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投稿:信者から集めたお金で贅沢をしている人物は、真実の宗教者ではない

学生部で4年求め、卒業してすぐ学院に入り、親友部に進み、その後、退会した者です。

大学に入学してすぐ、親鸞会に入会しましたが、それ以前に、母の影響で3団体ほどの新興宗教に子供の頃より出入りしていました。しかし、どの団体も私にはおかしく感じられたのです。子供なので、教えがどうとかわかりません。私が貧乏な暮らしだったせいか、私が疑問に思ったのは、どの団体の教祖も、

1.豪邸に住んでいる
2.高級車に乗っている
3.高級な衣服を着ている
4.その他、様々な贅沢をして暮らしている

でした。

そこで「信者から集めたお金で贅沢をしている人物は、真実の宗教者ではない」が、私の物差しとなりました。

そんな私が、なぜ親鸞会に入会したのか。講師や先輩から「高森先生は昔からの古い家に住み、食事は仏法を伝える身体を気遣って粗食に努められ、親鸞聖人のようにいつも黒の教かい服で壇上に立ち、蓮如上人のように節約に努められている」と聞かされ、それを信じたからです。聴聞会場で壇上に立つ先生しか知らない私は、それをずっと信じて尊敬していました。

学生部での活動は、お金がものすごいかかります。毎週の地方への聴聞へ行く費用、会費、ご法礼、建立ご報謝、その他のご報謝…、月に10万円はかかりました。必死にバイトして、活動して。皆、お金がなくて、いつも特売で買った袋パンをかじっていました。そんな中、私の物差しに「?」が少し浮かぶ出来事がありました。

ある聴聞会場で、お昼、私の前を高森先生の息子の光晴講師のお子さん3人が、年輩の女性と通りすぎて行きました。何となく目で追っていると、その4人は会場横のレストランに入って行きました。袋パンをかじる学生には、少なからずショックでした。

光晴講師が学生部に来た時のことです。接待の手伝いをしました。デパ地下で高級スイーツを買い、お子さんへのお土産に菓子箱を用意しました。大学生活の4年間、デパ地下の高級スイーツなんか1度も食べたことありません。心がまたザワッとしました。

聴聞の日、高森先生の接待の手伝いをしました。日曜の昼食のため、前日から用意するのです。高級食材が並んでいました。みごとな霜降りの国産黒毛和牛。料理長が「いくらすると思う?」と聞いたので、「グラム1000円くらいですか」と答えると、「もっといい肉だよ」と言われました。

その肉につけるためのタレは、先生好みのタレを作るため、様々な食材をつかい、大型ミキサーいっぱい分、作りました。当日、使ったタレは小皿1杯だけ。それも高森先生は手をつけていませんでした。あの残った多くの食材はどうなるのか、袋パンばかりの後輩に食べさせてあげたいと思いました。また接待の手伝いの際、ある講師から「今、会長先生の好みの梅干しを探して、全国からいろいろ取り寄せているが、なかなか合格がもらえない」と聞きました。講師の方がそんなことまでされているのに驚きました。不合格の梅干しはどうなったのか気になりました。

小さな「?」は全て「後生の一大事の前には」と押し込め、学院、親友部へと進みました。

研修中、本部会館裏手にある、高森先生専用のロータリー、玄関、エレベーターの掃除をしました。けっこうな広さです。月数回使われるだけなのに、あのような施設が必要なのでしょうか。建設費はどのくらいいったのか、なぜ会員と一緒ではいけないのでしょうか。最上階の先生専用のフロアの入口まで行きましたが、その奥の部屋は、親友部員も入れず、掃除も秘書の方がされると聞きました。

真夏の炎天下に1日、弘宣部ビルの駐車場の草とりをしていた時、1台の車が目の前を横切りました。ピカピカのシルバーの高級車。運転していたのは高森先生でした。これまた弘宣部ビルの先生専用の玄関に車を横付けして、ピカピカのシルバーの高級そうなスーツに石原裕次郎みたいなサングラスをかけて、専用玄関から専用エレベーターに乗り、ビル最上階の専用ルームに入って行きました。私の心はグラグラしていました。

紫雲号という、先生専用のバスの洗車をしました。タイヤから屋根の上までピカピカにしました。でも車内は、入ってはいけないのでした。上司が「ナイショだけど、明日からこの紫雲号を光晴講師が運転して、先生ご一家が温泉旅行に行かれるんだよ」と教えてくれました。当時は、正本堂の追加ご報謝を募られていた時期で、支部の高齢の会員さんは「もうこれ以上どうしたらいいか…。家族の保険を解約するか…」とまで悩んでおられた時期でした。衝撃でした。

ふと気付くと、私の宗教を見る物差しに、全て「?」がついていました。こんなことに疑問をもつ私が間違っているのか、後生の一大事はどうしたらいいか…、と数年悩んで、「このままここにいたら精神を病んでしまう」と危機を覚えて、親鸞会を離れました。

高森先生と話したことは一度もありません。会員はもちろん、下っ端の親友部員や講師部員とは、あまりに距離があります。それゆえ長い間、いろいろなことが、見えなくなっていたのでしょう。私は、教えについては、今も、何が真実かハッキリわかりません。しかし、「信者から集めたお金で贅沢をする人物を真実の宗教者とは思えません」。それゆえ退会しました。以上です。

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ある幹部の退会の記録

ある幹部の退会までの記録です

=====6/11=====
  【9:18】A
おはようございます。

Bさん、ひょっとして、二足の草鞋を履こうとしてませんか?

【9:55】B
おはようございます。

いや、そんなことはないと思います。

【9:55】A
履けると言いたいのですね?

【10:33】B
いや、二足はこうとしている訳ではない、ということです。

【10:33】A
本会の降誕会にご縁はありましたか?

【16:50】B
返信遅くなりました。降誕会にはごえんありませんでした。

【18:44】A
これからどうするんですか?本会はやめるんですか?

【19:07】B
正直なところ、最近の親鸞会は暴走気味なところが感じられまして、軌道修正がなされるか、様子を見たいと思っています。親友部を辞めた理由もそれです。

【19:07】A
そうでしたか。

【19:07】B
中枢にいると、末端会員さんには知らされていない、醜いものがよく見えるんです。

でも、会員の皆さんは素晴らしい方々ばかりなので、気を悪くしないでくださいね。

=====6/12=====
  【7:35】A
おはようございます。

高森先生に不信はありますか?

【11:54】A
今晩、●●駅で少し、15分くらい会えませんか?

ほんの少しでもいいですので。

【11:54】B
良いですが、今日は予定が入っているので、時間など、ハッキリしません。たぶん19時くらいなら Okです。


(待ち合わせのことや、関係ない会話。結局、予定が合わず、会えず)


【21:10】B
返信遅くなりました、、、

こんばんは。

昨日はがっかりさせるようなことを書いてしまいました。これから書くことも、少々きつい内容かもしれませんが、文章では伝わらないニュアンスなどあると思いますので、その点、表現力の無さと受け止めてもらえれば有難いです。書きづらい内容なので、返信遅くなりました。

高森先生への不信ということですが、正直なところ、私も分かりません。なぜなら、直接お話させて頂いたことが無いに等しいからです。勿論、先生のお導きによって親鸞聖人とご縁が持てたのですから、感謝していますし、大変なお方であることは承知しております。

ただ、数年前から疑問に感じるようになったのは、相次ぐ除名騒動です。きっかけは、瓜生、近藤、宮田、上田、斎尾など。最近も、特専部員が除名になりましたよね。「どんな極悪人をも救う」と誓われた弥陀の大悲を教える浄土真宗なのに、「邪に対して怒りの心が出てきて当然」というのはどうだろうか?と思ったのは本当です。それは煩悩のことで、阿弥陀仏のお慈悲ではないのではないか、と。弁年のような者に対しても御同行、御同朋と慈悲の心で接するのが指導者のあるべき姿ではないかと、悩みました。

会員の仏縁をまもるため、とも考えてみましたが、「このようなことでぐらつく信心なら、臨終の嵐の前には吹き飛んでしまうのだぞ」と完結編でおっしゃった親鸞聖人の御心からすれば、絶好の破邪顕正のチャンスなのに、臭いものに蓋をしているとしか思えません。

ただ、冒頭にも書きましたが、高森先生と直接お話させて頂いたことはないので、深い御心は分かりません。そこが、悩みどころです。

しかし、少なくとも言えることは、一部の講師部員には、信用できない人はいます。これではとても親友部は続けられない、と思えるくらいに。


以上、読みにくい内容だとは思いますが、仏法のことですので、正直な気持ちを書かせていただきました。不快に思われたらごめんなさい。

【21:35】A
Bさん

随分お悩みだったのですね。

除名問題をどう見るかは、善鸞義絶と似ているのではないでしょうか。

また指導者を評価している私達ですが、同じ立場でもっと上手にできるでしょうか。

嫌いな人と一緒にできないというのは、よくわかりますが、だからと言って、聴聞しなくなるなんて、とても寂しいと思いました。

組織に迷惑をかけたら、おれなくなってしかるべきではないでしょうか。

世間の会社でも懲戒免職はあります。

信用失墜というのは大きなことでしょう。

もともと、先生を善知識と思っていない人達ですから、仕方ないようにも思います。

=====6/13=====
【20:08】B
返信遅くなりました。

同じ事実でも立場や見方によって受け止め方が違ってくると思います。だから、誰が正しいとかそうでないということは簡単には言えないと思います。

組織や人間関係のありかたよりも、基準は親鸞聖人のみ教えによって判断すべきだと思います。

色々調べた結果、教義的に、平生業成の教えに反する内容があると思われるところがあります。一、ニ言で説明できる問題ではないのですが、組織に対する不満以外でも、不信があるということを知って頂ければ、とおもいます。

また、善鸞義別と関連して、局長の言動で、不信に思われるところがあるのですが、それは枝葉末節です。

突然、こういうことを言われて、ショックかもしれませんが、相当悩んで結論を出したことです。人を悲しませることはしたくないので、一度にすべてを打ち明けることができないのがもどかしいです。

一時的な感情や、逃げ心ではなく、根拠のある判断であることを理解してもらえば有難いです。

別に、誰かに腹を立てているとか、恨んでいるということはありませんので、何かありましたら、今後もよろしくお願いします。

【21:04】A
  Bさん
 
  もう退会したのでしょうか。
 
  悲しいけど、除名について同じことを言って辞めて行った人がいたので、起こりうることだと思っています。
 
  色々嫌なことは有ったでしょう。でも、教義の正しい、間違いが判断できるのでしょうか。
 
  高森先生が言われることに間違いがあるとは思えないんですが。
 
  これまで求めてきて、本会では助からないと思ったのでしょうか。
 
  今更責めているのではないんですけど。。。
 
結論が変わらずとも、一度話したかったですね。


【21:26】B
すみません。Aさんを悲しませたくないんですが、辞める理由は十分にあるんです。

親鸞会の教学聖典からすれば、高森先生の言われることは間違いないと思うのは当然だと思います。私も最初はそうでした。

ただ、教学聖典にない御文も拝読してみると、それまで知らなかったことが沢山知らされて来ます。

いつからか、御文の確認を真宗聖典ではなく、『なぜ生きる』『たんにしょうをひらく』ばかりになったのも、疑問に思うきっかけとなりました。また、ある講師が、旧テキストから現在の聖典に改定になった理由を質問したら、返答がなく、人事異動になった、ということも聞いたことがあります(2ch情報)。

一般の会員さんには知らされていないことも、色々知ってしまいましたし、組織的にも納得できないところがあるので、ここしばらくは行っていないのです。

従順に信じている会員さんは、素晴らしい方たちばかりなので、なおさら、会いにくい、という気持ちもあります。

もちろん、親鸞聖人の教えを聞き求めるのをやめるつもりはありません。

個人的にやりとりする分には構いませんので、これからもよろしくお願いします。

=====6/14=====
  【5:16】A
Bさん

1.退会はしたのですね?

2.教えについての疑問はどんなところですか?

【18:20】B
手短にお答えします。

1.自分からアクションは起こしていません。ただ、会費未納がつづけば自動的になるのではないでしょうか。

2.驚くかもしれませんが、三願転入です。支部でも「こういう批判がある」と、会合があるかもしれません。

【18:24】A
そうでしたか・・・。

三願転入のどこですか?誰にも答えてもらえなかったんですか。

うーん。そういうもんですかねえ。

【19:12】B
話せば長くなります。親鸞会50年の歴史を揺るがす大問題といっても過言ではありません。衝撃的な事実です。

【20:09】A
要するにどういうことになるんでしょう。

親鸞会では助からないということですか?

結論としては、今まで信じてこなければよかったということですかね。

誰かが、そう言っているんですか?

【20:34】B
救われるかどうかは阿弥陀仏のお仕事なので、「親鸞会では救われない」とは言えないと思います。ただ、他力回向の教えなのに、自力の善を強調しているきらいがあると思われます。

偉そうなことは言えませんが、お聖教に基づいて、そのように理解しています。

【21:17】A
やっとわかりました。

その主張はこの前会合で聞きました。

一切経は、浄土往生を目的に説かれていますよね。

部分的に読むと、誰でも本会は間違いっぽく見えると思います。

対決したいのではありませんが、Bさん元気ないのが気になります。

【21:26】A
    http://shingikensho.blog12.fc2.com/?pc

これですか?

これ読んでも別に未来の救いを先生が殊更強調されたとは思いませんが・・・。

【21:30】A
あ、間違えました。

一切経は、浄土往生の方便の善です。

と書きたかったのでした。

善をするのはよいことだし、当然だと思うんですけどね。

長く救われないと不安になるのはわかりますが・・・。

先生が言われていることは諸行往生ではありませんよね。

【21:43】A
未来の救いという表現が、おかしいと思います。

先生が説かれていないと思いますが。

三願転入は一念でなされるのであり、未来の救いではないでしょう。

自力の善の強調しすぎとか、自力の善を勧めていることになる、というのもおかしいと思います。

信前の者がやる善はすべて自力の善でしょう。

=====6/15=====
  【6:57】B
  おはようございます。

はい、そのとおりです。
  善のすすめは良いことです。
  また、親鸞会が「諸行往生」を説いているはずがありません。
  会合でも批判者のここが誤りだ、と理路整然に話がなされていると思います。

そこが、落とし穴だと思うんです。

私も長年、そんな聞き誤りを、と笑っていました。実際、親鸞会の説くところは、どこがおかしいのだろう?と思えるところばかりでした。しかし、申し訳ないですが、それがトリックであり詭弁であると気づくことが少なくないのです。

たとえば、
  (1)この店は高いけど美味い
  (2)この店は美味いけど高い
  どちらも「美味い」ことと「高い」ことを言われていますが、(1)と(2)と主張は同じでしょうか?ちょっとした表現のテクニックだと思います。

たしかに救いは一念であり、未来救われるとは言われていません。
  諸行往生に関しても、同じです。

しかし、問題は言葉ではなく訴えている心だと思うのです。言いたいこと、伝わるでしょうか。
  本当に、今の一念の救いが説かれているのでしょうか?

 

善に関して「往生を目的とした善」と「日常生活の善」は、方や捨てるべきもの、もう一方は大いにやらねばならないものだと思います。「雑行を捨てよ」を善をすすめる根拠とするのは、両者を混ぜていると思います。

 

みなさんが、親鸞聖人尊いという思いで、純粋に求めておられるのはよく分かっているので、あえて口をはさむつもりはありません。皆さん、純粋で真面目だし、頑張っておられる素晴らしい方ばかりです。

しかし、色々な面から親鸞会の裏の姿を知ってしまったので、私個人としては、人生を預けることはできないと判断したのです。それは教義的にも、教義以外の面からもです。本音をいえば、親鸞会に誤りがあっても、それはそれで素直に認め、改めれば良いと思っています。しかし、今の親鸞会からは言い訳、ごまかし、他人を見下す体質が感じられるのです。学院で厳しく注意されてきたことばかりです。

 

大事にしているものをバカにされているように感じたらごめんなさい。ある意味、これは信心の沙汰だと思うので、自分の思いを素直に述べているだけです。争っているつもりはありません。急いで書いているので、そう読めるところがあったら反省します。繰り返しますが、皆さん、素晴らしく、尊い方ばかりだと思います。

なにしろ、私たちの人生の目的は、弥陀の救いにあうことであり、親鸞会を続けるか辞めるかという問題ではないので、お互いに助け合って求めて行ければ、と思います

すみません、まとまらずに。また時間ができたらゆっくり話しましょう。

 

【7:46】A
  おはようございます。

言いたいことはわかりました。

では、トリック、詭弁を用いて、先生が最もされたいことは、一言で何でしょうか。

なぜわざわざ80才を過ぎてまでお身体の限界を超えられてまで、それをされるのでしょうか。

【9:14】B
  そこなんです。
  最も悩んだのがそこです。

しかし、今回、このような決断をしたということは、辛いけれど現実を受け入れねはならなかった、ある出来事があったということです。

最初にも書きましたが、私たちは壇上での先生しか知りません。

具体的には書きませんが、会員一人一人の後生を大事にするなら、できないだろうと思える言動を知ってしまったのです。もちろん、生身の人間ですからどんな人にも過ちはあるとは思いますし、三業と信心は無関係と教えられます。深いお考えがあってのことかもしれません。しかし、それを考慮に入れても、疑問に思わずにおれないことなのです。聞きたくないかもしれませんが、必要とあれば今度あった時にでもお知らせします。

また、それがなくても、私たちが一向専念に無条件服従しなければならないのは阿弥陀仏ですが、善知識だのみといわれても仕方のない空気が親鸞会には蔓延していると思います。「暴走気味」と最初に書いたのはそういうことも含みます。

こんなことを書くのは大変失礼だとは思いますが、「裸の王様に」になっていただきたくはない、と危惧しているんです。でも、すでに「あれ?王様は裸だよ」と言った人が次々と除名になっている現状に、危機感を感じはじめています。それは親友部を辞めた理由の一つでもあります。

すみません、具体的な内容を書いていないので、半信半疑どころか、とても信じられないでしょうが、少し本気になって調べれば、すぐに分かることかもしれません。

【9:30】A
  つまり、大沼さんと伊藤さんの本の書写を隠すためだと?

これは、辞めた人からのメールで知っていました。

それを世に知らしめようとするものを粛清された、とありますね。そこですか?

【9:55】B
  > これ読んでも別に未来の救いを先生が殊更強調されたとは思いませんが・・・。

「先生が殊更強調」ではなく、「結果的にそういうことになる」と私は理解しています。
  昨日も書きましたが、一見正しいように聞こえるんですが、よくよく検証してみると、
  今の救いではなくなっちゃうんです。

諸行往生に関しても、
  そう説いていなくても、「助かりたい」と思っているのが会員だから(そうでなければ目的違いになります)、
  それらの人に「往生の善」と「日常生活の善」を区別せずに勧めたら、
  「助かる為に善をせよ」と聞き誤られやすいと思います。

聞かせていただく立場の者が言えることではありませんが、
  「私はそんなこといっていませんよ、あなたがそう誤解しただけでしょ?」
  という狡猾さが感じられて、素直に聞く心を閉ざしてしまいます。
  だからあえて「詭弁」とか「トリック」という言葉を使わせていただきました。

> http://shingikensho.blog12.fc2.com/?pc

にある、

日常生活で悪を慎み善に心がける姿勢は勿論大事です。というか、仏法を聞かなくても多くの人は心がけていらっしゃいます。
  しかし、獲信目指して善をやれというのは、雜行を勧めているのですからよろしくありません。そんなに廃悪修善を強調したいなら、「往生・獲信とは無関係ですが」と断った上で勧めて頂きたいと思います。

というのは、その通りだと思います。

【10:17】A
  善を勧めることと、雑行を勧めていることは同じでしょうか。

違うのでしょうか。

どうしたら、私達は獲信できるのでしょうか。

 

【18:14】A
  これを読んでどう思います?
  http://homepage3.nifty.com/keko-kai/kekousi/houwa/53-3houwa.htm

【19:04】B
  すみません、いま仕事が立て込んでいるので夜か、明日の朝までには返信書きます。

今のやるせないであろう心情を考えると早く返信したいんですが、しばらくおまちください!

なお、メールくれる分には沢山送ってもらって結構です。

【19:06】A
  誹謗サイトいっぱいみて、ちょっと気持ち悪いですが、明日会えたらその時に教えて下さい。

 

【19:12】B
  誹謗サイトの言葉遣いに関しては、私もひどいと思います。他人をけなしたり、見下したりするのは、劣悪だと思います。でも、そうされても文句の言えない、悪因悪果 自因自果も納得できます。

親鸞会の思い出は良いことばかりでした。後悔もしていません。感謝しています。

ただ、よくなって欲しいけど、それは無理だろうなあ、という心境です。

続きはのちほど。

 

=====6/16=====
  【9:58】B
  おはようございます。

リンク先の増井悟朗さんのお話ははじめて読みましたが、捨自帰他が徹底されていると思います。どうしても後生を先延ばしにしてしまう私たちの迷いを叩いておられると思います。

後半に、世間の習い事には会得、習得、体得が必要、とありましたが、親鸞会の説く三願転入を思い出しました。

浄土真宗は、やはり「往生のためには」善を捨てよ、という教えだと思います。しかし、それは日常生活の善を捨てよということではありません。

それを親鸞会では、諸行往生ではない説きかたで、諸行往生を会員に勧めているのが実態だと思います。

親鸞会の目的は会員に善をさせることそのものになっていると思います。そして、往生については、言葉はあるけれど抜けていると思います。

では、なぜ善をそこまて勧めるのか?
  分かりませんが2つ考えられます。

大沼さん、伊藤さんの教えを高森先生がそう理解しておられるから。

もう一つは、ネット上で叩かれているように、善の教えを利用して、、、あとは下衆のかんぐりであって欲しいのですが、、、。

聞く側も、

聞いてさえおれば良いというのは間違い。おしえられる通り実行せねば。

とは思っていますが、別の言い方をすれば、

実行さえしておれば三願転入の軌道に乗せられて、「やがて」信心決定というとてつもない一念の体験がくるだろう。

という心ではないでしょうか。私がそうでしたが、これは未来の救いを求めている心だと思います。

真宗万年の礎を築くことも大切ですが、「今」の救いがおろそかになっているような気がします。

それを指摘した人が、除名、、、あ、それは前にも書きましたよね。最近の除名者は、組織に迷惑をかけたというよりは、疑問を投げかけた人ばかりに思えます。

組織に迷惑という点からすれば、局長のやった不祥事は実際の除名者より重いと思います。義別とまでは言いませんが、どう甘く考えても学院研修で然るべきだとおもいます。

学院でおしえられた、礼儀や日常生活は素晴らしい宝だと感謝しています。だけど、上層部の実態が、それに反して横柄で独善的、排他的な人格であることに、親友部時代苦しみました。私がされた訳ではありませんが、理不尽な差別、パワハラと思えることを何度も見てきました。仏法者の集まりとは思えませんでした。

過ちはあっても良いと思いますが、真面目な求道者を悪者に仕立てあげて、保身に必死になっている姿を見て、うんざりしていました。「心口各異」の仏説を学ばせていただきました。そういう、反面教師的な意味からすれば感謝です。

 

すみません。こんなことを書くつもりはなかったんですが、思いつくままに、こういう展開になってしまいました。

誹謗サイトについては、言葉遣いは下品ですが、内容は傾聴に値するものが増えてきているとおもいます。もちろん、玉石混交ですので、冷静な読み方をしなければなりません。

誹謗サイトというよりは、批判サイトというべきなんですけどね、本当は。

【11:55】A
  大沼さんよりですが、この人のは勉強になりますね。これ誰でしょうか。
  http://takamoripakuri.blog50.fc2.com/

わからないのは、19願を通ってから救われるのか、18願のみ聴聞すれば救われるのかです。

真仮の水際を説く話だけを聞けば、私は救われるのでしょうか。

どうも大沼さんの理論が正しいように私には思われるのですが・・・。

増井さんの「救済の予定概念」というのは、Bさんのいう未来に救われる心のことを書いてあるものですか?

 

【17:02】A
  段々、Bさんの言う意味がわかってきました。局長の不祥事は知ってましたが、多分、先生は本気で19願の善をしなければならないと理解されていると思います。
  少しだけ、今日会いたいと思います。大丈夫でしょうか。

【17:02?】B
  たぶん18時には上がれると思います。局長の不祥事に関しては、そのこと自体は最初はあまり気になりませんでした。しかし、講師部合宿での「もみ消し」は善鸞を義別された聖人とは大きくかけ離れていると思います。その場にいた全講師部員に対しても、不信が沸き起こります。平生14年くらいの講師部合宿で、なにがあったか知ってますか?

【17:02?】A
  こうせん部長が前に出て、でっちあげだと絶叫、木口講師は土下座して謝罪、終身の執行猶予がついた。でも、局長は腰痛で欠席、でしたっけ?

【17:02?】B
  ソースは2chですが、これは信憑性高いと思います。もと講師部員に直接聞いたら、これは本当だ、と言われました。
  http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/6979/1158394190/
  いかにも目に浮かびます。日頃の聴聞録の成果が、こんなところに生かされるとは(笑)

 

=====6/17=====
  【10:17】B
  > 善を勧めることと、雑行を勧めていることは同じでしょうか。
  善をすることは、生きていくうえで大切なことだと思います。
  雑行をしたら、阿弥陀仏のみ心に反すると思います。
  だから、善を勧めることは良いことであり、雑行を勧めるのは悪いことです。
  親鸞聖人の教えは、仏教である以上、当然善の勧めはありますが、雑行の勧めはありません。
  親鸞会は日常の善と雑行をごちゃ混ぜにして、「善がすすめられている」とだけ説いているんです。

そのように私は理解しています。

> どうしたら、私達は獲信できるのでしょうか。

先ほどSMSに送った飛雲というブログのどこかにあったのですが、

日常生活では、間違いなく善い結果がくるぞ、と思って善をし、
  求道においては、間違いなく助かるぞ、と思って念仏する

という内容の言葉が心に残っています。
  親鸞会ではほとんど教えられない念仏が、じつはものすごく大事なんです。
  もちろん、念仏称えて助かるわけではないのですが。

【9:48】A
  なるほどなるほど。

これは完全に諸行往生ですね。

ちなみに、今日は昨日できなかった仕事が沢山あるので、これからどんどんやります。

また、今後はこのアドレスを使ってください。

●●から転送しています。

たぶん私に連絡とりたい人もあると思いますので、●●はそのままにします。

会の人には沈黙しておきますが、退会した人に連絡をとれるように。

===============
  そして、直接会って退会の決意をしました。

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親鸞会は教団改革運動などしていませんよ。

親鸞会.NETに「浄土真宗親鸞会は、新宗教というより伝統仏教」という記事が上がっていました。

時間もないので、大事なところだけ書きたいと思います。

まずは、國學院大學の井上順孝教授の『人はなぜ新宗教に魅かれるのか?』からの引用として、親鸞会を「広い意味での新宗教と解釈することもできるが、どちらかと言えば教団改革運動ないし再生運動として理解した方が適切である。」とし、だから親鸞会は新宗教ではないのだと主張したいようですが、親鸞会は設立以来今日に至るまで本願寺の批判こそすれど教団改革運動などただの一度もした事がなく、高森会長自身が教団改革運動としての親鸞会を否定していますので、この記述は誤りです。

自分に都合の悪い記述については学者の権威を徹底的に否定して「誤り」を正そうとする親鸞会であるのに、こうした自分に都合の良い誤りは積極的に宣伝に利用するのですから、あきれたものだと思います。

次の引用として、井上順孝教授の新宗教に対する位置づけ「教えの面では、新宗教は難しい教学や宗学と呼ばれるものを深めることを、さほど重視しないのが一般的である。(中略)また教祖による独自の教えも多くつけ加えられていく。」をもって、親鸞会は新宗教ではないと言いたいようですが、親鸞会は「教祖(高森)による独自の教え」が多くつけられた独自の教義体系を持っていますので、この部分を根拠にするなら親鸞会は「新宗教」という事になります。

親鸞会はどこからどう見ても「伝統宗教」を名乗る資格はありません。それどころか「新宗教」が一般的に持つ問題点を殆どすべて持っているのが親鸞会であると言えます。そもそも、日ごろ伝統宗教を徹底的に批判しておきながら、「伝統宗教」として扱われるような文章を見つけるとおおはしゃぎで宣伝に使うのですから勝手なことです。

ただ、私は親鸞会が伝統宗教であるか新宗教であるかなどという事に関心はありません。

伝統宗教でもカルト化していると見られる例もありますし、新宗教でも天理教や金光教のように歴史的にも社会的にも認められた教団も数多くあります。そもそも浄土真宗だって元は新宗教です。

親鸞会がなぜ「カルト」と言われるのか。なぜ問題とされるのか。そこに「伝統宗教」とか「新宗教」といったカテゴリを持ってきて自分たちの正当性を主張しても、何も原因は見えてきません。

今では親鸞会の一部の幹部の間には、どうして自分たちが問題とされるのか考えようという動きもありますが、親鸞会に入って苦しんだり辛い思いをしたり「騙された」と思って会の批判をする人がなぜ絶えないのかを真剣に考えなければ、親鸞会はいつまでたっても「カルト」といわれ続けるでしょう。

会長の盗作を隠し、信者を騙して会長の御殿を建てさせている教団が仮に「伝統宗教」であったところで、そんな教団に未来はないのです。当たり前の事でしょう?

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