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「親鸞会の真実 なにが息子を変えたのか」の真実

ちょっと某所で発表する機会があって色々調べていて、卒倒してしまうような事実を知りました。

親鸞会の真実 なにが息子を変えたのか
http://www.geocities.jp/ongwanji/

というウェブページがあります。「自分の息子が親鸞会に入った父親が、親鸞会はカルトだと思っていたけど事実を知って誤解に気づく」というストーリーなのですが、これ全くの嘘。全部つくり話です。

なぜ知っているかって?このページを作ったのは私だからです。当然嘘八百の作り話という前提で報告して作成しています。脱会後弘宣部長(現弘宣局長)に、ああいうウソツキのページは消させて欲しいと話をしましたが、「講師部員には守秘義務があることはわかってるな」(つまり黙っとけって意味ですね)と言われたことをよく覚えています。

脱会してから7年経つのに、まさかまだ使われていたとは。

嘘だ作り話だとわかっていてもずっと使い続けるわけですね。私は親鸞会の外に出て、こういうことは本当に恥ずかしい悪いことだからやめたほうがいいと思うのですけど、親鸞会の中の人はそうは思わないんですよね。不思議です。

著作のパクリを指摘されても、全くその事実を認めず「仏法を広めるためなら何でもしてもいい」みたいな言を言って開き直ってる人がいますが、この人をトップに戴く団体なのですから仕方が無いのか。

次はおなじみのこれです。
http://kazoku.sub.jp/

浄土真宗の二大有力団体である、 本願寺と親鸞会の違いを知りたい

って書いてありました。ページ中段です。

規模から言えば親鸞会は本願寺の1000分の1ほどで、とても二大有力団体とは言えません。規模以外の何かで「二大有力団体」と言っているのかも知れませんが、普通の人ならまず恥ずかしくってこんな事書けないですね。

大体、本当に「二大有力団体」なら親鸞会である事を隠す必要なんて全くないはずです。もっと胸張っていいのに、隠してこそこそ布教しているのですから。

8月号の顕正新聞にはあいかわらず「自称正統派からの歎異抄の解説本が出ない」と主張されています。この主張も解説本が出ないから反論本がでないになり最終的に今の形に落ち着きましたが、この主張も嘘ですしまた変わるのかも知れません。

最近の親鸞会は、自分たちを大きく見せよう、正統派に見せよう、本願寺と並ぶ存在に見せようと必死ですね。七里恒順は本願寺の勧学となることを辞退し、名利に生きることを戒めましたが、親鸞会は相変わらず嘘をついてでも褒めてもらいたくて仕方が無いように見えます。偽装勧誘をしている講師のブログを見ても、東大を出ただの外国で講演しただのそんな自慢話ばかり。

浅ましいですね。

心から良いことをしようとか、本当に阿弥陀仏の本願に救われたいとか、そう思っている人は少なくとも親鸞会の講師部にはいないみたいです。

かつて私の友人は、弘宣局長に

私が問うているのは、「親鸞会で人生の目的達成出来るのか?」です。親鸞会の幹部や講師部員で 救われた人がおられるのなら教えて下さい。ちなみにあなたは会員暦何年でしょうか?もう信心決定されましたか?教えて下さい。

とたずねましたが、返答はありませんでした。誰もいないから、答えようがないのでしょう。それを受けて友人はこう書きました。

生々しい体験でなくても、信心決定して、信後の喜びを語っている人など、いないのでしょうか。親鸞聖人は「生々しい体験」こそ語られていませんが、「信後の救われた喜び」は随所に語っておられます。そのような「信後の喜び」を講師部員や幹部会員の中で語っている人を私はみたことがありませんし、そのような「信後の喜びの言葉」を聞いたことがありません。
親鸞会で聴聞を続けて、本当に信心決定できるのか

あれから6年がたちましたが、未だにこの質問の意義は全く衰えていないように思います。

心から救われたいと思ったら、誰一人救われない親鸞会を離れて、親鸞会で言っていることが本当なのかどうか、全国を歩いて聞法してもいいと思います。本願寺の本を読んで、批判サイトもきちんと見て、多くの人の話を聞き、正邪を判断すればいいと、私は思います。

その上でやはり親鸞会しかなかったと思うのならば、その時は親鸞会に帰ったらいいのではないでしょうか。

でもそんな事の出来る講師部員は一人も居ない。

生活の糧を失うのが怖いのか、講師部員という立場を失うのが怖いのか。

無常だ、いつ死ぬか分からないのにそんな事をしている時間はないと言うかも知れませんが、何言ってんだか。少なくない講師部員が高森会長のビデオを見ながら寝てるじゃないですか。知らないとでも思っているのでしょうか。

必死で親鸞会以外の情報に耳を塞ぎ、ちっぽけなプライドを満足させるために「浄土真宗の二大有力団体である本願寺と親鸞会」などという恥ずかしいことを書き、周囲に嘘をつき、学徒には威張り上司にはヘコヘコし、批判に立ち向かう人は200名講師部員がいてもただの一人もなし。

本願寺の批判は皆で声を合わせてするくせに、身内のこととなると間違っていることを間違っていると言う勇気のない人ばかり。高森会長が無二の善知識と言う割には、そのビデオを見ながら平気で居眠りする。

だから講師部員が、人生の目的だの未来永劫の一大事だの言っても、何の説得力もない。

そんな連中の団体が「浄土真宗の二大有力団体」だなんて、アホかい。

よくも平気で書けたものですね。

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コメント

見られた方はわかるだろうけど、一般社会にでて働いた人ならいかにいい加減かはよくわかると思います。学院のところや、学生に高額な財施を要求していないとか。
お金は仏法のためにつかわれており、一円たりとも無駄にしてないって?
じゃあなぜ収支報告しないのですか?ってこと。
だから何を言っても親鸞会は信用しないね。

投稿: | 2011年7月29日 (金) 00時32分

元会員ですが、ひと昔、ふた昔の会員ですから、エッセイを見ても不理解があり、ああこんな事かの想像。あまりにも、差が大きいと感じます。高森氏の説法と組織運営。説法では、引き込まれて、時には、鳥肌が立った感動もありました。多くの脱会に二の足を踏む原因と思います。なぜなのか、今後は、私なりでは、ありますが、明らかに出来るお手伝いが、出来たらと思っています。この、ブログを立ち上げて下さったのは、瓜生さんですか、私の会員時代には、聞いた事の無いお名前ですから、私の脱会後の方と思います。これから、微力ですが、お手伝いさせて下さい。微力にもならないかも、ですが。

投稿: | 2011年7月29日 (金) 00時53分

親鸞会学友部から抜けるときに、『なにが息子を変えたのか』を読めと瓜生氏を非難しまくっていた講師から聞きました。
滑稽ですね。

投稿: | 2011年7月29日 (金) 01時11分

親鸞会は例えばだが10悪いことあっても1いいことを大袈裟にいうからね。

親鸞会学生会員の親は学生会員百人いたら会員の親以外はまず反対。たまに一人か二人理解ある親がいるくらい

投稿: | 2011年7月29日 (金) 01時17分

偽装勧誘、高額な財施、中退、留年、学業放棄、金ないから食生活はカップラーメン、体を悪くして、おかしくなり、辞めたら知らん顔。ふざけるなよ

投稿: | 2011年7月29日 (金) 01時19分

1人でも多くの人が仏法を聞けるようにするのがいいことなんです。体験談が作り話でも一向に問題ありませんよ。真実に近づくための方便ですからね。
浄土真宗と言えば親鸞会か本願寺かというのが世間の人の認識で、教義的にも対立しているわけですから、二大団体といって何の問題もない。


↑これが親鸞会脳。

投稿: | 2011年7月29日 (金) 01時39分

http://www.geocities.jp/ongwanji/
のページ、wget で保存させて頂きました。

高森会の、お聖教の断章取義に対抗するには、お聖教の全文を入手しやすい環境に置くことが必要なのかも知れません。
本願寺派では、漢文の読み下し文と現代語を対照させた文庫本を出しましたが、高森会の会員や講師の方にも自らの目で御開山親鸞聖人の著述に対面して欲しいものです。
http://hongwanji-shuppan.com/item/detail.html?icd=978-4-89416-136-8

ちなみに小生は、大谷派の一門徒であり(度牒は持っていますが)、何故このような愚昧な真宗理解に騙される人がいるのかに興味を持って高森会をウォッチしてます。
「証巻」末尾の「真仮を知らざるによりて、如来広大の恩徳を迷失す」のお言葉の示すように、仮なるもの(本当は邪義かな)によって、いよいよ真なるご法義を味わっていたりします。

真実を追究する方には、味方が多いものです。
瓜生さんにおいては、なにとぞ御自愛されて、邪義の教義(高森氏の真宗理解)に惑わされている高森会の会員に真実を知らせる活動をされんことを願っております。

投稿: 林遊@なんまんだぶつ | 2011年7月29日 (金) 02時05分

ほんのちょっとでも真宗のことを知っていると本願寺と付くものが東西二つ(実際にはいくつあることやら、、、)ありそれぞれ別の宗派であることは知っているでしょうし、ちょっとばかり京都に詳しければそのどちらも「東本願寺」「西本願寺」ではないことも知っているわけですが…。

どうして「二大」の一方は東西統合されてしまうのでしょうね。

少し前の件ですが、ぶるうのさんは本名は書いておられませんでしたが大谷派の教師試験に合格されたことは報告しておられました(お祝いを申さず失礼いたしました)。少なくとも住職資格者であることは明らかにしておられたわけです。

ところで「東本願寺」が正式名称なのは会長に機関紙への寄稿を依頼したのち撤回した浅草の一派なのですが、「東本願寺住職」とか書いてあったのでぶるうのさんが浅草の住職になったのかとびっくりしてしまいました(笑)。

世間では当たり前の、ほんのちょっと調べれば誰にでも明らかにわかることをとてつもなくいい加減に仕立てて、結果として---というより意図的に嘘を書く。このあたりもこの親鸞会の親鸞会たるところですかね。

投稿: | 2011年7月29日 (金) 03時33分

読者2日目ですが、様々な問題がありますね。高森氏も昭和33年から10年ぐらいは、純粋に布教活動をしていた推測。しかし金が入り、組織運営が軌道に乗り、会館が立つと、脳が変わった。本来の地が止め度もなく、吹き上がりました。

投稿: | 2011年7月29日 (金) 06時30分

なにが息子を変えたのか?
こんなうまくいくワケ無いだろwと思いつつ読みましたが、全くの創作と聞いて納得です。
しかし、大学入学直後の親子の会話などは自分の時を思い出させるようなリアリティがありますね。わたしの父も 自分から親鸞を学びたいと思ったのか? と心配しながらも感心するような複雑な風でした。
私の場合は、大学を辞め、親を心底ガッカリさせ、和解できないまま死別するという結末でしたが。

投稿: | 2011年7月29日 (金) 07時25分

>なぜ知っているかって?このページを作ったのは私だからです。当然嘘八百の作り話という前提で報告して作成しています。脱会後弘宣部長(現弘宣局長)に、ああいうウソツキのページは消させて欲しいと話をしましたが、「講師部員には守秘義務があることはわかってるな」(つまり黙っとけって意味ですね)と言われたことをよく覚えています。

やはり、作り話だったのですね。
平気でうそをつき続ける親鸞会のこういうところが嫌いです。

講師がよく話をしていた10分説法の「心口各異言念無実」の
内容を思い出します。

「平気でうそをつき続けるので、うそをついているという感覚さえ
 麻痺してしまっている」と。

もはや、真実を説く団体でも何でもない。

何が、人生の目的か、何が後生の一大事だ、
かれらが弥陀の本願を説けば説くほど、
弥陀の本願から遠ざかる人が増えるのが、悲しいことです。

悪を造り続けの団体、それが親鸞会です。
よく分かりました。

投稿: | 2011年7月29日 (金) 13時54分

>世間では当たり前の、ほんのちょっと調べれば誰にでも明らかにわかることをとてつもなくいい加減に仕立てて、結果として---というより意図的に嘘を書く。このあたりもこの親鸞会の親鸞会たるところですかね。

東西本願寺というのは宗派としては浄土真宗本願寺派と真宗大谷派のこと。
その本山がいわゆる「本願寺」。東本願寺(真宗本廟)の住職といったら門主のことを指します。

ぶるうの氏は正確に言えば「真宗大谷派の末寺の住職」でしょう。親鸞会には信じがたいかも知れませんが、末寺の住職も門主も大谷派の中では原理原則としては同格です。ちなみに門主の給料は月30万円だとか。

普通の人は知らないことかも知れませんが、浄土真宗に携わるものならばこのくらいのことは知っておいてもいいと思います。

投稿: | 2011年7月29日 (金) 16時17分

カルト脳では「高森先生は間違いのないお方」というのがすべての大前提であり出発点ですから、組織の上司以外からいかなる批判を受けても何も感じません。自分たちは善知識の仰せに従って活動しているだけですから、外部からの批判はしょせん何も分かっていない「世間の人」のたわごとです。
体験談が作り話だろうと、説得力がないと言われようと、カルト脳は微動だにしません。

投稿: | 2011年7月29日 (金) 16時38分

人として、生まれたならば、例外なく、幼児期、少年期の環境が、思想を判断に影響を与えられます。高森氏と親鸞会組織の常軌を逸した言動は、高森氏の家庭環境が影響しています。会員を騙しても、何ら罪悪感が存在しないのは、母親から騙されたからだよ。物心つかない幼児期に、母親が自分を連れて、寺の住職の後妻になり、先妻の子供が高森氏の兄になりました。高森氏が真実を知ったのは、大学受験で役所に戸籍謄本を取り、父親と、兄とも血の繋がりが無い、真実を知りました。皆さんも、自分の身の上の事として、考えて下さい。どんな心境になります。その以後の人生に、又は、人に、組織の長に、なった場合は、どんな組織になるのか、それが現在の親鸞会では、ありませんが!このブログで、高森が、親鸞会が、の内容があります。それも大事な事ですが、木を見て、森を見ずにならず、木々を見て、森も見て、で考えると、そこに存在するのは、幼児期、少年期、青年期に冷遇され、すねに傷を持った老人がいるだけ、かもしれません。

投稿: かわうそ、 | 2011年7月29日 (金) 18時38分

読者歴2日目です。ネット送信歴も2日目です。そしてネット検索歴は、3ヶ月です。私は、このブログを開設されたぶるうの氏に感謝します。そして尊敬もします。私も元会員ですが、ぶるうの氏とは、時代と世代が違うみたい。こんな能力と度胸のある人が親鸞会会員に過去に在籍されていたとは、もしも、ぶるうの氏が、高森氏のイエスマンだったら、高森氏の側近として、組織でそれ相応の席には、間違いなく座れていたとはずです。それをしなかったのですから、あなたの正義感に敬服するばかりです。私の会員時代に、ぶるうの氏の名前は、構師として記憶にありませんから、私の脱会後の方とお見受けします。昔も現在も親鸞会のなさる事は、一向に変わっていません。今後もご活躍下さい。又、私も書き込ませて下さい。かわうそ

投稿: | 2011年7月29日 (金) 20時15分

もしかしたら、高森会長は"アダルト・チルドレン"なのかもしれません。
自己の栄光化への飽く無き執着、他者を下位に置かなければ安心できず、他を仰ぎ見ることは勿論のこと他が並び立つことさえ屈辱と脅威を感じて許さない。
そんな印象を高森会長からは受けますが、これらはアダルト・チルドレンの特徴の一部と思われます。
昔、高森会長の法話中、「報恩にはその相手が喜ぶことをしなければならん。阿弥陀仏、親鸞聖人へ報恩をしようとするなら、一人でも多くの人に本願を伝えることだ」という話の時に、「私の父はお酒の好きな人だったから、父を喜ばそうとしたら一升瓶をプレゼントすればよかった。一升瓶を贈ると、父がニコニコーっとしとったのをよく憶えています」と語っていたことがあります。高森会長は、母親との思い出は愛情を込めて頻繁に語りましたが、父親のことを語ったのは私の記憶ではその「酒が好きだった」ということだけです。このことと現在の会長のあり方を考え合わせると、高森会長の父親はアルコホリック(アルコール中毒者)で高森会長からは疎まれていたのではないか、そして高森会長自身はアダルト・チルドレンだったのではないか、と憶測しました。私もアダルト・チルドレンなので、同じ傾向の人のニオイには敏感なのです。(憶測がとんでもなくハズレていたらごめんなさい)

投稿: | 2011年7月29日 (金) 22時19分

かわうそ様へ

人として、生まれたならば、例外なく幼児期 少年期の環境がその人の
思想に影響を与えると仰ることに 異議はありませんが
その 影響を ‘善’とするか‘悪’とするかは 本人の
判断ではないでしょうか。高森氏は‘悪’とした所を
私たちは 問題にしています。

たとえあなたの 言う事が正しくとも あなたの言うような
表現は慎むべきです。
私の母も 再婚ですが、私を騙していた と言いわれるのですか。
どこの家庭にも事情は有ると思います。
もう少し考えて コメントして頂きたいと 思います。

投稿: | 2011年7月29日 (金) 22時32分

申しわけありません。昔、に講師の会合で、先生の御苦労についての指導で、お母様が信信心決定された事や、先生の話題で聞きましだ。私が軽率でした。私もの文で、多くの人を知りました傷着けたのでした。言い訳として、私の説明不足もあります。ぶるうの様に不快感を与えた事、お詫びします。軽はずみでした。捕捉の説明として、家庭・家族の絆が嘘だった。会長先生は、幼児期少年期と母親から厳しく、厳しく育てられたらしい。自分はこの家の子供では、無いと思い、育った。兄は、優しく、優しく育ったらしい、人の話だから、こんな表現に。大学受験まで、知らなかったらしい。その時ー ー がその人間の思想、信条に影響を与えると思います。それが善にはるか、悪になるのかは、その人次第ですね。私の推測では、推測とは、私の経験全てです。高森氏さんは、強いショックと共に、母親の疑問が解けたが、自分が大学に進学出来るのは、母親が再婚のお陰で、もし母子家庭なら小学出るか出ないで、どこかの小僧に出されていた。母親の再婚で自分に与えた影響は、ー ー ーそれなら、結果として、向上させられるならば、何をしても良い。嘘を言おうが、騙そうが、結果に至福があるなら、そのような考え方になったのでは、推測。なぜか、人は、自分がやられた事は、同じ事を人にやるみたい。いじめたられ子は、いじめ子になるように。私の推測、高森氏は、現在も憤っていると推測。憤りが鎮まる事は、ありません。母親に対して、納得されていません。なぜ、なぜ、毎日無意識の自問自答されている。推測。それが高森氏に与えたられたと推測。嘘も善、恫喝も善仏法が人が聞くなら善。結果として、信心決定を目的にして、仏法聞くなら善。これを高森氏が実践されていると推測。私が説明したかったのは、その事でした。私の思慮の欠如で多くの人を傷つけました。深くお詫びします。もう 書き込みをする資格は、ありません。これからは、読者として、ブログを読ませて下さい。さようなら、ぶるうのさん。

投稿: | 2011年7月30日 (土) 04時13分

>ぶるうの様に不快感を与えた事、お詫びします。

ぶるうのさんは不快感を感じたとどこかに書かれましたか?
どなたかのコメントに過剰反応してのあなたの妄想が入っていると思います。あなたなら不快感を感じるということではないですか? 
高森会長とあなたは別人格ですし、考え方も一人ひとり違います。
推測に推測を重ねて、こう思ったに違いないと考え、それに対して自分はどう思うと書かれても意味が無いと思います。
連子で再婚など昔からよくある話です。
お母さんが寺に嫁がなければ、高森会長自身、浄土真宗とご縁がなかったかも知れません。
高森会長がなぜこういう言動をするようになったか?の推論ではなく、どうしたら現実の被害を食い止められるかを論じて頂きたいと思います。

投稿: | 2011年7月30日 (土) 09時43分

しっかし、「真実というのは一つも二つもあるものじゃない!弥陀の本願だけを真実というのだ!」とか鼻息荒くしてる団体が「親鸞会の真実」とかいう嘘八百サイトを立ち上げて平然としてるんだからなぁ……

あほちゃうんかと

投稿: | 2011年7月30日 (土) 18時52分

親鸞会で検索したのが、3日前でした。何も理解しないで読みました。親鸞会さんとも、離れて年です。親鸞会組織の支離滅裂は、お家芸です。私も会の批判は在籍から、していましたが、しかし問題は、その会員が脱会しても、それから、どうするの~!ですね。組織の会員には、純粋に仏法を求める人。社会から、相手にされないから、人恋しくて、の会員がいます。会の指示に従って、財政とか、聴聞会場に足を運んでいれば、組織から切られる事は、ありません。私の会員時代には、学生部から、青年部にこられて、接すると、とても、会員以外で友人が出来るタイプでは、ありません。自分勝手で、人を人とも思わない態度でした。会の講師、本部の部長には、ヘイコラ、ヘイコラでした。この人が組織を離れる時は、死ぬ時です。離れられる会員は、志が高く、どこでも順応出来る人でした。親鸞会でしか生きられない人は、可哀想ですね。哀れ、哀れ、みなみな-

投稿: | 2011年7月30日 (土) 19時05分

やくざがやくざを辞めるときは死ぬときと言うのと同じかんじ?

投稿: | 2011年7月30日 (土) 19時47分

よく、「親鸞会を辞めれば、どこで話を聞けばいいのか」と
尋ねる会員がいるけど、
そういう人って、今やっている麻薬をやめたら、
次にどの麻薬を吸えばいいのかと悩んでいるような感じに思えてしまう。

依存症なんでしょうか。

親鸞会やめれば、もう話は聞かなくていいんじゃないの?
それでもやっぱり聞きたいなら、自分で探す努力を一からすれば
いいと思うんだけどダメ?

誰かが正しくて、他の人は間違っていて、
その正しい誰かが分からないと、親鸞会をやめる決心が出来ないって
思っているのかな?

依存症となっていること自体が問題で、
それが貴方の人生を不幸にしているってことに早く気づけるといいですね。

投稿: | 2011年7月30日 (土) 21時06分

この、ブログで現在の会員数とかが分かりました。今後、最盛期の会員数に再び戻る事可能性は、0ですね。現在数六千人前後ですか。今後この数は維持すると思います。一応組織的に、形がありますから。一大転機としては、組織の創業者が逝かれた時には、激減します。多くの会員は、ドラ息子に、?であっても、創業者について、この表現が適して、いないかも、ですが、創業者の説法には、人を引き込みます。私は、何度も全身の鳥肌が立った記憶があります。創業者が逝かれた時が、組織存亡の危機を迎えます。ドラ息子では、どうする事も出来ません。三千人以上の会員は、離れると思う。その後は、ドラ息子二人で会館を手放しても、孫の代まで贅沢三昧でも生きて行けます。あまりにも能力が低く、誠意が無い、それでは、ついて行くのは息子以上にどうにも、ならない講師だけですね。私より前に脱会者の言葉は、先生の説法は、いいのにあの息子は、なんや。です。いずれにしても、そう遠くない年数で、終演を迎えざる得ません。

投稿: | 2011年7月30日 (土) 21時08分

真如苑だったか日産の工場跡を739億円で買ったり
運慶作の如来像だったかを16億円で買うたそうな
他にも1500億円の美術館だとかある教団とか
えーと、2000畳で100億円だか120億円だっけ
小さいなぁ

投稿: | 2011年7月30日 (土) 21時12分

親鸞会の目的は、信心決定を目的にした求道者を会員を多くする事です。が、不必要な会員は、信心決定者です。過去に信心決定を口走た会員は、組織的に脱会させられています。求めさせて、求めきった会員は、不必要。会が必要とする者は、信心決定の為には、会の方針に、命懸けで動く会員です。組織の一部が見えますね。

投稿: | 2011年7月30日 (土) 21時43分

親鸞会でバリバリ活動していた時は流行っている音楽も、小説も、ドラマも楽しむこともなく、人としての感情が希薄だったような。この最近、東野圭吾を読んでジーンとしたり、「八日目の蝉」という映画を見て大泣きしたり、嵐の歌で元気になったり。やっと「人」になれたと思います。

投稿: | 2011年7月30日 (土) 21時48分

会長の説法は今はスカスカですよ。あまり昔のことは知りませんが。
話のレパートリーがだんだん少なくなってきています。
ネットで批判されたところは話さなくなってる感じ。
建築意欲だけは相変わらずですw。

会員はどのくらいいるのか、組織の中枢部でないとわからないですよ。
4千とか6千とかいろいろ諸説ありますが・・・
会員数はネット批判(平成17年くらいから)がはじまってからは
ずっと減少傾向です。大きな行事での2000畳や駐車場の埋まり方を
見ればわかります。

投稿: | 2011年8月 1日 (月) 21時53分

ショックを受けました。何が息子を変えたのか?が作り物のサイトだということに。それが事実だとしたら、本当にショックです。
正直、何を信じたらいいのかがわからないし、何も信じられないというのが正直な感想です。

このサイトに記載してあることも信用ができない・・
その作り物のサイトという証拠はあるんですか?

私は親鸞会とは無縁です。ただ、なぜ生きるという本は読んだことがあります。amazonに書評もつけています。もしよければ、確認してみてください。
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4925253018/ref=cm_cr_dp_synop?ie=UTF8&showViewpoints=0&sortBy=bySubmissionDateDescending#R3ETD50CD8LGZS

投稿: 北村 | 2014年1月 3日 (金) 13時06分

一番読み応えがあるのは、このブログをなさっていらっしゃるぶるうのさんご自身が、昨年(2013年)秋以降、歴史ある仏教雑誌『大法輪』に2度までご連載なさった渾身の回想記でしょう。ただ、「そんなのは信用できない!」とお感じかもわかりませんよね。

危険は避けねばなりませんが、今後機会あれば、実際に親鸞会の会館を遠くから眺めてはいかがでしょうか。

われわれがいわゆる新宗教の巨大な本部を眺めた際に感ずるあの独特の「敬遠しま~す!」という感覚を、北村さまが親鸞会の誇る2000畳敷きを見てもお感じなさるかどうか……うまく表現できませんが、人間の直感って結構当たるもんだと思います。ちなみに私は17年前に、関東地方で開催された会長の法話会を聞きに行き、受付で偽名とニセ住所を書いてまじめに夕刻まで聞きましたが、会長のお話はその時点で同一の論点をめぐる、くどくどしたもので、不敬にも居眠りしてしまいました。

投稿: 北村さまへ | 2014年1月 4日 (土) 19時15分

回答ありがとうごあいます。私は石川県に在住で、富山は隣なので、機会をみつけて、一度見に行ってみたいと思います。
自分は、高森という方がどんな人なのかは全く想像ができません。でも、この生きる意味を考えるという点だけで考えれば、正しいことだとは思っています。

ただ、ネットではお金関係とか人間的に、どうなんだという意見もよくありますし、火のないところに煙は立たないとは思うので、何かあるとは感じています・・・。
最初は純粋であっても、権力を手に入れると人が変わるのも事実だと思いますから。。

どちらにしろ、自分の目で確かめないといけないのかもしれません。


投稿: 北村 | 2014年1月12日 (日) 20時28分

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