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親鸞会は教団改革運動などしていませんよ。

親鸞会.NETに「浄土真宗親鸞会は、新宗教というより伝統仏教」という記事が上がっていました。

時間もないので、大事なところだけ書きたいと思います。

まずは、國學院大學の井上順孝教授の『人はなぜ新宗教に魅かれるのか?』からの引用として、親鸞会を「広い意味での新宗教と解釈することもできるが、どちらかと言えば教団改革運動ないし再生運動として理解した方が適切である。」とし、だから親鸞会は新宗教ではないのだと主張したいようですが、親鸞会は設立以来今日に至るまで本願寺の批判こそすれど教団改革運動などただの一度もした事がなく、高森会長自身が教団改革運動としての親鸞会を否定していますので、この記述は誤りです。

自分に都合の悪い記述については学者の権威を徹底的に否定して「誤り」を正そうとする親鸞会であるのに、こうした自分に都合の良い誤りは積極的に宣伝に利用するのですから、あきれたものだと思います。

次の引用として、井上順孝教授の新宗教に対する位置づけ「教えの面では、新宗教は難しい教学や宗学と呼ばれるものを深めることを、さほど重視しないのが一般的である。(中略)また教祖による独自の教えも多くつけ加えられていく。」をもって、親鸞会は新宗教ではないと言いたいようですが、親鸞会は「教祖(高森)による独自の教え」が多くつけられた独自の教義体系を持っていますので、この部分を根拠にするなら親鸞会は「新宗教」という事になります。

親鸞会はどこからどう見ても「伝統宗教」を名乗る資格はありません。それどころか「新宗教」が一般的に持つ問題点を殆どすべて持っているのが親鸞会であると言えます。そもそも、日ごろ伝統宗教を徹底的に批判しておきながら、「伝統宗教」として扱われるような文章を見つけるとおおはしゃぎで宣伝に使うのですから勝手なことです。

ただ、私は親鸞会が伝統宗教であるか新宗教であるかなどという事に関心はありません。

伝統宗教でもカルト化していると見られる例もありますし、新宗教でも天理教や金光教のように歴史的にも社会的にも認められた教団も数多くあります。そもそも浄土真宗だって元は新宗教です。

親鸞会がなぜ「カルト」と言われるのか。なぜ問題とされるのか。そこに「伝統宗教」とか「新宗教」といったカテゴリを持ってきて自分たちの正当性を主張しても、何も原因は見えてきません。

今では親鸞会の一部の幹部の間には、どうして自分たちが問題とされるのか考えようという動きもありますが、親鸞会に入って苦しんだり辛い思いをしたり「騙された」と思って会の批判をする人がなぜ絶えないのかを真剣に考えなければ、親鸞会はいつまでたっても「カルト」といわれ続けるでしょう。

会長の盗作を隠し、信者を騙して会長の御殿を建てさせている教団が仮に「伝統宗教」であったところで、そんな教団に未来はないのです。当たり前の事でしょう?

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コメント

> 今では親鸞会の一部の幹部の間には、どうして自分たちが問題とされるのか考えようという動きもありますが、親鸞会に入って苦しんだり辛い思いをしたり「騙された」と思って会の批判をする人がなぜ絶えないのかを真剣に考えなければ、親鸞会はいつまでたっても「カルト」といわれ続けるでしょう。

自分たちに寄せられる批判を真正面から受け止め、会のあり方を考え直す一部の幹部の人たちがいても、結局、会内で声を発することができないのが、これまでの親鸞会でした。


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> 会長の盗作を隠し、信者を騙して会長の御殿を建てさせている教団が仮に「伝統宗教」であったところで、そんな教団に未来はないのです。当たり前の事でしょう?

自分の姿勢を改めることもなく、その場の思いつきで自分勝手に会の方針をコロコロ変える会長も、そのような会長に対して諌めることもなくイエスマンになりさがっている幹部講師たちは、もうどうしようもないですが、多くの一般会員はこのような上層部に対して、怒りを感じ声を発しないのでしょうか。

以前は関東青年部の人たちは、講師部のやり方に批判的で、講師がおかしなことをすると面と向かって批判することもあれば、局長批判に火がついて、平成14年の光晴をいじめないでくれ事件にまで発展しました。

会長や幹部講師に好き放題させている会員にも責任があると思います。

被害者団体まで立ち上がっているのに、その会の声を聞こうとする人もおらず、
多くの人に不快な思いをさせながら、姿勢をあらためようとしない会に未来があるはずがありません。

サッカー日本代表の本田選手は「応援してくれた人だけでなく、批判してくれた人にも感謝したい」と言っていましたが、親鸞会の人たちにはこのような謙虚な気持ちはみられません。

もし、そのような気持ちがあるといいたいなら、態度でしめしてもらいたいものです。
自分たちがこの世から消えていなくなる前に。

投稿: | 2010年7月 1日 (木) 10時31分

一刻も早く高森親鸞会から脱会して下さい。何から何までねこそぎ搾取される人生になります。彼らに反省を求めても無駄でしょう!

投稿: | 2010年7月 1日 (木) 13時30分

>高森会長自身が教団改革運動としての親鸞会を否定していますので、この記述は誤りです。

これは会長がどこかで言ったことなのですか?

投稿: | 2010年7月 1日 (木) 23時47分

たしか『こんなことが知りたい』だったかに、「昔から教団改革運動など成功したためしがないことは万人の知るところ。それなら教団を飛び出て新しい自由教会を作る方がはるかによい」みたいなことが書いてあったように思うのでそれを言っているのでは?

投稿: | 2010年7月 2日 (金) 08時11分

教団改革が成功しない理由は簡単です。教祖のいうことが絶対ですから。Wカップをみたらわかるがチームワークが大事。まわりの意見に傾ければかわるはずです。まわりのことを考えずに建物をたてれば辞めるよ。

投稿: | 2010年7月 3日 (土) 09時37分

伝統仏教とか笑えますね。
高森会の教義そのものが、会長が黒と言えば白いものでも黒くなる教えなので、問題提起までは出来ても、その後の変革には繋がらないでしょう。

投稿: | 2010年7月 5日 (月) 11時34分

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