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投稿:人生の大半を親鸞会の活動に費やしましたが、恨みや後悔はありません。

ある人から「『悲』という小冊子に投稿して欲しい」と言われ、「文章力がありません」と一旦断わりました。
「この『悲』はカルト信者にも配布している、カルトを辞めたい人が自分の人生を否定するみたいで辞められない」と言われ、参考になるならば、と書いてみる事にしました。
ですから、一般向けの内容になっています。
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知り合いに教えて貰った「カルトの見分け方」について、以下の項目があるそうです。

①真理はその組織に占有されていて、その組織を通してのみ知ることができると主張する。
②組織を通して与えられた情報や考え方に対して疑ってはならない。
③自分の頭で考える事をしないように指導する。
④世界を組織と外部に二分する世界観を持つ。
⑤白黒を常にハッキリさせる傾向が強い。
⑥外部情報に対して強い警戒感を与え、信者の情報経路に様々な制限を加える。
⑦信者に対して偏った情報、偽りの情報を提供することがしばしばある。
⑧組織から離脱した人間からの情報に接することを禁じる。
⑨家庭や社会との関わりで多くのトラブルを生じている。
⑩社会からの迫害意識を持ち、それをかえってバネにする。
⑪外部に対して正体を隠す傾向がある。
⑫生活が細部にわたって規定されている。
⑬組織が信者の生活のすべてになっている。
⑭共同体内部でのみ通用する言葉を多く持っている。
⑮組織からの離脱について極度の恐怖心を与える。

親鸞会は殺人や監禁、高価な壺を売ったりはしませんが、以上の項目の多くの条件を満たしています。私は親鸞会の会員だった時も薄々とその異常さを感じてはいましたが、「教えが真実ならばそれで良いのでは?」という思いの方が勝っていたと思います。
「人生の目的について考えた事がありますか?」と声を掛けられたのは、昭和55年6月中旬、雨の日でした。当時某国立大学の一年生だった私はキャンパス内を教室移動中でした。「何ですか?」と訊ねると「歎異抄研究会というサークルで人生の目的を追求している。君も一緒にやらないか?」と言われ放課後に話を聞きました。その学生は「人生には目的がある。それは死がきても壊れない絶対の幸福になる事だ。それを教えられたのが親鸞聖人で、その教えを続けて聴聞すれば必ず絶対の幸福になれる」と言います。胡散臭さを感じながら、その熱心さにひかれて続けて話を聞いてみることにしました。

しばらくすると「このサークルの人は皆入ることになっている」と言われ、一枚の紙に名前を書かされました。それが親鸞会の入会用紙でした。当時は入会金も会費も安かったのを覚えています。8月に入って滋賀県今津で会長の高森顕徹氏の話を聞きました、若い人を中心に、当時千人弱の人が参詣していました。王舎城の悲劇の話で、とても分かり易い話でした。それから北陸を中心に日本各地に話を聞きに行くようになりました。

親鸞会の教義は主に次の内容です。

・私達は煩悩で悪ばかりして、善は毒の混った雑毒の善しかできない悪人である。
・悪因悪果、自因自果の因果の道理で悪しかできない私達は死ねば無間地獄に堕ちるという後生の一大事を抱えている。
・その後生の一大事を解決して、生きている内に絶対の幸福になる事が人生の目的だ。
・その解決には善知識である高森顕徹会長の話を続けて聞かなければならない。
・後生の一大事を解決するには「宿善まかせ」と言われ、宿善を厚くしなければならない。
・宿善を厚くするには聴聞や破邪顕正という勧誘をしなければならない。

という内容です。

幼児期に大病を患って少年時代病弱だった私は「死んだらどうなるか」という問題は大きな問題でした。学生時代が終わって社会人になっても親鸞会の活動を続けました。より多く活動する為に大阪へ出て、毎週海外を含めて聴聞に行きましたが、なかなか信心決定できません。

最初は「私の努力が足らない」と思っていましたが、10年 20年と年数を重ねてゆくうち、不審感が増してゆきました。
その内に親鸞会で不必要と思われる建物を購入したり、弁当屋を経営して、そのお金を会員に求めるようになってきました。
インターネットでも色々と親鸞会の事がでてきました。インターネットの情報は「正しい情報」と「誤った情報」がありました。「会長の著作物は盗作だ」という疑惑もありました。盗作疑惑は本当だったと確認しました。ここには書き切れませんが、他に沢山の疑惑の真偽を確かめました。教義については親鸞会以外の真宗の話を聞いて、求めているもの・方向が違うとハッキリしました。

約30年間親鸞会に在籍して、人生の大半をその活動に費やしましたが、恨みや後悔はありません。私の実家は禅宗なので、もしあの時親鸞会に出遇わなければ、今真宗の教えを聞かせて頂くことができなかったと思います。私は今、真宗の教えを東西関係なく聞かせて頂いています。逆に親鸞会という団体に居たおかげで東とか西とか、とらわれる事なく聞けるのだろうと思っています。

親鸞会を退会した人には恨みを持っている人も多く居ます。また自分が親鸞会に在籍していた事を言いたがらない人もいます。その人達の気持ちもわかりますが、「親鸞会に在籍していた私も」私なのだと思いますから否定はできません。また「親鸞会は間違いで○○は正しい」と言っている人もいますが、それは「親鸞会」を○○に換えただけかもしれません。それならばまだカルトの続きでしかありません。

と思いますが、その団体に惹きつけられる内容があるから人が集まるのだと思います。それまで否定する必要はないと思っています。重要なのは俯瞰で見るような見方で物事を見てゆく事だと思います。

他のカルトと言われる団体も同じだと思いますが、その団体に惹きつけられる内容があるから人が集まるのだと思います。それまで否定する必要はないと思っています。重要なのは俯瞰で見るような見方で物事を見てゆく事だと思います。
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親鸞会在籍当時「私は〇〇という宗教団体に在籍したが、親鸞会に出会って真実を知らされた」という体験談がよくあり、私はこの手の話が大嫌いでした。他人の体験談を通して「この教えこそ真実だ」と思わされているみたいだったからです。

高森会長の出身団体の機関誌にも親鸞会退会者が「私は親鸞会の間違いに気付いて、この団体こそ真実だと知らされた(救われた)」みたいな記事がよく掲載されます。

他人の体験談を聞く事は悪い事ではないかもしれませんが、何か違う方向に向かうみたいな気がします。

投稿文にも書きましたが、私は親鸞会に在籍していた事に後悔も恨みもありません。

私はよく親鸞会で聞いた話をする事があります。親鸞会で聞いた話で悪意に受け取れば「間違い」でも、善意に受け取れば「こんな解釈もあるんだ」という話があるからです。

その様な話をするので、ある人に「何故親鸞会を辞めたの?」と訊かれ「親鸞会の話では私は救われないからです」と答えました。乱暴な言い方をすれば「親鸞会が正しい」とか「親鸞会が間違っている」という事が問題なのではない、という事です。「この私が救われるかどうか」が問題だという事です。

親鸞会の反論サイトには色々と親鸞会の間違いが指摘されています。勿論、大切な事だと思います。ブログをやっておられる人には頭が下がります。

しかし、会員がブログを見ても「親鸞会は間違っている」と思う人は少ないでしょう。

ネットを見る人も少ないでしょうが「ただの解釈の違いだ、高森先生に間違いない」と思う人が多いのではないか、と思います。

最近、牛丼のチェーン店が人手不足で閉店しています。ネットで不満を書いた人に同調して、バイトが一斉に辞めたらしいです。バイトならば辞めても次のバイトがありますが、親鸞会会員は辞めてしまったら次が無いと思っています。

親鸞会の間違いを正す事も大切だと思います。しかし、なんとか会員に「親鸞会で貴方は救われるの?貴方が救われる教えは他にあるのでは?」という事を発信してゆきたいと思います。

そういう意味で「法話案内」という方法は、地味ですが大切な事だと思います。

私も少し登録しておりますが、先日私が案内した「法話案内」を見た人が参詣されました。

残念ながら親鸞会会員の方ではありませんが、これからも地味に続けてゆきたいと思います。

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