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やや日刊カルト新聞:親鸞会の偽装勧誘の記事について

やや日刊カルト新聞に以下の記事が掲載されていました。
http://dailycult.blogspot.jp/2014/06/blog-post_23.html

親鸞会の元講師である宮田さんのブログでは、親鸞会は一般対象の勧誘では偽装を行わなかったとありましたが、私は一般の支部を担当していた時もこのような「親鸞会」であると隠した行事を見てきましたし、自分もやって来ました。

もっとも、私は後半は滋賀や富山といった、親鸞会という団体の知名度が比較的高いところが担当だったので、隠してやっていたのだろうと思います。東北では親鸞会と隠していませんでしたし、隠す必要もありませんでした。

このことからも、親鸞会が言う「団体名を隠すのは宗教偏見があるから」というのは嘘で、単に自分たちの団体の評判が悪いところでは隠してきたというだけのことではないかと思いました。

さて、動画を見て私が思ったのは、親鸞会の行事や法話というのはますますマニュアル化されてきたのだなということです。ビデオやアニメを組み合わせて、講師が合間合間に丸暗記した「法話」を話せばいいだけになっています。

これでは伝わらないだろうなと思いますし、講師部員自身も成長はないのではないでしょうか。それでも、最近親鸞会の講座に行った方々の話を聞くと、わかりやすくて良かったという評価を聞きます。不思議なことです。

そして、富山からの中継で高森会長の顔が殆ど映らないというのも気になりました。その事自体は別の人から聞いたことはあったのですけど、実際にこのように報道されると不思議な気持ちになります。私が視聴覚担当でカメラの操作を指定た時には、高森会長の顔ばかり撮っていましたから。何が変わったのでしょうか。

他にもいろいろと思うところはありますが、まとまりません。

※追記

そういえば、動画の中で「お布施は仏法を聞いたお礼」という言い方をしていました。これも私がいた時は、「ご法礼は仏法を聞いたお礼」と言っていたと思います。お布施では意味合いが違うし、このあたりの言い方は私のいた時は結構厳しかったように思えます。

まあ、よくわかりません。もうやめて10年近く経ちますから。

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コメント

地方自治体の中には宗教活動を認めないところもあり、そのような場所では団体名を偽装します。

投稿: | 2014年6月25日 (水) 20時48分

2~3年前「財施」から「お布施」に急に言い方が変わったようです。
ネット上で「財施」がろくでもないことに使われている、との批判を受けた結果だと思います。
言葉を変えただけでお金の使い道や収支報告がない点は変わってないので、これも広い意味で偽装の一種でしょう。

投稿: | 2014年6月25日 (水) 21時36分

北陸や滋賀は古参の方も多数いますが、それ以外のところは宗教とはいえまだまだ知名度はありません。
お布施とか言い方を変えても肝心な収支報告しなきゃ何にも変わりません

投稿: | 2014年6月25日 (水) 22時30分

日刊カルト新聞の動画見ました。
オウム真理教や統一教会とそっくりの勧誘方法ですね。

投稿: | 2014年6月26日 (木) 03時46分

お金について叩かれる理由
①収支報告なし
②内容不明

詳細内容が明らかであればまだよかった

投稿: | 2014年6月26日 (木) 12時30分

青年層の勧誘には親鸞会という名を隠し、一般のチラシには親鸞会と載せてましたね。少なくとも2年ほど前の関西では・・・。
最近はビデオ法話で高森会長の姿をできるだけ移さない感じなんですかね?
あの手この手とよく考えますね(皮肉)。
一番修正しなきゃいけないのは教えなのに、相変わらず小手先の誤魔化しばかりみたいですね。
ほんとに恥ずかしい。

投稿: | 2014年6月27日 (金) 18時01分

固定観念でやってるね。 親鸞会は知名度はない。 ベストセラーって関心のない人は知らないからな。
親鸞会は勧誘されたか一時期在籍した人は知ってるかな

投稿: | 2014年6月27日 (金) 21時13分

たとい悪人であっても、言いたい放題の悪罵は仏法にご縁をいただいた者としては避けたいですが…落ち窪んだ目に加え、椅子から今しも崩れ落ちそうな高森氏のお姿に、一瞬、出羽三山の即身仏ではないかと目を疑いました。不鮮明な写真ですが、光沢ある高価な衣服を身に着けていることが知られます。讃岐の庄松なら、迷わず
  「あにき、緋のころもを身に着けてても、地獄行きは免れないぞ」
と語りかけるところでしょう。高森氏の改ざん講話では興正寺ではなく、本願寺で起きた事件とされているようですが……。

投稿: 盛者必衰のことわりを見る思い | 2014年6月28日 (土) 17時17分

たしか島原の乱では城内の兵糧が尽きかけたかどうかを、一揆側兵士の遺体の腹を割いて調べたと聞いております。

むろん高森氏の御近影は、兵糧というよりは、旗印かトレードマークに比せられましょうか。ただいずれにしても本来ならばいつも対外的に誇示してしかるべきもののはずでしょう。

しかるにその尊き善知識さまのご近影をほとんど写し出さなくなった最近の親鸞会は、最近の幸福の科学とはおよそ正反対に、肝心かなめの「集金マシーン」がいよいよ故障はげしくなったことを外部に知られたくなく、それで四苦八苦しているのでしょう。これまで60年近く重ねて来た悪業にも、さすがにそろそろピリオドが打たれようとしているのでしょうか?

投稿: | 2014年6月29日 (日) 09時25分

世田谷区の保坂区長という人は中学3年生にして公然とその当時の学校体制へ叛旗を翻した、知る人ぞ知る革命家です。だから、オウムのような誰の目にも悪と映ずるカルトでもない限り、なんらかの思想(宗教も思想の一つでしょう)を広める団体に対し、どうしても甘くなってしまい、こういう人をトップに据える区役所も、ボスを怒らせてはならじ…と、藤倉さんから緻密な取材成果を突きつけられても、ついつい遁辞を弄してしまうのでしょう。

かえすがえすも区長さんが保坂氏であることが、今回の件に関しては嘆かわしい限りです。革命家という座にあぐらをかいていらっしゃるであろう区長さんが、もっと社会の今現在を見据えてくださるよう、念じてやみません。

投稿: 区長さんが区長さんですからね | 2014年6月29日 (日) 12時46分

動画削除されてますね

投稿: | 2014年7月13日 (日) 12時40分

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