出ましになったのだとか)は白い服を来た肥満体の初老の女性。審神者(さにわ)の男性も初老のおかた。
 やがて審神者がオカリナを吹くと、岡田さんが霊媒師に憑依するということでしたが……岡田さんが語る言葉は要するにあたりさわりのない内容であり、多少演技力のある人で、それらしい装置(神棚なり、仏壇なり)をも添えたなら、誰でも勤まりそうなものでした。審神者のお話では、
 「有希子さん、【これまで】よりはいろいろしゃべれるようになって偉いねえ」と。【これまで】ってことは、その彼(ファン)は、何度もこの霊媒師宅に通い、目を潤ませつつ、「岡田さん」の言葉に耳を傾け、そして1時間の降霊が終わると、ガテン系の仕事で稼いだお金を謝礼として包んでいたのでしょう。確か2万円ぐらいだったかのような記憶がございます。
 親鸞会に搦めとられるのも、もとより大きな不幸ですが、こういう霊媒師に魅せられるのも、いわば底なしの悪運ではなかったかと思われました。私の人生はむろん成功したなどとは到底申せません。ただ、このようなおよそ無意味な霊媒実験に身も心も金も捧げたわけではないのは幸いでした。親鸞会に魅せられる以上に不毛なことではないかと思われた次第であります。親鸞会ならば、何かの機縁に正法を求めることもございましょう。
 さて、岡田さんが機縁となって今も親鸞会に魅せられていらっしゃる複数の会員さんが、何かの機縁に覚醒なさることを、やはり念じないわけには参りません。岡田さんを忘れないこと自体は心やさしく、素晴らしいことです。でもたとい親鸞会を出ても、あの昭和末期を代表する「考えさせられる悲劇」について考えてゆくことは、今の世ならばもう十分可能かと存じます。またも取り留めもない文面で申し訳ございません。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月22日 (金) 13時08分

〉仏というのは、低いものから高いものまで52あるさとりの最高のさとりです。

宮川様:

 『華厳経』に説かれた教理であります。浄土三部経ではございません。まともな浄土真宗ならば別に問題ないのです。ところが、親鸞会は偏狭にも
  「東大寺(【華厳】宗総本山)の大仏を拝んじゃダメ」
などと信者に命じているのです。
 だから、長南氏が五十二位説をいかにもしれっと引用しているのは、自己の所属団体が否定したはずの経典に書かれていることを、御都合主義的に利用した行為だと言わざるを得ません。
  なお、日蓮も「『法華経』が一番!」と言いつつ、教理展開上、御都合主義的に、同経以外の経典からもさりげなく引用しつつ、『立正安国論』ほか自己の思想を構築しております、

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月22日 (金) 15時31分

人生の目的っ!様

 的確な情報をありがとうございます。あなたの情報は本当にとても参考になります。
 私の兄については、性格が強くて威圧的でヤンチャなころがありますので、他人のアドバイスを聞く耳を持たないところがあります。私と性格は正反対で、母親から虐められて育ったからそうなったのも頷けますが、もともとそういう質の魂だからそういう境遇に生まれたという宿命的なカルマも感じます。
 だから現在も親鸞会に所属しているかどうかは、そこにいることで自分が不利な状態にならない限り、他人からの説得で退会するようには見えません。ある時、他の会員が高森氏の悪い噂を話題にした時、兄が高森氏を弁護するような事を言った記憶があります。たぶん今でも信者でいるでしようね。それは彼の人生だし、彼の選択です。どうしようもありません。

 岡田さんの交霊会の話がありますが、だいたい交霊会で霊媒師に降りてくる霊は低級な偽物霊が多いです。つまり、岡田さんになりすました霊で、それを本物の霊と思って反応する人間を見ておもしろがっています。偽者の霊はあたりさわりのない事しか言いません。またはそれは霊媒者の演技の可能性もあります。そちらの方が多いでしょうね。典型的な霊感商法です。

 話はそれますが・・・
 ラジニーシにまつわるエピソードが人の宗教的心理を見るのにいい資料になります。
 「ラジニーシ、堕ちた神(グル)」という本を書いたヒュー・ミルンは約10年間ラジニーシの弟子で常にラジニーシの近くにいました。それは単に彼のボディガード、正確には彼の秘書の護衛の役でした。それはラジニーシが伝統宗教を批判していたため、伝統宗教信者の反感を買い、特に秘書は小柄な女性だっので彼女にも危害が及んでいたため、彼女を守るためにヒューが選ばれました。
 常にラジニーシの近くにいることでヒューは自分が他人よりも優れている特別な弟子だというプライドを持つようになりました。それを知ったラジニーシは別の機会にヒューの役割をコミューンの入り口の門番に変えました。門番に移されたヒューは自分が見捨てられたと思い、プライドが傷つき、ラジニーシを恨むようになりました。
 それはラジニーシ流の、どんな状況でも自分を見失わない、平静でいられることをヒューに試したテスト、試練でした。ところがヒューは10年もラジニーシの近くにいたのにそれを学ぶことができませんでした。
 その恨み、怒りから「ラジニーシ、堕ちた神(グル)」という本を書きました。その内容はすべてヒューの妄想、誤解、嘘、偏見だらけです。
 この邦訳本を出版したのは第三書房で、元連合赤軍の残党が作った出版者で、翻訳文を原文にない内容に、ラジニーシをより陥れる内容に改竄しているようです。
 そして読む人はこの本の内容を真実と受け止め、ヒュー・ミルンがラジニーシの近くにいたので、ヒューを高弟~位の高い弟子~と解釈します。
 つまり、伝えていく人の意思によって事実はどんどん歪められていくということですね。
 
 別の話では~
 ラジニーシはある時、ランダムに20人の弟子たちに「あなたは悟っている」という手紙を出しました。手紙を受け取った弟子には、ラジニーシから悟っていると認定されて喜び他人に自慢する者や、「自分が悟っているわけはない」とそれを否定する返事をする者、その手紙に興味がなく普段どおりに過ごす者など、いろいろな反応がありました。
 後になってラジニーシは、その手紙の内容は全て冗談だ、それによってあなたがどう反応するのかを試したのだ、と言いました。当然、手紙の内容を真に受けた弟子は怒ったり悲しんだりしました。
 
 そういう人の心の揺れ動きを知れば、いろんな宗教団体があっても、結局人間の行動は似たようなものなのがわかります。


 

投稿: 宮川義弘 | 2021年1月22日 (金) 17時16分

宮川義弘様:

 御教示の数々ありがとうございます。そうですか、『ラジニーシ、堕ちた神(グル)』邦訳本にはそのような作為がございましたか。あの出版社と社長ならば、やりかねないことですね。私はあの出版社に関しては、あなた様から聞かされた今、今後は是是非非で参ります。評価すべき点はやはり評価致しとうございます。すなわち……
 第三書館から1999年前後に相次いで出版された古川利明氏の『シンジケート/カルト/システム としての創価学会』三部作は、遠く藤原弘達氏の一連の『創価学会を斬る』シリーズと並び称すべきものであり、その功績はやはり不朽のもの。
 また、フランスの『シャルリーエブド』誌に掲載されたイスラム教諷刺マンガを日本で敢えて出版した勇気も、それなりに評価すべきものがございます。血の気の多いイスラム教徒を怒らせるのは、決して望ましいことではありませんが、それでも……。私ことバーミヤン大仏爆破その他のこともあり、個人としてやはりイスラム教はどうしても好きにはなれません。
 ちなみに、親鸞会総本部を取り巻く地域は、今や日本有数のムスリム(多くはパキスタン人)集団生活地域となっております。ただ高森氏はイスラム教を邪教扱いしています。曰く、「マッカ―(にあるのは)邪教(の総本山)だけかね?」と。自分の団体だって邪教のくせに。
 ちなみに、高森氏を長生きさせることを主目的に建てられた真生会病院では、そのオフィシャルサイトにおいて、いちおう外国人患者を診るとは謳っているものの、中学生でも書けそうなことを書き連ねているに過ぎません。ハラール食を提供するつもりもないようですし、女性患者は女性医師が診ると確約しているようにも見えません。
 ラジニーシ師の弟子接化(せっけ)のお姿は、いにしえの禅僧を思わせるものあり。Oshoの名に愧じませんね。なお、同師が平素、目を印象的に撮るよう側近の弟子らへ指示していらした、というのはほんとですか?
 別にほんとでも構いません。上の方で取り上げた真宗中興の祖と仰がれる蓮如上人にしても、晩年になるにつれ、御自身を演出せんといろいろ意を用いたということが、きちんとした史料にも記されております。一部の真宗寺院住職の中にさえ、親鸞聖人はともかく、蓮如上人はどうも好きになれぬというので、その名も『蓮如への誤解』とする刺激的な題名の書籍(早川顕之編,永田文昌堂, 1995/2/1)を出す人々さえおりました。
 「(親鸞聖人と並び称されるほどの偉人と久しく)誤解され(てい)た蓮如(上人だが、調べてみると、いろいろ批判すべき点も少なくなかった)」という皮肉が込められております。
 あなた様も私も、真宗の土徳(どとく)の染み込んだ、わかりやすくいえば、浄土真宗が主流的宗教の地位にあるような(北欧のルター派教会が盛んな地域みたいな)地域の出身では【ない】ように思われます。私のこの見立てはそう外れてはいないものと存じます。にもかかわらず、縁の不思議さ、兄上は何かの拍子に親鸞会に魅入られてしまわれたのですね?
 少なくとも私は、今後の余生において、真宗から学ぶべきものは学び取りつつ、それを無縁の人々にぐりぐりと押し付けるような態度は、厳に避けて参る所存でございます。立場的にも、幸か不幸かどこか特定の真宗寺院に所属できる状況にありませんし。またも取り留めも無い文面恐れ入ります。私が申し上げたことの中に不躾で非礼な字句もあろうかと危惧致します。どうぞお許しくださいませ。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月22日 (金) 22時17分

人生の目的っ!様

 ここ親鸞会を主題とする場で長々とラジニーシについて書いたことに気が引けておりましたが、読んで頂いてありがとうございます。そして本当によくいろいろとご存知ですね。
 もう知っておられるのでOshoでいいですね。確かにOshoは自分の講話本の表紙に自分の顔写真を載せることにこだわりました。それは瞑想のためです。Oshoは人間のスピリチュアルな開花の表れであり、Oshoの写真を見て瞑想することで、自分もそのレベルに達することができる、自分にもその可能性があることを感じられるように、という憧れ・希望の意味を持たせました。それは別にOsho自身の自己アピールのためではありません。Oshoは、自分が死んだら自分のことは忘れてほしい、と言っていました。
 Oshoは1990年に亡くなって、その後、弟子間の対立などがあり、一部の西洋人弟子が独断でOshoの本の版権を取り、以後はOshoをカルトの教祖に見られることを避けるために、本の表紙にOshoの写真を載せることを禁じました。残念なことに一部の弟子によってOshoの教えは歪曲され始めています。こういうことは宗教の必然的な成り行きでしょうか・・・
 ブッダから生まれた仏教も、ブッダ涅槃後に多くの経典が書かれ、それを基に時を経ていろいろな宗派に分かれ、それぞれ独自の仏法を説いています。そしてその現状が、一部であれ親鸞会や日蓮系の宗派の狂信的所業を生んでいるのは残念ですね。
 
 それでもこのサイトで人生の目的っ!様のような理解ある方と巡り会えたことに本当に感謝いたします。おかげでこれまでなかなか伝えにくかったことが伝えられてとても嬉しいです。とても軽くなりました。どうもありがとうございます。
 
 

投稿: 宮川義弘 | 2021年1月22日 (金) 23時41分

人生の目的っ!様

 あなたがここで書いておられる情報はとても重要です。親鸞会が真宗以外の経典から一部を自分の都合のいいように解釈して取り込んでいる、という指摘は経典原本を知っていないとわからないことです。
 私が本家の真宗と親鸞会の何が違うのかを知りたかったのはそのところです。経典を知らない人や仏教に詳しくない人は、親鸞会が説いている仏教が真実だと思い込みます。そして元の経典を知らないなら、親鸞会の嘘や歪曲を指摘できなくなります。何が本当かわからなくなります。

 ブッダは2500年前の人で、直接彼に教えを聞くことはできません。仏教の教えは経典に頼るだけです。その経典が多くて多岐にわたっているのが問題です。キリスト教は聖書、イスラム教はコーランが中心聖典になっていますが、仏教は一つの経典に決められません。ですから仏教はわかりにくいし、よく、100人の僧侶がいれば100の経典がある、と言われるのです。どの経典を学べばいいのか迷います。
 方法として、ブッダの純粋な教え、原点を知るなら原始仏教~ 仏教の教えの深さを知るなら大乗仏教~ ということになりましょうか・・・
 どちらにしても残された仏典に頼るしかありません。その原型の純粋な仏典を伝えていくことが大切でしょう。そうしなければ仏典から部分だけを切り取って都合よく構成して偽りの経典を作り、それを基に親鸞会のような新たな邪教教団がこれからもまた生まれてくることになります。

 Oshoはその危険性を避けるために、自分の講話をビデオやテープに保存させました。そうすれば生の声、姿を知ることができます。それでも最近は、出されている新しいOshoの英書は全て編集本ばかりです。一部の人間により、カルト教祖と誤解される恐れのある部分は削除して出版されています。そして後の世になってOshoの原書を知らない人はその編集本を基準にOshoを判断することでしょう。同じ過ちが為されつつあります・・・
 私は一応Oshoのオリジナルの講話をビデオと本、pdfファイルで全て所有しています。それを出来るだけ多く純粋な形で翻訳して残したいと思っています。

 
 
 

投稿: 宮川義弘 | 2021年1月23日 (土) 08時48分

宮川義弘様:

お褒め戴きありがとうございます。大学院に10年にいた甲斐がありました。ただし、私は梵語・パーリ語・チベット語はわかりませんし、今生では勉強する気ももうありません。下手の横好き的に好きな中国語の文語(いわゆる漢文)と口語とだけは死ぬまでかかわって参りますが。
 それもこれも、自分はいわゆる「寺族(じぞく)」ではないし、同じく「寺族」でなくとも、ここのブログ主さんのようにお寺の娘さんと結婚するような御縁も力量(容貌をも含む)も到底ありません。だから、梵語・パーリ語・チベット語その他を勉強しても、正直なところ発揮する場所がないのでございます。また、こうした言語を学ぶことで、自分なりの小宇宙(中国・日本仏教を中核とし、幼少期からなじんだ世界)を破壊することを恐れます。
 それどころか自分は、近年にいたり障がい者認定をすら頂いた、何の誇るべき点もない、ただのおじさんです。外地に長くいて、数年前に引き揚げて来たので、老い行く親を眺めつつ、何とかしようとしております。むろん、公共機関さんにも相談に乗って頂いております(生活保護のことではありませんよ)。
 同居していた長寿の祖母の影響で、お経(創価学会とかではありません、常識的な伝統仏教のそれ)を覚えるかと思いきや……出羽三山のどこのお寺にどなたの即身仏があるかを図鑑で丸暗記したり、あのオウムについていえば、幹部信徒20人分の名前・階級・ホーリーネーム・学歴を暗誦したりしております。要するに「鶏鳴狗盗」の技であります。でも何かに活用できないかしら?という思いを禁じ得ません。
 ずいぶんむかし業界紙に籍を置いたこともございましたが、編集長ら幹部が、内心では私の生き方の拙さを笑われながら、私のそういう知識だけはいいように使われていることに気づき、縁を切りました。別に高額の原稿料を出せなどとは申しませんが、教えを請う相手を内心で笑いながら、その人の持つ知識だけを利用するような者とかかわると、ろくなことがありません。
 あと数十年後、祖母やなつかしい人々とどこかで再会できたらよいが、その際、少なくとも彼らに対し恥ずかしくない晩年を送れておればよいがと念じつつ、日々を送っております。
 どうか宮川さまが健全のうちに御寿命を保たれ、1冊でも多くOshoの原典を訳出なさいますよう、念じてやみません。いろいろとありがとうございました。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年1月23日 (土) 11時19分

人生の目的っ!様

あなたが市民出版社に出したメールで、市民出版社は大変迷惑しています。
以下がその文面です。

「また 野川さんから長文のメールがきて、そちらに転送してほしいという内容です。
正直に言いますと、大変迷惑という気持ちです。
なぜ宮川さんに直接メールしないのでしょうか?
数日前には直接ここに電話もあり、私が編集者ということは言わず、
ただ話を伺いましたが、「宮川先生に何卒よろしくお伝え下さい」という内容でした。
意図がまったくわかりませんが、もしかしてご自身も市民出版社からの出版を希望されているのでしょうか。だとしたらありえないですし、これ以上のメールは受け取りたくありません。
どうしたらいいでしょうか。」

私としても、あなたに裏切られた気持ちです。
即刻、こういう行為は止めてください。
お願いします。

投稿: 宮川義弘 | 2021年2月 1日 (月) 12時06分

宮川先生:

 私の行動でとんでもないことになってしまい、誠に申し訳ございません。
 
 まず初めに申し上げますが、〈市民出版社からの出版を希望〉してなどおりません。全く希望しておりません!どうか同社の皆様へこの点、速やかにお伝え願います(私がこのうえまた御連絡申し上げると、また御迷惑になってしまいますから)。
 
 宮川先生へ、これまでの御教導の数々を御礼申し上げたかったのですが、どう御連絡申し上げてよいものか分からず、それで今般、『真理の泉』購入を御縁として、御挨拶申し上げた次第であります。

 繰り返しになりますが、先生の手によって1冊でも多くのOshoの原典が訳出されることを念じております。

 改めておわび申し上げます。合掌

投稿: 人生の目的っ! | 2021年2月 1日 (月) 14時29分

人生の目的っ!様

わかりました。あなたの率直な気持ちは伝わります。ただ、出版社を仲介に利用したことは間違いです。結果的に出版社が余計な迷惑を蒙った事になりました。出版社は何の関係もないことです。私への伝言はこちらに書いてください。よろしくお願いします。

投稿: 宮川義弘 | 2021年2月 1日 (月) 15時26分

宮川先生:

 御寛恕に深く感謝し、そして改めて深くおわび申し上げます。今回のことで、私にできるほぼ唯一の具体的なおわびとして、コロナ禍以前はよく利用していたいくつかの大図書館に、『異端の神秘家OSHO・反逆の軌跡』を購入してもらう、ということがまず念頭に浮かびます。私の見る所、すぐ手に取れるのは残念ながら今もヒュー・ミルンの「暴露本」ばかりです。
 紙の本の持つ力量というのはは、ネット化が進む現在にあってすら、なお相当なものであります。ちなみに親鸞会について申しますと、毎日新聞社・室生忠・小澤浩(富山大学元学長)、そして北国新聞社といったビッグネームによる礼讃本(しかも、単行本)が依然として関連コーナーで大きな座を占めております。
 意を尽くしませんが、重ねて御寛恕に深く感謝致しつつ、先生のお訳に成る雪冤の書が全国の大きな図書館に置かれることを深く念じ上げます。この点、私も、リクエストに応じてくれそうな図書館を探して参ります。ここまでお読み下さり、ありがとうございました。

投稿: 人生の目的っ! | 2021年2月 1日 (月) 20時38分

来月で震災から10年か~谷○の布教活動は無視しての一郎の追悼法要
にはご執心の××どももどれだけ反省できたのやら(笑)お前らが仏教とは、
片腹痛いわ。

投稿: T車L号 | 2021年2月 7日 (日) 21時20分

私は、会員ですが少しずつ会に対して疑問を持ち始め、いろいろなサイトを見て不信感を持ち始めました。
以前に当時、福井にある学園に行った時にお布施についてお話を聞きましたが、その内容はお布施は持っている時に納める様にとのこと。何か大きな費用が必要な時にはいつまでにいくら納めます。と言った用紙を配られる事があり、高齢の会員が記入した額を納める前に亡くなった事があった。
会はその金額を当てにして計画が進んでいるのだから、その未納の分を他の会員達が集って納める羽目になった聞かされました。当時は、周りに迷惑をかけてはいけないと思いましたが、冷静に考えるとお布施であり、気持ちなのに、借りてもいないのに死んでも取り立てるなんてヤクザよりヤクザなのでは?と。
他にも今では閑古鳥が鳴いているシネマ学院ですが、本当に必要だったの?
その建設費用って会員にのし掛かってきますよね?なのに、他の会員は「先生が用意していただいた。お布施をさせて頂くご縁を用意していただいた。」等と言うのですが、全部会員の血と汗を流し我慢をしてお布施したお金のお蔭じゃないの?
そして、先日、新聞と共に配布された会長が昔お世話になった下宿先の娘さんとの「劇的再会」を綴った小冊子を先輩会員と読ました。その方は「この方達が居なかったら今日、私達は仏教を聞けていなかったのよ」と言われましたが、もう内心はドン引きです。それを言ったら、会長の両親にも感謝しなきゃいけないの?
今まで支えてきた講師の方や多額のお布施をした会員は?
完全に親鸞会は親鸞聖人の教えではなく高森教になっていますね。

投稿: 迷走中 | 2021年2月24日 (水) 01時41分

>完全に親鸞会は親鸞聖人の教えではなく高森教になっていますね。

そのとおりです。それに気づいたのなら、早く退会する方がいいでしょう。
お布施と称して多額のお金を要求する時点で、それはイカサマであることを知るべきです。
あなたはお布施と引き換えに阿弥陀仏の救いを期待しているのですか?
そんなものはありません。自分の人生を親鸞会のために無駄にするという愚かなことは止めましょう。

投稿: 宮川義弘 | 2021年2月28日 (日) 08時05分

宮川様

コメントありがとうございます。
私も多額ではありませんが、地元の会館建立の時やアニメバス友の会に入りお布施をしました。
当時は、善を少しでもさせて頂こうと思っていました。ですが、ギネス登録をされた辺りから、完全に路線が変わった様に思いました。もはや会は何処に向かっているのか分かりません。
報恩講の目標は「一万人の参詣者」であり、「信心獲得」ではなくなりました。
他の方も言われている様に人集めなんだと思いました。
会長のご子息の法話にも、参加した事がありますが、新聞記事をスクリーンに写してデカイ声で読んでいるだけにしか思えませんでした。
先輩会員は「50年100年伝えていかなければ」と言っていましたが、無理だと思いました。
未練はありません。このままいても時間とお金の浪費をするだけですね。
名号と一緒に「退会します」の言葉を添えて本部に送ればいいのでしょうか?

投稿: 迷走中 | 2021年2月28日 (日) 12時00分

迷走中様

私は親鸞会の会員になったことはありませんので、退会の方法は知りません。
このサイトに投稿している人の中で、実際に退会した人から話を聞ければいいですが・・・
ただ、宗教団体が退会希望者に対して嫌がらせをするというのはよく聞く話です。一筋縄ですんなりとはいかないかもしれませんので、それなりの強い決意と覚悟は持っていた方がいいと思います。

投稿: 宮川義弘 | 2021年2月28日 (日) 12時56分

迷走中さん

>名号と一緒に「退会します」の言葉を添えて本部に送ればいいのでしょうか?

これで大丈夫ですが、おそらく担当の支部長(現在は、講師部ではなく会員)がわかればその人に郵送もしくは手渡しで届けてもよいとおもいます。
説得に来ても強い気持ちで断ってください。彼らもノルマがあるので、一生懸命説得するかもしれませんが、それはあなたの幸せを願ってのことではなく、あくまで自分の組織内での見栄と別の金ヅルを探す手間が面倒なだけす。

投稿: a | 2021年3月 2日 (火) 09時31分

宮川様

コメントありがとうございます。
宮川様は、血縁者の方が会員でしたね。
前のコメントを読んでいたのに、ウッカリでした。すみません。

a様
やっぱり、ノルマあるんですね。

直接、支部長には言いにくいので、本部に送りラインアカウントも消して静かにフェードアウトしたいと思います。
続けていれば必ず会費は上がる事必須。
お布施の要求は増え、過去の法話を録画した物を見せられる為に富山に行き続けたと思います。
私の会員歴は5、6年程で短いですが、それなりに時間とお金を注ぎました。
これからは、自分の為に使います。
ありがとうございました。

投稿: 迷走中 | 2021年3月 2日 (火) 21時31分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 「歎異抄をひらく」がいい映画だった | トップページ | 全国仏教カウンセリング協会代表理事、岡本一志氏と親鸞会のこと »