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「私は、ここで、一生を終えるんだって思ってたのに」

file.02 オウム真理教|NHK 未解決事件 をようやく見ることが出来ました。と言っても、第一部と第二部だけで、第三部はまだなのですが。

見終わって何故か一番心に残った場面は、オウムの元幹部であった深山織枝(仮名)が、警察の強制捜査の後オウムを出るべきだと決心して上九一色村を去るときのセリフ、「私は、ここで、一生を終えるんだって思ってたのに」です。

思えば私は、親鸞会に救いを求めて入ったのです。親鸞会に入って、親鸞会で聞法して、信心決定して絶対の幸福になれると。それが人生の目的であり、全人類に伝えなければならない真理であると思い、入会し、顕真学院に行き、講師部になりました。

一生を親鸞会に捧げるつもりでしたし、それだけの価値が親鸞会にあると思っていたのです。しかしそれは全くの幻想でした。

それに気づいた時の思いが、深山織枝のセリフを聞いた時に思わず蘇りました。私が一生をかけても悔いなしと思ったものがそうでなかった時の失望感、そしてそこを去るときの寂寥感。様々な感情が思い出され、思わず涙しました。

オウムはどうして暴走したのか。当初は純粋な修業の場であるオウムが衆院選での敗戦をきっかけに、また弟子が麻原に思いにより応えようとするが為に暴走したように今まで思われていましたが、NHKが入手した麻原の説法テープから分かった事実はそうではありませんでした。オウムの麻原はその成立の初期段階から、武装化や人を殺してまでも宗教国家を作り上げようとする野望を持っており、長い時間をかけて弟子にもその思想を植え付けていました。教義なんてデタラメそのものでした。

これは親鸞会もそうかもしれません。私は自分が入った時の親鸞会はまともだと思っていました。正本堂を建立するあたりから目的が狂って、高森会長を利用し神格化しようとする幹部にのせられて、だんだんおかしくなっていったと思っていました。

しかし、高森会長の過去を仔細に調べれば調べるほどそうではありませんでした。最初から彼は他人の描いた著作を盗作して自分のものだとして権威付けを行い、豊田商事とぐるになって金の収奪を行い、教義なんてその時都合に応じてコロコロと変え続けていました。

親鸞会はオウムのような暴走はしないでしょう。それは親鸞会が社会的にまともな団体だからではありません。単に目的が宗教国家の建設という大きなものでなく、高森会長が自分を追い出した本願寺に対して持ち続けている歪んだ感情を晴らすべく、人を集めてでかい建物を立て豪勢な暮らしをして、一族安泰に暮らすというその程度のものだからに過ぎません。

幹部もそれに引き寄せられる程度の人しかいませんから、命がけで親鸞会のために尽くそうなんて人は誰一人いませんし。暴走したってついてくる人のいないことは、当の高森会長が一番良くわかっているでしょう。

「私は、ここで、一生を終えるんだって思ってたのに」

脱会者を敗残者とみなして見下し、外からの批判の声に一切耳をふさいで、幻想の真実を追い求めている人たちにはこの気持はわかりますまい。

私が求めていたものは、全くの虚構であった。1人の人間のしょぼい野望であり欲望、それだけであったと知らされ、そこを去る人の想いなど。

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コメント

親鸞会の幹部までつとめた多くの脱会者は、同じ気持ちでしょう。
高森会長は、実に小心者です。小心者であるがゆえに、社会的に大きな問題となり、批判されることを極度に恐れています。ここが麻原死刑囚との違いでしょう。
親鸞会設立の目的は3つの髻で間違いないです。

投稿: | 2012年6月 3日 (日) 19時16分

強く信じていたものが全くの嘘だったり幻覚みたいなものだったとわかったとき、世界の底が抜け落ちたような空虚な気持ちになります。
それに費やしてきた時間や思い出が走馬灯のように流れて、ひとつひとつあれはウソだったんだ、あれは作り話だったんだ、あれは利用されてただけだったんだ、と心の中で確認作業をしていく過程はショッキングで情けなさと虚しさが交錯します。

カルトは本当に罪深いものです。

投稿: | 2012年6月 3日 (日) 20時05分

よくコメントの後で、(確かに、しかし初期の高森会長は真剣に・・・)があります。皆さん現在の親鸞会の不信感は否定できませんが、自身の会員時代の高森会長は正しかったと思いたいみたいです。オウムの放送も見ましたが、親鸞会会員を経験してますから、他人事でみれません。高森会長の野望は贅沢と一族の繁栄と本願寺の復讐ですから、麻原程の野心はありませんから、現役講師は安心して下さい。被害は人生とお金だけ、ブラス老後の悲惨な生活だけ。それでも死刑囚よりマシです。

投稿: | 2012年6月 3日 (日) 20時23分

自分は一生を親鸞会で終えるんだと覚悟していたし、それが自分にとって幸せで理想的な人生だ。そう思っていた時期は確かにありました。
しかし結局、親鸞会には彼らが言う理想的な幸福なんて何もなく、ただただ愚痴、こればかりでした。
私は親鸞会の価値観、人間関係の中でのみ人生を全うする覚悟でいましたが、今となっては親鸞会で生きてゆく覚悟でいたというより、結局自分が上手く大学生活に溶け込めないでいた逃げ道として親鸞会にすがっていただけだったんだと思います。
もちろん会がそういう方向に兼部カット、バイトカット、親カットなどの説得マニュアルを駆使して誘導していたというのは問題ですが、親鸞会の見せかけの優しさにまんまと引っ掛かった自分も弱かった、甘かったと個人的には反省します。

投稿: | 2012年6月 3日 (日) 23時26分

1990年代は批判はあったものの、ネットもなくて、ベビーブーム世代だし、親鸞会も全国の有名ところで法話があったからまだ化けの皮がはがれてなかったからね。

投稿: | 2012年6月 4日 (月) 00時42分

私の場合は、人生を預けられる場所だと思えなかったことが大きかったでしょうか。もし本気で人生を預けようと思っていたら、今とは違った結果になっていたと思います。

投稿: | 2012年6月 4日 (月) 00時52分

創価学会などでもそうだが、教団内部の人間関係は「仲のいい家族のように居心地がよい」という状況を演出して信者を離れにくくする。これはカルトと言われる宗教団体の常套手段です。現実にはそのような関係は見せかけだけのお芝居のようなもので、一たび親鸞会に疑問を投げかければあっという間に雲散霧消してしまう。そしてそのときに初めて親鸞会内の人間関係は組織の維持・発展のためにのみ形成されているもので、一般社会のような人格的な結びつきではないと知るのです。

投稿: | 2012年6月 4日 (月) 02時41分

みんな入れ込んだ経験があるのね。
大学のサークルが信者さんのサークルで面白そうだから入ってみたけど、宗教知識無さそうな同期にはそれとなく教えておいたほうがいいのかな?
俺なんかは墓は真言宗で、中高はキリスト教の学校で、個人的には神道が好きな人間なんだけど、
ここのみなさんは浄土真宗一筋なの?

投稿:   | 2012年6月 4日 (月) 16時48分

6月 4日 (月) 16時48分の人は親鸞会ダミーサークルに入ったの?
そうだったらそのサークルは実は親鸞会というカルト教団の下部組織であること、それと「さよなら親鸞会」と「飛雲」のサイトくらい教えてあげて。

投稿: | 2012年6月 4日 (月) 18時01分

まあ害があるように見えたら助けますよ。
金銭的にはむしろサークルの方から施してもらってる感じなので、しばらくは楽しもうと思います。
ところで、彼らの言う「生きる目的」とされているのは一言で説明すると何ですか?

投稿:   | 2012年6月 4日 (月) 19時26分

サークルの先輩に聞きなさい。君の相手をする暇はありません。何か問題があればコメントをしたら良い。
それではサークルを頑張りなさい。

投稿: | 2012年6月 4日 (月) 20時26分

おk。
つまり無いわけですか。
通りよくではぐらかされる思った。
また何かあったら来ます。

投稿:   | 2012年6月 4日 (月) 20時34分

わかってやってるんなら自己責任だし、自分はわかっているから大丈夫と思っている人ほどマインドコントロールしやすい人だから、教団にとっては貴重な人材なんじゃないだろうか。
まあ、頑張って。

投稿: | 2012年6月 4日 (月) 22時12分

辞めてかなりたつけどな案外自分の方が 向こうが嫌がったんではと思うな最後の方は 自分の方が心変わりが激しく落ち着きもない姓分だし自分の性格からしてこいゆうのは無理だということが明らかになりましたね。

いろいろお世話になった人って元気でいてほしいとかそいゆう風に思うはずなのに親鸞会の人間に関しては特に何もないですね。感情自体がないんですよ。くたばれ的な気持ちも別にないですし・・・こんな感じだ

投稿: たか | 2012年6月 6日 (水) 18時34分

それは忘却したいだけだ。
再発しないように自ら心のケアをすることが大切だと思う。

投稿: | 2012年7月 6日 (金) 03時07分

昔の日記にコメント失礼します。(パソ通黎明期に関東にいた者です)
私が邪推するに。彼は「京都からこれだけ離れれば、布教に他人の私見を使っても問題なかろう」と団体を興し、本願寺への私怨から法論もどき(はじめはまだしも、まともだったかもしれませんが)を行い、学歴の私怨から特専部という保証部隊を作ったのでしょうか。人の乗せ方はかなりうまかったですが、情報を自由に入手できるネット社会の到来が誤算だったのかもしれませんね。

彼や一族が、批判されぬ環境に味をしめてしまっているのが、残念です。いまさら(教義も生活も)矯正するのは不可能に近いでしょうし、因果はいじりようもないですし。あはれといふもなかなか…

投稿: A | 2015年5月26日 (火) 21時51分

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