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親鸞会の法話も変わる。

私が親鸞会に居た頃は、どんな若い講師でも自分の考えた原稿で力いっぱい話をするのが法話でした。それが、講師をやめる二年前位から「10分間説法+高森会長のビデオご法話」になりました。

何度の何度も同じ内容のビデオご法話を見続けるのは実に苦痛でしたが、講師部員はそんなことをおくびにも出さずに、「先生のビデオを毎日見れて幸せです」なんてことを言っていたのを思い出します。(実際には上映中寝ている講師は多かったですが、無理もないです)

重たいスピーカーとビデオデッキ、プロジェクターを転がしながら持ち運んでいたのを思い出します。私は移動がほとんど車でしたから良かったものの、電車で回っていた人は大変でしたでしょうね。

10分間説法は確か20種類位ありましたが、それを全部暗記して試験を受けていました。不思議のあの時に覚えた原稿が今でも口をついて出てしまうことがあります。一言一句間違えることは許されませんでした。

その後、私が親鸞会の講師をやめてから、今度はアニメを使った法話になりました。アニメを細切れに上映して途中に講師が話をするというスタイルです。これは私聞いたことがあるのですが、若手の講師だったせいかなんだかロボットみたいな話し方で、困難で初めての人は最後まで聞けるのかなぁと余計な心配したものです。

そんな感じで、「普通に」講師が話をするタイプの法話は一部の人にしか許されてなかった親鸞会ですが、なんとあれだけ重視していたビデオご法話が完全になくなり、講師が最初から最後まで法話をする形式になったそうです。

親鸞会の人にとっては幸せなことでしたが、こんなコロコロ変わる方針に絶対無条件服従で従う講師の皆さんは大変だと思います。

最近、高森会長は自分が立って法話できる時間はあと2年と考えているようです。その後のことを真剣に考えているのかも知れませんし、単なる気まぐれかもしれません。

まあそれでも、たとえ教義的に完全に間違っていたとしても、ヘンテコな19願の教えとしつこい因果の道理の話にしても、それでも、自分で話ができるというのはいいことだと思います。

お聖教に直に向き合い、一生懸命話しをしていってください。阿弥陀様は絶対に見捨てられません。いつか自分の話の内容の矛盾に気づいていくと思います。私はそう思っています。

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