一葉落ちて天下の秋を知る
弘宣局のN講師による「静かな劇場」で珍しくこのブログの話題が取り上げられていました。
内容は前回のエントリの「あまりに恥ずかしい」への反論…のようなもの。水月昭道著「他力本願のすすめ」という本に「高森顕徹先生は安心して読めます」とあること対しての親鸞会の反応を書いた私のエントリにたいして、「本願寺の僧侶に褒められ、あたかもこちらが舞い上がっているかのように早合点して書いている」「本願寺の僧侶に褒められて喜ぶ人は、こちらにはありません。」とのことです。
確かに、早合点して申し訳なかったと思います。この点は素直にお詫びします。
高森会長が布教を始めてから半世紀以上が経ったのに、高森会長の本は本願寺派その他の論文や関係する著作に全く取り上げられることも引用されることもなく、教学部が手取り足取り助けて新刊を発行し、本屋に並べて職員や会員が買い出しに出かけてランキングを操作し、信者からカネを集めて派手に宣伝しても東西本願寺の学者からは見向きもされず、未だに出るはずのない「反論本」すら待ち望んでいる日々。
そこに、自己流の解釈でまるで真宗教義を学んだとは言えない「トンデモ他力本願本」がでて、ようやく参考文献に載せてもらった。50年以上たって、ただ、それだけ。
そりゃ、これで喜べるわけないですよね。「頭大丈夫?」とかいって本当に申し訳ありませんでした。
ただ、僧侶名も著作名も全部隠して「福岡県の僧侶が書いた本」ってだけアナウンスして、顕正新聞一面の「浄土真宗の正統を示す」という大見出しの記事に載せたり、「高森先生以外の本は安心してよめないって事ですね」ってお花畑なビデオ作って紹介したお陰で、いくつかの支部の会合でも「いよいよ本願寺も高森先生を認めざるを得なかったって事ですね!!」ってそれこそ「大はしゃぎで舞い上がってた」みたいです。
つまりこのN講師の言いたいことは、「下々の者共には事実を隠して言えるところだけ言いましたが、自分は事実を知っているから喜べるわけない。早合点して書くな。」という事のようです。戦時中に前線ではボロ負けしているのに、国民には大事なところは全部隠して都合のいい情報だけ知らせ、無邪気な国民に提灯行列とかさせてた国を思い出させますね。N講師、正直過ぎます。
他にもこの顕正新聞7月1日号には、住職が講演会に参加して「歎異抄をひらく」を絶賛したとか、真宗住職が「花びら」の勉強会をしているとかいろいろ載っていますが、顕正新聞を編集しているN講師に言わせれば全然喜べない事なのでしょう。つまりこれも肝心なところはみんな隠しているのかも知れません。あのF館を紹介した顕正新聞の記事のように。
N講師は「一葉落ちて天下の秋を知る」という言葉を出していますが、こうした嘘っぱちが次々と明るみになり親鸞会が崩れてゆく兆しかと思えば、まことに含蓄のある、一講師部員としては実に勇気のある言葉だと思います。
それにしても、
加えて言えば、件の坊主は、その九州の僧侶に対して「少しでも浄土真宗を学んだ人なら最初の10ページで放り投げたくなるでしょう」とか、「この人にとっての他力とは、自分の心のもちようで楽になれるよくらいの自己セラピーでしか無いのだと思います」と厳しく批判しています。
この点に関しては、珍しく件の坊主と意見が一致しましたが、だとするなら、なぜ彼らの教団は、こういう間違ったことを教える僧侶を、そのままにしておけるのでしょう。
とありますが、この部分は珍しくN講師と意見が一致します。実にそのとおりです。
ただ本願寺派も「高森顕徹先生は安心して読めます」と一言参考文献に書いてあっただけで好意的に取り上げ、間違いだらけの内容を放置して批判もしない、書名すら書かない人たちに言われたくないでしょう。
これからお坊さんで本を書く人は「高森顕徹先生は安心して読めます」とカッコつきでどこかに書いておいたらいいですよ。どんなデタラメな内容でも親鸞会は好意的に受け止めて何一つ内容には突っ込んで来ませんから。
それにしてもこのN講師、私のこんなしょうもないエントリに反論するヒマがあるなら、安心問答の問いかけに答えたらいいのにと思います。出来ないなら、仕方がないですが。



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