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親鸞会に利用される寺の住職

先日行われた親鸞会の報恩講で、真宗大谷派の現役の住職さんが弁論大会に出場したそうです。私の手元にそのパンフレットもあります。堂々と名前も顔写真も掲載しています。ただ、パンフレットの肩書は「教員」となっていますが。

この件については複数の人に状況を聞きましたが、人によって言うことが違うのでまだはっきりしたことはわかっていません。ただ明らかなのが、大谷派の寺院の住職という立場のまま、周囲の人たちを親鸞会に勧誘したり、自分の寺の行事という位置づけで親鸞会の行事を主催しているといったことです。

この日本ではどんな宗教を信じようと自由です。そして逃げも隠れもせずに本名をだして活動しているのですから、私からは何も言うことはありません。この点は、選挙に勝つために脱会宣言した柴田未来さんよりよほどまともだと思います。

しかし、寺の住職という立場で親鸞会の布教をすることは許されないでしょう。もし親鸞会の講師がその立場のままで他宗教の布教をしたら、除名どころではすみません。

大谷派という教団には私も様々な疑問を持っていますし、この教団には何万人という人が僧侶として所属しているのですから、その中の数人が親鸞会にシンパシーを感じて協力するのは不思議なことではないと思っています。逆に親鸞会に愛想を尽かして東西本願寺に来る人は、その数十倍はいるのですから。

ただ、大谷派という教団は少なくとも教団に対して意見の言えるところです。おかしいと思った所があれば言いたいことは言えるわけですし、批判も可能です。親鸞会で寺や本願寺教団の批判を一人前にしてきたのかもしれないが、そのことをほかならぬ本願寺教団に対して言ってきたのでしょうか。言わないのなら、単なる陰口でしょう。

彼の住職の言葉は現役の住職ということで、散々親鸞会のメディア戦略に使われてきました。

このブログで何度も報じたことですけど、会員を騙して高森会長の贅沢施設を次々と建設し、未だに自分たちの教団を隠さなければ布教一つできないようなところに、自分の立場が利用されていることに気づいて欲しいです。

住職という立場で人がついてくるのは、今まで大谷派という教団が、たとえ大きな問題を抱えているにせよ、曲がりなりにも門信徒と信頼関係を築いて、自浄作用を働かせてきたからです。あなたの手柄ではありません。親鸞会に勧誘する目的ならその看板は捨てるべきです。当然でしょう。

住職という立場で親鸞会が重用してくれるのは、その看板が親鸞会の宣伝にとって極めて都合がいいからです。あなた自身が求められている訳ではありません。

教員なのだから、そのくらいわかりませんか。どちらにも片足突っ込んだままでいいとこ取りをするような生き方が果たして教えに対して誠実な態度なのかどうか、少しは考えてみるべきです。自分のいる寺を守って育ててきた大谷派という教団に対して、きちんとけじめを付けてほしい。

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