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5年も解説書が出てないのだ。正統と異端の逆転だ。カウントダウンだ。

いい加減に記事を書かなければいけないと思いつつ、もう先回の更新から四ヶ月近くが経過してしまいました。

別に親鸞会に関心がなくなったわけではなく、とても忙しい上にあまり目新しい情報も無いので、筆が進まなかったというのが現状です。こんな記事にも書かれたりしましたが、卒親鸞会というわけでも無いのでしょうけど、親鸞会のことをアレコレしている時間があったら、一行でも教行信証を拝読したい気持ちになっているのは事実です。普通の人は1~2年でそんな気持ちになってゆくのでしょうが、私の場合は8年もかかってしまったという事なのでしょう。それも、僧侶になって、親を亡くし、住職になって、ようやくです。阿弥陀様はよほど気長に自分のことを待っていてくださったのだと思います。

手元に、顕正新聞の3月1日号があります。「歎異抄をひらく」から5年も本願寺は沈黙しており、歎異抄の解説書は一冊も出ていない。異端(である親鸞会)と、正統(である本願寺)が逆転しましたよ、ということみたいです。ご丁寧に「門主は正意安心の正否を裁断する」と本願寺派の宗法まで出してきています。

「親鸞会の主張に対して異議、反論のある方は遠慮なく申し出てください。相手が集団であれ、個人であれ、公開であれ、非公開であれ、討論であれ、文書討論であれ、相手の希望される方法で、時と場所を問わず、ほんとうの親鸞聖人のみ教えを開顕するために、喜んで対決に応じます。」と言っておりながら、内容証明郵便で質問状を送っても無視した教団の言っていることとは思えませんが、ずっとこれからもこういうことを言い続けるんでしょうね。

前にも書きましたが、私はこういうことはやめたほうがいいと思います。

親鸞会は、教義安心の問題では全く箸にも棒にも引っかからない教団です。私は12年間も親鸞会にいましたが、講師部員であった時期も含めてただの一度も本典である教行信証の講義すらありませんでした。脱会して読んで目からうろこでした。3月1日号の顕正新聞には大峯顕氏や故桐渓順忍氏の著作からの抜粋が載せられ批判の対象になっていますが、ご本人と直接法論したら親鸞会は全く相手にもならないと思います。高森会長の教義安心(といえるべきものがあるかどうかも不明ですが)を補強する目的でしか聖教を読んだことのない人たちですから、仕方がないとは思いますが。

しかし、親鸞会の全部が全部ダメかというと、そうではないと思っています。本願寺派の碩学の法話に行くと少なくない確率で元親鸞会にいた人達に出会います。笑顔でうなづきながら聞いている姿を見るとあの教団の存在を全否定する気にはなれません。

深夜まで、どうやったら親鸞聖人のみ教えをお伝えすることが出来るだろうか、どうしたらわかりやすいか、どうしたら抵抗なく参詣されたかと、語り合い工夫し合った日々。それは内実を見ると違法で詐欺的な偽装勧誘ではありましたが、あの時の情熱や努力そのものまで全否定する気もありません。

本願寺教団に欠けているものが、たしかに親鸞会にはあると自分は認めています。災害支援も大事ですが、本当に大事なこと、教団の僧侶が聞法して、目の前の門徒さんだけでなく、未だにご縁のない人にお伝えする。その活動においては親鸞会の真似をする必要は全く無いけど、少なくとも刺激は受けて欲しいと思っています。

5年も解説書が出てないのだ。正統と異端の逆転だ。カウントダウンだ。

親鸞会の人、気づいて下さい。いくら高森会長がそういう記事を望んでいるからといって、外から見たらただのアホです。(会員でもこれはアホだろうと思っている人はかなりいるみたいですが)挙げ句の果てには、二河白道の白道を「他力」であるのに「自力」と言っていたのは、相手に打ち込ませるためで、宮本武蔵の剣術であると。

元親鸞会の身としては、恥ずかしくって顔から火が出るような事を平然と言う。取り巻きに囲まれて全く自分への批判の許されない環境で過ごすと、こうなってしまうのでしょう。

本当は親鸞会というものにもう少し目を向ける必要が、東西本願寺だけでなく真宗十派にはあると思うのです。それは宗教の持つ問題、真宗教学の持つ問題、布教の問題。親鸞会は課題の宝庫です。しかし、教団としての言動があまりに幼すぎるので、結局のところ誰も相手にしなくなってしまう。最初からバカにされてしまって目も当てられない状況です。カルト以前の問題です。

例えて言うと、幸◯の科学で「坂本龍馬は劉備玄徳の生まれ変わりだ」とか言っているのを見て、親鸞会の皆さんはここからなにか学ぼうとする気力が起こるでしょうか。私が言いたいのは、そういうことです。

また親鸞会の人へ。教学を勉強してくださいとは言いませんが、もうすこし仏法を真摯に聞いて下さい。大峯顕氏の「私たちは十刧の昔から阿弥陀様のお助けの中にいるんです」というのを切り出して、「本願寺トップの誤った信心」とか言ってたら、もうおしまいですよ。

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コメント

ぶるうのさん更新ありがとうございます。長く更新されないので多数の訪問者も心配していたと思います。
これからもよろしくお願いいたします。

投稿: | 2013年3月13日 (水) 16時53分

「私たちは十刧の昔から阿弥陀様のお助けの中にいるんです」という大峯師の言われることは、如来のお救いの法が遠い過去から今日までいつも私の上に働き続けているという意味において、そのとおりであると思います。そして、そのお助けの法を受け容れるのはつねに「現在ただ今」のことであり、この助けるの法を受けるのを真宗では「信楽」といいます。「今の救いというのは私の過去も今も未来も救われるということなんです。」というコメントは、ウ~ン。どうなんですかね。その真意を測りかねております。「今も未来も救われる」ということであれば容易に了解可能なのですが。「過去も」ということになると、とても理解が難しくなります。

投稿: たかぼー | 2013年3月13日 (水) 17時59分

まだ文章の途中だったのでは?

投稿: | 2013年3月13日 (水) 19時48分

救われるというのは味わいの上に語られることの多い言葉だと思います。
過去も救われるというのは、十劫の昔から阿弥陀如来のお力が私のところに働いていたという事をそう言っているのだろうと思います。
空間と時間を超越した如来の救済である事をこう表現したのかと自分は思いました。ぶるうの氏は大谷派ですから、大谷派ではこういう表現が好まれるのかもしれません。大嶺氏もこういった言い方をたまにされるように思います。

投稿: | 2013年3月13日 (水) 20時15分

脱会したての頃、西本願寺の勧学の方の説法を聞きにいった際、
説法後にどうしても話をしたい、と受付の人に言ったら、「どうぞどうぞ」と気軽に会わせて下さった。親鸞会では会長と直接話ができるなんて考えたこともなかったので驚いた。
「親鸞会に15年以上いて・・・」と話を切り出したら、
「親鸞会????????????」
と全くピンときてない感じで返され、二度びっくり。
本願寺は親鸞会を脅威に思っている、というのは親鸞会の妄想だとしても、少なくともどんな邪義を教えてる団体なのかは把握しているのでは?と考えていたのに・・・全く相手にされていない、とハッキリして、赤面、恥ずかしさのあまりその場で泣き出すという醜態をさらしてしまった。
会員の人、本願寺は親鸞会を脅威に思っているどころか、存在自体「ああ、そんなとこもあるらしいね」程度にしか思ってません。それなのに反論書でないとか、ばかばかしいにもほどがある。
早く親鸞会という閉鎖社会から出てください、井戸の外に出たらなんと世界の広いことか。

投稿: | 2013年3月13日 (水) 20時28分

私も離れて6年ほど経ちましたが、今になって高森先生は相当にかわいそうな人だと思います。
認められたくてどうしようもなかった人なんです。
信心決定したと自分に思い込ませ、大沼氏の本を丸パクリして教学力をアピールし、説法に自信がなかったので自分を神格化させて付加価値をつけた。
先生の人生、全て嘘偽りです。
やはり不幸な生い立ちから始まっているんでしょうか。
誰も信じていないし近くの人にはまるで相手にされていないでしょう。
超孤独です。もちろん未信です。先生の人生はなんなんでしょうか。

投稿: | 2013年3月14日 (木) 00時14分

>二河白道の白道を「他力」であるのに「自力」と言っていたのは、相手>に打ち込ませるためで、宮本武蔵の剣術であると。

宮本武蔵なら打ち込ませて隙を作り相手をやっつけれましたが、白道を自力なんて言ってたらやっつけるどころかやっつけられちゃいますよね。
「白道は自力」という会長の大間違いの言い訳のつもりでしょうが、何の言い訳にもなってません(笑)
こういうことさえ気づかない会長と感銘を受ける(ふりなのかもしれませんが)講師たち。
「アホ」と言ってしまえば身もふたもないですが、本当に残念な人たちです。
会長を善知識だと思うことは、オウムの麻原教祖(死刑囚)の空中浮揚を真実だと思い込むくらいばかげています。
偽装勧誘したり盗作したりマイコンしたりウソ八百つき倒すのも、このようなばかばかしさを隠すためです。
でもウソはいつかばれます。
まじめに親鸞聖人の教えを通じて阿弥陀如来の悲願を信受したい会員さんは、一刻も早く脱会しましょう。

P.S ぶるうのさんが元気そうで安心しました。

投稿: | 2013年3月14日 (木) 01時20分

お前の更新を待ってたんだよ!

投稿: | 2013年3月15日 (金) 17時46分

ぶるうのさん、AS川さんにマインドコントロールされてちゃあだめですよ(笑)。
ぶるうのさんが「愛情」を感じていたのは本当に真実を追究し、親鸞聖人の教えを忠実に伝える教団でしょう。
当初は親鸞会がそのような団体だと思い込んでいた。
しかし実態は180度ちがったわけで。
会長の人格然り、教団の組織運営然り、教義の正確性然り。
たしかに親鸞会は自分が通ってきた道だから懐かしさや関心はあるでしょうが「愛情」まではないと思います。

あと新しい情報がなくても更新してほしいです。
ブログというのは基本日記みたいなもので、新聞みたいに常に新しい情報を書く必要はないですよ。
たとえば元オウムの上祐さんと対面されたそうですが、そういう内容でもいいんじゃないですか。同じくカルト教団ですから。

投稿: | 2013年3月15日 (金) 21時31分

オウムの上祐さんて、いきなりビックネームだね。ぜひ内容を聞きたい。

投稿: | 2013年3月15日 (金) 21時42分

上のコメの人も書いてますが、

親鸞会の新しい情報がなければ、それ以外の話でも良いのではないでしょうか

最近のぶるうのさんの近況とか、最近の真宗界の情報とか、それについての感想とか、最近感動した事とか、別に親鸞会の話題じゃなくてもいいと思います。

ぶるうのさんが元気であると知らせるだけでも向こう(親鸞会)にとっては
都合が悪いと思いますし、

投稿: | 2013年3月15日 (金) 21時50分

はぁ?ぶるうのさんのやり方にいちゃもんつけてんじゃねえよ。なんだよ「それ以外の話でも良い」って。方向性を狂わせる気かよ。

投稿: | 2013年3月16日 (土) 11時18分

会長先生の「白道は自力」には笑わせてもらいましたね。
教行信証読んだことないのモロバレ(笑)。

昔天才バかボンというアニメにハワイの先生という人が出てきて、最後にハワイに一度も行ったことがない、というのがバレるというストーリーがありましたが、
こんなのアニメや漫画の世界だけの話だと思っていたら、現実にあるんですね(笑)

教行信証を読んだことのない無二の善知識様(笑)。

投稿: | 2013年3月16日 (土) 15時00分

さいたま市で第4土曜日に、龍谷大学の先生が歎異鈔の勉強会を開いています。仏教の世界全体から見たら少ないかもしれないですが、教えを説く寺はあります。ところで、ぶるうの様は大学の宗教対策で忙しいのでは。

投稿: ブラウンタビー | 2013年3月16日 (土) 20時35分

おかしいな?
講師の話では会長先生は八万の法蔵を読破されたと聞きました。教行信証も読まれていないのでしたか。人をタブラカスのにも程がある。
何が親鸞聖人の生まれ変わりだ。過去生に豊田商事の永野会長と縁があったから、永野会長も高森会長に引き寄せられた。
共にやっている内容は類似しているみたいです。まぁ好きにしなさい。

投稿: | 2013年3月16日 (土) 22時14分

>方向性を狂わせる気かよ。

真宗界の話や他のカルト関連の話題は親鸞会批判と必ずしも無関係でもないし、
別にここのブログの方向性を変えてはないと思います。

それにぶるうのさんへいちゃもんをつけるつもりは全くないです。

これは個人的な意見であって押し付けるつもりはないですよ。

投稿: | 2013年3月16日 (土) 22時41分

<<しかし、親鸞会の全部が全部ダメかというと、そうではないと思っています。本願寺派の碩学の法話に行くと少なくない確率で元親鸞会にいた人達に出会います。笑顔でうなづきながら聞いている姿を見るとあの教団の存在を全否定する気にはなれません。

深夜まで、どうやったら親鸞聖人のみ教えをお伝えすることが出来るだろうか、どうしたらわかりやすいか、どうしたら抵抗なく参詣されたかと、語り合い工夫し合った日々。それは内実を見ると違法で詐欺的な偽装勧誘ではありましたが、あの時の情熱や努力そのものまで全否定する気もありません。

本願寺教団に欠けているものが、たしかに親鸞会にはあると自分は認めています。災害支援も大事ですが、本当に大事なこと、教団の僧侶が聞法して、目の前の門徒さんだけでなく、未だにご縁のない人にお伝えする。その活動においては親鸞会の真似をする必要は全く無いけど、少なくとも刺激は受けて欲しいと思っています。

↑俺はこうは思わん。親鸞会全否定。

投稿: 10年前以上元会員 | 2013年3月16日 (土) 22時56分

私もぶるうのさんの更新がないので心配していました。更新の内容がないとかでしたら、カルトの宗教組織でもいいですから更新を願っています。ぶるうのさんが元気でおられるだけで安心します。

投稿: | 2013年3月16日 (土) 22時57分

ここのおかげでスッキリ辞める決意ができました。本当にありがとうございます!

投稿: | 2013年3月21日 (木) 02時52分

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