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投稿:会長の教義を疑いはじめた講師部員たち

過去に、以下の内容で投稿した、元講師部の者です。

投稿:教義論争から逃げた高森会長

投稿:他人のお金を返さない親鸞会

ようやく、妻の担当であった宮崎尚文支部長に直接会い、妻の正御本尊を返納し、会費として預けていたお金を受け取りました。以前から宮崎支部長には、電話で教義や活動についての質問をぶつけていましたが、講師部無いでは、「○○(私)がまた馬鹿なことを言ってきた」、「誹謗する者は絶対に許せない」などと言いながら、私に対しては一向に質問にも答える気はなく、今回も事前に、「正御本尊の返納と会費の返金のために、会うだけだ」と言っていました。

待ち合わせ場所で宮崎支部長と会った私は、面と向かって、「親鸞会の教義について質問がある。」「法論したいが受けられるか。」と言うと、彼は「何か文句があるなら、本会に言えばいい。」と言います。会長も局長も教義論争から逃げている事実をあらためて伝え、内容証明郵便も見せた上で、「では、あなたと法論したいが受けられるか」と尋ねると、予想通り、「今日は正御本尊の返納と会費の返金にきただけだ。答える気はない。」との返答。期待はしていませんでしたが、私は思わず笑ってしまいました。

さらに「一切衆生必堕無間の根拠はありますか?答えられますか?」と聞いても、黙っているだけ。口を開けば、「今日は正御本尊の返納と会費の返金にきただけだ。答える気はない。」と言うだけ。「誹謗は許せない」などと講師部内で言っている者が何を言っているのかと、私はあきれてしまいました。
宮崎支部長に対して、「何が後生の一大事だ、弥陀の本願だ。あなたはそれでも、講師部としての使命を果たす気はあるのか。会員の皆さんの仏縁を守る気はあるのか。」
「私は別にどこかの団体に属して、親鸞会を攻撃している訳でもない。個人的に批判し、尋ねているだけだ。そんな私一人にも答えることが出来ないのか。」と言いましたが、何を聞いても答えることは出来ず。彼は空を見つめて黙ったままでした。

みなさん、今の講師部に対して、「腰ぬけ、意気地なし、口先だけの卑怯者」、どんな言葉がふさわしいでしょうか。宮崎支部長の目の前で、さよなら親鸞会の管理人である瓜生さんにも電話し、この講師の体たらくぶりを報告しました。しかし、その間もこの講師は、黙って空を見上げているだけでした。

また、その場で光晴講師局長、渡部弘宣局長にも電話しましたが、講師局長は着信拒否、弘宣局長は留守電でした。

宮崎支部長は、結局何一つ答えられず、「じゃあ、私は今日の用事が済んだので。」とすました笑顔となり、早く帰りたい様子で、急いで車に乗り込みました。最後に、私は宮崎支部長の車のドアを開け、尋ねました。
「あなたは一生、高森会長に従う自信はありますか。」と。

すると、まず彼は「おい、建造物侵入罪だぞ」と言ったので私は吹き出しそうになりましたが、再度、同じ質問をすると、彼は困った顔をしながら、「今日は正御本尊の返納と会費の返金にきただけだ。」とだけ答えて、車を走らせ去っていきました。

この最後の質問は、講師部なら即答で「はい」といえる筈です。しかし、もうそれも言えない。親鸞会の講師は、誰も口では言いませんが、教義にも会長に対しても疑い始めているのではないでしょうか。

この宮崎支部長は親鸞会の講師の中では、気概も情熱もある人だと私は思っています。書きませんでしたが、彼との会話の中で、かつて北陸のある本部でともに活動したことが、一言だけ出てきましたが、私はとても嬉しく感じました。しかし、そのような人でさえ、この体たらくです。講師局長や弘宣局長はじめ、、他の講師部も押してしるべしです。

さらに私は、宮崎支部長とのやり取りを含め、以下の内容で、講師部150名以上にメールを送りました。


親鸞会講師のみなさんへ


おひさしぶりです。親鸞会の元講師の○○です。

先日、宮崎尚史支部長と会って話す機会があり、法論できるか尋ねましたが、嫌そうな顔をして逃げました。
情けなさこの上なかったですが、みなさんも同じですか。

講師部の内輪では、「誹謗は許せません」、「学徒をお守りしなければなりません」、「裏切り者たちは狂っている」などと威勢のいいことを言っていますが、みな知っていますよ。

しかし、外から批判されると、たちまち何も言えなくなるのですね。面白い人たちだ、会員のみなさんにも伝えておきます。

会員相手に、会長の言葉を使って話は出来ても、法論で根拠を求められると、何も答えられなくなるのが、自分でもわかるのでしょう。

これまで尋ねた何人もの講師も皆そうでした。橋本和樹講師などは、「一切衆生必堕無間という御言葉はお聖教にはない」「しかし、それを高森先生が分かりやすく説いて下さっているんだ」と、言い切りました。もはや仏教でも浄土真宗でもない、高森教です。

あなた方が崇めている、会長や局長が逃げ回っているので、あなたたち一講師にそれ以上のことはあまり期待はしていませんが、

★★講師部個人として、教義を、そして会員の仏縁を守る気があるのか、それを、聞いてみたく、以下、お尋ねします。

<質問>

これまで高森会長、光晴局長親子に、法論についての質問を
してきましたが、一向に答えようとしません。
そこで、親鸞会の講師部のみなさんに尋ねます。

1、親鸞会はかつて以下の公約を掲げていました。
この公約を講師部であるあなた自身は現在も掲げているのか、
それとも破棄したのか、答えて下さい。

「親鸞会は公約しています。親鸞会の主張に対して異議、
反論のある方は遠慮なく申し出てください。相手が集団であれ、
個人であれ、公開であれ、非公開であれ、討論であれ、文書討論
であれ、相手の希望される方法で、時と場所を問わず、
本当の親鸞聖人のみ教えを開顕するために、
喜んで対決に応じます。」(S号ビラ)

2、あなたは親鸞会の代表となって、
法論をする勇気があるか、ないか、答えて下さい。

3、上記公約は破棄したのであれば、法論について今は条件があるのか、
あるならその条件を提示し、法論は一切行なわなくなったのなら
その旨を答えて下さい。

なお、1週間以内に何らかの返事が来ない場合には、
あなたは教義論争をする気がないという事ですから、

「親鸞会の講師に法論について尋ねたところ、
『法論を受けるという上記公約は破棄しました。
教義論争には応じられません。』という返答でした。
なお、この文章を公表することについて同意しました。」

上記の文章を公表することに、あなたが同意したとみなします。

もし異議があれば、必ず1週間以内に返答するか、1週間以内に異議がある旨を返信下さい。

以上

★誤解のないように言っておきますが、私はみなさんに個人的な恨みや憎しみは全くありません。

しかし、今の親鸞会はどんな惨状でしょうか。
ネットでの批判により、親鸞会、会長、講師部の実態があらわになり、会員の皆さんの心が離れ、誰も口にはしませんが、内心、講師部も揺れていることは知っています。

1000万の違約金などという笑い話も出ましたが、その後も辞めた人たちが沢山います。しかし、上層部は講師が辞めたことは外部には知らせたくないようですね。もう、この流れはもう誰にもとめられません。

今後も、あなたたちは根拠のない自信で、会員集めに奔走するのでしょうが、私は、講師部の皆さんの将来を心配しています。

今の、講師部のやる気の無さをみると、会長が亡くなったらもう持たないでしょう。分かると思いますが、局長では、会員が陸続と離れていくのは目に見えています。懸命な皆さんなら、以前から分かっていると思います。


講師部として親鸞会に尽力してきた心ある皆さんが、会員の方々のために立ち上がり、自信と誇りと誠意をもった会に再生してくれることを、わずかながらですが、期待しています。

会長先生、本当に大丈夫ですか。箱物大好きで、周囲の諌めも聞かず、会員の皆さんの尊い浄財で、自分の好きなことばかりやっています。

会員の皆さんは疲れ切っていますよ。毎年、何人くらい入会して、そして退会しているでしょうか。長くとどまる人がいない、回転率が良すぎます、親鸞会の会員は。そもそも、信頼されていないのですよ。

一方で、会長は教義論争には逃げ回り、中身はボロボロです。

建物などの外見だけ立派で、教義や自信、誇りなどの中身は腐っている、それが今の親鸞会です。


体を大切に、かつての情熱で会員の皆さんの後生を守って下さい。

私はこれからも親鸞会や会長、講師部を批判し続けます。これからも覚悟しておいて下さい。

こちらは、対話の道は閉ざしませんので いつでも遠慮なく。では、失礼します。


上記のメールを講師たちに送り1週間経ちましたのが、誰一人返信はなかったため、全て公開いたします。

もはや親鸞会は会長、局長から講師部に至って、誰一人、教義論争など出来ませんし、する気もありません。教義も、会員の後生をも、守る気がないのは明白です。しかし、自分たちの生活や安らぎの場は失いたくないので、親鸞会をやめるようなことはせず、ひたすら会員をつなぎとめるために、批判者に対してウソの情報を流し、講師部同士や会員相手には、「誹謗する者は許せない」などと言い、内部でコソコソと動いています。会員の皆さん、嘘だと思ったら、「講師部はなぜ批判者を破邪するために法論しないのですか?なぜ逃げてるのですか?外ではみんな笑っていますよ」と尋ねてみて下さい。

会長はじめ、親鸞会の講師が言っている内容は全て会内での内輪向けの話ばかりで、外から反論されても何も答えられない、それが親鸞会です。講師も教義論争から逃げ回っているので、そういった行動が自身の心理に影響を与え、口には出さなくとも、次第に会長や教義に対して疑いを持ち始めていることでしょう。そして、「そうであってはいけない」と強く思えば思うほど、疑いが晴れない心が出てくるでしょう。

講師部の人たちよ、反論があるなら私の携帯に電話してみなさい。全員のメールに張り付けています。親鸞会でともに活動してきた先輩たちの中には、情熱あふれる人たちも数多くいましたが、会長、局長の親子のために、人生を棒に振り、ロボットとなってしまっています。

今回の件で、親鸞会の未来をみた気がします。私が講師をやめてから、すでに6年が経ちましたが、私の後も15名以上の講師が辞め、1000万円の違約金の話の後も辞めた人はいます。

親鸞会の崩壊はすでに始まっています。もう誰にもとめられないでしょう。講師部の中にすでに覇気はなく、布教の責任者である会長も、布教を専門に生きている講師部たちにも護法の精神がまったくないのですから。

会員の皆さんは、御法精神もなく、惰性で生きる講師たちに、「もういい加減にして下さい」と鉄槌を下すべきです。自分たちが命をあずけ信頼している人たちの本当の姿を、取り返しがつかなくなる前に、早く知るべきだと警告しておきます。

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親鸞聖人の花びら

九月中旬発刊の新刊のご案内です。

「親鸞聖人の花びら」

350ページが2巻 桜の巻、藤の巻

各1680円
116の問答を掲載

1:誰もが抱く素朴な疑問から、親鸞聖人はどんなお方か、その生きざまを種々にクローズアップされたもの
2:仏教や浄土真宗の教えを知るのに大切な疑問や質問に、聖人のお言葉で回答されたもの
3:やや専門的になるが、仏教や親鸞聖人の教えに、よく疑問に思われる内容に答えられたもの

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だそうです。たぶん高森会長(実際に書いているのは教学部でしょうが)の最後の著作になると思います。
しばらくすれば行事の記念品などで会員間で大量にタブつくでしょうから、その時にもらって読もうと思っています。

さて、夢幻界裡の覚醒というブログがあり、これは「親鸞会ブログポータル・ナビ」でも巡回リストに入っています。

このブログを書いている人について、面白い話が入ってきました。

またいずれ明らかにできるとは思いますが、それにしてもあらぬ所から情報というのは漏れるものですね。

それにしてもこのブログの著者はプロフィールには「某(ないしょ)本願寺の僧侶・頭の悪い布教使」とあります。本物の本願寺派の布教使はまずしない書き方ですが、こういう設定にせざるをえなかった裏話も明らかになっていて、面白いです。

※ちなみに、本願寺派でも大谷派でも「高森顕徹氏が師」だと言っても処分されることは無い。ただそんな事はとても恥ずかしくて普通は言えない。ブログの著者氏が「ないしょ」としているのも、それが恥ずかしいという自覚があるからだと思います。

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「親鸞会の真実 なにが息子を変えたのか」の真実

ちょっと某所で発表する機会があって色々調べていて、卒倒してしまうような事実を知りました。

親鸞会の真実 なにが息子を変えたのか
http://www.geocities.jp/ongwanji/

というウェブページがあります。「自分の息子が親鸞会に入った父親が、親鸞会はカルトだと思っていたけど事実を知って誤解に気づく」というストーリーなのですが、これ全くの嘘。全部つくり話です。

なぜ知っているかって?このページを作ったのは私だからです。当然嘘八百の作り話という前提で報告して作成しています。脱会後弘宣部長(現弘宣局長)に、ああいうウソツキのページは消させて欲しいと話をしましたが、「講師部員には守秘義務があることはわかってるな」(つまり黙っとけって意味ですね)と言われたことをよく覚えています。

脱会してから7年経つのに、まさかまだ使われていたとは。

嘘だ作り話だとわかっていてもずっと使い続けるわけですね。私は親鸞会の外に出て、こういうことは本当に恥ずかしい悪いことだからやめたほうがいいと思うのですけど、親鸞会の中の人はそうは思わないんですよね。不思議です。

著作のパクリを指摘されても、全くその事実を認めず「仏法を広めるためなら何でもしてもいい」みたいな言を言って開き直ってる人がいますが、この人をトップに戴く団体なのですから仕方が無いのか。

次はおなじみのこれです。
http://kazoku.sub.jp/

浄土真宗の二大有力団体である、 本願寺と親鸞会の違いを知りたい

って書いてありました。ページ中段です。

規模から言えば親鸞会は本願寺の1000分の1ほどで、とても二大有力団体とは言えません。規模以外の何かで「二大有力団体」と言っているのかも知れませんが、普通の人ならまず恥ずかしくってこんな事書けないですね。

大体、本当に「二大有力団体」なら親鸞会である事を隠す必要なんて全くないはずです。もっと胸張っていいのに、隠してこそこそ布教しているのですから。

8月号の顕正新聞にはあいかわらず「自称正統派からの歎異抄の解説本が出ない」と主張されています。この主張も解説本が出ないから反論本がでないになり最終的に今の形に落ち着きましたが、この主張も嘘ですしまた変わるのかも知れません。

最近の親鸞会は、自分たちを大きく見せよう、正統派に見せよう、本願寺と並ぶ存在に見せようと必死ですね。七里恒順は本願寺の勧学となることを辞退し、名利に生きることを戒めましたが、親鸞会は相変わらず嘘をついてでも褒めてもらいたくて仕方が無いように見えます。偽装勧誘をしている講師のブログを見ても、東大を出ただの外国で講演しただのそんな自慢話ばかり。

浅ましいですね。

心から良いことをしようとか、本当に阿弥陀仏の本願に救われたいとか、そう思っている人は少なくとも親鸞会の講師部にはいないみたいです。

かつて私の友人は、弘宣局長に

私が問うているのは、「親鸞会で人生の目的達成出来るのか?」です。親鸞会の幹部や講師部員で 救われた人がおられるのなら教えて下さい。ちなみにあなたは会員暦何年でしょうか?もう信心決定されましたか?教えて下さい。

とたずねましたが、返答はありませんでした。誰もいないから、答えようがないのでしょう。それを受けて友人はこう書きました。

生々しい体験でなくても、信心決定して、信後の喜びを語っている人など、いないのでしょうか。親鸞聖人は「生々しい体験」こそ語られていませんが、「信後の救われた喜び」は随所に語っておられます。そのような「信後の喜び」を講師部員や幹部会員の中で語っている人を私はみたことがありませんし、そのような「信後の喜びの言葉」を聞いたことがありません。
親鸞会で聴聞を続けて、本当に信心決定できるのか

あれから6年がたちましたが、未だにこの質問の意義は全く衰えていないように思います。

心から救われたいと思ったら、誰一人救われない親鸞会を離れて、親鸞会で言っていることが本当なのかどうか、全国を歩いて聞法してもいいと思います。本願寺の本を読んで、批判サイトもきちんと見て、多くの人の話を聞き、正邪を判断すればいいと、私は思います。

その上でやはり親鸞会しかなかったと思うのならば、その時は親鸞会に帰ったらいいのではないでしょうか。

でもそんな事の出来る講師部員は一人も居ない。

生活の糧を失うのが怖いのか、講師部員という立場を失うのが怖いのか。

無常だ、いつ死ぬか分からないのにそんな事をしている時間はないと言うかも知れませんが、何言ってんだか。少なくない講師部員が高森会長のビデオを見ながら寝てるじゃないですか。知らないとでも思っているのでしょうか。

必死で親鸞会以外の情報に耳を塞ぎ、ちっぽけなプライドを満足させるために「浄土真宗の二大有力団体である本願寺と親鸞会」などという恥ずかしいことを書き、周囲に嘘をつき、学徒には威張り上司にはヘコヘコし、批判に立ち向かう人は200名講師部員がいてもただの一人もなし。

本願寺の批判は皆で声を合わせてするくせに、身内のこととなると間違っていることを間違っていると言う勇気のない人ばかり。高森会長が無二の善知識と言う割には、そのビデオを見ながら平気で居眠りする。

だから講師部員が、人生の目的だの未来永劫の一大事だの言っても、何の説得力もない。

そんな連中の団体が「浄土真宗の二大有力団体」だなんて、アホかい。

よくも平気で書けたものですね。

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投稿:元会員の死因を隠して葬儀をしたい団体とは?

かの有名な歎異抄をひらくの出版がもうすぐだった頃の話です。会員さんの奥さんが亡くなられたとの母からの電話に、かつて富山で研修会を一緒に受け、その人なつっこいお人柄を思い出し、なぜの心が募りました。

遠方にいた私は、仕事の都合をつけ、葬儀へ出て最後のお別れをしようと思いました。その意思を支部長に伝えたら、「あなた、来るの?」とぶっきら棒に言われ、とても違和感がありました。

親鸞会で執り行なわれた葬儀に、10人ほどの親しい会員が集まっていました。弔辞を母が述べ、残されたご家族の方が挨拶をされました。その時初めて自ら死の選択をせざるを得なかった経緯を知らされたのです。会員同士びっくりして言葉もありませんでした。後で分かったことですが、強引に勧められて会員になったり、嫌になってやめたりされていたようでした。

その翌日近隣の県の会員が集まって、大規模な合同研修会がありました。講師部も10人くらい集まっていたと思います。しかし亡くなった元会員さんのことにふれて会話した講師は一人だけでした。

立派な息子が選んだ父のビデオ御法話は、「この親鸞聖人の教えだけが自殺しようとしている人を止められるのです。」と虚しく響くものでした。今客観的に振り返ると凍りつきそうな空気を感じます。

当時会の理不尽さを感じつつも、教えの矛盾にまだ気がつかない私が書いた手紙は、下記のものでした。

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ご遠方より、この度のご縁誠に有難うございました。
今日まで様々な苦しみの波がやって来ましたが、「歎異抄をひらく」のご発刊を待たず、独り逝ってしまった法友を想うと、哀しみの極みの様に感じます。
残されたご家族に心をかけ、御法話にお誘い致します。
涙にかすむ悔しさを胸に、命がけの聞法が一刻もはやく出来る様、真摯な親鸞学徒をめざします。
今後ともご教導の程、宜しくお願い申し上げます。
お身体、ご自愛下さい。
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MCの賜物のような内容です。当然のことながら、返信は頂けませんでした。私の遠く及ばないことで、お忙しかったのでしょう。

会長は法名代としてのお布施をどのような気持ちで受け取ったのでしょうか?会員の方が亡くなると極力触れず、有耶無耶にする体質。その時が本当は、講師部なら責務が果たせたのか自問すべき時なのに。そんなことさえする時間が無くて、葬儀を出しても段取りと後片付けで忙しいだけで、多分一銭も入ってこず、うわべの弔電と法名代で、葬
儀代をせしめる会長。複雑な講師の心が今なら分かります。何なんでしょうかこの宗教団体は。

この様な血も涙もない団体から、一刻もはやく逃げましょう。人生を破壊されるまえに。

ぶるうのさんのおかげで、目が醒めました。心よりお礼申し上げます。

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相変わらずわかってないですね

親鸞会講師部員のブログ、静かな劇場で、こんなことが書いてありました。

こちらは人生の目的と言っているのに、非難してくる人は、目標や生き甲斐のことだと思って言ってくるのだから、最初から話がかみ合っていないのである。 自分に理解できる程度に話を矮小化して、そんなものありえない、おかしい、私は自分の頭で考え、自分の意思で生きていると自慢げに非難してくるのだから、伝えることの難しさをただ思うばかりである。

伝えることは確かに難しいですね。

私はお金を集めても収支報告ひとつ出来ず、パクリだらけの高森会長の著作や「お歌」を「会長先生の命がけのお言葉」と崇め奉り、会長の厨房車やら専用バスやら専用フロアやら専用エレベーターやそこら中につくり学徒に隠し続け、嘘をついたり自分の立場を隠さないと布教一つままならず、「シロアリ連中をなぶり殺しにしてやりたい」だのと脱会者をこき下ろす割には、できることと言ったらブログのコメント欄に嫌がらせを書くことくらい。くわえて離反者を出さないように「退部したら違約金1000万円」。

それでいて、親鸞聖人の教えを唯一正しく伝えている団体だと言う割には法論を挑まれれば逃げまわり、ネットでの教義批判など相手にしないと言いながら、外部の人が見れない「顕真」には教義批判への言い訳をぐだぐだと書き、偉そうにトルストイの言葉など出しながら「人生の目的」なんて言ってるんだから、

本当にあなたが講師部員をしている親鸞会とやらで説かれているのが「人生の目的」なのか、一度自分の頭でじっくり考えて見たらどうですか?

って言ってるんですよ。

全然考えてないでしょう。教行信証拝読するにしても、どうしたら高森教の正しさを明らかに出来るかばかり考えて読んでいて、本当に高森会長の言っていることが正しいのか、自分の魂の救いをかけて真剣に読んだことなんて一度もないでしょう。親鸞会に対する批判に真剣に向き合ったことだって無いでしょう。何しろあなた方は本願寺など外部に対する批判には一人前だけど、自分たちが批判されると本当に弱いですもんね。

「人生の目的」を説くことがそんなに素晴らしいなら、統一教会でも幸福の科学でも行ったらどうですか。彼らも「人生の目的」とやらを説いてますよ。信者の批判を許さず、内輪だけで信じ切っているのも一緒です。親鸞会は批判されれば逃げまわりますが、彼らは立ち向かってくる分マシかもしれませんが。

親鸞会は毎年500人くらいの人が入会し、同じくらいの人がやめてゆきます。

今いる学徒の何倍もの人たちが親鸞会を通り過ぎ、ああ、あの人達、まだやってんのかな、まだ気づかないのかなぁって思っていますよ。

外から見ればとても「人生の目的」を説いているようなところには見えないことが自分たちでも重々わかってるから、正体を隠して勧誘してるんでしょ?

自分たちに自信がないから、サイデンステッカーが親鸞会会館に来てご飯食べた写真をデカデカと掲載し、そこら中に貼付け、富山テレビでF館が紹介されればわざわざYoutubeにのっけて大喜びで貼り付ける。

私は親鸞会の人が本当に「人生の目的」を達成したいと思って聞いているのか、甚だ疑問です。今の境涯が居心地がよく、引き返す勇気がないから居るだけで、弥陀の本願に救われたいなんてこれっぽっちも思ってないんじゃないですか。

早く勇気を出して「自分の頭で考え、自分の意思で生きて」ください。本当にそれを念じてます。

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私を犯罪者呼ばわりする方へ(回答)

この書き込みは「私を犯罪者呼ばわりする方へ」の続きです。

お礼

D57ec676b68a11cf7f3795e5ce2a181bまず最初に親鸞会弘宣局にお礼を言わなければなりません。
一つは、サイトのアクセスがかなり増加したことです。弘宣局のサイトで紹介していただいた上に、今回コメント欄に「瓜生は犯罪者」云々という書き込みをしていただいたお陰で、従来1日1,000PVくらいだったのが、最近では2,000から3,000PVになりました。より多くの人にサイトを見て頂いて親鸞会に疑問をいだいてもらうきっかけになったと思います。

また、昔懐かしい学徒の皆さん、脱会者の皆さんから多数応援や投稿のメールを頂きました。知らないところでこんなにブログを見て応援してくださっている方がおられるとは。本当に励みになりました。

そして一番は、私の姿勢を正してくださったことです。このブログでたくさんの方を実名で批判してきましたが、自分自身は「ぶるうの」というハンドルネームを使ったままでした。私がやっていることはみなさん当然承知のことと思っていたのですが、今回自分の名前を明らかにして書き込んだところ、「瓜生がやっていたとは知らなかった」というメールを多数頂きました。

かつてと違って私も様々なところで実名で講演したり文章を寄せたりすることが増えてきました。実名で批判するなら自らも名を名乗るのは当然でしょう。これをきっかけに「ぶるうの」は瓜生崇であるとプロフィールに明記しようと思います。ただし、私以外のサポートスタッフについては今後も匿名のままとさせて頂きます。

書き込んだ方について

ここ一週間で私が「犯罪者」「違法行為をしている」といった書き込みが約40件ほどありました。書き込んだ人は私にメールをし、その根拠を明らかにして欲しいと投稿しましたが、残念ながらメールはありませんでした。

ただし、書き込んだ方のIPアドレスを調査した結果、とあるネット布教を担当している弘宣局担当講師のアクセスしたIPアドレスと一致したことは明らかにしてもいいでしょう。この方はネット布教において「今までにない目覚しい成果を出した」として上申もされているようです。今回の活動もその一環かもしれませんね。

コメントの内容について

私が犯罪者であるとする根拠を教えて欲しいと訴えましたが、それについては何ら根拠となるような回答はありませんでした。Youtubeには今年1月に東京阿佐ヶ谷でライブトークに出演した際の映像が無断でアップされ、それをもって違法行為をしてさらに開き直っているかのような事を書かれていましたが、なぜそれが違法行為になるのか、謎です。

私は確かに去年11月に「親鸞会の本館4階の間取り図」をこのブログにアップロードしたことについて、兼六法律事務所の小堀弁護士が代理人となり刑事告訴され、「著作権法違反被疑」で取り調べを受けていますが、まだ起訴もされていない段階です。「間取り図」に著作権が存在するかどうかも明らかになっていないのに、どうして「犯罪者」とされるのか理解に苦しみます。親鸞会の講師部員が訪問販売法違反で広島県警に逮捕されたことがありましたが、彼は無罪判決が出るまでの間「犯罪者」だったのでしょうか。

また『「自分としては自分のやったことに一点の曇りもない」と気が狂ったような開き直りぶりです。』とも書いてありましたが、これも意味がわかりません。私が一連の間取り図をアップしたのは高森会長が親鸞会の会員に「質素な生活をしている」と宣伝されながら、実は浄財を使って考えられないような贅沢な施設を多数作っていることを明らかにするためで、司法がそれを違法と判断するならばそれについては反省しますが、動機や目的には何ら恥ずるつもりはありません。それは取り調べにあたった警察官にも何度も説明している事です。

もう一度書きます。司法が違法と判断するならそれについては深く反省しますが、高森会長の実態を明らかにするための活動については恥ずることは一つもないのです。そしてまだこの件は「違法」と判断されていません。今後そう判断されることがあったとしてもそれは司法の仕事であって、親鸞会の弘宣局ではありません。

私はこれしきの常識もない人に違法だと犯罪だの言われる筋合いはありませんし、くわえて他人の著作を丸写しして「命がけで書いた」と言わせている人物を師に仰ぐ人に著作権やモラルの事など言われたくはありません。違法であるという判決が出なくても人を犯罪者呼ばわり出来るのならば、あなた方の師こそより悪質な「犯罪者」ではないですか。

※告訴された件については、大変多くの方からご支援を頂きました。本当にありがとうございました。

真宗大谷派(東本願寺)への批判

更に私が真宗大谷派が750回忌で井上雄彦に屏風絵書を書かせたり、いわゆる「割り当て」で懇志を集めている事への批判を引用して、「瓜生崇は真宗大谷派の僧侶なのに正体を隠してこんな悪口を書いている」と批判しています。意味がわかりません。これは私がフェイスブックでした発言だと思いますが、そこには私の実名も大谷派の僧侶ということも全て書いてあります。どこが正体を隠しているのでしょうか。

私は高森会長が行く先々で浄財で高価な美術品を買いあさり、学徒の負担や経済状況も考えず金を絞りとる様を批判してきました。当然外に向かってこう批判したのですから、自分の所属する所にも同様の問題があれば批判するのがフェアでであり、当然の事でしょう。(程度はかなり違いますが)

親鸞会は本願寺が法論に応じないことを批判してきましたが、同様に高森会長が元会員らの法論申し込みを無視し続けていることについて、高森会長や高森光晴講師局長を批判する講師部員が一人でもいるのでしょうか…いるはずがないですよね。そのような度胸のある講師部員は親鸞会にはただの一人もいません。(第一そんな勇気があればとっくの昔に親鸞会などやめてるでしょう)

私は大谷派が御影堂の修復や屏風絵巻を書く金があるのならば、その半分でもいいから布教のために使ったほうがいいとどこに呼ばれてもそう主張しています。これのどこが「悪口」なのでしょうか。

また大谷派は教団の批判をする人間を干すような器の小さい組織ではありません。批判をしたら除名してシロアリ扱いして内輪で悪口言い合っている親鸞会とは全く違うのです。

「宗務総長はこんな僧侶がいると知ってるのか」としつこく書いてありましたが、ですからどうぞ宗務総長にでも門主にでも「報告」してくださいませ。大阪大学の鷲田総長がどうのとも書いてありましたが、こちらもご自由にどうぞ。親鸞会がどんな団体か知っていただくいいきっかけになるでしょう。

また、私が妻を「怖い」と言っていることを持って悪口を言っていると書いてあるコメントもありました。私は怖いけど強い今の妻と結婚したことを幸せに思っていますし、そういう人が妻であったなればこそ親鸞会の嫌がらせにも耐えられたのです。弘宣局のネット対策員の方は3名とも独身でしたね。おそらく夫婦の信頼関係という事はまだ分からないのでしょう。それにしても、私の家族は関係ないのだから実名を書くのはやめていただきたい。どうして彼らはこの程度の最低限のモラルすら守れないのでしょうか。

言わなきゃならんから、言ってるだけ。

結局のところ、親鸞会の中にずっといると外のことが見えなくなる典型だと思います。わずか6,000人足らずの狭い世界で生き続けてきて、親鸞会の論理以外で物事を考えられなくなっているから、大谷派の宗務総長がどうの阪大の総長がどうのと書きこめば、大谷派の僧侶である阪大の教員である私が「困る」と思っているのでしょう。私は自分のしていることに誇りを持っていますし、きちんと説明のできる力もありますから、なんにも困りません。

親鸞会というぬるま湯に浸かっていては絶対にわからないかも知れませんが、ほんの少し批判めいたことを行っただけですぐに指摘会合に上げられたり「教訓A」やらにアップしなければならないあなた方とは全く違うのです。上司の言うことだけを無批判に聞いておればいいあなた方と違って、自分で考えて自分で行動しているのです。

それにしても今回知らされたことは、親鸞会に出来ることってもはやこの程度なのだなということでした。

以下、親鸞会の「自分たちへの批判の対策」一覧です。

・講師部総会で「シロアリ(批判者)」の状況について聞く。
・高森会長から反論の方法について聞く。
(でも高森会長はじめ一人も法論は受けない。負けるのが怖いから。顕正新聞のマンガで破った気になってるだけ)
・メーリングリストに「憎むべきシロアリ連中、なぶり殺しにしてやりたい」と書く。
(書かないと叱られるから。実際には何もしない)
・学徒向けに会合で批判への言い訳をする
(どんな批判がなされているかはひた隠しにする)
・2chの「誹謗スレッド」が見えにくいように「カルトバカアンチ」と書きまくる
(議論はしない。負けるから)
・各地の親鸞会で組織的にブログを作りまくる
(内容を考える力がないので、デザート食べたとかか、高森会長の著作をコピペするかどちらか)
・「誹謗サイト」が見えなくなるように、組織的にGoogleの検索結果のクリックに励む
(そして「パーソナライズド検索」の順位が変化したのを対策成功と勘違いして喜ぶ)
・私が「東本願寺」で「犯罪者」だとコメントに書きなぐる ←いまここ

よく精神持ってますね…私はこんな情け無い、馬鹿げたところに人生を費やすのは嫌だと思ったのでやめました。やめないで続けている人たちは本当に大変だと思います。でも使命感からではなく、自分の人生の存在意義を親鸞会という小さな社会でしか見出すことができないから続けているだけでしょうね。

ある人が脱会の際何十年もの講師部歴のある講師に本尊を返しに行ったのですが、その時「親鸞会はどうして法論から逃げまわるんだ」と激しく問いただしたそうです。

それに対してその講師部は「今は君から正御本尊をうけ取りに来ただけだから」と言ったきり宙を見つめるだけで何も答えなかったとか。シロアリ許さんとか言ってるのは内輪だけです。このとおり使命感などかけらもありません。言わなきゃならんから、言ってるだけなんです。

今回のブログのコメントの件も誰が書いたのかは知りませんが、「おそらく上司から言われて、仕方なくやっちゃったんじゃないかなぁ」と元講師部員の一人が言っていました。

そう思うと「瓜生は犯罪者」とのコメントも、自分の人生を生きたくても生きられない講師部員の心の叫びなのかも知れません。

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投稿:犯罪まがいの日々

最初にお断りしておきます。
「卑怯だ」と申す方もおられるでしょう。しかし、私の実名は出しません。
世にあるSNSでさえ、ごく一部の範囲内を除いてはHNなどを使います。顔も隠します。車のナンバーも隠します。
親鸞会講師、ネット工作員、現役会員から何と言われようとも、それ以上に怖いのがネットでの個人情報流出です。これも、身を守る手段です。
内容を読んでいただければ、私が誰だか予想が付く人もいるかもしれません・・・


私は、親鸞会の全盛期だと言われる、正本堂が完成する前に学生部(現学友部)で活動していた者です。
正直、教学力は下から数えた方が早いほうだったと思いますが、2年生から幹部となりました。
教学力が無くても、幹部になれた理由、それは「下宿周りの成果」だと思います。

その下宿周りが、今となれば私にとって、非常に大きな心の傷、消すことの出来ない過去になりました。また、当時は幹部になったことを誇りに思っていましたが、今ではそれこそが汚点だった・・・とも思えます。

学生部を経験された方では、下宿周りを多少は経験されたこともあると思います。
要するに、会員になったは良いが、なかなか部会に出てこない、富山への参詣だけの活動という学生会員の面倒を見ることです。
役割としては、
・会費、御報謝を募る
・参詣(特に、6月、10月)の確約、当日連れて行く
この2つが大きいです。

この二つを達成しなければ、地区学生部の目標達成が未達、会費滞納で除籍という大きな問題と発展します。なので、必死でした。

「"教え"なんて、どうでも良い。とにかくなんとしてでも目標達成。除籍者を出さない。」

この考えになるには、時間は掛かりませんでした。

これらが達成されなければ、私が指摘の的になるのですから・・・。


後は、なりふり構わず、手段選ばずです。

待ち伏せ、張り込みなんて当たり前。
居留守なのか確かめるのに、電気メーターの監視。
不在か、寝ているのか確かめるための部屋への侵入。
会費、御報謝を募るために"教え"を利用した詐欺まがいのこと。
ど深夜でも「居る」と分かれば訪問。
「いきたくない」という人を無理やり引っ張っていく。
「参詣する」と言わせるために、胸ぐら掴んで迫ったこと。
女性会員の待ち伏せ(ストーカーですよね)。

など。

当時は、これが"善"だと思っていました。
手段は選ばないと思いつつも、何とか会のため、また高森会長の法話に参詣させて聴聞してもらうことが"善"だと。その為には、これくらいのことは良いだろう・・・と。

でも・・・
冷静になった今(社会人になり)、普通じゃないです。自分がやってきたこと。
犯罪だな、と。
よく、訴えられなかったな、と。
訴えられれば、こちらが負けることは分かりきっています。
今頃、前科者になっていたかもしれません。

時を重ね、私が対応してきた方々に対し、思うことがあります。
「本当に、もうしわけありませんでした」と。


また、こんなこともありました。
会の活動が原因で学業が疎かになり、退学し地元に帰ってしまった人に会いに行った時のことです。
ある方は実家に住んでいて、その近所で張り込みしました。
結局本人は近くの親戚の家に居たそうですが、会えなかったので実家を訪ねました。
すると、ご両親が対応してくださりました。
初めは学友だということで、優しく対応してくださりましたが、「サークル(=親鸞会)」の言葉を出すと、態度が一変。
お父さんからは、「今、刃物を持っていたら、お前を刺す」とまで言われました。
また、「高森と○○(講師です)も、殺す」と。。。

そう思われるのも当然だと思います。
高い学費、生活費を工面して、送り出した息子が、新興宗教にハマり、それが原因で学校まで辞めてしまったのですから。。


また、ある方は1人暮らしをしているということで、実家に連絡し、住所を聞き出して会いにいきました。
その方からは「この偽善者が!」というメッセージ入りで、当日届けた新聞が送り返されてきました。


その方の言う通り、偽善者だったと思います。
その言葉の重み、犯罪まがいの事をやってきたという後ろめたさから、卒業後は殆ど活動しませんでした。


現役会員さん、または講師陣、職員・・・すべての中にどれだけ純粋に"教え"に縋り、真剣になっている人がいるのでしょうか・・・?

当時から、疑問に思えてなりません。

その雰囲気に合わせる、味わうために、乾いた笑い、返事をしてませんか?
私は、法話中や、会合中に"笑うポイント"があっても、笑いませんでした・・・。なぜならば、笑うほど面白くないから。
社交辞令ってことも必要だと思いますが、人をバカにしたような内容で笑っているのを見ると、「普通笑うか?」と思いました。
(たまに、法話や、会合中にありますよね・・・一般道徳があれば、決して笑わないようなことを普通に話のネタにすること)

要するに、「親鸞会」という一つのコミュニティ内では、常識だと思っていることがあると。
それが普通だよ、ということが。
それらは、一般社会では決して通用しません。
そんなこと言っても、現役からすると、一般社会が非常識なんでしょうけど。。


少しでも"純粋な気持ちで教えを聞けていない"という気持ちがあれば、もう一度過去を振り返り、冷静に考えてみてはどうでしょうか。
自分に嘘を付かずに。


現役の中には、今でも仲良くしている友人が居ます。
なんとか、その友人の目を覚まさせる・・・これが私のこれからの目標です。

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投稿:果てなき痛み

高森顕徹なる人はいったい何を考えて80年以上生きてきたのだろうか。実際の人物と私が作り上げてきた架空の人物像は、あまりにも大きな隔たりがありました。
人生のある期間、この人をリスペクトし、人間関係を築く上で絶対的完全なものさしにしたことは、あわれで愚かなことでした。

十数年前のブラジル法話の時、途中ダラス空港で乗り継ぎの際、ツアーに入れなかった会員が3人、アノ人と一緒になりました。
近くで見るスーツは、仕立ての良い光沢のある生地で、とても高級そうなものでした。何にもしゃべらない代わりに、ジュースを買ってくれました。感激した私は、そのプラスチックの入れ物を長い間捨てられませんでした。何人かの人を連れて、海外で歩いていた姿は、王様そのものでした。

その強烈なドクに毒されていることに気づかず、退会後も人間関係に大きな悪影響を受けてしまいます。
アノ人物に対して、関心を示すか示さないかだけで人間関係を作ってきたからでしょう。
物事を総合的に考える力が、あまりにも欠落していることに気がつきました。

勧誘された者同士で下宿していた友人でさえ退会後は、連絡が取れません。言わば人生の土台のようにしてきた人間関係を根こそぎ奪われたのです。会を縁に出来た人間関係は、会のモノではないのに、そこで線引きして離れなければならない辛さは、経験した者にしか分かりません。あちら側の人は複雑怪奇な妄想をしているでしょう。お互いの思いは、悲しいほどの隔たりです。

仏法を聞かない人間は虫けら以下だと感じさせる振る舞いをしていたと退会後家族に言われ、そんなことはないと思いましたが、ここはしっかり反省しなければならないと思っています。

人生どんな事でも気がついた時がチャンス。ちょっと誤解しているなと思った瞬間、思い切って方向転換が出来れば、それは思ってもいなかった新しい自分に出会え、すべてがつながっていることに気がついていく方法のようにさえ思います。

アノ人に対して使っていた言葉遣いをやめました。
(例えば、頂きました○○を大切に使わせて頂きます。)
感性が働かなくなっているので、それを磨くことが楽に生きていく近道で、秘訣なのかも知れません。

忍耐強く活動されているぶるうのさんへ敬意を表します。
そこに愛がなければ、出来る事ではありませんね。

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私を犯罪者呼ばわりする方へ

「ぶるうの」こと真宗大谷派僧侶の瓜生崇です。

ここ数日、以下のような内容のコメントが多数当ブログ欄に投稿されました。全て同じ富山県の投稿者によるものです。

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真宗大谷派長久寺徳瑞(ちょうきゅうじとくずい)宗議会議長
は瓜生崇という東本願寺の僧侶の反社会的な言動を分かっているのか。

しかし真宗大谷派の最高議決機関、僧侶の代表者会である宗議会の責任者、安原晃宗務総長は東本願寺の僧侶に犯罪者が混じっていることについてどう責任をとるのだろうか。

東本願寺の住職であることをひた隠しにして、犯罪行為や悪口を批判されれば逃げ回り、内向きの言い訳ばかりがうまくなってゆく。一度で良いから自分は東本願寺の僧侶、瓜生崇であると名乗って、具体的に自分がやったことに対して責任とってみたらいいのに。

東本願寺の僧侶ってどうしてこんな弱弱しいのばかりなのでしょう。違法行為を繰り返し、門徒からも社会的な常識が無い、下品だといわれ、ブログを書けば「東本願寺の住職である」という事すら堂々と名乗れないヘタレぶり。救いどころがありません。

こんな正体を隠して犯罪ブログを運営している
東本願寺僧侶、瓜生崇は黙認していいの?
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このコメントを投稿された方へ、以下の質問を致します。

1.このブログが「反社会的」であるとする理由を教えてください。
2.私が「犯罪行為」「違法行為」をしているとする根拠を教えてください。

これだけのことを断定して書くのですから、きちんと自分の言動に責任を持てる方だと思います。
回答は、takashi.uryu@nifty.com まで実名と立場を明らかにしてメールしてください。
メールでのやりとりは本ブログ上で実名で公開することを希望します。

今回の件、無視するつもりでしたが、私の家族の名前が晒されたのは完全にルール違反であり強い憤りを感じています。決してこのままで終わらせるつもりはありません。

一週間以内にご返答無き場合は、プロバイダ制限責任法に基づき情報開示請求を行い、然るべき処置を取ります。

※この件について経緯と回答を書きました。

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千里金蘭大学に浄土真宗親鸞会特専部の明橋大二氏が就任

千里金蘭大学に浄土真宗親鸞会特専部の明橋大二氏が就任』という記事を「やや日刊カルト新聞」に書きました。遅くなりましたが、ここにご報告いたします。

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悩みながら生きて行くしかない

「怪しい宗教かあ」と僕はピザを皿から取り、口に入れる。「僕は真面目な大人たちが、不気味な新興宗教にのめりこんでゆくのが、理解出来ないよ」
「そうかな、わたしはできるよ」と鳩麦さんはすぐに言った。
「え、どういう風に?」僕はまさか、鳩麦さんが自信たっぷりに答えてくるとは思いもしなかったので、少し驚いた。
「毎日毎日、わたしたちって必死に生きてるけどさ、どうしたら正しいかなんて分からないでしょ」
「え、どういうこと?」
「何をやったら、幸せになれるかなんて、誰も分からない。そうでしょ」
「うん、そうですね」南がうなずいた。
「変な話、砂漠にぽんっと放り出されて、『あとは自由に!』って言われたようなものじゃない」
「自由に?」
「そう。どうやって生きればいいか、なんて誰も教えてくれない。お好きなようにと支持されるのって、逆につらいと思うんだよね」
「どういうこと?」
「みんな、正解を知りたいんだよ。正解じゃなくても、せめて、ヒントを欲しがってる。だから、たとえば、一戸建てを買う時のチェックポイント、とか、失敗しない子育ての何か条、とか、これだけやれば問題ないですよ、っていう指標に頼りたくなる」
「確かにそういう部分はあるよね」
「でも、人生全般にはそういうものってないでしょ。チェックポイントとか。何か条とかはない。自由演技でしょ。だから、誰かに、『この修行をすれば幸せになれますよ』とか、『これを我慢すれば、幸福になりますよ』とか言われると、すごく楽な気分になると思うんだよね。どんなに苦しくて、忍耐が必要でも、これをすれば幸福になれるって道しるべがあれば、やっぱり、楽だし。だってさ、わたしたちって子供の頃から、やることを決められているわけじゃない。生後何ヶ月検診とか、六歳で小学校へ、とか、受験とか、考えなくても指示を出されるわけでしょ。例年通りの段取り、とかさ。不良少年が卒業式を迎える段取りだって、あると思う。それがある時、急に、自由にどうぞ、って言われて愕然としちゃう」
「それが宗教ってこと?」
「そういう宗教もあるってこと」鳩麦さんがコップの水に口をつける。「よく、怪しい宗教には、階級みたいなのがあるでしょ。修行によって、どんどん偉くなる感じの。ああいうのはほんとうに良く出来ていると思う。これをやったら一つ階級が上がって、上がってゆくほど幸せになる、って言われたら、やっぱり気分的には楽でしょう?」
「楽かな」
「つらいけど、楽だよ。何をすれば良いのかわかっていて、しかも、結果も見えるんだから。でも、結局、そういうのに頼らず、『自由演技って言われたけど、どうすればいいんだろう』って頭を掻き毟って、悩みながら生きて行くしかないんだと、わたしは思う」

(伊坂幸太郎『砂漠』2010年)

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逃げ場を探すか、事実を受け入れるか。

先のエントリをアップした後に、こんなのありますよーと教えてくれた親鸞会弘宣局のブログがありました。確かに見てみるとこんな記述が。

そして、そんな東本願寺の教師になったのが、親鸞会に対する個人的な愚痴を書き連ねたサイトやブログをいくつも乱立させている自己顕示欲旺盛なUクンだ。親鸞会が根拠を示して「これが親鸞聖人の教えだ」と主張している事に対して、御本尊から他流になっている東本願寺の主張こそが親鸞聖人の教えだと言っているのだ。 (中略) まあ、そんな感じでもはや浄土真宗ではなくなった「真宗大谷派」なので、その近代教学にどっぷり浸かっているUクンの目からすれば、親鸞聖人のお言葉に従っている親鸞会は「邪」にしか見えないのだろう。

相変わらず本願寺がお好きですねぇ…親鸞会の内部でこの「さよなら親鸞会」や私のことがどう言われているのか手にとるようにわかりますが、そもそも彼らの言うところの「東本願寺の主張」なるものがなんだか分からない私には関係のない話です。大谷派の中にも近代教学を支持している人もいれば否定する人もいますし、私自身は近代教学など学ぶ気にもなれない。高森会長の解釈が親鸞聖人の言葉より優先する親鸞会の人たちには到底分からない話だと思いますが。

それより何度も大谷派の教師試験を受けて落ち続けたY田講師や、大谷派の僧籍を持ってる何名かの講師はどうなるんでしょうね。彼らも近代教学にどっぷり浸かっている事になるのでしょうか。そうなると私より先に破邪しなければならない人が身内にいるような気もするのですが。

親鸞会を批判しているのは本願寺だ、だからウソばっかりだ、個人的な愚痴だと。そういう事がよほど有効な「ネット対策」だと思っているんでしょう。実際脱会した人からもそういう話を良く聞きます。でも、実は何にも関係ないんですよ。だから私自身否定する気も隠すつもりもさらさらありません。

本当に親鸞会で求めるべきか、それとも脱会するべきか心から悩んでいる人は、そんなこと関係ないのです。なぜならここに書かれていることがウソか個人的な愚痴かそれとも真実か、そんなことは簡単に調べることが出来るから。

以前このブログに書いた「F館の会長専用フロア」の図面と、親鸞会の発表。どちらが真実であったか建物を一目見れば分かる話ですし、飛雲などに書かれている教義批判にしても聖教を読めば誤魔化し様のない言葉がそこには書かれている訳で、事実を見ようとする人に「あいつは本願寺だから」と言っても何の効果もないんです。

じゃあ、どんな人に効果があるのか。事実を見たくない、親鸞会を否定する情報に触れたくない、自分の人生なんて見つめなおさなくていいと思っている人です。そういう人には「本願寺だから」というのは事実を見ないですむ格好の言い訳なのです。

自分の今までの人生を否定されたくない、唯一の真実をお伝えしているというプライドを守りたい。当たり前ですよね。いい歳して親に頼り、自分の収入では子供も育てられないような人が、どうして好き好んで唯一のよりどころである「世界唯一の真実」という夢から覚めようとするでしょうか。

これらの人たちはインターネットでわずか数クリックで到達できる情報にも触れようとしません。勇気がないのです。法論なんてとても出来ません、そんな事をして信仰を維持できる自信がないのです。だから申し込んでも無視するばかり。「親鸞会という権威」にすがらなければ一日も生きてゆけない人たちです。この「イミズム」のブログを書いている人がまさにそうですね。

そんな人に私もあえて伝えたいことなんてありません。私が相手にしたいのは一度は今までの人生を否定することになっても、それでも自分の心をごまかさず真摯に生きてゆきたいという人だけです。

そしてそういう勇気を持った人にとっては、私という脱会者が大谷派だろうとそうでなかろうと、そんなことはどうでもいいのです。

親鸞会をやめていった人たちの心を真剣に考えることなど一度もなかった人たちですから、脱会者にとっては至極当たり前であるこんなことも、彼らにはわからないのでしょうね。

それにしても親鸞会は自信満々に「東本願寺の教え」とやらをこき下ろしながら、いざ法論を申し込まれると逃げ回り、単なる「自己顕示欲旺盛な人間が書いた愚痴」のブログを消すために、弁護士から何通も内容証明を送り、更に国家権力を使って圧力をかけてきているわけです。実に愉快な人たちですね。ヒマなのかな。

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宣伝ありがとうございます。

最近なぜか「さよなら親鸞会」で検索して来る人が急増したので何事かと思ったら、こんなところで『「さよなら親鸞会」を作ったのは東本願寺の僧侶です』って大きく宣伝してくれていました。

とりあえず、親鸞会の弘宣局様、当サイトの宣伝誠に有難う御座いました。

とにかく親鸞会としては、「親鸞会を批判するのは本願寺の陰謀」という説明にかなりの自信を持っているんですね。私は事なかれ主義で、カルト問題に対して何時まで経っても積極的になれない東西本願寺に失望している訳なのですが、親鸞会からみると本願寺が組織として親鸞会を潰そうとしているように見えるのでしょうか。

んなわけないか。本心では本願寺にかまって欲しくて仕方がないみたいだし。

企画室からは検索順位を操作するために「Cookieを消去して、グーグルで〇〇を検索してクリックして、記事を読んで下さい」「GoogleプロフィールやGoogleリーダーで親鸞会関係のページをリンクしてください」みたいな指示が何度も出ていたようですが、こんなセコい事をして自分たちへの批判を隠せると思っているのだろうか、この人達は…

私は不思議で仕方がありません。

自分たちのやり方や姿勢を改めることなく、誰も責任を取らず、法論からも逃げ、小手先の対策ばかりに走っているから、

去年から顕著な会員数の減少も、参詣者数の減少も、脱会者数の増加も、全く止めることが出来ないのでしょうね。

末端の講師はこんな惨状あんな状態だというのに、未だに今度はダムに橋をかけるとかでお金を絞りとっている。現状を認識できず、思いやりもなく、未来へのビジョンもなく、自分の身を守ることで精一杯な親鸞会。

いつまで「歎異抄をひらく」以後解説書が出てないとか、身内だけにしか通用しない夢を見ているのでしょうか。

本願寺だけでなく、どこも親鸞会への関心を失っているのに、それに気づかないのはあなたたち本人だけです。

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富山テレビで親鸞会F館の空調の紹介。ただし…

7月6日の富山テレビで親鸞会F館の空調施設の紹介がされました。地中熱、とのこと。

ただし、施設名称は「同朋の里 射水市」とテロップで表示されただけ。あとは「この施設」。アナウンスでも映像でも「親鸞会」という名称は一切出ませんでした。

親鸞会は嬉々としてこの動画を自分たちの宣伝に使うのでしょうが、どうして富山テレビが「親鸞会」という名称を一貫して出さなかったのか、よく考えて見たらいいと思いますよ。

私は理由、知ってるけど。

それにしても月に数回しか使わない施設でこの設備。メンテナンスコストもかさむし、経済的に採算はあわないでしょうね。自分のお金じゃないからこういう無駄遣いも出来るんでしょう。

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引きこもり親鸞会

こんなことが言いたい、という元会員のブログがあり、そこに「必堕無間」という記事が上がっていました。

Q:「安心問答を見てはいけないと、講師から言われますが、どうしてですか?」

A:「高森先生を誹謗中傷するサイトです。嘘ばっかりです。そんなもの見る
暇があったら親鸞会の公式サイトを見て下さい。」

Q:「浄土真宗の信心についての質疑応答のサイトですよ。Y田さんは見られたこと
あるんですか?」

A:「ありません。高森先生が見るなと言われているのですから見ません。
あなたが、1回安心問答を見たら、アクセス順が上がってそれに加担した
ことになるんですよ。大変な謗法罪ですよ。無間業です。すぐやめなさい。」

この弘宣部員は「安心問答」を見もしないで「大変な謗法罪です」なんて学徒に言ってる訳です。なんか時代が変わりましたね。私が弘宣部担当講師だったときは、親鸞会を批判するサイトを見たらその内容を穴が開くほど見て、どうしたら反論できるか、親鸞会を守れるかを真剣に考えていた。もうそういう人もいなくなってしまったのでしょうね。

先日あるところでカルト問題についての公開講座をしたのですが、統一協会の人たちが「信教の自由」を求めて炎天下に横断幕をもってシュプレヒコールとチラシまきを行い、講座の会場にも何十人と入り込み、抗議文を講演した人一人ひとりに渡していました。私も受け取りましたが、実に堂々としたものでした。

受付にも全員名前を書いて「統一協会」「CARP」と隠さず書いていました。私は統一協会という団体を支持するつもりもやっていることを認めるつもりも全くありませんが、何か今回の彼らの態度には少しだけ感心しました。議論を挑んでも最後の最後まであきらめずに食い下がってきます。私がかつて親鸞会批判者に対してやっていたように。

いまの親鸞会にはとても無理だろうなと思いました。

法論からは逃げ、議論からも逃げ、信者の目と耳をふさぐことだけで乗り切ろうとする親鸞会。

安心問答を見ることが無間業で高森先生を誹謗中傷しているのならば、このブログの作者は住所も氏名も公開しているのだから、いくらでも法論を挑んで論破したら良いのに。

いつしか親鸞会は外に向かってあいていた窓をすべて閉め、引きこもりをはじめました。もう長くはもたないでしょう。

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