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投稿:事実を見ようとしなければ、一生会員を辞めることはできないでしょう。

近年、親鸞会を退会した者です。十数年前に大学生の時勧誘され、学生時代は幹部もしておりました。

このさよなら親鸞会の中にも、精神的な病気になられた方の投稿や見聞きした方の話が有りましたが、私も学生時代、色々と追い詰められ、うつ病になりました。幸いにも完治し、今は普通に働いています。

病気の時は、自殺したいと毎日のように思っていました。後輩には命は大切だ、死んではならぬといいながら、一方で死にたいと考えている。この自己矛盾に、ものすごく苦しみました。

病気の事を講師や先輩に言ったら、どんな目に会うかわからず、ずっと言えずにいました。

しかし、限界を感じ講師に打ち明けたところ、かえってきたのは、仏法をきちんと聞いてれば、精神的な病気にはならない、という言葉でした。

それまでずっと求めてきた事、私自身の存在を根本から否定された気持ちになり、もうこの人には相談しても無意味だ、と思うようになりました。そして、徐々に活動をしなくなっていきました。

学生時代にうつ病になり、それでも親鸞会をやめずにいたのは、後生の一大事などではなく、ここから離れたら周りに友人達がいなくなってしまう、という思いからでした。

学生時代に幹部として活動をしていれば、ほとんど部外の友人は出来ません。中にはそうでない方もいらっしゃるでしょうが。

私も、大学で親鸞会以外の友人とは、一人も連絡を取っていません。人間的には、確かに親鸞会の中にも素晴らしい方はいます。それを否定するつもりはありません。退会しても、付き合いを続けたい、と思う人もいます。最も、退会者とは連絡を取らないように、と言われているかもしれませんが。

問題は、教えが本当に正しいのか、わからずに聞いている人が余りにも多い、という点です。講師に、必堕無間というのはどの経典にあるのか、と質問しても、直接の根拠はない、と言ったり。信心の沙汰をしても、単なる復習会でおわり、突っ込んだ質問は講師がスルーしたり。

年配の方々で普段地元でのみ活動をしている人達は、趣味の延長でしかないようにも感じました。教えがそもそも正しいのか間違っているのか、も調べることもなく、それでいて自分達は凄い教えを聞いているという優越感に浸っているのですから、こういった人達が一番親鸞会からは離れにくいと思われます。

もしくは、教えがわからずにいても間違っていても、どちらでも構わないのかもしれません。

私が支部に在籍していたとき、この人たち本気で後生の問題を解決したいと思っているのか、幹部の立場であっても仏法伝えようとしているのか、甚だ疑問な人がいたのも事実です。

そういう人は、何を思って親鸞会を続けているのか、お布施を出しているのか。こういうことこそ信心の沙汰をするべきなのに。

私が退会しようと思ったきっかけは、教えが正しいのかどうかという疑問もありましたが、それ以上に講師や幹部会員の不誠実な対応、伝えようという姿勢の無さでした。

退会時に正本尊を返却しに支部長に会った時、口では良いことを言っていても、目はまるで汚ないものを見るかのような、こちらを見下した目でした。

その時、親鸞会を辞める決断は間違ってなかった、と確信し、未練は完全に無くなりました。

また、学生時代から聞いている方に共通していると感じるのは、自分自身を嫌い、自信がない人がとても多い事です。罪悪を責められ、指摘会合などやっていては、当然そうなるでしょう。

社会で働く上で、自分自身を信じることがどれだけ大事かは、言うまでもないことです。

親鸞会、高森会長という後ろ楯を失った時に、それだけを信じてきた人は簡単に崩れてしまうでしょう。

だからこそ、親鸞会が間違っていると薄々気づいてはいても、そこから離れられない。信心が崩壊するのが怖いから。依存した人生です。それは成長も幸せもない、惰性的な日々です。

高森会長は現在82歳。人間である以上、必ず全ての人は死を迎えます。

会員は、その事実に向き合う必要があります。

説法中には時間がない時間がないと言いながら、ほとんど続きはまた今度、と言って終わります。

いつ死ぬかわからないと言いながら、会長の死から目を背けています。否、目を背けていないと続けられないのです。

事実を見ようとしなければ、一生会員を辞めることはできないでしょう。

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コメント

読ませていただきました。会を辞めれて、よかったですね。これから自由に多くの本を読み、今までの自分はいかに狭い世界で生きていたのか、と気がつきますよね。私も退会して、三年になります。前期高齢者ですが、ネットで教義のおかしさ、会長、組織の出鱈目を知らされ、ショックでした。一緒にアニメに、SK作戦にと、苦楽を共にした法友に、会の可笑しさを伝えようとしましたが、駄目ですね。やはり自分で確かめ、自分で気がつかないと、本当に難しい事ですね。

投稿: | 2011年10月18日 (火) 18時59分

俗世間社会の会社でも定年を除いて途中退社は、組織から歓迎されませんが、親鸞会組織の脱会者に対しては、異常な対応が多数ですね。
脱会者を見送る幹部会員が少しでも仏教を理解しているなら、脱会者に脱会の決断は間違っていたかも、と思いを与えられる幹部会員がいたなら、脱会そのものなかったと思います。
脱会者を見送り返納品を受け取る幹部会員が、脱会者の仏縁を心配する心があったらと残念です。
脱会の選択は間違いなく正解と思われます。
親鸞会の中での狭い社会で生きても、その五千人前後の社会に真実ならば臨終まで後悔もありませんが、親鸞会を脱会者は真実でない真実を知っています。これから自分の為の人生を生きて下さい。

投稿: | 2011年10月18日 (火) 20時49分

親鸞会に入会して、精神的に参っている人はたくさんいます。
仏教聴聞していれば治るとかふざけたことを言うヤツもいるが、そんなんだったらみんな聴聞してるよ。

投稿: | 2011年10月18日 (火) 20時57分

>仏教聴聞していれば治るとかふざけたことを言うヤツもいるが、

たしか、これって会長やY崎学院長もよく言ってたよね。

投稿: | 2011年10月18日 (火) 21時18分

精神的な病やうつ病は専門医じゃないと治りません。講師なんて一般社会人以下やから信用したらイカン。

投稿: | 2011年10月18日 (火) 21時37分

ちょっと投稿と関係はありませんが、ブラック企業の五つの特徴
http://n.m.livedoor.com/a/d/5946652?f=1
契約書でなく誓約書を書かせる(苦笑)
正に親鸞会講師と親友部。

投稿: | 2011年10月18日 (火) 22時07分

>仏法をきちんと聞いてれば、精神的な病気にはならない、という言葉でした。

何か、中味の無いひと事のような軽い言葉ですね。相手の苦しみを味わったことの無い、他人様からの受け売りだけの言葉だからでしょう。

ある時、精神科医のA橋医師が患者さんの対応に困って、会長にお伺いをたてたところ、機の方からではなく、法の方から患者さんに接しなさい(??)と会長が言ったそうで、今思えば、A橋氏も参考にはならなかったでしょう。
丁度、その頃心を病んだ身内がおり、A氏に相談に行きましたが、そんなに簡単に良い方向にいくなら、ただ心の病とは言わないのかも知れません。

会の外から見れば、師弟いずれの言葉も、薄っぺらいうわつらだけの思いつきの言葉とよく分かります。

誰も責任を取らない、欺瞞だらけの組織です。

投稿: | 2011年10月18日 (火) 22時28分

会長に相談しても仕方ない。答えにならない。息子も同じ。
質問はその業界の専門家に必ずしなさいね

投稿: | 2011年10月18日 (火) 22時36分

K玉学友部長は生理的に受け付けず、辞めた。
彼は謙虚さが全くない。 自分の意見が正しいと思ってる。

投稿: | 2011年10月18日 (火) 23時03分

> しかし、限界を感じ講師に打ち明けたところ、かえってきたのは、仏法をきちんと聞いてれば、精神的な病気にはならない、という言葉でした。

もし、そうだとすれば、親鸞会は仏法ではないということです。
私が顕真学院にいるときに多数の学院生が精神科を受診させられ、一部の人は、講師になりましたが、多くは退学させられていきました。

学院に入る人は、学生の中でも特に真剣に親鸞会の仏法を求めてきた人たちです。
その多くが精神的な疾患に罹ってしまったことには、私も驚きました。

投稿: | 2011年10月19日 (水) 00時12分

会長や取り巻きは学徒が骨折しても「仏法を聞けば治る」などと言い出しかねないね。
彼らはどんな状況でも「それが自分たちにとってどう利用できるか」という観点からしか見ない、極めて利己的な集団だ。
他人を人格を持った人間として見てその人の気持ちに立つなどということはまずない。
他人を利用するモノ(金づる、勧誘用無償労働マシーン)としてしか見てない。

こんな人たちが教える仏法がまともなわけはないよ。
宗教は人を幸せにするのでなければ存在価値がないから。
彼ら親鸞会の指導層は宗教を自分たちの欲のために利用しているだけであり、仏教や浄土真宗に対する冒涜だ。

投稿: | 2011年10月19日 (水) 02時34分

少し前に(仏法 を真剣に聞いていないから~)があり、多数のコメントで医師の診断を~のアドバイスがありました。
親鸞会の指導者は会員に同じ扱いをしているのですね。
呆れて開いた口がふさがらないです。会員の身に起こる不幸は仏法を真剣に聞いていないから起こるのでしょうか。もはや仏教と呼べません。

投稿: | 2011年10月19日 (水) 06時28分

脱会したら人間関係を失うのは、誰もが二の足になります。
特に大学時代に構築された法友(友人)との関係が消滅しますから、相当の覚悟が必要になります。
投稿にありましたが、(薄々気がついても)
やはり人間関係を失いたくありません。しかしネットの情報に真実味を感じる。葛藤の中での聴聞でありお布施、迷いの中での親鸞会学徒。この時点で言えるのは、決断を急ぎ、結論は人に頼らずに自分で、結論に後悔はしない。
口では簡単ですが本人にしたら巨大な山登りです。遭難覚悟の登山です。
無事の山頂到達を祈ります。

投稿: | 2011年10月19日 (水) 07時36分

投稿の人は勇気の決断をされました。
脱会の決断は、今までの努力と苦労が水泡になります。
人間関係も失うのも辛いものがあります。
在籍年数が長いほど決断が鈍り、脱会しないまま会員のままが無難です。
真面目な学徒が急に活動しなくなったら、こんな状態が多くあると思います。脱会したいが、脱会する勇気もないので年に数回の行事参加だけ、会費は滞納なく払い普段は活動しない、幹部の役も降りた。現在の幹部は自分が顕正した後輩、後輩も何も言えない。
そんな感じで、過去の幹部役が会費だけ払って活動休止がありました。
最後の決断は難しいです。

投稿: | 2011年10月19日 (水) 08時20分

教祖や講師等は、「真実の教え」とか偉そうに言う前に、心の病の事を先に勉強すべきです。鬱的な人には叱咤激励が逆効果になることが、先ず理解出来ていない。
特に学院生になるくらいの人なら、純粋で、ある面ナイーブな傷つきやすい人達でしょう。「絶対服従」させる為有りきで、教授等がガンガン洗脳に走ったんでは、一方的にいいなりになる方はたまったものでは無い。ここで挫折した人を切り捨て、特別育成法の改善もせず、新たに洗脳者を育てようとする。全く非情なもんですね。

又指摘会合?とか、仏法の名の下での、種々の叱咤(結局苛め)は、心が病むか病みつつある側に追い討ちをかけている事になる。


ここの所を、教祖や息子や等が理解できていないから、捩じれが徐々に浸透しているのが現状です。

投稿: | 2011年10月19日 (水) 08時26分

親鸞会の人間関係を絶つのは勇気いりますね。学生時代に親鸞会にいた、いないじゃなく過ごした時間は長く、彼らがいたから親鸞会にいれたわけやからね。

投稿: | 2011年10月19日 (水) 12時51分

よく生きていて下さいました。ありがとう。私は数回前の投稿者で元保育部員です。

昔は色々ありました。講師が婚約者に「彼女のこと~~」と言ったこともありました。精神疾患に対する冷たい目なんて近代日本じゃあるまいし、仏教聞いていれば心の病にならないなんて、「これ拝んだら病気が治る」という邪教と同じです。

私は、大学時代の友人と言える人は親鸞会以外にはいないのですが、中学からの友人は私のことをずっと心配してくれていたらしく、2年前位からメールのやりとりをしています。投稿者さんも、落ち着いたら、懐かしい人に連絡とってみるといいかもしれません。こちらが思うほど相手は気にしてないかもしれない、むしろ心配されているかもしれません。

生きていてくれて本当にありがとう。

投稿: 元投稿者 | 2011年10月19日 (水) 13時08分

人間関係、友人関係が消滅するのは大変な辛さですね。
会員さんに限らずこれは講師も同じですが、講師の場合は脱会と同時に収入源の職業も失います。親鸞会と称する組織に在籍して過ごした年月が無意味、無効になります。脱会者からは、なぜ辞めないのかと感じても、現役の会員として(高森さんは盗作で~)は簡単には答えは出ません。
親鸞会に不信感で在籍するも人生、脱会者を選択するも人生です。

投稿: | 2011年10月19日 (水) 19時46分

私は親鸞会に学生時代から社会人となってからも数年間在籍しました。今はもう脱会しましたが、親鸞会関係の友人は一切連絡しても返事がありませんでした。所詮上っ面のサークル活動にすぎません。親鸞会を脱会したら人としては見てもらえない感じがしましたね。悲しいことです。

投稿: | 2011年10月19日 (水) 20時11分

親鸞会をやめても会員で連絡するヤツいるよ。
ひとあつめだよな

投稿: | 2011年10月19日 (水) 23時19分

親鸞会学友部が衰退してるのをネットのせいにしてるみたいやが、そうじゃないだろう。
マイコンされてる連中みらゃ逃げるよ。

投稿: | 2011年10月19日 (水) 23時21分

親鸞会の恐ろしさは気がついたときにはもう抜け出せなくなっていること。
マインドコントロールと情報統制、そして投稿者さんのように
人間関係の断絶・孤独の恐怖でがんじがらめ。
高森氏が親鸞会の宣伝とは正反対の人格・教学力の人間だと知っても、
教義がまちがえだらけだと知っても、
親鸞会が反社会的なカルトだと気づいても、そのときには、
親鸞会以外の人間関係がない、飛び出しても仕事もない、
社会からは白眼視されるというアリ地獄の内部にはまり込んでしまっている恐怖。

親鸞会の偽装勧誘がアンフェアであると厳しく批判される理由も
まさにこの点にあります。故意にタイムラグを作る。
正体を知ったときには、完全に依存症になっている。
ギャンブル依存などと似ている。
完全な後出しジャンケン。

それでも勇気をもって抜け出した人もたくさんいます。
親鸞会を退会しただけで、まったく無視するような人たちとの人間関係は、
はじめから薄っぺらい情のかよわないものだったと気づきましょう。
それは利害だけの付き合いです。

投稿: | 2011年10月20日 (木) 00時31分

750後の初めての2000畳、はっきり言ってガラガラでした。会場整理したら半分もいかないと思います。

「死んだらどうなるかというのは心の重荷」と会長が言ったとたくさんの手紙が来たそうです。

それに対して会長は「ワシは重荷と言っとらん、重しと言った」と云々

はっきり言いますが、年齢を考えても会長は認知症かと思いました。

仏法聞いていれば心の病にかからないというなら、仏法聞いていれば認知症にならないのでは?仏法と、老や病は関係あるのでしょうか?

投稿: | 2011年10月23日 (日) 16時28分

やはり750回忌の記念行事は、ろうそくの消える前の一瞬の炎でしたか。
2000畳の半分なら、約2500人の参詣です。入館料がひとり5000円ですから1250万円と法礼ですか、今回の参加者は非会員の参詣もあったと思いますが、会員が主です。
まだ会員2500人もいますか、社会正義の観点からもなんとかしないと。

投稿: | 2011年10月23日 (日) 21時39分

仏教聞けば認知症にならない?
うそつけ

投稿: | 2011年10月24日 (月) 00時14分

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