親鸞会という阿片
親鸞会弘宣局のN氏のブログが更新されていました。先回のは大谷派とか坊主とかあったので自分のことを言っていたのかと思っていたのですが、今回は誰に対して言っているのかよくわかりません。おそらく、複数の人の言っていることがごっちゃになっていると思われます。
これにしても批判するならちゃんと相手の主張に対してリンクを貼るなり引用すればいいだけの話ですが、N氏に限らず親鸞会の講師はヘタレなのでできません。学徒(会員)がまかり間違って相手の主張を読んで親鸞会の間違いに気づいてやめられては困るからです。古くは高森会長が「本願寺なぜ答えぬ」で、相手の論文を全文載せた!と言いながら実は肝心の紅楳英顕氏の論文は載せられなかったのと似ています。
内容についての批評は安心問答さんが取り上げてくださっているのでここで触れる必要もないでしょう。N氏のような考えがなぜおかしいのかは、真宗学では割りと初期の基礎的なところで触れるのですけど、高森会長が線を引いたところしか真宗を学ばない親鸞会の人にはわからなくても仕方がないとは思います。
私が親鸞会にいたときは、最初は「この一座で信心決定するつもりで聞きなさい」と言われたものです。それがいつしか二十年三十年聞いても求まるものではないとなり、「このご報謝が足りなかったから、この一座を逃したから臨終に間に合わないかもしれない」と臨終までの問題になり、いまや「観音菩薩の臨終説法」あるいは「多生の目的」と死んだあとの救いになってきました。そのうち浄土真宗親鸞会は「浄土宗親鸞会」になるかもしれませんね。あ、そうなったらもう「親鸞会」のはずもないか(いまもそうだけど)。
次々と「今の救い」が先に追いやられ、本願を信受できない言い訳ばかりがたくみになり、救われた人ってほんとうにいるのかと思えば「あれは信心決定している」と言うこともおかしいと、親鸞聖人も過去の親鸞会も全否定するようなことを言わざるを得なくなり、変だと思って他の解釈を当たろうにも「親鸞会だけが唯一正しい教えを伝えている」「本願寺の話を聞くな」「高森先生以外の本も読まなくていい」「ついでに七祖聖教も大沼法瀧も読むな」とのこと。
これはあなたを真実に導こうとしているんじゃないんですよ。「ただ今の救い」を否定し、真面目に求道し、疑問を持った人に対して、「なんにも心配するな、疑問を持つな、救われてなくても気にするな、親鸞会の外を見るな、勧誘してお布施して高森先生の話だけ聴いてれば死ぬまでにはなんとかなるから」と言っているに過ぎないのです。
つまり師を敬い、従っているのではなく、単に依存させてるだけなのです。マルクスの言った「人民の阿片」ってまさに親鸞会のことですよ。
それでもう一度お尋ねしますが、N氏、あなたはいつ、本願を聞くつもりなのですか?
N氏はもう50歳ですが、いつまで高森さんなり親鸞会なりに依存し続けるつもりなのでしょうか。はやく自分の姿に気づいて勇気ある一歩を踏み出してもらいたいと思います。歴史がお好きでしたよね。親鸞会と似たようなことをやっていた国家や集団がどうなっていったか、ほんの少し勉強すればすぐに分かるはずです。ほんの少しの勇気で、気づくことは出来ますから。
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コメント
子牛部員は現実と妄想の区別もつかない機械人形です。
投稿: | 2012年9月19日 (水) 02時01分