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信心の定まるとき往生また定まるなり

顕正新聞の9月15日号が届きました。15日号にはあさ川進さんが最近話題にしている埼玉熊谷会館の記事も載ってましたね。最近の顕正新聞は新たに建立される会館の記事ばかりで、こんなに会館を建てて大丈夫かと心配される人も多いようですけど、滋賀県にいると門徒さんが10軒くらいでも成り立っている寺はたくさんあるわけで、建ってしまえばそれなりに維持はされるのではないかという気はします。

そんなことよりも、「法話」の出来る人が高森会長ただ一人という事のほうがよほど親鸞会にとっては危機的な状況だろうと思います。高森会長が死んだら親鸞会は誰も救われなくなるわけです。もちろんそんなことはないのですが、実際に現役の会員にあってみたらそう思っている人が少なくないわけで、皆さんどうするおつもりなのでしょうね。のんきに会館の建立を喜んでいる場合ではないと思うのですが。

D87d5a5e74a6f7e93946765adf43a8551_3さて、一つ前の9月1日号には恒例の架空戦記が載っているのですけど、その中にはもはや本願寺批判として定番化している大峯顕氏の文章も十刧安心の根拠として載っていました。

私は親鸞会を脱会してから色々な僧侶と話をしましたが、自分自身が親鸞会を批判しながらも、適当な間違った知識で親鸞会を批判する人に対してはあまりいい思いは持たなかったものです。例えば本願寺派では未だに「親鸞会は救われた日時を問題にする」と思っている人がとても多いわけで、違いますよといくら言っても誤解は解けません。過去に親鸞会がそういうことを言っていたのは事実なので根拠のない批判ではないのですが、今の親鸞会についてちょっとでも調べれば分かることを訂正しないでいるというのは納得のゆかないものがあります。

他にも、親鸞会の人の信心は善知識が認定すると言っている人もいました。信心決定の体験談がたくさん機関誌に載っていた時期のことを思うとその誤解もわからんでもないのですが。

一部分だけを取り出して批判されるのはお互い気持ちよくないものですし、親鸞会ももう少し本願寺派や大谷派のことを知る努力をして意味の分からない批判はやめたらいいのになと思います。これはお互い様です。大峯顕氏をダシにして十刧安心がどうだというのも、一冊くらい著作を読んでからにしたらいいのに。

参考までに最近刊行された「永遠と今―浄土和讃を読む〈上〉」より少し引用したいと思います。

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座布団の上に座ってぼんやりお説教を聞くのが、浄土真宗なのではありません。たとえ座布団の上にいても、信心というのはやはり自分を捨てることです。いささかも自分をたのむということがなく、阿弥陀様に百パーセントまかせるのが他力の信心です。そうなれば、もうお浄土に生まれることは間違いない。「信心の定まるとき往生また定まるなり」と親鸞聖人の『ご消息』にあるとおりです。だから、お助けははっきりとこの世にあるのです。この一番大事なことをどこかあいまいにして、死んだら何か起こるようなつもりでいる人が多いのですが、信のない人には死んでも何も起こりません。お浄土に迎えとられる約束は、死んだ時に決まるのではなくて、信を頂いた時に決まるのです。『永遠と今―浄土和讃を読む〈上〉 大峯顕著』
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どうでしょう。これでも十刧安心でしょうか。

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コメント

私は親鸞会を止めて暫く経つのですが、このご本は常に自分自身に問いかける形式になっていると思います。ぜひとも繰り返し読んでいただきたいと思います。

投稿: | 2013年9月23日 (月) 00時13分

ご趣旨はよくわかります。ただ、親鸞会のほうが本願寺どころか一般通念にさえ疎いのはどうにかならないかと思います。

「イミズム」の管理人さんは親鸞会の洗脳された講師たちの中でも比較的自分の言葉をもっている人とお見受けします。しかしながら、その彼にしてなお、ブログへのコメントに会の外部の識者とおぼしい人(アンチではなさそう)から、

「『日本語を母語とする人間に生まれた喜び』とか『前世でも箸を使う民族だったからこそ外国人に生まれた今も親鸞会本部での昼食をたちどころに上手に食べられるんですね』といった言葉にひそむ差別性に気がつきませんか?」

と指摘されるや否や、なにが問題なのかもまるでわからぬ様子で「すみません」とのみ応答しております。この程度のことは、会の外ではとうの昔に常識であり、好ましくない言説と認識されているはずです。

親鸞会講師の中では比較的外の世界の言葉や概念が理解できそうな彼にしてこのありさまです。彼以外の人々(九州在住の講師氏をも含む)は推して知るべしなのではないでしょうか?

投稿: | 2013年9月23日 (月) 13時32分

西洋人は上手く箸を使える人が多いよ。逆に日本人・韓国人・中国人等箸を使う民族に正しく使えない人が多いよ。
これは推測だが、西洋人はナイフ・フォークを使って自由に手を動かせるようになってから、箸の使い方を覚えるので、正しく使えるようになるのだと思う。正しく使えないと恥ずかしいって気持ちもあるしね。

一方、箸を使う民族はまだ手を動かすのが不自由な時から、箸を使うので、人によっては変な癖がついてしまい、矯正しにくい。また、小さい時は恥ずかしいって気持ちはないし、それより正しくない持ち方でも、食べることが優先。

過去世に箸を使っていたからなんて笑止千万だね。

投稿: 同病院総務部の担当者 | 2013年9月23日 (月) 20時59分

涙を拭きなよ、特定講師さん。

投稿: | 2013年9月23日 (月) 22時46分

名無しで書き込む奴はウンコ臭がするから不思議だね(笑)

投稿: (^-^) | 2013年9月23日 (月) 23時22分

>名無しで書き込む奴はウンコ臭がするから不思議だね(笑)
 
貴方の鼻は凄いですね。
貴方のPCか携帯からウンコ臭があるならば、それは貴方の体臭でしょうね。

投稿: | 2013年9月23日 (月) 23時46分

と、名無しの特定講師が涙を流しながら申しております。

投稿: | 2013年9月24日 (火) 00時10分

しつこい。

投稿: | 2013年9月24日 (火) 00時12分

申しているのでなく、涙を流しながら聞いています。が正解です。

投稿: | 2013年9月24日 (火) 00時14分

「同病院総務部の担当者」は詐称であることがはっきりしましたね。
無意味なコピペは2chとまったく同じです。正体はネット対策の特定講師です。Q州の狭い薄暗いアパートで一人で朝から晩まで一言もしゃべらずPCに向かってネット対策してて涙が止まらないほど孤独の極みになったんでしょう。
2chで相手にされなくなると、さよならに乱入するのはこの人の定番ルートです(過去に何度もありました)
○子ちゃんカットには裏切られ、息子には憎まれ、会員には不審者扱いされ、ネット対策では大失敗(脱会者出す)、会での出世はほとんど絶望的で、もう、ヤケクソなんでしょう。
涙を拭きなよ、としか言えないです。

投稿: | 2013年9月24日 (火) 01時12分

涙を拭きなよ(笑)

投稿: | 2013年9月24日 (火) 06時48分

涙を拭きなよ。さよならの名文句だね。大賞でもあげたいね特定講師さん。
もう同病院総務部担当さんも身分を詐称しないで特定講師を名乗ったらどうです。もうバレバレですから詐称の意味もありません。

投稿: | 2013年9月24日 (火) 08時56分

しつこすぎる

投稿: | 2013年9月24日 (火) 12時57分

あまり『同病院総務部の担当者』さんに踊らされんなよ。
 相手にするな。わざとらしすぎる。

投稿: | 2013年9月24日 (火) 14時53分

説法する人間もいないのに 会館ばかり建ててどないすんねん。て話の
方が 痛いねんやろな。会長亡き後の 担保物件増やす方が 大事に
あ、一大事って所なんやろ。会員の後生より『担保』や『担保』って
ことなんや。親鸞会の一大事は。
訴訟は言い訳できるけど 銀行は待ってくれへんで。

投稿: | 2013年9月24日 (火) 15時47分

現役時代 支部長や教学自慢の先輩に 質問すると、必ず最後は「仏法は聴聞に極まる」とか「救われなければ分からない」「救われたら矛盾が矛盾でなくなる」と逃げていた。
親鸞会で言う所の「聴聞に極まる」とは「会長との直接のご縁」つまり金出して会長と同じ空間にいることを指していて、一番尊い一番宿善が厚くなる善だと聞かされていた。

30年以上人生かけて会長一筋の人が 未だに救われていないのに 
会長が死んだら 最近入会した人にどうやって救われると説明するのだろうか?「アニメに極まる」って言うのか?マンガか?
人気も実力も無い№2(局長)は今やはったりも効かずどのように組織を
まとめるのか。誰がクーデターを起こすのか? 

投稿: | 2013年9月24日 (火) 21時10分

今や親鸞会の人に
「人生の目的はなんですか?達成するのに必要なことはなんですか?あなたは何時達成できそうですか?」と聞いても答えられないでしょうね。

投稿: | 2013年9月24日 (火) 21時20分

会長死んだらどうやって宿善厚くするんだろ。

一か月で頂ける宿善の厚みに変わりはあるのだろうか。

会員の皆さん ぶあつーい宿善もらえるのは今のうちですよー。

会長死んだら ぺらっぺらの宿善しかもらえませんよー。

聴聞のご縁も残り〇年ですよ、おっと〇ヶ月ですよー。

説法のご縁も残りわずかですよー。

昔のビデオは都合により処分したのでないですよー。

講師は説法出来ませんよー。
てか。

投稿: | 2013年9月24日 (火) 21時48分

元珍走団の息子が次の会長になるのかな?
あいつカリスマ性ゼロだけど・・・説法もできないし
(犬テツがカリスマ性あるかは微妙だけど、曲がりなりにも会を立ち上げて50年以上やってこれたってとこは評価に値するんじゃないかと思う)

投稿: | 2013年9月24日 (火) 23時03分

親鸞会の教えではケンテツが死んだら”善知識”の聴聞が聴けなくなって親鸞会の会員は無間地獄に堕ちることになります。
これはしょうがないですね、浄土真宗ではなく高森教を信仰していた人たちだから。

投稿: | 2013年9月24日 (火) 23時37分

人によってはお嫌いかもわかりませんが、谷川講師はその晩年においてNHK文化センターでの講座を取り消され、それから2年もせぬうちに今度はおばあさんとともに大津波に流されていのちを終えられました。決して幸福な晩年であったとは言いがたい。大波に流される彼の胸中を去来したものを思うとき、カルトにかかわった悪業は悪業として、それでも同情の念を禁じ得ません。このコメント欄を荒らしに来る彼氏も、臨終の際に脳裏を去来するものを思えば、たといカルトは辞められずとも、もう少し自制心が湧くようにも思うんですが……やっぱりだめですかねえ?

投稿: | 2013年9月25日 (水) 10時38分

飛雲さんの指摘通り、かつての講師から連絡が入る。辞める時に散々嫌みをいっていたくせに、呆れはてた。結局最後まで人数集めとお金のためだけの私だったのかと悲しくもあった。

投稿: | 2013年9月25日 (水) 14時12分

(谷川秀大講師について、某ブログの内容を以下引用。)


このブログは大親友であり私の善知識の谷川秀大氏への鎮魂歌です。

彼は3月11日、岩手県大船渡市の個人宅で法話の会を開催していました。

その宅の主人は、齢92歳の老婆だったとのことです。

そのお宅の50m先まで津波が来たらしい。

そのお家は全く津波に飲み込まれたのです。

その家の主人と共に行方不明、未だに生死不明。

今の時期にレクエイムなど不謹慎だと叱られるかもしれないけど、津波に飲み込まれた所にいて、連絡が取れないと言うことは、客観的に考えても絶望的と考えざるを得ません。

彼の性格からして、92歳の老婆を見捨てて自分だけ生き延びようとしません。自分の命の危機が迫ろうとも、御同行を助けます。それは仏法者としての特質ではなく、彼の持って生まれた性格なんです。

このブログはいつ完成するか分かりません。彼について語れば、どれだけ語っても語り尽くせないからです。

でも、幼稚園から一緒に育ってきたものとして、彼の家族も知ってないことも

語ろうと思います。


彼について書こうとすると、一緒に育った幼少期、少年期、青年期、そして、暮らすところは離れても、私のメールにいつも親切丁寧に答えてくれたこと。

結婚するんだと言って、新妻を紹介してくれたこと。父の谷川秀城氏の葬式の時のこと。走馬燈のように浮かんでは消え、消えては浮かんできます。

決して涙は流すまいと思うのですが、彼は極楽へ往生したのには違いないのですが、ひょっとしたら喜ばしいことかもしれないのに、なぜか涙があふれてきます。だから少しずつしか書けません。

でも、彼の妻や子供たちが知らない彼を、教えてあげることができるのは私しかいないのです。

本当にすばらしい友を無くしました。

彼との約束では、私のお葬式の導師は彼がつとめて、私の法名は彼がつける約束になっていたのです。

さして生きていても世の中のためにならない私、病気まみれでいつ死んでもおかしくない私が生きて、沢山の人に幸福と安寧をもたらしてきた、これからも人のためになる人生を送るボンが亡くなるなんて、神か仏か知らないけれど、ひどいことをするものです。

仏法では、善因善果、悪因悪果、自因自果と因縁果の法則を説きます。

彼が津波に流されたという結果は、彼が彼の意志で大船渡に行ったからだと理屈では理解できます。でも悲しみがこみ上げて止みません。

ボンの本当の名前は、谷川秀大(たにがわしゅうだい)と言います。加古川市西神吉町辻の浄土真宗本願寺派の正念寺の次男として生まれました。訳有って次男では有るけれど、正念寺の跡取り、つまり、次の住職として成長しました。中学時代の成績は中の上くらいでしたが、地域で一番の進学校である加古川東高校を受験するも失敗し、一年間姫路の予備校のYMCAに通い、次の年にもう一度加古川東高校を受験し、見事に合格したのでした。 大学は龍谷大学に現役合格したのでした。

高校時代は地域の辻ジュニアリーダーに所属して、地域の子供達に、親しみを込めて『ボン』と呼ばれました。中学時代のバレーボール部の経験を生かして、小学生女子のバレーボールのコーチも務め、優秀な成績を納めたのでした。

私たち辻ジュニアリーダーの活動の目的は、地域の子供たちに、『基本的な生活習慣』を身につけらせる、簡単に言えば、親が手の届かないところを高校生のお兄ちゃんやお姉ちゃんが小学校中学校の子供たちの面倒を見ることでした。その手段は、年中行事を通じて、とんどやき、春の遠足、夏のキャンプ、古より伝わる行事や、自分たちで考えた行事を通じて、子供たちと接して子供たちを導いて行く。公民館の勉強、週に2~3日小学生と中学生が勉強をしていたのですが、その勉強に先生の助手として参加しました。

私たちの小さな頃はボンのお寺の本堂で勉強しました。ですから、私たちの年代は小さな頃からお寺に出入りしていたので、南無阿弥陀仏は自然と私らの中に入っていました。

そういえば思い出しましたが、ボンは便所へ二回はまりました。正確に言うと、一回はズッポリで一回は半分はまりかけです。そのことを成人してから言うと、すごくいやがっていました。これは彼の弱みだったのかもしれません。(笑)

私たち辻地区の同級生は12人だったと思います。みんな仲良しで、私とボンともう一人玉川弘治君の三人がよく遊んでいました。玉川弘治君は現在三菱重工の相模原工場へ勤めているはず、もちろん向こうで住んでいるはずです。若い頃に行ってしまって、ただいま音信不通なのですが、確か、ボンのお姉さんが相模原なので、一度連絡を取ってもらえればと考えるしだいです。

それにしても、青春時代を一緒に過ごしたわけですが、彼は恋愛とは縁が無かったように思います。誰か好きな女の子がいたのかもしれませんが、おくびにも出しませんでした。彼の恋愛相談なんて聞いたことが有りません。

それだけに、ブラジルから可愛い嫁さんを連れて帰ってきたときは驚きました。

さて、ジュニアリーダーは高校三年で終了するわけですが、ジュリアリーダーの上級生、具体的には、亡玉川正志さん、上田慶次さん(大阪で建設会社の社長をしているようです)ボンと私、この4人が揃えば麻雀です。毎週末はもちろんのこと、夏休み冬休みなどは毎晩徹夜したものでした。学生ばかりの麻雀ですから、お金はかけません。純粋にゲームとしてだけ楽しんでいました。この4人は辻でもハイソな部類の人間ですから、その麻雀も論理的な麻雀でした。一番強かったのはおそらく上田慶次さん、後の3人は同じくらいかな。でも、癖が違うのです。私は流れに沿って大物ねらいするときも有れば、小さな手で蹴る事もあり、自在に打つ方でした。ボンはと言えば、これが大物ねらいをよくするのです。中々上がれないけれど、上がればどひゃ~ってなので上がるのです。

それと、加古川の駅前のパチンコにもよく行きました。上田慶次さんが大阪工大、私が大阪学院だったので、加古川の駅前の喫茶店で待ち合わせて一緒に行きました。思い出せないけれど、なぜかボンも一緒でした。そのころのパチンコと言えば、今みたいに自動でなくて、玉は勝手に入って行くのですが、一個ずつ指で玉をはじくタイプでした。終了しても3千円もないくらいでした。それを店をはしごして、一日に2~3台終了させていました。慶ちゃんとボンと私が行けばお店の人に嫌われまくりです。今みたいにコンピューターがパチンコ台に入っているわけでも無いので、釘を読めば必ず勝てるのです。おそらくパチプロと思われていたでしょうね。そのパチンコでも性格が出るのです。ボンはネチコチネチコチ根よく攻めるのです。あの根の良さは布教活動にあいても発揮されたのでしょうね。それは麻雀とパチンコによって培われたのかもしれません。(笑)

大学の2回生か3回生の頃だったと思います。夏休みだったか冬休みだったか忘れたのですが、私に相談が有ると電話をしてきたので、家に来るように言うと、外で会いたいとのこと。それも近所の喫茶店ならまずいので、遠くの稲美町の喫茶店へ行きました。おもむろに切り出した話は親鸞会の入会の話でした。

小さな頃から彼は寺の跡取りとしての道を歩んできたし、私は正念寺の檀家ですから、そのままボンが住職になると私が檀家総代です。檀家総代は選挙ではなくて住職の指名なんです。ボンが指名するのは私を始めとしてジュニアリーダーの仲間を役員として指名したはずです。将来の檀家総代としては、将来の住職の相談となれば親身になって聞かないといけません。そのときボンは、親鸞会に入りたいねんけれど、親鸞会に入ったら寺を継げなくなるねん。どうしたもんやろとのこと。私はあくまでボンの檀家総代ですから、そのボンがどこへ行こうがどこへ入ろうが、無条件に支持して支えるだけ。私は、自分が正しいと思う事したらええ。寺の跡継ぎやからと言って辛抱せんでもええ。親鸞会に入って本願寺が除名するのなら、正念寺の檀家みんなでボンに続くだけや。なんて威勢のいいこといって背中を押しました。

今になって思うと、それで良かったと思います。正念寺の住職をして300軒足らずの檀家で頑張るより、8月7日に見るように、多くの人に慕われた彼が正解だったのでしょう。

http://d.hatena.ne.jp/batta6/20110327

投稿: | 2013年9月25日 (水) 15時38分

谷川秀大講師についての某ブログの中で、特定講師が興味をもつのは、

>ボンは便所へ二回はまりました。
>正確に言うと、一回はズッポリで一回は半分はまりかけです。

この部分だけだろう。

投稿: | 2013年9月25日 (水) 19時32分

会員は会長の生きているうちしか救われない。
親鸞会内部だけで無二の善知識される会長が亡くなったら親鸞会員は信心決定できなくなり、のたうちまわりながら無間地獄に堕ちていく運命だ。
親鸞会は仏教を求める目的は、後生の一大事(死ねば必ず無間地獄へ堕ちるという一大事)の解決一つと教えている。すなわち平生に信心決定した人は極楽に往生するが、信心決定していない人は無間地獄に堕ちると説く教えだ。
「一切衆生必堕無間」と親鸞会では教えられているが、経典にこのような言葉はない(捏造)

『七高僧』の『源信僧都』が『往生要集』という文献を残されておられ、その最初には「地獄」のことが事細かに記されている。

地獄の最下層に位置する。大きさは前の七つより大きく、縦横高さそれぞれ2万由旬。親鸞会ネット対策員同様、最下層ゆえ、地獄に落ちるまで、まっ逆さまに落ち続けて到着するまで2000年(2000畳)かかる。その前の七大地獄の一切の諸苦と比較して無間地獄の苦は1000倍もある。剣樹、刀山、湯などの苦しみを絶え間なく受ける。背丈が4由旬、64の目を持ち火を吐く奇怪な鬼がいる。舌を抜き出されて100本の釘を打たれ、毒や火を吐く虫や大蛇に責めさいなまれ、熱鉄の山を上り下りさせられる。これまでの地獄さえ、この無間地獄に比べれば夢のような幸福だという。

このような地獄が嫌なら一刻も早く脱会するしかない。
本当の聖人の教えなら高森会長の話など聴かずとも浄土往生できるのだから。

投稿: | 2013年9月25日 (水) 20時11分

>「同病院総務部の担当者」は詐称であることがはっきりしましたね。

なんでそうなるんだ。合理的な説明をしてみてください。
言いがかりはやめていただきたい。

投稿: 同病院総務部の担当者 | 2013年10月 5日 (土) 14時57分

涙を拭きなよ、特定講師さん。

投稿: | 2013年10月 6日 (日) 19時32分

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