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投稿:「人生の目的」再考

人生の目的がある。厄介な言葉です。この言葉に僕らはどれだけ振り回されたことか。この言葉によってどれほど多くのものを失ったことか。

人生の目的という話題が厄介なのは、そもそも答えのない問いだからなんですよね。あるとかないとか、それはこうだとか色々言ったところで、決定的なことは結局誰にも言えない。もちろん言うことはできるけれども、それは言った人の思想だということにしかならない。親鸞会にしても、浄土真宗に善の勧めはあるか否かといった問いならはっきりとケリをつけることができるけれども、人生の目的となると決め手がないので、おたがい根拠のないことしか言えず、ケリがつけられない。確実に言えることがないからです。だからこそこの言葉をかれらは利用するのでしょうけれども。

しかし、ひとつだけ間違いなく言えることがあります。それは、人生の目的だとかなぜ自分は生きるのかとかいった問題は、ものすごくプライベートな問題であって、他人はもちろん親兄弟、それどころか妻/夫や恋人であっても立ち入ることのできない問題だということです。尾崎豊(親鸞会に都合よく利用されることの多い歌手ですが)の『I
Love You』には「若すぎる二人の愛には越えられぬ秘密がある」という歌詞がありますが、それは、駆け落ちするほどの間柄であっても立ち入れない、立ち入ってはいけない部分がある、という風にも解釈できます。

恋人ですら、相手の人生の目的とかなぜ生きるかといった話には立ち入れない。それはなぜか?生きる意味とか目的というのはひとの行動を直接規定するもので、個人の意志とか自由とかいうもののあり方を左右する、つまり個人の尊厳にじかに影響する問題だからなんですね。だから、人生の目的なんてことは最初から最後までひとりで選択し結論を出さなければならないし、だれも代わりに結論を出すことなんてできない。そして、そうして出された結論はその人のその人としての尊厳がかかった結論なのだから、そこに立ち入ってとやかく言ったり、まして本当の目的を教えてやろうと出しゃばることなんて許されることではない。そんなことをするのは、個人の尊厳そのものに土足で踏み入ることに等しい。だから、頼まれてもいないのに人生の目的をとやかく言って迫ってくる他人というのはこの世で最も信用してはいけない人間なんですよ。

親鸞会は「世間の人は目的より手段が先に来ている」といいますが、これはそういった意味で間違いです。目的を問わないのではない。本人以外の人間がそこに入り込むのは許されないことだとわかっているから入り込まないんです。それはいわば、ひとがお互いの人生を尊重するための紳士協定です。この、人として最低限の紳士協定を、親鸞会のひとたちは破っている。だからカルトだというんです。ひとが人生の目的をとやかく言わないのは人生に不真面目なわけでも怠惰なわけでも、まして忘れているからでもない。他人が介入してはいけない問題だから介入しないんですよ。そんなことすら彼らはわからなくなっている。「唯一絶対の人生の目的」を騙る親鸞会が、多くの人の自由を拘束し精神を侵しまた人生を破壊するのは、ゆえに当然のことなわけです。なにしろ、かれらは個人の尊厳をじかに侵害しているのだから。

僕が親鸞会経験でいちばん後悔していることは、いちばん最初に、かれらの「人生の目的は何か」の問いかけに、まともに応じてしまったことです。それが一番のミスです。そして、僕らが共通して選択を誤るのも、たぶんそこなのでしょう。かれらはいちばんプライベートな領域にどかどかと土足で踏み込んでくる不法侵入者なんだから、そんな奴にまともに応対してはいけなかった。泥棒と馴れ合おうとしたようなもんです。そして、不法侵入者に侵入を許した挙げ句、プライベートな領域は占拠され、僕の個人としての尊厳はいちど確実にずたずたにされてしまった。はじめに「人生の目的は何か」の問いかけにまともに応じた結果がこれです。そのとき僕らは、毅然として拒絶するべきだったのです。宮台真司氏はかつて『終わりなき日常を生きろ』(ちくま文庫)のなかでこう言っています。

「なんで生きてるのかだって?バカヤロー、てめえよりは答えをいっぱい知ってるよ」(P.59)

おそらく、これが模範解答なんだと思います。不法侵入者に侵入を許してはいけないのだから。人生の目的はあるかと道端で訊かれても、あると言ってもないと言ってもいけない。答えのない問題に答えようとするから、そこにつけ込む侵略者にやられてしまうんです。まともに答えてはいけなかった。やかましい、そこをどけ、それが最良の回答だったのです。

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投稿:「人生には目的があるんだよ!!」

投稿者です。

自分の文章が多くの方々に読まれてると思うと、なんだか怖くて皆様のコメントを読む事が出来ませんでした。

ですが、皆様のコメントを全て読ませて頂いて、ぶるうの様にメールをして良かったと思いました。

親鸞会の会員は末端学徒の方々は本当に真面目で素直で善良な方々なんですよね。
ですが、マイコンされているので会を批判すると想像を絶する態度になります。

私は関係を絶つまでは支部長に本を頂いたり、富山で羽目を外した自分を拒絶する事も断罪する事も無かったのですから。

私は追悼法要で富山に乗り合いで行く時に泥酔していて、富山では皆と別行動をして富山の一般市民と居酒屋で盛り上がり、その後は一人で飲み歩きホテルに帰らず、富山城址公園の噴水の前で爆睡していたのです。

そんな自分を「この法誹罪の極悪人め!」とは誰も言わなかったんですよ。
当然2000畳にも酒気帯びで参詣しましたが、誰にもとがめられませんでした。(弟は支部長から怒られたみたいですが)自分には12歳の娘が居るのですが、娘の面倒も良くみてくれて、一時は娘をK支部長の家に下宿させて、生活全般を教えて頂こうかと思っていたくらいです。

私は兄や弟と違って会長先生の息子さんの若い頃と似た様な生き方をしてきたので、せめて娘にはそうなって欲しくないと思っていました。

ですが、このK支部長は女性なのに男勝りで少々乱暴なんです。

私が縁で支部に顔を出すようになったK田さんという方が居るのですが、彼は恥を忍んで自分がゲイである事を世話役の学徒に相談しました。

久方振りに支部を訪問したK田さんを見たK支部長は開口一番「あら、あんた男にでも振られたの?(笑)」と皆の居る前で言われ、死にたくなったそうです。
私もK田さんに不快な思いをさせる縁を与えてしまって謝罪しました。
K田さんは許してくれましたが、親鸞会には秘密の相談は出来ないんだね。怖い所だよ…と言われました。

もうK田さんも親鸞会とは絶縁しています。

私もなんだかんだで17年も親鸞会と関わり、そして今こうしてキーを押しているのも、まだまだ親鸞会にとらわれているのでしょうね。

もうそろそろ新歓の季節なんですね。

弟がN本大学なんかに行かなければ…過去を振り返っても仕方が無いですね。

先日、弟とは和解をしました!

弟に「俺とお前で仏教の話は二度とするのはやめよう!」って

弟も了解してくれて、最近は頻繁に実家にも来る様になりました。

弟も万年末端学徒の端くれです(笑)どこまで本気なのやら…

でもそんな弟ですら、親鸞会を批判すれば信じられない様な罵詈雑言をメールで送って来たのですから、弟のマイコンを解くのは一生無理なのかなと思って居ます。

ある日弟に「会長先生が死んだらどうすんの?」って聞きました。

弟は「そりゃ、代わりに真実の仏法を伝える人が現れるさ(笑)」

私「親鸞会で救われた人って居るの?」
弟「そりゃ大勢居るさ(笑)」

じゃあお前は…って言いかけてやめました。

マイコンされてる学徒に何を言っても無駄だからです。

ちなみに大学生だった時の弟は就職活動もしないで、教員や弁護士を目指して居ました。今はショボ塾の講師です。


今にして思えば親鸞会サークルに勧誘されなければ、まとも?な友達が出来て、触発されてちゃんと将来を見据えた就活なりが出来たのでは…と思ってしまします。

高い授業料や財施が両親の汗水垂らして働いたお金から出ていたと思うと、やはり親鸞会のやり方は間違ってるし、周囲を巻き込み不幸にしていると思います。

両親、とりわけ父親に焦点を絞って親鸞会に誘ってるようですが、父も情強なので、このサイトや他の批判サイトを見ているのと、私に起きた出来事を話してあるので、二度と親鸞会には関わらないと言ってました。

どうか、この春に大学入学を控えてる方々、またはそのご両親の方々、これを読んで頭の片隅にとどめて置いて下さい。

本当に自分の一生を棒に振ってしまうかもしれない、正に一大事なのです。
彼等の洗練されたマニュアル通りにマイコンされてしまったら本当に、貴重な時間とお金と人脈を失います。

今でも僕の弟が嬉しそうにアパートに来て「人生には目的があるんだよ!!」と言った時の顔が思い出されます。

皆様のコメントを読んでいたら自分も熱くなってしまいました。

本文共々乱文長文ですいません。

最後に私は北関東にある支部でお世話になってました。

また何か有益な情報が有れば投稿もしくはコメントさせて頂きます。

失礼しました。

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