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投稿:親鸞会750回忌に参詣しなかった現役親鸞会会員と話をしていて思ったこと

親鸞会750回忌に参詣しなかった現役親鸞会会員と話をしていて思ったことを書きます。

750回忌に参詣しなかった理由を聞くと、言下に、「親鸞会では親鸞聖人の教えが学べないから」との返答。

「親鸞聖人の教え、『教行信証』のお言葉の御心を聞きたいのに、750回忌のスケジュールで説法の時間はほとんどなし。会の会合に参加すれば話題になるのは、親鸞聖人の教えよりも、ダムがどうの、橋がどうの、お布施がどうの。もし親鸞聖人の教えを真摯に学ぶことができるならば、それこそ一日数万円出しても学ぶことがあると思うけれど・・・」

親鸞会は「親鸞聖人の御教えを我も信じ、人にも教え聞かしむるばかりなり」と声高々に謳いながら、なにか質問をすれば根拠は「浄土三部経」でも『教行信証』でもなく、「会長先生がおっしゃったから・・・」です。

明治以降の真宗改革の先駆者たちを線香花火に終わったといいますが、親鸞会の未来もまさしくその通りなのでしょう。

親鸞聖人の御教えを、親鸞聖人のお言葉に基づいて学ぶのではなく、会長先生の教えを、会長先生のお言葉に基づいて、学び、実践し、ダムを造り、橋をかける団体なのですから。

その団体では、親鸞聖人の教えを学ぶことに積極的な人間は求められていないのです。

親鸞聖人の教えに限らず、「生きる」ことに対しても、かもしれません。

「死ぬまで求道」である学問や研究はやめなければならない、と学生に諭す講師部員までいるそうです。

「親鸞会では正しい親鸞聖人の教えしか説かれていないのだから、会長先生の方針や活動内容に自分の計らい心を入れずに活動するのが、弥陀に救われる一番の近道」と聞かされてきましたし、そう自身も信じ込んでいました。

自分の頭で考えることが許されないわけです。

たしかに自分の考え(計らい)を入れてはならないのは「弥陀の御心」。

しかし、生き方を自分で切り開こうとする信念や、教えを合点しようとする心は死ぬまで必要だし、それがなければ進歩も向上もない、消極的で退嬰的な腐った人生になっていまいます。

親鸞会こそまさに「悪人製造の教え」であり、無知や無教学を勧める組織ではないでしょうか。

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投稿:事実を見ようとしなければ、一生会員を辞めることはできないでしょう。

近年、親鸞会を退会した者です。十数年前に大学生の時勧誘され、学生時代は幹部もしておりました。

このさよなら親鸞会の中にも、精神的な病気になられた方の投稿や見聞きした方の話が有りましたが、私も学生時代、色々と追い詰められ、うつ病になりました。幸いにも完治し、今は普通に働いています。

病気の時は、自殺したいと毎日のように思っていました。後輩には命は大切だ、死んではならぬといいながら、一方で死にたいと考えている。この自己矛盾に、ものすごく苦しみました。

病気の事を講師や先輩に言ったら、どんな目に会うかわからず、ずっと言えずにいました。

しかし、限界を感じ講師に打ち明けたところ、かえってきたのは、仏法をきちんと聞いてれば、精神的な病気にはならない、という言葉でした。

それまでずっと求めてきた事、私自身の存在を根本から否定された気持ちになり、もうこの人には相談しても無意味だ、と思うようになりました。そして、徐々に活動をしなくなっていきました。

学生時代にうつ病になり、それでも親鸞会をやめずにいたのは、後生の一大事などではなく、ここから離れたら周りに友人達がいなくなってしまう、という思いからでした。

学生時代に幹部として活動をしていれば、ほとんど部外の友人は出来ません。中にはそうでない方もいらっしゃるでしょうが。

私も、大学で親鸞会以外の友人とは、一人も連絡を取っていません。人間的には、確かに親鸞会の中にも素晴らしい方はいます。それを否定するつもりはありません。退会しても、付き合いを続けたい、と思う人もいます。最も、退会者とは連絡を取らないように、と言われているかもしれませんが。

問題は、教えが本当に正しいのか、わからずに聞いている人が余りにも多い、という点です。講師に、必堕無間というのはどの経典にあるのか、と質問しても、直接の根拠はない、と言ったり。信心の沙汰をしても、単なる復習会でおわり、突っ込んだ質問は講師がスルーしたり。

年配の方々で普段地元でのみ活動をしている人達は、趣味の延長でしかないようにも感じました。教えがそもそも正しいのか間違っているのか、も調べることもなく、それでいて自分達は凄い教えを聞いているという優越感に浸っているのですから、こういった人達が一番親鸞会からは離れにくいと思われます。

もしくは、教えがわからずにいても間違っていても、どちらでも構わないのかもしれません。

私が支部に在籍していたとき、この人たち本気で後生の問題を解決したいと思っているのか、幹部の立場であっても仏法伝えようとしているのか、甚だ疑問な人がいたのも事実です。

そういう人は、何を思って親鸞会を続けているのか、お布施を出しているのか。こういうことこそ信心の沙汰をするべきなのに。

私が退会しようと思ったきっかけは、教えが正しいのかどうかという疑問もありましたが、それ以上に講師や幹部会員の不誠実な対応、伝えようという姿勢の無さでした。

退会時に正本尊を返却しに支部長に会った時、口では良いことを言っていても、目はまるで汚ないものを見るかのような、こちらを見下した目でした。

その時、親鸞会を辞める決断は間違ってなかった、と確信し、未練は完全に無くなりました。

また、学生時代から聞いている方に共通していると感じるのは、自分自身を嫌い、自信がない人がとても多い事です。罪悪を責められ、指摘会合などやっていては、当然そうなるでしょう。

社会で働く上で、自分自身を信じることがどれだけ大事かは、言うまでもないことです。

親鸞会、高森会長という後ろ楯を失った時に、それだけを信じてきた人は簡単に崩れてしまうでしょう。

だからこそ、親鸞会が間違っていると薄々気づいてはいても、そこから離れられない。信心が崩壊するのが怖いから。依存した人生です。それは成長も幸せもない、惰性的な日々です。

高森会長は現在82歳。人間である以上、必ず全ての人は死を迎えます。

会員は、その事実に向き合う必要があります。

説法中には時間がない時間がないと言いながら、ほとんど続きはまた今度、と言って終わります。

いつ死ぬかわからないと言いながら、会長の死から目を背けています。否、目を背けていないと続けられないのです。

事実を見ようとしなければ、一生会員を辞めることはできないでしょう。

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投稿:親鸞会の赤い座布団

親鸞会の正本堂にある大講堂のスクリーンにいつも映っていた赤色の座布団。あの座布団が思い出された。


先日、祖父の50回忌を執り行った。実家の手次の寺は真宗大谷派で、ほとんど家族だけの法事もその寺で行った。

親鸞会の言うとおり、正信偈の解説も無かったし法話らしい法話も無かった。そんなことは予想通りだったので気にしていなかったが、ただ一つ気になったことがあった。

住職は、自分だけ座布団を敷かずに畳の上で約1時間のおつとめを行っていたのだ。もちろん、私も含め家族は座布団を敷いていた。私は、足が痛そうな住職が気になって仕方が無かったので、「座布団は敷かないのですか?」と尋ねた。

私たちに本尊の両脇にある掛け軸を見るように促して、住職は続けた。

「あちらは親鸞聖人、蓮如上人のお姿ですが、座布団を敷かれてないでしょう。だから私たちは座布団を敷かないのです」

私は感心した。そして、正本堂のあの赤い座布団が思い出されたのだ。


確かあの座布団は、正本堂が出来るときに募財が行われていたはずだ。真偽のほどは分からないが、80万円と聞いたことがある。座布団の値段はともかく、当時、座布団を置くこと自体には特に疑問にも思っていなかった。

だが、考えてみるとおかしいのではないか。

親鸞聖人や蓮如上人が座布団を使われていなかったのに座布団を使っている、とかいう以前の問題だ。

おつとめは、阿弥陀仏の前でするものだろう。「もっとも尊ぶべき」お方の前なのに、ふかふかの座布団に座っているとはどのような了見だ。目上の方の前なのに、自分がふかふかの座布団に座って出迎える人間があるか。相手に座布団を譲ることはあっても、自分が座るのは筋違いではないか。


あの赤い豪華な座布団にどのような意味が込められているのか、大事な客人の前で胡座をかいているがごとき応対にも見える以上の深い意味があるのか、聞いてみたい気もする。きっと今でも鎮座しているのだろう。

恐らく相手にされないだろうが、もし、あの金ぴかの仏間に釣り合わせるためだけの座布団ならば、思い切って撤去して欲しい。阿弥陀仏に対して失礼だと思うのだ。そして、こう言い切って欲しいのだ。「阿弥陀仏の御前で座布団を使うなんて、無上仏を愚弄している行為だ」と。


その積み重ねによって、少しは親鸞聖人に近づけるのではないか。

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PJニュース「「宗教団体」による新手のスラップか=著作権法違反容疑で警察が記者宅を家宅捜査」

「宗教団体」による新手のスラップか=著作権法違反容疑で警察が記者宅を家宅捜査(上)」という記事がPJニュースにアップされました。

他にも同時並行で幾つかの取材が行われています。

しかしこんなことをして、何かしら親鸞会にとって得になることが一つでもあったのでしょうか。

先般行われた750回忌とこの事件が、親鸞会の大きなターニングポイントになるのではないかと感じています。

追記
上記の記事の(下)がアップされました。

スラップでジャーナリズムの危機=著作権法違反容疑で警察が記者宅を家宅捜査(下)

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