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ご法話・法要の案内

浄土真宗本願寺派・西本願寺での御正忌報恩講が始まっています。

http://www.hongwanji.or.jp/news/info/post-573.html

「本願寺派の法要なんて行けるか!見つかったらどうすんねん!!」という現役学徒の方も、インターネットでライブ中継されていますから、皆さん見られてはどうでしょうか。
http://webtv.hongwanji.or.jp/html/n1c6.html

あと、うちの寺でも12日、13日と法要があります。

http://shinshuhouwa.info/article/index.php?id=811

こちらもインターネットでのライブ中継が有りますので、関心のある方は見てください。
http://www.ustream.tv/channel/genshoji

以上、ご法話の案内でした。


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フロギストン説

18世紀のヨーロッパでフロギストン説というのが言われていたことがあります。「ものが燃える」という現象を説明するための理論で、燃えるということは、そのもののなかに含まれている燃焼物質(フロギストン)が離脱することである、というものです。つまりは紙が燃えたあとの灰などは、フロギストンが離脱したあとの抜け殻だというのです。

ところがこの説にあわない現象も知られていました。金属の燃焼反応です。金属が燃えるというのは錆びることです。錆びた金属と錆びる前の金属とどちらが重いか。測ればフロギストンが離脱した抜け殻のはずの、錆びた金属のほうが重いわけです。そしてそのことはフロギストン説が現れる前からわかっていたことでした。この事実はフロギストン説への決定的な反証であるように思われますが、当のフロギストン説を共有していた人々にとっては「フロギストンはマイナスの重さを持っている」と理解していたのです。

今日の私達にとっては屁理屈にしか見えないような理解でしたが、彼らにとっては十分に客観的かつ説得的な解釈だったのです。そしてこの説は広く当時の科学者によって共有されていました。これを屁理屈と思うのは、今日の私達が酸化還元反応という、フロギストン説を覆す理論を知っているからに他なりません。もし今の世の中が18世紀で、学校でこうした理論を「事実」として習ったならば、今日の私達も同じような見方をしていたでしょう。

親鸞会にいるときは、親鸞会の三願転入論が正しい、私は確実にこの解釈は間違いのないことだと信じていました。しかしそれは自分で聖教を読んで様々な論文や解釈にあたって自分が選びとったものではありません。自分が「三願転入説」を共有している環境の中に身をおいていて、それ以外の教義解釈をまともに学んだこともなく、私以外の人もみな親鸞会が正しいと信じ込んでいたからに他なりません。本当にただ、それだけの事だったのです。それはちょうど、18世紀の人々がフロギストン説を「自明のこと」と受け入れ、すべての燃焼の現象をその理論の上で理解しようとしていたことに似ています。

親鸞会にいたら、実はこれはおかしいのではないか、と思うようなことはだれでもあると思います。すでに親鸞会の教義解釈を覆すような聖教の言葉に十分に触れていながら、多くの人はそれをいろいろな理屈をつけて「親鸞会は正しい」「三願転入説は正しい教義解釈である」という思い込みの上に無理なく収めようとします。しかしそれは外から見たら完全な屁理屈なのです。

今年は親鸞会の結成55周年だそうです。私が入会したのは35周年の時でしたから、もうあれから20年になります。

このブログを読んでいる現役会員の皆さんがどれだけ親鸞会での日々を過ごしたかはわかりませんが、いまあなた方が当然と思っていることが、当然じゃないという世界があることを知ってください。そしてそれは皆さんの目の前に待っているのです。別に本願寺派の偉い人の論文など読む必要はありません。手元にある真宗聖典だけで十分です。

閲覧者の皆さん、今年もよろしくお願い致します。

「我々の決断の大部分は、実際には我々自身のものではなく、外部から我々に示唆されるものである。決断を下したのは自分であると信じることはできても、実際には孤独の恐ろしさや、我々の生命、自由、安楽に対する、より直接的な脅威にかりたてられて、他人の期待に歩調を合わせているのである。」(「自由からの逃走」エーリッヒ・フロム)

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