投稿:「誤りを犯さないことを誇りとするよりも、誤りを直ちに改めることを誇りとしよう」
かつて、親鸞会の学生組織は「歎異抄研究会」を名乗っていました。大学キャンパス内で熱心に宗教勧誘を行い、各地で連日開催されていた高森会長の説法に続けて参加するように勧めていたと聞きます。
しかし、「命懸けのご布教」が原因といわれる、説法の頻度の低下につれて、学生組織の在り方も変わっていったようです。平日の説法がなくなり、週末のみの開催となった90年代はじめころには、宗教色のないサークル名の偽装、勧誘方法のマニュアル化・画一化、偽装サークルに加入した学生に対する徹底した行動監視、教義説明の段階化などが行われるようになりました。
これによって学生会員が急増すると、親鸞会の教義にも、変化が生じました。93年には、「三願転入の教え」が、教義の「根基」だということになりました。従来、聞法する時間がないときの次善の教義実践だと言われていた勧誘と献金が、万人が通る求道の道程そのものであると位置づけられたのです。この「教え」の根拠は、数年がかりで、少しずつ展開されていきました。要約すると、「勧誘と献金によって信仰が進むけれども、阿弥陀仏の本願力によってのみ助かるのであり、勧誘と献金によって助かるということではない。」「これを矛盾と感じるのは、阿弥陀仏の本願を体得していないからだ。」「勧誘と献金は大いに勧めるべきだが、これによって助かるということではない。勧誘と献金はあくまで教えの理解に基づき自発的に行われるべきものだ。」「七祖聖教は読んではならない。親鸞会が編纂した教学テキストには、善の勧めの聖教上の根拠が多く抜粋されている。」ということでした。
93年に作成されたアニメビデオ「世界の光・親鸞聖人 第1部」には、親鸞聖人が信心を獲るシーンが含まれていました。以後、会員が信心決定の「生々しい」体験を語ることは禁じられ、さらには、あの人は信心決定したとかそうでないとか話すことも為にならないと言われるようになります。勧められたのは、常に「前向き」な発言をすることです、前向きな発言とは、浄土真宗の教義がいかに深遠で理解し難いかを知り、勧誘と献金の実践を通じて信仰を深めたいと決意を新たにした、と語ることを意味します。これこそが「光に向かう」ことなのだと、強く推奨されるようになりました。
おそらく、私を含めて、90年代に親鸞会の学生会員となった者の多くは、「なぜ生きるか」という問いに正面から取り組む姿勢に惹かれて親鸞会に入会し、多くの時間と費用を投入しなければ聞けない高森会長の話をなんとか理解しようと奮闘し、その結果、「アニメ頒布」と「正本堂建立」に力を注ぐことを動機づけられていったように思います。当時の会員たちにとっては、親鸞会の明るい未来の基礎が築かれつつあるように思われました。しかし、今にして思えば、このころに親鸞会が取り組んでいたのは、信心決定した唯一の人物である高森会長から、勧誘と献金を勧める話を聞き、信仰を深めるために勧誘と献金の実践の決意を固めるということを永遠に繰り返すよう求めるという、親鸞会教義の基本的なスタンスの明確化でしかありませんでした。
親鸞会は、2000年代に入って、急速に勢いを失ったように思います。2001年発刊の「なぜ生きる」は、会員以外の読者からは「問題提起だけで、答えがない。」「どうすれば救われるか、書かれていない。」との声が多く寄せられました。この後、高森会長の説法は、「なぜ生きるか」という問いに取り組もうとする姿勢を大きく後退させ、ごく基本的な内容を繰り返すだけの定型的なものが多くなったように感じています。さらに、2002年には「不倫疑惑事件」が起こりました。親鸞会は、講師部員はもちろん、学生会員に対しても、飲酒や男女交際は求道の妨げになるとして戒め、不倫などもってのほかという厳しい規律を守るよう求めてきました。そのような中で、会員の模範となるべき高い地位にある人物に対する疑惑ですから、会員の注目を集めたのは当然のことです。しかし、親鸞会が、このような規律の正当性を示すことに失敗したのは周知のとおりです。
2004年に正本堂が完成したころには、もはや親鸞会は教義的にも組織的にも求心力を失っていました。そのような状況を自覚できていなかったのか、親鸞会は、2007年に会員の多大な負担を少しも顧みない「聞法ドメイン計画」を発表し、そうかと思うと、2009年には全く逆の方向性を持つ「テレビ座談会」をスタートさせました。その後も理解し難い企画ばかりを打ち出していますが、重い献金の負担に耐えてきた会員に対する説明責任が果たされているようには思われません。外部からの重要な教義上の批判に対しても沈黙を続けています。
かつての親鸞会の勢いは見る影もなくなり、今や、夢から醒めたような想いを持っている元会員も少なくないことと思います。高森会長はじめ、今なお親鸞会に関わっている方々には、「誤りを犯さないことを誇りとするよりも、誤りを直ちに改めることを誇りとしよう」という言葉をよく味わっていただきたく思います。
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コメント
時代の変化と言えばそれまでだが、1990年代が最盛期やったでしょう。海外、全国で法話もあり会員以外でもたくさんの人が聞きに来たりしていた。やり方に問題はあったが成果は出していた。ただ大学は少子化という問題に入ってます。親鸞会は有名大学の学生ばかりやから、考え方が違うかもしれないが、2000年を境に減ってるのは、首脳陣の傲慢にすぎない。
なぜ生きるかは確かに大事だがそれに対する答えがハッキリ著書にも書いてないのが問題
投稿: | 2012年9月15日 (土) 21時15分
昔の親鸞会は、もっとざっくばらんだった。今はお互いに干渉しない。いや、疑い合っている。教えとかよりも、いかに上司に好かれるか。いかに他人より優位にたつか。これだけ。
投稿: | 2012年9月15日 (土) 22時34分
ネットの登場が親鸞会を壊滅せしめたと思いますよ。
投稿: | 2012年9月16日 (日) 02時43分
誤りを認めた時点で、親鸞会は崩壊するでしょう。
投稿: | 2012年9月16日 (日) 10時10分
なぜ生きるかの答えはわかっています。
「なぜ生きるか知りたい人は会長の話を聴きに来なさい」これが答えです。そしてこれ以上先の答えはありません。実際何年聴いてもわかりません。会長自身なぜ生きるか知りませんし、仮にわかってたとしてもいつまでも言いません。
こういえば(「なぜ生きる」かわからなくても)「なぜ生きる」という問いかけをなぜ親鸞会・会長がしてるのかは、わかると思います(笑)。
投稿: | 2012年9月16日 (日) 14時30分
なぜ生きるかの答えはわかりました。よくいじめ問題を法話の中でありますが、解決するんけ?
投稿: | 2012年9月16日 (日) 15時23分
親鸞会の中では会長や息子がいちばん人をいじめています。法話でもアシスタントをいじめています。息子は権力をかさに女性講師に迫ることでその人をいじめています。
親鸞会的ないじめ問題の解答。
「わしのしたいことを無条件に受け入れる、師に疑いの心をもたない、これでこそ親鸞学徒です。つまりわしにいじめられることは最高の善なんです。」
すばらしい解決方法ですね(笑)。
投稿: | 2012年9月16日 (日) 15時43分
>さらに、2002年には「不倫疑惑事件」が起こりました。会員の模範となるべき高い地位にある人物に対する疑惑ですから、
疑惑じゃないでしょ、疑惑じゃww
不倫相手の家族をはじめ、どれだけ多くの人に迷惑をかけ、和を乱したことか。会長と息子こそが親鸞会を破壊した張本人だと思っている講師部員も少なくないが、誰も口にだせず悶々としながら活動し続けている。そんな状態で会が盛り上がるはずがない。自業自得とはこのことだよ、会長、光晴よ。一生苦しみ続けなさい。
投稿: | 2012年9月16日 (日) 19時55分
なんでみんな「不倫」っていうのかな?職権を乱用して関係を結んだのだから、「セクハラ」でしょう。
投稿: | 2012年9月16日 (日) 21時31分
親子で変態、バか
投稿: | 2012年9月16日 (日) 21時32分
仏法にかこつけて非道なことをしているのだから、会長親子が破仏法の悪魔だね。
投稿: | 2012年9月16日 (日) 23時23分
こんなHPをみつけました。これって親鸞会と関係ありますか?
目からウロコの東洋哲学
http://bukkyouwakaru.com/kansai/index.html
投稿: | 2012年9月17日 (月) 12時13分
>親鸞会は、2000年代に入って、急速に勢いを失ったように思います。
そうですね。インターネットが1996年頃に初めて一般家庭に登場し、その後、どんどん普及していきました。今では5~60代でもネットを使いこなす方が多くなっています。
ネットはそれ以前のメディアと異なり、利用者が積極的に参加できる画期的なツール。国家、企業、その他の団体の内実も次々と暴露されていきました。親鸞会も例外ではなかった。
豊田商事との関係、息子や幹部の不適切な女性関係、正体を隠したダミーサークルによる偽装勧誘、マインドコントロールというカルト手法、会長の人格の問題、収支の不明朗さ、労働基準法違反、深夜訪問、学生に年100万もの献金要求、留年、中退、過労死などその反社会的な実態が明らかになりました。
加えて、会長の教えが本当に浄土真宗なのかという仏教・真宗を標榜する団体として根幹を揺るがすような問題までも、ネットを通じて白日の下にさらされました。今では会長の教えには非常に多くの誤りがあり、その仏教師としての素養・能力に大いなる疑問があることが多くの真摯な教学者(元会員・元講師)手により証明されました。
さらに(投稿者の方が言われるように)教えの誤りがわかったにもかかわらず会長が一向に改めようとしない点、法論から逃げてばかりいる点でも信頼を失墜しました(会長自身、自分は絶対に間違ったことを言わない、間違っていたら腹をかっさばく、いつ誰からの法論でも受けて立つ、と明言していたのにもかかわらず、です)。
親鸞会が勧誘時に信仰や人生の問題に関してしていた数多くの約束が、すべてが幻影に過ぎなかった、もしくは会長一族が享楽的生活を送るための欺瞞に過ぎなかったことがネットで明らかになりました。
これでは衰退するなというほうが無理でしょう。今やネットが普及していなかった90年代の勢いは見る影もなく、会員数もどんどん減っていっています。
今の親鸞会にはもう何も期待するものはないのですから。
投稿: | 2012年9月17日 (月) 13時13分
2012年9月17日 (月) 12時13分の方へ
「目からウロコの東洋哲学」
これは親鸞会と関係はありますが、その講師の立ち位置は微妙だと言われています。
投稿: | 2012年9月17日 (月) 13時37分
インターネットは自宅だけじゃなく、満喫や職場や携帯でも見れる時代です。
ネットをそら言たわごとと言っても無理な話。
付け加えると、収支の不透明さは大学の親鸞会活動も同じです。
富山から東京、大阪、名古屋の学生は毎回収支報告ありましたか?
顕真学院で金銭について学びますが、お金のやりくりはわざわざ学ばなくても会員さんは浪費癖がない限りほっといてもできます。 親鸞会にはいないから。 むしろ、収支報告することであったりが大事だろう
投稿: | 2012年9月17日 (月) 16時45分
会をやめて数年が経ち、やっと親鸞会のことを思い出すことも少なく
なってきた。それにしても会長は講演会の中で思いっきり否定して
いるお金とか財産とか名誉とかを嘘をついてまで執着しているんだ
から世間のひとよりもよっぽどどう生きるかしか考えていない人だ
ったなあと思うと、すごく哀れな人間だと思う(何しろ会長の教え
は間違っているのだから)それに縛られている講師の人生は一体何な
のか、オウムを笑えないね。
投稿: | 2012年9月17日 (月) 17時53分
1990年代はビデオ講師やら職員やら前職の給料水準にするといい、たくさんの職員を募りながら給料カットして結局やめていく人がたくさんいましたね。 マインドコントロールは怖い。
私が親鸞会に就職したくなかったのは、将来の不安と遊びたかったからな
投稿: | 2012年9月17日 (月) 18時02分
「目からウロコの東洋哲学」
思いっきり 親鸞会ですね。
投稿: | 2012年9月17日 (月) 19時44分
「目からウロコの東洋哲学」
たしかに思いっきり 親鸞会ですね。
表向きは
投稿: | 2012年9月17日 (月) 19時55分
狭山で明橋氏の講演会があります。保健所側にメールしましたが、まったく親鸞会ということはわかっていないらしい。
講演会「子育てハッピーアドバイス」
日時 10月27日土曜午後1時30分~4時
場所 狭山市市民会館(狭山市駅西口から徒歩8分)
講師 精神科医・明橋大二さん
定員 先着800人
◎会場へ直接お越しください。
問い合わせ 県立精神保健福祉センター 電話:048-723-1111
投稿: | 2012年10月10日 (水) 23時20分