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あまりに恥ずかしい

あさ川氏のブログに、こんな記事が載ってました。

内容をすでにご存じの方もあるかと思いますが、私がやや意外に思ったのは、本願寺派の僧侶が出版した本の参考文献に『歎異抄をひらく』を出して、

「高森先生は、安心して読めます」

と書いてあったという話。

私はまだ現物を見ていませんが、アマゾンの書評を見ると、どうも事実のようです。内容としては仏教書と言うより自己啓発系の匂いがいたしましたが。

ちなみに著者はウィキペディアに出てましたが、「日本の環境心理学者・評論家・浄土真宗の僧侶」だそうです。僧侶が本職ではないかもしれません。

ビデオでは、「参考文献に出ている名だたる本願寺の仏教学者の中で 、”安心して読める”のコメントがあったのは高森先生だけだ」ということで、「ほかのものは”安心して読めない”ということだ」という話になっていました。

Sanko
そういえばこの話は、7月1日号の顕正新聞一面にも載っていました。「浄土真宗の正統を示す」という見出しで、「高森顕徹先生は、やはり安心して読めます」と福岡県の僧侶が自著の参考文献に載せてたということ。

なんでその僧侶の名前と書名を載せないのか不思議でしたが、実際に自分が手にとって見てわかりました。

著者の名前は水月昭道氏。書名は『他力本願のすすめ』。

奥付によるとプロフィールは、1967年福岡県生まれ。バイク便ライダー等、人生の道草を経て九州大学大学院博士課程終了。人間環境学博士。月給3万円の非常勤講師等で日々を凌ぐ日本の博士の窮乏を自身の経験と共に綴った「高学歴ワーキングプア」で話題を集める。著書に続編「ホームレス博士」など。2006年得度(浄土真宗本願寺派)。学校法人筑紫学園勤務。

とあります。筑紫学園の事務員をしてる人のようで、僧侶を生業にしているのでは無いようです。

関心があったら読んでみて下さい。少しでも浄土真宗を学んだ人なら最初の10ページで放り投げたくなるでしょう。特に他力本願を「救済の発想法」と書いているところや、悪人正機の説明でも、「善人は努力の出来る頑張れる人」で、「悪人とは自己制御の一つも出来ないクズ」とあるところを読むと、この人にとっての他力とは、自分の心のもちようで楽になれるよくらいの自己セラピーでしか無いのだと思います。親鸞会の人にとってもとても許容出来る内容ではないでしょう。

一応僧侶なのでしょうが、得度をしただけの人なら仏壇屋さんや葬儀屋さんにもいます。巻末の参考文献を見るとそれなりに勉強はしている人のようなのですが、ずいぶん得手に法を聞いてきた方のように私には思えました。申し訳ありませんが、この人に「安心して読まれる」本なんて、終わってます。

そんな人の、こんな本の参考文献に「高森先生は、安心して読めます」と一行あっただけで、「浄土真宗の正統」だの「大転換期」だのと顕正新聞に載せ、ビデオを作り、数千人の会員を前におおはしゃぎで発表する。しかも書名も著者名も伏せられたまま。

こんなことする人は高森会長以外に世界に1人もいません。なぜか。

あまりに恥ずかしいからですよ。

私が書いた本が学校事務員(得度しているから僧侶)の書いた真宗本(書名も内容も見せられません)の巻末の参考文献に「安心して読めます!」って一行だけ書かれました、すごいでしょ!異端と正統の大転換期です!!

これ、機関誌の一面にのせてビデオまで作って発表することですか?
ほんとに頭大丈夫なのか真剣に考えて欲しいです。

そういえば、東本願寺派(浅草本願寺)から高森会長に執筆依頼があった時も、「一大方向転換」とか「本願寺との共存」とか会員に発表されましたが、編集上の理由で掲載できないと袖にされたこともありました。

未だに「歎異抄をひらく」の反論本が出てないと言いはるところや、また私が弘宣部(現弘宣局)にいたときは「顕正新聞は本願寺に向けて作っている」と言っていた事からもわかりますが、

高森会長は、本願寺に認めてもらいたくて認めてもらいたくて仕方がないのでしょう。

周囲のイエスマンと検閲済みの「お手紙」でいくら賞賛されても飽きたらず、自分を追い出した本願寺を見返したくて仕方がないのでしょう。大した自己承認欲求です。

彼が僧籍を剥奪されたのは1970年。もう40年以上経っているのに、未だに克服できてないんでしょうね。こんなつまらない人に振り回された私の青春も何だったのかと思います。

そういえば私もこんなブログを未だに書いてるのですから、親鸞会を脱会してから早7年、まだ克服できてないのかも知れません。

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コメント

あなたの親鸞会に対する愛情には感服いたします。

投稿: | 2012年9月25日 (火) 00時20分

浄土真宗を真摯に教学している人なら「歎異抄を開く」はまず安心して読めません。ひっかかって不安に思うところが多々ありますから。この著者が「高森先生は、安心して読めます」といっているのは仏教・真宗としての意味ではなく、本の字体とか文章の平易さとか表面的な部分だけの判断でしょう。まあ破天荒な生き方をしてるらしいこの著者の個人的主観的な印象に過ぎないのでとやかくいうほどのことはないかも知れません。

むしろひっかかるのは親鸞会の取り上げ方でしょう。
親鸞会は組織・教義の実態がネットでバレて、外部から賞賛されるようなことはほぼなくなりました。親鸞会をほめてるのは、今や内部の人間だけです(ブログで真宗僧侶を偽装する幹部など)。
会長の耳にはお追従や見え透いたお世辞しか聞こえてこなくなり(そうさせたはまさに会長の責任ですが)自身不安で、のどから手が出るほど外部からの賞賛・同意などが欲しかった。

そこにたまたまこの風変わりな著者が、非常に軽い気持ちで「高森先生は、安心して読めます」などと言った。この人は浄土真宗本願寺派で得度してて形だけは僧侶。

まさに親鸞会にとって渡りに船、地獄で仏で、天にも舞い上がる気分でおおはしゃぎ、ノーベル賞か金メダルか鬼の首でもとったかのように御用メディアで喧伝しました。「浄土真宗本願寺派の僧侶が、派内僧侶を脇に置いて高森先生を絶賛した!!」

沈み行く泥舟の親鸞会、おぼれる者は藁をもつかむという感じでしょうか。はたまた厚かましさだけで世渡りしてきた会長流の厚顔無恥さが全面に出てきた結果でしょうか。会長の本願寺に対する怨念とコンプレックスの混じったような心情も加わってこの恥ずかしさにアクセルを駆けている親鸞会のメディア。

あまりの恥知らずで浮世離れした騒ぎ方に冷静な外部の観察者は唖然として見ているしかないのかもしれません。

投稿: | 2012年9月25日 (火) 02時07分

親鸞会から脱却できないことを嘆くひとがいるなら、オウムや統一やエホバやモルモンで苦しんだ人の体験談や脱会後のことを見聞きすると多少は落ち着くと思う。
余裕が出てからでいいと思う。
人を愛する気持ちは否定しなくてもいいかもしれない。

投稿: | 2012年9月25日 (火) 05時59分

日常というギャグ系アニメがありますが、そこに出てきそうな話ですね。毎回予定していたように失敗したりw

投稿: | 2012年9月25日 (火) 07時20分

親鸞会の書評は過去に色々されてたが会内部では賛美しか聞かされない。
批判はスルーか逆批判か封殺
経典の方が素晴らしいですよ。

投稿: | 2012年9月25日 (火) 09時40分

いつも見ていますが、時にカチンとくることもありましたが、今回投稿の終わり、2行ジーンときました。気持ち身に沁みます。

投稿: つ | 2012年9月25日 (火) 10時35分

分からないことがあるんですが、なんで親鸞会はそんな巻末の一行を見つけられたんでしょうか。
誰かが本願寺僧侶の本を逐一チェックしているんでしょうか。購入費用は会費からか、会員が買ったのか、講師が読んだからか。
また、安心できると言う書評の根拠もまたわからない。排他主義のどこが安心なんだろう。

いつもいつも高森会長の話をどうだったとか長かったとかいうな、今日のはよかったというのも説法者の上に立っているといってたような気がしますが、なんでなんだろう。

僧侶、本願寺、メディア、権威付けのためか。

投稿: | 2012年9月25日 (火) 13時02分

2ちゃんねるの親鸞会関連スレッド見てもわかりますね、彼ら親鸞会内部の人は羞恥心から縁遠い人達であることが・・

投稿: | 2012年9月25日 (火) 22時14分

そもそも羞恥心なんかもっている人は最初から新興宗教なんかにはいきませんよ。新興宗教にいくのは恥ですからねw

投稿: | 2012年9月26日 (水) 19時02分

『他力本願のすすめ』を読みました。
挫折しながら、紆余曲折して生きてこられた人の本。
なるほど・・・と思いながら読んだのですが・・・。
参考文献の中に、意外なことが。
「高森顕徹先生は、やはり安心して読めます。」と書かれ、高森顕徹『歎異抄をひらく』とあります。
私は、高森顕徹『歎異抄をひらく』を読んでいないので、この本を批判することは出来ません。
しかし、高森顕徹という人物は、「親鸞会」という宗教団体の創立者・会長。
親鸞会は、「被害者家族の会」が組織され、カルトの一つに数えられている団体。
大学では一般サークルのようなふりをして新入生を勧誘している組織の一つ。
それだけで、水月昭道という著者がいかがわしく思われ、この本もいかがわしく感じるようになりました。
買うんじゃなかった、読むんじゃなかった。
それにしても、この水月昭道という著者には許せないものを感じます。
本に寄れば、水月昭道という人は、浄土真宗本願寺派の末寺の生まれのようです。
そして、立命館大学の研究員や同志社大学の講師を経て、祖父が創設者の学校法人筑紫女学園で事務員として勤務するようになります。
浄土真宗本願寺派で得度もしています。
水月昭道という人は、カルトから学生、若者を守るべき立場にある人です。
その人が著書で、「高森顕徹先生は、やはり安心して読めます。」と紹介しているのです。
高森顕徹の著書を薦め、カルト・親鸞会をすすめていると思います。
許しがたい、私はそう思います。

投稿: Keiryo | 2012年9月27日 (木) 22時20分

新興宗教に行くのが恥とか言ってるような宗教へのリテラシーのない人の存在が、カルト宗教についての理解を遅らせているのだと思う。
人を恥と言う人が自分の恥について見えてないのはよくあることだけど。

投稿: | 2012年9月27日 (木) 22時23分

http://blog.goo.ne.jp/345shigure/e/2da93424c947c89d968daab9771de581?fm=rss

  皆さま、これは今日発表の「静かな劇場」の最新記事であります。これを見ると、あのブログの主宰者氏は、問題の水月昭道氏とこの「さよなら親鸞会」の主宰者さんとが同一人物であるかのごとき印象を読者に与えるような書き方をされています。故意か過失か……おそらく前者ではないでしょうか?

  「件(くだん)の坊主」とあるからには、普通の日本語力の持ち主ならば、直前に登場する「九州の、ある本願寺僧侶」、すなわち水月氏のことだと思うでしょう。

   「出藍のほまれ」という言葉があり、弟子が師のうえをゆくことを指しておりますが、「静かな劇場」の主宰者は、その師のうえをゆくむちゃくちゃな国語力の持ち主ということになりはしないでしょうか? そうそう、ほかの支持者たちも、「次第にその迷雲も晴れ」の中の「次第に」について牽強付会な解釈をしていましたよね。

投稿: 皆さん、これって読者誤導でしょう? | 2012年9月29日 (土) 13時22分

「静かな劇場」の最新記事は
>それをこちら(註 親鸞会のこと)が好意的に取り上げたことについて
>あたかもこちらが舞い上がっているかのように>(例の如く早合点して)
>書いているようです。

親鸞会の騒ぎ方は「好意的に取り上げた」程度のことではないよね~。
機関誌の一面にのせてビデオまで作って発表するとか「異端と正統の大転換期です!!」と叫ぶって。

しかも「高学歴ワーキングプア」の著者が言った「安心して読める」ってたいしたほめ言葉じゃない(単なる印象。内容に触れてない)、ひょっとしたら当たり障りないようにしたリップサービス程度の言葉かもしれないでしょ。

さよならか静かな劇場か、どちらがまともな感覚か、もう言わなくてもわかるでしょう。

PS.「高学歴ワーキングプア」って親鸞会と妙に親和性がありますね。

低学力銭ゲバ教祖にかしずく高学歴ワーキングプア講師たち(笑)


投稿: | 2012年9月29日 (土) 14時18分

金を出して書かせたか、
または仙波とペンネームで出したか、
よくわからんですな。

難癖つけるのは常套手段。
揚げ足取りに断章取義、詭弁に嘘、手段を選ばない。

親鸞聖人は仁義礼智信を無視はされませんでした。
仁・・・他人への思いやりや慈悲の心。
義・・・人としての正しい生き方、道。
礼・・・礼節を重んじること、謙虚、秩序、人を敬うこと。
智・・・知識をもって正邪を見極め判断する能力。
信・・・信頼、嘘をつかないこと、正直な生き方。
http://hiun.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-99f9.html

カルト教はMCをよく行いますが
行動コントロール
思想コントロール
感情コントロール
情報コントロール
上記のことがらがなされて自分からしでかします。
マインドコントロールの恐怖という書から学びました。


ともあれ講師部員は賢い人たちなのでわかってて生活のためにしているのではないでしょうか。
本当に真実開顕のためならふりきって日蓮正宗とか創価学会や幸福の科学とか破邪顕正に行っているんじゃないでしょうか。

みんなわが身がかわいいのでしょう。

投稿: | 2012年9月29日 (土) 14時44分

ネット辞典によりますと、「くだん【▽件】の」という言葉には2義があるようであります。
「くだり(件)」の転。普通、「くだんの」の形で用いる
[1] 前に述べたこと。くだり。
    ―の用件で参上します
[2] いつものこと。例のこと。

↑ 「静かな劇場」の例の最新の記事を見るに、あとのほうでは「九州の僧侶」(水月氏)と「件の僧侶」(ぶるうのさん)と書き分けられており、読者を誤導するほどのものではないようです。この点、「静かな劇場」主さんにはおわび申し上げねばなりません。誤りは誤りであります。また、本ブログのブログ主でいらっしゃるぶるうのさんへも、こうしてご迷惑をおかけしてしまいましたこと、心よりお詫び申し上げます。
   ただ、敢えて真摯な思いを込めて言い訳させていただくならば、「件の」という言葉がこの記事にはいかにも唐突に登場するし、しかも皆さまただ今ごらんのように、典型的な多義語であります。私をも含め世の多くの人は、いまや主として[1]の意味で用いておりましょう。[2]の例でお使いの例は、今回こうして「静かな劇場」にて初めて見た次第であります。
  「静かな劇場」主さんへはおわびとともに、万人に理解される法話をめざされるのであれば、「件の」とか、あるいは例の「次第に」とかいった、まぎらわしい多義語(とりわけ時代によって語義に変遷のある語彙)の使用は、願わくはお控え頂きたく願ってやみません。閲覧者の誰もが必ずしも古文古語に明るい、というわけではありますまい。
   終わりに、「静かな劇場」主さんにあっては、「件の」とは「例の」という意味であることがはっきりと知られました。これによって、彼が日ごろからいかにぶるうのさんを強く意識していらっしゃるかが、改めて認識された次第であります。         
「皆さん、これって読者誤導でしょう?」筆者       合掌

投稿: 「静かな劇場」補説 | 2012年9月29日 (土) 17時33分

人間。を探求していくと、仏教に辿り着く。ということを
私が尊敬する方から教えていただきました。そのような
意味も含めて、ブログの中に出てきた本を、読んでみたい
と思います。

投稿: フランクリンプランナーに挑戦中 | 2012年9月29日 (土) 19時07分

「かくて私は人生の目的を知った」の著者であるA倉氏が講師を辞めたと聞いたのですが、誰かご存知ですか。

投稿: | 2012年9月29日 (土) 21時42分

A倉講師やめたのか?確か年齢は65くらいじゃないか?
どこか悪いのか?

会長みたいなぐうたら生活じゃないから気になるよ。親鸞会の功労者やしね

投稿: | 2012年9月29日 (土) 22時28分

どんどん脱会、いいことです。

投稿: | 2012年9月29日 (土) 22時33分

A倉講師も親鸞会の本性に気づかれたのでしょう。
これからは会員だけでなく講師部員もつぎつぎと退会していくでしょう。

投稿: | 2012年9月29日 (土) 22時51分

まじでやめたの?

投稿: | 2012年9月30日 (日) 00時09分

A倉講師がやめたのか? あの人は、講師歴45年?古参のアメリカ布教の先駆けだったと思います。学生部の講演で何回も足を運ばれ親鸞会発展の功労者です。

投稿: | 2012年9月30日 (日) 16時39分

定年だからじゃないかな

年取ったらやめた人は過去にいました

高齢で人格や思想がそうそう変わることはないと思います

多分ですが…

投稿: | 2012年9月30日 (日) 16時58分

親鸞会の講師部に定年てあるんですか?
生涯講師だろう?
会長は非常勤やからどうでもいい。息子は年中正月やからどうでもいい

投稿: | 2012年9月30日 (日) 17時26分

来週の報恩講の予定は?

投稿: | 2012年9月30日 (日) 17時30分

親鸞会に失望してやめるということはこの年令ではありえないと思います。もういくらなんでもやり直しの出来ない年令だからです。
たぶん年齢的なものでリタイアしたものと思われます。ただ無年金で無資産ですからこれからどうするのやら。

投稿: | 2012年9月30日 (日) 19時03分

人生80年時代でも65才前後ではやり直し効かないか。
せいぜい40代が最後の引き返し可能ポイントかも。

40代の講師の皆さん、刻一刻と無常の時は迫っていますよ。

投稿: | 2012年9月30日 (日) 19時09分

普通に一般社会で働き65過ぎたら非常勤でパートタイムしたらまあ心配ない

投稿: | 2012年9月30日 (日) 20時28分

支部長は親の仕送りないとやっていけないでしょう。これを機会に講師をやめようぜ。

投稿: | 2012年9月30日 (日) 20時43分

在籍時代の講師の話では、高森会長は講師の面倒は一生涯見る。そんな説明をしていました。理想ど現実、思い込みと真実の区別も出来ない講師の話です。高森会長が青年期から老年期まで親鸞会で活動した講師の老後の面倒を見たら、もし生活の援助を高森会長がしたならば、高森会長の宿善論に矛盾が生じると思います。講師は親鸞会で宿善を求め、宿善を厚くしました。親鸞会高森会長は老後の生活までの面倒は関係がありません。講師もそれを承知で講師になったのですから、高森会長に宿善の感謝しかない、それだけの事。講師がそれで納得出来ずに不満なら、親鸞会本部付近で黒の説法服でも着こんで、ホームレスでもして、本部の参詣学徒にでも自身の生活の困窮でも教えなさい。
それが一番の宿善かも知れません。高森会長が老年期の講師を見捨てますかね。皆さんはどう考えます。

投稿: | 2012年9月30日 (日) 21時13分

あまり慈悲のないことはいやだなあ

退会したら不幸になると退会者のことを内部では悪口言っていたけど講師自身が老年になれば、ワシが捨てられるとはこいつはたまらん、になったら笑えない

ブルウノさんか本願寺に相談してみてはどうでしょう

それか市役所かどこかか…

高森会も退会者も冷たいと泣きながら死ぬのは…

投稿: | 2012年9月30日 (日) 21時25分

財施しすぎてお金ないけどね

ハローワークくらいかな

投稿: | 2012年9月30日 (日) 21時35分

65過ぎたら、工事現場や交通の警備員とか深夜のスーパーのレジ・品出しとか、そういうのしかない。よほど特殊技能があれば別だが。
カルト教団の元講師の資格なんか何の役にも立たない。逆にそんなこと履歴書に書いたら、気持ち悪がられてバイトも落ちるんじゃない?

ろくに収入なかったうえに財施財施ですっからかん。「相対の幸福」は捨てちゃいけない(笑)。

そういえば親鸞会でもひとつ身についた特殊技能があったね!
(ウソを平気でつけるようになったこと)
これでなんちゃって鬱病になりA橋医師に診断書をもらって生活保護受給するという方法がある。

自業自得、自因自果とはいうものの、哀れだね。

投稿: | 2012年9月30日 (日) 21時56分

昔に旧本部(高岡>での代理説法でA講師が(この世で一番厳しい方は善知識です。そしてこの世で一番お優しい方も善知識です・・・)そんな説法がありました。A講師の顕正相手に言われた内容でしたが、A講師も自身で相手に言いながら、年月が経ち今回は善知識のお優しさと厳しいさも自身が理解したでしょう。青年期から本の著者になり、本の効果で学徒やら入会前の学徒に影響を与えた時期は、この世で一番お優しい善知識の顔と接して、今回の講師辞任なら、今回はこの世で一番厳しい方も善知識、自身で両方の顔と接したのですから、A講師の説法に嘘が無かったのですから、良かったね。遅れましたが、高岡での代理説法有り難うございました。

投稿: | 2012年9月30日 (日) 22時26分

親鸞会の講師って立場と住まい、家庭にもよるが、毎月手取りで最低40万はないと生活成り立たないね。
妻と家族2人

住まいと食事、月に10万 光熱費五万
子供の費 五万
自分のこずかい 五万
それ以外にも税金やらいろいろある。
普通なら給料だけでこれだけあれば何とかなる。

親鸞会だと

会費 一万
ごほうしゃ 二万
交通費 五万

無理だね。

講師は赤字だよ

投稿: | 2012年10月 2日 (火) 13時49分

ご法礼だけの生活は月にいくらですか?

20万はないだろう。

投稿: | 2012年10月 2日 (火) 13時50分

講師の収入は平均12~3万くらいでしょう。
子供2人いれば奥さんの収入が最低でも同じくらいないと(それでも赤貧ですが)家計は破綻するでしょう。
独身なら貧乏生活だがぎりぎりなんとかなるくらい。

働けるのだから生活保護も受けれません。

投稿: | 2012年10月 2日 (火) 18時44分

12万って高卒女子事務員の給与より安いじゃん。

投稿: | 2012年10月 2日 (火) 19時14分

全知識高森会長の御心は相対社会の銭金を超越されています。与える物は宿善だけですから、講師は与えられ、得られたお金で生活して仏法を求めるだけです。贅沢三昧は高森一族の専売特許ですから、一族にあらずば人間にあらず。講師はパンのみみでみかじっていなさい。

投稿: | 2012年10月 2日 (火) 21時45分

会費や交通費、なんだかんだのお布施で月4~5万はかかるだろ。
12~3万の収入やったら、ぎりぎりの貧乏サバイバルやな。
まあいい年して結婚してない講師が多いのもうなづけるが。

ほんとにいいのかな、こんな人生で。会長が死んだときが転機のチャンスだと思うが。

投稿: | 2012年10月 2日 (火) 22時06分

みなさんの言われる通り、12万の給料じゃ独身でギリギリ。妻子いたら共働きでも足らない。 妻子がいて親鸞会の活動するなら最低でも共働きでも30万は絶対に入ります。
家賃 6万
光熱費 5万
食事 5万
車 1万
子供関連 5万
雑費 3万
親鸞会 5万

地域や家族構成で違うでしょうがよほどの田舎以外は上記の金額じゃないのか!

投稿: | 2012年10月 2日 (火) 22時36分

月に五万。年間60万の計算になる。ただしおかしな仏教に関係ないご報謝あるから実際はもっとかかるよね。昔は年間100万以上した。報恩講あたりになるとさらに金が必要やったね。 交通費がとにかくかかった。地元なら施主があったし。北海道、沖縄、富山、東京、名古屋、大阪、神戸、広島、福岡、鹿児島。交通費だけで月に五万くらい。

投稿: | 2012年10月 2日 (火) 22時42分

息子は座談会でバイクだの車だの寿司を食べただのグレープフルーツダイエットだの学徒ではありえない話が次から次に出てきましたね。

投稿: | 2012年10月 3日 (水) 08時04分

講師たちはみんな優秀だから大丈夫でしょう

やめれば変われるさ

投稿: | 2012年10月 3日 (水) 15時09分

息子は高森家で牛一頭丸ごと食べたとか自慢してたな。
精力自慢のつもりかな・・

投稿: | 2012年10月 3日 (水) 19時22分

精力自慢は不倫してるから心配はない

投稿: | 2012年10月 4日 (木) 12時37分

健康保険料は誰が払うの?

投稿: | 2012年10月 4日 (木) 18時26分

浅倉講師とは、昨日報恩講でたまたま隣になり、、お食事をご一緒しました。

色々お話をお伺いしましたが、とてもお元気なご様子でした。

詳細は、長過ぎて書けませんが、

…ここは本当に、あまりにも恥ずかしいブログですね。

南無阿弥陀仏

投稿: | 2012年10月 8日 (月) 23時16分

A倉講師の情報ありがとう。
長過ぎて話せないのがミソですね。恥ずかしいブログの評価はあなた評価であり、評価については各自に評価する権利がありますから、あなたの評価も各自の権利の中での思いです。
一歩進んで、それならなぜ、恥ずかしいブログが立ち上がったのか、なぜ多数のコメントが投稿されるのか、その意味を考えたらいかがですか。さよならが恥ずかしいの意味は、恥ずかしい醜態が親鸞会に存在している真実から目を背けないで、直視するべきです。

投稿: | 2012年10月 9日 (火) 08時06分

恥ずかしいというのは、あなたの仏教に向かう態度ですよ。
私も心したいと思いました。

南無阿弥陀仏

投稿: | 2012年10月 9日 (火) 16時00分

講師って会長の次に高齢者は誰ですか?

学院長?講師長?

投稿: | 2012年10月 9日 (火) 22時41分

私は会員歴20年。 学生部青年部そして支部で今に至ってます。 20人くらいの講師の下で活動しました。
この間、2人の講師が除名になり一人の講師が退任しました。

学友部長って15年くらい変わらないね

投稿: | 2012年10月 9日 (火) 22時49分

会長の次に高齢者・・・藤田さんかな?

投稿: | 2012年10月 9日 (火) 23時03分

藤田さんは退任してるよ。

投稿: | 2012年10月 9日 (火) 23時07分

A倉講師は豊田商事との関係をインタビューされたとき、そんなのうちと関係ありませんよ、とのたまったと記事になったとか
情報部長という肩書きだったらしい

投稿: S字 | 2012年10月10日 (水) 10時14分

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