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高森顕徹会長の焦りと不安

宮田秀成氏のブログ「安心問答」にこんな記載がありました。

よって、当日の座談会の高森会長の答えは、別の言葉でいうと「私の白道の作者」や、ネットで親鸞会を批判する人に気をつけろ、耳を貸すなということになります。 年末に富山までやってきた会員も、高森会長は信用できないようです。親鸞会館まで来た人に向かって「他へ行くなよ」では、参詣者は何をしにきたのかわかりません。

私も、この説法の内容はききました。それを聞いた私の友人の僧侶は「高森さんはよほど自分に自信が無くなってきたんですね」とぼそっと言いました。

確かに自分に自信のある人は、こんなことは言いません。私は東西本願寺の色々な人の話を聞いて来ましたが「他所に行くな」と言った人は一人もいませんでした。高森会長だけです。これを言うのは。

今高森会長は、自分が「裸の王様」だとバレる恐怖心に毎日打ち震えているのでしょう。それがあのみっともないマンガや顕真での本願寺批判、華光会批判につながってゆくのでしょう。

かつて東西冷戦のさなか、東側諸国は「鉄のカーテン」を下ろしたと言われるほどの緊張状態を作りました。

資本主義は堕落していると国民に教え込み、西側の情報が入らないように情報統制を行い、軍備を拡張し、対立を煽りました。

しかしそれは西側の豊かな生活を貧しい東側の国民に見せたくなかっただけのことでした。東欧革命が始まると東側諸国の国民は「堕落している」はずの西側に殺到し、東側が営々として築き上げた軍備は張子の虎であることが明らかになり、ベルリンの壁が崩れたのを境に一気に崩壊に向かいます。

今同じことが中東で起こり、北朝鮮でも起こるかもしれません。崩れるときはあっという間に崩れるのです。当然、高森会長もこれらのニュースを見ていることでしょう。

親鸞会に居るときは本願寺は葬式法事しかやらない堕落した集団だと教え込まれ、それらの本を読むことは事実上禁止されていました。親鸞会は無敵の教学を誇り、正しい教えは親鸞会以外にはないと教え込まれていました。

本願寺のことなど何一つ知らなかったのによくもこんな事を信じ込んでいたものです。実際には本願寺には親鸞会とは比較にならないほどの豊穣な教学の蓄積があり、「無敵の教学」はいままで負けたり答えられなかったケースを隠して、全勝したように見せかけているだけのゴマカシでした。

高森会長は人の書いたものをパクらないと本一冊書けない程度の人間でした。それどころか根拠の間違いまでそっくり丸写ししながら「命がけで書いた」と会員に吹き込んでいる話しにもならない俗物でした。

いま親鸞会の発行物を見ると、本願寺が親鸞会に恐怖しているとか会長の歎異抄本以来は歎異抄の解説書が一冊も出ないだのなんの根拠もない伝説が満載です。こんなものも、「金正日が初めてゴルフに行って11回ホールインワンをきめた」程度のもので、周りからは「バカじゃねぇの」と思われていますがそれでも本人は必死なのでしょうね。

何度でも言います。他者を批判し、情報を統制するのは、自分に自信がないからです。これまでの歴史で、自信がない以外の理由があった試しがありません。高森会長が「裸の王様」であることを隠したいからしているだけのことです。

歴史は繰り返します。

今の高森会長の焦りや不安は、少なくとも彼が親鸞会の無限の発展を信じるただの愚か者ではない事を示しています。弁当屋などの仏法以外の事業に急速に手を広げ始めたことも無関係ではないでしょう。

一番かわいそうなのは、そんな無限の発展に疑問を持つことすら許されない末端の講師部員でしょう。しかし彼らでさえも、本気で高森会長に付き従おうなんて思っている人がどれだけいるのか知りませんけどね。

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コメント

顕真の記事を見た会員が 文章の出所をネットで検索すれば
「私の白道」の全文が読めます。

そうなると 退会者は一段と増えるでしょうね。
墓穴を掘ると 予想してます。

投稿: | 2011年12月25日 (日) 23時11分

一番かわいそうなのは、「末端の講師部員」なんかじゃなくて、長年親鸞会を信じている一般の会員の方々ではありませんか?

会長には、自分のことを「善知識」だと信じている会員を、大切にしようという気持ちがありません。だから、教えを曲げてまで(曲げてなどいないというなら公式に飛雲に反論すべきです)、収益の源泉として扱うようなことができるのです。

これだけ過去の情報操作がさよなら親鸞会で暴かれているというのに、会の内情に触れる機会の多い講師部員でありながら、会長の実像に全く気付かないままでいられる人が存在するとは私には思えません。講師部員は、組織体の中の建前としては疑問を持つことは「許されない」としても、本当に疑問を持たないでいられるはずがないからこそ、親鸞会はオウムにはならないと、ぶるうのさんは言ったのでしょう?

教義上の批判を受けながらも何の反論もできず、親鸞会に人生を賭けたはずの講師部員にさえ信用されていない会長に、自信がないのは当たり前のことです。しかし、その自信のなさが一般の会員にまで伝わっていないとしたら、その責任は、会長を信じているふりをし続けている講師部員に多くがあるはずです。

講師部の方々もお気の毒な立場にあるということなのかもしれません。ルドルフ・ヘスは、「私は第三帝国の巨大な虐殺機械の一つの歯車にされてしまった。その機械は既に壊されて、エンジンも停止した。だが私は、それと運命を共にせねばならない。世界がそれを望んでいるからだ。」と言ったそうです。親鸞会をナチスと同視するつもりはありませんが、誤った組織で生きることを選んでしまった人にも、大きな苦しみがあることでしょう。

しかし、これだけ親鸞会の問題点が指摘されているというのに、今なお、「他者への批判と情報の統制」によって、何一つ気付かないまま、ただ助かりたいという気持ちから、大事なものを親鸞会に捧げ続けている末端の会員の存在を、そしておそらくはその方々が講師部員に対して強い信頼を寄せているのだということを、決して忘れないでいただきたいと思います。

投稿: | 2011年12月26日 (月) 01時26分

2011年12月26日 (月) 01時26分の投稿者さん
仰る通りです。
今の会の状況には講師部員多くの責任を負っていると思います。見て見ぬふりをして、高森会長やその息子を持ち上げることで保身に走り、そして今は親鸞会にしがみついていますが、親鸞会に何か合ったときに真っ先に逃げ出すのは彼らでしょう。
一番かわいそうなのは、長年会長を信じてきた会員(学徒)であると思います。講師部員も半分分かってやっているのですから、高森会長と共に会員を食い物にしてきた責任は免れないと思います。
講師部員に偏った書き方になってしまった事を、反省します。

投稿: ぶるうの | 2011年12月26日 (月) 01時46分

何十年も浄土真宗の真実の教えと思い込んで聴聞していた法話が、実はまったくデタラメなものだったと知ったらショックでしょうねぇ。
教え以外でも親鸞会の出版物に載っていた内容の多くが作り話や何の根拠もない流言蜚語に近いものだと知ったら・・・

間違えだとわかったら、さっさと「間違えでした、ごめんなさい」といえばいいと思うんですが・・

会長は自信がないから自分の非を認められないんでしょう。ネットが普及する以前は十分な情報が流通してなかったため会員が1万近くにも達したときもありましたが、この盛況ぶりは「自分の実力」だと勘違いして思い上がっちゃったんですよね、会長は。
現実には「自分の実力」は、お笑いアニメの主人公がビギナーズラックでホールインワンになったような「まぐれ」だったわけで、その後は何度打っても二度とホールには入らないように、「誰の挑戦でも受ける」と大見得を切っていた法論も負けては逃げるの繰り返し、反社会行為を指摘されても「学生が勝手にやった」などと責任回避、挙句の果てには徹底した隠蔽体質まで作る始末。世間にもまれていくうちに自分たちの「たいしたことなさ」が、わかってきちゃったようですw

会長も(意識しないように努めているようですが)もう自分でわかってるんです、本当の「自分の実力」を。。
人間他人にはうそをつけても、自分の心の底までごまかしきることはできません。

血の気の多い激しい性格の会長は悔しくてしようがないんでしょう。
ホールインワンがまぐれであったとは絶対認めたくないんです。

しかし、いくら悔しくても多くの他人まで巻き添えにして被害を与えることは許されません。。

投稿: | 2011年12月26日 (月) 19時11分


親鸞会から離れて1年位になり、正ご本尊も返しました。本願寺には教学の本が沢山あると思います。現実には教えをあまり説かない坊さんも少なくないです。

投稿: ブラウンタビー | 2011年12月27日 (火) 08時01分

親鸞会には金の無心、人集めの指示ばかりで教えをあまり説かない講師も少なくありません。

投稿: | 2011年12月27日 (火) 15時59分

龍樹菩薩は、信を獲た者に"不活の畏れ"なし、と仰ったそうである。高森会長は、三願転入を勧める者に"不活の畏れ"なしじゃわい、と言っているのかもしれない。

投稿: | 2011年12月27日 (火) 20時26分

噂としては認識していましたが、親鸞会の最盛期(二度とない)で会員数が1万人前後があったのですか。
コメントの通りにネットの普及で、親鸞会と高森会長の真実の実態をネットで誰でも知られましたから、親鸞会も騙しにくくまりました。
騙された人(会員)からすれば、何年経っても憤りは収まりません。現在も会員を騙し続けていますから、
正義感から少しでも被害者を少なくしたいですね。

投稿: | 2011年12月27日 (火) 22時57分

会長は熱心な会員をそっちのけにしてネット対策ばかりしていますね。
顕正新聞なども批判サイトを見ていない人にはチンプンカンプンでしょう。
会員は必死に会長に帰命しても,会長には相手にされていないのだから悲惨です。

投稿: | 2011年12月28日 (水) 01時22分

ぶちゃけベルリンの壁に例えるのもねぇ
親鸞会やめても死ぬ人はいないでしょうしw
いたら人生死ぬけどさ

投稿: | 2011年12月28日 (水) 10時31分

>会長には相手にされていない・・・
こんな屑人間には相手にされない方がよっぽどましだと思います。
>何年経っても憤りは収まりません。
普通は時が怒りを薄めるものでしょうが、、やはり今も騙し続けているからでしょうか。
 
会長の性向らしき、批判を受けている言葉の幾つか。
血の気の多い激しい性格・傲慢・小心・執念深い・妄言、虚言癖(小杉がやがて世界の中心になる)・二枚舌、嘘を重ねる・責任逃れ・朝令暮改・思いつき・激しい自己顕示欲(必要以上に自分を飾る)・激しい金銭執着・忘恩(世話になった師、出所を粗末に)・詭弁、欺瞞癖・身内愛強く、外に冷ややか・他
まだまだあるでしょうが、どれもほぼあたっているでしょう。誰しもが多少は持っている性癖でしょうが、この会長は、あまりにも度が過ぎ、言動の不一致が過ぎるということです。
これでは、批判され嫌われて当然のことです。

今でも真実を説いていると妄想しているんでしょうか。
とすれば、よっぽどお目出度いし修復し難い。
反対に間違いに気ずいていれば、、あまりにも多くの人の人生を狂わせたことで、普通人の感覚なら気が狂わんばかりになるもんでしょうが?不思議な人物です。

投稿: | 2011年12月28日 (水) 11時30分

会長は因果の道理を本気にはしていないと思います。
会員に教えていることと自分がやっていることは逆ですからね。
どうしたら相手を操れるかしか考えていません。そう思って会長のしていることを見れば全部辻褄が合います。

投稿: | 2011年12月28日 (水) 19時21分

確かに理解しにくい言行を随所に感じます。批判のコメントで「サイコパス」の言葉を時たま目にするけれども、全面かどうかは別として、マダラにはあると考えれば、これも又辻褄が合いますね。

投稿: | 2011年12月28日 (水) 22時24分

高森会長の人生の目的としている信条は、
( いかにして合法的に人(会員)のお金(財産)を自分のお金(財産)にするか)これだけです。
高森会長が目的達成として選択したのが、浄土真宗でした。
ですから目的のお膳立てが整えば、恩の字の、(お)の字すら高森会長の心中に存在しません。自分(高森会長)が善知識になりすまして、会員を信じさせて、求道の名の元に会員を下僕にして、ホームレスになる寸前までお金を吸い上げます。
さよなら親鸞会(真実の実態)に反感を抱く現役学徒の皆さんも、高森会長からすれば、お金の頭数でしかありません。
忘恩と言われても、高森会長は(へ)とも思わずに生きる人間です。

投稿: | 2011年12月29日 (木) 09時39分

確かに。しかし長く騙されてきたものとしては、この教祖も初期の頃はそれなりに真剣な部分もあったと思いたいです。それが何時の頃からか、ちやほやされつずけて天狗になり、諌める人達も去り、持って生まれた悪い自性が出て、全てにブレーキが利かなくなり、正論で批判されれば、返ってむきになる。
反省やそぶりもどこ吹く風か。その結果が我欲のみの現在なんでしょう。
人間80過ぎても枯れて丸くはなれぬもんです。

投稿: | 2011年12月29日 (木) 10時28分

確かに。最初から求道の名の元に会員を下僕では、会員は集まりません。
人間には他人から、( あの人は人が変わった。)と言われる時期(すべての人ではありませんが)がある人がいます。例としては、親鸞会から所属組織から、役を与えられた時とかがあります。( まるで別人に~~)良い方に変わったなら良いのですが、大抵が悪化しています。
親鸞会の役で、頭に血が上った状態です。
講師でもあります。本人としたら求道が進んだと勝手に思っています。
高森会長も最初(親鸞会創立時)は、前の方が言われる通りの時期があったと思いますが、何せ高森会長は信前の身の上ですから、真宗歴代善知識の真似をしても、所詮は真似です。

投稿: | 2011年12月29日 (木) 19時35分

ぶるの様、今年一年間お世話になりました。さよなら親鸞会のおかげで親鸞会を離れて二年目になろうとしています。この間、浄土真宗のご講師のお話を聞かせていただきました。
頑な親鸞会への憎しみから、共に仏教を聞かせていただきたいと思うようになりました。 来年もよろしくお願いいたします。

投稿: | 2011年12月31日 (土) 07時38分


軍国主義、搾取、情報統制、マイコン
太平洋戦争時の日本と親鸞会はよく似ていると言われるが、大きく違うところは戦ってないことだ。
親鸞会はネット上で教義を批判され法論をしても連戦連敗。勝ち目がないから、戦わなくなった。
彼ら(一族、高級幹部)が守りたいのは真実の教えでなく、利益すなわち金を搾取できる会員数)だ。負けて会員数が減るからネット批判者を相手にするなと言っているのである。
日本は負けて国民の目が覚めたが、親鸞会は戦わないので、自ら目覚めるしかない。

投稿: | 2011年12月31日 (土) 14時13分

今年一年ごくろうさまでした。
たくさんの書き込みをしてきましたが、着実に伝わってるように思います。小さい努力が、大きな結果になってあらわれるでしょう。時代と逆行したらつぶれます

投稿: | 2011年12月31日 (土) 15時05分

今年は、同じことを再度周知し、新たな情報も伝えていきたい。
宗教的なことは今も昔も変わらない。芳野作戦、弁当が中心だろう。

投稿: | 2012年1月 1日 (日) 00時12分

『文化時報』という既成仏教教団の業界紙に、瓜生崇真宗大谷派住職が「僕が親鸞会をやめた理由」という記事を連載してます。

真宗大谷派や浄土真宗本願寺派は、教学の蓄積だけではなく、親鸞会脱会講師も教師に補任する裾野が広い宗派です。
高偏差値エリートだけの親鸞会講師部員は、環境が変化すると生き残りにくいのではないでしょうか。

多様な人材が揃う真宗大谷派や浄土真宗本願寺派は、ひどいお坊さんもいますが、いいお坊さんもいます。

前から気になっていたのですが、親鸞会が批判する坊主は坊主のなかでも嫌われ者や相手にされていない人なのですが…。

投稿: | 2012年2月 7日 (火) 20時47分

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