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「4年8ヶ月の沈黙」という唯一の「評価」

少し前の話になりますが、「静かな劇場」の「毒饅頭を食べてさっさと消えるがいい」というエントリを東西本願寺の僧侶に紹介した所、後半部分はともかく、前半の現在の浄土真宗の衰退については、「言われるとおりで反省しなければならない」「危機感が必要だ」という意見が多く聞かれました。

その一方で、ひとつの宗派、教団が750年間もその信仰の命脈を保っているのは大変なことであり、逆に親鸞会は50年後に存在しているかどうかという声もありました。東西本願寺ならびに真宗教団はここ50年くらいで急激に衰退しており、危機感を持たなければならないのは当然だと思いますが、確かに親鸞会という教団が50年間持つかというと、団体としての親鸞会はひょっとしたらあと数十年持つかも知れませんが、信仰団体としての親鸞会については、その生命は既に終わりに近づいているといっていいとおもいます。

親鸞会は、高森顕徹という人物によって作られ、高森顕徹という人物以外の存在を認めなかった教団です。善知識を信心決定という体験によって権威化し、講師部員で「信心決定」したという人は組織から追放し、容赦なく罵声を浴びせ、高森会長以外の「善知識」の出現を防ぎました。そうして親鸞会から追い出された講師部員が布教しようとしたところ、法座の場に親鸞会の青年部員が入ってきてストーブを倒すなどの嫌がらせをしたという話も聞いたことがあります。

高森会長が話したことのない話をする講師部員は徹底的にみんなの前で糾弾され、高森会長の許したことのない本を読んだ講師部員は土下座するまで指摘を受けました。「100の高森、1000の高森になれ」と言われ、講師部員の理想は高森会長のコピーロボットになることでした。

挙げ句の果てには講師部員は高森会長の許可した十分の説法原稿を話し、高森会長のビデオを上映するだけの存在になりました。高森会長を褒め称え、何を話しても結論は「高森会長の話をききましょう」でした。高森会長のする説法以外の聴聞は単なる予行演習に過ぎませんでした。

結果として高森会長に依存するだけの布教使が200名近く出来上がりました。教義解釈も、信仰の問題も、何かに悩んでも迷ってもみんな高森会長の指さした方に従えばいいという、「絶対に間違いのない」結論を常に持った集団の完成です。そこでは組織のすべての行動が「会長先生が喜ばれる」ためというたった一つの尺度によって決められました。

もうお分かりかと思います。自己愛によって増殖した団体は自己愛によって滅びます。高森会長は1929年生まれ。その命が尽きる時に親鸞会という教団の命も終わるでしょう。今は必死になってアニメの推進と高森会長のビデオ御法話の神格化が進められていますが、結局ここは高森会長亡き後も「高森会長のビデオ」にすがるしか無いのです。

いまや親鸞会の本部に行っても、顕正新聞を見ても、「真実開顕に刻む時」というタイトルで「4年8ヶ月」という文字が大きく書かれています。「『歎異抄をひらく』が出てから、毎年、十冊以上出版されていた『歎異抄』の解説書が、出なくなった。これは、それからの年月である。」と書いてあります。

『歎異抄をひらく』以降も歎異抄の解説本は毎年数多く出ていますが、最近になって新解釈が出ました。それは「門外漢の書いたもので本願寺の中枢からは出ていない」(顕正新聞10月1日号掲載の漫画より)というのです。九州大谷短期大学副学長の三明智彰氏の「歎異抄講義」のように、どう考えても門外漢でも中枢外でもない人からの歎異抄本も出ていますし、そもそも『歎異抄をひらく』の前に出ていたという毎年十冊以上の歎異抄解説書も「本願寺の中枢」が書いたものでなければ成り立たないはずですが、そんなことは彼らにとってはどうでもいいことなのでしょう。

「解説本が出ていない」から「反論書が出ていない」になり「本願寺の中枢からは出ていない」と4年8ヶ月の間に理屈を変えてきましたが、そんなに素晴らしいことなら本の帯にでも書けばいいし、1万年堂出版のホームページにでも載せればいいのに、それは出来ません。世間一般に通じる論理でないことは彼らも十分にわかっているのです。

わたしはこのことを考えると涙が出てきます。50年かかって自らを絶対権威とする教団を作り上げた高森顕徹氏。教団内では賛美の声以外ありませんが、自分が追い出された「本願寺」から彼が認められることは一切なかった。親鸞会の布教方法や組織としてのあり方が注目を浴びることはあっても、彼の説法や著作についてはほとんど顧みられることはなかった。

そんな彼がしがみついた「4年8ヶ月の沈黙」という唯一の「評価」。その虚構に、彼も、彼に依存する周囲の人間も、否定することは出来ない。

人生の大部分を教団の拡大に費やし、脱会者の怨嗟の声を「敗残者の愚痴」と切り捨て、周囲を賛美の声でうずめながらも、人生の黄昏にこんなどうでもいいウソにすがらなければならない老人の気持ちを思うと、私は高森顕徹という人物に涙せずにはおれないのです。

こんなことでは、親鸞会は50年後どころか、5年後も危ういでしょう。

周囲の人が高森会長を超えてゆけばいいと思いますが、そんな人は1人もいますまい。今の親鸞会では「高森会長が唯一絶対の善知識」であることを疑えば、組織をでなければならないからです。

親鸞会の中でしか通じない「善知識」に、すがり続けるしかないのです。

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コメント

ジョージ・オーウエルの『1984』の世界ですな。
あの小説読むとS会そっくりで驚きます。

投稿: まゆゆのおしっこで炊いたご飯 | 2012年11月 4日 (日) 21時31分

高森さんは、周りからの賞賛なくしては1分1秒たりとも身が持たない可哀想な人。自己に対する無価値感が深刻な人。絶対の幸福になってもこの悩みは解消できぬと見える。明橋さんに自己肯定感の育て方を教わっては如何だろう。過去の業まかせとは言いながら…。

投稿: | 2012年11月 4日 (日) 22時35分

親鸞会流儀では、信心決定して「絶対の幸福」になれば周囲の批評などまったく気にならないはずだが、実際はちょっとした教義批判にびくびくおびえ、脱会者を聞法の敗残者とののしり、法論の申し入れには逃げ回り、賛辞と同意以外は耳を閉ざしてしまうといったていたらく。
このような逃亡生活みたいのが「絶対の幸福」だったのか。やっぱり虚構だったんだね。いみじくも会長自身が「絶対の幸福」というものに疑念を抱かせ、絵に描いた餅であったことを証明してしまったわけだ。

投稿: | 2012年11月 5日 (月) 16時48分

やめた人を惨敗者っておかしいよな。話し込みして高森先生のもとへお連れするのが講師の仕事。

投稿: | 2012年11月 5日 (月) 19時36分

鵜飼いの鵜か
創価学会や統一協会もおんなじ

教祖依存症

投稿: 大海者 | 2012年11月 5日 (月) 19時42分

親鸞会高森会長が必要とする学徒(会員)はひたすら信心決定を目標と活動(人集め、お布施)する学徒です。信心決定した人は不必要な粗大ゴミです。信心決定を目標にさせ、信心決定したら居場所がありません。そこに高森会長の真実の姿があります。それでは失礼します。

投稿: | 2012年11月 5日 (月) 22時32分

昨日の日曜はガラガラでしたね

投稿: | 2012年11月 5日 (月) 23時38分

医者と患者は誰か
看護師が医者に救われるのには宿善を積んだものだけとか看護師に会わなければ絶対に医者に救われないとかぬかしたらどうよ?
お布施が印象悪いから財施といい納付金額を予約用紙に記入してね、と笑顔で言われた人もいるんじゃないか
それと看護師と名乗るとしても仏陀か菩薩級か神様レベルか凡夫かで変わってくるし患者の症状や重度によっても早く診てもらうべきか変わってくる
看護師は国家資格だけど仏陀から認可が降りたのなら法脈と血脈があるはずなんだ
自分の履歴を誤魔化す看護師は看護師なのか?
患者にも自覚症状があるなしに係わらず選択の自由がある
薬の効用を間違えているかどうか知りたければ調べるか色々な専門家に聞いて回ることだ
薬を飲まないのは患者のせいと言う自称看護師と法然上人とを比べてみると解ることがある
もし選択肢なしで廿年も卅年も医者に会えなければどうよ、薬が飲めなければどうよ?
大学四年間つぎ込んで親の金も宗教費用のためでないのに偽って活動して、過ぎてみれば薬を飲んで人生の目的を果たしたと嘘を言う四年にしてしまったのなら、嘘を言っていたやつと言わせた奴は看護師か?
救われるために救われていない講演に他者を誘うのが善と称する看護師はどういった本物でなんのプロだ?
生涯かけて会えるかどうかが平成業成という意味の看板なのか?
知識も智恵もないなら無料で仲介料も要らなくて患者の力も要らなくて先に向こうから直接診てもらえる医者に行った方がいいと思う
上に媚びへつらい弱い立場の者を踏みにじるところは腐ると誰かが言われていた気がするよ
看護師長の気分で医者に会えるかどうか決まるなんて病院ってあるのか?
しかも会えていないのが幹部に一族経営に会計不明に負債は構成員払いと来たもんだ
誓約書にしろ入会時退会時の違いや色々解ってくるよね
前提から違う詭弁があるかもしれないよ

投稿: 行動思想感情情報操作元技術者 | 2012年11月 5日 (月) 23時42分

がらがらって、どのくらいでしたか?

投稿: | 2012年11月 6日 (火) 01時22分

脱会が進んでるのかな

投稿: | 2012年11月 6日 (火) 17時41分

親鸞会が衰退したのは高森一族を食い止める人間がいないから

投稿: | 2012年11月 6日 (火) 19時55分

5~6番くらいからうしろはガラガラってゆーかスカスカ。

投稿: | 2012年11月 6日 (火) 22時10分

あわれあわれ、ですね

投稿: | 2012年11月 6日 (火) 22時27分

あの息子ではダメだ。

苦労知らずやからね。

はじめてのかたに
聞こえないんですか?って。失礼きわまりない。

投稿: | 2012年11月 6日 (火) 22時49分

あるとき息子の結集法話があった

わざわざ富山から来るからって。
やつはそれが仕事やからいいけど 、みんな仕事かかえてるからなあ

投稿: | 2012年11月 6日 (火) 22時50分

親鸞会が衰退する原因は、高森先生やご子息が次の3つの問題を抱えているからかもしれません。
1.(仏法への)理解不足
2.(信心決定して欲しい、相手に幸せになってほしいという)気持ち不足
3.術がない(言葉の使い方、話の仕方の研究不足。と言うより日本語になっていない)
ご自分でよく判っておられますので笑ってあげて下さい。

投稿: | 2012年11月 6日 (火) 23時52分

親鸞会は信行両座の諍論ではないけれども、微妙なところで間違えて50年でとんでもないところへ行ってしまった団体のような気がします。
仏法を聞いて謙虚になる人とごう慢になる人がいますが、親鸞会は圧倒的にごう慢になる人が多い団体。中枢へ行けば行くほどそうです。
ごう慢になってしまっては自分の姿は見えませんし、周りに感謝できません。
現会員の人は、自分が謙虚とごう慢とどちらに進んでいるか立ち止まって考えて欲しいです。

投稿: | 2012年11月 6日 (火) 23時59分

衰退理由はたくさんあるね。

収支報告なし。
大学偽装勧誘。
息子の力不足。
謙虚さがまったくない。 講師は高森会長や息子に向いていて会員に向いていない。
将来計画がない。
会長の孫が講師にならない

投稿: | 2012年11月 7日 (水) 12時33分

「白道燃ゆ」も盗作だっだ。トホホ

投稿: | 2012年11月 7日 (水) 16時36分

まあ奴さんの盗作癖がこれだけ明らかになってからだと今更「白道燃ゆ」が盗作だと聞いたところでさもありなんとしか思えないけど、それにしてもあの本の日本語はひどい。数行に一回くらいのペースで構文法の間違い・ねじれが出てくる。どうせパクるなら同時に日本語の勉強くらいすればいいのに。

投稿: | 2012年11月 7日 (水) 21時58分

絶対の幸福、相対の幸福、人生の目的、後生必堕無間地獄の一大事の解決、善因善果、悪因悪果、自因自果しかない親鸞会が果たして、本当に浄土真宗か。そういう疑問が大きくなった人々が増え、衰退しているのでしょう。

投稿: | 2012年11月 7日 (水) 22時03分

気持ちよかったんだろう
才能溢れる人の文章パクっては自分の名前で出しては崇められてさ
所詮奴は盗人で詐欺師で嘘つき詭弁家だったてなことか
金箔が剥がれて禿げていく

金の延べ棒並べてベルギーの旗つけて二千億円の詐欺をした豊田商事と変わらない
金の延べ棒はメッキで殺害された前後か、海岸で大量に不法投棄されていたらしい
証拠隠滅だろう
ベルギーの国旗にしてもベルギーから抗議があっても使っていた
親鸞、浄土真宗、釈尊の名前も同様だろう
類は友を呼ぶとはこの事か
親鸞会の白道はメッキで本当は黒道だったというわけだ

投稿: 詐欺宗高森商事派元構成員 | 2012年11月 7日 (水) 22時42分

親鸞会を辞めてから3年弱経つも、後味の悪さはなかなか消えてくれない。
信心決定したら、そんな時代もあったね、と心から微笑できるのかな。

投稿: | 2012年11月 8日 (木) 00時41分

余計なお世話かもしれませんが、高森氏が言う信心決定という神秘体験にとらわれるよりも、口から南無阿弥陀仏と御念仏される方がよろしいかと思いますよ。

投稿: | 2012年11月 8日 (木) 20時04分

信心決定というものを大げさに騒ぐのは親鸞会だけ。
他の伝統真宗宗派はそれほど重大視していない。信心決定しなくとも弥陀の本願に救われるというのが親鸞善知識の教えだから。

投稿: K | 2012年11月 8日 (木) 20時41分

求道の敗残者の書き込み。よく言いますね誰が言ったのか知りませんが。親鸞会での求道とは一体何なのでしょうか、親鸞会発展の為に人集め、金集めにせいを出して会長と息子を崇拝するのが求道でしょうか。親鸞会の活動(求道)を考えるとこの結論に達します。親鸞聖人が崇拝を求め強要されたのでしょうか。徳があるなら強要しなくても崇拝されると思いますが、いかがでしょうか。

投稿: | 2012年11月 8日 (木) 20時45分

2ちゃんに高森が大沼先生や伊藤先生のゴーストライターだったから盗作してないという倒錯者がいる
あそこは詭弁を破る道場と化している気がする
論理学を学ばないといけないと言うことか
詭弁強弁を用いるものにはあまり関わりたくないものだ

投稿: 対岸の火事 | 2012年11月 9日 (金) 21時19分

2ちゃんの書き込み主はM野講師ではないだろうか。それなら納得。

投稿: | 2012年11月 9日 (金) 23時32分

M野さんか
残念です
学院長や高森派が彼の人生を壊したのでしょう
親鸞会を辞めて社会で生きてほしいです

投稿: PF | 2012年11月10日 (土) 00時24分

高森に大沼師や伊藤師のゴーストライターをする能力があるかどうかは『なぜ生きる』や『歎異抄をひらく』を見れば一目瞭然だね。高森の「著書」の中で格調高い文章なのは剽窃した文章だけ。自分で書いた文章は小学生並み。普通の読者なら簡単にわかることがカルト信者にはわからんのやな。

投稿: | 2012年11月10日 (土) 00時25分

対策員が「高森が大沼師や伊藤師のゴーストライター」と言い出したということは、対策員も高森の「著書」と大沼師や伊藤師のご著書の文書が同じということを認めたってことですね。

投稿: | 2012年11月10日 (土) 19時33分

書店に並ぶ本で盗作なんかめったにない。盗作が問題になることはときどきあるが、せいぜい一冊の本の構成とか引用とか一部だけとかだろ。

会長みたいにほとんど本全部丸写しで、しかもそれが何冊もあるなんて日本の出版史上初めてじゃないかな。考えられない異常な状況!
それほど恥ずかしいということだ。

こんな人物を唯一の善知識だと崇めるって・・・

投稿: | 2012年11月10日 (土) 20時38分

会長が逝ったら息子が高森会長(父)の盗作書籍を息子の名前で発行して、知性と教養の仮面をかぶり会員を集めたらいいよ。何代目には盗作の事実も消えて、夢をもう一度で(盗作したのは大沼氏と伊藤氏だ)と言い出すのではないだろうか。もう詐欺師に倫理道徳を説いても時間のムダです。
高森会長は無二の盗作作家は認めます。

投稿: | 2012年11月11日 (日) 11時15分

「M野さんか 残念です」の方に、確かにそんな見方もありますが、M野さんの表も裏も知っていますから、私はそんな見方は無理です。
ある意味ではM野さんは被害者ですが、M野さんは光の輪の上祐氏と同じで一般社会で社会人として生きれる人間ではありません。人間性は息子以上です。詳しくは書きませんが、簡単な表現では別世界の人種です。
M野さんの表も裏も過去に遭遇しています。
表だけ接した人はM野さんを慕う人もいます。

投稿: | 2012年11月11日 (日) 14時03分

M野さんのこと教えていただきありがとうございます。生き方で人生も人格も決まっていくようですね。どう生きるかを程度の低いものとしたら危ない。なぜ生きるか、で思想コントロールし、どう生きるか、で行動コントロールして感情も高森信仰で操られる。部会で情報操作されて他の三つも関連してしまう。他人を操り搾取ばかりしていては善根が無くなっていくばかりだと思います。人として残念です。親鸞聖人の御手紙とは全く違う組織や人の集まりとなっていくのでしょうね。

投稿: PF | 2012年11月11日 (日) 17時58分

高森顕徹氏は、ある意味で東西本願寺寺院子弟の不出来な人間の先駆けです。私は、●谷大学文学部の真宗学を卒業しました。非常に恥ずかしい話ですが、真宗学のレポートと卒論は、権威ある先生方の著作をパクリ、及第点を戴き、単位を取得しました。宗門校で、高森氏は、パクリの技術を取得し、詐欺師としての才能があったからこそ、カルト教団を創設できたのです。宗門大学で、パクリることだけで卒業した者は、通常、法話ができず、お経を読むだけの僧侶で留まるのですが…。高森氏は名聞、利養、勝他の心が誰よりも強いからこそ、自らを唯一無二の善知識という妄想に支配され、羞恥心がなく不浄説法ができたのです。パクリしかできん高森氏は、謗法をせずに、社会の隅で、南無阿弥陀仏を称え慎ましく暮らす道を選んでいたら、自損損他の過を犯さずに済んだのです。南無阿弥陀仏

投稿: | 2012年11月11日 (日) 20時06分

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