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「親鸞会批判の真実」について

某ブログで紹介されていたので、久しぶりに親鸞会弘宣局のサイト「親鸞会批判の真実」を見ました。

私のことがこれでもかという位に書かれています。あまりいい気持ちはしませんが、それでも色々と感じることはあります。

まず、このサイトはもともと私が親鸞会弘宣部(現弘宣局)にいた頃に作ったサイトということです。当時のサイトから大幅に拡張されていますが、私が書いた文章はまだ残っています。私が提案し、私が文章を起草し、弘宣部長(現弘宣局長)の指導のもとで作りました。弘宣部長が書き加えた部分はあまりに過激だったため、サボタージュして勝手に削除した文章も結構ありましたが。

自分が作ったサイトで自分が批判される。見事な自因自果です。私が親鸞会時代に外に向けてやったことが、今度は自分に対する刃になっているのです。

親鸞会から脱会して7年が経ちます。その間色んな事がありました。親鸞会から刑事告訴もされました(不起訴になりましたが)。私の後に脱会してくる人はたくさんおられますし、連絡を取りあっている中の人も何人かいますので、内部で、特に講師部員の間で、私のことがどう言われているかもよく知っています。

親鸞会の、高森会長の、色々なことを暴いて、衆目に晒してきましたが、そういう事をしていると、自分が正義の味方になったような自惚れた気持ちになるものです。でも7年前は私は別の「正義」の元で、親鸞会を批判する人たちをやりこめていました。このサイトはそんな自分の過去を教え、私を謙虚な気持ちにさせてくれます。そして今も自分が迷った「正義」の元で、高森会長のもとで日々を送っているかつての仲間のことも思い出させてくれます。

自分が信じたいものを信じる為に、一生懸命になって私はこうしたサイトを作り続けました。本当にバカでした。でも、こういうバカな事をさんざんしたことで、気づくことが出来ました。

私のことなんて何を書いてもらっても構わないです。そのことを通じていつかあなた方の守ろうとしている虚像の実態に気づいて、勇気を持って新たな人生を歩んでいただきたいです。

あ、あと最後に、あんしん弁当のカレーは相変わらず味が濃かったけど悪くなかったです。配送してくれたウェルカムの人、ありがとうね。でもちょっと高すぎ。

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夢幻界裡の覚醒について

夢幻界裡の覚醒というブログに「親鸞会ブログポータルナビ」からリンクを貼って欲しいとリクエストを頂きました。

このブログについては過去に
http://sayonara1929.txt-nifty.com/blog/2011/08/post-dfe1.html

http://sayonara1929.txt-nifty.com/blog/2011/08/post-74be.html

で触れました。

自称「本願寺の僧侶」であり、「布教使」がやっているブログという位置づけです。「僧侶の毒舌ブログ・浄土真宗親鸞会 高森顕徹先生に感謝します。」とあります。なぜブログナビからリンクしないとかというと、ボロが出るのが嫌なのか連絡先を一切公開してないしコメントもつけられないからです。自分の立場にごまかしの疑いがある上に、こちらから連絡する手段のないブログをリンクしようとは思いません。

それにしても、

久しぶりに読みましたが、「本願寺の僧侶」という人ならまず書かないような言い方、書き方であふれていました。東西本願寺の僧籍を持っているのかどうかはわかりませんけど、いわゆる「本願寺」といわれる教団で育ってきた人ではないですね。

こんなことは少し考えればわかることで、たとえば逆に、本願寺派の布教使なり僧侶が親鸞会の講師部員を装って、本願寺派のいいたいことを代弁するようなブログを書いたとしましょう。「親鸞会の講師ならこんなことかかないだろ」という表現は必ず出てくるはずだし、親鸞会の人なら当然気づくはずです。

「本願寺の僧侶」というキャラクターを作って親鸞会の言いたい事を言わせたところで、このくらいのことはすぐに想像がつきそうな話です。

ネットでの批判から親鸞会教義に疑問を持っている人に見せるためのブログのようですから、それなりに役に立っているのかもしれませんが、こういうやり方は長い目で見るといいことはひとつもありません。

一つは、当の東西本願寺の人から、ああ、親鸞会というのはこういうことを平気でやる団体なのだなと思われることです。潜在的に親鸞会にシンパシーを感じる僧侶というのは少なくなかったのに、今はそういう人も親鸞会の姿を知って大部分心を変えてしまいました。多くはこうしたネット対策の失敗に起因していると思います。

もう一つは、親鸞会を脱会した人が親鸞会を肯定的に見る機会を失わせるということです。毎度毎度こんなのを見てれば、辞めてなお親鸞会という団体についてのイメージは低下するばかりでしょう。こういう姑息なやり方で散々ごまかされ騙されてきた事に気づくのですから、肯定的に捉えようがありません。

一時的にごまかせても、最終的には得たもの以上に失うわけで、顕真学院で教えているそのままだと思うのですが、自分のこととしては思えないのでしょうね。

何時になったら気づくのかなぁと遠くから見ています。

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「4年8ヶ月の沈黙」という唯一の「評価」

少し前の話になりますが、「静かな劇場」の「毒饅頭を食べてさっさと消えるがいい」というエントリを東西本願寺の僧侶に紹介した所、後半部分はともかく、前半の現在の浄土真宗の衰退については、「言われるとおりで反省しなければならない」「危機感が必要だ」という意見が多く聞かれました。

その一方で、ひとつの宗派、教団が750年間もその信仰の命脈を保っているのは大変なことであり、逆に親鸞会は50年後に存在しているかどうかという声もありました。東西本願寺ならびに真宗教団はここ50年くらいで急激に衰退しており、危機感を持たなければならないのは当然だと思いますが、確かに親鸞会という教団が50年間持つかというと、団体としての親鸞会はひょっとしたらあと数十年持つかも知れませんが、信仰団体としての親鸞会については、その生命は既に終わりに近づいているといっていいとおもいます。

親鸞会は、高森顕徹という人物によって作られ、高森顕徹という人物以外の存在を認めなかった教団です。善知識を信心決定という体験によって権威化し、講師部員で「信心決定」したという人は組織から追放し、容赦なく罵声を浴びせ、高森会長以外の「善知識」の出現を防ぎました。そうして親鸞会から追い出された講師部員が布教しようとしたところ、法座の場に親鸞会の青年部員が入ってきてストーブを倒すなどの嫌がらせをしたという話も聞いたことがあります。

高森会長が話したことのない話をする講師部員は徹底的にみんなの前で糾弾され、高森会長の許したことのない本を読んだ講師部員は土下座するまで指摘を受けました。「100の高森、1000の高森になれ」と言われ、講師部員の理想は高森会長のコピーロボットになることでした。

挙げ句の果てには講師部員は高森会長の許可した十分の説法原稿を話し、高森会長のビデオを上映するだけの存在になりました。高森会長を褒め称え、何を話しても結論は「高森会長の話をききましょう」でした。高森会長のする説法以外の聴聞は単なる予行演習に過ぎませんでした。

結果として高森会長に依存するだけの布教使が200名近く出来上がりました。教義解釈も、信仰の問題も、何かに悩んでも迷ってもみんな高森会長の指さした方に従えばいいという、「絶対に間違いのない」結論を常に持った集団の完成です。そこでは組織のすべての行動が「会長先生が喜ばれる」ためというたった一つの尺度によって決められました。

もうお分かりかと思います。自己愛によって増殖した団体は自己愛によって滅びます。高森会長は1929年生まれ。その命が尽きる時に親鸞会という教団の命も終わるでしょう。今は必死になってアニメの推進と高森会長のビデオ御法話の神格化が進められていますが、結局ここは高森会長亡き後も「高森会長のビデオ」にすがるしか無いのです。

いまや親鸞会の本部に行っても、顕正新聞を見ても、「真実開顕に刻む時」というタイトルで「4年8ヶ月」という文字が大きく書かれています。「『歎異抄をひらく』が出てから、毎年、十冊以上出版されていた『歎異抄』の解説書が、出なくなった。これは、それからの年月である。」と書いてあります。

『歎異抄をひらく』以降も歎異抄の解説本は毎年数多く出ていますが、最近になって新解釈が出ました。それは「門外漢の書いたもので本願寺の中枢からは出ていない」(顕正新聞10月1日号掲載の漫画より)というのです。九州大谷短期大学副学長の三明智彰氏の「歎異抄講義」のように、どう考えても門外漢でも中枢外でもない人からの歎異抄本も出ていますし、そもそも『歎異抄をひらく』の前に出ていたという毎年十冊以上の歎異抄解説書も「本願寺の中枢」が書いたものでなければ成り立たないはずですが、そんなことは彼らにとってはどうでもいいことなのでしょう。

「解説本が出ていない」から「反論書が出ていない」になり「本願寺の中枢からは出ていない」と4年8ヶ月の間に理屈を変えてきましたが、そんなに素晴らしいことなら本の帯にでも書けばいいし、1万年堂出版のホームページにでも載せればいいのに、それは出来ません。世間一般に通じる論理でないことは彼らも十分にわかっているのです。

わたしはこのことを考えると涙が出てきます。50年かかって自らを絶対権威とする教団を作り上げた高森顕徹氏。教団内では賛美の声以外ありませんが、自分が追い出された「本願寺」から彼が認められることは一切なかった。親鸞会の布教方法や組織としてのあり方が注目を浴びることはあっても、彼の説法や著作についてはほとんど顧みられることはなかった。

そんな彼がしがみついた「4年8ヶ月の沈黙」という唯一の「評価」。その虚構に、彼も、彼に依存する周囲の人間も、否定することは出来ない。

人生の大部分を教団の拡大に費やし、脱会者の怨嗟の声を「敗残者の愚痴」と切り捨て、周囲を賛美の声でうずめながらも、人生の黄昏にこんなどうでもいいウソにすがらなければならない老人の気持ちを思うと、私は高森顕徹という人物に涙せずにはおれないのです。

こんなことでは、親鸞会は50年後どころか、5年後も危ういでしょう。

周囲の人が高森会長を超えてゆけばいいと思いますが、そんな人は1人もいますまい。今の親鸞会では「高森会長が唯一絶対の善知識」であることを疑えば、組織をでなければならないからです。

親鸞会の中でしか通じない「善知識」に、すがり続けるしかないのです。

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