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投稿:一部の洗脳によって作られた幸せな人だけを売りにして、それ以外の何十倍、何百倍の嫌な思いをさせている人を切り捨てている

1年前、「事実を見ようとしなければ~」を投稿させて頂いた者です。

この間、自分でも色々の思い、感情がありました。
親鸞会を許せない、高森会長、講師部を許せない、という方は、退会した方の中でどれくらいいらっしゃるのでしょう。

多かれ少なかれ、それまで信じていたものに裏切られたわけですから、つらい思いをされたのだと思います。

親鸞会に限らず、カルト宗教に関わった人は、脱会してからの精神的ダメージをもたれるのだと思います。以前、先輩にだまされて統一教会に入ったという女性と話す機会がありましたが、その方もやはり大きな葛藤をお持ちのようでした。何で、だまされたんだろう、信じていたのに、と。

しかし、私もそうでしたが、内部にいるときは信じるしかないのだと思います。
周りがどう言おうと、自分はこの道を進むのだ、と。

ある講師部の人が、「たとえ誰もやらなくても、私は親鸞聖人の教えを伝える、高森先生ましますことを伝える」と言っていた記憶があります。当時ばりばりの会員だった私は、やはり講師部の人はすごい、と思うと同時に、この人は高森先生がいなくなったら、どうなってしまうのだろうという怖さも感じました。

まず無いことだとは思いますが、この講師部の人のマインドコントロールが解けて、親鸞会は間違っていた、高森会長は善知識でも何でもない、ただの宗教詐欺師だったと知ったら。。。もし自分なら、発狂してしまうかもしれません。

ぶるうのさんはじめ、退会した方が親鸞会について書かれているブログがありますが、相当の思いでもって日々書かれているのだろう、と思います。私よりはるかに多くの時間、労力、お金を親鸞会と高森会長に捧げてきたのでしょうから。しかしそういった方々のおかげで自分は親鸞会をやめられたし、会員の方も多くやめておられます。改めて、感謝申し上げます。

私は、親鸞会の被害者であり、加害者でもあります。家族や友人を富山や聴聞会場に誘ったという事実、大学において後輩の学生に、親鸞会の話をしたという事実は消せるものではありません。幸いにも自分の家族は誰も会員にならなかったのですが。そのことは忘れてはならないことだと思います。

しかし、だまされた、傷つけられた、多くの大切なものを失った、という事実。親鸞会にさえ関わらなかったら、こんなひどい目には遭わずにすんだのに、という感情。高森会長許すまじ、親鸞会許すまじ、という怒り。自分と向き合う中で、こんなにも怒りの感情をため込んでいたのか、と気がつき、驚いています。

さらっと「そういえば親鸞会なんてものもあったなあ、学びになることもつらいこともあったなあ」と、これからの人生を生きられればいいですが。弱い人間なので、なかなかそうはいきません。それは今の自分の課題であり、乗り越えなければならないことだと感じています。

そんな中あるとき、ふと「被害者意識で生きるのはもうやめよう」と思えるときがありました。

親鸞会のせいで、とかあのときの講師の一言が許せないとか、何かにつけて思い出してしまう、いわゆるトラウマというものですが。それを手放そう、と思えるようにはなってきました。

被害者意識のまま生きていたら、辞めても親鸞会にコントロールされた人生になってしまうし、違う形で被害者になるようなことが起きてしまうかもしれない。そんなの嫌だし、あまりにもったいない。目の前にいない亡霊に取り憑かれた生き方はしたくない。

良いことか悪いことか、毎日のようにこの「さよなら親鸞会」やその他会関連のネットを見てしまっています。ブログを書いたいるするわけでもないですので、正直、生産性のあることではないでしょう。何が知りたくて見ているのか。わからないまま習慣になってしまっています。そろそろ、この習慣も捨てるときに来ています。辞めようかどうか迷っている方には、とても大切なことが書いてありますので、しっかりと読んで頂きたいです。

親鸞会を許す、ということは今すぐには出来ないと思います。子どもを失った親が、加害者を許せないように。もちろん程度は違いますが。しかし、それを糧にして生きることは出来ると思います。また、そうでなければ、本当の意味で退会したといえない、と自分では思っています。

私の他にも親鸞会で大きな心の傷を負った方、今も苦しんでいる方、いらっしゃると思います。また、会員の方で本当はもう辞めたいけど、自分に向き合うのが怖くて辞められない、親鸞会のいう後生の一大事が気にかかる、家族が入っている、という方もいらっしゃるかもしれません。

一つ言えることは、こういう思いをする人を作り出している時点で、親鸞会はまともな団体ではない、ということです。内部にいる一部の洗脳によって作られた幸せな人だけを売りにして、それ以外の何十倍、何百倍の嫌な思いをさせている人を切り捨てている。

仏教は、一部の人さえ幸せになればいいのか?そういう教えでは無いはずです。一般の会社で、契約して喜んでいる人が10人、クレームを入れる人が100人いたとしたら、そんな会社が存続出来るでしょうか。そして事実、親鸞会の崩壊は迫っています。

親鸞会が教義、組織、会長、あらゆる面でおかしな団体であることは、周知の事実です。であるからこそ、ネットが発達した今日、たくさんの人が誤りに気づいて辞めています。情報統制されて、外部からの意見を一切聞く耳持たない講師や会員の方には、早く知って頂きたい。友人で続けている人は退会して、お互いスッキリした思いでまた会いたいものです。

ほんの少しの違和感でも感じた時、その心の声に向き合うことは無駄ではないと思いますが、如何でしょうか。

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コメント

本当に、高森という男はどういう面の皮だろうと思う。
そろそろ自分自身の後生も迫ってきて苛立っているかもしれないが、決して謝るということが出来ない男だから、このまま嘘八百を押し通すんだろうね。
教義を変更した時も、何かをいい間違えた時も、どうしても謝る事ができず、「ワシャそんな事言っとらん」で押し切った。人間としての基本がまるでなっていない動物のような奴だ。
誹謗正法の罪で地獄に堕ちても、獄卒に「ワシャそんな事言っとらん」と言い訳するに違いない。

投稿: | 2012年9月22日 (土) 02時10分

自分も結構頑張ってた方なのでこの投稿者の方の気持ちはわかります。
やめた当初、この怒りが収まることがあるんだろうかなんて思ってまし
たが、だいぶ収まりました、不思議なくらい。やはり時間が解決すると
いうのは本当ですね。まあただこれも失ったものの程度によると思いま
すが。たた当時の後輩とかには未だに申し訳なかったなあなんて思いま
す。例えば留年してしまった人とか(自分も大分留年しましたが・・・)
会長も(やめた当初はなにか書き込むときも呼び捨てでした)ろくでも
ない人間とは思いますが、池田某や大川某と比べたら被害者が少ない分
まだましなんじゃあないかななんて思えるようになりました。

投稿: | 2012年9月22日 (土) 04時00分

いかなる理由あっても、大学生を留年させたとか、年間100万円以上も使わせるなんて許せんよ。

投稿: | 2012年9月22日 (土) 17時13分

大学を中退したり、留年するなんて親鸞聖人のみおしえに反してますね

投稿: | 2012年9月22日 (土) 17時15分

やめてから腹の立つことばかりやったわ。
嘘つきばかりやし

投稿: | 2012年9月22日 (土) 17時53分

 もう30年近く前になります。自分の場合は大学に入ってすぐ勧誘を受け歎異抄研究会に入りました。たくさんの新入生がいて、親鸞会に入ったのも早かったです。でも3ヶ月でやめました。自分の生涯をかけようなんてことを考えた瞬間もありましたが、どうしても自分が知ってきた事実から考えて納得できないことが語られていたので。
被害を受けている方たちが一刻も早く親鸞会から離れられることを願い、親鸞会がいずれなくなるであろうことは確信していますが、離れたことが早かったのもあってか、あまり恨む気持ちはありません。
自分にとっては、やめた時期はそれぞれですが、今も続く友人たちに出会えました。
親鸞会に出会わなければ、多分会えなかった友人たちです。
まぁ、だからと言って親鸞会に感謝はしませんが。
自分にとっては、大きな意味を持った機会でした。

投稿: | 2012年9月22日 (土) 22時08分

親鸞会やめたから連絡とらないはおかしいよ。縁があって再び聞き始めた人もいますからね

投稿: | 2012年9月22日 (土) 22時26分

投稿内容と似たような軌跡を辿りました。
高森派の人たちは講師部員や幹部会員を食い物にしてますね。

現役の人たちは口だけで生きたツケはいつ払うのでしょう。
ご自身が救世主の代役とでも思っていらっしゃるのかしら。

古文の文法や現代文の文法を学び直したら誰がいかにねじ曲げ解釈をしているかわかります。

投稿: | 2012年9月23日 (日) 11時18分

座談会での息子談( それは私に徳があるからだ) 含まれる意味は、君たちには徳がない。

投稿: | 2012年9月23日 (日) 11時38分

私は在籍時に、この投稿者のように熱心に活動を続けている会員を半ば白けた目で見ておりました。
そんな私はそのような熱心な方々から批判的な扱いを受けていました。
「○○さんの宿善のため」などと聞かされても嘘くさくて仕方ない。
結局はそれを口にする自分の宿善としか考えてなかったでしょうね。

ネットのあちこちに散見する親鸞会批判は、この投稿者の方と同じような立場の方が少なくないのだろうな、とも思います。
親鸞会の批判に併せて過去の自身の反省を語る方もいらっしゃいます。
しかし大半は被害者意識が多くを占めています。
熱心だった会員が被害者意識を語られることに私は強い抵抗があります。
調べもせずに会に同調して本願寺批判を繰り返したりしてたことの反省はどうなってるの?
あんたが加害者そのものなんだって!
その反省もなく除名講師が懲りもせず親鸞会批判を続けながら布教活動してたり恥ずかしくないのかね。〈苦笑)

投稿: 元会員(一応) | 2012年9月23日 (日) 17時43分

逮捕されているオウム幹部は被害者か?
明らかに犯罪者であり加害者です。
教祖から騙された事実があったとしても犯罪者であり加害者です。
もし仮に釈放されて教団批判を繰り返したとしても犯罪者であり加害者です。
だれも被害者だなんて認めません。

投稿: 元会員(一応) | 2012年9月23日 (日) 17時47分

長年詐欺の片棒担いだやつが被害者面して退会の手助けって。
オウムに置き換えて考えてみて。
せめて懲りもせず間違った教えを布教してる除名講師たちとの関わりは一切絶ってからにしてもらいたいね。
もし上祐とか元幹部と関わりのあるオウム被害者の会ってのがあったとしたらどう思うか?
親鸞会元幹部ってのはデリカシーのないやつが多すぎる。

投稿: 元会員(一応) | 2012年9月23日 (日) 17時56分

熱心な活動を半ば白けた目で見ていた元会員は、さよならに投稿する資格も、誰一人批判する権利もありません。その理解が無理なら、あなたの居場所はありませんから、あなたの批判を聞いて貰える場所を見つけて下さい。

投稿: | 2012年9月23日 (日) 18時29分

>>熱心な活動を半ば白けた目で見ていた元会員は、さよならに投稿する資格も、誰一人批判する権利もありません。

在会当時から矛盾に気付いていた。ただそれだけ。
気付かなかったとはいえ罪を重ねていたことの自己反省は希薄なまま被害者意識を持つのは片腹おかしい。
あなたは管理人かい?
居場所云々を語る権限はあるのかい?
以上理解できぬなら返事は不要。

投稿: | 2012年9月23日 (日) 19時00分

自己顕示欲は高森会長先生に並び甲乙つけがたい。

投稿: | 2012年9月23日 (日) 19時18分

人間には反省して以前の行為を改める権利がある。
凡夫は間違ってばかりです。
間違えを改める勇気・度量があるかどうかがその人間の価値を決めるでしょう。
親鸞聖人も20年も比叡山ですごしたが、誤りであったと認められています。

投稿: | 2012年9月23日 (日) 20時21分

学生時代、マインドコントロールされてたとき、悪いことが悪いとおもわなかったよな。
ただ活動の厳しさから社会人になったら離れられると思って親鸞会から距離をおくようになった。

距離をおいて、学生時代申し訳ないことしたなあって思ったし、いかに学生時代疑問に思ったことが間違ってなかったって思ったよ。
財務状況を知らされてないからわからないが、財務状況厳しいのはすぐにわかる。全国に会館つくってそのお金で親鸞会運営するんだよね。

投稿: | 2012年9月23日 (日) 20時40分

おかしなこと

勧誘 うそ言って、きちんとした活動内容も言わずに勧誘。

入部金 最初の行事に無理矢理金をとる。すなわち行事にこさせる。

中退留年 活動の激務で中退留年。親鸞会は無視。自己責任。

待ち伏せ 夜中や朝早くに下宿に待ち伏せ。授業の合間に待ち伏せ。

電話

投稿: | 2012年9月23日 (日) 20時44分

騙す方も悪ければ、騙される方も悪い。
親鸞会を非難すると同時に、それと同じだけの自己反省も必要。

投稿: | 2012年9月24日 (月) 17時29分

たとえ騙されてたとしても騙しちゃいかんよ。
騙したやつが騙されたことを声高らかに叫ぶ様子は見苦しいな。

投稿: | 2012年9月24日 (月) 18時54分

そうだなあ。僕もそろそろ、S会ウオッチャーを卒業しないとなあ。
けんてつが死んだかどうか、それを生き甲斐にしているようでは、
S会から完全に離れたとは、言えないものなあ。

投稿: | 2012年9月24日 (月) 21時21分

なぜか競争社会と努力社会の区別がなく、

自分が努力するとどこかの誰かが不幸になるシステムを稼働している。

それを考えると怠けなくてはならないほど、

システム側の加害力が半端ではない。

しかもなぜか教育機関と連携しながら

このシステムを稼働してても良いと言ってくる。

その理由が憲法の「教育の平等」を謳いながら、

相対評価の被害者を救い出す為だったりするのでたいへん困惑する。

修学中に怠けておけば良かったのだろうか。

不正があったなら負担しても良いが、

本当なら教育者の責任であるべきである。

学生に相対評価システムを破壊しなかった

責任を平然と問うてくるが、

あの時は確かに「食えるようになるまで黙って死ね」教育をしていた。

食えない自分の身で権利主張をするのもどうかと思い

かなりの事を我慢した気がする。

若くして憲法に謳っている様に自己の権利を

自分で主張して守っていかなければならないとは。

こちらの苦労を友人に回す訳にもいかない。

大日本帝国と封建社会そのままに教育を施した

当の教育者は善知識という身分をいいことにあぐらをかいている。

しかも、学校は相対評価のままである。

主張を聞いていると

絶対評価を導入するのではなく、

一定の理解ができるまで単位認定をしてはならない制度を導入しなくては

ならないはずである。

何をしているのだろうか。

他人を処罰する前に制度を改めるのが筋道。

暇人も良いところである。

しかも「従順な人間」は大日本帝国や封建社会に対しても従順にちがいない、

反省できていないと処罰してくる。

明らかな責任転嫁である。

反抗的であると暴力をふるっていたのだから、

まちがいなく教育者の犯罪の隠蔽に関わっている。

勝手に教育者の意見を聞きまわり、

何か他人の人生がわかったように処罰してくるのには全くもって閉口する。

教育者の教育被害を隠蔽し伝染させているのにも関わっている。

完全に隠蔽体質で時効を待っている。

法謗罪を片手に教育者の教育被害を優先すれば、

先に社会人になった人間はどのような教育を施しても良い事になる。

その証拠に自殺を要求してくる。

挙句の果てに「内心」を全く評価の外にしているのも腹だたしいが、

これも「教育の平等」で片付けられるのだろう。

こちらは入学式の初日から反体制派の作文を提出している。

そんなにも「従順な人間」を批判するが、教育に反対した事の無い人間はどうなるのだろう?

まさか得意技の「たぶん」前世は〇〇で終わりになるのだろうか。

「タブン」で教育被害が終わりになるのならば、

どうして教育者自体はそれで終わりにしていないのか。

とりあえず、「前世」や「生まれ」を問うなら憲法にも刑法にも仏教にも反している。

このまま「教育の平等」を振り回したら、国内の大半が死亡する。

ありえない。

教育者が戦後教育を受けながら、

大日本帝国や封建社会を再現する事が

「教育の無意味」を語っている。

南無阿弥陀仏


投稿: システムにひっかかっていたのは、教育者ではないのか。 | 2013年8月 6日 (火) 07時07分

彼らは「犯罪者を謗る権利のある人間は、他人に迷惑をかけ出す前に

自殺する人間のみである」事を正義としているらしいが、

この前、自殺未遂をしたら救出されなかった。

明らかに殺人未遂である。

自分達が生きているのにも拘わらずである。

自己都合利益を優先し、

「見えない」「所在の分からない」

電磁波放送や超音波放送を使用し完全犯罪を横行させるのはいかがなものか。

放送を理由に「謗り過ぎ」ている自分も悪いのだが、過払いし過ぎている気がする。

南無阿弥陀仏

投稿: システムは自己利益の追求を優先しているのではないのか | 2013年8月 6日 (火) 08時11分

二河白道を進む一部の人→利益

         大多数の人→損害

上記を正義としてシステムを運営するのは止めて欲しい。


1.清貧生活をしながら布教するべきなのか。

2.阿弥陀如来さながらに裕福な生活をしながら布教するべきなのか。

3.中道的な生活をしながら布教するべきなのか。

よくわからない。

信心決定の裏側で、

A.ストレス障害を学習させたいのか

B. 悪しき指導をするリーダーが輩出された場合には、
  そのリーダーがストレス障害中であっても
  草の根平和市民と和合してストライキやリンチ等を
  起こす事を学習させたいのか

C.大日本帝国参謀以外の戦犯を捕えたいのか


よくわからない。

一 同じく仰せに、「まことに、一人なりとも信をとるべきならば、
 身を捨てよ。それは、すたらぬ」と、仰せられ候う。

この蓮如上人御一代記聞書を悪用しながら

陰謀的な悪心者に対しても身を捨てるべきであると主張し、

因果律を曲げるという大罪の法謗罪を犯してまでも

身を捨てる事を他人に強制強要するのは正しい事であるのかどうか

よくわからない。


以上、

御反省、御教示頂ければ幸いです。

南無阿弥陀仏

投稿: 本当にシステムは一向専念無量寿仏で運営されているのだろうか | 2013年8月12日 (月) 03時24分

自分の業も他人の業もわからないのに間違いが無い訳が無い。

五濁悪世で正しい組織を探す事自体が無理なのかも知れませんが

反省ぐらいはできるはず。

すでに反省し終わっている事を願っています。

お念仏はまことと聞きました。

親鸞会で聴聞して阿弥陀如来に救われた方もおられるそうなので

しばらく書くのを止めようと思います。

御迷惑をおかけして誠に申し訳ありませんでした。

南無阿弥陀仏

投稿: | 2013年8月12日 (月) 04時03分

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