投稿:親鸞会が勧めているのは、現在ただ今の救いでしょうか。それとも、死ぬまで勧誘・献金に従事することでしょうか。
高森会長は、56年から70年にかけて、「会報」を執筆しました。既に広く知られているとおり、その内容は、山邊習學氏・赤沼智善氏の「教行信証講義」、伊藤康善氏の著書、そして大沼法龍氏の著書などとよく似た記述を多く含むものでした。
親鸞会では、山邊習學氏・赤沼智善氏の「教行信証講義」については、会員が読んでも差支えないとしていました。会員の間では、「記述の90%程度は正しい」などと言われていましたので、おそらく、少なくとも高森会長の主観においては、親鸞会教義は基本的にはこの本に依拠したものだったということなのでしょう。
では、「正しい記述」ではない残りの10%についての親鸞会の教義は、どこから来たものなのでしょうか。主にインターネットを通じて得られた情報から、私なりにまとめてみました。
伊藤氏・大沼氏の著書は、本願寺を批判し、「実地の求道」によって「一念の水際の立った信心」を獲ることを勧める点で、高森会長と共通しています。
しかし、高森会長は、かつて伊藤氏に師事していたにもかかわらず、伊藤氏を暗に「土蔵秘事に類するもの」だと位置づけています。土蔵秘事に「類するもの」という表現は、「人工的に信心を与えるという点で土蔵秘事によく似た異安心」という意味のようで、要するに異安心だということです。
また、高森会長の著書の特徴的な記述の多くが、大沼氏の著書にきわめて似通ったものであることは、最近になって、インターネット上で明らかにされていますが、この事実は長い間、会員には伏せられてきました。
高森会長にとっては、伊藤氏も大沼氏も、そのまま支持することはできなかったということでしょう。では、高森会長独特の教義はどこにあるのかといえば、それは、間違いなく「善の勧め」です。
大沼氏の「方便より真実え 浄土真宗」には、「真宗では、弥陀の浄土に往生するのは、弥陀の名号の独り作用だから、諸善万行や六度万行は修することはいらない」、「雑行雑修と嫌な名前をつけて捨てさせている」、「これを生かして、真宗で使用する方法はないものか」。「悪くいえば、善根功徳は積む必要はない、真宗は念仏一つで沢山だといっていますが、それでよいですか、いま少し深く研究して、善根功徳を生かす方法を考えなければ真宗は自滅しますよ。」という記述があります。高森会長による「善の勧め」のルーツはここにあるものと考えられます。
高森会長は、その著書で香樹院語録を紹介していますが、もともとは「法話のない時は、これまでに聞いた事を常に思い、常に聖教を拝見し、口に常に名号を称すべし」という内容だったはずなのに、「念仏」の勧めを「勤行と六度万行」の勧めに改めています。何を根拠に「六度万行」の勧めを付け加えたのかは、どこにも示されていません。
また、大沼法龍氏の「方便より真実え 浄土真宗」には、「生活の一段には全力を注いで、身の行ないを慎み、善根を励みなさい。これを至心に発願して、往生の助太刀にしようとするから雑毒の善、虚仮の行、雑行雑修という名をつけて機執まで捨てさすのです。善根そのものは立派な善根功徳だから、実行しなければよい果報は獲られません。」という記述があります。これに対して、親鸞会では、「諸善が雑行と嫌われ、捨てよと言われるのは、善を行う「自力の心」が悪いからだ。雑行を捨てよとは、自力の心を捨てよということだ。」とした上で、「後生の一大事に驚き、救いを求めている者に、まず弥陀は修善を勧める19願を建てられた」として、修善を勧めています。大沼氏によれば、雑行と嫌われ捨てよと言われている「往生の助太刀にしようとする善」を、親鸞会は勧めているのです。
さらに、高森会長は、紅楳英顕氏の「派外からの異説について」「現代における異議の研究」に対しても独特の対応をしました。紅楳氏は、「真宗における宿善とは獲信のための因縁となる善根を意味する」という前提で、「宿善を自力とし、しかも聴聞(聞法)だけでなしに、破邪顕正や財施も獲信のための宿善になるとする宿善論は、宗祖や蓮如上人、それから真宗先哲の見解にもおよそみられない」と結論づけています。
親鸞会に対しては、「「破邪顕正や財施を修することが獲信のための宿善となる」という文証があれば示してもらいたいと求めた」が、「これについては何の返答もないままである」。「あれだけ自力で宿善をつめといい「破邪顕正こそ無上の宿善」とか「浄財はすべて尊い宿善」といって、それが誤りであると批判されると、繰り返し質問状を発し、さんざんな罵詈雑言を浴びせ、法要妨害までしておきながら、こんどは掌を返すように、自力の宿善は間に合わないというのである」。と批判しました。
これに対して、高森会長は、紅楳氏の論文を正確に会員に示すことをせず、紅楳氏の論文の引用・要約を含む質問状だけを公開して、逆に本願寺側からの回答こそがないのだと言い張りました。高森会長が、破邪顕正や財施も獲信のための宿善になるとする根拠として提示した文証は、明確な位置づけの示されていない「三願転入の文」のほかには、実質的には、七仏通戒偈と第19願の2つを挙げたのみで、まるで聖道門の立場からの回答のようでした。高森会長が、90年代に「三願転入の教え」を強力に打ち出し、やがて失敗した背景には、このような事情があったものと思います。
高森会長が、76年に大沼法龍氏が亡くなって以降、その著書とよく似た内容の「光に向かって」や「お歌」を、自ら苦心して著したものとして少しずつ発表して会員に有難がらせていたこと、80年代前半に豊田商事グループからの献金を受けていたこと、88年の本部会館建立時に立派な会長施設が設けられていたこと等を考えると、高森会長が「善の勧め」にこだわった理由がどこにあったのかについては、疑問の余地はないように感じられます。
2000年代以降の親鸞会の変節はかなり顕著なものでしたから、親鸞会から人が離れていったのは、そこに最大の原因があったと思います。しかし、「昔の親鸞会は良かったが、最近は変わってしまった」のではなく、80年代以前から、親鸞会の体質は一貫したものであったことが明らかになったのは、まさにネットの力によるものでしょう。親鸞会が勧めているのは、現在ただ今の救いでしょうか。それとも、死ぬまで勧誘・献金に従事することでしょうか。その点の判断が求められているものと思います。
| 固定リンク
コメント
会長は若い頃、大沼師の前座を務めていました。
投稿: 年配の元会員 | 2012年9月19日 (水) 18時14分
詳しく教えて下さい。
投稿: | 2012年9月19日 (水) 20時58分
パクりだらけという現実を直視出来ない、ごっこ遊びや妄想に逃げ惑う輩がS会です。
投稿: | 2012年9月19日 (水) 22時54分
人の本を丸写ししてご著書とは、これ如何に。
恥知らずめ。
投稿: | 2012年9月20日 (木) 07時25分
真実開顕のために使えるものは何でも使うとほざくんだろうが、それなら山邊習學氏・赤沼智善氏や伊藤氏、大沼氏の著書を紹介すれば済む話。写して自分の名前で出すのには別に理由がある。
投稿: | 2012年9月20日 (木) 07時30分
高森会長にはそんな能力はありません。ある能力は盗作をして自身を100倍教学や真宗学を知り尽くした先生に見せる才能があっただけ。才能の中に恥を恥とも感じないのも才能の一つです。
投稿: | 2012年9月20日 (木) 16時14分
会長がパクリ元を明かせないのには三つの理由があります。
○教学力のメッキが剥がれる
○自分の過去がバレる可能性がある
○パクリ元から改変した箇所がバレる
投稿: | 2012年9月20日 (木) 20時50分
自分は信心獲得してる唯一無二の善知識で~っていう前提がもうオカシイ
しかし会員はツッコめない
投稿: | 2012年9月21日 (金) 07時46分
「浄土真宗の住職と門徒総代のためのネット講座」
http://buddhism.jimdo.com/
全編ツッコミどころ満載なんだが、このページの最後が特に最高
http://buddhism.jimdo.com/浄土真宗q-a/浄土真宗の祖師/歎異抄-とは/
投稿: | 2012年9月21日 (金) 22時10分
会の幹部は、
参勤交代で苦しんだ大名家の子孫を『謗った』という理由で
大金を奪っとけば良いと思っているところがあるようです。
(今は反省しておられるかも知れません。)
南無阿弥陀仏
投稿: ゴロゴロ | 2013年9月 2日 (月) 07時33分