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元本願寺派寺院が親鸞会に譲渡されつつある問題、いわゆる「観勢寺問題」についての文化時報の記事。

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タイトルの通りです。いまあまり時間が無いので記事だけアップしておきます。
ところで親鸞会が住民説明会に来たときに、吉村総長が話をしたそうなのですが、「東西本願寺は正信偈の教えを正しく説いていないから私たちが説きに来たんだ」みたいな発言を連発していて、住人はあまりの夜郎自大ぶりに苦笑していたとか。
その理屈が通用するのは親鸞会の中だけなんですけど、まあ、わからないんでしょうね。

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長南瑞生(中村僚)は浄土真宗親鸞会の講師です。

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ブログのコメント欄で知りました。アップして下さった方ありがとうございます。
この、日本仏教アソシエーション株式会社、代表取締役の長南瑞生氏は以前は「中村僚」という名前で正体を隠した布教していた人で、親鸞会の講師部員です。かつて「やや日刊カルト新聞」藤倉氏がこの人物の作った冊子をとりあげたところ、本人から「著作権侵害」で藤倉氏は刑事告訴されています。

http://archive.is/pRSvt
http://spiruna.blog89.fc2.com/blog-entry-2429.html

長南瑞生氏は他にもネットを使った偽装勧誘の成果で親鸞会からも表彰されていたりしますが、どうして北日本新聞がこの人物をカルチャーセンターの講師にしたのか不明です。
何かわかったらまたここでお知らせしたいと思います。


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富山県のあるお寺が親鸞会の傘下に

富山県のある浄土真宗寺院(浄土真宗本願寺派)が、宗派を離脱して親鸞会の傘下に入るというニュースが入りました。

現在進行中の事柄ということもあって、詳細をここで述べることは出来ませんが、とても悲しく残念に思っています。

今までにもこうしたことはありました。親鸞会に長く居た人なら、岐阜県のあるお寺が親鸞会に転じようとしたが、その強引なやり方に門徒さんたちの理解を得ることが出来ず、頓挫したことを知っている人も多いでしょう。他にも何件かこのような動きがあったことを知っています。

一つ今までの例と違うのは、今回この寺院の離脱と親鸞会入りには、経済的な問題が影を落としており、周囲の寺院はそれを何とかしたいと努力したのですが、どうにもならなかったという背景があると聞いていることです。

これを聞いて私自身のことも思い出しました。私はいま真宗大谷派末寺の住職をしていますが、先代の住職が倒れて三年の間寺院活動が停滞しており、入寺するときに多額の本山への未納金が貯まっていました。それを納めないと住職になれないというのが、本山側の言い分でした。

しかし、未納は私の責任ではないし、第一私が住職になれなければ未納分を払う為に動くことも出来ないのです。そのことは再三言いましたし、担当された方も丁寧で親身になって相談に乗ってくれました。しかし「議会で決まったのでそうするしかない」という一言から先は、何をすることもしてもらうことも出来ませんでした。

この対応にご門徒さんたちは怒り、今まで何百年も本山を支えてきたのにこの対応は何だと、宗派離脱しようという主張もずいぶんあったようです。それを総代と副総代が、新任の住職に恥をかかせたくないと必死にお金をかき集めて支払って下さり、私は住職になることが出来ました。

この未納の問題では、ずっと後にまた嫌な思いをすることになるのですがそれは書きません。ただ当時私が思ったのは、もし親鸞会だったらこの程度のことは、高森会長の一言でなんとでもなっただろうなと思ったことです。

会長の一言でなんとでもしてしまう教団と、議会で決まったことは決して動かせない教団とでは、明らかに後者の方が健全だと私は思います。

ただ、身一つで入っても厳しい研修(それ自体には相当の問題がありましたが)さえクリアすればその後の道は用意されたり、年老いて活動が出来なくなっても会館の管理などの仕事を用意して見捨てない親鸞会に対して、私の知っている伝統教団というのは、一人では使い切れないような収入を得る僧侶が居る一方で、何も持ってないけど新たに教団に入って頑張りたい人や、困窮して何ともならなくなった人に対しては、それを助けてフォローしていく仕組みが殆どありません。

もちろんだからこそ親鸞会では組織と高森会長に何があっても逆らえないし、自浄能力は働かず、批判しようものならあっという間に追い出されます。伝統教団では本山が守ってくれない分、ある程度組織に批判的でもその中でやっていくことが出来ます(つまりこういう記事を書いても教団から追い出されることはありえません)。どちらが健全かと言えばやはり後者です。

でも私は思うのです。

私のケースのように未納のお金を払えず住職が寺に入れなくなったり、困窮して寺院活動が出来なくなる寺院があったとして、そこに親鸞会が自分たちなら大丈夫ですと近寄ってきたら、入ってしまう人はこれから出てくるのではないかと。

教団の研修などでは自己責任で経済至上主義の現代社会を批判する人は多いのですが、一方寺院運営というのはあきれるくらい自己責任の格差社会であったりします。

私は、もう成り立たなくなったお寺を無理にでも維持する必要があるのかどうか、わかりません。言うまでもなくケースバイケースでしょうし、ひょっとしたらそこに費やすエネルギーを都市開教に振り向けた方がいいのかもしれない。だからわかりません。

わかりませんが、親鸞会はおそらく今回のようなケースをこれからも狙ってくるでしょう。彼らは本願寺派や大谷派から親鸞会に移った寺があるという事実が欲しいのです。そして、それを大いに宣伝に使うはずです。

これは仕方が無いことなのでしょうか…

私は、このブログの性質上伝統教団の抱える問題を書くことは、親鸞会を利すると思い極力避けてきましたが、今回は勇気を出して書きました。いつものように内容と関係の無いコメントでコメント欄を埋めるようなことはしないで下さいね。

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