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この身、今生、ただ今のことです

親鸞会弘宣局のN講師の書いているブログ、「静かな劇場」に、「毒饅頭を食べてさっさと消えるがいい」というなかなか刺激的なタイトルのエントリが上がっていました。

しかし、内容は殆ど捨て台詞に近いもので、読むのが面倒な人は以下に要約しましたので見てください。

・本願寺は親鸞聖人の教えを正しく伝えてこなかったから衰退した
・本願寺は椅子席だし正信偈のお勤めもできない
・親鸞会は親鸞聖人のお言葉を示し、その意味を徹底する本道を進んできた
・親鸞会は発展し会館が次々とできているしみんな正信偈のお勤めもする
・真宗学に詳しい坊主は真剣に聞くことも求めることも勧めない
・口さえ開けば「ただいま救われてください」だが他力に見せかけた毒饅頭である
・さっさと退場したほうが浄土真宗の再興のためにはいい

安心問答の宮田氏がN講師の誤りを、親鸞聖人の言葉を通じて懇切丁寧に書いていましたが、それに対してはなんの返答もなく、「本願寺は衰退している、親鸞会は発展している。その理由は親鸞聖人のお言葉を示して意味を徹底してきたから」という返答はひょっとしてウケを狙っているのだろうかと真剣に思いました。

だったらその「親鸞聖人の言葉」で「真宗学に詳しい坊主やら同行やら」の親鸞会教義批判に対して答えればいいのに。N講師に限らず誰もそれができないのですから、もう笑われても捨て台詞と言われても仕方がないのではないでしょうか。

会館が沢山できて正座してみんなで正信偈を読むのは尊い素晴らしいことです。しかし人が増えてきたとか真剣に聞いてるとか、そんなことは説いている内容が真実であることの証左にはなりません。人が熱心にたくさん来ていることが真実の証だと思うのなら創価学会でも真如苑でも行けばいいのです。

だいたい私が親鸞会にいた頃に比べても正本堂の参詣者は明らかに減っているようですが、こういう人は概して増えたときは「親鸞聖人のみ教えを正しく伝えてきたから」、減れば「坊主の事実無根の誹謗中傷」と自分に都合のいい解釈しかしないではありませんか。

「真宗学に詳しい坊主とやら同行とやら」は決して真剣に聞くことも求めることも否定していませんよ。真剣に聞いたり求めたりした先に本願力が届くのではないと言っているのです。

そういえば顕正新聞9月15日号には、「病床で大代わりした我が娘」という見出しで、「真っ暗な穴の中に吸い込まれてゆき…中略…あー、苦しい、助かりたい、阿弥陀さまー」という体験談が掲載されていました。

その前のページに「あさましや バーゲン信心 体験談」という「お言葉」が囲み付きで載っていたのはなんかのブラックジョークかと思いましたが、大方今のまま親鸞会で適当に話を聞いておれば、死ぬ前には無常がといつまってこの娘さんみたいに救われるんじゃないかと、そんなふうに思っているんじゃないですか。

私は何度もN講師に「いつ本願を聞くつもりなのか」「いつ救われるつもりなのか」と聞いていますが、その回答は今まで一つもなかった。毒饅頭を食らって消えろとか、どうでもいい内容のエントリばかり。親鸞会の講師部員なのに、親鸞会を賛嘆する内容はあっても阿弥陀仏を賛嘆する内容なんてひとつもないのですよね。自分で書いてて、なんにも思わないのだろうかと。

本願を伝える立場の者が、いつ本願を聞くつもりなのかとたずねられて、「いま」だと言えなくて、いったい何を聴き、伝えようとするつもりでしょう。ましてやそれを「毒饅頭」呼ばわりして、多くの人の見られるウェブにアップする事が、どれほどの大罪なのか何一つわかってないに違いありません。

件の「体験談」の中にアニメ第三部の話が出てきますけど、アニメ第四部は見ているのでしょうか。ちゃんとアニメの親鸞聖人が「この身、今生、ただ今のことです」って言っておられるんですが。第二部では証空の説法中に「親鸞は、只今、救い給うた本願を、喜んでおります」とあるとおりです。顕正新聞でも顕真でも必死にアニメ推進の記事を書いているみたいですけど、自分はわかってるつもりで全然見てないんでしょう。それとも、あれは親鸞聖人のことで自分とは関係ないとでも思っているのでしょうか。

親鸞会は正座して真剣に聞法しているぞと鼻高々みたいですが、そんな見てくれのカッコだけにこだわって、一番肝心なところは何一つ聞けてないじゃないですか。

私は本願寺も親鸞会もそんな組織的なくくりはどうでもいいけど、折角人間に生まれて、仏法とであえたのだから、しょうもないプライドは捨てて、もう少し真摯に親鸞聖人のみ教えに向きあってもいいのではないかと思うのです。もったいないですよ。本当に。

※それにしても、N講師のブログに「(本願寺の御遠忌法要は)『正信偈』の代わりに「御和讃」だけの勤行となりました。」というのは本当なのでしょうか。本願寺派でも大谷派でも正信偈の勤行されてましたし、大谷派は御遠忌用の勤行本と練習用のDVDが配布されるほどの気合の入れようだったのですが。いったい何を見てそう思ったのか知りたいところですね。

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