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夢幻界裡の覚醒について

夢幻界裡の覚醒というブログに「親鸞会ブログポータルナビ」からリンクを貼って欲しいとリクエストを頂きました。

このブログについては過去に
http://sayonara1929.txt-nifty.com/blog/2011/08/post-dfe1.html

http://sayonara1929.txt-nifty.com/blog/2011/08/post-74be.html

で触れました。

自称「本願寺の僧侶」であり、「布教使」がやっているブログという位置づけです。「僧侶の毒舌ブログ・浄土真宗親鸞会 高森顕徹先生に感謝します。」とあります。なぜブログナビからリンクしないとかというと、ボロが出るのが嫌なのか連絡先を一切公開してないしコメントもつけられないからです。自分の立場にごまかしの疑いがある上に、こちらから連絡する手段のないブログをリンクしようとは思いません。

それにしても、

久しぶりに読みましたが、「本願寺の僧侶」という人ならまず書かないような言い方、書き方であふれていました。東西本願寺の僧籍を持っているのかどうかはわかりませんけど、いわゆる「本願寺」といわれる教団で育ってきた人ではないですね。

こんなことは少し考えればわかることで、たとえば逆に、本願寺派の布教使なり僧侶が親鸞会の講師部員を装って、本願寺派のいいたいことを代弁するようなブログを書いたとしましょう。「親鸞会の講師ならこんなことかかないだろ」という表現は必ず出てくるはずだし、親鸞会の人なら当然気づくはずです。

「本願寺の僧侶」というキャラクターを作って親鸞会の言いたい事を言わせたところで、このくらいのことはすぐに想像がつきそうな話です。

ネットでの批判から親鸞会教義に疑問を持っている人に見せるためのブログのようですから、それなりに役に立っているのかもしれませんが、こういうやり方は長い目で見るといいことはひとつもありません。

一つは、当の東西本願寺の人から、ああ、親鸞会というのはこういうことを平気でやる団体なのだなと思われることです。潜在的に親鸞会にシンパシーを感じる僧侶というのは少なくなかったのに、今はそういう人も親鸞会の姿を知って大部分心を変えてしまいました。多くはこうしたネット対策の失敗に起因していると思います。

もう一つは、親鸞会を脱会した人が親鸞会を肯定的に見る機会を失わせるということです。毎度毎度こんなのを見てれば、辞めてなお親鸞会という団体についてのイメージは低下するばかりでしょう。こういう姑息なやり方で散々ごまかされ騙されてきた事に気づくのですから、肯定的に捉えようがありません。

一時的にごまかせても、最終的には得たもの以上に失うわけで、顕真学院で教えているそのままだと思うのですが、自分のこととしては思えないのでしょうね。

何時になったら気づくのかなぁと遠くから見ています。

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コメント

親鸞会の人達は役者になっていれば一旗揚げられたかもしれない
詐欺に使うより才能が活かされると思います

投稿: 娵 | 2012年11月12日 (月) 08時54分

ぶるうのさんのおっしゃる通りだと、痛感します。自分も親鸞会との縁があればこそと、思うところもありますが、東西本願寺を誹謗したり、仏教者らしからぬ言動に、がっかりします。本願寺の門徒は、親鸞会をどのように思っているのか、解りませんが、自分は親鸞会に在籍していたことが、恥ずかしく隠したい気持ちがあり、なんともこういう感情を拭いきれません。高森親鸞会ではなく、法然上人から脈脈と伝わる、浄土真宗のご法義にめざめてほしいです。

投稿: | 2012年11月12日 (月) 10時14分

件のブログを拝見しました。親鸞会独自の三願転入論を把握でき、ヤッパリ駄目だわ親鸞会という思いが募ります。東西本願寺僧侶でありながら、かつては親鸞会に少なからず敬意を払ってました。しかし、ネット対策員のブログの酷さ、そして、Amazonで容易く高森顕徹氏の著作を購入し読んだら、少なからずあった敬意は雲散霧消し、失笑しかありません。そして、何よりも、親鸞会はカルトであることを、ぶるうの氏を筆頭に脱会講師部員の方々のブログで学び、いづれ富山県にある、この単立宗教法人は凋落の一途を辿り、代表役員一族は生活に困窮するのでは、と思います。若者の寺離れが指摘され久しいですが、若者のカルト離れの日が必ず訪れることでしょう。「未来永遠に生かされる絶対の幸福」という件が、迷著『なぜ生きる』にあったと記憶しますが、それは人間の欲望であって、総ては無自性空です。絶対の幸福を求めることは、自らに執着していることであり、迷いを深めることになるのではないでしょうか。それは恰も占い師に頼り、主体性を放棄することに酷似していると言えるでしょう。

投稿: | 2012年11月14日 (水) 20時34分

高森会長は、人を騙して勧誘することは善だと明言しています。
彼らは偽装したり騙したりすることが善だと思って取り組んでいるのですから救いようがありません。
仏教では当然ですが外道を信じている人でも人間的に正常な人なら平気で嘘はつきません。親鸞会は論外の邪教カルトであることを自ら証明しているのですね。
闇に向かって走るものは滅ぶとわかっちゃいるケドやめられない。自分のことになると因果の道理を認められないとはよく言ったものです。これからも廃善修悪に励んで自分の首を絞めるんでしょうね。

投稿: | 2012年11月16日 (金) 06時41分

オウムがポアされることは尊いことだといって殺人を肯定するのと同種のものですよね。
カルトがやることは大体同じなんだなあ。

投稿: | 2012年11月16日 (金) 22時45分

「朝から晩まで嘘つきっぱなしで、気にしないのに仏法のためにだけ、嘘つくのを気にするのはおかしい」みたいな変な屁理屈をつけて、嘘つくのを奨励してましたね。

投稿: | 2012年11月17日 (土) 12時16分

朝から晩まで嘘つきっぱなし、という前提が詭弁だと思うし、仏法の時くらい真面目にしていい
よって前提も最終的な行動も親鸞聖人とは違う親鸞会的な人格へ改造されるのかな
高森教団から足を洗って行いを正していけば多分大丈夫

投稿: 市民 | 2012年11月17日 (土) 13時49分

来週は岐阜会館リニューアル落慶、下呂温泉祝賀会ですね

投稿: | 2012年11月18日 (日) 17時44分

洗脳やマイコンは解けた瞬間が一番つらい。
だからわかっていてもぬるま湯から出られない。

                        by 某現役講師部員

投稿: K | 2012年11月18日 (日) 21時42分

マイコン解けたときは怒りが込み上げるし、忘れたくても忘れられない。

投稿: | 2012年11月18日 (日) 22時35分

現役講師部員の方に言います。それは後悔と反省の先送りです。
将来的に高森一族でない限り、一生を親鸞会が面倒を見ません。
講師も二百人もいれば年齢と役職も違いますが、ハッキリしているのは講師も学徒も高森一族の捨て石です。年数差こそあれ捨てられます。捨てられた年齢で捨て石は人生を考えて生きる事態になります。
それとマイコンが解けた時に怒りが込み上げる以前に反省(過去の活動)も必要です。
他人様の人生ですが人生を真剣に生きるなら、親鸞会は必要なのか不必要なのか自問自答して人生を生きなさい。

投稿: | 2012年11月19日 (月) 06時08分

現役講師さん。

マイコンから覚めつつはあるけど、ぬるま湯から出られないというのは甘えすぎじゃないでしょうか。

あなたのような講師のもとで会員は汗水流して働いた、あるいは少ない年金から生活費を切り崩して捻出したお金を会に財施しているのです。

その会員さんの財施で君たち講師部員は生活しているのでしょうが。

そんなヒモ生活が人間としての正しい道と言えますか。因果の道理とやらをどう聞いているのですか。会員さんに対して何とも思わないのですか?

自分は親鸞会の実態を知りつつ、ぬるま湯から出たくないよと言い訳する前にやることがあるだろう。

講師部員は甘えすぎなんですよ。他力を他人の力に依存するというのは間違いだと知っているでしょう。もっと自分の力で生きていくということを学びなよ。

その上で往生浄土の一大事は阿弥陀様任せですよ。

投稿: | 2012年11月19日 (月) 12時20分

講師がご法礼で生活するのはおかしいね。
高森会長がしていたから?って理由にならん。すべて後付け理由。
それならば息子は法話するな、給料もらうな。
制限や規則をもうけるな。最低のモラルは必要だが、それ以外は好きにさせてやれさ。

投稿: | 2012年11月19日 (月) 17時09分

洗脳やマイコンは解けた瞬間、それまで費やした時間やお金や労力はすべて騙し取られていたとわかってしまう。
親鸞学徒は、自分たちは洗脳やマイコンなどされていないと思ってるかも知れない。しかし、ネットで会長の人格や教義の誤り(不勉強やもともと能力不足によるもの)を見て、それが合理的な証拠から確からしいとわかっても、なおかつ会長を「無二の善知識、高邁な人格」などと思えるとすれば、それは明らかに洗脳やマイコンによるものだ。「わからない人にはわからない」などと脱会者を見下しているが、何の証明もできない思い込みなんか正常な思考状態の人間にわかるはずがない。わからないほうがまともなのだ。

投稿: | 2012年11月19日 (月) 17時16分

親鸞会は詐欺だね。
富山に来いって。
富山は片道6時間かかる。

投稿: | 2012年11月19日 (月) 17時54分

宗教詐欺師にひっかかって人生の敗残者になったと認めるのは勇気の要ることです。

投稿: | 2012年11月19日 (月) 19時18分

現役講師というのは釣りでしょうね

投稿: | 2012年11月19日 (月) 19時50分

たぶん釣りでしょう。
しかしながら現役講師たちの人生の目的への情熱の無さも特筆モノだと思います。
真摯さや情熱とは真逆の生き方ですからね。
空威張りして虚しさをごまかしているのでしょうね。

投稿: | 2012年11月19日 (月) 20時52分

親鸞会から逃げるには普通に民間で働くしかない。 親鸞会は仏教知らない人を世間の人という。
何にも知らないから適当に言えばいい

投稿: | 2012年11月19日 (月) 22時39分

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