PJニュース「「宗教団体」による新手のスラップか=著作権法違反容疑で警察が記者宅を家宅捜査」
「「宗教団体」による新手のスラップか=著作権法違反容疑で警察が記者宅を家宅捜査(上)」という記事がPJニュースにアップされました。
他にも同時並行で幾つかの取材が行われています。
しかしこんなことをして、何かしら親鸞会にとって得になることが一つでもあったのでしょうか。
先般行われた750回忌とこの事件が、親鸞会の大きなターニングポイントになるのではないかと感じています。
追記
上記の記事の(下)がアップされました。
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コメント
記事を見ての通り、親鸞会にとって大きなマイナスだったことは言うまでもありません。
前回の投稿記事にもあった通りです。
本当に「智慧(先を見通す力と親鸞会では教えられました)の無い団体です。
投稿: | 2011年10月14日 (金) 00時31分
ターニングポイントはとっくに過ぎていたと思いますが、ぶるうの氏から見て、今回の動きで対外的な親鸞会のイメージが決定してしまったということでしょうかね
外面も内情も疲れ果て、晴れて修復不可能の泥舟になったわけです
投稿: | 2011年10月14日 (金) 08時33分
ここまでくると、逆にもっと大きな自爆テロを起こしそう。地下鉄サリンの時のオウムが今のような四面楚歌状態で、内側もボロボロだったような。できれば誰も傷つかずに、親鸞会がなくなればいいのだけれど。
投稿: | 2011年10月14日 (金) 12時12分
(下)も必読です。
親鸞会のこと、および今回のスラップの問題点がかなり詳細にレポートされています。
http://bit.ly/pTFsHn
この手法は表現の自由を大きく脅かす可能性のある事態として、ひろく問題視される傾向にあるように見受けられます。すでに進行中の著作権法改正論議やカルト対策立法などの論議において、このケースがサンプルとして当局より検討されることも十分考えられます。このニュースのみならず、こうした論点への関心を持っておくことが必要でしょう。また、なにか動いてみたい人があるなら、知財法学者やこれらの問題に前向きな弁護士などの人と接触をもつなどして、これらのムーブメントにコミットしてみるのもいいかもしれません。
PJの記事は、Facebookによる「いいね」も既に多数付けられています。Facebookアカウントを持っていないひとは、この際登録してみるといいのではないでしょうか。また、twitterによるRTも有効でしょう。
投稿: dandelion | 2011年10月14日 (金) 13時12分
スラップとは
スラップ(英: SLAPP, Strategic Lawsuit Against Public Participation、恫喝訴訟)は、訴訟の形態の一つで、原告が勝利判決を勝ち取るのではなく被告に対する嫌がらせを主な目的に起こす訴訟である。
経済的に力のある団体が原告となり、対抗勢力を被告として恫喝的に行うことが多い。被告となった反対勢力は法廷準備費用・時間的拘束等の負担を強いられるため、仮に原告が敗訴しても、主目的となるいやがらせは達成されることになる。そのため、原告よりも経済的に力の劣る個人が標的にされやすい。表現の自由を揺るがす行為として欧米を中心に問題化しており、スラップを禁じる法律を制定した自治体もある。日本でも近年企業と個人ジャーナリストの間でこの形態の訴訟が見られ、この用語と共に概念を浸透させる動きが見られている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%97
投稿: | 2011年10月14日 (金) 18時19分
注文の多い親鸞会 (1/3)
山奥に立派な一軒の西洋造りの家「WILDCAT HOUSE」は親鸞会館のこと?以下、宮沢賢治の『注文の多い料理店』を引用。
二人の若い紳士が、すっかりイギリスの兵隊のかたちをして、ぴかぴかする鉄砲をかついで、白熊のような犬を二疋つれて、だいぶ山奥の、木の葉のかさかさしたとこを、こんなことを云いながら、あるいておりました。
「ぜんたい、ここらの山は怪しからんね。鳥も獣も一疋も居やがらん。なんでも構わないから、早くタンタアーンと、やって見たいもんだなあ。」
「鹿の黄いろな横っ腹なんぞに、二三発お見舞もうしたら、ずいぶん痛快だろうねえ。くるくるまわって、それからどたっと倒れるだろうねえ。」
それはだいぶの山奥でした。案内してきた専門の鉄砲打ちも、ちょっとまごついて、どこかへ行ってしまったくらいの山奥でした。
それに、あんまり山が物凄いので、その白熊のような犬が、二疋いっしょにめまいを起して、しばらく吠って、それから泡を吐いて死んでしまいました。
「じつにぼくは、二千四百円の損害だ。」と一人の紳士が、その犬の眼ぶたを、ちょっとかえしてみて言いました。
「ぼくは二千八百円の損害だ。」と、もひとりが、くやしそうに、あたまをまげて言いました。
はじめの紳士は、すこし顔いろを悪くして、じっと、もひとりの紳士の、顔つきを見ながら云いました。
「ぼくはもう戻ろうとおもう。」
「さあ、ぼくもちょうど寒くはなったし腹は空いてきたし戻ろうとおもう。」
「そいじゃ、これで切りあげよう。なあに戻りに、昨日の宿屋で、山鳥を拾円も買って帰ればいい。」
「兎もでていたねえ。そうすれば結局おんなじこった。では帰ろうじゃないか。」
ところがどうも困ったことは、どっちへ行けば戻れるのか、いっこう見当がつかなくなっていました。
風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。
「どうも腹が空いた。さっきから横っ腹が痛くてたまらないんだ。」
「ぼくもそうだ。もうあんまりあるきたくないな。」
「あるきたくないよ。ああ困ったなあ、何かたべたいなあ。」
「喰べたいもんだなあ。」
二人の紳士は、ざわざわ鳴るすすきの中で、こんなことを云いました。
その時ふとうしろを見ますと、立派な一軒の西洋造りの家がありました。
そして玄関には、
RESTAURANT
西洋料理店
WILDCAT HOUSE
山猫軒
という札がでていました。
「君、ちょうどいい。ここはこれでなかなか開けてるんだ。入ろうじゃないか。」
「おや、こんなとこにおかしいね。しかしとにかく何か食事ができるんだろう」
「もちろんできるさ。看板にそう書いてあるじゃないか」
「はいろうじゃないか。ぼくはもう何か喰べたくて倒れそうなんだ。」
二人は玄関に立ちました。玄関は白い瀬戸の煉瓦で組んで、実に立派なもんです。
そして硝子の開き戸がたって、そこに金文字でこう書いてありました。
「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません」
二人はそこで、ひどくよろこんで言いました。
「こいつはどうだ、やっぱり世の中はうまくできてるねえ、きょう一日なんぎしたけれど、こんどはこんないいこともある。このうちは料理店だけれどもただでご馳走するんだぜ。」
「どうもそうらしい。決してご遠慮はありませんというのはその意味だ。」
二人は戸を押して、なかへ入りました。そこはすぐ廊下になっていました。その硝子戸の裏側には、金文字でこうなっていました。
「ことに肥ったお方や若いお方は、大歓迎いたします」
二人は大歓迎というので、もう大よろこびです。
「君、ぼくらは大歓迎にあたっているのだ。」
「ぼくらは両方兼ねてるから。」
ずんずん廊下を進んで行きますと、こんどは水いろのペンキ塗りの扉がありました。
「どうも変な家だ。どうしてこんなにたくさん戸があるのだろう。」
「これはロシア式だ。寒いとこや山の中はみんなこうさ。」
そして二人はその扉をあけようとしますと、上に黄いろな字でこう書いてありました。
「当軒は注文の多い料理店ですからどうかそこはご承知ください」
「なかなかはやってるんだ。こんな山の中で。」
「それあそうだ。見たまえ、東京の大きな料理屋だって大通りにはすくないだろう。」
二人は云いながら、その扉をあけました。するとその裏側に、
「注文はずいぶん多いでしょうがどうか一々こらえて下さい。」
「これはぜんたいどういうんだ。」ひとりの紳士は顔をしかめました。
「うん、これはきっと注文があまり多くて支度が手間取るけれどもごめん下さいと斯ういうことだ。」
「そうだろう。早くどこか室の中にはいりたいもんだな。」
「そしてテーブルに座りたいもんだな。」
投稿: | 2011年10月14日 (金) 18時40分
注文の多い親鸞会 (2/3)
ところがどうもうるさいことは、また扉が一つありました。そしてそのわきに鏡がかかって、その下には長い柄のついたブラシが置いてあったのです。
扉には赤い字で、
「お客さまがた、ここで髪をきちんとして、それからはきもの
の泥を落してください。」と書いてありました。
「これはどうも尤もだ。僕もさっき玄関で、山のなかだとおもって見くびったんだよ」
「作法の厳しい家だ。きっとよほど偉い人たちが、たびたび来るんだ。」
そこで二人は、きれいに髪をけずって、靴の泥を落しました。
そしたら、どうです。ブラシを板の上に置くや否や、そいつがぼうっとかすんで無くなって、風がどうっと室の中に入ってきました。
二人はびっくりして、互によりそって、扉をがたんと開けて、次の室へはいって行きました。早く何か暖いものでもたべて、元気をつけて置かないと、もう途方もないことになってしまうと、二人とも思ったのでした。
扉の内側に、また変なことが書いてありました。
「鉄砲と弾丸をここへ置いてください。」
見るとすぐ横に黒い台がありました。
「なるほど、鉄砲を持ってものを食うという法はない。」
「いや、よほど偉いひとが始終来ているんだ。」
二人は鉄砲をはずし、帯皮を解いて、それを台の上に置きました。
また黒い扉がありました。
「どうか帽子と外套と靴をおとり下さい。」
「どうだ、とるか。」
「仕方ない、とろう。たしかによっぽどえらいひとなんだ。奥に来ているのは。」
二人は帽子とオーバーコートを釘にかけ、靴をぬいでぺたぺたあるいて扉の中にはいりました。
扉の裏側には、
「ネクタイピン、カフスボタン、眼鏡、財布、その他金物類、
ことに尖ったものは、みんなここに置いてください。」
と書いてありました。扉のすぐ横には黒塗りの立派な金庫も、ちゃんと口を開けて置いてありました。鍵まで添えてあったのです。
「ははあ、何かの料理に電気をつかうと見えるね。金気のものはあぶない。ことに尖ったものはあぶないと斯う云うんだろう。」
「そうだろう。して見ると勘定は帰りにここで払うのだろか。」
「どうもそうらしい。」
「そうだ。きっと。」
二人はめがねをはずしたり、カフスボタンをとったり、みんな金庫の中に入れて、ぱちんと錠をかけました。
すこし行きますとまた扉があって、その前に硝子の壺が一つありました。扉には斯う書いてありました。
「壺のなかのクリームを顔や手足にすっかり塗ってください。」
みるとたしかに壺のなかのものは牛乳のクリームでした。
「クリームをぬれというのはどういうんだ。」
「これはね、外がひじょうに寒いだろう。室のなかがあんまり暖いとひびがきれるから、その予防なんだ。どうも奥には、よほどえらいひとがきている。こんなとこで、案外ぼくらは、貴族とちかづきになるかも知れないよ。」
二人は壺のクリームを、顔に塗って手に塗ってそれから靴下をぬいで足に塗りました。それでもまだ残っていましたから、それは二人ともめいめいこっそり顔へ塗るふりをしながら喰べました。
それから大急ぎで扉をあけますと、その裏側には、
「クリームをよく塗りましたか、耳にもよく塗りましたか、」
と書いてあって、ちいさなクリームの壺がここにも置いてありました。
「そうそう、ぼくは耳には塗らなかった。あぶなく耳にひびを切らすとこだった。ここの主人はじつに用意周到だね。」
「ああ、細かいとこまでよく気がつくよ。ところでぼくは早く何か喰べたいんだが、どうも斯うどこまでも廊下じゃ仕方ないね。」
するとすぐその前に次の戸がありました。
「料理はもうすぐできます。
十五分とお待たせはいたしません。
すぐたべられます。
早くあなたの頭に瓶の中の香水をよく振りかけてください。」
そして戸の前には金ピカの香水の瓶が置いてありました。
二人はその香水を、頭へぱちゃぱちゃ振りかけました。
ところがその香水は、どうも酢のような匂がするのでした。
「この香水はへんに酢くさい。どうしたんだろう。」
「まちがえたんだ。下女が風邪でも引いてまちがえて入れたんだ。」
二人は扉をあけて中にはいりました。
扉の裏側には、大きな字で斯う書いてありました。
「いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう。お気の毒でした。
もうこれだけです。どうかからだ中に、壺の中の塩をたくさ
んよくもみ込んでください。」
なるほど立派な青い瀬戸の塩壺は置いてありましたが、こんどというこんどは二人ともぎょっとしてお互にクリームをたくさん塗った顔を見合わせました。
「どうもおかしいぜ。」
投稿: | 2011年10月14日 (金) 18時42分
注文の多い親鸞会 (3/3)
「ぼくもおかしいとおもう。」
「沢山の注文というのは、向うがこっちへ注文してるんだよ。」
「だからさ、西洋料理店というのは、ぼくの考えるところでは、西洋料理を、来た人にたべさせるのではなくて、来た人を西洋料理にして、食べてやる家とこういうことなんだ。これは、その、つ、つ、つ、つまり、ぼ、ぼ、ぼくらが……。」がたがたがたがた、ふるえだしてもうものが言えませんでした。
「その、ぼ、ぼくらが、……うわあ。」がたがたがたがたふるえだして、もうものが言えませんでした。
「遁げ……。」がたがたしながら一人の紳士はうしろの戸を押そうとしましたが、どうです、戸はもう一分も動きませんでした。
奥の方にはまだ一枚扉があって、大きなかぎ穴が二つつき、銀いろのホークとナイフの形が切りだしてあって、
「いや、わざわざご苦労です。
大へん結構にできました。
さあさあおなかにおはいりください。」
と書いてありました。おまけにかぎ穴からはきょろきょろ二つの青い眼玉がこっちをのぞいています。
「うわあ。」がたがたがたがた。
「うわあ。」がたがたがたがた。
ふたりは泣き出しました。
すると戸の中では、こそこそこんなことを云っています。
「だめだよ。もう気がついたよ。塩をもみこまないようだよ。」
「あたりまえさ。親分の書きようがまずいんだ。あすこへ、いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう、お気の毒でしたなんて、間抜けたことを書いたもんだ。」
「どっちでもいいよ。どうせぼくらには、骨も分けて呉れやしないんだ。」
「それはそうだ。けれどももしここへあいつらがはいって来なかったら、それはぼくらの責任だぜ。」
「呼ぼうか、呼ぼう。おい、お客さん方、早くいらっしゃい。いらっしゃい。いらっしゃい。お皿も洗ってありますし、菜っ葉ももうよく塩でもんで置きました。あとはあなたがたと、菜っ葉をうまくとりあわせて、まっ白なお皿にのせる丈けです。はやくいらっしゃい。」
「へい、いらっしゃい、いらっしゃい。それともサラドはお嫌いですか。そんならこれから火を起してフライにしてあげましょうか。とにかくはやくいらっしゃい。」
二人はあんまり心を痛めたために、顔がまるでくしゃくしゃの紙屑のようになり、お互にその顔を見合わせ、ぶるぶるふるえ、声もなく泣きました。
中ではふっふっとわらってまた叫んでいます。
「いらっしゃい、いらっしゃい。そんなに泣いては折角のクリームが流れるじゃありませんか。へい、ただいま。じきもってまいります。さあ、早くいらっしゃい。」
「早くいらっしゃい。親方がもうナフキンをかけて、ナイフをもって、舌なめずりして、お客さま方を待っていられます。」
二人は泣いて泣いて泣いて泣いて泣きました。
そのときうしろからいきなり、
「わん、わん、ぐわあ。」という声がして、あの白熊のような犬が二疋、扉をつきやぶって室の中に飛び込んできました。鍵穴の眼玉はたちまちなくなり、犬どもはううとうなってしばらく室の中をくるくる廻っていましたが、また一声
「わん。」と高く吠えて、いきなり次の扉に飛びつきました。戸はがたりとひらき、犬どもは吸い込まれるように飛んで行きました。
その扉の向うのまっくらやみのなかで、
「にゃあお、くわあ、ごろごろ。」という声がして、それからがさがさ鳴りました。
室はけむりのように消え、二人は寒さにぶるぶるふるえて、草の中に立っていました。
見ると、上着や靴や財布やネクタイピンは、あっちの枝にぶらさがったり、こっちの根もとにちらばったりしています。風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。
犬がふうとうなって戻ってきました。
そしてうしろからは、
「旦那あ、旦那あ、」と叫ぶものがあります。
二人は俄かに元気がついて
「おおい、おおい、ここだぞ、早く来い。」と叫びました。
蓑帽子をかぶった専門の猟師が、草をざわざわ分けてやってきました。
そこで二人はやっと安心しました。
そして猟師のもってきた団子をたべ、途中で十円だけ山鳥を買って東京に帰りました。
しかし、さっき一ぺん紙くずのようになった二人の顔だけは、東京に帰っても、お湯にはいっても、もうもとのとおりになおりませんでした。
投稿: | 2011年10月14日 (金) 18時44分
愛知県のある市に、北陸地方の山奥にある弁当屋さんがくるらしい。でも、この不景気なのに従業員が集まらないって。
投稿: | 2011年10月14日 (金) 19時44分
まさか弁当屋で儲けるつもりだったとは…救いようがないな
投稿: | 2011年10月14日 (金) 21時28分
いよいよ何の団体かわからんようになってきたな。
投稿: | 2011年10月14日 (金) 21時42分
>いよいよ何の団体かわからんようになってきたな。
歎異抄第17条も読んだことがない。念仏をとなえるだけでも地獄(いや監獄か)に行かんで済むのにねえ。親鸞会の後生の一大事が心配…。
投稿: ネット対策員 | 2011年10月14日 (金) 22時20分
誰も相手にされない人達の訪問(収容所)場所になった感のあるさよならですが、相手にして欲しいなら親鸞会に入会したら、社会、世間のつまはじきの人でも主役になれます。さよならも社会貢献(誰にも存在すら認められない、落ちこぼれ) の働きを担うようになりました。
これも活発なコメントが多数あるからですね。皆さん誰にも相手にされない人を哀れな人を、哀れみましょう。
投稿: | 2011年10月14日 (金) 23時39分
>誰も相手にされない人達の訪問(収容所)場所になった感のあるさよならですが
さよなら~に書き込んでる人は皆一般社会できちんとした仕事を持っていますよ。
むしろ親鸞会から一歩外に出たら「誰にも相手にされない」のはカルト親鸞会ネット対策員さん、あなたです。
哀れんであげます(笑)。
カルト教団のネット対策員なんて世間的には「精神に重い病を患ったおかしな人たち」くらいにしか見られてないんですよね(笑)残念ですが(笑)
投稿: | 2011年10月14日 (金) 23時56分
相手が違う。
投稿: | 2011年10月15日 (土) 00時03分
>誰も相手にされない人達の訪問(収容所)場所になった感のあるさよならですが~
最近この手の第三者とおぼしきコメントが見え始めたのは、今回の事件がカルト問題以外で取り上げられ、親鸞会の認知度が(親鸞会にとって悪い意味で)高くなった為ではないでしょうか。
親鸞会が関係者以外に注目されるようになれば、この先被害を受ける人が減ります。
また、カルト問題以外で取り上げられているのを現会員が見れば、疑問を持つきっかけになりうると思います。
真剣な読者にとっては嫌な思いをすることもありますが、これらのコメントは良い兆候だと捉えることも出来るのではないでしょうか。
もちろん限度はありますが。
管理するぶるうの氏の為にも不用意に荒れさせない様に、挑発コメントには乗らない方が得策かと考えます。
投稿: | 2011年10月15日 (土) 00時45分
このサイトの投稿記事を読むと、また寄せられたコメントの多くが知的水準が非常に高く、コメントされた方は、一般社会でも充分活躍されていることでしょう。
ところで、「注文の多い親鸞会」には全く同感。私も、頭に高森教義を刷り込み、服を脱いで料理されてになる前に、退会できました。実に危なかった。
投稿: | 2011年10月15日 (土) 04時02分
誰も相手にされない~のコメントをしましたが、これはネット対策員と名乗るに対しての言葉であります。
書き方の文章にも誤解を与えましたが、そのコメントに対してを本気ですると、相手にされていると思いますから、あの書き方になりました。誤解を与えて申し訳ありません。
親鸞会のネット対策ではなく、完全な第三者、社会で誰も相手にされない、嫌がれで生きる人がネットを通じて存在感を得ようと書き込みをしています。
それは、反応が早くすぐに返事のコメントがあるのが理由の一つです。それだけさよならの訪問者が多いと思います。
誤解を与えてしまい申し訳ありません。
投稿: | 2011年10月15日 (土) 06時20分
注文の多い親鸞会 (最終)
宮沢賢治の『注文の多い料理店』を(くどいけれど)解説。
●人生で悩んでいる人。
「あるきたくないよ。ああ困ったなあ、何かたべたいなあ。」
●ある日、親鸞会に入会。
「君、ちょうどいい。ここはこれでなかなか開けてるんだ。入ろうじゃないか。」
●入会した当初は、まだ親鸞会に優しくされる。
「君、ぼくらは大歓迎にあたっているのだ。」
●多少の不自然さを感じるが、それを肯定しようとする。
「どうも変な家だ。どうしてこんなにたくさん戸があるのだろう。」
「これはロシア式だ。寒いとこや山の中はみんなこうさ。」
●でも、やっぱり不自然。それでも肯定する。
「これはぜんたいどういうんだ。」ひとりの紳士は顔をしかめました。
「うん、これはきっと注文があまり多くて支度が手間取るけれどもごめん下さいと斯ういうことだ。」
●更に肯定するようになる。それどころか、積極的に妄想しだす。
「作法の厳しい家だ。きっとよほど偉い人たちが、たびたび来るんだ。」
●親鸞会の理不尽な注文も、どんどんと自己肯定する。
「クリームをぬれというのはどういうんだ。」
「これはね、外がひじょうに寒いだろう。室のなかがあんまり暖いとひびがきれるから、その予防なんだ。どうも奥には、よほどえらいひとがきている。こんなとこで、案外ぼくらは、貴族とちかづきになるかも知れないよ。」
●完全に会長を信じる。
「そうそう、ぼくは耳には塗らなかった。あぶなく耳にひびを切らすとこだった。ここの主人はじつに用意周到だね。」
●やっぱり会長だけは悪くない。
「この香水はへんに酢くさい。どうしたんだろう。」
「まちがえたんだ。下女が風邪でも引いてまちがえて入れたんだ。」
●しかし、会員の中には気付く人もいる。
「どうもおかしいぜ。」
●そして、振り返り、考え始める。自分が置かれている怖ろしい状況を悟る。
「沢山の注文というのは、向うがこっちへ注文してるんだよ。」
「だからさ、西洋料理店というのは、ぼくの考えるところでは、西洋料理を、来た人にたべさせるのではなくて、来た人を西洋料理にして、食べてやる家とこういうことなんだ。これは、その、つ、つ、つ、つまり、ぼ、ぼ、ぼくらが……。」がたがたがたがた、ふるえだしてもうものが言えませんでした。
●悟っても、もう遅い。人生が破壊されてしまったとき。
「呼ぼうか、呼ぼう。おい、お客さん方、早くいらっしゃい。いらっしゃい。いらっしゃい。お皿も洗ってありますし、菜っ葉ももうよく塩でもんで置きました。あとはあなたがたと、菜っ葉をうまくとりあわせて、まっ白なお皿にのせる丈けです。はやくいらっしゃい。」
「へい、いらっしゃい、いらっしゃい。それともサラドはお嫌いですか。そんならこれから火を起してフライにしてあげましょうか。とにかくはやくいらっしゃい。」
●幸い、親鸞会以外の人に助けられることもある。
「わん、わん、ぐわあ。」という声がして、あの白熊のような犬が二疋、扉をつきやぶって室の中に飛び込んできました。
●脱会しても、キズはそう簡単に癒えない。
しかし、さっき一ぺん紙くずのようになった二人の顔だけは、東京に帰っても、お湯にはいっても、もうもとのとおりになおりませんでした。
投稿: | 2011年10月15日 (土) 11時03分
長南さんが訴えたのかよw
あの人マシーンみたいな人格してるから適任だなw
恫喝訴訟という名称は長南さんによくお似合いです♡
投稿: | 2011年10月16日 (日) 01時56分
さよなら親鸞会ーココログで、(講師からもう来なくてよい~)かなりどうでもよいこて182番目のコメントです。
講師は当然のことを言っただけで、金にもならない人は邪魔者です。私の在籍時にも(仏教をただで聞く輩が)を幹部が言っていました。
親鸞会高森さんはボランティア活動家ではありません。
無料の甘茶は呼び込み水であり、何回も無料で甘茶を飲まれたら親鸞会は倒産します。
今後も無料で聞かれるなら、親鸞会から一生涯消えない不快感を無料の代償として与えられますから、相応の覚悟が必要です。
投稿: | 2011年10月16日 (日) 09時50分
かなりどうでもいいこと、の投稿日は9月3日ですが、指示をくださいとアドバイスがありましたが、なぜ93日のコメント欄にが疑問になりました。
指示を受けたいなら、さよならで広く受けるのが定石と感じました。
アドレスにメールをしかけて、中止しました。疑ってもキリがないのですが、私はさよならで広く助言を求めるのが最高と思います。
投稿: | 2011年10月16日 (日) 10時17分
困りごとで、「警察」に相談したいことは、「ヤミ金融」や「悪質商法」に関する相談や、男女間の暴力やつきまといなど、あるいは、子どもの非行に関すること、暴力団がらみの事案(暴力団からの脅し、誘い、因縁をつけられている、金品を要求されているなど)、麻薬をやっている人がいる、拳銃を持っている人がいる、などです。また、インターネットで中傷された、犯罪被害を受けて誰にも言えずに苦しんでいる、など、緊急ではないが、警察に相談したいことは『#9110』にかけるようにしましょう。
投稿: | 2011年10月16日 (日) 13時23分
学生の下宿訪問は、迷惑だよね。
下宿訪問は善とおしえられてるが、相手の都合を考えずに訪問するのは非常識で迷惑です。
部会があるからと夜の10時に訪問とか明らかに法律違反ですね。
講師の命令とか上司の命令でも、講師なんて責任とってくれないからね。
訪問時間は八時までにしろよ。
投稿: | 2011年10月16日 (日) 18時17分
エントリ「かなりどうでもいいこと」の最後のほうの書き込みの人へ
10円とか30円くらいお布施して聞いたらいいんじゃない?
それに親鸞聖人が好きなのなら親鸞会の集まりじゃなくても・・・というか、
親鸞会の教えは親鸞聖人の教えとはかけ離れてるんだから、本願寺とか真宗十派などまともなとこで求めたらいいんじゃない。無理にお布施なんか求められないでしょ。
親鸞聖人は貧乏でお金払えない人にでも、ちゃんと説法したと思うよ。
投稿: | 2011年10月16日 (日) 21時13分
親鸞会の学生諸君へ
Apple社のスティーブ・ジョブスが2005年のスタンフォー ド大学の卒業式で「死」についてスピーチした部分を引用。
誰も死にたくない。
天国に行きたい人でもそのために死のうとしない。
しかし死はすべての人の終着点であり、
誰も逃れたことはないし、
今後もそうあるべきだ。
なぜなら 死は 生命最大の発明なのだから
死は古き者を消し去り
新しき者への道をつくる。
ここでの「新しき者」は君たちです。
しかしそう遠くないうちに、
君たちも「古き者」として 消えてゆきます。
あなたの時間は限られています。
無駄に人生を生きないこと。
ドグマに囚われないでください。
それは他人の考え方に付き合った結果にすぎません。
他人の雑音で 心の声が
掻き消されないようにしてください。
そして最も大事なのは
自分の直感に従う勇気を持つことです。
直感とは あなたが本当に求めることを
分かっているものです。
それ以外は二の次です。
http://www.youtube.com/watch?v=DE8HrWmnLwA
投稿: | 2011年10月16日 (日) 21時44分
21:44の投稿者は、親鸞会関係者くさいと観ます。経験の少ない学生さんは、一時の直感では道を間違います。仲間、(親鸞会系サークルでない)先輩、先生、ネットからいろいろ情報を集めて判断するのがいいですね。という私も、会に入る前、また会員となった後も、仕事の忙しさにかまけて、浄土真宗、広くは仏教について勉強することを怠ってました。その結果、親鸞会の教義がまったく異端であることに気がつかず、長い間迷って会員をしてました。恐ろしいことです。
投稿: | 2011年10月16日 (日) 22時06分
キャッチセールと同じの親鸞会。
まだキャッチの法整備が不完全な平成前に、求人紙とかで高額をエサにして、説明会で人を集め会場で( こうすれば、こうなり、こうなったら月収が500万円 ) 500万円ほしいか、欲しかったら、こうせい、ああせいと命令して、指示に従う会員が不信に思い質問すると、
( あなたは、月収500万円をのぞんだから、私達はあなたの月収を500万円にしようと、あなたを導いていますから、幹部の命令には、絶対服従が厳守です。それが一番の近道ですから、今月のノルマは達成まだですから、そんな質問よりノルマの達成の努力をして下さい )
どうでしょうかどこかで経験した記憶がありませんか、それが正体と私は思っています。月収500万円を誰も得た会員も存在なく、贅沢三昧をしているのは、その組織を運営している一族です。
投稿: | 2011年10月16日 (日) 22時38分
ジョブズの演説は新入生勧誘の時に使ったね。
教えや組織として不審があるのならその直感は正しいものだから、
その直感の通り進みなさいってことですね。
投稿: | 2011年10月16日 (日) 23時40分
>教えや組織として不審があるのならその直感は正しいものだから、
>その直感の通り進みなさいってことですね。
>(2011年10月16日 (日) 23時40分)
21:44の投稿者です。補足ありがとうございます。親鸞会の学生諸君は高森氏の「ドグマ」に囚われています。
>恐ろしいことです。(2011年10月16日 (日) 22時06分)
同感です。
投稿: | 2011年10月17日 (月) 10時04分