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富山県のあるお寺が親鸞会の傘下に

富山県のある浄土真宗寺院(浄土真宗本願寺派)が、宗派を離脱して親鸞会の傘下に入るというニュースが入りました。

現在進行中の事柄ということもあって、詳細をここで述べることは出来ませんが、とても悲しく残念に思っています。

今までにもこうしたことはありました。親鸞会に長く居た人なら、岐阜県のあるお寺が親鸞会に転じようとしたが、その強引なやり方に門徒さんたちの理解を得ることが出来ず、頓挫したことを知っている人も多いでしょう。他にも何件かこのような動きがあったことを知っています。

一つ今までの例と違うのは、今回この寺院の離脱と親鸞会入りには、経済的な問題が影を落としており、周囲の寺院はそれを何とかしたいと努力したのですが、どうにもならなかったという背景があると聞いていることです。

これを聞いて私自身のことも思い出しました。私はいま真宗大谷派末寺の住職をしていますが、先代の住職が倒れて三年の間寺院活動が停滞しており、入寺するときに多額の本山への未納金が貯まっていました。それを納めないと住職になれないというのが、本山側の言い分でした。

しかし、未納は私の責任ではないし、第一私が住職になれなければ未納分を払う為に動くことも出来ないのです。そのことは再三言いましたし、担当された方も丁寧で親身になって相談に乗ってくれました。しかし「議会で決まったのでそうするしかない」という一言から先は、何をすることもしてもらうことも出来ませんでした。

この対応にご門徒さんたちは怒り、今まで何百年も本山を支えてきたのにこの対応は何だと、宗派離脱しようという主張もずいぶんあったようです。それを総代と副総代が、新任の住職に恥をかかせたくないと必死にお金をかき集めて支払って下さり、私は住職になることが出来ました。

この未納の問題では、ずっと後にまた嫌な思いをすることになるのですがそれは書きません。ただ当時私が思ったのは、もし親鸞会だったらこの程度のことは、高森会長の一言でなんとでもなっただろうなと思ったことです。

会長の一言でなんとでもしてしまう教団と、議会で決まったことは決して動かせない教団とでは、明らかに後者の方が健全だと私は思います。

ただ、身一つで入っても厳しい研修(それ自体には相当の問題がありましたが)さえクリアすればその後の道は用意されたり、年老いて活動が出来なくなっても会館の管理などの仕事を用意して見捨てない親鸞会に対して、私の知っている伝統教団というのは、一人では使い切れないような収入を得る僧侶が居る一方で、何も持ってないけど新たに教団に入って頑張りたい人や、困窮して何ともならなくなった人に対しては、それを助けてフォローしていく仕組みが殆どありません。

もちろんだからこそ親鸞会では組織と高森会長に何があっても逆らえないし、自浄能力は働かず、批判しようものならあっという間に追い出されます。伝統教団では本山が守ってくれない分、ある程度組織に批判的でもその中でやっていくことが出来ます(つまりこういう記事を書いても教団から追い出されることはありえません)。どちらが健全かと言えばやはり後者です。

でも私は思うのです。

私のケースのように未納のお金を払えず住職が寺に入れなくなったり、困窮して寺院活動が出来なくなる寺院があったとして、そこに親鸞会が自分たちなら大丈夫ですと近寄ってきたら、入ってしまう人はこれから出てくるのではないかと。

教団の研修などでは自己責任で経済至上主義の現代社会を批判する人は多いのですが、一方寺院運営というのはあきれるくらい自己責任の格差社会であったりします。

私は、もう成り立たなくなったお寺を無理にでも維持する必要があるのかどうか、わかりません。言うまでもなくケースバイケースでしょうし、ひょっとしたらそこに費やすエネルギーを都市開教に振り向けた方がいいのかもしれない。だからわかりません。

わかりませんが、親鸞会はおそらく今回のようなケースをこれからも狙ってくるでしょう。彼らは本願寺派や大谷派から親鸞会に移った寺があるという事実が欲しいのです。そして、それを大いに宣伝に使うはずです。

これは仕方が無いことなのでしょうか…

私は、このブログの性質上伝統教団の抱える問題を書くことは、親鸞会を利すると思い極力避けてきましたが、今回は勇気を出して書きました。いつものように内容と関係の無いコメントでコメント欄を埋めるようなことはしないで下さいね。

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コメント

今まで親鸞会などの新興宗教は問題が多く、伝統的な宗教は安全と思いましたが、色々問題があるのですね。それにしても浄土真宗に限らず、教えを説かない寺が多いです。

投稿: ブラウンタビー | 2016年3月13日 (日) 20時24分

ぶるうのさま、皆様:

   いかにも腹立たしいことではございましが、新宗教教団が伝統仏教寺院を買収したり、あるいは伝統仏教にいちおう属する寺院を建立して箔付けをはかり、かつ、
 
        「うちの教団でも立派にお葬式が出せますよ!」

と老信者を安心させようとした例ならば、古くは昭和20年代の「まこと教団」(のちの真如苑)が、そして昭和50年代に顕正会(強引な入信勧誘で有名で、親鸞会の日蓮系カルト版とのあだ名もあり)がやっていたことです。前者の場合は戦後の社会変動で無住の貧窮寺院が関東近郊に目立ったからであり(三土修平著『みずぶくれ真如苑』を参照)、後者の場合は日蓮正宗寺院住職という、いちおうは名誉ある立場を捨てて自分たちについて来た老僧への恩賞だったと聞きます(下山正恕著『冨士大石寺顕正会』)。後者はその老僧の亡きあと、同教団の葬祭施設と化したと聞いております。

   腹立たしいことですが、他のカルト(顕正会)や、カルトとこそ見られていないがやたらお金のかかる新宗教で既にやったことを今回、親鸞会がまねたものと見られましょう。親鸞会とて善知識サマ亡きあとはどうなるやら分かったものではないのに。以上、取り急ぎ気づいたことを。

投稿: 驚くには当たりません,他教団のパクリです | 2016年3月13日 (日) 20時26分

なんだかなぁ

投稿: | 2016年3月13日 (日) 23時34分

廃寺にする勇気だな。

投稿: | 2016年3月14日 (月) 02時04分

地方の末寺などは、これから経済的に大変でしょう。都市とりわけ、東京への一極集中は続いている一方、地方は高齢化と過疎化で人口はだんだん少なくなる。また地方と都市の経済格差も広がってきています。
これでは地方での門徒獲得はいよいよ厳しくなってくるでしょう。畢竟親鸞会のような新興教団の呈示する変な条件を呑んででも、地方の末寺は存続を図らざるを得なくなる。カルト寺の増殖・・・・
由々しき事態です。

多額の収入のあるお寺は地方の困窮しているお寺にカンパするなり、システム的に累進課税のような仕組みを取り入れるべきでは。
もちろん、困窮しているからと言って無条件に支援が得られるとすると、地方の末寺も甘えて怠けるところがでてくるので、きっちりお寺の再建計画をたてて、その実行を本山などが監督できる仕組みを作り、それを了承したお寺だけに一定期間の優遇措置を与えるという制度を創設すべきでしょう。再建計画すら立てないようなお寺はやる気がないと見なして援助しない。

投稿: Kmountain | 2016年3月14日 (月) 13時53分

困窮寺院を買い取り、宗教法人を隠れ蓑に詐欺や霊感カルトの営利活動が行われているニュースを思い出した。

投稿: ゆうた | 2016年3月14日 (月) 19時10分

本願寺、本願寺て10派有るけど、これはどこなの?

投稿: | 2016年3月14日 (月) 19時31分

浄土真宗本願寺派って書いてあるだろw

投稿: | 2016年3月14日 (月) 19時40分

宗務所に問い合わせたら分かるかもしれないけど、せめて、西か東程度は

投稿: | 2016年3月14日 (月) 19時47分

親鸞会の傘下に入ろうとしている住職さんは、さよなら親鸞会、飛雲や安心問答、真偽検証などの何年分か読んだらいいよ。目玉がデングリ返りするくらい驚くから・・・
親鸞会のカルト的性格や高森会長がお聖教をほとんど読んだことのない!タマゲタ「大善知識様」なことがわかるから。歴代善知識方(自称も含む)でお聖教をほとんど読んでいない人なんて高森氏以外いないから。

入っちゃったら後で後悔するよ。この教団に入って、後悔してる人すごく多いんだよ!

投稿: | 2016年3月14日 (月) 19時51分

詳しい人いたら教えて下さい。

廃寺を売却したら、そんなものは親鸞会になるだけでないの?傘下、とか仰々しい話にはならないのと違いますか?

投稿: | 2016年3月14日 (月) 19時55分

跡継ぎのいない貧乏寺をのっとって自分のものにしてやろう位の魂胆でしょう。どうしてこんなことになるのかといえば、やはり各宗教施設が独立採算でやっていることが一番の原因です。
キリスト教の場合ですが、本山があるというシステムでここではカトリックの例をとりますと、カトリックの場合は各教会は独立採算ではありません。教区に属する神父に関しては、教区ごとにまとめて集計し、司祭や司教の給与が分配されます。また修道会に属する神父は、修道会ごとに決まった給与額が支給されますが、教区に属する神父よりははるかに低額で、修道会によっては給料を出さないところもあります。

投稿: | 2016年3月14日 (月) 20時48分

宗派離脱だけなら、単立寺院になれば良いのであって、親鸞会の傘下に入るのはやはり、住職の見識が問われるものでしょうね。
当事者以外、経緯を知らないものがどうこう言う問題ではないかもしれないですが、宗派への不満があるからと言って、安易に親鸞会に参加するのは極めて異常なことと思います。

投稿: | 2016年3月15日 (火) 01時04分

詳しく無いから分からないんだけど、
上納金というシステムはどういう事なんだろう?

投稿: | 2016年3月15日 (火) 10時26分

今朝、読売新聞の朝刊を見て、たいへん驚きました。ついに一万年堂出版が、教育評論家の尾木直樹(尾木ママ)から書評を得て、さっそく広告に使っているではありませんか! 尾木ママは自分が何をしているのか理解できてないと思います。

投稿: | 2016年3月15日 (火) 12時35分

北日本新聞も親鸞会という名前を出さすにこんな記事出してます。http://s1.gazo.cc/up/181289.png
新聞というのは、きちんと裏を取ってから記事にして欲しい。

投稿: | 2016年3月15日 (火) 12時47分

まあ、やればやるほどリバウドありますよ。
真実でないもねが蔓ったためしは無いですからね。

投稿: | 2016年3月15日 (火) 12時49分

投稿: | 2016年3月15日 (火) 12時51分

そのお寺も地方の親鸞会館のようになり、かかえてる門徒を巻き込んで毎日、勤行やご法話をやるようになるんでないかい。説法すれば寺も繁盛すると思ってるのでしょうか?問題は説法の内容がどうかという事です。正しい事なら非常にいい事ですがね。

投稿: | 2016年3月16日 (水) 10時29分

本願寺の末寺が親鸞会になびいたと大喜びでしょうね。他の寺もなびいてくると寺の新勧大作戦が始まりますよね。

投稿: | 2016年3月16日 (水) 16時21分

某女性弁護士の立候補といい、今回のお寺買収といい、いずれもお金がかかることばかり。そのお金はどこから湧いて来るのでしょうか?  本当に腹立たしい限りですが、正義が必ずしも邪悪に勝つとは限らぬ娑婆であるということを、改めて認識させられます。

これはいまふと思ったことですが、そのお寺をひょっとして

           高森顕徹先生御廟

にでも改造するんでしょうか?  高森氏が育ったお寺は、もん太氏の報ずるところでは、新築されて、失礼ながらあまりお寺らしからぬたたずまいです。それでいかにも大寺という感じだが、経営難に陥ったお寺を買収して……続報が待たれます。

投稿: どこからお金が湧いてくるんでしょうか | 2016年3月16日 (水) 22時47分

子息が障がい児なのでいよいよ聞法に勤めているという親鸞会館(どこのだろう?)の館長氏の公園のことが報ぜられています。「障害児の部屋が造られることとな」るのだそうですが、悪名高い「子供部屋」の二の舞にならぬことを真摯な思いを込めて念じとうございます。医療ミス裁判は結局どうなったのでしょうか?

http://www.keyrose.net/
       (前略)
そんな時、親鸞会館に障害児の部屋が造られることとなりました。仏の慈悲は苦ある者にひとえに重し、高森先生はどこどこまでも私たちを心配して下されています。

 このご恩、どうしてお返しすればよいのでしょうか。

投稿: | 2016年3月16日 (水) 22時52分

もしも貴方が信前なら、正しい信心決定をすれば
高森先生だけでなく諸神も諸菩薩も諸仏も阿弥陀仏も
たいへんお喜びになられることでしょう。

信心正因 称名報恩

「 (略) 他力というは、弥陀をたのむ一念のおこるとき、やがて御たすけにあずかるなり。そののち念仏もうすは、御たすけありたるありがたさありがたさと、おもうこころをよろこびて、南無阿弥陀仏に自力をくわえざるこころなり。されば、他力とは、他の力というこころなり。この一念、臨終までとおりて往生するなり」と、おおせそうろうなり。 蓮如上人御一代記聞書

注意すべき古語① たのむ ② やがて

貴方のことはよく存じ上げませんが、
御恩に報いたくても御恩に報えないことでお悩みでしたら、
「そんなあなたを常に阿弥陀仏は救い続けて下さっています。」

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏


投稿: | 2016年3月17日 (木) 05時04分

>>もしも貴方が信前なら、正しい信心決定をすれば
高森先生だけでなく諸神も諸菩薩も諸仏も阿弥陀仏も
たいへんお喜びになられることでしょう。


→「阿弥陀仏も」、とオマケみたいに、阿弥陀仏は最後なのね。
「高森先生だけでなく」と まずは 高森先生なのね。さすが善知識だのみのカルト集団。高森先生は喜んで除名にする、の間違いではないの?

投稿: | 2016年3月17日 (木) 06時17分

以下のように末寺の本山批判は偏見や差別にさらされます。

できるだけ直言され続ける事をおすすめします。


一 至極末弟の建立の草堂を称して本所とし、諸国こぞりて崇敬の聖人の御本廟本願寺をば参詣すべからずと諸人に障碍せしむる、冥加なきくわだてのこと。
 それ慢心は、聖道の諸教にきらわれ、「仏道をさまたぐる魔」と、これをのべたり。わが真宗の高祖光明寺の大師、釈してのたまわく、「憍慢弊懈怠 難以信此法」とて、「憍慢と弊と懈怠は、もってこの法を信じることかたし」とみえたれば、憍慢の自心をもって仏智をはからんと擬する不覚鈍機の器としては、さらに仏智無上の他力をききうべからざれば、祖師の御本所をば蔑如し、自建立のわたくしの在所をば本所と自称するほどの冥加を存せず、利益をおもわざるやから、大憍慢の妄情をもっては、まことにいかでか仏智無上の他力を受持せんや。「難以信斯法」の御釈、いよいよおもいあわせられて厳重なるものか。しるべし。(改邪鈔)

しかし、よくよく考えると「同じケースで支払っている寺が有り、例外を認められない」と本山が仰っておられないならば、本山も本音を隠しておられるような気がします。

①本音が言えない時はどんな時か。

②本音を聞き出すにはどうすれば良いのか。

を考えて見られるのも良いと思います。

私の本音は、

仏様はいざ知らず 世間相場では

上を切れば下に切られ

下を切れば上に切られ

同等を切れば同等を切られると思っているので

貴寺は下を切っていると疑われている可能性があります。

特に無財の下です。

思い当たることが全く無い場合は、

本山に仏罰が当たるでしょう。

上のコメントに

仏の慈悲は苦ある者にひとえに重し

と有りました。

苦しんでおられるのは都市の方か、
末寺に有縁の方なのかで決められてみる方が良いと思いますが、
インターネット社会なので両立も可能だと思います。

あまりお役に立てず申し訳ありません。


南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

投稿: | 2016年3月17日 (木) 06時52分

>「阿弥陀仏も」、とオマケみたいに、阿弥陀仏は最後なのね。
私もそう思います。誠に申し訳ありませんでした。

>さすが善知識だのみのカルト集団。高森先生は喜んで除名にする、の間違いではないの?

喜んで除名にする先生は、善知識ではありません。
善知識だのみのカルト集団と書いたりされていますが
あなたにとって高森先生は、善知識なのでしょうか?
支離滅裂になっています💗

南無阿弥陀仏

投稿: | 2016年3月17日 (木) 07時00分

会長は悪知識です。

投稿: | 2016年3月17日 (木) 07時42分

親鸞聖人と真逆のことを教えながら、”これこそが親鸞聖人の正しい御心”と大法螺を吹いている高森会長が、善知識か悪知識かなんて、論じる以前の問題でしょう。

投稿: | 2016年3月17日 (木) 14時13分

親鸞会の嘘と腐敗を差し置きて、
他教団の話をするところか?

本山に言い続けるとか、
高森会長らの悪事はほったらかしか。

なんで講師部員たちは自らの教団の教義の腐敗に気づくどころか、幹部の腐敗も見て見ぬふりで従ってるんだ?

投稿: | 2016年3月17日 (木) 14時43分

あくまで推測でしかないが、

「戦争被害国の人の為」という理由にして
無責任化する日本の組織の一つかも知れない。

戦後、国内不満を外国侵略で抑え込んだことを
深く反省していたのではなかったのか。

たとえ「戦争被害国の人の為」が本当の理由としても

誠心誠意の反省が行き過ぎて

≪ ≪ 「戦争被害国の人」を阿弥陀如来以上に敬うべきではない。 ≫ ≫

将来、強烈な外国人差別の原因になるだけである。   南無阿弥陀仏

投稿: | 2016年3月17日 (木) 18時10分

買い取るとか、不思議な事をやり出したのは、銀行が殆どゼロ金利だから、銀行は一般に貸して利息を取るしか無いからではないでしょうか。日銀にお金を納めても金利が無ければ、一般に貸して高い利息を取るしか無いからでしょう。しかし賢い人ならば、この状況では借金は返しても新たな借金はしません。
行き当たりばったりならば、沢山借りれば良いでしょうけど。

投稿: | 2016年3月17日 (木) 20時46分

ゆるキャラを製作する。 

はく製を食する...  (昨日はく製の実情をTV放送していた)

「まれに人身をうけて生命をほろぼし、肉味を貪ずる事、はなはだ、しかるべからざることなり。されば如来の制誡にも、このこと、ことにさかんなり。しかれども、末法濁世の今時の衆生無戒のときなれば、たもつものもなく、破するものもなし。これによりて、剃髪染衣のそのすがた、ただ世俗の群類にこころおなじきがゆえに、これらを食す。とても食する程ならば、かの生類をして解脱せしむるようにこそ、ありたくそうらえ。しかるに、われ名字を釈氏にかるといえども、こころ俗塵にそみて、智もなく、徳もなし。なにによりてか、かの有情をすくうべきや。これによりて袈裟はこれ、三世の諸仏解脱幢相の霊服なり。これを着用しながら、かれを食せば、袈裟の徳用をもって、済生利物の願念をやはたすと、存じて、これを着しながら、かれを食する物なり。(略)」  (口伝鈔)

投稿: | 2016年3月18日 (金) 10時00分

食人族じゃ。分かり易く解説せんかい。なんじゃこら。

投稿: | 2016年3月18日 (金) 13時25分

食人族?人間のはく製をお持ちですか?

投稿: | 2016年3月19日 (土) 00時27分

わかりにくくてすみませんでした。

あらゆる生命を救うため
「はく製を引き取って食する」ことを
副業とされてみてはいかがでしょうか?という冗談です。


口伝鈔 略出 の現代語訳

「人間に生まれることは本当に偶然なのです。
   そんな生命を頂く我々が他の生命を奪って自らの生命を繋いでいます。
   非常にしかるべからざる事なのです。
   如来が定められた戒律にも、肉食を厳に戒めているのはよく知られるところです。

   しかし、末法故の濁った世界に生きている今の我々は、戒律はあってないようなものです。
   保つべき戒律もなければ、それを破る道理もありません。
   これによって体裁は剃髪して墨染めの法衣を着てはいるけれども、
   心の内側は世間一般の人々と寸分変わるものではありません。
   だから食べ物も特別変わる訳ではないので、皆さんと同じ物を頂きます。
   ならばどうせ食べるのならば、我々のために犠牲になった生命を解脱させてやりたい、
   そのように考えるのです。
   しかるに我々僧侶は出家してから“釈”を姓としながらも精神は世俗の塵に染まって、
   智慧才覚もなければ人徳もありません。
   ならばどのようにして、あらゆる生命を救うべきなのでしょう。
   そう考える時、袈裟はまさしく現在・過去・未来の諸仏が示して下さった、
   覚りの世界へ至る道しるべたる霊服なのです。
   これを着たまま食べたならば、袈裟が持つ功徳によって、
   生あるものを救い利する願いも成就すると考えて、私は袈裟を着けて頂くのです・・・。」

コピペ先 http://blogs.yahoo.co.jp/namoamidabutsu18/46228181.html

投稿: | 2016年3月19日 (土) 00時40分

大変よく分かりました。「いただきます」の気持ちを表した言葉ですか?

投稿: | 2016年3月19日 (土) 09時23分

講師部員も高森会長も凡人なんだろ。
虚業から実業に移行したがっていた永野とかわらん。

投稿: | 2016年3月19日 (土) 12時57分

>「いただきます」の気持ちを表した言葉ですか?

あらゆる生命を救うため(笑)

投稿: | 2016年3月19日 (土) 17時09分

しかし、死後何日以内とかあるのでしょうか?

阿弥陀仏のおはたらきで
お葬式の読経が無意味ではないということなのでしょうか?

混乱します。ご存知ですか。

投稿: | 2016年3月19日 (土) 17時11分

後生の一大事は本当にあるのだろうか?
一切衆生必堕無間の根拠は乏しいようですが。
深層心理学では、まず、中浮界とか精霊界なる肉体の無い世界に留まり、時空の無い異次元の霊界にいく事になってるみたいです。まさに無間の世界です。
そこが地獄ならば無間地獄になります。肉体のない異次元の世界が本質で、人生はマトリクスの世界になります。異次元の扉はプラズマに秘密があり、全宇宙の本質もプラズマであり、弥陀の本願力の正体もプラズマであると思います。ナチスはグリルパワーと言っていました。

投稿: | 2016年3月19日 (土) 20時42分

>一切衆生必堕無間の根拠は乏しいようですが。

少なくとも、自力念仏の衆生は化土往生だと思います。

>弥陀の本願力の正体もプラズマであると思います。

プラズマって無量無辺の光明なのですか?

>そこが地獄ならば無間地獄になります。

車にさえ事故が起きないうちから保険をかけるのですから、
信心決定まで聞法されてみてはいかがですか?

最近の記事「やめた人の責任も」お読みいただければと思います。

投稿: | 2016年3月20日 (日) 00時44分

なんか、日銀の実質マイナス金利やらの話から、話がズレ始めた。この手の話題が嫌なのか。
今の銀行に預けても、金利は果てしなくゼロになるのは、日銀に各銀行が預けていたら儲かったのが儲からなくなったから。

そこで、一般の人に貸して高い金利をとった方が良いので、貸し出したくてたまらない訳。借りたい一杯の人と貸し出したい一杯の人が合致する。
建物をバンバンバンバン建てる。
でも利息は、きっちり払わないといけないからね、

投稿: | 2016年3月20日 (日) 09時58分

個人の住宅ローンならば得だけど、そんな名目だったかな?

投稿: | 2016年3月20日 (日) 10時02分

プラズマは宇宙の99.9999パーセントを構成し、時空を超えて無限のエネルギー(光を超えた性質)を持っています。このエネルギーを応用した文明がグリルであり、UFO技術も簡単に作りだしてしまいます。アダムスキー型UFOはナチスが作ったもので、その手本が存在しアメリカの陰の政府がすべて牛耳っています。戦艦エルドリッチの実験で偶然に異次元への入り口を開けてしまい600キロの瞬間移動をしています。人生はマトリックスにすぎません。

投稿: | 2016年3月20日 (日) 10時40分

>人生はマトリックスにすぎません。

コンピューター・プログラム社会でしか生きれないという意味ですか?

投稿: | 2016年3月20日 (日) 12時23分

本質は肉体を持たない異次元世界の霊体にあり、人生は夢幻の刹那という事です。流転輪廻から離脱するという事では法に相違はしないという事です。

投稿: | 2016年3月20日 (日) 19時13分

どうやって離脱するのですか?

投稿: | 2016年3月20日 (日) 23時22分

肉体を失えば必然的に霊体だけが残ります。やがてその姿も失い形のないエネルギー、光、のような存在になり異次元の霊界に滞在します。
恐ろしいのは偶々肉体を持ったまま異次元に迷い込む事があります。俗にいう神隠しってやつです。オーロラや雷などの大気プラズマが空間に穴をあけます。闇のアメリカ軍は偶然にその方法を発見し超極秘事項にしています。
あと、夢をみるようにして意識だけ霊界に迷い込む事もあります。幽体離脱
仏教ではどのように説明がつくのかな?

投稿: | 2016年3月21日 (月) 07時49分

よくわかりませんが、
http://minneko.blog.so-net.ne.jp/2015-05-31の第一段階に近い状態で
神通力が使える人ということでしょうか?

お役に立てず済みません。学士にお尋ねされてみてはかがですか?

投稿: | 2016年3月21日 (月) 10時47分

投稿: | 2016年3月17日 (木) 05時04分の

たのむ一念 の 一念は、一回の念仏の意味では無いです。

遅れて誠に申し訳ありませんでした。

投稿: | 2016年3月21日 (月) 15時54分

>最近の記事「やめた人の責任も」お読みいただければと思います。

長いのですが、
最近の記事「やめた人の責任も」の 
投稿: | 2016年3月13日 (日) 01時56分 だけでもお読みいただけたら幸いです。

投稿: | 2016年3月21日 (月) 16時03分

やめない人に責任無いの?

投稿: | 2016年3月21日 (月) 18時27分

やめない人には責任ないよ。信教の自由なんだから。高森先生に騙されて地獄に堕ちても後悔しないっていうんだから。騙されたって怒る人は責任あるだろ。

投稿: | 2016年3月21日 (月) 19時43分

腐った弁当だと知っていて提供され、食べる人には責任は無く

腐った弁当だと隠して食べさせられた人は怒るな、

こういう話ですね。

所で、傘下に入ってしまった本願寺の寺とだけ言われても、どこの寺ですか。

投稿: | 2016年3月21日 (月) 20時56分

創価学会では、大見得を切って日蓮正宗を去り、創価の側へ付いた僧侶への恩賞として、いわゆる「会館寺院」をいくつか建立しております。老朽化した普通の学会施設に寺号を与えたに過ぎませんが、それでも宗門を去るやたちまち路頭に迷った僧侶(元僧侶?)にとってはありがたい存在であり、また、地方など古いしきたりが残るところでは、普通に戒名が付くとあって、世間体を重んずる比較的裕福な学会員には歓迎されていると聞きます。

親鸞会の今度の寺院買収もきっとこれの模倣ではないかと勘ぐられます。そのお寺のもともとの寺族を引き続き会長の深いお慈悲で住まわせてやるほか、例の大見得切って大垣の大谷派寺院を去って行った元住職父子をも住まわせてやり、葬式のことが気になりだした高齢の古くからの会員の心をつなぎとめようという魂胆かと思われます。何かこう親鸞会のオリジナルな布教活動は無いものですかねぇ。

投稿: ひょっとして「会館寺院」の模倣でしょうか? | 2016年3月22日 (火) 22時21分

寺から親鸞会に寝返ってくるか、寺のSK大作戦が展開されるのか見ものです。

投稿: | 2016年3月24日 (木) 09時27分

親鸞会に買収されたら、長年の門徒さんは親鸞会の法話を聞かされる訳ですか。門徒を差し出すというのは見識を疑いますね、やはり。信教の自由どころか、あんなお金のかかる所へ人を売るなんて、、と思いますよ。

投稿: | 2016年3月24日 (木) 09時30分

衰えた浄土宗から浄土真宗が生まれたように、
衰えた浄土真宗から親鸞会が生まれたと言われたら
否定できますか?

投稿: | 2016年7月 9日 (土) 11時46分

衰えた浄土宗から浄土真宗が生まれた、
という意味がよくわからないですが、
浄土真宗的な教えに、
娑婆が免疫を持ってしまったのは、
もう二百年以上前くらいのことでしょう。
それこそ、
石門心学とかね。

薬も長年使っていれば体が慣れてしまうように、
教えも同様です。

親鸞聖人に固執することを笑っているのは、
当の親鸞聖人でしょう。

あと、
寺院の本末関係ですが、
念仏を忘れた宗会に左右されるのは嫌ですね。
本山護持の義務があるのなら、
本山には末寺や僧侶を守る義務もありそうなものてすが、
それすらも娑婆の分別ですから、
僧侶には無用のものでしょうし、
嘆くほどのことでもないでしょう。

投稿: | 2016年10月13日 (木) 15時19分

浄土宗が分裂して浄土真宗が生まれたことを「浄土宗が衰えた」と表現しました。栄えていれば分裂する必要も無いわけですから。
もっとも浄土宗が浄土真宗を名乗ることもあるみたいですが。
「娑婆の分別」「僧侶には無用」「嘆くほどのことでもない」とおっしゃるのなら、
それこそお寺がカルトに買収されようと潰れようとどうでもいいのでは?
まさしく「語るに落ちる」ですね。

投稿: | 2016年11月 3日 (木) 00時02分

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