« 皆さんにお願い:記事のピックアップについて | トップページ | 心に残った記事を教えて下さい(投票画面) »

投稿:人間らしい精神

「自分では何も生み出さず、何も理解していないくせに、口当たりの良い、受け入れやすい他人の意見に踊らされて集団で行動する連中です。彼らは自分が何か間違ったことをしてるんじゃないかなんて、これっぽっちも、ちらっとでも考えたりはしないんです。自分が誰かを無意味に、決定的に傷つけているかもしれないなんていうことに思い当たりもしないような連中です。彼らはそういう自分たちの行動がどんな結果をもたらそうと、何の責任も取りはしないんです。本当に怖いのはそういう連中です。」(村上春樹「沈黙」より)

作家・村上春樹氏の短編「沈黙」を読むとき、アインシュタイン博士の言葉を思い出す。

「この世は危険なところだ。悪いことをする人がいるためではなく、それを見ながら、何もしない人がいるためだ。」

村上春樹氏にせよ、アインシュタイン博士にせよ、彼らが実際のところどういう意味で語っているかは、本人に聞くよりないのだけど、私のなかではこの2つは同一線上の意味合いを持つ言葉として、魂にひどくしっくりくる。

さて、正しい親鸞聖人の教えとは?という話題になれば、それは実に重大かつ難解な問題だし、それについてはさまざまなブログ等、ネット上でテーマになっているので、ここでは組織というものについて語りたい。

あるとき、某講師部員が私にこう言ったことがある。

「講師部の仕事は、布教局長(現・講師局長)に顔と名前を覚えてもらうことだと思っている」と。

ああ、もうこの組織は末期なんだと感じた。

180度、組織の目的がずれてしまっているのだ。

文言上は「信心決定することを本とする」「親鸞聖人の教えを正確に一人でも多くの人にお伝えする」そのためだけに存在するのです、と言っていても、本音はまったく違うところにあるわけだ。

それが誰の責任なのかなんてことは私には分からない。

トップからそうなのかもしれないし、幹部が捻じ曲げているのかもしれない。

自浄作用を失った組織は急速に腐敗する。

腐敗した組織は腐敗した人間を生み出し、腐敗した人間は人を傷つけることを何とも思わなくなる。

自分の感情すら忘れ、純粋に笑うことも、泣くことも、悩むことも、喜ぶことも、つまり「人間らしさ」というものをどこかへ置き忘れていくのだ。

いったんそっちの世界へ踏み込んでしまうと、それはまるでコンパスの効かぬ樹海のようで、戻るのは困難だし、下手をすればこの人生で戻ることは不可能になるだろうと思う。

何人かの学生から退会の相談を受けたことがある。

私は彼らに声をかけ勧誘したし、そしていわゆる話し込みというのもした。

彼らは組織内において傷ついた経験を語った。

なかにはうつ病になり精神科を受診するに至ったような人もいたし、涙を流しながら話す人もいたし、ひどく腹だっている人もいた。
もちろん、「生きる」ということには必ず「傷」というものが伴う。

もし傷つかずに生きることができるなんて思っている人間がいたら、それはその程度の人生に過ぎないということだ。

もし自らの人生を真面目に見つめ、真摯に生きていこうと思えば、魂の奥底から泣きわめきたいような傷から、涙さえ流すことのできないような冷徹な痛みまでさまざま存在すると思う。

だから人は救いを求める。

それは当然のことなのだ。

しかしそういう人間の純粋で真摯な心、魂、感情を、利用する人間がいるとすれば私は許せない。

たとえそこに崇高な理想が掲げられていたとしても、人を傷つけることで成り立つ組織ならば私は到底受け入れることができない。
退会したある知り合いがこんな言葉を残した。

「仏法という名のもとに、どれだけ人を傷つけても構わないという組織が存在するとしたら、私はそこに籍を残すことはできない」と。
組織を去る人間に多くは「じゃあ、どこで仏法を聞くのだ?」「後生はどうするのだ?」と聞く。

私たちはハッキリ答えるすべを知らない。

でもただ一言いえることがある。

「とにかくここにいるのは危険だ」と。

なぜなら「自分が誰かを無意味に、決定的に傷つけているかもしれないなんていうことに思い当たりもしないような連中」ばかりが集まっているところだから。

やがて、除名になった者や失踪した者、退会した者に対して、蔑みの眼差しを向けるようになる。

だけど、その人間の決断が正しいにせよ、間違いにせよ、彼らが悩みぬいた末に決めた決断ならば、誰も笑うことはできない。

もし笑ったり、見下す人間がいるとすれば、もうそれは人間ではない。

笑ってはならないのだ。

笑うことは許されない。

心をどこか遠くに置き忘れてしまったのだ。

かつて富山へ参詣したときに、担当講師から呼び出しを受けた。

私は当時、ある精神的な病気を患っていたのだが(今もだが)、活動やご報謝で通院する余裕がなく数年を過ごし、ずいぶん悪化したところだった。

やっとお金に融通をつけて(もちろん借金なのだけど)通院をはじめたところで、金銭的に非常に厳しいころだ。

担当講師が私に言ったのはこういうことだ。

「君のご報謝(現・お布施)の申込用紙を見たのだけど、こんな金額では君の後生が心配だよ」と。

私はカチンときた。

彼は本音では何を心配しているのだろう?

それでも私は怒りを押し殺すことにした。

かつて学生時代に組織を批判したとき、講師部員から「君、このままじゃ組織で居場所を失うよ」と警告を受けたのが脳裏をよぎったからだ。

そんな風にして時間は過ぎた。

安穏とした月日といえばそうも言えるし、不眠症や鬱病との辛い戦いでもあった。

ずいぶん悩んだ。

この場所に残るべきか、否か。

不眠症も悪化した。

だけど私は決断を迫られているのだ。

そんな折、3.11が発生することになる。

精神的にひどいショックを受けた。

日夜放送される悲惨な有様に心が悲鳴をあげていた。

そのとき思い出されたのは、親鸞聖人が大飢饉の際に読経をされようとしたり、果ては悩まれて床に伏せられるお姿だった。

ああ、このお方はとてもお優しい方だ、と心底知らされた。

苦しみ悩む方があれば、居ても立てもいられなかったのだろう、と感じた。

なんて人間的な方だろう!

同時に、この組織のことを考えた。

とても目も当てられない状態だった。

何をしているのだ!?

弁当屋の経営?

ダム?

橋?

私は愕然とした。

「ここは危険な場所だ」と。

組織の人間のなかに、人生の目的を知らない人間の言動を見下す人が存在する。

こういう人たちは、仏法も含めて、もう何も学ぶことのできない、中身というものを持たない人間だと思っている。

最後に言いたいのだけど、在籍していたことについてまったく後悔はしていない。

当然、反省は山ほどある。

誤解を恐れずに言えば、感謝もしている。

最後に短編「沈黙」の言葉を再掲して閉じることにする。

「自分では何も生み出さず、何も理解していないくせに、口当たりの良い、受け入れやすい他人の意見に踊らされて集団で行動する連中です。彼らは自分が何か間違ったことをしてるんじゃないかなんて、これっぽっちも、ちらっとでも考えたりはしないんです。自分が誰かを無意味に、決定的に傷つけているかもしれないなんていうことに思い当たりもしないような連中です。彼らはそういう自分たちの行動がどんな結果をもたらそうと、何の責任も取りはしないんです。本当に怖いのはそういう連中です。」

|

« 皆さんにお願い:記事のピックアップについて | トップページ | 心に残った記事を教えて下さい(投票画面) »

コメント

高度成長は終わり、終身雇用もなくなり、国の借金は800兆円をはるかに超えている。また、東日本大震災の影響で日本の経済状況はより厳しくなると予想される。誰もが経済的に安定した家庭を作れる時代は終わったと思うべき。
また、安定した仕事についていても、解雇や、その職業の価値喪失などから、今の収入を維持できなくなることは十分にありえる。

 こんな時代に、宗教にはまって無駄遣いするおじいさんにお金を渡していたら後々大変なことになると思う。

投稿: | 2011年8月28日 (日) 17時50分

↑て言っても後生の一大事には比べられんとか言うと思うし、しょうがねえな。

投稿: | 2011年8月28日 (日) 17時52分

講師部員でも布教局長に顔と名前を覚えてもらっていない人がいるんですか?講師といっても高森会長と直接話す機会は皆無なんですよね。
自分のすべてを会に捧げて講師になったはずなのに、哀れなもんですね。

投稿: | 2011年8月28日 (日) 17時55分

学生部員は、当時は講師部に進むのが善と言われ、青年部に行くのが悪とまで言われた。
講師部は高森会長とのご縁が多いと言われるが、年々会長とのご縁も減ってるし、別に講師じゃなくても、親友部でも一般の社会人でも同じだと思います。法施はお金のためにやるわけじゃないし、親鸞会じゃなくてもできます。

投稿: | 2011年8月28日 (日) 18時02分

布教局長(当時は総本部長)の座談会が会長法話後に月に二回ありました。
私もたまに参加したが、本当にみなさん気をつかい、ゴマをすってるだけで、無意味な役に立たない座談会でした。
布教局長に名前を覚えてもらわないといけないなんて本当に末期です。

投稿: | 2011年8月28日 (日) 18時05分

ああ、このエントリで言われてること、わかるなあ。ものすごくよくわかる。

私もPTSDやうつ病で顔を出せない後輩とよく話しました。かれらは誰より真剣で、真剣だからこそ、フラッシュバックなどで出席できないことを悩んで、さらに悪くなるという悪循環でした。

でも、そんな彼らに講師や幹部は、甘えてるとか、そういうことしか言わないんですよね。中には罵倒に近いことを言う幹部もいました。女性とかだったらそれがさらに心的外傷になることもあったでしょう。

結局、いちばん腹が立ったのは私の場合、このことでしたね。共感するとか同情するとか理解するとか、そういう人間的なことをそこまで捨て去ることのできる環境なんて、あってはならないし、間違ってるんですよ。

講師や幹部も人の子です。彼らがああなるのは環境というか、親鸞会の構造がそうさせるのかもしれません。その意味では、彼らも救うべき病人です。でも、私は人ができてないので、心的外傷を重ねさせたある一人だけはいまだに許せそうにないんです。

こんな苦い思いを抱えさせる親鸞会というのは、後生云々とかいう以前にぜったい間違っているんですよ。

投稿: | 2011年8月28日 (日) 18時32分

息子さんの法座の後にやりだしたのは、30年弱からです。
最初は ( 運転者講習会 )でした。
半強制的な参加でした。
参加費は一人300円でした。内容はなんキロで走行で制動距離は、どうだとか言っていました。
こんな話を聞いても意味がない講習会。それに味をしめたのか今度は、( 徳育講義 )でした。この話も時間の浪費でした。
私は、息子さんは自分て自分のあほを宣伝してバカな人と感じていました。
息子さんに質問しなくても、参加している青年部なら誰でも、答えられる内容でした。
この人の頭は、自分以外皆バカと考えていなければ、人を集めて出来ないですね。
もう、書き込むでいて、馬鹿馬鹿しくなりました。
おわります。

投稿: | 2011年8月28日 (日) 18時49分

財施といわれるけど、仏法のためならば、きちんと収支報告は絶対にできる。できないのは不正経理をしているからだ。
学生は富山にいくためにアルバイトをする。しかし部会を休んでアルバイトをするならば、先輩に文句を言われる。授業休めば、親には申し訳ない。学生は授業なんかでてないっていうけどそんなことはない。
そういった板挟みで悩み精神的に参ってやめていく人もたくさんいた。
辞めた人には冷たい。辞めた人に何十年ぶりとかの人に、案内することもある。これだけ反社会的なことをしておかしなことをするからね。

投稿: | 2011年8月28日 (日) 20時00分

おれもうつになりかかったことがあります。大学三年の時。あのときは朝の六時に起きて部室、大学、部室、帰りは夜の11時。 授業とはいってもレポートやゼミもあったから休むわけにもいかない。合間にアルバイトもした。それを何日も繰り返した。若かったからできたと思う。サラリーマンよりもひどい生活やった。サラリーマンは休みもあるし、そこまで拘束はない。
ところが三ヶ月して体調不良で休んだ。そしたら先輩から部室に来いと言われた。普通は会長法話のために体をやすめなさいとかいわれるが、そうではなく、部室に来いと。
無視して休み、医者にも行ったが慢性疲労で休養が必要といわれ、三日、部会を休んだ。
若かったから、復帰はしたが、先輩にめちゃくちゃ怒られた。他の人は体調不良で休んでもなんにもいわれないが、さすがにデリカシーのない態度にきれ、無視してやった。
他人によってもちがうが、やめてもいいくらいの覚悟で嫌なやつは無視したらいいって思ったね。

投稿: | 2011年8月28日 (日) 20時09分

親鸞会は除苦悩法という言葉を極めて安易に使っていますが、きっかけがあって此処を見ている会員は除苦悩法という言葉の意味を真摯に考えてみたほうが良いと思います。相手の苦しみを我が身に引き当てて、相手が苦しむことをしてはならないというのが仏法精神です。投稿の方が仰っているように無条件服従は危険な行為です。

投稿: | 2011年8月28日 (日) 20時31分

親鸞会会員は、いまだに何千人の会員を有しているみたい。
年々会費も上がり、法礼、本部参詣費も定額になり、お金のない人は仏法は聞けません。
まぁしかたない高森教団の宗教ビジネスですから、私は昔親鸞会必要だな、と考えた事がありました。
青年部の会員を一つの例として、社会人として働き何も熱中する事もなく、ただ家と会社の往復で、内向的な性格で友人も少なく、休みもあてもなく、ただ繁華街を歩くだけの青年が親鸞会とご縁があった。
その日から、青年に光が当たり、毎日が充実感で一杯になり、親鸞会が生き甲斐になりました。
そんな会員は親鸞会から離れられません。
親鸞会がいまだに支持する会員のタイプです。まぁ命までは、取られませんからね。
現役、学徒さんがんばれ。

投稿: | 2011年8月28日 (日) 21時03分

段階があると思う。いろいろあるから考えたらよい。徹底的にごねてください。750回忌でも一日だけ参詣します。参詣費についていわれたら、お金がありませんと突っぱねたらいいです。金がある人が聞く教えじゃないからな。

投稿: | 2011年8月28日 (日) 21時11分

ご法礼が定額っておかしいだろ!

投稿: | 2011年8月28日 (日) 21時12分

親鸞会って金かかりますよね。お金じゃ後生の問題を解決できないから仏教を聞くわけで・・・その仏教を聞くのにお金が必要なら、お金持っている人しか救われない。多額のお金を要求してくる組織で、死という大問題が解決できるとは考えられない。

他人を傷つけて、お金を集め、五欲にまみれた組織でなければ救われないのならば、死んで地獄に落ちた方がマシ。そこまでして、救われる体験ができたとしても、そんな「救い」ならイラナイ。それを「救い」とは思えない。

親鸞会に対して何の疑問も抱かず、平気で所属したまま残っていられる人は、人間じゃないのでは?とすら感じてしまう。

こんな組織、早く出た方がいいです。罪を作り続けるだけです。真の善知識には必ず会えます。大変ではありますが、探して、探して、見つかったらその先生から本当の仏教を教わってください。本当の善知識はお金など要求しません。

全ての人に共通の善知識などいないのです。あなたが信頼できると思った先生を探して見つけて、そしてその先生にとことんついていってください。

投稿: | 2011年8月28日 (日) 22時11分

「後生は必堕無間の一大事、この千載一遇のチャンスに何を犠牲にしても聞き抜け」という割りには、救いの主である南無阿弥陀仏の話はしてくれんかったなぁ。私が難治の病にかかっていることは教えてくれたが、治す薬のことは教えてもらった気がしない。南無阿弥陀仏の独り働きを全面に出すと、教えに自力や諸善ということを盛り込めなくなるからだろうな。

投稿: | 2011年8月28日 (日) 22時53分

うつ病は、無理をせず、養生して、場合によっては薬を飲んで、回復を待つのが基本と聞きます。親鸞会に限らず皆さん、自分や周りにうつ病が疑われる人があったら、休ませてやってください。親鸞会の人も、すこしでも人間らしい心を持っているなら、そういう人は勇気を持って休ませてやってください。「がんばって部会に出ろ」とか言うのは本当に危険です。

私が学生部にいた頃、うつ病の新入生がいたことがあります。故あってその頃あまり新歓に顔を出せなかったのですが、初めの頃にすでにその子はうつの初期症状といわれる状態だとわかる状態でした。だから、私は新歓の主力だった後輩に「あの子はうつ病の可能性があるから、休ませてやらなきゃならない、無理に誘ったり話し込みで悲観的な話をしたりしたら危険だ」といったことを伝えました。しかし、にもかかわらずその子は私が顔を出す度にいました。私の話が伝わっていなかったのです。こりゃまずいなと思ってたら、その子はみるみるうちに表情や振る舞いが悪くなっていきました。のちに、その子は実際にうつ病と診断され、通院していることを知りました。

それで、どうしてこんなに話が伝わらないのか不審に思って、よくよく反省会合とか幹部の話とかを調べてみると、私の言ったことが「先輩の中に後ろ向きなことを言う人がいる」「新入生の悪口を言う先輩がいる」と、曲解されていたことがわかったのです。じつにやるせない話です。

これは私の説明が下手だったのもあるでしょうけれども、それでもあんな曲解があるものかと、やめて十年経ったいまでも疑問です。記事本文の投稿をみるかぎり、いまでも親鸞会はこうしたやるせない、危険な状況が改善されていないのですね。本当にまずいです。危険なことです。心ある人だけでいいですから、講師に怒鳴られる覚悟で休ませてやれる人がいてもらいたいです。

投稿: | 2011年8月29日 (月) 00時13分

親鸞会では、会の教えを聞いていればどんな問題でも良い方向に変わると思っている人が大多数でしょう。そう聞かされますから。私も講師から、「仏法を聞けば精神的な病気も治る」と聞いたことがあります。この様な考えが基本になっているので、うつ病の人も無理やり部会に出させようとするのだと思います。自分では何も考えず、目を背け、それによって人を傷つけているとはちらっとでも考えたりはしません。危険な人達です。

投稿: | 2011年8月29日 (月) 02時43分

客観的に側面から見た親鸞会。高森病院ベッド数1万、普段の外来数3千人、特別(記念日)外来5千人。
医院長、高森顕徹、福医院長息子、理事長息子。
戦時中に医師不足で、特別処置として医師免許を合格しなくても、医師免許を国家が与えました。
現在戦後何十年経ちましたから、もう医療会からは引退です。高森医院は本当に医療行為ができ、本当に患者を治療して治せるのでしょうか疑問です。
別のネットでも、何でも人の書いた医学書を丸写しで、あたかも自分で書いたとして、医療会の名医として、患者を信じ込ませて、高額な医療費を患者に払わせている真実と事実。
通院患者の皆さんは、今年は750回忌という特別診察があるらしのですが、高森病院で大丈夫ですか、医療費だけは名医だけ、本当に医師免許ありますか。

投稿: | 2011年8月29日 (月) 04時41分

東北地震でニセ医師が現れて、偽造の医師免許をつくり、信用させ、医療行為のニュースは、マスコミで流れました。
別段医療費を請求してませんかが、犯罪は犯罪です。
これは犯罪と立証可能です。
資格免許として厳正に社会的に判断可能とあやふやで判断不可があります。
その一つが宗教の代表です。
これは心の世界であり、信じるか、信じられないかの問題だけですから、信じた人に何をいっても、ことわざとして ( 馬の耳に念仏 )です。
日本を代表する名医が世を去られてから今年で、750年が経ちました。
本当に親鸞会に親鸞聖人750回忌を開催する資格があるのでしょうか。
かわう

投稿: | 2011年8月29日 (月) 05時15分

無免許医師が経営する病院に通院する患者に対して、病院側が恐れる事は、転院される事です。
ですから病院側は、必死になり、なりふりかまわずに対策を講じます。
まず通院患者の情報操作で情報の遮断。
次に病院から離職した勤務医にたいしての悪口雑言を言い出します。
常に患者を治療して治せる医療技術もありませんから、常に医院長を褒め称えて、患者を安心させます。
その他列記はありますが、これで十分です。
皆さん、何が何と書かなくても、何が思いあたる事はありませんか。
思いあたる事を真剣に考えて、模索するのが、人生を切り開く事でないでしょうか。
かわう

投稿: | 2011年8月29日 (月) 05時49分

これは親鸞会に限らないが、基本的には、何かあったらその分野の専門家に従うこと。お金などリスクはあるが、病気については医者に必ず見てもらいなさい。

投稿: | 2011年8月29日 (月) 18時19分

仏教を聞いて体調がよくなるとかうつ病が治るってそんなわけないだろうが。 それを体を休めた方がよいって、後輩の子にいったら、先輩が後ろ向きな発言をするって反省会合で問題になったって?
別に親鸞会と一生をともにするわけじゃないんやから言わしておけばいいじゃん。
うつ病は薬と医者じゃないと絶対に治せない。

投稿: | 2011年8月29日 (月) 18時36分

2011年8月29日 (月) 00時13分の書き込みをしたものです。どうも舌足らずだったようなので、説明を補足します。(やっぱり私は説明が下手だ。。。orz)

当時私は別事に携わっていたので、アポ取りなど新歓の活動そのものに直接携わることはできませんでした。そういうことは2,3年生くらいの後輩がやっていました。わたしはかれらに、休ませて医者に診せろ、アポ取りや話し込みは危険だ、と伝えたわけです。新入生本人にはあまり接触できませんでしたから。それで、伝えたはずなのに全然事態が動かないので変だと思ったら、反省会合でああいうことが言われていたということです。

重ねて言います。うつの疑いのある人に「がんばって部会に出ろ」とか「後生は待ってくれない」とか言って迫るのは、本当に危険なことです。ぜったいに避けてください。そして、専門の医師の受診を勧めてください。親鸞会の人、「後生は待ってくれない」のなら、なおのこと生兵法で危険なことをしている場合ではないのではないですか?

うつ病は病気です。気の持ちようとかそういうことではありません。肝炎とか胃潰瘍などが病気であるのと同じで、専門家の診断を仰がなければならないものです。重ねて言います。「仏法を聞けば精神的な病気も治る」という発想は危険です。仏法を聞けば肝炎や胃潰瘍が治りますか?

投稿: | 2011年8月29日 (月) 18時56分

仏法を聞けば精神的な病気も治る

それは絶対にありません。
仏教聞いて治るならうつ病患者なんか出ません。

投稿: | 2011年8月29日 (月) 19時20分

君のご報謝(現・お布施)の申込用紙を見たのだけど、こんな金額では君の後生が心配だよ」と。

この発言をした講師を除名にしてもらいたい。

金集めじゃないんでしょ?後生とお金って、この講師の発言は大問題だ。

投稿: | 2011年8月29日 (月) 19時24分

親鸞会の学生部にはどうしても先輩、後輩の関係がある。これは親鸞会だけじゃないが、新人は心理的にどうしても断りにくい。

投稿: | 2011年8月29日 (月) 21時56分

病気は医者が治すもの。 薬で和らいだり精神的にも落ち着いてくる。 仏教を聞いて治るなら医者はいらない。

投稿: | 2011年8月29日 (月) 22時40分

元旦、1月の初詣は、神社です。
神様は現世利益で、仏様は後生のお願いです。仏法にも十種類の利益もありますが、とても現在病気の人が、瞬時に完治させる事は、世間一般の常識では、無理の判断が賢明です。
過去のコメントにもありましたが、(後生を人質に取り、)その為、この為と使われるのも人生、気づくのも人生。

投稿: | 2011年8月29日 (月) 23時19分

病気は医者が治すもの。
親鸞会がそんなことを言っていないっていうが、実際にやってることは、体調悪くても部会にこいっていうからね。普通はやすませるでしょ。
親鸞会理論では仏教を聞いて治るってことになる。 わかったか高森くん。

投稿: | 2011年8月29日 (月) 23時26分

親鸞会にいたときは「休暇や休息は怠惰や堕落」とみなすような雰囲気があったな。「ほっとくつろぎたいので会合や聴聞を休みます」なんてとてもではないが、口が裂けても言えるものではなかった

早朝は朝会合で、授業に出ようと思えば朝食が食べられず、朝食を食べようとすれば授業に遅れざるを得ない。
昼休みは昼部会でゆっくり昼食をとることなど許されなかった。新入生で、昼食を食べていたために昼部会を欠席していた人がいたが先輩が「後生の一大事よりもメシが大事なのか!?」とか言って怒ってた。超特急で流し込むようにバタバタ食事して、ダッシュで午後の講義に駆け込んだものだったよ
夕方は夕方で会合に出て、くたくたになって下宿に帰りレポートを夜更かしして書き上げて、翌朝になれば眠たい目をこすって朝会合に出かけることのくりかえしだった。

毎日毎日、勉強やバイトを除いて、時間と体力と精神力を極力親鸞会の活動に注入し、四六時中緊張を強いられているような感じだった。
休息して緊張を緩めることは本来は不可欠なんだろうが、「そのような暇があるぐらいだったら、仏法のために使うべきだ。“休みたい”と思うのは怠惰な証拠だ」といって不可欠な休息を堕落だとか怠惰だとするのは異常だったと思うし、メンタル面で親鸞会の活動は悪い影響を与えてるのは間違いないと思う

投稿: (´・ω・`) | 2011年8月30日 (火) 00時14分

問題はケンテツが未信心でしかもパクリまくりで絶対救われない教えを説いて
いたことだと思う。確かに自分は勉強もせずに活動とかで酷使されてたけど、
それでも正しかったら何も文句はなかったと今でも思う。問題はやつの目的が
金儲けで嘘をついていたことだろ。

投稿: | 2011年8月30日 (火) 04時41分

高森親子の真実( 書籍の盗作
不倫事件、真実の知能低下の馬鹿 ) そんな親子が他人様を導けると考えて期待する人は・・です。
それでは、なぜ、講師の何割かは、気がついているのに、なぜ親鸞会から離れないのか。
私の考えでは、お金を握っているからです。
現在会員数も最盛期よりも激減しても、まだまだ親鸞会に1日で億の収入があります。
高森親子の正体を知っても、どうする事もできません。
脱会した講師の方は、脱会を可能とする環境があったと思います。
宗教ビジネスの勝利者高森親子と行動しても、後生の心配をしてくれても、老後の生活の心配はしてくれません。
そんな生き方で、最後には国の福祉で生活して、昔はこうだ、ああだと親鸞会時代の余韻で生きるだけです。

投稿: | 2011年8月30日 (火) 06時34分

高森さんの子供が講師で、19歳で親鸞会入りで現在まで、信心決定の噂も聞かない。
今後も聞かないでしょう。
目的地の道順を未信心の道案内で連れて行くのは無理です。
案内料金だけは、馬鹿高く、払って案内されても到達人皆無。

投稿: | 2011年8月30日 (火) 06時55分

親鸞会にとって都合の悪い情報を外部から入手する時間・余裕を与えないため、あるいは、欲望に負け、親鸞会の活動が疎かにならないようにするため親鸞会はあえて活動を忙しくさせている側面がある。
前者の考えはカルト脳だし、後者の考えは聖道門。

投稿: | 2011年8月30日 (火) 07時36分

脱会後何十年も年月が経過しとも、親鸞会が人に与えた残思は大きいですね。1日も早く正常と社会的に認められる組織になる事を切に願っています。

投稿: | 2011年8月30日 (火) 08時39分

私が親友部という所にいたときの話です。自分の所属の課長は、任務内容については素人でした。しかし、意見を言うと「組織批判」といわれ、このような姿勢では親鸞会にいられなくなるとも。講師にはゴマスリの上手い上司でした。無条件服従になじめず、激務と低賃金、鬱病になりました。「気のもちよう」「仏法聞けば治る」「求道が狂っているからそうなる」どれだけ言われたかわかりません。病気退部する時、「○○(私)とは接触するな」と周りに暗黙の了解があったそうです。当時、現在の夫と婚約していましたが、高森K子さんに「あなた知ってて結婚するの?」と言われたそうです。主婦上隊でも、鬱病に対する偏見は変わりません。皆の前で「あなた、ちゃんとわかってる?」と言われたことは何度もあり、通院日も会合に来いと言われました。そして自殺未遂。死ねなかった。同じ上隊の人間は見舞いどころか電話の一本もありません。それなのに金の無心には来るのです。今、思い出してもつらくなります

投稿: | 2011年8月30日 (火) 09時01分

親鸞会の被害者の話しを聞かせてもらうと、親鸞会講師や職員は陰にまわると人を陥れることを平気でやっているのですね。これで仏教を聞く団体のすることか?

投稿: | 2011年8月30日 (火) 09時50分

親鸞会の組織活動で生計を成り立たせているプロの人は、完全な商売人の言葉です。

セールスマンはノルマに追われての仕事ですから真実は、100に一つでしかありません。
騙した親鸞会が悪いのか、騙された私が悪いのか。
親鸞会に講師まは、完全なマイコン状態の人の言葉の判断は難しい、なぜなら話す本人な゛完全に信じているからです。
そして話す人が誠実な人の場合が多数です。

投稿: | 2011年8月30日 (火) 11時15分

高森K子さんの話がありましたが、旦那さんと変わりませんね。

投稿: | 2011年8月30日 (火) 22時21分

親鸞会は誰がなんと言おうが、高森一族がかわらないとなんにも変わらない

投稿: | 2011年8月30日 (火) 23時53分

除名覚悟でものをいうしかない。
例えば会合を体調不良で休むとしたら、休ませるか、後生と脅して無理矢理参加させ悪化させるか、休ませて後ろ向きな態度と思われるかですよ

投稿: | 2011年8月30日 (火) 23時55分

「風邪を引くのは気が緩んでいる証拠だ。かつての日本軍では風邪をひいている兵隊がいれば、上官が“お前の風邪は治っただろう”と怒鳴りつける。兵隊は“はい!!治ったであります”と答えるしかないが、風邪ぐらいならばそれで本当に治るものだ」とか精神論を言われたこともあった。会長は講師を対象にした講師会議で、よく昔の日本軍を引き合いにした話をしていたと聞いている。
少々の体調悪化ではとてもではないが活動を休ませてくれ、などと言えるものではなかった。

会長は「本会の活動は戦争であり、本会の組織は軍隊だ」とか常々言ってたが、会員は自分の命令に絶対無条件服従する兵隊としか思ってないのだろう。会長が軍隊を引き合いに出すのは「自分は上官であり、会員は兵隊」とみなして、会員を自分に服従させることにサディスティックな悦びを感じ、支配欲を満たそうとしているとしか思えない。会長だけではなく講師もそうだ。
鬱状態の会員に無理をさせようとするのは、鬱病に対する理解がないということもあるかもしれないが、無理をさせれば精神的に負担になることを認識し、負担をかければかけるほどサディスティックな支配欲が満たされるため敢えて無理をさせようとしているんじゃないか

投稿: (´・ω・`) | 2011年8月31日 (水) 00時39分

会長はもう変わらないでしょう。80を超える高齢で軽い痴呆のうえ、もともと強烈なわがままで頑固な性格ですから。
息子もニート生活で月給200万あれば、いまの状態を守ろうとするに違いない。

現状が続くなら、さらなる被害者はこれからも出てくるのは必至です。
まだまだ戦いです。救済の必要は減じていません。心が折れてはなりません。

投稿: | 2011年8月31日 (水) 00時42分

軍隊とか戦争とか今は平成23年。10年前と今でも時代が違うのに呆れるやら何やら。

投稿: | 2011年8月31日 (水) 07時03分

親鸞会の活動は軍隊やって高森さんはお疲れでしょっちゅうやすんでたけどね。

投稿: | 2011年8月31日 (水) 07時35分

現実の軍隊は休養が必要な兵には休養を命令(!)しますし、精神疾患にも科学的に対処しますよ。ベトナム帰還兵のPTSDが社会問題になってからは特にそうです。高森さんのあれは軍隊なんてもんじゃありません。兵隊ごっこの類です。素人が無責任にやるから歯止めがない。

投稿: | 2011年8月31日 (水) 10時16分

盗作してる人間を先生と呼ぶべきではない。
盗人してる人間を聖人と呼ぶのと同じだ。

投稿: | 2011年9月 1日 (木) 20時56分

親鸞会の人間の問題点の1つとして、その道の専門家と比べたら大して勉強してるわけでもないのに「自分はこんなに知ってるんだぞ」と尊大な態度を平気で取れることが挙げられます。
正直、プロから見たらただのお遊びです。

投稿: | 2011年9月 2日 (金) 07時13分

親鸞会講師は、仏教を聞いて病気が治るとか適当なことは言うな。
こういう話をすると、方便とかそんなこと言ってないとかいうからなあ。

投稿: | 2011年9月 2日 (金) 07時29分

>正直、プロから見たらただのお遊びです。

きっと本当のプロから見たら、全くかたはら痛いことなんでしょう。
特に教義上のことは。

このとんでもイカレ教祖は、わが身の中味の無さをひた隠し、自分を大きく見せるのに汲々として、虚言 剽窃 錯覚などを繰り返してきたんだろうと思います。

人間、「身の丈にあった」等身大の言動が出来れば、この狂った教祖のような
無理に無理を重ねるような結果にならないように思えます。

とにかく傍から見ていると、組織全てに余裕無く、イライラ アクセクしていますね。

投稿: | 2011年9月 2日 (金) 10時37分

確かに、親鸞会は仏法聞けば病気が治るとか、暮らしに困らないって言う。それって、ほかの新興宗教と一緒よね。三願転入ばかりで三重廃立を忘れたか?

投稿: | 2011年9月 2日 (金) 16時26分

理解できないことが多いよね。
モノを言え、モノを言え、信心の沙汰をせよって。
それが批判に繋がるなら除名やからな。
わけわからん

投稿: | 2011年9月 2日 (金) 18時36分

仏教を聞けばくらしに困らないって?
ばかも休み休みにしろよ。息子さんの法話に誰も参詣しなかったらどうするの?支部長左遷だろ?

投稿: | 2011年9月 2日 (金) 20時59分

今昔、昔、昔。担当講師がお布施を会員に募る場面での話で。( 高森先生は、 皆さんが信心 決定してくれ れば、どこで 野垂れ死んで もかまわない)と仰っておられます。
出席した会員一同シーンとして、涙ぐむ会員もいました。
高森さんは信心決定していません。
これは、教義面から見ても信前の言動が多数です。

投稿: | 2011年9月 2日 (金) 22時11分

モノを言うと除名。親鸞聖人が三大じょう論されたのも「和合僧を破る」で除名ってことになる?

投稿: | 2011年9月 2日 (金) 23時06分

彼らの言う「暮らしに困らない」という根拠はこういうことです。
因果の道理を教える仏教を聞けば必ず善い種まきをするようになる。善い種をまくから善い結果に恵まれる。
本当に善い種まきならばですが…。
ちなみに、会を接点を持たなくなると、恐ろしくお金が手元に残るようになります。

投稿: | 2011年9月 3日 (土) 12時05分

仏教を聞けばくらしに困らない。

これは嘘です。

本当ならば、講師は生活に困らないはずです。

支部長、講師はご法礼で生活してるが、ご報謝で手元に金がないんです。
高森一族は、親鸞会から信じられない給料もらい、ご法話も会員結集やから金は入るし、参詣者少なければ会合で指摘、降格になるからね。

ご法礼っていうが土日抜いても、毎日会員の民家で法話なり、勉強会やれば、十分に生活できる金は入りますよ。
昼間仕事をしていても夜だけでもいいしね。
高森一族が変わらない限りはつぶれます。

投稿: | 2011年9月 3日 (土) 12時25分

普通に計算したらわかるよ。しかし高森がおかしな規則を作るからできないんやろうな。
土、日以外は毎日会合すれば一つの地区に会員が50人いたとしても、毎日これなくても最低10人はくる。 一日10000円は入る。月に最低20万、日曜や土曜日も会合もあるので、生活できるだけの収入は十分にある。
ただし、高森がなんにも関与しなければだが。

投稿: | 2011年9月 3日 (土) 12時30分

エントリーにある
>「講師部の仕事は、布教局長(現・講師局長)に顔と名前を覚えてもらうことだと思っている」
は、正確には
「講師部の仕事は、布教局長(現・講師局長)に担当している会員の顔と名前を覚えてもらうことだと思っている」
なんだと思います。

けどそれって、講師局長に名前を覚えて貰う行為そのものが、高森会長のかわりに講師局長に 名前を覚えて貰えれば幸せっていう知識帰命だと思う。

投稿: | 2011年9月 3日 (土) 17時40分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 皆さんにお願い:記事のピックアップについて | トップページ | 心に残った記事を教えて下さい(投票画面) »