親鸞会が失ったふたつのもの
少し前に、福井県あわら市の顕真学院が同朋の里に移転し、人のいない元の学舎の写真がブログで紹介されていました。
https://shinrankaidakkai.hatenablog.com/entry/2020/09/14/220542
移転した顕真学院も入学者はほとんどいないそうです。今後は既存メンバーの研修などの需要が中心になると思いますが、私が1998年にここで学んだときの賑わいは完全に消えてなくなりました。いま振り返ってみても、私が研修を受けたあのときが、親鸞会の最盛期だったのでしょう。
言うまでもなく若年層の信者に恵まれた教団は大きく飛躍しますし、そうでなければ年ごとに平均年齢が上がり衰退します。いかなる教団でも、将来ある若者の入信と育成は最優先事項として取り組んでいる問題です。ですから、若者向けのスポーツ大会やバーベキューをしたり、天理教のように年に一度大規模な祭典を開いたり、あるいは最近の築地本願寺のように婚活パーティーまでするところも出てきています。
そんななか、親鸞会は例外的に若者の入信勧誘に成功していた教団でした。しかもレクリエーションをするのではなく、また宗教二世と言われる信者の子供の育成に頼るのでもなく、純粋に人生に悩み宗教を求める人を、大学のキャンパスから探し当てて育成する優れたシステムを持っていました。これは様々な新宗教の活動を知っている私から見ても、多くの優秀な人によって練られたかなり優れたものであったと思います。
しかし、ご存知のように宗教団体であることを隠して活動するそのやり方は、社会的に相容れないものであったことも間違いなく、2010年付近から急激に衰退しました。そしてそのやり方に頼り切っていた教団は、新たな方法を模索する努力も怠りました。
私が親鸞会にいたときは、学生が全国各地からバスを連ねて数百人の規模で参詣していました。聴聞会場の一角は白いワイシャツを着た学生の集団で占められ、休憩時間には真宗聖典を片手にした学生のリーダーがそこかしこで会合をする様子を目にすることができました。しかしそれは確実に過去の一シーンになりつつあります。
かつて親鸞会は、浄土真宗の正当な歴史はわれに続いているのだという自負がありました。その夜郎自大な主張の是非はともかくとして、あの頃の親鸞会の聴聞会場には、確かにその言葉を裏付ける若者のエネルギーがありました。その象徴が学友部であり顕真学院だったと思います。
しかし今の親鸞会はそのどちらも失いました。もっとも、若者のエネルギーが失われたのは親鸞会に限らず東西本願寺にしても同じことです。ただ、両本願寺が600年かけて栄え衰退してきた歴史を、親鸞会は高森顕徹の誕生からわずか100年足らずで駆け抜けようとしている。おそらく親鸞会が衰退したあとも真生会病院くらいは残るだろうと思います。しかしあの射水市の巨大な伽藍が、あわらの旧顕真学院の建物のようながらんどうになる日は、そう遠くないのかも知れません。
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