山を降りる勇気
沢山の方から、今も相談が寄せられます。メールに返事をして、訪問される方とお話をして、それだけで時があっという間に過ぎてゆきます。
新聞についてくる「ウェルカム通信」を見ていると、これは本当に親鸞会なのかと目を疑いますが、基本的には親鸞会は何も変わっていません。湧き出る疑問を抑えながら、私たちは正しいんだ、間違いないんだと、目を向けるように言われたところだけに目を向け、見るなと言われるものには目をつぶり、ただひたすらに自分の生き様への言い訳ばかりに心を費やしているように私には見えます。
本当に親鸞会だけで人生を終えるつもりなのでしょうか。
高森会長だけの話をきいて、いつまでも遠くに弥陀の救いを押しやっていて、それで本当にいいのですか。
疑問があるのならば自分に言い訳せずに、ほんの少し勇気を出して、親鸞会を離れてみればいいのに。
1年間親鸞会を離れて一心不乱に真の知識を探してみてはどうでしょうか。それで見つからなければ親鸞会に帰ればいいだけじゃないですか。講師部でなくなったって、一学徒として求めることは出来ます。それのなにが不満ですか?
私が親鸞会を離れて思うことは、私がどんな気持ちでいようと、何に失望しようと、諦めようと、関心をなくそうと、勉強しようと、しまいと、
決して阿弥陀様は私を諦めてくださらない、ということです。
親鸞会を離れるという事。勇気が必要ですし、講師部員なら多くのものを失うことでしょう。しかし、阿弥陀仏の前では何の関係もない。あなたが高森会長から離れることがあっても、阿弥陀様は離れられません。
求める人には、必ず聞法の場が与えられますし、正しく説かれる先生が見つかります。それは私が求めているからではなく、阿弥陀様の願いによるものだからです。
高森会長ではなく、阿弥陀様の願いを信じて、一歩踏み出してみませんか。
本願力にあいぬれば
むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて
煩悩の濁水へだてなし


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