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子供を嘘つきにするな

北関東のとある大学に親鸞会の講師部員の子供が二人、入学しました。それ自体はとても喜ばしいことで、忙しく経済的にも決して楽ではない親鸞会の講師を続けて、立派に育てて有名大学に入れた事はすばらしいことだと思います。

残念なのは、その二人が早速親鸞会のダミーサークルに所属し、宗教団体だということを隠した違法な勧誘を、他の学生に対して行っているという事です。

どちらの親も学生時代に親鸞会に勧誘され、長年にわたって親鸞会の偽装勧誘にかかわってきた人物です。嘘をつかないと維持できないような信仰を持っていることはいまさら仕方がないとは思いますが、それを子供にまでやらせるというのは、いったいどういう了見なのでしょうか。自分の子供に幸せになってほしい、真っ当な生き方をしてほしいをと思わないのでしょうか。

親鸞会の嘘つき勧誘によって今もたくさんの人が勧誘され、裏切られ、苦しんでいるということが全く理解できないのでしょうが、顕正新聞や「信心の沙汰」とやらで「高森先生に出会えてよかったですうれしいありがとう!!」と「喜びごっこ」をして、「ああ、すばらしい教えを知ることが出来てぼくぁやっぱりしあわせだぁ」と自己満足に必死で、

その裏で何倍、何十倍もの人が「何でこんなところに騙されたのか、人生の貴重な時間を返してほしい。」「なんでこんなバカなところに迷ったのか。情けなくて涙が出る。」と失望して苦しんでいることが全く想像できないのです。いや、講師部員として長くやってきたのならそういう人も見ているはずなのに、「彼らは教えがわからなかったんだシロアリに騙されたんだ人生の敗北者だ」とわけのわからない理屈を振りかざして、それらの存在を否定して消し去ってしまう。

ほんの一握りの「喜びごっこ」に参加する人たちを集めるために、嘘に嘘を重ね、偽りに偽りを重ね、隠したりごまかしたりしながら勧誘をし、結果数十倍もの人に多大な迷惑をかける。こんな馬鹿げたことを何十年と繰り返して、親鸞会の評判はすっかり地に落ち、学友部では人が入ってもすぐにやめてゆく。こんな苦しみの再生産に自分の子供を参加させて平気なのでしょうか。

しかも彼らが親鸞会の「世界唯一の真実」という空虚な欺瞞に気づいたとき、普通の人は長い時間をかけて「もとの自分」に戻ればいいだけですが、子供のころから親鸞会どっぷりの家庭に育ってきた彼らには戻る場所がない。二世信者の苦しみは一般の信者とは比較にならないほど複雑で深いものがあると言われます。

講師部員として長年親鸞会の裏を見続け、2chで親鸞会を批判し、それがバレて執行猶予付きの除名処分にまでなり、その後はネット対策に狩り出され、本願寺関係者のフリをした嘘つきブログまで作って親鸞会を擁護し、子供にまで親鸞会の違法勧誘に参加させる。

子供をこの道に導きいれることが本人にとって幸せなのかどうか、少しは自分の胸に手を当てて考えてみては如何でしょうか。

自分の心に嘘をつき続ける人生を送らせたくないのなら。

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投稿:「文底秘沈」を批判できない残念な団体

過日、親鸞会の座談会でこんな話があったと聞きました。曰く、
「日蓮は『念仏無間抄』で念仏のことを激しく非難しているが、お経の根拠はどこにもない。親鸞聖人はお経の根拠を挙げて教行信証を書かれている」

暗に親鸞会でも同じように根拠を出して話をしている、と主張したいのでしょうか。

あまりに自信満々の顔で言うので、『念仏無間抄』とやらをグーグルで調べてみました。
『念仏無間抄』は見つかりませんでしたが、『念仏無間地獄抄』が見つかりました。おそらくはこれを指してのことでしょう。

最初から引用してみましょう。

「念仏は無間地獄の業因なり法華経は成仏得道の直路なり早く浄土宗を捨て法華経を持ち生死を離れ菩提を得可き事法華経第二譬喩品に云く「若人信ぜずして此の経を毀謗せば、即ち一切世間の仏種を断ぜん、其の人命終して阿鼻獄に入らん、一劫を具足して劫尽きなば更生れん、是くの如く展転して無数劫に至らん」云云(以下略)

法華経第二譬喩品に云く・・・

法華経第二譬喩品に云く・・・


最初の数文すら読んでないのか?

日蓮信者ではないですが、これはひどいと思いました。


ここで、何年も前に親鸞会で、日蓮の「文底秘沈」を批判していたことを思い出しました。
お経に書いていないことは仏教ではないのだという批判です。


それでは親鸞会で教えていることには根拠があるのでしょうか。


もちろん、根拠があるものもあるのでしょうが、

・「一切衆生必堕無間」の言葉は経典のどこにも無い
・「人間の実相」の話は、仏説譬喩経の話とはまるで違う話
・「二河白道のたとえ」も、散善義や教行信証の内容とは異なっている

他にも、いろいろと教義的に突っ込みを食らっている現在の親鸞会を見ると、
親鸞会もまた、"高森先生の解釈が絶対である"という信仰をもつ、
「文底秘沈」を批判できない残念な団体に思えてなりません。

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通信顕正部

親鸞会布教使の飯田隆史氏が、淑徳大学エクステンションセンターでの講師を下ろされたことは当ブログでも「浄土真宗親鸞会布教使、飯田隆史君へ」という記事にしましたが、やや日刊カルト新聞でも「淑徳大学、親鸞会講師の講座を事前に中止」というタイトルで記事になっています。ぜひご一読ください。

私はカルト問題に関係する講演をするときは、必ず自分が元浄土真宗親鸞会の布教使であることを明らかにしますが、親鸞会に批判的な私が親鸞会の布教使であったことを明言するのに、親鸞会のすばらしさを伝える役割にある人が必死で親鸞会の布教使であることを隠そうとする。なんだか不思議ですね。

これらの人たちは「通信顕正部」という組織に属しており、やや日刊カルト新聞であげられた3名のほかにもメンバーはいて活発に活動しています。他の人も名前はわかっているのでその活動如何によってはこうした場所で取り上げようと思っています。

もともと学友部の勧誘が失敗続きであるためにこうしたセクションができて、新たに人集めに励んでいるようなのですが、学友部の勧誘が失敗している理由が全然わかっていないようです。正体を隠した勧誘を繰り返して多くの人に迷惑をかけ信頼を失ったことが失敗の原因なのに、場所を変えて正体を隠した勧誘をして成功するとでも思っているんでしょうか、この人たちは…

飯田氏は取材に対して何も答えず一方的に電話を切ったそうですが、大事なことを隠し続けて説明責任を果たさず逃げるだけでは、何千年たっても親鸞会は信頼されないままでしょう。

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心配しないで、きっと乗り切ることが出来る。

私が講師部をやめるときに、心配したのが「親鸞会をやめて一人の社会人として生きて行けるのかどうか」ということでした。講師部という余りに特殊な環境で、アルバイト以外で働いた経験も無く、スキルも職歴も無い私がこの社会で生きてゆけるのかどうか、真剣に悩んだものでした。

そのころはホームレスの姿を見るたびに「私の将来の姿かもしれない」と思い、電車に乗って通勤するごく普通のサラリーマンの姿を見るたびに「どこで私は道を誤ったのだろう。収入なんて最低限でいい、贅沢なんて要らない、普通の仕事を持つ普通の社会人としてやり直すことは出来ないだろうか」と胸を締め付けられるような気持ちになったものでした。

しかし最後はたとえ路上で飢え死にすることになっても、自分の心にウソをつき続けるよりはマシだと決心し、退部・脱会しました。

その後は就職、転職と経て独立しました。確かに世間を知らないが故の大変さはありますし、恥も随分かきましたが、やってゆけないということはありませんでした。結婚をし、子供をもうけて、家や車を買い、人並みの生活ができるようになりました。たぶん人の倍以上は働いたし勉強も相当しましたが、やれば出来たのです。

親鸞会の中にいると、外が見えません。見えないと不安になります。不安な世界に出てゆく恐怖から、必死に親鸞会の論理を正当化し、どうみてもおかしいことを正しいと思い込み、「真実のため」と言い訳して人を苦しめることを平気でやります。

でもそんななか、果たしてこれでいいのだろうか、講師部をやめたい、親友部をやめたい、けど不安だ。どうしたらいいのか…と思っている人も少なくないでしょう。

大丈夫ですよ。

確かに社会は厳しい。生きてゆくのは大変です。でも、講師部だって相当大変な道です。厳しさや苦しさの方向性は全然違うけど、皆さんならきっと乗り切ることが出来る。

自信を持ってください。そして、勇気を出して一歩を踏み出してください。

私は皆さんの勇気と良心を信じています。そして、全力で応援します。決して一人にはしません。

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