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心に残った記事を教えて下さい(投票画面)

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投稿:人間らしい精神

「自分では何も生み出さず、何も理解していないくせに、口当たりの良い、受け入れやすい他人の意見に踊らされて集団で行動する連中です。彼らは自分が何か間違ったことをしてるんじゃないかなんて、これっぽっちも、ちらっとでも考えたりはしないんです。自分が誰かを無意味に、決定的に傷つけているかもしれないなんていうことに思い当たりもしないような連中です。彼らはそういう自分たちの行動がどんな結果をもたらそうと、何の責任も取りはしないんです。本当に怖いのはそういう連中です。」(村上春樹「沈黙」より)

作家・村上春樹氏の短編「沈黙」を読むとき、アインシュタイン博士の言葉を思い出す。

「この世は危険なところだ。悪いことをする人がいるためではなく、それを見ながら、何もしない人がいるためだ。」

村上春樹氏にせよ、アインシュタイン博士にせよ、彼らが実際のところどういう意味で語っているかは、本人に聞くよりないのだけど、私のなかではこの2つは同一線上の意味合いを持つ言葉として、魂にひどくしっくりくる。

さて、正しい親鸞聖人の教えとは?という話題になれば、それは実に重大かつ難解な問題だし、それについてはさまざまなブログ等、ネット上でテーマになっているので、ここでは組織というものについて語りたい。

あるとき、某講師部員が私にこう言ったことがある。

「講師部の仕事は、布教局長(現・講師局長)に顔と名前を覚えてもらうことだと思っている」と。

ああ、もうこの組織は末期なんだと感じた。

180度、組織の目的がずれてしまっているのだ。

文言上は「信心決定することを本とする」「親鸞聖人の教えを正確に一人でも多くの人にお伝えする」そのためだけに存在するのです、と言っていても、本音はまったく違うところにあるわけだ。

それが誰の責任なのかなんてことは私には分からない。

トップからそうなのかもしれないし、幹部が捻じ曲げているのかもしれない。

自浄作用を失った組織は急速に腐敗する。

腐敗した組織は腐敗した人間を生み出し、腐敗した人間は人を傷つけることを何とも思わなくなる。

自分の感情すら忘れ、純粋に笑うことも、泣くことも、悩むことも、喜ぶことも、つまり「人間らしさ」というものをどこかへ置き忘れていくのだ。

いったんそっちの世界へ踏み込んでしまうと、それはまるでコンパスの効かぬ樹海のようで、戻るのは困難だし、下手をすればこの人生で戻ることは不可能になるだろうと思う。

何人かの学生から退会の相談を受けたことがある。

私は彼らに声をかけ勧誘したし、そしていわゆる話し込みというのもした。

彼らは組織内において傷ついた経験を語った。

なかにはうつ病になり精神科を受診するに至ったような人もいたし、涙を流しながら話す人もいたし、ひどく腹だっている人もいた。
もちろん、「生きる」ということには必ず「傷」というものが伴う。

もし傷つかずに生きることができるなんて思っている人間がいたら、それはその程度の人生に過ぎないということだ。

もし自らの人生を真面目に見つめ、真摯に生きていこうと思えば、魂の奥底から泣きわめきたいような傷から、涙さえ流すことのできないような冷徹な痛みまでさまざま存在すると思う。

だから人は救いを求める。

それは当然のことなのだ。

しかしそういう人間の純粋で真摯な心、魂、感情を、利用する人間がいるとすれば私は許せない。

たとえそこに崇高な理想が掲げられていたとしても、人を傷つけることで成り立つ組織ならば私は到底受け入れることができない。
退会したある知り合いがこんな言葉を残した。

「仏法という名のもとに、どれだけ人を傷つけても構わないという組織が存在するとしたら、私はそこに籍を残すことはできない」と。
組織を去る人間に多くは「じゃあ、どこで仏法を聞くのだ?」「後生はどうするのだ?」と聞く。

私たちはハッキリ答えるすべを知らない。

でもただ一言いえることがある。

「とにかくここにいるのは危険だ」と。

なぜなら「自分が誰かを無意味に、決定的に傷つけているかもしれないなんていうことに思い当たりもしないような連中」ばかりが集まっているところだから。

やがて、除名になった者や失踪した者、退会した者に対して、蔑みの眼差しを向けるようになる。

だけど、その人間の決断が正しいにせよ、間違いにせよ、彼らが悩みぬいた末に決めた決断ならば、誰も笑うことはできない。

もし笑ったり、見下す人間がいるとすれば、もうそれは人間ではない。

笑ってはならないのだ。

笑うことは許されない。

心をどこか遠くに置き忘れてしまったのだ。

かつて富山へ参詣したときに、担当講師から呼び出しを受けた。

私は当時、ある精神的な病気を患っていたのだが(今もだが)、活動やご報謝で通院する余裕がなく数年を過ごし、ずいぶん悪化したところだった。

やっとお金に融通をつけて(もちろん借金なのだけど)通院をはじめたところで、金銭的に非常に厳しいころだ。

担当講師が私に言ったのはこういうことだ。

「君のご報謝(現・お布施)の申込用紙を見たのだけど、こんな金額では君の後生が心配だよ」と。

私はカチンときた。

彼は本音では何を心配しているのだろう?

それでも私は怒りを押し殺すことにした。

かつて学生時代に組織を批判したとき、講師部員から「君、このままじゃ組織で居場所を失うよ」と警告を受けたのが脳裏をよぎったからだ。

そんな風にして時間は過ぎた。

安穏とした月日といえばそうも言えるし、不眠症や鬱病との辛い戦いでもあった。

ずいぶん悩んだ。

この場所に残るべきか、否か。

不眠症も悪化した。

だけど私は決断を迫られているのだ。

そんな折、3.11が発生することになる。

精神的にひどいショックを受けた。

日夜放送される悲惨な有様に心が悲鳴をあげていた。

そのとき思い出されたのは、親鸞聖人が大飢饉の際に読経をされようとしたり、果ては悩まれて床に伏せられるお姿だった。

ああ、このお方はとてもお優しい方だ、と心底知らされた。

苦しみ悩む方があれば、居ても立てもいられなかったのだろう、と感じた。

なんて人間的な方だろう!

同時に、この組織のことを考えた。

とても目も当てられない状態だった。

何をしているのだ!?

弁当屋の経営?

ダム?

橋?

私は愕然とした。

「ここは危険な場所だ」と。

組織の人間のなかに、人生の目的を知らない人間の言動を見下す人が存在する。

こういう人たちは、仏法も含めて、もう何も学ぶことのできない、中身というものを持たない人間だと思っている。

最後に言いたいのだけど、在籍していたことについてまったく後悔はしていない。

当然、反省は山ほどある。

誤解を恐れずに言えば、感謝もしている。

最後に短編「沈黙」の言葉を再掲して閉じることにする。

「自分では何も生み出さず、何も理解していないくせに、口当たりの良い、受け入れやすい他人の意見に踊らされて集団で行動する連中です。彼らは自分が何か間違ったことをしてるんじゃないかなんて、これっぽっちも、ちらっとでも考えたりはしないんです。自分が誰かを無意味に、決定的に傷つけているかもしれないなんていうことに思い当たりもしないような連中です。彼らはそういう自分たちの行動がどんな結果をもたらそうと、何の責任も取りはしないんです。本当に怖いのはそういう連中です。」

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皆さんにお願い:記事のピックアップについて

初めてこのブログを訪れた方のために、主な記事を20~30程度ピックアップして一覧にしたいと思います。また、読みやすいようにPDFにして配布することも検討しています。

私がピックアップしてもいいのですが、自分が書いたものですから選択に偏りが出るかも知れませんし、あくまでこのブログの読者の皆さんがどんな記事に心を動かされたのか、伺いたいのです。

いくつでも結構です。

プロフィールの欄からメールで送っていただいてもいいですし、コメント欄に入れていただいても構いません。数も問いません。

心に残った記事のURLとタイトルをピックアップして載せて頂けませんでしょうか。

よろしくお願いします。

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真宗大谷派の決算報告書

真宗大谷派の機関誌「真宗」に2009年度の決算書、2011年度補正予算、御遠忌関係の補正予算が14ページにわたって掲載されていました。

初めてじっくり読んだのですが、各行事にかかった費用から部門ごとの職員の人件費に至るまで1円単位で事細かに報告しており、また教区ごとの寺院数や僧侶数、門徒数といった教勢の報告もなされています。

この「真宗」は寺院向けの機関誌ですが、一部250円で一般の方も購読することが出来ます。内容は官報に近いものなのであまり面白いものではないかも知れませんが、寺院関係者以外の方でも一度手にとって見る価値はあると思います。

親鸞会でも15年くらい前までは会計報告が口頭で総務局長よりなされていましたが、かなり大まかなもので世間一般では会計報告とは言えないでしょう。それすらも今は行われなくなってしまいましたが。

親鸞会は最近になって随分大谷派を批判しており、その内容を見ると全く親鸞会の言うとおりだなと思うものもあります。ただし大谷派はつくづく「隠そうとしない教団」です。その問題点も実態も、外からでも中からでもかなりの部分が丸見えですし、そうした実態について教団の構成員である僧侶が自由闊達に批判し、議論している。親鸞会では絶対に見られなかった風景です。

元中外日報の記者が書いているブログに、こんな事が書いてありました。

私は最近の投稿で、伝統教団の宗議会というシステムがいかに腐敗しているのかを書いてきた。しかし一つだけ言っておきたいことがある。その組織が「腐敗している」ことが分かるというのは、じつは一定の透明性があるという証拠なのである。私の取材した新興宗教は、外面は非常に美しかったが、内面がどうなっているのかはほとんどうかがうことが出来なかった。私はそんな不気味な組織より、汚いことが「透明になって見える」伝統教団の方が組織としてはるかにまともだと信じているし、そして好きである。

本当にそのとおりだと思います。

私は親鸞会の批判ばかりしてるように見えるかも知れませんが、批判する一方で親鸞会の良い所、素晴らしいところもかなり各地で話をしているし、伝統教団が見習うべき部分は少なくないと常日頃から言っています。

親鸞会も大谷派の批判をするのは大いに結構なのですが、こうした「いいところ」も少しは真似てみては如何でしょうか。誰も親鸞会がカルトであり続けることなど望んでいないのですから。

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お詫びと訂正(井上雄彦の屏風絵巻について)

皆様にお詫び申し上げます。

7月25日にアップした記事、私を犯罪者呼ばわりする方へ(回答)にて、

私は大谷派が御影堂の修復や屏風絵巻を書く金があるのならば、その半分でもいいから布教のために使ったほうがいいとどこに呼ばれてもそう主張しています。これのどこが「悪口」なのでしょうか。

と書きましたが、ある方から作者の井上雄彦氏はほとんど無償でこの屏風絵巻の制作を引き受けたことを教えて頂きました。

訂正しお詫び申し上げます。知らないのにいい加減なことを書いてしまい申し訳ありません。

それにしてもこのブログ、親鸞会関係者の方にのみ読まれているものと思っていましたが、実際はそれ以外の方にもわりと読まれているのですね。

あとすみません。コメント欄に高森会長の息子の人格について何度も何度も書かれる方がおられます。

そんなに大事なことでしょうか、それは。

私は過去に高森会長の息子のスキャンダル疑惑があったときに、高森会長が全講師部員を3日間、法話も休ませ本部に召集し、その疑惑を隠蔽し闇に葬り去ろうとしたとき、強いショックを受けました。

しかしそれは、息子だけを特別扱いして、息子を守ることを親鸞会の命である布教より優先させたことに対するショックであり、怒りです。

高森会長の息子自身は、確かに人格的にどうだろうかと思う部分もありましたが、面倒見のいい、情に厚い面もありました。

彼の人格それ自体が親鸞会の致命的な問題だとは思いません。

ただ、仏法を伝えるという名目の元にどれだけでも人を傷つけ、ないがしろにする親鸞会の体質は、どれほど批判しても批判しすぎることはないと思います。

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投稿:忘れるな、学生の本当の姿

私が学生部(現:学友部)に在籍していた、15年前後前では、ちょうど今頃に「サマーセミナー」が開催され、その開催期間中、もしくは終了後に「親鸞会」への入会を促していました。
ただ、地区によっては違うかもしれません。
4月に入学した、または勧誘した2、3年生などを4ヶ月かけてマインドコントロールし、入会へと持ち込みます。
ここまで続けてきた学生であれば、入会を拒むことは、殆ど無いと思います。
ただ、その後続くかどうかは別として、ですが。

現在は「ゆとり世代」ということもあり、当時のような感覚で行うと、直ぐに来なくなるとウワサで聞いています。
よって、現在はどのように入会に持ち込むか分かりません。

ところで、「大学生とは何なんでしょうか」。
私が2年生になり、活動が激しくなってきたときにいつも感じていたことです。

入学する大学のレベルは、個々の差でもあるので大学のレベルについていう事もありませんが(私自身、3流大学ですので)、やはり、将来を夢見て、
経済学者になりたい、弁護士になりたい、医師になりたい、エンジニアになりたい、何かの学者になりたい・・・等々あると思います。

しかし、親鸞会と出合ったがために、その夢を諦めざるを得ない事態となることも少なくありません。


・ほぼ毎日、夕方からの部会に強制参加
・朝会合があれば、朝一の授業を諦めなければならない事も
・テスト?レポート提出期限?そんなもの関係ない
・土日は活動、聴聞
・平日、朝夜、土日も休み無ければ、授業中は・・・夢の中

そんな事は日常茶飯事でした。

そんな中、本来、自分の夢を叶えるために来た大学の方を諦める人が出てきます。

・授業にでない。
・当然、レポート、テストは無視
・単位取れない
・留年
・退学

この負のスパイラル、これが当たり前、という空気がありました。
親鸞会の活動のために留年すること、退学することが「善」であり、「凄いこと」と思っている人が少なからずいた・・・と。

私は言いたい(言いたかった)。
「何のために高い学費を払って、大学に来たのか」
「苦労して出してくれた両親に、顔向けできるか」
「授業に出れない?単なる甘えじゃないか」
と。
(一部、実際に言ったころがあります)


私は、そんな理不尽なことはあってはならないと、意地でも4年で卒業しようと思いました。先輩にも同様の人が居ました。
しかし・・・
そういう人って、、、
逆に「キチガイ」、「活動してない」みたいに思われるんですよね。
私も、世代交代(3年生に引き継いだとき)の時に、そう思われました(態度に表れた)。


私は現在、
普通にサラリーマンとして、エンジニアとして働き、家庭も持ち、マイホームも持ちました。
決して、余裕のある生活ではないですが、、幸せです。
きっと、世間から見たら”普通"なことでも親鸞会から見たら、”異常”なんだと思います。

人それぞれで価値観が違いますので、どこに幸せの重きを置くか個々によってことなりますが、
親鸞会での活動は、その幸せを壊します。

壊すのは簡単ですが、元に戻すのは容易ではありません。

もし、現役学生会員の方が見られているのであれば、もう一度よく考えてください。
「俺は大丈夫」は通用しない、通用させない集団ですから。。


また、大学生ともなれば大人への第一歩です。
以前のブログのコメント欄にありました、高森氏のニヤニヤしながら「セシウム」発言。異常です。
以前から気になっていましたが、差別用語、馬鹿アホ発言、下ネタ、人を見下すこと、バカにする発言・・・普通に出てくるんです。
よく講師から「先生は、より分かり易くお伝えするために、テレビや新聞を見て言い回しなどを研究されている」と聞きましたが、その研究の結果がそれですか。。呆れてました。これが、善智識と言われる方が発言する内容なのかと。
セシウム発言は実際には聞いていませんが、恐らく会場で”笑い”が起きたのではないでしょうか。
これまでの差別用語のときなども笑いが起きました。
私は一切笑うことができませんでした。

笑った方々、一体学校で何を学んだのでしょうか。道徳は習いませんでしたか?

笑わないと機嫌損ねて説法中止になりますか?

小学生以下・・・です。

社会に出て、恥をかきます。
学生の皆さん、その場で怒れとは言いませんが、「間違っている」という感覚だけは無くさないで下さい。

長文、失礼しました。

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夢幻界裡の覚醒にみる親鸞会の及び腰

夢幻界裡の覚醒が移転するそうでこんな投稿をしています。

その中で「東本願寺の住職の方からはとても丁寧なメールが届いた。」というくだりがありました。私が書いたメールのことでしょう。やはり人間というのはどこかで必ずボロを出すものです。この方は「布教使」であり「本願寺の僧侶」だそうですが、少なくとも東西本願寺の一員として布教使をしている人ならば、残念ながら真宗大谷派の住職を「東本願寺の住職」とは決して言わないのです。

僧侶には僧侶の言いまわしや常識というものがあるのです。ただし、別に彼が「布教使」であり「本願寺の僧侶」というのが嘘だと言っているわけでは有りません。僧籍を取ることなど大して難しく有りませんし、親鸞会の講師部員ですら東西本願寺の僧籍を持っている人は何人もいますからね。

悲しいのは親鸞会がネットでの教義批判に対して正面から挑むことが出来ず、「無視している」という形にしていること。それでも影響が多いので「親鸞会の人じゃないけど、親鸞会への教義批判は間違ってる」という立場で情報発信する人を作らざるを得なくなったことでしょう。

親鸞会はいかにずる賢くなってしまったことか。私に対しては「東本願寺の僧侶」といって親鸞会批判を宗派対立の陰謀に貶める一方、別のところではこうして本願寺を利用するのですから大したものだと言わざるを得ません。

今回のブログ移転、理由はただ一つ。

彼(彼ら)が移転元で使っていた「ココログ」ではメールアドレスなど連絡先の記載が必須だからです。移転先のアメーバでは必須ではありませんから。

自分が答えられる質問しか答えられない訳ですから、自分の連絡先を明らかにする事はできないのです。連絡したのに答えられないということにしたくない訳ですから。コメントももちろん封鎖です。

さて、この「夢幻界裡の覚醒」の管理人の正体、知ってるなら早く明らかにしろというメールが良く来ますが、今はするつもりはありません。

さんざん暴れてもらってから、そのあとでじっくりやろうと思っています。

あと、最近このブログのコメント欄に親鸞会の講師の収入が低いとかそういうことを何度も何度も書く方がおられます。

親鸞会の講師でなくても、たとえ経済的に苦しくてもあえてそういう職業を選択する人など、沢山おられるのではないでしょうか。私も親鸞会の講師部員であった頃、経済的に苦しいこともありましたが、承知の上で講師部員になったので何も納得行かないことなど有りませんでした。

親鸞会の講師部員の哀しさは、他の講師に対して、学徒に対して、自分の家族に対して、社会に対して、そして自分と自分の心に対して、日常的に嘘や誤魔化しをし続ける哀しさです。

そしてその哀しみに、疑問を封じ、「唯一絶対の真実を求めている」という信念を強化することによってしか対応することができないことです。

「自分の人生、本当にこれでいいのだろうか?」

少なくない講師部員が思っています。しかし「思う」だけです。それ以上は苦しくて無理なのです。

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高森会長の説法を秘密裏に録音していた講師部員

親鸞会では高森会長の説法は録音禁止です。これは固く禁じられています。各地で盛んに高森会長の説法ビデオが上映されていますが、ビデオ(DVD)のダビングをしたら「死刑」と言われています。おそらくこの日本で裁判官以外の人が「死刑」だの公言しているのはこの親鸞会だけでしょう。

なぜこうなるのか。高森会長が説法に自信がないというのもあるでしょう。それ以上に、高森会長の説法を親鸞会が「財産」と考えているのもあると思います。現役学徒(信者)に「高森会長が死んだら親鸞会をやめるのか」と聞くと、「ご法話ビデオがある限りは退会しない」と少なくない人が答えます。

だからダビングは「死刑」なのです。高森会長が亡き後、ビデオが会の存続を左右すると認識しているのでしょう。他でも高森会長の話が聴けるのならば、誰が親鸞会なんて残るでしょうか。

そんななか、昨年末にある現役講師部員が高森会長の2000畳での法話や教学講義、アニメ解説、講師部講義、電話座談会、2000畳座談会、テレビ座談会を録音していた事が発覚しました。それだけでなく、支部長懇親会や地区総会の高森会長の発言まで録音していたようです。

この講師部員は「除名行為である」と激しい非難を受け、すでに学院再研修になっています。真面目な人柄で、少し前まで親鸞会の中枢にいた人物です。

なぜ、こんな事をしてしまったのでしょうか。

いま、多くの講師部員が、声に出せない不安を胸中に抱えています。1929年生まれの高森会長はすでに80歳を過ぎ、いつまで説法できるかわかりません。(今の話も説法と言えるかどうか疑問ですが)その後、親鸞会はどうなるのか、自分の人生はどうなるのか。

私は、この講師のやったのは、そうした不安の表れではないかと思っています。親鸞会など離れたいと思いつつ、高森会長がいるから離れられない、そんな気持ちの講師部員は私は相当いると思いますし、実際にそのような話しを見聞きしたことも数えきれないほどあります。

それにしても、この講師の反省の文章はとても痛々しくて見てられません。

「大変なあるまじき行為を行い、即時、即刻、除名の行為をしておりました。命を捨ててお詫びをしなければならない恐ろしい言動を繰り返し、しかも、完全に狂い切っておりました。広大なご恩を会長先生からお受けしながら、ご恩に報いるどころか、ご恩を仇で踏みにじり、御心に反し、人間としてでもあるまじき言動で、八つ裂きにされて当然の行為です。」

高森会長の話を録音することが、どうして「命を捨ててお詫びをしなければならない」なのですか。「八つ裂きにされて当然の行為」なのですか。

そんなはず、無いでしょう。

親鸞聖人が現代に生きておられたとして、そのお話を誰かに聞かせたいと思って録音した人がいたとします。それを知られて、お前は八つ裂きにされても当然だと誰が言うでしょうか。

本来説法は誰が効いても良いもののはずなのに、ダビングしたら死刑、録音絶対禁止、日程は非公開、会館に入るには名札をつけて厳重なチェック、初めての人は住所氏名の記入…

「完全に狂い切ってる」のはこの講師部員じゃない。高森会長ですよ。広大な仏心大悲を讃仰するのに、一体こいつは何様のつもりなのでしょう。自分の説法にそんなに自信がないのか、希少価値を付けたいのか、それとも「唯一無二の善知識の話はそう簡単には聞けてはならない」と自惚れているのか。

講師部員の皆さん、安心して親鸞会から離れて下さい。あなた方が信仰しなければならないのは、高森会長ではなく、阿弥陀仏ですよ。

説法ビデオを「ダビングしたら死刑」なんて言ってる、勘違いニセ善知識から一刻も早く離れて下さい。

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夢幻界裡の覚醒の管理人にメールを出しました

夢幻界裡の覚醒の管理人氏(無碍界裡氏)に昨晩メールを出しました。

現在はメールアドレスも公開してない様ですが、アドレスを消す前にキャッシュで拾ったアドレスがあったので、そこに送りました。一応僧侶とありますので、私もこちらの宗派と教区、所属寺を明記して送信しました。

氏のプロフィールには「頭の悪い布教使」であり「某本願寺の僧侶」とあります。「本願寺の布教使」ではありませんのでそこを勘違いしないようにして下さい。

メールを送った理由は、この人がどうして高森顕徹氏を師と仰ぐに至ったのか、その気持ちをきいてみたかったからです。しかし今はメールアドレスを公開していない以上、受信もしていないのかも知れませんし、返事は期待していません。

それにしても、コメントも塞いで、メールアドレスもなくしてしまって、例えば氏のブログを読んだ人が親鸞聖人のみ教えについて聞きたい、質問したい、話をして欲しい、となったときは、どうすればいいのでしょうか。

これだけ見ても、宗祖のみ心を明らかにしたい、というのは口だけで、このブログには他に目的があるのでしょう。

そういえば以前にも「我が宗門」などと頻繁にいい、西本願寺の関係者を装っていた人のブログが、実は牧野さんという親鸞会の講師部員がやっているものだった、という事がありました。

無碍界裡さん、モラルの低い団体にあまり深入りすると、こういう嘘を平気でつく人間になってしまうから、要注意ですよ。最も今回の「某本願寺の僧侶」というのは「ごまかし」であって「ウソ」では無いみたいですけど。

追記:

夢幻界裡の覚醒のこの記事この記事を見ると、たかだかメール2通にえらい大人気ない反応ぶりで、何度も「今は(メールは)とどかない設定になっている」「メール送信できない設定にした」「指定メール以外は破棄になる」と書いているところを見ると、よほど触れて欲しくないところに触れられたのか、あるいはN氏の挑発にまんまと乗って弱さをさらけ出してしまったのか…法論なんて無理だから、頼むからもう送ってくれるなと思いをひしひしと感じる。

N氏は「尋常ではない精神状態」「鳥肌が立つほどの異常性」「愚痴めいた惨めな感想文」「お馬鹿さんとしか言いようがない」から相手にしないんだ。だからボクは法論から逃げてるんじゃないんだと、そう言いたいのだろう。それにしても相手を「子供じみてる」と見下す人の文章が、ここまで子供じみているのを見たことがない。どんな気持ちで書いたのだろうか。怖かったのだろうか。余裕がなかったのだろうか。

それにしてもこの弱さはなんなんだろう。この人だけでなく、今まで7年間親鸞会を批判してきて、胆力を感じる人が出てきた試しがない。親鸞会が他の新宗教教団と一番異なると感じる点は、この「あまりの弱々しさ」だと思う。

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