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なぜ生きる2が届きました。ちょっとした感想。

先日、「思いやりブックス」から待望の「なぜ生きる2」が届きました。本格的に付箋つけたりして読んではないのですが、内容の詳細な分析は他のブログに譲るとして、ちょっと感想。

最初に思ったのは、これで親鸞会は本当に浄土真宗じゃなくなっちゃったんだなぁというものです。高森会長は龍谷大学で8年間学んだはずなのに、例えば安心論題とかやればすぐに「おかしい」と理屈としてでもわかるようなことを、どうしてわからなかったんだろうと。今までは例えば「歎異抄をひらく」などを読んで「親鸞会ってやってることはかなりおかしいけど、教えとしては明らかに浄土真宗じゃないってことまでは言えないよね」って思っていた人も、これを読んだら「やっぱり親鸞会は浄土真宗とは違うなぁ」となってしまうかと思います。

二番目に思ったこと。僕は親鸞会の三願転入論は、説法では話すことがあったとしても、書籍としてはここまで書かないだろうと思っていました。というのは、高森会長自身が、これは浄土真宗の解釈として許容されうるものではないということを自覚していると思っていたのです。普通に浄土真宗というものに向き合って生まれてくる解釈でないという自覚があったがゆえに、書籍などでは触れず、説法でのみ触れて、その説法の内容が外にでることを避けた。法話の日程は公開されず紹介がないと入れないとか、法話のビデオをダビングしたら「死刑」と言っていたいたのもこうした思いがあるからだろうと思っていたのです。つまり親鸞会の三願転入論は一種の「秘儀」という位置づけではなかったかと。

しかし実際には、ここまで大宣伝して世に出してしまった。高森会長が、これが浄土真宗の正しい解釈であるということ、そしてそれは世に問うても批判に耐えうるだけの内容を持っているということを本気で思い込んでいることがわかってしまいました。自覚して会員を騙していたのではなく、本気でそう思っていたのねということです。

そして、最後に、こういう言い方は良くないのかもしれませんが、私の本心を正直に言います。高森会長は「信心決定」してなかったのだなと。信心決定するという表現はあまり使わないようにしているし、本当は私にわかるようなことでもあるはずはないのですけど、本当に正直な気持ちを表現しようとすると、こう書くしか無いかなとも思います。

つまりは高森会長自身が、今なお「どうすれば大悲の願船に乗れるのか」ということを弥陀に問うているのだと思います。じゃないと、あんなことは書けないと思ったのです。

わかってて嘘をついているのでもない。ある意味、「なぜ生きる2」というのは、これまでにないくらいに正直な高森会長の内心を吐露した本かと思いました。

だから、ページをめくるとじわじわと涙が出てきます。たった一人で「どうすれば」という思いが廃らないままに数千人の会員を率いてここまで来たのです。高森会長という人は。

本願寺派では、たとえ勧学和上であっても自分の聴聞を欠かすことはないと言います。高森会長もそうであって欲しかったです。

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コメント

このブログの内容は衝撃的です。

投稿: たぬき | 2013年12月19日 (木) 12時26分

三願転入論を本気で信じてはいないでしょう。なぜなら、法論でこれでもかっていくくらい叩きのめされてきたのですから、正しいと思っていることはないはずです。

ただし、何が正しいのかは分かっていないと思います。

一つ言えることは、会員を騙す事が目的で書いたのは、ほぼ間違いないことです。

投稿: | 2013年12月19日 (木) 12時53分

ぶるうの殿

読ませていただきました。
先頃、マンデラ氏が亡くなりましたが、直後に幸福の科学が、「マンデラ氏の霊言」なるものを書籍にして出版したのをご存知でしょうか。
大川氏が、こんな国際問題になってもおかしくない創作本を社会の批判にたえうると思って出したと思いますか?むしろ、人間という生き物がどこまで厚顔無恥になれるか、そのサンプルみたいなものでしょう。
高森氏が、彼の所説を本気で信じているなどとどうして言えます?
なぜ貴方は毎度毎度、屁理屈をこねて高森氏や高森親鸞会を無理矢理好意的に解釈しようとするのでしょうか。
なぜ貴殿は、
「高森という元僧侶の男が、故意に間違った真宗教義を創作して、人々の仏教を尊ぶ心を利用して私利私欲を貪った。そして自分は、至らなさ故にそれにまんまと騙された。騙すばかりか、騙す側に回って、社会と三宝に泥を塗った」という現実を頑なに否定したがるのでしょうか。
自分が騙されたという事実を認めるには、貴殿のプライドは余りにも高すぎるのでしょうか。
貴殿が自分自身や人間の愚かしさ、業の深さを全く理解する気もなく直視することも出来ない方なのであれば、人前で、真宗の法話を説くには全く向いていないと思います。むろん、カルト問題云々というテーマについても同様です。
騙されたという現実に気付けない人が、また「騙されて、他者をも騙す」側に回るのは目に見えていることだからです。

投稿: 翔鶴さんは俺の嫁 | 2013年12月19日 (木) 15時26分

いや、幸福の科学は信じてやってると思うよ。人を騙すつもりならもう少しましなウソをつくでしょう。
高森氏が故意に会員を騙してると思うのは、むしろ彼を過大評価してると思いますけどね。

投稿: | 2013年12月19日 (木) 16時47分

正しいことをしようとして暴走して人を騙し傷つけるというのが、真の人間の愚かしさではないですかね。
間違った人が百パーセントの悪意を持って人を騙すといえ枠組みだけでは語れない所にカルトの本当の問題があると思います。
親鸞会を批判するブログにはただ愚かだ哀れだと言うばかりの論調のものもありますが、そんなに見下さなければ自分の過去を精算できないのかとかえって悲しくなります。

投稿: | 2013年12月19日 (木) 17時11分

いやいや、実際愚かで哀れでしょうに。
過去の清算云々の問題ではなく、客観的に見て。
それを自分の過去に向けた時に、自分も愚かだった、哀れだった、とは思うでしょうが、自分の過去の清算のためにそんなことを言うかね?

それよりも、高森会長の影響を未だに引き摺っている退会者と現役会員に向けてのメッセージじゃないの?

人それぞれ、受けた傷の深さも違う訳だし、恨みの強弱もあるだろうし、かつての仲間を思う気持ちもまちまちだから、理想形なんかないと思いますよ。

ただ、高森会長と取り巻きは、確信犯といっていいです。反社会的なことをするのが故意で、教義を曲げるのが過失だというのは、無理があるでしょう。

投稿: | 2013年12月19日 (木) 18時27分

いや書き方が悪かったけど、愚かだあわれだって見下してるのは、親鸞会が本願寺にやってることの裏返しじゃないですか。
部外者からみると日蓮正宗と創価学会みたいで、結果脱退してもこんな風にしか生きれないのって思ってしまいますよ。その時々に正しいと思ったものにしがみついて、他を見下して切り捨てるみたいなのが。
いまやそこにぶるうの氏も入った訳で、なんというか、変わんないなぁこの人達って思ったり。

投稿: | 2013年12月19日 (木) 19時16分

と見下しているのですね。
まあ、親鸞聖人、浄土真宗に対する思い入れの差でしょう。

投稿: | 2013年12月19日 (木) 19時56分

親鸞聖人への思い入れが強い人は邪に対する怒りが強いとでもいいたそうですね。
どっかで同じようなセリフ聞いたような気が…
あ、富山の破邪顕正のあの団体だ!

投稿: | 2013年12月19日 (木) 22時42分

↑同感かも。
なんか親鸞会批判系のブログみて違和感感じてたけど、自分が親鸞会で散々に見てきた景色だからだよな。

投稿: | 2013年12月19日 (木) 22時56分

それで、あなた達は何を信じて生きているのかな?

南無阿弥陀仏

投稿: | 2013年12月19日 (木) 23時04分

この言い方も親鸞会だね。
やめた後、あなたはなにを信じて生きるの?人生の目的は見つかった?それであなたの後生の一大事がなくなったのかなって言われたもんです。
いつまでこんな風に自分たちの考えにあわない人を上から目線で見続けるのかな。

投稿: | 2013年12月19日 (木) 23時20分

そうだね、そんな風にしか見られないよね。
でもね、君の中に全てを否定できる智慧があるかい。
お釈迦様を否定できるかい。
浄土真宗の歴史を否定できるかい。
妙好人を否定できるかい。

私は、南無阿弥陀仏を否定できない。
狂っていると言われようが、妙好人に頭が下がる。
南無阿弥陀仏に頭が下がる。

君を上から目線で否定しているのではない。
せっかくここまでのご縁を結びながら阿弥陀様とのご縁を
自ら遠くに押しやってしまうのか。
残念でならない。

どうか、阿弥陀様に今であって欲しい。

これが、阿弥陀様の願いです。

南無阿弥陀仏

投稿: | 2013年12月19日 (木) 23時27分

ぶるうのさん。
高森会長が騙そうと狙っているのは浄土真宗や仏教の知識のない人です。
知ってしまった人や、親鸞会と関わる前に浄土真宗や仏教について学んでいた人は相手にしていません。だから、どう思われても構わないのです。
どうしたら救われるか弥陀に問うているのか、それともそんなことにははなから興味がないのか、高森会長は誰にも本音を言えない人物ですから最後まで知られることなく終わるでしょう。
それでも信心決定していないことは容易に窺えますから行く先は知れています。
ただ愚かなだけの人物ではないから苦悩の日々を送っているかもしれませんね。

投稿: | 2013年12月19日 (木) 23時33分

23時27分のかたが親鸞会の人ですか?
友情をかんじますね。

投稿: | 2013年12月20日 (金) 21時22分

上から目線に見える人には「あなたは、極重極悪ですか?」と尋ねて見られてはいかがでしょう?

投稿: | 2013年12月20日 (金) 23時32分

そんなふうにしか見えないのかな。
浄土真宗は、奥が深いと思うよ。
親鸞会は浄土真宗じゃないよ。
ちゃんと勉強すれば分かるとおもうよ。

投稿: | 2013年12月20日 (金) 23時54分

追加です。
ひとつ飛んで上の人に対するコメントです。

投稿: | 2013年12月20日 (金) 23時59分

かつて会員だった者です。私は、今更親鸞会の三願転入論を記した本を読む気持ちを起こせずにいます。
自分が親鸞会に関わったことで直接間接に多くの人を傷つけたことを考えると、現会員の心に届く形でこの本を的確に批判することに何か貢献したいという気持ちもあるのですが、この上なく無益で、哀しくなるに決まっている読書をする勇気が湧いてこないのです。
代わりに少しだけ、ぶるうのさんの感想に対する感想をコメントさせて頂きたく思います。最初の感想は、真宗十派の視点からの感想のように思いました。この本の出版は、親鸞会に対する一般の浄土真宗関係者の評価を決定づける自爆行為なのでしょう。二番目の感想は、元講師部員の視点からの感想のように思いました。講師部員ならば布教に身を投じたいと願うものだと推測します。高森会長は、それを理不尽に厳しく制限してきた一方で、どうしてこのような本を公刊してしまったのか、分かっていて隠してきたのではなく、分かっておらず模索中であるが故に自信がないというだけのことだったのか?という問題意識が伝わってきたように思い、何とも言いようのないものを感じました。三番目の感想は、かつての弟子の視点からの感想のように思いました。もしこの本を読むと、高森さんの「教導」が、指針なく深めた迷いの吐露にすぎなかったとページを追うたび感じさせられるのかと思うと、戦慄します。私は、高森さんはどこかの時点で宗教としての浄土真宗に完全に関心を失い、単にビジネスの材料視するようになったのだと思いたいです。

投稿: | 2013年12月21日 (土) 07時50分

お孫さんが「役員名簿」に名を連ねているとのことですが、それは病院のほうの名簿なのか、それとも母体たる親鸞会の名簿なのか…それともそもそもネット上に流布されつつある与太話なのか。

それにしても無二の善知識に子女ありと知った時点で、善知識なきあと教団がどうなるのか考えようともしなかった今も組織に残る専任講師たちは世間的な知恵に欠けていたと申し上げざるを得ません。

投稿: | 2013年12月21日 (土) 14時03分

>大川氏が、こんな国際問題になってもおかしくない創作本を社会の批判にたえうると思って出したと思いますか?むしろ、人間という生き物がどこまで厚顔無恥になれるか、そのサンプルみたいなものでしょう。
>高森氏が、彼の所説を本気で信じているなどとどうして言えます?

今でも本気で信じていると思いますよ。
というか、ネット上の法論などで自論に疑念は少しくらい湧いているのかもしれませんが、自身の信念を崩壊させるところまでは、全くいたっていないでしょう。
長年、築きあげてきた信念はちょっとやそっとで揺るがないでしょう。


>なぜ貴殿は、
>「高森という元僧侶の男が、故意に間違った真宗教義を創作して、人々の仏教を尊ぶ心を利用して私利私欲を貪った。そして自分は、至らなさ故にそれにまんまと騙された。騙すばかりか、騙す側に回って、社会と三宝に泥を塗った」という現実を頑なに否定したがるのでしょうか。

振り込め詐欺のように明らかな詐欺集団の行為とは違って、本人は「私利私欲を貪った」
などとは微塵も思っておらず、「全人類を救いたい」との心からの善意と使命感が、彼を動かしているのでしょう。そこがカルト問題の難しさです。

だから、「騙す、騙される」という表現は「認めたくない」とかいったことじゃなくて、表現として「適切でない」気がしてなりません。

カルト問題が分からない人には、そこが理解できないのではないでしょうか。

この人もしかり、そういった語りがしばしば出てくるのが気になります。

投稿: | 2013年12月22日 (日) 22時08分

高森の本なんて、買うなよな。
読者が最も知りたかったのは、「どうすれば人類が救われるのか」。そこが最も肝心なところであるはずなのに、終始親鸞の教えの紹介が書かれているだけだった。論外。正直、がっかりの内容だった。

投稿: | 2014年1月17日 (金) 17時55分

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