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投稿:教義論争から逃げた高森会長

以前、以下の投稿をした親鸞会元講師の者です。

投稿:真宗の流れをかえる親鸞会~法論を挑んだら建造物侵入罪~(1)

投稿:真宗の流れをかえる親鸞会~法論を挑んだら建造物侵入罪~(2)

これまで親鸞会の講師にメールや電話、また直接尋ね、
教義批判を行ない、反論はないのか尋ねてきましたが、

H支部長は建造物侵入罪でブロックし、
M支部長は「会員にはそのことを伝えるな!」と怒り、
O支部長はメールを送っても無視の一手、
H、N、W講師もメールは知らないなどと言っています。
K、O、KD、KY講師長らも全く答えられずにいます。

こうして親鸞会の講師が誰一人、教義批判に答えず逃げ続けているので、9月10日に高森会長、局長宛に、以下の内容証明郵便を送りました。配達証明もあります

(データ添付:内容証明配達証明

<質問状>

親鸞会元講師部員の○○○○です。
これまで親鸞会の講師に教義上の質問をしてきましたが、誰一人、一向に答えようとしません。そこで、親鸞会の会長である貴方に尋ねます。

1、親鸞会はかつて以下の公約を掲げていました。この公約は現在も掲げているのか、それとも破棄したのか、答えて下さい。

「親鸞会は公約しています。親鸞会の主張に対して異議、反論のある方は遠慮なく申し出てください。相手が集団であれ、個人であれ、公開であれ、非公開であれ、討論であれ、文書討論であれ、相手の希望される方法で、時と場所を問わず、本当の親鸞聖人のみ教えを開顕するために、喜んで対決に応じます。」(S号ビラ)

2、親鸞会に法論を申し込むには、どこに、どのような方法で申し出ればいいのか答えて下さい。

3、上記公約は破棄したのであれば、法論について今は条件があるのか、あるなら
その条件を提示し、法論は一切行なわなくなったのならその旨を答えて下さい。

なお、2週間以内に返事が来ない場合には、教義論争をする気がないという事ですから、

「親鸞会に、法論の申し込み方法について内容証明郵便で尋ねたところ、『法論を受けるという上記公約は破棄しました。教義論争には応じられません。』という返答でした。なお、この文章を公表することについて、親鸞会は同意しました。」

上記の文章を公表することに親鸞会が同意したとみなします。

もし異議があれば必ず2週間以内に返答するか、2週間以内に異議がある旨を連絡下さい。

以上



2週間経ちましたが、高森会長も、講師局長も無視して逃げの一手ですので、全て公開いたします。

親鸞会は、会場まで赴き教義批判を行なえば「建造物侵入罪で防御」し、会長宛に「法論の公約」について尋ねると、無視して逃げの一手、という実態を晒しています。これらのことから何が分かるでしょうか。

まず、以下の文章を読んでみてください。

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(4)破邪なくして、顕正なし

酷評は、その腹いせか、次の、如くである。
「親鸞会に一方的独善的な非難中傷をしている元講師部員に、親鸞会のためを思う気持があると思えぬ」
「元講師部員は、親鸞会を破壊することを目的としている」(回答書(B) P・9)
と、きめつける。
とんでもない、言いがかり、などと、いうつもりは、さらさらない。一応は、当たっているからだ。
親鸞聖人の、み教えを、ネジ曲げ、仏法を破壊している、親鸞会は、断じて、捨ててはおけない、と思っている、のは、事実である。
仰有るまでもなく、小慈小悲もなき身に、違いない。
なればこそ、救われた嬉しさに、一人なりと、真実開顕せずに、おれぬのだ。
だからこそ、また、最も真実開顕を、先頭に立ってなさねばならぬ、親鸞会の、速やかな、覚醒と、奮起を、どれだけ、願ってきたことか。
どんなに、許せぬ、わがままと、言われても、これが、信に、生かされた者の、永久に尽きない、熱情なのだ、と、分かってほしい。
崩壊寸前の、親鸞会にとって、悪医であるかもしれぬが、悪意はない。
元講師部員のメスを、受け入れるしか、立ち直るチャンスはない、と、確信しての、荒療治である。
仏法者を、自認するなら、破邪せずして、顕正なきことぐらいは、知っていてほしいもの。
政治に、妥協はあり得ても、正か、邪かを、決判する仏法、とりわけ、真仮廃立の厳しい、浄土真宗の教義安心での、妥協はあり得ない。
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これは、高森会長の著作、『本願寺なぜ答えぬ』の文章を、
・本願寺→親鸞会
・高森→元講師部員

に変えてみたものです。
現在の親鸞会と、親鸞会を批判している元講師たちの関係ができあがります。

親鸞会の講師の人たちよ、現在の親鸞会は、かつてあなた方が批判していた本願寺と同じ状態になっています。いかに情けないかが、分かるでしょう。

「建造物侵入罪」で防御してきた、件のH支部長は、批判者に対して「彼らは悪意をもっているから、どれだけ答えても反論してくるので、
相手をするのは時間の無駄だ」など言っています。

かつて、高森会長も、本願寺に対して「悪医ではあるが、悪意はない」と言っていましたが、私も親鸞会に対して同じ気持ちです。

自分がかつて所属していた会が、こんなにも情けなく正々堂々と反論もできず、会員に対して隠し事を続け、卑怯なことばかりやっているから、覚醒を願い批判を続けているのです。

ちなみに、親鸞会は昔から「自是他非、自善他悪」です。

自分たちが他者に行う批判は真実を明らかにするための善意ある「破邪顕正」で、他者からの批判は悪意ある「誹謗中傷」と言っています。

H支部長はじめ、親鸞会講師の発言や、小堀弁護士を使った親鸞会のやり方からそれが露骨になりました。

このことは、これまでにいろいろ引用した高森会長の文面の、「本願寺」を「親鸞会」に、「高森」を「元講師部員」とすれば、そのまま、現在の親鸞会に当てはまってしまうことでも明らかです。

今回、親鸞会が小堀弁護士を使って私に対して行ったような通達を、もし、本願寺が行なった場合、かつての高森会長であれば、それは「泣きごとである」と言い返し、斬り捨てていたのではないでしょうか。

かつて、本願寺は「親鸞会に惑わされないように」と門徒に警告していたのですが、
今は親鸞会が「元講師部員に惑わされないように」と会員たちに警告しています。

本願寺は基本的には好戦的な教団ではないので、「親鸞会に惑わされないように」という門徒への警告は理解できますが

自是他非が前提で、口先だけでも率先して「破邪顕正」を唱えている親鸞会が、元講師部員を破邪することなく「元講師部員に惑わされないように」と会員たちに警告するだけにとどまっているのは、親鸞会という教団の性格上、恥ずべき行動です。

これをきっかけに、親鸞会がかつての本願寺の立場も理解するように努めるならば、ご自慢の法戦の歴史が、いかに恥ずべき歴史であったのかが少しは分かると思いますが、それは、親鸞会の性格上、無理でしょう。

これまで、親鸞会の講師たちが会員に対して、「触れるな、近づくな」という対象にしてきたのは、高森会長がかつて所属していた「華光会」だった訳ですが、今はこれに加えて「除名講師部員」も入るのでしょう。

会の外に「敵」となるものを想定して煽ることによって、組織として戦闘的に内部を固めてきたのが親鸞会ですが、この方法をとることができなかったのが、「華光会」と「除名講師部員」です。

親鸞会にとって、「絶対に知られたくない不都合な事実」がそこにあるからです。

除名講師の中には、「信心決定」を体験したと言う人もいますが、親鸞会はそれらの人に近づかないように、と会員に触れまわっています。そして、今回は教義批判から逃げに逃げ続けています。親鸞会では、「体験は曲者」、教義は「腫れもの」となっていますが、これは一体どういうことなのでしょうか。

「どんな体験をしたからといっても、それが本当に救われた体験なのかどうか、私達は常に教えを物差しとして判定しなければなりません。また、いずれの教え、教義解釈が正しいかどうか、それは獲信という体験を物差しとして判定しなければなりません。しかし、どんな体験をしたからといっても……」という堂々巡りとなり、どこにも拠りどころとすべき点が見つかりません。

結局、親鸞会での指導原理、行動原理は
「それが本当に救われた体験なのかどうか、それが本当に正しい教義解釈かどうかは高森先生に依って判定しなければなりません。だから高森先生のご指導の下、絶対服従の姿勢で活動していかなければならないのです。」という”高森崇拝信仰”に尽きます。

親鸞会内では「教えが大事」とは言われていますが、実際は「高森会長が大事」であることが、これまで親鸞会の講師たちがとり続けてきた行為から明らかです。

以前、ある学生が担当講師に
「お釈迦さまや親鸞聖人がどこに『一切衆生必堕落無間』とおっしゃっているのですか?」と尋ねたところ、講師は「そんなお言葉はないよ」と言ってのけました。

そして、「そのもののお言葉はないが、それに近いことはいろいろと仰っている」と述べ、
観無量寿経の「応堕地獄」などのお言葉を出してきたそうです。

そして、「善知識方のお言葉は我々にとってとても難しいので、高森先生が分かりやすく解説して下さっている。だから、先生のお言葉を聞かせて頂かなければならない」と答えたといいます。

この「高森先生の解釈を聞く」ことこそ、親鸞会の目的なのです。

★結局、親鸞会は
「親鸞会は親鸞聖人のお言葉を聞く会」ではなく、
「高森会長の解釈、言葉を聞く会」であり、

「親鸞聖人のみ教えを徹底する会」ではなく、
「高森会長のみ心を徹底する会」であることが分かります。

その高森会長が、今回、法論についての公約を破棄し、教義論争から逃げました。
もし、高森会長が「私はそのような内容証明郵便など受け取っていない。光晴や講師部の連中が勝手に無視したのだ」などと言い出すかもしれませんが、会長である高森顕徹氏に監督責任があるのは、言うまでもありません。

しかし、高森会長がこれまで親鸞会の会長としての責任を、何か一つでも果たしたことがあるでしょうか。

親鸞会の会員の中には、批判サイトがあふれ、社会的にも親鸞会の活動が批判されている中、「親鸞会の活動や組織のおかしさは感じるが、教義は正しいから続けている」と思っている人は少なくありません。

しかし、今回は親鸞会教義に全責任を負っている高森会長が教義論争から逃げたのです。これほど、責任感の欠落した人間も珍しいでしょうが、会長としての責任を全く果たせない高森氏に、もはや親鸞会会員を導く力は無いでしょう。

やがて、高森会長が亡くなってからでは、親鸞会の幹部連中がどのような非常識なことを実行しても、「今回の件に関しては、故・高森前会長は関係ありません」と言えてしまうので、高森会長の神話に傷はつかないでしょうが、今回は、現会長である高森顕徹氏が、教義論争から逃げたのです。

これまでも、高森会長が表舞台に現れようとしなかったことは少なくないですか、結局、それだけ器の小さな人物だったということが、今回の件からも明らかになりました。

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O倉講師は元気でした

O倉講師にメッセージを送ってから、全く返答が頂けなかったので、こちらから電話をしました。O倉講師には夜遅いところ申し訳なかったですが、久しぶりに先輩と話ができて嬉しかったです。

以下、電話でのやりとりについてのご報告です。

・私の提案は読んでいるのか

読んでなかったそうです。これについては私も直接メールではなく、コメント欄でメッセージを送りましたので、私にも責任があるかもしれません。

・私の提案は受けるのかどうか

「受ける」と答えていただきましたが、「東本願寺のことのみ」とのことでした。「他の質問に答えられないのは自信がないからか」と尋ねましたが、それについては返答を頂けませんでした。また、「ブログ上で議論するのなら、私の主張の全文をあなたのブログに掲載するか、もしくは反論の元となる私のブログへのリンクを張ってください。」という条件についても、お答えを頂けませんでした。

・私が「体験至上主義」と書いていることについて、根拠はあるのか。

私が〇〇や☓☓といった体験至上主義のものとつるんで親鸞会を誹謗しているから、体験至上主義の首謀者だとのことです。しかし、「〇〇がなぜ体験至上主義だと言えるのか」と聞いても答えは得られませんでした。あまりになんども聞いていると「さよなら」と言って切ってしまいましたから、聞かれては困る質問だったのだと思います。

それにしても終始、東本願寺(真宗大谷派ですよね)の「歎異抄」の本を真実と思うかどうかとか、そんな事ばかり気にしていました。東本願寺のことよりも親鸞聖人のことを話ししたいのですけど、もう親鸞会にもO倉講師にもそういう話は無理なんですかねぇ…

今後、私のことについてブログに書くとの事なので、楽しみに待っていようと思いますが、「ブログ上で議論するのなら、私の主張の全文をあなたのブログに掲載するか、もしくは反論の元となる私のブログへのリンクを張ってください。」という条件をのまない限りは、私は法論だろうと議論だろうと受けるつもりはありません。

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O倉講師に送ったメッセージ

七大経⑫-35(四つの角目を聞け、東本願寺僧侶の悲鳴)
という9月4日投稿の記事に、

URさんの真宗大谷派の教義と
浄土真宗親鸞会の親鸞聖人の教義と
どちらが正しいのか。
1対1で法論できる
絶好の機会がきた。

とあったので、嬉しくてコメント欄を通じて以下のメッセージを送りました。

こんにちは!

お返事有難うございます。URです。
お返事いただけないかと思いましたので心配しました。

では、正々堂々とやりましょう。

私からの条件を提示させていただきます。

・ブログ上で議論するのなら、私の主張の全文をあなたのブログに掲載するか、もしくは反論の元となる私のブログへのリンクを張ってください。

残念ながら、あなたは相手の主張をかなり曲解して掲載する卑怯な方ですし、親鸞聖人のお言葉でも都合の悪いものは掲載しませんし、都合の悪いコメントも載せませんので、この条件を出させていただきます。

もし、私の主張の都合のいい部分だけ選んで掲載したい、私のブログへのリンクも嫌だ、というのなら、残念ながらお断りします。

当然逃げずに受けていただけるものと期待しております。

以上、念のため、こちらにも掲載しておきますね。

何しろ高森会長も親鸞会の講師部員も、議論するときは引用元をわからないようにして、人の主張を捏造曲解して論破したつもりになっているパターンがほとんどです。詳しくはこちらをどうぞ。こんなやり方なら小学生でも「論破したつもり」になれるでしょうね。まあ、親鸞聖人の教えを明らかにするのが目的でなく、「論破するつもり」になるのが目的なのだから、致し方ないかもしれませんけど。

講師部員は毎日DVDのスイッチ押してるだけの仕事なのでヒマかもしれませんが、私は忙しいのでそんな子供と議論するヒマはありません。卑怯なことをせずに、ちゃんと正々堂々と自分のブログに反論の元となる私のブログ記事へのリンクを貼れるのなら、議論に応じましょう、ということです。

そういえば、こんな興味深いコメントが当ブログに寄せられていました。

O講師とはO倉講師でしょうか。ある元講師が、10年ほど前、講師部在籍中に、あなたに延々とT森家の闇、M晴氏の不倫・金にまつわる問題を教えて もらったそうです。大変なショックをうけそれ以来不信は覚めず、結局退部。その人は昨年理由も告げられず、会員も除名となりました。

その人からあなたが伝えたT森家やM晴氏の問題の一部始終を聞きました。なるほどあなたの教えてくれた諸々の事柄はすべて事実であることが日増しに明らかになっております。
○○講師や、○○講師兄妹、○○講師とともに現在のT森家やM晴問題が広く流布する情報の発信源だったことは間違いないとおもいます。

今後、親鸞会が除名者や退会者と何らかの争いをおこすようなことがあれば、我々は見聞きしたことを証言するつもりです。その際、O倉講師ともお会いすることがあるかもしれません。

ではごきげんよう。

O倉講師って確かに高森会長や親鸞会の色々な裏事情を知っていて、若い講師にそういうことを吹き込んでいるので有名な人でしたね。

今まで親鸞会のブログって、「教行信証は盗作の大著」と主張してそれを指摘されるとブログを全部消去してしまったり、「批判されると辛いからやめてください」って過去の記事を全部消去してしまったり、情けない人ばかりでした。

O倉講師はあの親鸞会の内部にあって、会への批判を平気で口にできる反骨精神あふれる方でした。今までの講師部員とは違うところを是非見せていただきたいものです。

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助けてと悲鳴の聞こえそうなメールを公開します。

http://blog.goo.ne.jp/oonokatu21/e/d21147924593e3a1132240266e02507b

URさんからは何の反論もないどころか、
助けてと悲鳴が聞こえそうな
メールが届いた。

「助けてと悲鳴の聞こえそうなメールってどんなの送ったの?」って質問が何人かから寄せられたので、公開しますね。最近親鸞会の講師部員に送ったメールってこれしか無いので、多分このメールで間違いないでしょう。

浄土真宗親鸞会講師部
O様

お久しぶりです。URと申します。
お元気ですか?

少しお尋ねしたい事があるのですが、よろしいでしょうか。
お返事お待ちしております。

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9月2日に送りましたが、未だにO講師からの返事はなしです。親鸞会講師部の使う「@jdss」のメールは内容が監視されているので、ひょっとしてブロックされたんじゃないかと言う人もいましたが、届いているんですね。よかった。

ちなみに、O講師の所もURの所もちゃんと実名書いてます。

これ、反論の前にまずO講師が「奥越親鸞学徒の集い」を書いている本人か尋ねたくてメールしたんですけど(違ったら失礼ですし、先輩ですから)、みなさん、「助けてと悲鳴」は聞こえましたか?

O講師って僕が親鸞会にいたときは説法もうまくて、バイタリティも反骨精神もあふれる素晴らしい人だったんですけど、どうしてこんな人になってしまったのか、残念です。

O講師、あなたがブログを書いてる本人なら、こういう卑怯なことをしないで、メールの返事をくださいよ。そして、お互いのブログにやりとりを全文掲載して、逃げも隠れもせず、正々堂々と話しあいませんか?

多分無理でしょうかね…コメント欄すら開放する勇気もない人だもの。

批判サイトに訴訟圧力をかけ、ウソをついたり論点をずらしたりして勝利宣言して、それで何がしたいのでしょうか。そんなことをして親鸞聖人の教えが明らかになるの?

他にもあなたに不審があってメールしたけど、全然メールの返事が来ないって言ってる人がいます。威勢のいい言葉とは裏腹に、講師部員は随分と劣化してしまったなと思います。

太平洋戦争で日本軍が東南アジアに攻め込んだときに、敵のイギリス軍が真っ先に背走する中、現地人の兵隊が最後まで戦って死んでいったそうです。近づいてみると、彼らは木に足を縛り付けられていて逃げられないようにされていたんだとか。

1000万円を払えというお金で親鸞会という木に縛り付けられ、ダムの献金あつめやらビデオやパソコンの操作やらで毎日過ごし、目の前で教義を批判されても何の反論も出来ず、後日弁護士にお願いして法的圧力をかけ、そんな情けない状況なのに逃げようとしても逃げられない、会長からも信頼されず、誇りもプライドも失った講師部員の姿を重ねて見てしまうのは、私だけでしょうか。

本当に、なさけないです。

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本願寺に魂を売る講師部員

親鸞会の講師部や親友部で、本願寺に対して従うことを誓い、布教をすると申し出ている人たちがいます。

私は個人の思想信条についてはとやかく言うつもりはないし、別に本願寺に行きたければ行けばいいと思います。

しかしなぜ、親鸞会を続けながら、さらには親鸞会から生活の糧を得ながら、本願寺になびくのでしょうか。将来親鸞会が立ち行かなくなったときに、面倒を見てもらおうと思っているのでしょうか。それとも、自分が担当する学徒を引き連れて本願寺に行くつもりなのでしょうか。

本願寺に対しては本願寺に従うといい、親鸞会にいるときはみんなと一緒に本願寺への批判を口にする。そういう姿勢は人間としてどうなのでしょうか。本心は親鸞会から離れているのかもしれませんが、それならば親鸞会をやめてから堂々と自分の本心を明らかにしたら良いと思います。

いくら親鸞会に対して不審があっても、おかしいと思っても、親鸞会からお金をもらって生活している以上は、外の団体に寄り添うべきではないと思うのです。

どんな軍隊も破竹の進撃をしていたときには一件団結しているように見えますが、敗北が明らかになると次々と敵に内通するものが現れるといいます。講師部に課せられた1000万円の誓約にしてもそうですが、信仰の抜けた宗教団体が衰退するときというのは、どこも同じなのかもしれません。

外からの批判に対しては法的対処をちらつかせ内に対してはお金や精神的な圧力で締め付ける。親鸞会ももう末期ですね。真宗改革の夢は消え果て、使い道の無くなった幾多の建物だけが静かに残るのでしょう。

まあでも、高森会長と東本願寺のこんな話もありますし、このリーダーにしてこの講師部員ですから、仕方ないのかもしれませんね。

最近の親鸞会を見ていると、不憫で仕方がありません。

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投稿:真宗の流れをかえる親鸞会~法論を挑んだら建造物侵入罪~(2)

あまりにもふがいない講師部員の姿にあきれ、私は講師局長であるM氏にその場で電話をしましたが、残念ながら留守電でした。留守電に、「H支部長は会員の皆さんに法施もしない、教えを守ろうとの気概もまったく見せない、それが親鸞会の講師部員なのですね。」と入れておきました。

会場を出ると先ほどの学生が待っていました。私は彼と横並びで話をしながら歩き始めましたが、H支部長はこちらに一切目もくれず2、3m前を歩いていました。その際にも、私はH支部長の背中にむかって、「親鸞会の教義は、善のすすめ(と信心の関係)、三願転入、一切衆生必堕無間など、間違いだらけだ、と言っている。なぜ、反論しないのか。できないからか!」、「君は『親鸞会の説く教えは間違っている』と言われても、何も答えられないのか。よくそれで講師部員がつとまるな。学生を前に、彼の仏縁を守ろうという気はないのか!」、と何度も尋ねましたが、H支部長は両肩を落としながら、振り向くこともなく歩き続けていました。横にいた学生はあまりにもふがいない支部長の姿に、唖然としていました。「こんなH先生の姿ははじめてみました」とも言っていました。このH支部長は6月まで、ある学友部の責任者であった男です。そのような者でさえ、この体たらくですから、あとは押してしるべしなのかも知れません。

ちなみに、H支部長は私の数年下の後輩で、学生時代はとなりの地区でしたのでよく知っています。彼自身に個人的な恨みはないですし、黙ってうつむいたまま苦しそうな表情をしている姿があまりにも可哀想だったので、車に乗り運転席に黙って座る彼にむかって、車の外から「私の家の近くに派遣された君も災難だけど、自分の心に嘘をつかずに活動しなよ、今日はごめんな。」と伝え、別れました。

これらの事実から分かるように、親鸞会の講師は、会員さんを前に教義的な批判をぶつけられても、もう何も答えられないのです。今回、それを肌で実感しました。その日の夜、講師局長のM氏に再度、電話をしましたが、怒りにまかせて怒鳴りちらすだけでこちらの質問には何も答えず、電話を切ってしまう始末です。トップからしてそうなのですから、一支部長に気概を見せろといっても酷なのかもしれません。

親鸞会衰退の原因は、他ならぬ、法をとかない親鸞会講師部員にあることがよくわかる出来事でした。彼らは会員の皆さんの前では、威勢良く法を説いていますが、親鸞会を批判してくる者を前にして、都合の悪い事実を突き付けられると何も言えず、一言の法も説けなくなるのです。私は最近、多くの会員の人たちとやり取りをしていますが、今回のH支部長だけでなく、講師部のいつもと違う姿を見て、多くの会員さんは「○○先生のこのような姿は初めてみた。いつもと違う。なぜ何も答えられないのか不信に思った。」と言われます。

そして話はこの日だけでは終わりませんでした。数日後、親鸞会の情けなさを露呈する出来事が、再度、起きました。私の自宅に親鸞会顧問弁護士のK氏から内容証明郵便で、「通知書」なるものが届きました。内容は以下の通りです。

貴殿は、平成22年8月24日、親鸞会講師が開催する講演会の会場に入り込み、親鸞会の誹謗中傷をしました。今後、親鸞会あるいは親鸞会講師等の開催する講演会等の会場に一切入らないように警告します。この警告に反して会場に立ち入った場合は、建造物侵入罪となりますので、厳正に対処します。

この通知書をみた瞬間、私だけでなく、私の妻も腹をかかえて笑っていました。私は聴聞の最中は、邪魔をしては参詣している会員の皆さんに悪いと思い、皆さんとともに静かに聴聞し、その後、支部長と話をして批判しただけです。余程、辞めた講師に批判されることは都合が悪いのか、弁護士を使ってこんな脅しまでかけてくるとは、親鸞会の焦りを感じます。かつて、本願寺の講堂に会員何百人を引き連れて法座を妨害した親鸞会が、たった1人の除名講師が、しかも聴聞した後、話をすることに対し、「建造物侵入罪で訴えてやる!」とは、よくぞ言ったりと腹がよじれました。

それとも単にM氏が怒って、Kさんを動かしているのでしょうか。法律の専門家であるK氏にしてみれば、あまりにもバカげた内容だと思われますが、Kさんも光晴氏に文句言われないよう、形の上でだけさっさと仕事を済ませているのでしょうか。

高森会長は、次の文章をとても気に入っているのか、親鸞会発行の『法戦』シリーズの2から5のはしがきで使っています。

大聖釈迦牟尼世尊は、そのご入滅に際し『涅槃経』の中に、「僧にして、法を壊つ者あるを視ながら、之を黙視し、更に、訶責駆遣せざる者は、是の僧は、これ仏法中の怨なり。若し、よく駆遣訶責せば、これ我が真仏弟子なり」とご遺言なされた。これは、仏法をネジ曲げて説いている者を見ながら、それを破邪顕正しない者は仏弟子ではない、仏の敵である、ということである。この釈尊のご遺訓に従って破邪顕正し、本当の親鸞聖人のみ教えを開顕する親鸞会に、打てば響くがごとく、四方八方から非難攻撃の嵐が湧き起こった。親鸞会はその都度、それら外道邪教、邪義異安心の輩に対して、敢然として破邪の利剣をふるい、常に完膚なきまでにそれらの悪魔外道を摧破しつづけてきた。親鸞会の歴史はまさに破邪の法戦で綴られている。

また、高森会長の著作である『本願寺なぜ答えぬ』では、

親鸞会は、自分たちが本願寺のことを誹謗中傷していることは『顕正』であると正当化し、逆に、自分らのことを批判されると誹謗中傷であって許せないというのです。自是他非の前提のもとに闘争をしかけてくるのですから、これでは宗義上の公正な論議などは望むべくもありません。悲しいことであります

という本願寺に対して、次のように批判しています。

そんな、泣きごとを並べず、親鸞会の問題提起を、受けとめる努力を、なぜ、なさらないのか。

今の親鸞会の姿勢はまさに、「自分らのことを批判されると、誹謗中傷であって許せない」となっていて、高森会長が本願寺に対して批判したように「そんな、泣きごとを並べず、元講師部員の問題提起を、受けとめる努力を、なぜ、なさらないのか」と問いただせば、何と答えるつもりなのでしょう。

そして、同書で勇ましく「不当な誹謗中傷を明証で破る」と記していた高森会長が、今は顧問弁護士を駆使して「教義への批判を建造物侵入罪で防御する」となってしまっているのです。

メッキの剥げ方があまりにも激し過ぎるのではないでしょうか。

会員向けの表の顔が「不当な誹謗中傷を明証で破る親鸞会」で、会員の皆さんには見せられない裏の顔が、今回の「教義批判を建造物侵入罪で防御する親鸞会」なのです。

高森会長は「裏も見せ表も見せて散るもみじ」という言葉が好きで、この言葉の通り、会長先生は裏も表もなく生きてきた方と思い込んでいるのが会員さんです。

しかし、実際は「裏を隠し、表だけ見せて散るもみじ」となっています。

いずれにしても、親鸞会の情けなさ、ふがいなさを如実に表す今回の出来事でした。もしかすると、親鸞会は今、何かを恐れているのでしょうか。これまで隠し続けてきたことが、白日の下、天下の目にさらされることに気づいたのか、最後の悪あがきに法的圧力で批判者を黙らせようとしているのでしょうか。

批判の内容には一切答えず、教義批判をされても一言の法も説けず、相手を圧力で黙らせようとするのが今の親鸞会のやり方です。親鸞会の講師たちよ、会員の皆さんに不信を与えている張本人は、何も答えないふがいないあなたたちです。いつの日か、本願寺から「親鸞会なぜ答えぬ」と言われ、そのまま地上から消えさるのではないかとさえ思います。

最後に、教義批判に「建造物侵入罪」で防御してきたK弁護士が顕正新聞に書いた記事を引用します。

我らが「南無六字の城」特専部長 K(弁護士)

現代はどうであろうか。親鸞聖人の正しい教えが広まれば広まるほど、これを苦々しく思うものが出てくる。真実の拡大を何とか阻止したいが、教義論争を挑んでも勝ちめがない。すると、権力を使ってなりふり構わず、妨害をしようとしてくる。これまでも国家権力を使った悪質な妨害があった。これからもあるだろう。迫害に対しては、断固戦う。我々には法律という盾があり、言論という武器もある。でっち上げを謀った者たちは、やがて窮地にたつだろう。

一人で教義論争を挑んだら、なりふり構わず、法の力で「今後は建造物侵入罪で訴える」と妨害されました。窮地にたっているのは、一体どちらなのでしょう…。Kさん、もう誰も親鸞会を相手にしてくれませんよ。まさか、それが狙いですか?遠大な計画ですね。

親鸞会のかつての公約は、今はこうなっているのでしょう。

今まで、親鸞聖人の教えをネジ曲げて大衆を騙し、仏法を食い物にしてきた私達は、本当の親鸞聖人の教えが大衆に知れわたることを極度に怖れています。親鸞会の主張に対して異議、反論のある方は、私たちが法を説く建物に遠慮なく入って来て下さい。相手が集団であれ、個人であれ、公開であれ、非公開であれ、討論であれ、文書討論であれ、時と場所を問わず、嘘の親鸞聖人のみ教えだとばれないように、相手を建造物侵入罪で訴えます。

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投稿:真宗の流れをかえる親鸞会~法論を挑んだら建造物侵入罪~(1)

親鸞会を除名になった元講師部の者です。親鸞会には教義や活動に関して、様々な批判が寄せられています。私も個人的に、20名ほどの講師にこれまでメールや電話で尋ねてきましたが、いっこうに反応はありません。

そこで今回、自宅近くで行なわれた支部長の文化講座に顔を出し、支部長と直接話をしようと思いました。その支部長にも以前から、再三メールや電話で質問をしていますが、反応は全くありませんでした。

私が会場の前にいくと、会員であろう女性がいました。私が「仏法のお話しはこちらですか」と尋ねると、笑顔で会場内まで案内してくれました。中に入ると20名くらいしか入れないような会議室で、4名ほどの参詣者がおられました。そこに、H支部長がいて、私の顔をみた瞬間、表情がこわばり動きがとまりました。私はジーパン、ポロシャツ、リュック姿で一番前の席にお聖教などの荷物を置いて、「ここで聞かせてもらってもいい?」と彼に聞くと、ぎこちない笑顔で「ええ、どうぞ、どうぞ。」と言いました。受付に置かれた『とどろき』などの小冊子を会員さんたちが手にとってみているので、「これもらってもいい?」とH支部長に聞くと、またぎこちない笑顔で「どうぞ、どうぞ」と言うでの貰っておきました。内心はどう思っていたのか知りませんが、除名講師に対しても、会員さんの前だからか彼は笑顔で対応していました。

しかしその後、H支部長はそわそわしながら、すぐに携帯電話をもって会場の外で出ていきました。おそらく上司に報告したのでしょう。そして、しばらくしてH支部長が部屋に戻ってきました。文化講座が始まり、「なぜ生きる」の10分説法を話し(3ヶ所間違ってました)、その後、「歎異抄後序」についてのビデオ御法話を聴聞しました。平成10年に名古屋で行なわれたもので、私もなんだか懐かしく思い、法話の邪魔をするつもりは元々なかったので、一番前で、念珠を手にして、聞かせてもらいました。横で聴聞していたH部長は、開始30分くらいから落ち着きがなくなり、顔や手をかいたり、しきりにまばたきしながら眉間にしわを寄せていたのは、印象的でした。

休憩時間、そして法話が終わってからも、H支部長は参詣している会員のみなさんに一切法施はおこないませんでした。私はとても不思議に思いながら、横でメモをとったり、もってきた『なぜ生きる』を拝読していました。最後、会員さんのほうから、「今日の高森先生のお話しはとても感動しました」と法話の内容に触れる話題になりましたが、H支部長は「そうですね」とだけ言い、仏法の話にはなりませんでした。ほとんどが、「○○のお花は綺麗だった」といった世間話で、H支部長もそれに合わせて会話を続けていました。私は「なんて、のどかなほほえましい光景か」と思い、黙って眺めていました。

その後、支部の会員の皆さんは帰られ、たまたま帰省中で参詣していた学生(非会員)が残っていました。いよいよ、H支部長と話ができる雰囲気になりましたが、H支部長はその学生に対して、「帰りは私が送るから、君は下で待っていてくれ。」と言い、彼を会場の外へ出そうとしました。私は「彼に横で聞かれては困るのかい?」と言いましたが、H支部長は学生さんに向かって「話は平行線だし、ホラ、彼は頭おかしいから」などと言いました。私はあえて黙って聞いていましたが、学生が「僕も横で聞いてみたいのですがダメですか」と逆に言い返したので、H支部長は困った顔をしていました。私はそこではあえて何も言わず、H支部長が学生を会場の外へ必死で連れ出す様子を眺めていました。

そして私は、H支部長と1対1で話をしました。私はまず「君は一切法施をしなかったじゃないか。講師部がそんなことでいいのか。君は親鸞聖人のみ教えを、会員の皆さんに命がけでお伝えする立場ではないのか。会員さんのほうから御説法の話題になったのに、それを受けて法施をしようともしていなかったじゃないか。よくそれで講師部がつとまるな。情けないと思わないのか。」と尋ねました。しかし、彼はうつむいて黙ったまま、何も言いませんでした。

その後、学友部の勧誘についての話になり、支部長が「学友部は今でもキャンパス内で勧誘を行なっている」と言うので、私は「日弁連(日本弁護士連合会)の意見書には、宗教団体を明かさず勧誘することは問題だと指摘されている」、「大学でもカルト対策の講義などが行なわれ、主催者を隠した偽装サークルで、学生を勧誘するのは問題だと指摘されている」と伝え、日弁連の意見書も見せました。しかし、彼はろくに目も通さず、しばらくうつむいたあと、「親鸞会の弁護士は問題ないと言ってるし、宗教団体ではなく、あくまでサークルとして勧誘しているのだから、勧誘する時に宗教団体名を明かす必要はないと」と言い出しました。

以下は参考資料です。

反社会的な宗教的活動にかかわる消費者被害等の救済の指針

大学に潜むカルト

そしてその後、私は「君らは本当に真面目に布教する気があるのか。教義が間違っていると言われても黙ったままで何も言わないじゃないか。メールで何度尋ねても、全く答えられないじゃないか。」と尋ねました。しかし、彼は苦しそうな表情をして黙ったままで、何も答えません。そこで私は、「親鸞会と法論をしたいという人がいても、君らは相手をする気があるのか。そもそも、かつての公約はまだあるのか。もう公約は取り下げたのか。君らは本当に命がけで教えを守る気はあるのか」と問いただしました。それでも、H支部長は口を一文字に結んだまま、何も答えません。

以下が親鸞会のかつての公約です。どこかの政党のマニフェストのように今はもう破棄したようです。

今まで、親鸞聖人の教えをネジ曲げて大衆を騙し、仏法を食い物にしてきた人達は、本当の親鸞聖人の教えが大衆に知れわたることを極度に怖れます。親鸞会の主張に対して異議、反論のある方は遠慮なく申し出てください。相手が集団であれ、個人であれ、公開であれ、非公開であれ、討論であれ、文書討論であれ、相手の希望される方法で、時と場所を問わず、ほんとうの親鸞聖人のみ教えを開顕するために、喜んで対決に応じます。

H支部長は、あまりにも不誠実で、たよりない親鸞会講師の姿をさらけ出した訳ですが、そこで私は胸ポケットに入っていたボイスレコーダーを取り出し、「君は講師部としてそんなことでいいのか!」と強調しました。実はこのレコーダーは最初から充電がきれており、あえて彼にも「充電がきれています」と書かれた画面を目の前に突き出したのですが、彼は慌てており見ていなかったようで、途端に顔色が変わりました。

それからは何を言っても、「それについては一切、お話しする気はありません」の1点張りでした。それまでは何を尋ねても、困った顔を我慢して、黙ってうつむいているだけでしたが、ボイスレコーダーを見せると、いきなり「それについてはお話しをする気はありません」と言うようになりました。その後、「君は、親鸞会はもう法論をする元気もないのか!教えについて批判されても何も答えられないのか!!」と聞いても、テープレコーダーのように同じ言葉を繰り返すだけでした。

つづく

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