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訃報

ブログ「リバース」を書いてくださっていた、元親鸞会会員のひろしさんが、亡くなられたそうです。
ほんとうに聞法熱心な方で、京都や大阪で勉強会やご法話に行きますと、高い確率でひろしさんにお会いして、「ここにも来てたんですか」と笑いあったのを覚えています。
仏教書が好きでたくさん買い込んでおられました。私はその半分ほどを貰い受け、寺の片隅にひろしさんの名前を冠した書籍コーナーをつくりました。
どの先生のお話が有りがたかったとか、御安心のお話とか、話題が尽きることはありませんでした。
病院にお見舞いに行った際は、帰るところがあるのは有難いと話しておられました。今度はお浄土で会いましょうと約束して帰りました。
残念なことでしたが、親鸞会をやめられたあとに念仏の信心に遇われて、広大な世界のあることを知られたうえで旅立てることは、何より有難いことであったと思います。
還相のお働きでひろしさんが今こうして南無阿弥陀仏の言葉となってここに帰り来ていることを喜び、お念仏申したいと思います。

南無阿弥陀仏。

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コメント

まだ想いを言葉に出来ませんが、お見舞いさせていただいたときの御念仏を慶ばれるひろしさんの言葉が表情が今の私の救いです。しんどいところお時間を下さったひろしさんに感謝の気持ちでいっぱいです。南无阿弥陀佛

投稿: 三十一文字 | 2015年9月12日 (土) 21時48分

南無阿弥陀仏

投稿: | 2015年9月15日 (火) 03時17分

心からのお悔やみとともに、増井先生、ひろしさんの御還浄の報に接して心にきざした心配を申し上げます。

清貧のうちに法を説かれた安田理深師。その奥さまは先生亡きあと90有余歳の長寿を保たれました。それでお弟子さんをはじめ周囲の人々は、これぞ如来の御加護であると讃えました。私も同調したいところですが、こうした考えが高森氏らによって今後しばらくの間、悪用されぬかどうか案ぜられます。いわく、

  「それ見たことか、如来の御加護はわれらにあり。高森先生に歯向かう者は
いのちを失うのだぁ~」

なんて感じです。皆さまはいかがお考えになられますか。心よりひろしさんの尊いお姿に感謝と敬意の合掌をささげつつ。

投稿: | 2015年9月15日 (火) 10時23分

悟朗先生、ひろしさんは念仏者なので全く心配ないと阿弥陀様が仰せです。そのお言葉に刃向かう人はいないでしょう。南無阿弥陀仏

投稿: | 2015年9月15日 (火) 11時58分

>>「それ見たことか、如来の御加護はわれらにあり。高森先生に歯向かう者は
いのちを失うのだぁ」
なんて感じです。皆さまはいかがお考えになられますか。

上記を書かれて問題提議された方へ

ちなみにあなた自身はどう考えているのですか?

投稿: | 2015年9月15日 (火) 13時39分

はい、ただちに摂取の光明にあずかられたものと信じたい。しかし凡夫の悲しさおろかさか、親鸞会幹部らが末端会員らへ
  「ほれ見たことか!」
と勝ち誇る姿が妄想されてならない。これが今現在のいつわらざる心境でございます。皆様、特に2015年9月15日 (火) 13時39分さまのお叱りを覚悟のうえで率直に申し上げる次第でございます。

投稿: 憂えを書き込んだ者です | 2015年9月16日 (水) 11時23分

会もプライドがあるのでそんなことは言わないでしょう。もし年齢のことだけを言うのなら「それなら絶対の幸福の会長は最低でも世界最高齢まで生きなければ、絶対の幸福はうそだ。」と反論されてしまうでしょう。
浄土真宗は、この世で、現在ただいま救われる教えであり、皆さまは悟朗先生、ひろしさんのご往生に触れ、救いはご自身の問題とするべきでしょう。

投稿: | 2015年9月16日 (水) 12時39分

2015年9月16日 (水) 12時39分さま、懇切なお言葉ありがとうございます。ただ今現在の親鸞会はその「プライド」をもはやかなぐり捨てている段階です。だからこそ、ぶるうのさんが「親鸞会はプライドゼロ。」で批判なさったような破廉恥な動画を平然と製作できるのでしょう。

やはりかなりの蓋然性で、今後親鸞会の幹部が高森氏の思いを代弁する形で、
  「先生に刃向かう者はぶざまにこの世の寿命を終えるのだっ!」
とかなんとか会員への洗脳を強化するのではないかと思われる次第です。

投稿: もはやそのプライドを捨てた今… | 2015年9月16日 (水) 19時16分

ひろしさんがブログ リバースを書かれていたのは、余命もいくばくもないときに皆さんに、本当の教えを知ってほしい。
このブログ
を通じて本当の教えを知るきっかけにしてほしいということで、
いつ死んでもこのブログで書き残したことは死後も皆さんにも読んでほしい。ということでブログを書かれていたのではないでしょうか?
 それなのになぜ今ブログ リバース は閉鎖されているのでしょうか?

投稿: ブログ閉鎖? | 2015年12月15日 (火) 12時56分

ブログが一定期間更新されなかったため閉鎖になったのかも知れません。

ただ病床のひろしさんにブログを書かせたお力は南無阿弥陀仏そのものです。

南無阿弥陀仏を称えれば南無阿弥陀仏を知らしめたいひろしさんとも遇うことができます。ひろしさんは永遠に南無阿弥陀仏と共に御活躍されます。

南無阿弥陀仏

投稿: | 2015年12月15日 (火) 21時04分

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