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悩みながら生きて行くしかない

「怪しい宗教かあ」と僕はピザを皿から取り、口に入れる。「僕は真面目な大人たちが、不気味な新興宗教にのめりこんでゆくのが、理解出来ないよ」
「そうかな、わたしはできるよ」と鳩麦さんはすぐに言った。
「え、どういう風に?」僕はまさか、鳩麦さんが自信たっぷりに答えてくるとは思いもしなかったので、少し驚いた。
「毎日毎日、わたしたちって必死に生きてるけどさ、どうしたら正しいかなんて分からないでしょ」
「え、どういうこと?」
「何をやったら、幸せになれるかなんて、誰も分からない。そうでしょ」
「うん、そうですね」南がうなずいた。
「変な話、砂漠にぽんっと放り出されて、『あとは自由に!』って言われたようなものじゃない」
「自由に?」
「そう。どうやって生きればいいか、なんて誰も教えてくれない。お好きなようにと支持されるのって、逆につらいと思うんだよね」
「どういうこと?」
「みんな、正解を知りたいんだよ。正解じゃなくても、せめて、ヒントを欲しがってる。だから、たとえば、一戸建てを買う時のチェックポイント、とか、失敗しない子育ての何か条、とか、これだけやれば問題ないですよ、っていう指標に頼りたくなる」
「確かにそういう部分はあるよね」
「でも、人生全般にはそういうものってないでしょ。チェックポイントとか。何か条とかはない。自由演技でしょ。だから、誰かに、『この修行をすれば幸せになれますよ』とか、『これを我慢すれば、幸福になりますよ』とか言われると、すごく楽な気分になると思うんだよね。どんなに苦しくて、忍耐が必要でも、これをすれば幸福になれるって道しるべがあれば、やっぱり、楽だし。だってさ、わたしたちって子供の頃から、やることを決められているわけじゃない。生後何ヶ月検診とか、六歳で小学校へ、とか、受験とか、考えなくても指示を出されるわけでしょ。例年通りの段取り、とかさ。不良少年が卒業式を迎える段取りだって、あると思う。それがある時、急に、自由にどうぞ、って言われて愕然としちゃう」
「それが宗教ってこと?」
「そういう宗教もあるってこと」鳩麦さんがコップの水に口をつける。「よく、怪しい宗教には、階級みたいなのがあるでしょ。修行によって、どんどん偉くなる感じの。ああいうのはほんとうに良く出来ていると思う。これをやったら一つ階級が上がって、上がってゆくほど幸せになる、って言われたら、やっぱり気分的には楽でしょう?」
「楽かな」
「つらいけど、楽だよ。何をすれば良いのかわかっていて、しかも、結果も見えるんだから。でも、結局、そういうのに頼らず、『自由演技って言われたけど、どうすればいいんだろう』って頭を掻き毟って、悩みながら生きて行くしかないんだと、わたしは思う」

(伊坂幸太郎『砂漠』2010年)

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コメント

カルトは信者が自分の頭で考えると金集め、人集めに都合が悪いので、カレーの味まで教祖が指導します。教祖自身は自由演技で好きなように生きていますよ。愛人を秘書として雇用するなどとても分かりやすい。

投稿: | 2011年7月14日 (木) 18時39分

宗教は人生に指針を与えるものですが、インチキ宗教を信じればとんでもない方角に導かれてしまうでしょうね。

投稿: | 2011年7月14日 (木) 19時10分

考えることがゆるされませんからね。
マインドコントロールされてる方に近寄らないほうがいいですよ。
夜中に電話訪問も平気だからな。

投稿: | 2011年7月14日 (木) 19時33分

ところでこのブログって瓜生崇が書いてるって書いてあったけど、
なんで自分は正体隠してんの?瓜生崇って。
それについてはどうよ!?

投稿: | 2011年7月14日 (木) 21時57分

宗教も考えながら信仰していかねばならないってことですね。
人生も同じ。「煩悩具足のわれら」です。
聖人は「煩悩」つまり、つまらないことに悩み煩わされているのが
人間の実相であると見抜かれたわけです。

親鸞聖人が比叡山を降りられたとき、言葉には出さなかったけれど、
修行によって仏の悟りを開く聖道門は、ウソなんじゃないかって思われたように思います。
ただ修行していればよい・・・しかし、20年やっても何の変化もないことに、
気づかれたのではないかと。
もし思考停止して一生修行していれば、どうなっただろうかと。

つまらないことに悩み煩わされながら、七転び八起き失敗したり泣いたりしながら、
何がなんだかわからないけど、信心念仏することで助けてあげるよ、
というのが阿弥陀仏の本願でしょうと。

だから人集めや金集めのための苦行なんかしなくてよい。
真宗では、そんなことは弥陀の救いと関係がないのです。
むしろ、思考停止などせず、煩悩に悩まされながら生きていく・・・
泣いたり、笑ったり、怒ったり、楽しんだり、ふさぎ込んだり、自然に生きていく・・・
そんな人間をお育てになり、救う・・それが弥陀の本願であると
親鸞聖人はおっしゃっているんでしょう。

投稿: | 2011年7月14日 (木) 21時58分

段取り、手順、方法論、道筋。これらを示してもらうと安心しますよね。自分はこうやってていいんだ、と一応の心の座りができますから。三願転入、横の線、これらはそんな心理を巧みに突いた教義なのかも。何かを得るのに、方法、手順を抜きにはできないのが人間の心理。親鸞会教義って(悪い意味で)人間臭い教義ですね。

投稿: | 2011年7月14日 (木) 22時01分

21時58分の投稿された方へ。
ここのコメントで久しぶりにいいものを読みました。
ありがとう。

投稿: | 2011年7月14日 (木) 22時03分

> ところでこのブログって瓜生崇が書いてるって書いてあったけど、
> なんで自分は正体隠してんの?瓜生崇って。
> それについてはどうよ!?

別に殊更、正体を隠している訳じゃないでしょ。
だからこそ、あんたも分かった訳だし。

親鸞会の連中なんかより、余程堂々としてると思う。

あえて実名を名乗る必要もないし、名乗っていない人がほとんど。
あなたが、なぜこのサイトに関して「正体を隠している」といい、
「それについてどうか」と意見を求めたがっているのか、
よく分からない。

なんか恨みでもある人なのかなw

あんたも正体隠しているやん。
もし、人に尋ねたいなら、自分が名乗ってから
聞いてみたら?説得力あるかもね。

投稿: | 2011年7月14日 (木) 22時34分

瓜生崇って東本願寺の住職になったんだろ?

> 5月17日付けで、新住職として瓜生崇が玄照寺に着任いたしました。
>
> 皆様にはお世話になります。よろしくお願いします。
>
> 玄照寺(山号:廣照山) 527-0056 滋賀県東近江市御園町441

東本願寺の僧侶だって自分でも書いてたし、
東本願寺ってこんなブログ作ってていいのかよ?

たぶんコメント消すぜ。
このブログ自体男らしくねーから。
これ画像キャプチャしといた方がいいんじゃねーの?

それともこいつそのうち「さよなら東本願寺」っていう
ブログ書き出すんじゃねーの?
瓜生崇って悪口好きみたいだから。
こんな奴がきちゃって東本願寺も大変だよ。

投稿: | 2011年7月15日 (金) 06時32分

このブログが男らしくないかどうか、管理人氏が悪口が好きかどうか。
その点は、『親鸞会は宗教詐欺を行っている団体である』という客観的事実とは、何ら関係がありません。

投稿: | 2011年7月15日 (金) 08時16分

批判を悪口ととって潰そうとするか、それとも批判は批判と受け止めて反省するか。親鸞会はずっと前者の道を歩んできて、やめた会員の声も「本願寺の陰謀だ!」と決めつけて全く聞く耳を立ててこなかった。それが今の親鸞会の姿です。

いくらでも変われたのに、そのチャンスを自ら葬ってしまった。逃げて、かくして、ごまかして、嘘をついて、学徒の信頼を失い、気づいた人からやめてゆく。

1年にどれほどの退会者が出ているのか、ご存知ですか?

親鸞会の「悪口」ブログって大量にあるよね。親鸞会ブログポータルナビを見てもわんさか出てくるけど、のってないものも一杯ある。他の宗教団体で、こんなに「悪口」ブログが多い所って他にあるのかな。

これ、みんな「本願寺の陰謀」ですか?

別に批判を悪口と受け止めて批判者の性質に原因を求めるのも結構。
でもなんでこんなに自分たちは批判を受けるのか。やめた人がどうして親鸞会の批判をするのか。少しは考えたほうがいいですよ。

因果の道理がどうのこうのと口先では偉そうなことをいうけど、ひとつも自分たちの身の上に照らし合わせることの出来ない団体が、親鸞会だから。

投稿: | 2011年7月15日 (金) 09時20分

瓜生崇さんが東本願寺の住職になったとは驚きです。12年前東海学生部
ではお世話になりました。瓜生さんは口が悪かったことは印象に残っています。瓜生さんの話は面白かったですが仏法を話しているとき例え話を使うとき恋愛話が多かったと思います。そういえば今はあるかは知りませんが講師のなりたての人が先生のお話の前に体験発表しますがその時も失恋したことを発表していました。

投稿: | 2011年7月15日 (金) 09時50分

住職になったのは最近みたいですね。
こちらの記事にも「寺住職」と出ています。
http://mainichi.jp/area/kyoto/news/20110702ddlk26040539000c.html

ここには、「教師」とだけ出ていますね。
http://www.jscpr.org/lecturer/uryu.htm

彼については名前を隠しているという印象は全く無いです。むしろ積極的に自分の名前を出しているように思いますね。ある時までは割と隠していたような気がするので、途中から方針転換したのでしょうか。

投稿: | 2011年7月15日 (金) 10時23分

東本願寺は親鸞会なんて眼中にないそうですよ(笑)
瓜生さんは、個人として脱カルト関係の団体や、カルト宗教被害者家族の会など、いろいろな活動をしています。これは各種団体に問い合わせればわかるでしょう。
また、実名で大学で講演などもしています。
残念ながら、東本願寺の陰謀ではありませんね。

投稿: | 2011年7月15日 (金) 12時37分

瓜生さんの活動やブログには名前を隠さなければならないような
理由はみあたりませんね。
どこかの宗教団体が、大学や貸し教室などで団体名を隠して
勧誘活動をしているのとは大違いw。

そもそも瓜生さんは東本願寺の僧侶として、
このブログを書いてるわけでなく、元親鸞会講師として
個人の資格で書いてるんでしょう。

東本願寺は、親鸞会のような泡沫カルト教団など興味がないですよ。
「そんな団体知らなかった。」か「名前はどこかで聞いたような・・・。」
といった程度。無関心です。

親鸞会のネット対策員流に言えば、仮に瓜生さんが東京電力に
就職していたとしたら、このブログは親鸞会に対する「東京電力の陰謀」
ということになります。
彼らの言ってることがいかに無茶かわかるでしょう。

投稿: | 2011年7月15日 (金) 13時47分

でもなんで東本願寺住職の瓜生崇は
未だにプロフィールに連絡先は
あやしいGメールだけで、
住所も名前も書かないんだろ。

みんなから
「瓜生」
「瓜生」
「瓜生は口が悪かった」
言われて逃げ腰になってんじゃねーの?

でも瓜生崇なんか住職にして、
東本願寺(真宗大谷派)門主の大谷暢顯は
どう責任とるんだ?

宗務総長の安原晃も責任あるぞ。
東本願寺の住職がこんな反社会的な
犯罪ブログ書いてるなんて大失態だ。

まあこれじゃ瓜生崇も正体隠すしかないか。
住職のくせに東本願寺の悪口書きまくってるし。

> 私は事なかれ主義で、カルト問題に対して
>
> 何時まで経っても積極的になれない
>
> 東西本願寺に失望している
>
> 私自身は近代教学など学ぶ気にもなれない。

ほんと自己中心的だよな。

ガキだわ、こりゃ。恥ずかし-。

それで大谷暢顯はどうすんだ?こいつ。

投稿: | 2011年7月15日 (金) 21時14分

大谷暢顯が門主なんだったら
東本願寺の僧侶がこのブログ書いているということは、
大谷暢顯がこのブログ書いてるのと同じだよな。

投稿: | 2011年7月15日 (金) 21時19分

そうだね。
親鸞会の会長が 高森顕徹なんだから
講師が 書いているブログは
高森顕徹が書いているのと 同じだね。
まあ 講師は会長の コピーだから
一言一句同じでないと いけないのだね。

投稿: | 2011年7月15日 (金) 21時31分

って言うことは親鸞会講師の書いているブログはケンテツが書いているのと同じって言うことね。

投稿: | 2011年7月15日 (金) 21時34分

このコメント欄をみて二つのことが分かった。
ひとつは親鸞会が相変わらずこのブログをつぶしたがっていること。会員も減ってるし、自分たちの恥部を明らかにされてあせってるんだろうね。
もうひとつは東本願寺は親鸞会と違って、内からの批判を許す自由な組織だということだ。親鸞会の講師が親鸞会の批判を書いたら下手したら除名だしね。

ところでこのブログのどこが反社会的な犯罪ブログなんだろう?

投稿: | 2011年7月15日 (金) 21時36分

まあまあ皆さん、とりあえずは
非社会的 非人道的 非真宗の
S会を 潰してからに しましょうか。

投稿: | 2011年7月15日 (金) 21時37分

親鸞会は瓜生氏一人に振り回されて会員減らしている事実を認めたくないから、東本願寺と戦っているように思い込みたいのかもしれない。
最近の親鸞会は、みっともない。

投稿: | 2011年7月15日 (金) 22時03分

東本願寺はカルトと違うから、僧侶が門主に無条件絶対服従しなければならないことはないだろう。僧侶の中にいろいろな意見があっておかしくない。
親鸞会はそろそろ羊頭狗肉の浄土真宗の看板を下ろしたらどうだろう。

投稿: | 2011年7月15日 (金) 22時04分

このブログでは東本願寺の僧侶が
門主の悪口言ってもいいんだって。
ほんと?
大谷暢顯さん。

投稿: | 2011年7月15日 (金) 22時29分

最近ここに親鸞会のネット対策員の出没がやたら頻繁だね。

だいぶ焦っているようだね(笑)

会員が辞めまくってるんだろなw

投稿: | 2011年7月15日 (金) 22時42分

ボロボロ学徒がやめていってるからね…
ここもそうだけど、他にも「飛雲」とか見てね。

投稿: | 2011年7月15日 (金) 22時46分

ネット見なくても 訳のわからない話を聞かされ
ボケた爺さんを 善知識と拝まされ 
理解出来ないお布施の連続で
 退会者続出だよ。

投稿: | 2011年7月15日 (金) 22時54分

因果の道理だね。
悪因悪果 自因自果

投稿: | 2011年7月15日 (金) 22時56分

>このブログでは東本願寺の僧侶が
>門主の悪口言ってもいいんだって。
>ほんと?
>大谷暢顯さん。

悪口というか、批判はしても別にいいんじゃない?
親鸞会ではありえないと思うけどw

あ、でも兒玉さんなんかは局長の悪口、言葉で言っていなくても、
姿で後輩講師に示しているか。

局長の会合中、いつも後ろで聴聞録うちながら、
「オレ、局長のつまらん会合なんて聞く気ないし」と
体で言っていたのが印象的。

瓜生さんは、門主のカルト対策にかける姿勢を問題視して、
批判しているのだから、なんら問題ないし、
もっと言ってもらいたいくらいだ。

しかし、門主がカルト問題に真正面から目をむけて、
親鸞会を問題にしたら、ますます社会的に叩かれるよ、親鸞会は。

そうなると教義批判や教義の対立ではなく、
もはや「カルト」だからね。今の親鸞会にはぴったりだけど。

投稿: | 2011年7月15日 (金) 23時18分

>ほんと自己中心的だよな。
>
>ガキだわ、こりゃ。恥ずかし-。

書いている本人さんの、自己中心性と子どもっぽさがよくわかる文面。
書いている本人、気付いてないでしょうが。

かなり痛いね…。親鸞会の必死さがよく伝わってくるわ。

投稿: | 2011年7月15日 (金) 23時20分

>宗務総長の安原晃も責任あるぞ。
>東本願寺の住職がこんな反社会的な
>犯罪ブログ書いてるなんて大失態だ。

このブログのどこが反社会的なブログなのか、
分かるように説明できるのかよ。

できるなら1週間以内にコメント欄で説明してくれ。

ちなみに親鸞会の反社会性はわかるのかな。
このブログが反社会的だと分かる知恵があるなら、
親鸞会の反社会性は相当よくわかるとおもうが。

あ、カルト信者には分からないかw

投稿: | 2011年7月15日 (金) 23時23分

親鸞会も「さよなら親鸞会」などのサイトが増えて、焦ってるんでしょう。ネット対策員のオコチャマな書き込みはむしろ、いやらしいカルトから多くの人が救われてるっていう、むしろ誉め言葉のように思います。会長だって仏教学んだのは龍谷大学のくせに。対策員もホントはぶるうのさんや清森さんたちにかまって欲しくて、助け出して欲しいんじゃない?法話の時はニ千畳はガラガラだけど、「さよなら親鸞会」や「清森問答」など反カルトの、仏法を語ろう的なオフ会やったら、一杯になったりして

投稿: | 2011年7月16日 (土) 00時49分

そもそも東本願寺の大谷暢顕門主はよりによってどこの骨の川かもわからない瓜生崇をどうして僧侶に選んだんだ?
実にいい加減だよね。他の僧侶の質もいかがなものか。

投稿: | 2011年7月16日 (土) 06時34分

いい加減さに関しては親鸞会も変わらないと思いますよ。

思いついたことを断言・放言して、会員をだましているだけ。
あと、外部からの非難については逃げているだけです。

偽装勧誘、情報の偽装、著作の偽装など・・
偽装が中心の組織ですからね。

投稿: | 2011年7月16日 (土) 10時57分

親鸞会は外部の非難の受けとめかたを間違ってるからね。
反社会的だもん。夜中訪問てありえますか?
無視って無視したらしたでさらに叩かれるよ。

投稿: | 2011年7月16日 (土) 15時17分

そもそも親鸞会の高森顕徹会長はよりによってお預かりした会員さんにセクハラするような息子や渡部講師、表講師ををどうして講師部に置いておくんだ?
実にいい加減だよね。他の講師の質もいかがなものか。

投稿: | 2011年7月16日 (土) 17時26分

「本願寺は親鸞聖人の教えを説いていない」
「歎異抄をひらくの反論書が全く出ていない」
とか親鸞会がいい加減なことを言っているのは周知の事実です。

>そもそも東本願寺の大谷暢顕門主はよりによってどこの骨の川かもわからない瓜生崇をどうして僧侶に選んだんだ?
実にいい加減だよね。他の僧侶の質もいかがなものか。

何が実にいい加減なのかよくわからない。家柄とかきっちりしていないと僧侶になれないってことですか(笑)

投稿: | 2011年7月16日 (土) 19時40分

昔、渡部講師ってセクハラが理由でハワイに飛ばされたよな。
ハワイなんてラッキーじゃん。

投稿: | 2011年7月17日 (日) 12時28分

>昔、渡部講師ってセクハラが理由でハワイに飛ばされたよな。
>ハワイなんてラッキーじゃん。

沖縄聴聞に参詣しているときに、酒飲んで酔った勢いで、
女性講師か学院生にエレベーターの中で手を出したって
渡部のことが嫌いな女性講師から聞いたことあるけど、
やっぱりほんとだったんだね。

もう、親鸞会とか講師とか関係なく、
人間としてどうなんだろうね。

あと、そんな人間を講師として平気でおいておける
親鸞会の会長も、同じレベルってことかな。

息子も不倫士放題だし。ひどい会だね。
会員は何も思わないの?

だとしたら、同じレベルだよw
会員は怒って当然でしょ。
「我々の浄財で生活させてもらっているのがあなたたちなのに、
 毎日、何を考えて生きているんですか?」
「あなたたちに浄財など使う資格はありません」
とでも言ったらいいのに。

きっと、渡部も光晴もびっくりするよ。

投稿: | 2011年7月17日 (日) 22時51分

渡部は最悪。会員は言えないし聞く耳持たずだよ。 ハワイは左遷じゃなく昇格やろ。ハワイは極楽リゾートやからのんびりできるしストレスたまらないよ。ブラジルに飛ばしたらいいのにな。渡部はロリコンはげ。講師は酒も飲んじゃいけないはずやで。

投稿: | 2011年7月18日 (月) 16時28分

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