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親鸞会への感謝

最近、大谷大学の先生から真宗学の講義を受ける機会がありました。

90分の授業が13コマ。かなり駆け足の講義でしたし、大谷派の近代教学というのは私にはどうしても受け入れがたい部分もありますが、親鸞会の教学しか知らない自分にとってはカルチャーショックでした。

知らされたこと、一言で言うと、親鸞会では教行信証を読めないのです。

聴聞会場、会議室、会館、どこでも高森会長の著作(盗作したもの含む)や教学聖典を開いている人は会っても、教行信証をじっくり読んでいる人はほとんど見たことがありません。いたとしても、会合や教学講義で「線を引け」と言われた箇所を見ているだけです。

仏教学や真宗学を体系的に学んだことがなく、すべての解釈を高森会長の「信心決定体験」に依存していますから、虚心坦懐になって宗祖の教えを受け取ることが出来ません。親鸞会会員が第一に拠る根拠は「親鸞聖人」ではなく「高森先生」なのです。

私は会にいたとき「教行信証は自分で読んでも分からない(だから高森先生から聞かせていただくのだ)」と言われましたが、そんなことはありません。ちゃんと読めば分かるのです。しかしほとんどの親鸞会会員は高森会長を通じてしか理解できないと思っています。だから、高森会長が説明した以外のお聖教の箇所は読んでも何も分からない。考えることすら、放棄してしまう。

飛雲O倉講師のブログとの論争がいまホットですが、飛雲が指摘している事は七高僧の教えからずっと繋がっている真宗学の基礎的な部分であり、親鸞聖人のかかれた事を実に正直に読んでいるに過ぎません。それを親鸞会で何十年も布教をしてきたO倉講師が理解できないのは(書いているのは教学課らしいですが)、結局のところ高森会長を離れて教行信証を読んだことが一度もないからです。

いま、講師試験を何回受ければ大講師合格など相変わらずバカみたいなことがされているようですが、「教学聖典」とやらを暗記することに労力を費やすなら、一度でも教行信証を読んでみたら良いですよ。分からないところがあったら現代語訳を読むなり、真宗辞典を引いてみるなりしてみたら良いじゃないですか。

真宗聖典を「親鸞会の根本教義である高森教学を補完する書物」位にしか思ってないから、読んだつもりでなにも読めてないのです。

私は親鸞会に感謝しています。私が浄土真宗の教えに出会えたのは、親鸞会に入ったからです。今思えば「必堕無間」という造語を経典の言葉とウソを教え込まれ、「後生の一大事」を人質に取られて高森一族のためにお金と労力を搾取されたのかもしれませんが、それを差し置いても私にとって親鸞聖人との最初の出会いは親鸞会でなされたのです。親鸞会に入らなければ、浄土真宗を知ることは一生なかったかもしれない。

だからこそ、今の親鸞会の状況は悲しすぎるのです。

あなた方にとっては宗祖より「高森先生」の方が大事なのかもしれないし、簡単に親鸞会を辞められるわけでもないのかもしれない。しかし、宗祖のお言葉くらいは真摯にそのまま受け取って欲しい。

そうでなければ、本当に親鸞会はただの詐欺団体で終わってしまうではないですか。

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コメント

自分で教行信証を読むことは事実上禁止されているので、無理でしょうね。どこまでも高森会長と組織に忠誠を誓う人たちだけが残り、徐々に衰退しながらも存続していくと思います。

投稿: | 2010年8月12日 (木) 12時56分

自分で読むことを禁止する理由がわからん。
歎異抄など解説書を出してるんやから

投稿: | 2010年8月12日 (木) 18時27分

親鸞会以外の著者を読んではいけない理由がわからない。

投稿: | 2010年8月12日 (木) 21時16分

教義解釈は会長先生から聞かなければならない、会長以外は誰もわからない、だから誤解するので自分で読んではならない。こうしないと、会員があれこれ自分で読みだして、親鸞会の教義が親鸞聖人の教えとは異なる噴飯物であることが明らかになってしまうから。会員のほうでも、信じきっている会長の教説にしか触れないことで、不愉快なアンチの主張を聞かなくて済むので楽なのです。

投稿: | 2010年8月12日 (木) 22時33分

教学聖典なんていうと立派に聞こえるが、都合の良い文章を切り抜いただけだからね。一切経のエキスというが、前後の文脈を無視して、都合良く解釈するためにつくられたものだ。あれを暗記すること自体がマインドコントロールの一環

投稿: | 2010年8月13日 (金) 07時27分

親鸞会に感謝することはない。 
親鸞会によって宗教に関する知識、味方がかわったこと。 

投稿: | 2010年8月13日 (金) 11時04分

8月1日付けの顕正新聞見てもらいたい。仏眼です。どう思いますか? 
書いてあるのは世間と親鸞会では違うってこと?。をいいたいのか。 
僧侶の生活とは法施による財施のみでまかなわれるもの。とある。 

親鸞会で給料支給ないのは一部の支部長だけでしょ? 
バカ息子は給料支給されてるしな。
それもおかしい話だ。
親鸞会にいる以上すべての講師と職員に年齢と実績が伴った給料を支給するのは当たり前! 
都合のいいふうにかくなよ。

投稿: | 2010年8月13日 (金) 17時40分

世間、世間と各下のように言うが、見習うべきことはたくさんある。商売、ビジネスの成功は社員教育と低コスト、将来計画やろう。もちろん、時代、状況にあったこともしないといけない。
親鸞会はどうですか?  無駄なことばかりでしょう。会員が真剣に聴聞できる環境じゃない。精神的に追い込んでるだけ。顕真学院で教育してるが、昔ながらの軍隊教育で時代にあった指導をしていない。サンキューやF館もだが、やるのは結構だが赤字経営なだけで、無駄の連続。

投稿: | 2010年8月13日 (金) 17時46分

親鸞会内部で喜怒哀楽とは悠長ですね。私もあやかりたい次第です。

投稿: | 2010年8月13日 (金) 18時24分

高森バカ息子って今はしらないが、給料もらいすぎやな。彼こそ給料なくしたらどう? 
どうしようもないバカ息子やから講師は法話にくるやろ。

投稿: | 2010年8月13日 (金) 21時46分

バカ息子は年収数千万円で手厚い福利厚生あり、講師は年収150万円で年金、健保、失業保険等一切なし。生まれついてのセレブ御曹司と、使い捨ての一兵卒の違いです。

投稿: | 2010年8月13日 (金) 22時02分

バカ息子よ。それだけの金あるならばご報謝しろよ。バカ息子は苦労知らずやから何にもできないやろう。親鸞会の財政が悪化してる最大のガンやな。 
ちがうか! 
サンキューの経営者はバカ息子やな。

投稿: | 2010年8月13日 (金) 23時22分

バカ息子は親鸞会幹部や会員から全く信頼、信用ないだろう。 
会長の息子って言う味方もあるが、客観的に見ても、明らかに信用ない。   うわさになってる○村元講師長とは月とスッポン、横綱とふんどしかつぎ。
人間やからいいところもあれば悪いところもある。 やはりバカ息子がどうしようもないから、批判されるやろう。

投稿: | 2010年8月14日 (土) 09時36分

これからは会員さんの不利益になるようなことは、どんどん情報公開していきます。 
会員さんは本当に苦労されてます。バカ息子は当たり前のように思って、感謝の気持ちもない。

投稿: | 2010年8月14日 (土) 11時47分

高森会長を担ぎ続けるならば息子とも縁は切れんわな。子飼いの講師部内で不倫して混乱を招いたことを不問としたくらいだから、一族で会を仕切るってのは、会長としては譲れないラインなんでしょ。根本的に会を変えたいなら、会を割る、会から出るって選択しかないのだが、すでに除名になった講師達を見ても、職員を雇うレベルで会を立ち上げるのは無理だな。文字通り自分一人でやるつもりでなければ望むような布教はできない。もしくは布教師を辞めて別の仕事に付くしかない

投稿: | 2010年8月14日 (土) 16時07分

親鸞会の布教使を辞めて就職するならば、資格をとるしかない。前職が宗教団体の布教使ならば、どこも雇ってくれないからな。

投稿: | 2010年8月14日 (土) 17時18分

親鸞会に感謝する気持ちなんてこれっぽちもない。激しい怒りこそあれ、感謝なんて髪の毛の先ほどもない。親鸞、浄土真宗なんて一生会えなくてもよかった。ほんと親鸞、浄土真宗なんて知らなくてもまったく困らない代物だということが日に日に分かりつつある。
青春を返してほしい。心を病む前の健康な体を返してほしい。ほんとにバカな者と出会ってしまった。何の因果か信じた当時の自分を殴り倒してやりたい。

投稿: | 2010年8月14日 (土) 18時16分

親鸞会に出会ってないころの自分にもどりたい。  多分やが海外とかにもっと旅行に行ってたやろうな。アルバイトもそこそこ、資格勉強もしてたしね。ご報謝のせいでアルバイトしていたようなもんやったからな。

投稿: | 2010年8月14日 (土) 19時57分

学生と社会人、年配者では環境もちがえば感ずるもの、考え方もまったくちがう。学生は、社会人経験がない。インターネットなどで情報はあるが田舎から都会にいくわけやから、まわりの知人や友人で変わるやろうな。社会人は親鸞会の組織体質に不満をもつやろう。年配者は体力的なものかな。 
偽装勧誘と収支報告を伝えればかわるかな

投稿: | 2010年8月15日 (日) 17時19分

感謝というより、かなり自分の都合の良い解釈が多いのがわかりました。   言ってることは正当なようだが、実際は都合の良い解釈ばかりです。 
例えば顕真学院で、食事は決まった時間にしたほうが良いというがそんなことは言わなくてもわかってますし、仕事などしていたら決まった時間にできないでしょう。食事はコンビニばかりじゃダメできちんと調理した栄養あるものを食べないといけないって、そもそもご報謝で食べれる金が無いからコンビニに行かざるをえないんでしょう。睡眠時間にしても同じことが言えます。

投稿: | 2010年8月16日 (月) 00時15分

高森先生が作ってくださったとか考えてくださったとか、無計画で考えるだけでご報謝は会員がやるんです。考えることは、時代遅れの考えです。
会員のことはまったく考えてませんね。 

投稿: | 2010年8月16日 (月) 00時18分

>>会員のことはまったく考えてませんね。

今頃気づきましたか。会員のための親鸞会なんかじゃない、高森一族の私利私欲を追求するための組織なんですよ。会員はそのための働き蟻にすぎません。

投稿: | 2010年8月16日 (月) 01時00分

会員のことは全く考えてないのがよくわかる。   考えていればムチャクチャな財施はないはず。   財施は自発的なもの、税金のような強制じゃないって言われたが、それは表向きだけで何かあると高森先生に申し訳ない申し訳ないって呆れるやら何やら。

投稿: | 2010年8月16日 (月) 11時01分

顕真学院の体験入学。ここは本来、講師や職員を育成する場所。講師や職員になろうとする人は嫌味をいわれながらマイコンさせる。しかし体験入学する人は、いい印象もたせるための研修しかさせない。

投稿: | 2010年8月16日 (月) 11時08分

顕真学院の話がでてましたが呆れるばかりですね。 学院は講師、職員になるための養成機関で絶対服従させるための養成機関であると。徳育をするような話があるが、親鸞会の講師でなくとも一般の社会人でも社員教育でできるようになってます。むしろ、すべてではないが講師の方ができていないような感じがします。講師の方でも大学卒業してすぐに講師になった人は支部では使えないよ。ってこと

投稿: | 2010年8月16日 (月) 17時52分

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