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投稿:「親鸞聖人の花びら」(高森顕徹著 1万年堂出版)を読んで

仲のよい会員の友人から「高森先生が問答形式の親鸞聖人の花びらという御著書二巻を御発刊して下される。それを拝読したらまた先生から聞かせて頂きたいという気持ちになれるよ」と声をかけて頂き、では読んでみようかと早速購入してみました。

親鸞会で指定されてる某大型書店に行くと新刊コーナーに平積み、親鸞聖人特集コーナーに平積み、新興宗教コーナーに平積みと三ヶ所にこれでも目に留まらぬかと言わんばかりのアピールでした。これを組織的に買い占めるのですから販売数は伸びるわけです。

「問答」という言葉を聞いた時、親鸞会内部で発行されている「こんなことが知りたい」を表現や教義上まずいところを上手く焼き直したものだろうと予想はついていましたがその通りでした。

焼き直しですから、会員さんが講師などから聞かされるほど高森先生は今回の執筆に涙ぐましいご苦労はされてないでしょう。

本書の編集には井狩春男氏が全面協力してあり、また有名な書家の書が掲載され、美しく読みやすいものに仕上がっていると思います。

その内容については完全否定も完全肯定もしません。

ただ私には疑問が出てきました。

この本をたまたま読んだ一般の方は思うでしょう。

著者の経歴が殆ど書かれてないが高森顕徹という人物は一体何者なのか、どういう経歴があり、今どういう立場の人なのか、と。

この本の著者紹介には高森顕徹氏が浄土真宗親鸞会会長であることは書かれてありません。

まるで不気味な正体不明の人物が書いた本という印象なのではないかと思われます。

自分が龍大時代に増井悟朗師に顕正され、伊藤康善師をよき知識とし華光会で熱心に活動してたこと、その後決別し親鸞会を立ち上げ、大沼法龍師に密かに心酔し師の書籍を読破し、師の説く所こそ我が信念と大沼教学を追及し、改変し親鸞会を運営してきたこと、そういった自己の経歴については何一つ明らかにしていません。

こんなことが知りたいの再編集ということでこんなことが知りたい二に掲載されている「なぜ自ら本願寺を飛び出したのか」や「なぜ親鸞会は本願寺を非難攻撃するのか」という文章も当然掲載し己の立場と信念を大衆に宣説するものだと期待しましたが、それは内輪向けにしか出来ないことであったと再び思い知らされました。

華光会や大沼氏のことはともかく、せめて親鸞会会長であること位は紹介してもいいと思いますが、何かしら深い御心があるのでしょうか。

桜の巻で秘事法門についての文章で「インチキ性の漏洩を防ぐためのものでしかありません」と秘事法門が秘密にする理由を述べていますが、高森会長が自分の経歴を隠すのもインチキ性の漏洩を防ぐためのものなのかと妙に納得しました。

会長からしてこれですから、会長先生の御心のままに活動する講師が身分を明かさずブログを書くのも、その講師の指揮のもと活動する学友部が偽装勧誘するのも当然といえば当然です。

思えば学生時代勧誘され話を聞いてた当初は「質問大歓迎」と先輩に言われたものです。私も一杯質問しました。嘘をつかれたものも沢山ありましたが、一応講師や先輩は懸命に答えてくれました。しかし学年が上がり、幹部になる中で少しおかしな質問をすると「そんなことは愚痴だ」「高森先生を疑うのか」と注意されることが多くなりました。

いつの間にやら質問大歓迎が質問すると批判と受け取られることが多くなっていき、当たり障りのない質問しか出来なくなっていきました。これでは信心の沙汰も出来ません。

親鸞会には質問内容如何ではそれは聞いちゃいけないという空気がありました。

親鸞会では教えについても組織についても本音で「なぜなぜ問答」をすることは出来ないのです。

組織面だけでもなぜ正体を隠した勧誘をするのか、なぜ因果の道理を説きながら悪を平気に犯すのか、なぜ収支報告しないのか、なぜ仏法の為と集めたお金で会長は贅沢な生活をするのか、なぜ華光会との関係を隠すのか、なぜ教義批判に立ち向かわないのか、なぜ?なぜ?と疑問が膨れ上がり、遂にはここにいたら本当に自分がおかしくなってしまうと思い退会を決意しました。そういうなぜなぜ問答を出版すればいいのに。

親鸞会は隠すのが上手です(上手といっても頭隠して尻隠さずなんだけど)。いかに誤魔化し立派なものに見せれるかという努力工夫を重ねて今に至ります。

今回の書籍もその努力の結晶です。批判をかわすためか文章を以前と変えてる箇所があります。

一つ挙げれば藤の巻26「後生の一大事とは、どんなことか」では後生の一大事は阿弥陀仏の救いの前後によって大きく変わります、と前置きしてまず「往生浄土の一大事」について説明されます。その後堕地獄の一大事と説明されてますが、こんなことが知りたいには何度も書かれていた「一切衆生必堕無間」は出てきません。

会内部では講師方は相変わらず「一切衆生必堕無間」と説明しています。しかし今回の本ではそう書かれていません。(桜の巻33に必堕無間の一大事を抱え…苦より苦に流転してゆく私たちという表現はあります)

歎異鈔をひらくでも「永遠の苦患に沈むか、永遠の楽果を得るか、の一大事をいう」と説明されてます。

会内部で聞いてる話と一般向けに出される本の間には微妙な違いがあるのです。

私は会員時代、ひらくを読んで後生の一大事の説明を読んだ時に本願寺が「後生の一大事とは『往生浄土できるか、どうかの一大事』」と回答したのと同じじゃないかと思っていました。

ついでにもう一つあげれば教学聖典二の一の涅槃経のお言葉も教学聖典は「地獄に堕ちる者は十方世界の土の如く、人間に生れる者は爪の上の土の如し」とありますが、花びら桜の巻3には「人趣に生るるものは爪の上の土の如し。三途に堕つるものは、十方の土のごとし」となってます。地獄を三途に見事に改訂してあります。(こういうことは今回の本でも沢山あります)

会員さんにも一般に向けての話と内輪での話には微妙な違いがあるという違和感を感じてる方もあると思いますが、そこにも親鸞会の卑怯さが現れていると感じ取っていただきたい。

恐らく会員さんでも「結局一切衆生必堕無間は間違いだったということでよろしいでしょうか?」なんて問を会長に発することは出来ないでしょう。何とか脳内変換して一貫して変わらぬことを教えておられると自己完結させることでしょう。

なるほど確かに今回の本は仏教に対して漠然としたイメージしか持ってない人にはそうなのかと胸を打たれる内容もあるだろう、何となく空しい気持ちを抱えて生きてる人にはハッとさせられる文章もあるでしょう。だから私は全てがくだらないとは言いません。

ただし親鸞会は発行部数○十万部突破!とか会員の喜びの手紙や、わずかばかり現れるであろう本書をきっかけに入会する人の紹介やたまたまどっかのテレビか雑誌で取り上げられたニュースを元に親鸞会は今盛なりと新聞で発表するのでしょうが、今の親鸞会に親鸞聖人の花びらが満開に咲いているとは思いませんし、東日本大震災で疲弊している大衆の悩みを晴らす力もないと思います。

そんなことは会員さん本人が薄々気づいていることです。

親鸞会会員になると次から次へと募られる御報謝の“御縁”に内心溜め息をついて疲れることになります。

今回も書籍御発刊記念御報謝が募られているかも知れません。またこれからなぜ生きるやひらくの時と同じく特装版が十万近くで売られるかも知れません。七百五十回忌法要をあと一ヶ月に控え経済的に大変な中、会員さんは死ぬまで終わらぬ財施をし続けるのです。ぶるうのさんが昔「財施は手を変え品を変え」というエントリーで書かれた通りです。

親鸞会にとっては書籍の発刊も会員から金を集める一つの手段に過ぎないのです。

阿弥陀様のまこと一つで浄土往生という信心とはまるで違って親鸞会には「地獄の沙汰も金次第信心」という毒花が咲いているのです。

友人は今回の書籍を読んでもう一度親鸞会にと念じてくれていますが、再び親鸞会で聞法を、となったかというとそうはなりませんでした。
思うことは親鸞会を離れて正解だったということばかりです。

今回の本では掲載されませんでしたが、こんなことが知りたい二31にありがたや信心を批判した文章に「ことさらありがたいと言うのは、ありがたくない心に自己暗示を与えて何とかありがたくなろうとしているけなげな努力なのであろうと思われます。ありがたいことなのだぞありがたいことなのだぞと言い聞かせることによって、ありがたそうな気分を盛り上げないと、どうにも安らかでない人達なのです。ありがたくなければ自分の信心が動揺して不安でおれないので、ありがたくなろうありがたくなろうとつとめている、悲痛な叫び声のように聞こえてなりません」とあります。

恐らく今後の顕正新聞には、内心では鬱々とした気持ちを抱えながら、組織内では笑顔を繕っているありがたやの絞り出した空しい喜びが沢山掲載されるでしょう。
しかしそんな会員さんでも大多数は数ヶ月、数年立つと自ら進んで拝読することはなくなり本棚の肥やしになります(ちょっと前講師と話しててなぜ生きるに~と書かれてますねと言うと、そんな文章あったっけ?と言われたことがありました。講師も先生命懸けの執筆をまともに読んでないですよ)。その時その時発せられる会長先生のお言葉に風見鶏のようにくるくる回り続け、どこにも辿り着けない輪廻道を無一文になるまで爆走するだけです。

桜の巻23に「人は百味のご馳走、金や財、名誉、地位、享楽などの夢を追い、夢に酔うことを幸福と信じ、必ず、開かなければならない玉手箱を知りません。活眼を開いて人生を達観しようではありませんか」とあります。個人的にはいい文章だと思いますが、この言葉、高森会長にそっくりそのまま返してあげたいです(そう思う文章が沢山ありました)。会員さんはこの会長の描く悪夢にすべてを剥ぎ取られるだけです。活眼を開いて親鸞会の実態を達観して頂きたい。

高森会長はきっと飾られた賛美の虚構の中でほくそ笑みながら死んでゆくのでしょうが、会員さんにはしまったと後悔する前に、生きてる時に目覚めて欲しい。

たとえ講師であっても生きてる間なら失ったものは大きくてもきっとやり直せる。これ以上、親鸞会でわずかな感謝と感動を絞り出しながら、けなげに高森先生の御心に酔い続ける人生から抜け出して欲しい。

私は退会した今でも会員の友人やお世話になった講師との縁は大切にしたいと思っています。何とか七百五十回忌をよき縁とし自分の心を誤魔化さずとも本当に心から笑って生きられる身になって頂きたいと思っています。それにはどうすればいいか、このブログを見ている会員さんなら自ずと分かると思います。

教義面でも私が一読しただけでも??となる内容が多々ありました。

今後今回の本の教義的批判も色々なブログで展開されることになると思いますが、会員さんにも是非閲覧して頂き、親鸞会のどこがどう間違っているのか、よく検証して頂きたいです。親鸞会のおかしさに気づく最良のテキストに今回の本がなってくれると思います。

最後に。ぶるうのさんは以前の記事で高森会長最後の書籍になると思います、と書いてましたが私はまだ会長も元気なようだからあと一、二冊は出すと思います。(予想は正信偈の解説書)。なぜなら親鸞会にとっては今まで話してたことのまずい点をさりげなくちょっと修正し、かつそれに絡めてお金を募るいいご縁になりますし、先生は御年を召しても真実開顕に命懸けだという会員向けのアピールにもなりますから。

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コメント

「なぜ生きる」が本棚の肥やしなら、アニメは押入れの肥やしかも知れません。ほんの15年位前なら「アニメ頒布が最高の法施」と言われていたのに、今は書籍ですか。宿善求める方法(法施)がこんなにコロコロ変わっては、十方衆生も大変です。


話の内容も、25年前なら人の絵を描いて「上の心と下の心」、20年前なら飛行機と目的地、15年位前なら海と大きな船、最近は三願転入ですかね。その時々で会長の話のブームがあり、一貫性がない。

投稿: | 2011年9月18日 (日) 18時40分

投稿内容に無条件降伏します。何一つ異論を挟む余地はありません。
よくここまで親鸞会を克明に分析されて文章にまとめられました。
親鸞会と高森さん、高森さんの背中を見ての講師の動きですから、全ての責任は高森さんにあります。
現在会員数が7000人ですか、しかし昔に第一回青年部主催の御法話が大阪であり、青年部全員が施主で(一人一万円)開催されました。目標達成で500人が集まりました。
500万円プラス御法礼の金額でしたが、コメントでは正本堂の参加費が5万円とかありました。
その参加人数で計算すると3億5千万円が1日の収入になりますから、金額が2桁上がりました。
会員数が激減しても、なかなか潰れそうにないと思います。

投稿: | 2011年9月18日 (日) 19時45分

昔の法話と今の法話はまったく状況がちがう。 値段がどうのといっても当てにはならないよ。 昔は全国法話。例えば九州は年に三回ありましたから、普段いけなくても九州ならいけるでしょ。
またバブリーな時代から、不況、少子化など難しい時代に変化してますからね。

投稿: | 2011年9月18日 (日) 20時14分

>阿弥陀様のまこと一つで浄土往生という信心とはまるで違って親鸞会には「地獄の沙汰も金次第信心」という毒花が咲いているのです。


寄進する金品の多いか少ないかで、仏の大小がきまる(歎異抄第18章より)という教えでさえないんですね。寄進しないと無間地獄に行くのですから( ̄▽ ̄)

高森さんは、きっと「聖人」になりたかったのでしょうね。自身が批判している坊主の姿にますます似てきているのは、ちゃんちゃら可笑しいです。

投稿: 匿名 | 2011年9月18日 (日) 20時41分

現在会員は4~5千人くらいじゃないですか。
750回忌の参加費が一日に5万だと多分千人も来ないと思いますよ。
三日参加すると参加費だけで15万、宿泊・交通・食事の費用を入れると
17~8万になります。ヨーロッパ1週間旅行できるんじゃないかなw

投稿: | 2011年9月18日 (日) 21時38分

参加費は一日0.2福すなわち二万で三日で六万です。通達があったから間違いない。
しかし、熱心な会員以外はそこまで納める人はいないでしょう。
ますます減りますからね。

投稿: | 2011年9月18日 (日) 21時46分

あれは私が大学一年の末頃でした。先輩にある質問をしたところ、「していい質問と、求道を遠ざける質問がある。君のは後者だ」と何故か逆ギレされました。投稿者様もそのように書いておられましたが、どんな質問も受け付けるなんて嘘です。

投稿: | 2011年9月18日 (日) 22時00分

二度目の投稿ですm(_ _)m 『親鸞会批判の真実』というサイトに、こんな傑作と思われる文章があったので、ここにそのままコピーしておきます。以下。

現代の一部の僧侶の私利私欲のために、
本当の仏教がみんなに伝えられなくなってしまい、
それどころか誤解されたまま、
仏教そのものが廃れてしまうことではないでしょうか。

ちなみに原文では「仏教そのものが廃れてしまう」までが赤い字です。

投稿: 匿名 | 2011年9月18日 (日) 22時06分

質問は都合の悪い質問は、無視または仏教とは関係ないと逆ギレされる。

投稿: | 2011年9月18日 (日) 22時07分

昔は高森光晴さんの座談会が会長法話後にありました。
一部の人を除き強制的に参加させられた。
一般社会人ならわかるが、時間の無駄。
ほんとかどうかはしらないが、それいらい座談会はなくなった。

投稿: | 2011年9月18日 (日) 22時09分

親鸞会では、受け答えの特訓がありました。
相手がこう言ったら、こう返せ的な内容です。相手が( 仏法は自己満足を求めているだけ)
反論( それでは、あなたは何を求めていますか、世間の習い事でも、お茶、お花、習字にしても上達したら自己満足です。
自己満足以外に求めるものはありませんが、仏法は完成があり、未来永劫救われる最高の自己満足です。)
その他ありますが省略。
特にMkコンビは詭弁的な才能があります。
親鸞会で質問される側になったらば、はぐらかし、誤魔化し、とぼけ、恫喝、無視、その他の指導があったと思います。

投稿: | 2011年9月18日 (日) 22時53分

親鸞会に在籍していた頃は、とても思ったことを質問出来る雰囲気ではなかった。
「信心の沙汰」という行事も、結局は法話の復習であり、疑義を質すことなど到底出来なかった。
例えば2、3年ほど前に、「自らの獲信体験を語ることは悪」などとして、
そうした「生臭い体験」を戒めたおふれが本会からあった際、
私は「親鸞会の『T本氏の獲信の記録』なるビデオはどうなるのか。」と思ったが、
結局そのことを講師に問いただすことは出来なかった。
質問すれば、おそらく呼び出しを受けて注意されただろう。

投稿: | 2011年9月18日 (日) 23時48分

>華光会や大沼氏のことはともかく、せめて親鸞会会長であること位は
>紹介してもいいと思いますが、何かしら深い御心があるのでしょうか。

「なぜ生きる」が発刊されるとき、最初は高森会長の名前はなく、
最終的に監修という形で名前が載りましたが、
なぜそのようになったのか、当時、台湾御法話の歓送迎会で
話がありました。

最初、名前がなかったのは、
「私の名前を載せたら、本願寺の連中は批判してこなくなるから」
でした。会長は笑顔で答えていました。
しかし、周囲の人が先生のお名前をぜひ載せてほしい、と懇願し、
最終的に監修で載ったとか。

アホかと思う。
教義論争求められ、逃げているのは誰か。

本願寺の人が誰も聞いていないところでだけ、強がっている。
しかし、外に向かっては逃げの一手。

こんな会長の姿を、会員にはぜひ知ってほしい。

投稿: | 2011年9月19日 (月) 00時04分

正本堂の落慶法要は確か2日間あったと記憶し、1日参加でも2日でも5万円を要請された筈です。

法要の半年程前に入会された方がおられましたが、即脱会されました。本人に成り代わり推測代弁すれば→(入会に4~5万もふんだくっておきながら、すぐ5万も出せとは。こんな金、金の宗教はおかしい)と思ったことでしょう。
洗脳後ならいざ知らず、入会間もない人なら冷静、常識的な判断です。
今思えば何でもない判断ですが、カルトの狭い空間にドップリ漬かってしまうと、言うほうも言われるほうも、すっかり麻痺してしまい恐ろしいです。
逆に言えば、カルト人間共は、新しい方を大切に育成していく機微も麻痺しているということでしょう。

これはたまたま金額が小さいですが、狂った教祖に踊らされて、金がどんどん膨らんでいったのが、正本堂であったり、同朋の里の施設群だったりなんでしょう。

尚、投稿者、それぞれのコメントとも、実体験からくる意見だけに説得力あり、一つ一つ成程成程と肯いてばかりです。

投稿: | 2011年9月19日 (月) 05時55分

入会で五万?ボッタクリやね。
落慶法要なんて払えなきゃ無視したらよい。
後ろ向きじゃなく事実やから

投稿: | 2011年9月19日 (月) 07時13分

MK夫婦に法領がなくなれば、苦労がわかるやろう

投稿: | 2011年9月19日 (月) 07時19分

完全に適当な理由付けをしているだけ。
例えば信心の沙汰なんて小杉の建物だけあれば十分。おそらく建前だけ信心の沙汰で実際は自転車操業だろうが。

投稿: | 2011年9月19日 (月) 08時04分

750回忌の参加費が1日2万円ですか。
最悪で最低、極悪で非道のMk夫婦としては、かなり遠慮した金額になりましたね。
現在の景気と会員数を察知して、なんとか三日間参詣しても総額10万円前後の出費で収めて、参加人数を重視し、親鸞会として750回忌大成功として内外に知らしめて、会員の動揺を押さえネットでの指摘をはぐらかす意図が見え隠れします。
親鸞会と称する組織が親鸞聖人の750回忌を開催する資格は全くありませんし、親鸞会と親鸞聖人の関係を内外に示して頂きたい。
親鸞会高森さんの行為は、教えも教義も高森さんがネジ曲げ、会員から合法的に集金教義を会員に吹き込み、ただただ集金経典を創作しただけの高森経典と思われます。
いい加減にせいMK夫婦さんよ。

投稿: | 2011年9月19日 (月) 08時43分

>組織面だけでもなぜ正体を隠した勧誘をするのか、なぜ因果の道理を説きながら悪を平気に犯すのか、なぜ収支報告しないのか、なぜ仏法の為と集めたお金で会長は贅沢な生活をするのか、なぜ華光会との関係を隠すのか、なぜ教義批判に立ち向かわないのか、なぜ?なぜ?と疑問が膨れ上がり、遂にはここにいたら本当に自分がおかしくなってしまうと思い退会を決意しました。そういうなぜなぜ問答を出版すればいいのに


 会長の御心に反する質問をすることは悪いことだ、と逆ギレを繰り返されてストックホルム症候群の状態に陥っていたんですね。

 この様な会長の御心に従うか従わないかという二者択一の操作によって、人々の心理状態を誘導していくことと、親鸞聖人の教えとが混同されていたのですが、今振り返ってみると異質なものでした。
 親鸞聖人は、自分の内面の弱い部分に対して、目をそらさずに直視すること、逃げないことを突き詰めていかれた方だと思います。

都合の悪いことを隠して逃亡しようとする人物の御心は、親鸞聖人の御心とは相いれないものでしょう。

投稿: | 2011年9月19日 (月) 11時10分

彼らにとって大切なのは、真実の十八願じゃなくて、方便二願の方なんだな。

親鸞会会員になると、善行(金を貢ぐこと)をしないといけなくなりますね。なぜなら金は親鸞の教えより重要だから。かつてのぶるうのさんのように上級会員になると、もっと善行を積まないといけなくなります。彼らにとって金は親鸞の教えより重要だから。そして一番上の彼らはまったく善行をしない。彼らの極楽往生、間違いなしですな(皮肉)。

投稿: 匿名 | 2011年9月19日 (月) 11時13分

南無阿弥陀仏の名号を頂き、一体になれば必ず、弥陀の無量の智慧と慈悲とに生かされるのである。
だから「衆生済度は死んでから」と、この世の安楽を貪ってはいられないのだ。(自利利他の大道を往く|親鸞会)


そうです、この世の安楽を貪ってはいられないのです。まさに「自利利自」の大道を往っていますね。

投稿: 匿名 | 2011年9月19日 (月) 11時23分

再び「論説 現代に生きる仏説」より。

方角を間違え断崖に向けば、一生懸命走るほど、早く谷底に転落する。親鸞聖人の教えを正しく知り、弥陀の創られた「三願転入」の道をひたすら進ませていただこう。(真仮みな是れ大悲の願海に酬報せり|親鸞会)


善鸞は十八願をしぼんだ花にたとえたが、親鸞会はなんと「断崖」にたとえたのです。親鸞の教えを、谷底に転落する教えなどという輩に、浄土真宗を語る資格はない。

    

投稿: | 2011年9月19日 (月) 11時41分

昔ある講師の法話でご法礼少ないって文句をいわれたことがある。
ご報謝はお金がないと運営できませんからわからないでもないが、ご法礼で文句を言われるなんて話にならんでしょ。
親鸞会もわけのわからない規律を排除し、支部長が働きやすいようにしてやれよ。

投稿: | 2011年9月19日 (月) 12時33分

1日2万円ですか。仮に1日5千人集まれば、3日で3億円。カルトって本当にぼろい商売ですね。こんなの見ていたら、一族の子や孫たちも世間で普通に働く気がおきないでしょう。脱会講師たちが新たなミニカルト結成に走るのも分かります。

投稿: | 2011年9月19日 (月) 12時38分

>昔ある講師の法話でご法礼少ないって文句をいわれたことがある。

「仏法にことをよせて、世間の欲心もあるゆゑに、同朋をいひおどさるる」集団、それが親鸞会。

投稿: | 2011年9月19日 (月) 13時20分

本当はコメントするべきではありませんが。
会長の新刊本を近所の書店で見たとき、一冊ずつ一ページ残らず破りとって、ちぎって踏み潰して、こんな宗教本置くな!と店員に叫びたくなりました。
時々、発作的に、親鸞会への異常な怒りが出てきてしまいます。
もちろん、周りの目があるからしませんが・・。
辞めて数年経ってもそんな気持ちにさせる、新興宗教は、早くなくなって欲しいです。

投稿: | 2011年9月19日 (月) 16時32分

親鸞会組織的運営に携わる人の人間性は大なり小なり高森さんに似てますね。まぁ親鸞会の手口が自身が認められない人は、すでに脱会して会から離れますから、必然的に似るのは当然ですね。
講師は生かさず殺さずに親鸞会(高森一族)の御用聞きをさせて、講師は宿善になると思い込ませて使い倒して、倒れたら寝かしとけ、回復しなければ小杉の山に捨てとけ、学友部上がりのアホを代理にしとけや。
高森親子からこんな会話を聞けそうですね。

投稿: | 2011年9月19日 (月) 17時46分

↑同感。私怨、愚痴と言われようと本当にそうです。

世間ごとでこれ程怒りが尾を引くことは先ず無い。言うこととやることがこれ程真逆な人間なら、当然の因果でしょう。

投稿: | 2011年9月19日 (月) 17時54分

本屋においても、会員が買い占めてベストセラーにするだけだろうが。

一度ベストセラーの紹介を見たが、高森さんの名前を紹介されるだけ。だれも関心ないよ

投稿: | 2011年9月19日 (月) 17時55分

親鸞会の職員のほとんどは学生部上がり。
すなわち一般社会で働く経験がない。

そうしたらどうなるか!反社会的な組織がますます強固され、人が寄らなくなる。普通は外部からの血を入れるとかするが、トップがどうしようもないから、下の人間もどうしようもなくなる。
親鸞会職員には一流大学出身もたくさんいますが、親鸞会にどっぷりつかれば、大学や高校なんて関係ない

投稿: | 2011年9月19日 (月) 18時06分

一般社会で働いた経験のある講師とそうでない講師ではまったくちがう。
すべてが該当するとは限らないが傾向はある。一般社会で働いた経験のある講師は、相手の都合をよく考えてる、こうしたらどう?とかこれをしてみたらなど?相手に会わせてやっていく。すぐにはうまくはいかないが積み重ねて花が咲く感じかな。
逆に、一般社会で働いた経験のない講師は、話す相手を向いておらず、高森さんの方を向いている。まず法話誘い、次に金。
最近は特にだが、収入がなく会員が減ってるから、ながいめでみずに短期間で結果をだそうとし、法話誘い、金を出さすことだけに力をいれてる。

投稿: | 2011年9月19日 (月) 18時26分

高森家家族会議。
顕=光よ1日2万円とはなんだわしの仏法を安く売り過ぎとは、思わねえのか光=親父よ、不景気とネットで1日2万が限界でよ、跡取りの俺の身にもなれよ、ただでさえ学徒が激減していて、5千人も集められなかったらよ、内外に与える動揺と批判を視野にいれての2万だからよ、納得しろや顕=跡取りは光だから、まぁ今回だけは大目に見てやらあょ
恭=それでこそお父様です。
顕=わしの取り分は譲らんからな、三日間の上がりの6割は、いつも通りに、スイス銀行に送金しておけよ。光=欲の塊だねあんた。
恭=もちろんですわお父様。
徹=チッ
高森家の家族会議はコメント者の想像ですが、皆さんを越え真実味があると思われます。

投稿: | 2011年9月19日 (月) 18時44分

親鸞会組織はとにかく会員からお金を集めるのが大好きな組織です。
親鸞会の通達は元より、MKが結婚したから、弟のTが結婚したからと、青年部の役員が、自分がいい顔になる為に所属の会員に声をかけて集め回り。
やれ高森さんが倒れたらやら、なんやらとお見舞金だとか、役員は会員の顔を見ると金の話しか言わない。
マイコンですから、親鸞会組織が喜ぶ事を先回りして動いていますから、高森さんはカネゴンですかね。

投稿: | 2011年9月19日 (月) 20時24分

やめたい理由を手紙にして本部に送ったらよい。 ネット批判を理由にしてるがそうじゃないからな

投稿: | 2011年9月19日 (月) 20時43分

>最初、名前がなかったのは、
>「私の名前を載せたら、本願寺の連中は批判してこなくなるから」
>でした。会長は笑顔で答えていました。
>しかし、周囲の人が先生のお名前をぜひ載せてほしい、と懇願し、
>最終的に監修で載ったとか。

こりゃまたイタい話ですねえ。心配せんでもあの本を見て仏教の本だと思った一般人なんてほとんどいないんですけどね。じっさい仏教の本とは言い難いし(笑。それに、 下手に身をやつしているせいで自分から「怪しいです」と宣伝してしまっている。自家中毒に嵌っているとそんなことすらわからなくなってしまうんでしょうかね?『100の花束』の時、斎藤美奈子の的確な書評を読んだときは爆笑したものですが、すでに一万年堂出版は裸の王様状態だから、今更そういう愉しみもなさそうで少々退屈です。

今回だって見かけだけの部数を稼いで本人たちはご満悦になるのでしょうが、そのわりにたとえば釈徹宗&内田樹や故・今村仁司の本の十分の一も話題にならないのは確定的に明らかですから、普通に無視されておしまいでしょう。むしろ、無名かつ話題性なしのベストセラーのお陰で怪しんでネット検索する人が増え、偽装勧誘に免疫を持つ人が増えることが期待できる分、むしろ好ましいかもしれない。どんどん部数稼ぎをやってもらいましょう。

投稿: | 2011年9月19日 (月) 20時57分

高森さんの本ベストセラーで紹介されても、サラッと流れるだけでだれも知らない。スキャンダルしか興味ない。
今はネット時代やからニュースや漫画以外だれもみない

投稿: | 2011年9月19日 (月) 21時03分

親鸞会に財施するのは雑行。
親鸞会を脱会するのは三願転入。

投稿: | 2011年9月19日 (月) 22時21分

三願転入派は、この三願を信仰のプロセスであると誤解して(誤解させて)、十九願から二十願へ回入し、二十願から根本の十八願へ転入しなければならないと教えるのである。

如来の御本意の願は十八願であるが、本意でない願を通らなければ真実の願へは転入出来ないというのである(転入と回入は全く違う論理なのだが三願転入派には理解することが不可能な概念であろう)。

このような思考をする者達は、「三願転入」を、まるで一階から二階へ上がる階段のように思っているのであろう。 階段は一階の者が二階へ上がる為のものであり、階段を一歩一歩上がったところに二階があるというのである。

http://blog.wikidharma.org/blogs/blog/2009/12/19/%E4%B8%89%E9%A1%98%E8%BB%A2%E5%85%A5%E6%B4%BE/

投稿: | 2011年9月19日 (月) 22時42分

「昔は仏法聞くために寺に入ったもんですが、今は寺を出なければ仏法聞けません」とは高森会長の言ですが、今では「親鸞会を出なければ仏法聞けません」となった感があります。

投稿: | 2011年9月20日 (火) 00時38分

もしご存知の方がおられましたら、脱会講師のミニカルトを誰かどんな会をで教えてく下さい。
講師も人生の半分以上の年数を親鸞会で過ごした場合は、もう後戻りは難しく残りは、惰性で親鸞会の中で生きる道しかないのですかね。
高森親鸞会の定義、論理の共通項は、高森さんの講師・会員の大悪党は、親鸞会の金集めに障害、邪魔が悪と判断しています。
一例がコメントでもありましたが、心信決定を言うなです。
高森さんが認め、公認する人はすでに亡くなり言葉を発せられい人しか公認しません。
その意味は説明不要ですね。

投稿: | 2011年9月20日 (火) 04時25分

現役講師の心情を考えると、どうなんでしょうね。
人生に迷いが無いと言えば嘘になるし、10年先20年先の将来も想像できないでしょう。
親鸞会の未来も不安であり、50歳前後で社会にも出るのも不安で出れない。親鸞会信者数公称10万人。
10万人の信者さんはどこに隠れているのですか、まぁ750回忌の三日間での参加人数で、現在の会員数は表に出ます。
高森さんは、不遇の幼年期と少年期を過ごして成長して、社会に人間に復讐性を感じます。
人としての道を青年期まで誰にも教えられずに成長した。
(仮に教えられても、聞けない程の苦労でひねくれていた。)その結果、自身の仏法の先生にも、なんの恩義も感じない非人間的な人格が形成されたのですか、(本人に聞く以外ないが)どちらにしても高森さんを無二の善知識として生きる人には、将来悲惨な末路です。

投稿: | 2011年9月20日 (火) 06時55分

この会長以上に、辛い青年期を生きて来た人もごまんといるでしょうが、辛さを反面教師のようにとらえ、人格者として生きている人も多いでしょう。

ここのコメント欄にも、T森(語録)らしきものが幾つか載せられていますが、まるで御大層なことを言っておきながら、後には無責任に放棄してしまう。要するに信念が無いと言うことで、育ちとは別問題のことでしょうね。

投稿: | 2011年9月20日 (火) 07時28分

ご丁寧に18日の会長の話の内容を話してくれた人がいた。(内容はないよ~という親父ギャグはおいといて)

十方衆生は十機にわけられるって。定善の機と散善の九機、その中の下品下生が逆ほうだと話したらしい。また、阿弥陀仏の本願に救われたいという気持ちになって初めて19願の軌道に乗る、阿弥陀仏に善を差し向けようとするのが雑行だが、雑行の心も私たちにはなく、阿弥陀仏から差し向けられる…云々

なんか、どこかで聞いたぞ、と思ったらネットのパクリじゃないのかい?新たなネット対策か。

その会員は「先生の話は深いな~」と言ってました。

投稿: | 2011年9月20日 (火) 07時50分

会長は自分の不勉強の言辞に対して批判があり、その批判が正しそうだと分かると、訂正もせず、相手からの批判内容は自分が最初から言っていたかのように話す(自分の不勉強の言辞はまったく忘れ去られる)。
毎度のことです。

姑息というか卑怯というか・・無二の善知識などおおぼらを吹いていて恥ずかしくないのかと思う。空前の厚顔さ、絶後の無恥さ。

まちがえだらけで、批判されたらテキトーに改変してごまかすくらいの法話でよいのなら、一般の会員・学徒でも余裕でできるレベルだろ。
こんな人の話を何万も払い、休日返上で聴きに行くなんて正気の沙汰とは思えんな。

投稿: | 2011年9月20日 (火) 11時41分

 犬鉄に直接、手紙を書いて文句を言ってやりたい。
「親展」で手紙を出したら犬鉄に直接届くかなあ。
 それともやはり外道の息子夫婦の検閲が入るのだろうか。

投稿: | 2011年9月20日 (火) 11時53分

「親鸞聖人の花びら」・・・また会員学徒は購入を事実上強要されるんでしょう。
購入者の98%以上は親鸞会のマインドコントロール・情報統制・
無条件服従下にある人たちで、しかも半ば強制された購入ですので、
何万部売れても、評価に値しません。
顕正新聞には、またベストセラーとか大げさに宣伝されるんでしょうね。

今回も大手書店で購入した(=売り上げランキングにカウントされる)
この本の領収書をもって親鸞会の経理に行けば
購入代金は返還してもらえるんでしょうか?(笑)
以前のSK作戦(書籍購入作戦)ではそういうことがありましたね。
毎度のことながら、しょうもないことをやってるもんです。

そんなことをして、見かけだけの売り上げ部数を増やして
「どうだ、すごいだろ」
と宣伝して自己満足してるのが親鸞会上層部のメンタリティです。

何をかいわんや。

投稿: | 2011年9月20日 (火) 12時36分

親鸞会の750回忌の参加費が1日2万円とは、最近の金額から比べれば安いと思いますが、マイコン以外の人が判断した場合には、2万円が安いとは思いません。
マイコンの会員さんは、指示されるままに従います。
指示に従い参加して、薄ペラな人間関係で互いに慰めあって、キズをナメあい親鸞会の活動の活力として、学徒生活を満喫されるのですか。哀れというも愚かなり。

投稿: | 2011年9月20日 (火) 13時21分

高森さんは、常に自分の能力を過大に、過大に、見せるのに心血を注ぎすぎ、仏法の教義と親鸞聖人の教えを求める努力を忘れてしまいました。
それを補い過大に印象付けるために、盗作をされて目的を果たされました。
盗作とは、努力と苦労は他人で手柄は自分とした下劣で最低で恥知らずの行為と知るべきです。
750回忌に参加される会員の皆さん、皆さんが参加される行為は、高森さんを甘やかし、増長させるのです。
参加が善なのか、悪なのかをよく考えて下さい。
高森さんを親と慕うなら、参加不参加のどちらか高森さんを戒められるのかを。

投稿: | 2011年9月20日 (火) 13時59分

ブログ主様へ
親鸞会の本は書店で新興宗教コーナーではなく伝統宗教コーナーにありますよ。これは抗議されたほうがいいと思います。

投稿: | 2011年9月20日 (火) 19時00分

それは、どこですか?認識不足。

投稿: | 2011年9月20日 (火) 19時47分

台風がそうとうひどいですね。名古屋もかなりひどい。愛知県の大学は避難、帰宅です。

まさか、雨風雪はもののかずかはと言って、学生、社会人の講演会やってないだろうな!。

投稿: | 2011年9月20日 (火) 20時16分

台風で帰れって言われるのはここ20年で初?

投稿: | 2011年9月20日 (火) 20時19分

記念に750いったらやめようと思っている現役です。
日程としては、10月の3連休に開催されることに間違いありません。
(某掲示板では未だに、"750はもう済んだ"と誰かが偽情報を流しているようですが。
かきまわして様子を見ているのでしょうか。)

投稿: | 2011年9月20日 (火) 23時45分

困ったなあ、うちのサイトも「著作権法違反」で捜索されるかも(笑い
http://dailycult.blogspot.com/2011/09/blog-post_20.html?showComment=1316482773818#c2178676655811374996

世俗の権力による弾圧を否定し、本物の本願の宗教を示して下さったのが親鸞聖人であったのだがな。
結局、世俗の法を自らの説く法の上位としたことで、彼の団体は阿弥陀仏の本願を否定する団体に成り下がったのだな。

投稿: | 2011年9月21日 (水) 05時00分

↑ urlは
http://goo.gl/BoKyv
です。

投稿: | 2011年9月21日 (水) 05時08分

脱会予定おめでとう。
多数の現役講師と学徒氏もさよならで親鸞会の裏の顔を見てますが、マイコンですから決心するには(まだ、もう少し様子を見て・・・・)迷いの状態。
人間とは弱く、とにかく自分を特別視で評価します。
さよなら以外のブログでも、脱会講師・会員がどんな目に会って会から離れたのかは、十分に知識として有っても、自分を除外してしまいますが、それは完全な間違いです。
いずれ縁が来れば自分も類似した目に会わされて、除名で親鸞会を追われます。
それまで親鸞会と称する組織に多額の財政をしようが、会が邪魔と判断するかしないかだけであり、現在利用価値があるかないかが判断基準です。
よく考えてみよう。

投稿: | 2011年9月21日 (水) 05時09分

>>困ったなあ、うちのサイトも「著作権法違反」で捜索されるかも(笑い
こんな勧誘マニュアルごときでS会は著作権法違反で訴えるのか?しょぼ
すぎるよブルドッグ会長、なんか必死やね。そうとう追い詰められてます
な。ぶるうのさん頑張って。

投稿: | 2011年9月21日 (水) 07時22分

親鸞会の本が伝統宗教コーナーにおかれているのは紀伊国屋書店です。

投稿: | 2011年9月21日 (水) 07時24分

名古屋はひどい風よ。雨風雪はものの…ありそうだね。だって今月始め、台風の中全国から小杉に来させたし。

投稿: | 2011年9月21日 (水) 07時31分

親鸞会の金集め750回忌が1日参加が2万円なら、2日の予定の人は1日参加にして2万円で大沼法竜氏と華光会の書籍を求めて読まれたら、高森さん著者書籍が完全なコピーと確認できます。
少し表現と言葉を変えているだけであり、大沼先生の書籍内容を高森さんが言っているだけです。
高森さんは御二人の足元にも及ばず、影さえ踏んでいません。それが高森さんの仏法レベルです。

投稿: | 2011年9月21日 (水) 08時08分

台風の中参詣したら、後生の一大事解決する前に亡くなるだろう

投稿: | 2011年9月21日 (水) 12時24分

脱会の人おめでとう。早くカルトから卒業できてよかったですね^^
よければ、ご自分の体験などもこのサイトに書いてください。
会員でまだ気づいてない人、迷ってる人を救済する手助けしていただけたらうれしいです。

投稿: | 2011年9月21日 (水) 13時30分

2011年9月21日 (水) 05時00分の書き込みの人へ

勧誘マニュアルをウェブに乗せたくらいで刑事告訴とは驚きます。
単なる親鸞会側の脅しでしょうが。

たしかに引用でもあまり大量に使いすぎると違法というガイドラインがありますが、それが「正当な範囲内で」 引用されたかどうかが争点となりそうです。
結局は報道の自由=表現の自由(憲法21条)にあたるかどうかですが、法廷で堂々とこれまでの親鸞会の偽装勧誘による被害実態を明らかにし、このような勧誘にひっかからないようにするという「正当な」目的があると主張すべきです。違法阻却されると思います。
できれば4大新聞社会部や週刊誌などメディアに事件を告知し、表現の自由の主張・立証過程で、親鸞会がこれまで隠蔽してきた暗部を公表しましょう。これは公判廷での主張ですから、メディアも取り上げやすい。

どっちが悪いのか、はっきりさせるべきです!


投稿: | 2011年9月21日 (水) 13時33分

富山県警「やや日刊カルト新聞社」アジトを家宅捜索=著作権法違反容疑
http://dailycult.blogspot.com/2011/09/blog-post_20.html?showComment=1316482773818#c2178676655811374996

(↑)読ませていただきました。
高森顕徹会長の指示が告訴の背後に見受けられますが、この人はどこまで心が腐っているのでしょうか。ドロボウを自身は今まで散々やっておきながら、他人に向かって「ドロボウ!ドロボウ!」と叫んでいるのと一緒ではないか。大泥棒が警察に行って、盗難届を出しているようにしか見えない。盗難届を出す前に、まずは自分が盗んできた物を一つ一つ各被害者に返すべきではないか。伊藤康善氏や大沼法竜氏の著作物を露骨に盗作しておきながら、他人に「著作権法違反!」と言えるか。

投稿: 元弘宣部職員 | 2011年9月21日 (水) 21時08分

私も記事を読みました。「やや日刊カルト新聞社」の人も家宅捜索されただけで、逮捕はされていないみたいですね。
刑事告訴は批判者への嫌がらせが目的でしょうから、今後も何か口実があれば告訴を連発するでしょうね。大沼氏や伊藤氏の遺族が動く気配はないようですから、怖いものなしです。「やや日刊」の件については、まったく何の嫌疑もなければ告訴が受理されないでしょうから、一応嫌疑はあって証拠を集めるために家宅捜索したのでしょう。起訴まではされないとは思います。

投稿: | 2011年9月21日 (水) 21時55分

盗作で成り立っているカルトが人を著作権法で訴えるとは恥知らずな。
自分でよく言っていた「恥知らずの恥かかず」だね。

投稿: | 2011年9月22日 (木) 01時13分

親鸞会は750回忌を控えて、批判すれば法的手段を使うぞ!と脅して批判を萎縮させる目的みたいです。
ケンカ腰ですね。焦りがあるのか・・
大沼氏や伊藤氏の遺族が積極的になってくれれば、会長の本のほうがずっとヤバイでしょ。
会長の本の場合、自著として有償で売ったんですから、やや日刊の比ではない責めを負うはずです。
遺族の動向から、まあ大丈夫だと踏んでるんでしょうが・・・そうそう都合よいようにばかり事は運ばない。。

今回のような脅しに決して屈してはなりません。いままでの戦いをここでフイにしては、親鸞会の活動で命を失った学徒たちも浮かばれないでしょう。

投稿: | 2011年9月22日 (木) 01時46分

批判すれば法的手段て親鸞会がやってることをよく考えてから発言してほしいです。
夜中の訪問、偽装勧誘、不透明な資金繰など

投稿: | 2011年9月22日 (木) 06時13分

>大泥棒が警察に行って、

「盗賊共が戦利品の山分け中、盗んだお宝の内紛失している物が分かった。頭が、この中に泥棒がいると叫んだ。」、、だったかうろ覚えながら、会長が言ったか、書いていたかを思い出した。盗人猛々しいと言う日本語もある。まさにこの人間そのもの。

盗作やら、詭弁やら百歩譲って目をつぶったとしても、人格者らしく見せかけて偉そうなことを言ってきながら、自らが反古にして知らん顔。悪を繰り返す。
国家や権力を軽くみながら、都合によって利用する。

我が、守ろうとしないなら、守れないなら、善を積めなどと偉そうな講釈をたれるな!と言いたい。

>この人はどこまで、心が腐っているのでしょうか。
その通り誰も見る目は一緒ですね~。

投稿: | 2011年9月22日 (木) 10時48分

光戦の広島裁判を思い出す。都合が悪くなると国を利用して、相手を潰そうとしているのは、今や親鸞会です。もっとも、あの時は親鸞会にも非があるんだけど

投稿: | 2011年9月22日 (木) 12時20分

親鸞会組織は相手には、なりふり構わずに何でもやります。
過去に脱会講師が東北で自らの組織を旗揚げして、その講師の説法会場に講師部二・三人で乗り込み説法をメチャクチャにして、止めに入った参詣者に腕をつかまれたから、警察を呼んで被害届を出して、脱会講師の自宅まで行き、酒類の空ビンを写真に写して、顕真に載せていました。
酒の空ビンと脱会講師との関係も定かではない。
とにかく常識はずれです。
まぁ常識があれば盗作とか信前の身で信後の振る舞いも出来まいに。

投稿: | 2011年9月22日 (木) 15時15分

彼らは社会経験が著しく乏しいので、どの程度までは一般的に許容されることなのかを知りません。

社会人を2年くらいやるとあまりの低レベルさな常識力に驚かされるようになります。

最近の話ですが、コピー用紙の包み紙に包んで750回忌のポスターが送られてきました。誘いたいのか喧嘩を売りたいのか、その本気加減が気になります。

投稿: | 2011年9月22日 (木) 21時12分

きっと、エコでしょう。そう思わにゃあ、腹立つでにゃあか

投稿: | 2011年9月22日 (木) 21時53分

建築図面の次は勧誘マニュアルの著作権ですか…。特専部司法科の人達のことはちょっと縁があって知っているのですが、まあよく思いつくもんですねえと皮肉の一つもいいたくなります。限界事例で知財法学の発展に貢献しようというわけでもなかろうから、不起訴を見越したうえでの萎縮効果狙いの告訴でしょう。微罪/無理筋の捜査で言論萎縮を図るとか、どこの独裁国家の発想かと。とことん人権意識のかけらもない人達です。こんなことさせられて特専部司法科の人達は良心を傷めないのでしょうか。弁護士法一条一項を読んで恥じることはないのでしょうか。

姑息です。じつに姑息ですよ。

現役会員の皆さん。親鸞会というのはこういう団体です。ふだんは権力に屈せず真実を開顕するとか何とか言っているわりに、実際にすることはこういう、姑息な発想で自己保身のために権力を動員するようなことですよ。要するに、こういう発想の団体なんです。

ぶるうのさんに主筆さん。こういう姑息なものは堂々と撥ね付けてやってください。むしろいい機会なので、カウンターで偽装勧誘の実態を公的記録に残して、大々的に知らしめてやりましょう。

投稿: | 2011年9月23日 (金) 02時24分

会長、「こんなことが知りたい」の時の方が良い文章でしたよ。

投稿: | 2011年9月23日 (金) 09時19分

ここの住人は、
過去親鸞会を信じることで自己の存在価値を見いだそうとし、今は非難することでそれを確かめようとしている。

弥陀と対峙することでしか人間の真の価値は見出せないのに、それが分からない。

哀れであり愚かなことだ。

投稿: | 2011年9月23日 (金) 17時16分

阿弥陀仏に対峙するには、平穏な心を取り戻さなければなりません。
その手段までは否定しないでくださいね。
日本は平和な国ですが、親鸞会等の様々な詐欺師の存在もあって、平穏な国ではないのですから。

投稿: | 2011年9月23日 (金) 19時13分

会員は弥陀と対峙したという会長の金言を真の価値と信じて多額の金銭と時間を注ぎ込んだ。しかし、金言は大沼という人物の著作の剽窃だった。剽窃は中身空っぽでも、書き写すだけだから誰でも出来る。金言とは何だったのか、説明をしてもらいたいと訴えているのに、対策員はトンチンカンなことを述べていますね、もっとしっかりしてほしいものです。

投稿: | 2011年9月23日 (金) 23時03分

 『親鸞聖人の花びら桜の巻・藤の巻』を読みました。『桜の巻』「19仏教の平等観と親鸞聖人」は、看過できません。東西本願寺の封建教学の体質に酷似してます。それは、社会を問わせない教学を親鸞会は用いていることを指します。また、会長のみが唯一無比の善知識は、法主制度そのものです。

 マインドコントロール、偽装観誘に目を奪われますが、ぶるうの先生は折角、真宗大谷派教師に補任されたのですから、大谷派新宗憲制定までの歴史を紐解けば、親鸞会は新宗教ではなく、東西本願寺の古い体質をリニューアルしたことが、見えてくると思います。それが、事態を解決する鍵になるかもしれません。

投稿: | 2011年9月24日 (土) 09時38分

親鸞聖人の花びら?? ひyなタイトルだなw

投稿: | 2011年9月25日 (日) 20時53分

ジジイのたわごとに周りの宦官のみなさんが必死についていく構図は、ジジイが死ぬまで直らないのでしょうね。

投稿: | 2011年9月27日 (火) 13時53分

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