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投稿:一歩踏み出せば、あとはなんとかなる。勇気を出せば未来は開ける。

いつも、さよならを拝見させて頂いています。私は今から25年前西日本の国立大学教育学部で親鸞会に入会し、大学卒業後に当時の親鸞会子供部屋に進んだ者です。大学で学んだことを親鸞会で役立てたい、未来を担う子供達を仏縁ある大人に教育したいという夢がありました。しかし現実は違いました。

元々、子供部屋はk子講師が高森家に嫁ぐ前に、子供をもっても預けられる場所を作り、結婚後も講師部を続けられるようにと設立したものです。まさに高森家からの結納品のようなものでした。

当時の本会職員は残業なんて当たり前です。子供部屋もそれは同じで昼も夜も子持ち講師の子供の保育でした。それは自分の選んだ道だからいいとしても、納得できなかったのは「どうしてあなたの目標達成できなかったの?」という講師の言葉でした。その講師の子供を一番長く保育しているのです。夜も含め1日の大半を任務に費やしいつ顕正活動しろというのか。毎日が苦痛へと変わりました 。やがて親友部制度になり、子供部屋も保育部となりましたが、上司には無条件服従、講師部の言うことは絶対でした。私は教育学士だという自負があり、自分の意見を言うと「国立大学卒業といい気になって」「上司批判する者は親鸞会で生きていけると思うな」と皆の前で指摘され、やがてそれに慣れてしまい、「私が悪い、私が悪い、私が悪い…」と思うようになりました。

そして、ある年の本部報恩講。風疹が流行していました。子供部屋は、当たり前ですが病気の子供は預かれません。そうなると当時の主婦上隊の参詣人数に関わります。そこでもうけられたのが、風疹の子供専用部屋でした。

熱のためぐったりした子供、発疹で真っ赤な頬の子供。子育て本のA医師の子供さんもいました。「ごめんなさい、先生は何もできなかった」子供たちに申し訳なくて泣きました。そしてトイレで吐きました。吐物と涙と鼻で顔がぐしょぐしょでした。

それから私は倦怠感が激しくなり、食欲が落ち、心が何もわからなくなっていきました。ぼんやりして、すべて悲観的でした。鬱病です。

保育部はやめました。保育部を辞める時「あいつ(私)とは接触するな」と言われた人もいます。当時、婚約していた現夫にk子講師が「彼女のことどれだけ知ってるの?」と言ったそうです。それから一会員としての活動が始まりました。しかし相変わらず鬱病への偏見はありました。「心の病は求道が曲がっているから」「気持ちの問題」何度言われたかわかりません。心療内科受診の日に(予約)「今日は活動どうしても休めないの?」と言われました。会合時は皆の前で「○○さんわかってる?」と必ず数回聞かれます。鬱病は理解力がないわけじゃないのに。偏見の中で疲弊してしまい、ある朝、発作的に行動を起こしてしまいました。睡眠薬自殺です。しねませんでした。親鸞会の人間は何人かこのことを知っていましたが誰も電話ひとつ葉書ひとつありませんでした。かと思えば金の無心にやって来るのです。親鸞会の冷たさ、厚かましさ、正体見たりでした。

やがて、親鸞会以外の本を読むようになりました。親友部にいた頃には考えられないことです。重松清に感銘を受けました。やがて映画やミュージカル、音楽、美術に心が少しずつほぐれていきました。

今、介護の仕事をしています。昔なりたかった教職ではないけれど必要とされている満足感は何物にも替えがたく、充実しています。今ヘルパーの資格を持っているのですが、1月の介護福祉士の受験に向けて勉強を始めました。

9月12日満月の日、家族皆で月をみながらお団子を食べました。幸せだと思いました。

ぶるうのさん、ありがとうございます。そして親鸞会で悩んでいる人たちに、一歩踏み出せば、あとはなんとかなる。勇気を出せば未来は開ける。私はそう伝えたいです。

最後に、私の好きな「嵐」の「サクラ咲け」という歌から

―振り向くな 後ろには 明日は無いから 前を向け―

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コメント


厳しい現実だと思います。絶対服従というものがあるから、おかしな問題が次々と起きるんです。
何度もこのさよなら親鸞会であがってるが、高森さんの側近がなくなられて息子夫婦に権限を持ち始めてからさらに組織の崩壊が加速していったんです。
親鸞会には顧問会計士もいます。
収支をきっちり報告して、財政状況をよくする方法をアドバイスできる人材のはずです。
絶対服従という「弊害があるためでできないんですね

投稿: | 2011年9月16日 (金) 18時41分

親鸞会の組織はいまだにバルブ時代のままです。

今の社会問題は少子高齢化です。

これは紛れもなく事実なんです。

収入が減り税金だけが増える。

ご報謝しようと思ってもできない。

投稿: | 2011年9月16日 (金) 18時43分

投稿を読ませて頂きました。
大変な苦労をされましたが、現在は幸せそうで良かったですね。
関西の朝の番組で( 前の司会が山根さん ) 様々な人生をコメントして、クイズをするのですが、山根さんの言葉 ( 人生にまわり道はない、過去の苦労があるから現在がある )でした。しかしと言えばよいのか、やっぱりと言えば良いのか、ですが、さすがに高森さんの昔の側近はK子さんの正体、実態を読まれていました。以前のコメントで(側近がまゆをひそめる相手でした。)とコメントしました者ですが、詳しくは問題があるから書けませんが、高森さんの側近の先見の明を認めます。
最悪て最低、極悪で非道のk子さんです。
k子さんは、私もM晴さんと結婚する前から知っています。
顕正新聞にも、( 母の手ひとつで育てられ・・・・・が掲載されていました。K子さんのコメントもありますが、評判が悪いですね。
この性格の悪さは生まれつきですから、直しようがありませんが、本人も直す気持もないでしょうかね。

投稿: | 2011年9月16日 (金) 18時59分

カルトに児童虐待はつきもの。子供係は創価学会でいう未来部だろうか。
でも子供係はそのうち必要なくなると思います。親鸞会人はワープアのような生活なので結婚を犠牲にする人が多いと聞くからです。

投稿: | 2011年9月16日 (金) 19時00分

顕真学院を売却すれば、資金できるだろう

投稿: | 2011年9月16日 (金) 20時45分

親鸞会は正しい仏教の知識のある人や社会常識のある人には相手にされません。だから、まだ何も知らない若者をターゲットにするのです。大学のカルト対策が充実することが望ましいですね。親鸞会の呆話では仏教のイロハも説かれていないと気づけば悲劇は防げます。

投稿: | 2011年9月16日 (金) 20時54分

みんな親鸞会の表の顔にだまされ、裏の実体を知って辞めていきます。
どんな組織にでも多少は裏表がありますが、親鸞会のはひどいですね。
会長を頂点とするカースト制。上司の命令には絶対服従。
会長と一族のわがままを通すためだけの理不尽な命令の数々。
人格を否定されます。道具か家畜。

投稿者の方もそうですが、まじめで立派な志をもつような人から
つぎつぎだまされていくことが、私には残念でなりません。
こういう方たちは辛抱強いのがアダになって
親鸞会のような矛盾・エゴで塗り固められた組織に長居してしまうんでしょう。

実態がわかったとき、狂気のうつばりがはがれたときの衝撃はいかばかりでしょうか。

このような被害者の出現を少しでも防止し、苦しむ現役会員の人、
誤った道へ誘導されているのに気づかない人を一人でも多く救済するのが
さよならのようなサイトの本願ですね。

投稿: | 2011年9月16日 (金) 21時42分

もっともっと裏情報を伝えてきいます

投稿: | 2011年9月16日 (金) 21時44分

親鸞聖人を宗師とするお寺のへいの黒板に説法。
( どれだけ正しい地図を持っていても、現在地がわからなけば目的地には行けない。)
親鸞会の目的地案内人は、高森顕徹さんです。過去に全国で高森さんの説法がありました。
車で会場を探して行くのですが、行ったこともないで土地ですから、迷いその土地の人に聞く場合もありました。
たいてい親切に教えて頂けますが、それは教える人が場所を知っているのが前提になります。目的地が浄土真宗の信心決定の境地としたら、信心決定していない浄土真宗の指導者は、人を信心決定まで導けないと判断するのが普通です。
高森さんは信前であるのは、さよならのコメントをみたら一目瞭然です。信前の身でありながら、信心決定した先生の書籍から、信後境地の文面やら歌などを盗作して、信後のマネをして、法施は盗作、お布施は会員の人生そのものを親鸞会に差し出させ高森一族で有意義に使い、贅沢の金に困れば会員にたかります。
こんな人に存在価値があるのでしょうか。

投稿: | 2011年9月16日 (金) 21時49分

おれも学生の身でありながら、先輩にものをよくいったよ。
中にはプライドがたかいやつもいたし、反論できないようなことも言った。
子供部屋の話もありますが、子供部屋の責任者に必要なのは講師の肩書きじゃない。きちんとしたしつけができる人、子供が好きな人です。

息子夫婦は失格

投稿: | 2011年9月16日 (金) 21時54分

廃人生産機、親鸞会

投稿: | 2011年9月16日 (金) 23時50分

親鸞会が原因ではないですが、鬱病の一歩手前までいきました。自分の中では鬱病を否定していました。「まさか、自分が」という思いからです。でも、周りから見れば異常だったんでしょう・・・メンタルヘルスを受けることを勧められ、病院に行くことを勧められ、半ば強制的に仕事をセーブするようにと上司に言われ、残業すると怒られる…すべて、一般社会の、会社の中の出来事です。
親鸞会の人々が全否定する、"世間ごと"です。
どちらが人間らしく、思いやりがあるのか・・・一目瞭然ですよね。

高森家の人々には、鬱病なんて関係ないでしょう。
言い方悪いですが、鬱病になることもないでしょう。
そこまで、追い込まれること無いですから。。

投稿: | 2011年9月17日 (土) 00時17分

痛ましい話ですね。私は以前うつ病の新入生の話をした者ですが、当時のことを思い出してやるせない気持ちになります。幸い私は罹患せずに済みましたが、例の新入生のほかにも罹患してしまった人を何人も目の当たりにさせられました。PTSDやモラ・ハラによるノイローゼ前兆といったものまで含めると、かなりの数になります。お陰でメンヘル関係のことを勉強せずにいられなくなったものですが、プロに掛かり、周囲の理解が得られるということがなければ知識があったところでなんともなるものでなく、無力感ばかりがのこりました。

一応言っておくと、これらの人たちを受け持つ立場にあった学生部(いまの学友部)の幹部、担当講師といった人たちは、k子氏のようないわゆる悪人とは違い、まじめで、厳しいなりの優しさを持っている人でした。(彼はこちらでも名指しでそのように評されたことがあります。)私もそれはわかっていたので、こうした悲劇が起こるのは、かれらの理解が足りないからだと思っていました。なにしろ世間知らずな人たちでしたから。それで私はメンヘル関係を勉強し、事あるごとに幹部たちにもそういう話をしました。説得するつもりで。そんな日々の最後に現れたのが、例の新入生でした。

しかし、前にも書いたように、それは痛ましい帰結に至りました。いつものように。ただ、以前とちがったのは、その時期の反省会合の記録から、わたしの説得が「後ろ向き発言」と曲解されていたことがわかったということです。そして、私の話を理解していた数少ない後輩がそのとき、「空回りしていますね」と言いました。たいへんな衝撃でした。いままで自分がしてきたことがすべて空振りだったことがわかったからです。

同時に、そのときようやく解ったことがあります。いわゆる温和でまじめな幹部/講師であっても、正しい知識を持とうとせず、歪んだ正義をふりかざすような人には説得も無意味になると。k子氏のようなわかりやすい悪徳講師だけでなく、こういう普通の幹部/講師こそ危険であり、また許されるべきでないのだと。正しい知識、正しい認識を持とうとしないこと。単に無知なのではなく、そもそも知ろうとする意志をもたないこと。それは許されるべきでない不作為であり、それによってかれが誰かを傷つけたとしたら、そのとき無知は免罪符にならないと。なぜなら、知ろうとしなかった彼が無知によって誰かを傷つけたとしたら、知らないことそれじたいに責任がある(!)からです。

それ以降、私は親鸞会の幹部および講師部のことを、ひとりひとりの人格云々にかかわらず、全否定することにしました。すべてを歪んだまなざしで見て、無知と不作為、および作為によって人を傷つけ続ける体質。その存在自体が暴力だと思いました。これが私の脱会理由です。ただ、いまもってやり残した感覚は残りつづけています。かれらの犠牲者は後を絶たないのですから。

投稿: | 2011年9月17日 (土) 01時17分

風疹の子供部屋…(((((( ;゚Д゚))))))ガクガクブルブルガタガタブルガタガクガクガクガクガク
会社ならば子供が病気の場合、看病のために休むことも当たり前に認められるものだが、親鸞会では「子供が病気なので、看病のため活動と聴聞を休ませてください」という常識が通用しない。普段の行事もなかなか休むことなどは認めてくれないが、特に本部報恩講など規模の大きな行事になれば参詣目標も設定されることから普段の行事以上に欠席は認めてくれない。
「当時の主婦上隊の参詣人数に関わります。」と書いているけど、親鸞会にとっては子供の看病のことなどどうでもよくて、会員の参詣目標達成のほうがはるかに重要で関心の高いことがよくわかります。

なんの行事であったか記憶は定かではないが体験発表で「子供が病気で、仮に看病しようとすれば聴聞に参詣ができない。しかしながら聴聞の機会を逃せば、後生の一大事を解決できないかもしれない。そこで病気の子供をおいて聴聞に参詣して帰宅したら子供が亡くなっていた。」「わが子が亡くなったのは“無常の風が迫っている”ことを知らせるための、わが子からの説法とおもわずにおれない、だからこれまで以上に活動に励みます」という趣旨のことを語っていた女性会員がいたことを記憶している。
これもK子がその会員に対して「子供が病気だろうが看病で活動休むな」と言ったとか、だれか投稿してなかったっけ?

投稿: しょぼーん | 2011年9月17日 (土) 02時26分

>高森家の人々には、鬱病なんて関係ないでしょう。
> 言い方悪いですが、鬱病になることもないでしょう。
> そこまで、追い込まれること無いですから。。

いやいや高森家の人々は「追い込まれる側」ではなく「追い込む側」でしょう

http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=8967503
に「人の災難を喜ぶいじめっ子の脳」という記事が掲載されている。会員を支配して自分に従わせる、子供が病気だろうが看病を理由に参詣を休むことなど認めない、看病も認められなければ当然不安に思うものだろうがあえて不安感情などの苦痛をあたえる。子供以外にも会の活動は非常に多くの苦痛を伴うものだ。講師は「苦しくなければ活動しているとは言えない」と言っていた。
最近では人を支配したり、苦しめることで快感を覚える脳を持っているのだろうと思えるようになった。

投稿: しょぼーん | 2011年9月17日 (土) 02時46分

学生部も激しい活動に対して両親や兄弟が反対するケースはよくあるのだが、女性会員も活動に対して家族が反対するケースがあるときいている。
遠方の聴聞に子供を連れていく、たとえ子供が病気であっても看病よりも活動を優先させる、子供が小さいのに遠方の行事に参加させる、幼稚園や小学校でクリスマスなどの他宗教の行事があれば「邪教の行事」と称して参加させない、など世間からみればとうてい理解できないことが多い。

当時学生の自分でさえも遠距離の夜行バスに揺られて聴聞に行くのは体力的には正直つらかった。小さい子供にとってはより負担が大きいのではないか、休みの日ならば、友達と遊んだり、親に遊園地に連れて行ってもらったりしたいのではないかとよく思ったものだ。

家族から親鸞会の活動に反対され離婚を迫られるケースもあるときいている。エホバの証人でも正月やクリスマスなどの行事を「邪教の行事」と称して子供に参加させない、子供を活動に連れて行くことに反対して離婚を迫られ裁判でも離婚を認められたケースがある。親鸞会でも仮に離婚訴訟になれば、離婚を認められるケースは相当あるのでないか

投稿: しょぼーん | 2011年9月17日 (土) 03時16分

子供が病気なら絶対に親は入院以外近くにいないといけない。
常識です。

投稿: | 2011年9月17日 (土) 04時12分

宗教上の行事のことは、子供に参加させないなんてことをさせるのは論外。 例えばクリスマスなんてキリストの誕生日を祝うより、ケーキを食べたり遊ぶことが目的でしょうが。 初詣なんて意図も理解していない身分やから。

投稿: | 2011年9月17日 (土) 04時22分

投稿者さんの真面目さを感じます。
私も投稿された時期も会員でしたから、会場でスレ違っていたと思います。
親鸞会組織が学生の勧誘に力を入れる事情が理解出来ました。一度社会人としての経験があるなら、ある程度の責任問題を視野に入れて判断しますから、親鸞会としては、扱いにくい存在になります。
社会では責任の追求は常識であり、会社組織での上司の指示で動いての結果の責任は上司ですが、親鸞会組織では、指示者より指示されて動いた者に責任が(問題発生時)
有るみたいですね。
高森説ご都合教と思います。
親鸞会の通達が指示がお知らせで動いていたら人生が破壊的な打撃を受けて、人生が崩壊するのは社会人なら理解しても学生は、理解力がないのですかね。投稿者さんも学生部から親鸞会の職員に進まれて、理想と現実の差の大きさに愕然とされ、自身の甘さを感じられたと思います。
社会人なら親鸞会、講師の指示に対して、その最終的な責任の所在について考えます。
まれに考えない人もいますが、大半考えますから、大事に至りません。
まあ、今後も現役会員さんにアドバイスをして、一人でも多くの会員さんに目覚めて頂きましょう。

投稿: | 2011年9月17日 (土) 05時56分

指摘会合、指摘○○、なる場には、幸いに遭遇したことはありませんが、何となくここで洗脳が増幅されていく気がします。

それと指摘・・=Mハルを連想してしまいますが、似たもの夫婦であることを今回初めて知りました。

こんな似たもの同志には成りたくないもの。そういえばこの二人とも、すれちがいざまには、傲慢さというか(虎の威をかるというか)癒し系とは真逆の雰囲気を醸し出していましたね。中味が外見に現われるというか!

ただでさえ、トップからがクレイジーな組織の中、日々ある意味緊張した空間にドップリつかっていると、世間から見れば一目で分かる異常さにも気ずかないんでしょう。

好意的な意見を殆ど聞いたことの無いこの夫婦、もっとも親からにして、「息子をあまりいじめないでくれ」と言っているくらいのようですから、結局この夫婦を諌めれるものがいないということですね。

他にも、投稿者の方のような苦しみを味わった方が、多くお見えでしょう。しかしこの一族は結果的に見て見ぬふりで、ノルマ、金、人、組織維持優先。

一族がどう言おうと、今のなりふり構わぬ、実態が如実に物語っています。
この社会悪組織を無くするには、反骨出来る講師らが手を組んで立ち上がれば大きなインパクトになるんでしょうが、言うは易し行うは難しですね!

投稿: | 2011年9月17日 (土) 08時06分

親鸞会講師で現在脱会できる状態なら750回忌を求道と称する思い出として、高森一族御用聞きの職を辞して、親鸞会員を去りなさい。
それがあなた自身の為であり、社会の為です。親鸞会組織で生き残ろうとするならば、とても会員の生活と経済状況など考慮してなどできません。
求道と称して会員の人生を破壊する権利は親鸞会に限らず、存在しません、
存在しない真実を知る為に、あなたは親鸞会講師となり、現在まで会員の人生を破壊してきたのですから、今後も宿善を求めたいなら、駅の掃除とか、街のゴミ拾いとかで宿善を求めなさい。

投稿: | 2011年9月17日 (土) 08時08分

一般社会では、例外を除き会社の組織内で起きた不惨事は、本人はもちろんだが、その会社のリーダーの責任です。内容によっては、減給であったり、左遷なり、辞任なりあることです。
しかし、しかし、しかし、親鸞会は親鸞会内部で起きた問題は親鸞会のリーダーは一切責任をとらず、責任あっても責任転換し、当人の責任です。

投稿: | 2011年9月17日 (土) 08時13分

会費なんて滞納し、法話のご報謝もおさめなくていいよ

投稿: | 2011年9月17日 (土) 08時16分

指摘会合をやる意味を教えてもらいたい。
質問状を送ります。
指摘って悪いことしておこられるならまだしも、個人の性格をしてきするみたいやからな

投稿: | 2011年9月17日 (土) 08時18分

指摘会合はよく聞きますが私の会員時は有りませんでした。
講師の不祥事で類似した会合はあったと思います。
親鸞会のレベルで推測するならば、指摘会合とは、高森一族が気に入らない講師を合法的に難癖に権威を持たせたと推測します。
ヤクザは腹が立ったら、殴りつけ、殴り終わってから殴った理由を考えます。極悪夫婦のMKコンビも○○講師は生意気と感じたら、まず指摘会合に呼び出してから、指摘する内容を考えるのです。
その場の主導権は完全に極悪夫婦のMKコンビですから、味方は一人もいませんから、精神的に追い詰められます。
難癖を合法的な権威て隠したのが指摘会合の正体ではないでしょうか。

投稿: | 2011年9月17日 (土) 08時46分

指摘会合の目的は、その人のプライドを粉々にして、組織に忠誠を誓うロボットを作り上げることですよ。支部ではあまりないと思いますが、学友部では幹部以上ではよくやっていました。今でもあるんですかね。

投稿: | 2011年9月17日 (土) 08時54分

過去の悪行を徹底し手洗いださないといけないね。

投稿: | 2011年9月17日 (土) 09時40分

親鸞会を辞めたら仏法聞けなくなる、後生の一大事の解決が出来なくなる、目的のない人生になる、と思うから、どんなひどい事をされてもやめられない。
本当は逆です。
親鸞会にいるから仏法聞けない、後生の一大事の解決が出来ない、目的のない虚しい人生になる。
高森一族に奉仕しても仏法にはなりません。

投稿: | 2011年9月17日 (土) 09時49分

息子夫婦は、本当に人望がないんだね。

以前は息子だけやったが、嫁さんまで批判されてる。批判されるにはそれなりの理由があるが、私も、学友部出身だが、学生担当講師にはそんな人はいなかった。息子夫婦よりはまだましだが、大学のリーダーや親鸞会職員、一部の学生にはいたけど。人間性に問題ある人は案外、口にだすか出さないかで、みんな同じようなことを思っているんだよね。

投稿: | 2011年9月17日 (土) 10時00分

平気で人を傷つける体質はどこから来て、なぜ講師はひどい言葉を使うのか。

思うに、
・「無上の」や「絶対の」という言葉に感覚が麻痺して、どれだけ何を言って も良いと思っている。
・以前に誰かから同じことを言われている。

理不尽だと思われる言葉のひとつひとつにルーツがある。
誰かが勝手に作り出して、言って、「このくらいなら言ってもいい」
と全国に広まって、個人の主観がまるで唯一の道みたいに伝えられる。

最近の記事のように、いくつも理不尽な言動が明らかになると、その
ルーツが見えてくると思う。
「傷つけられたあの講師のこの発言はここから出てきたのか。」と。
幾つか自分にも思い当たるものがあった。

たとえば
・「この額では君の後生が心配だ」
・「○○さん、わかる?」と繰り返し聞く
・「出すもの出さないと真剣に聞けないでしょう。」など

その他自分が聞いたことは
・「今の苦しみに耐えられないものは地獄の苦しみに耐えられない」
・「破邪顕正しないと信心決定できない。」
・「人に迷惑をかける生き方はよくないぞ。」
・「何回地獄に堕ちても堕ち足りない」

もっときついのもあるんじゃないでしょうか。
その出所がこれから分かるのではないかと期待します。

投稿: | 2011年9月17日 (土) 11時01分

親鸞会によっていかにたくさんの人が迷惑してるか?
学生ならば、留年、中退、学業放棄、お金、過労死、家族崩壊、健康問題、大学との関係。

社会人ならば、結婚、離婚、お金、休みの問題、家庭、子供の問題、

立場や地域性の問題があるが、あげたらきりない

投稿: | 2011年9月17日 (土) 11時48分

親友部、講師部、職員の問題。

一般企業を定年退職された人は除いて。

年金問題、健康問題、何かの事情で職員やめたあとはどうするか?
収入、子育て、生活費など

投稿: | 2011年9月17日 (土) 11時58分

親鸞会組織で孫の代まで生活が保証され安泰なのは高森一族のみです。
血縁関係のない組織人の老後については、親鸞会及び高森一族とは無関係です。
講師になるなら相対的な世間一般の幸福を捨てて望んだ職業ですから、どこで臨終を迎えるのも自己責任と思います。
高森一族からは、(親鸞会講師として宿善を積めたのだから、次生で良い事があるぞ) だけ。それで十分とおまわれます。

投稿: | 2011年9月17日 (土) 13時13分

後生が救われるのだから、今生は過酷で悲惨でもかまわない・・・そう刷り込まれるんですね。

それでは今生がもったいない。

会長と一族だけは今生はユートピア(後生はどうなるかわかりません)。

なんかおかしいぞ~・・・そう思うあなたは正常です。

投稿: | 2011年9月17日 (土) 13時52分

講師を死ぬまで続けるのは無理です。
若くしてなくなられたかたもいますが、ほとんどは60、70までは普通は働くやろう。
何かの事情で講師をやめることもあると思います。 じゃあ将来収入がなくなり、年金ももらえなくなったらどうなるんですか? 寝たきりになるかもしれないし、病で倒れることもある。一般社会ではたらいてるならまだ救いはある。

投稿: | 2011年9月17日 (土) 14時04分

高森一族は何の知識もない

投稿: | 2011年9月17日 (土) 14時05分

人に迷惑をかけてはならない

息子夫婦にそのまま返してやる

投稿: | 2011年9月17日 (土) 14時30分

講師や職員の場合は、本人が辞める気がないんですから、他人が心配してもどうしようもないと思いますよ。組織内部では奴隷同然で、組織外部からはカルトの一味として非難されても、本人が幸せを感じているんですから救いようがありません。ましてや彼らの老後の心配なんてしてあげる義理はありませんよ。

投稿: | 2011年9月17日 (土) 14時33分

マインドコントロール解かないといけないね。

学生が講師になりたいと親に勘当された話があるが、これもマインドコントロールなんだよね。
その場合は学費をすべて返して結婚してからという条件にしたらよい。
子供が文句を言う必要ないし三年で返せるしね。
そのうちにマインドコントロール解かれる

投稿: | 2011年9月17日 (土) 14時41分

講師の老後については、私もですが想像の域はでません。
なぜなら親鸞会が結成されて50年であり、本格始動は小杉の新本部以後としても、現在平成23年です。
23年前後で講師になっていても、多数の講師が50歳ー40前後です。
年齢的にもまだ働き盛りです。親鸞会結成100年なら、年老いた講師の末路も知らされますが、まだ親鸞会に歴史がありません。 が。
高森一族が親鸞会に人生を捧げたから、捧げた講師の死に水まで、面倒見るとは思えません。それよりも、講師歴も長く息子が暴走族を引退して19歳で講師の道に入り、滋賀会館で住み込みをやりだしたのですが、当時滋賀会館で息子を指導教育したのは、泉講師でしたが、現在の泉講師はどんな扱いと待遇になっているのでしょうか。
泉講師の現在を知っておられる方は、コメントで教えて下さい。
泉講師の扱いが将来の講師の末路であり、息子の育ての親ともいうべき人以上は望めないと思います。

投稿: | 2011年9月17日 (土) 17時23分

親鸞会講師は60越えたかたもいますが、収入があった時代の講師ですから、まだなんとかなると思います。指摘の通り40、50の講師は働き盛り。しかし、自分だけじゃなく、子供の学費で金がかかりますし、親の面倒を見なきゃならない人もいるだろう。講師になったからってすべてが順調にいくとは限らない。
しかも収入のない講師たち。生涯講師部とはいえ、息子みたいに桁外れの収入あれば話は別だが、そんな収入はない。 80、90になれば自分の体と将来を真剣に考えないといけない。
親鸞会は世話しないからな

投稿: | 2011年9月17日 (土) 17時32分

親鸞会NETで本願寺門主の「50年後はどうなる」発言を取り上げて、本願寺は50年後が不安、それに比べて親鸞会は(将来安泰?)と述べられていますが、まったくお笑いですね。親鸞会の場合、10年後はどうなるか分かりませんし、50年後にはまず存在していないでしょうから。ま、プロパガンダなので事実なんかどうでもいいんでしょう。
将来は会長が死んでも気づかない一部の学徒を相手に、ほそぼそと搾取を続けるんじゃないですかね。大半の講師は組織に残っても生活できなくなるでしょう。ただし繰り返しますが、彼らがどうなろうと心配する必要も同情する必要もありません。自分自身で選んだことですからね。

投稿: | 2011年9月17日 (土) 18時06分

まだ崩壊しないの?
もう3年以上関わってないが、今の状況はどんな感じ?

会長の歳が歳だけにもうそろそろかねぇ。
今何歳だっけ?84ぐらい?

投稿: | 2011年9月18日 (日) 01時48分

過去の回想で残念と感じるのは、小杉新本部の建立が親鸞会の分岐点と思います。
親鸞会が組織全員が一枚岩となっての建設でした。
小杉以後に高森さんが会員の苦労に感謝したなら、暫くは建設を控え会員の経済的負担を軽減を前提とした配慮をしたなら、会員は数万人を越えていたとも思います。
高森さんは、これでもか、これでもか、と金を集めて会員を追い詰めました。親子で不祥事もあり会員が激減したらしいが、もう親鸞会最盛期の会員数には戻りませんね。現在の会員数の維持すら危なくなっているのでは、

投稿: | 2011年9月18日 (日) 06時55分

勇気を出して親鸞会を脱会するとしても、現役会員の目的がそれぞれです。
人間関係を目的でしたら、脱会は難しく、教義、教えが目的なら高森さんの盗作で正体は見破られましたから、多数の会員は高森さんを見限り脱会していますから、それでも会員を続けるのなら教えは、盗作でもいいとした会員さんですね。
親子で会員に恥をさらして、親として愚息を守りました。
高森王国だから押し通して、摘発した講師には、(和合僧を破って楽しかったか)と難癖を言いて脅しつけ。もしその場に、真実のみを求める講師がいたなら、高森さんを相手に怒鳴れる講師が一人でもいたなら・・・と残念に思いましが、最高権力者の高森さんですから、高森さんに言葉を返すのは無理ですね。
その場に出席した講師は、高森さんの判断を認めたのです。
自分に嘘をつき、会員に嘘をつき、それだけで脱会は無理ですね。
現役講師さんは、高森さんの言い付けを守りまして750回忌には、多数の会員を導きなされませ、自己の保身の為に。

投稿: | 2011年9月18日 (日) 08時40分

親鸞会が崩壊した理由わかりますか?

ネットや何名かの講師を除名にしたことをあげる講師がいたならば、
因果の道理をわかってません。

投稿: | 2011年9月18日 (日) 10時55分

高森恭子さん・・・
顔と名前は知っています。ガタイが大きく厳めしい顔した方ですな。
姓が高森なので親族なのはわかりました。
私が在籍してなのは大昔ですが、まさか光晴の嫁さんとは思いもしなかった。
コワモテ夫婦でしかもどちらも利己主義で嫌われ者ですか。
笑えますな。
まあ後継者ならば顕徹氏みたいに「高潔な人格者」の芝居くらいはしておくべきだったでしょうな。
あれだけ末端信者にまで直に自慢話をして威張り散らした挙げ句では後継者として誰が良く思いま
すか。
とりあえず今のところは坊やは良い子に育ったのでしょ?
よくは知らんけど周囲の学院長とかの見え透いたおだて話は聞いているが、本人は威張ってるわけじゃ
ないんだろ?

投稿: | 2011年9月18日 (日) 11時35分

>>泉講師の扱いが将来の講師の末路であり、息子の育ての親ともいうべき人以上は望めないと思います。

泉講師・・・
親鸞会の某施設の館長という肩書きで閑職についているとどこかにありましたな。
年齢的にもまぁ無理のない立場ではあるのだろうが。
住む場所の提供を受けて、金額は知らんけど普通に喰えるだけの給与はもらってるだろうね。
将来の保証云々は分からんが、泉さんくらいの世代の講師は年金の受給もあるんじゃないかな。
旧一講といえば黎明期の大幹部。数少ない大幹部も大半は失脚したなか、生き残っても閑職。

講師の末路に同等の立場が期待できるか???
全くを以てあり得ないな。
会は給与出さない、自分で喰っていけと言う。
しかし年金や国保すら納められない者が大半。
今後は会の財務状況に伴い厚生福利はますます悪化していく。
泉さんの閑職である「館長」というポスト自体いつまで続くことか。
もうまるで組織ごっこ遊びの世界。

投稿: | 2011年9月18日 (日) 11時55分

泉講師の世代は年金は納めてるから心配してない。

投稿: | 2011年9月18日 (日) 13時38分

高森夫婦。
奥さんは面識はないけど、ガタイは大きかった。

投稿: | 2011年9月18日 (日) 13時44分

職員や講師も定年をもうけた方がいい。
定年儲けて、職員や講師の生計もみていかないといけない

投稿: | 2011年9月18日 (日) 13時46分

こんにちは、私は投稿者です。たくさんの温かくも鋭いコメント、有難うございます。ルール違反かもしれませんが、MKの子供さんの話がでたので、コメントさせて下さい。

会長の孫(以下孫)は小学校一年になったとたん、父母の隣で最前列で聴聞していました。じっと、正座を崩すこともなく。おかしいと思いませんか。小学生の男の子ですよ。遊びたい、走り回っている年頃ですよ。しかも全国ツアーですから、友達とも遊べません。学校の土日の行事もすべて欠席。友達と過ごしたい時期に、孫はそういう生活でした。


一方、子供部屋では、乱暴君でした。いろいろなことを彼なりに発散させていたのでしょう。注意すると「お父さんに言うぞ」でした。確かに、孫の子供部屋でのことについて外部に言ってはならないことになっていました。MK夫婦に迷惑かかるからという理由です。アーチャリーが、MK夫婦と自分の子供が一緒にいる所を指して「親鸞会はあの子たちを中心にまわってるのよね」なんて言ってました。


周りの視線にも敏感でした。「会長の孫」という視線にいつもさらされていますから。弟妹をかばいながら「ジロジロ見るな」と叫んだこともあったようです。


当時の総参謀は座談会では我が子

投稿: | 2011年9月18日 (日) 13時59分

孫の話は、難しい。 確かに、会長の孫っていう見方もあるし、彼らも毎週毎週全国法話に行かされ、友達と遊べないのも人間形成に影響されます。
会長、親、兄弟がいたら大概は人間形成はできるが、親の影響でストレスもあるでしょうね。

早起きは健康にいいっていわれるが、それはストレスがたまらず夜はやくねる人にたいしていえること

投稿: | 2011年9月18日 (日) 14時17分

再び投稿者です。途中で切れてしまったこと、ご容赦下さい。


総参謀座談会では我が子自慢でした。いかに素直で聡明で真剣に聴聞しているか、邪教に対して潔癖か。「○○くんの気持ちをわかっていないなぁー」と思いました。


誰もが、孫は講師になると思っていたでしょう。しかし、違う道を進んでいるとか。少しホッとしました。どこまでも、自分の足で歩いて下さい。先生の願いです。

投稿: | 2011年9月18日 (日) 14時28分

<自分の弱さに救われた>
投稿者の体験に照らし合わせて、私自身の脱会プロセスを考えてみると、異なる部分がただあります。私の場合、それほどドラマチックではなかったし、親鸞会に在籍した20年間において同会の活動に積極的に参加したのは最初の5~6年間だけでした。それまで所属していた弘宣部を離れてからの約14年間は、親鸞会に対する失望感もあって、いわゆる「名前だけの会員」という立場で過ごしました。親鸞会に失望した割には、14年間も会員であり続けた理由はなんでしょう。それだけマインドコントロールから解放されるのに時間がかかったことを物語っています。
親鸞会に一度ハマるとそこから抜け出せない経験、脱会者なら誰しもが味わっている筈です。
先に述べたように、最初の5~6年間は親鸞会の活動に積極的に参加していました。しかし、自分の内向的な性格からして、あの過激さにはついていけず、落ち零れていきました。マインドコントロールにまだ支配されていた頃の私は、「自分は落ち零れた!」との思いで自分を責めていました。
現在、親鸞会をより客観的に見るようになって、ふと思うのは、「もし脱会していなければ自分はどうなっていただろう」と。40~50歳になってですよ、親鸞会にどっぷり浸かっていて、暴走する高森会長に人生を預けていれば…。
親鸞会についていけなかった自分の弱さが、結局、自分を親鸞会・高森会長から救ってくれたのです。必ずしも弱さが欠点ではないことを学びました。
弱さには、人間本来の良識が秘められているかもしれません。

投稿: 元弘宣部職員 | 2011年9月18日 (日) 15時40分

弘宣部では毎日どういったお仕事をしていらしたのですか?過酷な労働条件でしたか?

投稿: | 2011年9月18日 (日) 16時14分

孫で思い出しましたが、会合が終了してから講師がテストをすると言い出して(青年部長のお子さんの名前を書け)でした。 答案用紙をあつめてから、○○ちゃん、○○さんで正解です。○○だけでは、間違いではありませんが、間違いと思って下さい。
私は青年部長の子供に興味もありませんから0点でした。
そこまで講師はゴマをすりたいのですね。
講師は投稿でよく名前のでる講師です。
会員歴30年の会員さんに言ったら、笑われました。

投稿: | 2011年9月18日 (日) 16時20分

弘宣部仕事って言わなくてもわかると思います。

ただ残業の嵐。弁当屋はもっと酷い。

投稿: | 2011年9月18日 (日) 17時23分

親鸞会に働けば年金はありません。年金問題より後生って、後生も大事だが、年金問題も大事。

大学卒業して、一般社会で働く人はそこまで考えてる。
年金問題だけでなく、ストレスだとか、親とかいろんな問題を解決しないといけない。

投稿: | 2011年9月18日 (日) 21時11分

よくあったのが、何かをやるときにできない!って言うと後ろ向きにとられて怒られるんだよね。

べつに手を抜いてる訳じゃなく、相手に迷惑をかけてはならないから発言してるのにだよ!

投稿: | 2011年9月18日 (日) 21時14分

カルト信者は仏教系だろうがキリスト教系だろうが、「年金や保険がなくても私たちは幸せです」という電波発言をものします。
親友部だけはかろうじて年金はあるようですが、講師部は無収入なのでおそらくこの先は大量の無年金者が発生すること必定ですし、弘宣部(私は親鸞会のことは詳しくありませんが、これは講師部とは違って宣教の仕事のみをする部署でしょうか?)でもたぶん講師部と同じように無収入なのでしょうね。親鸞会はカルト新興宗教の中では決して大規模ではないのですが、この教団だけでどのくらいの無年金者が発生するかを想像すると気が遠くなりそうです。

投稿: | 2011年9月19日 (月) 09時33分

弘宣部でも年金あるの? 相当な安月給やろ?
収入いくらか教えてよ!

投稿: | 2011年9月19日 (月) 19時06分

知って、どうする

投稿: | 2011年9月20日 (火) 12時51分

この投稿者の方は相当苦しんだんだろうが、自分もS会のことを思い出すと
気分が悪くなる、退会して3年目になるが、思い出さない日はない。
ものすごい時間を無駄にしたという後悔もあるし、仏教の名のもと他人を
少なからず傷つけたこともある、一生こうした思いをひきずっていくんだろ
うと思う。善を標榜する団体ならば、少なくとも傷ついている人がいるのは
事実なのだから、本当に反省すべきところは反省すべきではなかろうか。
仏教を聞いていない人が作り出した社会に生き、その中で恩恵を受けて生活
しているわけだから、少なくとも感謝の心があってしかるべき、なぜ退会者
が非難しているか、まったく自分たちだけが正しいなんてことあるわけが
ないのに・・・

投稿: | 2011年9月24日 (土) 19時16分

↑同感です。

投稿: | 2011年9月25日 (日) 11時06分

すみません、死のうと思って検索してたら親鸞会に当たって、

こちらのサイトにたどり着きました。

幸せって何だろうなって思います。

人に必要とされることって良いことだったなぁって思い出してます。

私はへたれなので会社にしがみつき、

くだらない上司達にガマンをし続け、

やっとなんとかガマンが薄らいできたときに、

リストラともいえない経営者の交代で仕事を失いました。

それでも何とかなるような変な期待を随分していたため、

なんともならないことに気がついたとき、

残されたのは焦りと恐怖だけでした。

残された両親、特に父のために苦労してきた母のためにも、

何とか頑張りたいと思ったのですが、

自分のこれからがもう見えなくなってきて、

いろいろ考えたら自分が死ぬことで、

残るものや得ることが出来るものが意外と多いことに気がついて、

死ぬときがきたのかなぁって考えてました。

甘いのは充分に分かります、だからガマンしてきました。

これ以上何にガマンすればいいのかは分かりません。

ガマンすれば何か幸せになれるのでしょうか?

こちらのサイトで宗教でも救われないことが分かりました。

でも、それに気がついても生きている人達がいることに励まされました。

多分本当の宗教の教えは寺や仏像にあるのではなくて、

それぞれの心の中にあるのではないのかと思います。

世界的には最悪と思われている福島に住んでいます。

これからこの故郷がどんなになるのかは分かりません。

でも生きていられる限りは生きていこうと思い直しました。

まだ最悪まではたどり着いていません。

もし、最悪までたどり着いたときにもう一度考えようと思います。

投稿: | 2011年10月 6日 (木) 00時05分

大変なご苦労をされたのですね。よくおもいとどまって下さりありがとうございます。
私達は親鸞会というカルトで悩み苦しみ、乗り越え、今も教団で苦しんでいる友にメッセージを送り、世の中にカルトの恐ろしさを知らしめることが目的です。

宗教そのものは尊いのです。ただ依存しすぎたり、宗教の皮をかぶった悪人がいるのが不幸の元凶ではないでしょうか。

南無阿弥陀仏と称えて下さい。仏様は貴方のそばにいて、守って下さいます。

またいつでも遊びに来て下さい

投稿: | 2011年10月 8日 (土) 09時05分

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