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講師部員としての矜持、あるいは高森会長から教えられた大切なこと

親鸞会で高森会長から教えられたことの中には、今の私を支えている大切なことがたくさんあります。その一つが「仏法をお伝えするのに、衣食のことを心配する必要はない」という言葉です。これは講師部員だった頃に何度も聞きました。一生懸命に仏法を伝えていたら決して飢えることはないと。講師部員の給料が全額カットされて、法礼だけで生活しなさいと言われたときにも随分言われました。

その時は随分無茶なことを言うなと思ったものですが、結果的にはこれは真実だったと思います。親鸞会にいたときも、親鸞会を出た後も、仏法を聞いてお伝えする活動をしている限りは、経済的に行き詰まることはありませんでした。もちろん苦しいときがなかったわけではありません。でも、なんとかなったのです。

なのでこの言葉は今をも自分を支えている大きな根拠ですし、若い人にも積極的にこの言葉を伝えています。ただ、現在の親鸞会の講師部についてはそうではないようです。

今の親鸞会の講師部は随分減ってしまいました。私がいたときは全盛期で200名以上の講師部員がいましたが、今は100人を切っているようです。名前を聞くと、当時私よりずっと一生懸命で真面目だった人、優秀で力のあった人が次々といなくなっていました。そうやってやめた人の中で、仏法を伝えていこうと思って活動している人はほとんどいません。

現役の講師部員も、なんだかよくわからない経営コンサルをしたり、セミナーの講師になったり、学習塾を開いたり、スピリチュアルサロンのようなものを開設したり。親鸞会で培った「話す力」や行動力、浅い仏教知識を活用して儲けようとする人ばかりです。いったい講師部員の矜持はどうなってしまったのでしょう。私がいたときはこんなことをしたら除名間違いなしでした。講師部員は仏法を伝える以外の活動はしてはならなかったし、そんな暇もなかったのです。

思えば、講師部員という立場は不遇に扱われてきました。給料がもらえていたのが突然もらえなくなり、お布施の収入だけでやっていくように言われ、そのお布施で講師を支えていた担当会員も講師から引き剥がされました。一時期は自由に法話することも許されなくなり、押し付けられて丸暗記した10分間の法話しか話することが出来なかった時代もありました。高森会長は講師部員のことをおそらくすこしも信頼していなかったのでしょう。

今現在の講師部員を見ていると、一部の幹部は親鸞会という組織の存続のことしか考えてないし、末端の講師部員は生活のことしか考えていないように思います。命を投げ出す覚悟でこの世界に入り、仏法を求めて伝えるという使命を抱いて厳しい研修をくぐり抜けて来たのに、どうしてこんな事になってしまったのか。講師部員は優秀な集団でしたし(もちろん例外もありましたが)、一人ひとり魅力的な人物が揃っていました。

でももう、新天地で一から布教していこうという思いのある人もいないだろうし、教行信証を地道に読んでいるような人もいないでしょう。沈みゆく教団にしがみついている幹部も、将来へのビジョンが描けず、上ずったアジテーションを繰り返すばかりで、すっかり元気がなくなってしまいました。親鸞会は老いてしまったのでしょう。この田舎の新宗教の教団としての寿命はせいぜい半世紀くらいのものだったのだろうと、残念に思っています。

「仏法をお伝えするのに、衣食のことを心配する必要はない」

もうこの言葉は親鸞会の中ではすっかり力を失っていることでしょう。こんなことを信じる人もいないし、支えにする人もいないでしょう。この言葉をまだ信頼しているのは、親鸞会から罵倒されて除名になった私くらいのものかも知れません。

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