いくつか…
実は色いろ書きたいこともあるのだけれど、現在進行中で秘匿しなければならない事柄もあったりしてあまり記事を書けていません。本当は全部オープンにしたいけど、どうしても隠密にやらなければならないこともありますので。
何れ、きちんと明らかにしたいと思っています。
最近知らされたことや思ったことなど、いくつか。
・親鸞会の教義の誤りが分からないのは、親鸞会の教義を理解していないから
脱会されたある方が言われたことです。確かにそうだなとこころの中でうなづいていました。そういえば最近の親鸞会は教学力のある方からやめていっているように思います。教学力(あくまで、親鸞会教義を理解する力としての教学力です)がなければ、親鸞会の誤りのポイントも理解出来ないのでしょう。
私がある支部を担当していたとき、30年近く親鸞会に籍をおき支部を支えてきた幹部会員が「コップに宿善と言う水がたまり、あふれた時が信心決定」なんて話をしていたのには驚きましたが、案外そういう人は多いのです。教義以前の信仰ですからもはや正しいとか誤っているという判断の問題ではありません。昔の誤った説き方を反省も謝罪もしない高森会長が一番の問題でしょうが。
・元会員から見た浄土真宗親鸞会
素晴らしい内容なので「親鸞会ブログポータル・ナビ」に掲載しました。みなさんも是非読んでください。
・夢幻界裡の覚醒というブログ
内容が面白いので「親鸞会ブログポータル・ナビ」に掲載しました。プロフィールを見ると作者は「頭の悪い布教師」であり「本願寺の僧侶」だそうです。本願寺の布教使は自分のことを「布教師」とはまず書きませんし、「本願寺の僧侶」という言い方もしないですけど、「本願寺の布教使」とは書いてないし、親鸞会の内部に本願寺派の僧籍もっている人なんてたくさんいるからあながち嘘じゃないとは思います。
リンク先は他の親鸞会運営のブログと示し合わせたように一緒ですし、コメント欄を書き込み不可にしているのも一緒。「飛●」なんて書き方で批判元のブログの名前を伏せているのは検索して親鸞会教義を批判するブログを見せたくないからでしょうか。何しろ文体とは裏腹にずいぶん臆病なブログです。
・学生で幹部になれる人が減っている
減りますよ。あらゆることを誤魔化し嘘をついて、親鸞会を批判しているのは本願寺の陰謀だとかそんなことばかり言っているんだから、向上心があって教養のある人なら「馬鹿にするな」と思ってやめます。残るのはそうじゃない人ばかりだから幹部になれる人材が不足するんです。
・東西本願寺の皆さんへ
親鸞会の事をバカにしたり見下したり無視したりするのは勝手かもしれませんが、あなたがたで街頭に立って布教するだけの意志と覚悟を持った人がどれほどいますか?親鸞会は未だにブログのコメント欄すら開けない臆病者ばかりですけど、街頭で布教する気概を持ったメンバーならたくさんいますよ。
親鸞会の本願寺批判は的はずれなものも多いけど当たっているものも少なくない。特に本派の方に言いたいのですが、臭い物に蓋をしないで、自分たちから出た「浄土真宗親鸞会」という宗教団体の有様についてもっと真摯に学んで欲しい。
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コメント
学生の幹部って毎日聴聞して素直に教学して勧誘してれば講師から勧められたりしませんか?
投稿: | 2010年6月13日 (日) 20時16分
そりゃ幹部会合に出席する人間、部長、副部長として登録する人間はいるだろうが、
自ら汚れ役を買ってでる、会員側の中にいながら会員の一人として講師の代弁者となる、そういう実質的な意味での幹部がいなくなった。
自分で考える人間はアホらしくなってやめたってこと
投稿: | 2010年6月13日 (日) 21時05分
ぶるうの氏が言わんとしてるのは、将来講師部員になったり、一般会員でも支部の若手ホープとして自分の支部を支えていけるような人材がいなくなった、という事だろ。
今時、これだけ教義批判blogがあるのに、ネットを見てS会教義の正邪を考えることも出来ない大学生なんて、頭が足りないか、自分で物事を判断し決断する能力が欠如してるとしか言いようがない。
投稿: | 2010年6月13日 (日) 21時34分
講師の言うことは親鸞会に依存するための手段やから絶対に従ってはならない。学生はわからないから、どうしても身近な人に頼ってしまう。必ず自分で決断すること。親の反対でほとんどの問題は防げます。大学生だから自分で決断しろなんて言う人もいるが、突き通すことも大事。講師になれば給料なくなって人格も破綻するんやから。
何でもハイハイいってりゃいいわけやない
投稿: | 2010年6月13日 (日) 22時22分
>・東西本願寺の皆さんへ
こういう論調はいかがなものかな。
確かに真宗坊主はクソばかりだが、中には真摯にご法義を説く坊主もいるよ。でも、この論調だと首をひっ捕まえて無理やり水を飲ませるならミッションが教義の一部になっているクリスチャンと変わらないのじゃないのかな。
高森親鸞会に没入した人は単に真実をいうものを、本当に求めなかっただけでしょ。それを既存の教団に責任を転嫁するって悪しき他者依存の論理でしかないだろうな。
結局は、「絶対の幸福」という目先の煩悩に騙され自らの生きる意味を欲望に求めただけだろ。そして恨みつらみで自己の出身母体を罵っているだけであって高森顕徹と同じ論理であって同じ穴の狢の発想だよ。
一心専念弥陀名号 行住坐臥不問時節久近 念念不捨者是名正定之業 順彼仏願故のご法義であって、念仏「さえ」称えていれば往生成仏の仏果が恵まれるご法義だよ。少なくとも本願寺派の坊主なら、このなんまんだぶを称える事を勧めているのだが小賢しい考えで、自己の欲望の拡張である「絶対の幸福」に狂ってきたのが高森教の会員だろうよ。
頭の悪い坊主に騙されるのもアホだけど、それ以上に「絶対の幸福」とか「生きる意味」とかいう妄想の煩悩に騙されてきたのは自分が選んだ道に過ぎないだろうな。
もちろん高森親鸞会の会員であっても見下したり馬鹿にしたり無視したりしてないけど、高森親鸞会の教義が脱会者によって晒され始めたのは最近のことだよ。まあ、ほとんど修正も訂正も出来ないほどに会員の心に食い込んでいる教義だけどね。
しかし、それをもって東西本願寺に責任を転嫁するのはいかがかな。いいじゃないですか、仏とも法とも知らない人生に佛教という生と死を超えていく道があるということを知ったならば無限の時間の彼方にでも救いはあるのでしょうから、放っておきましょというのが本願寺の主張でしょうね。同一念仏 無別道故ですからいつの日か浄土で遇えますよ。
投稿: 林遊@なんまんだぶつ | 2010年6月13日 (日) 23時29分
ぶるうのさんの発言は、第二、第三の親鸞会という浄土真宗もどきのカルト宗教団体が表れるスキを作らないで欲しいという切望からだと思います。
私が騙されたのは、100%親鸞会が悪い、私は正義の固まりだったから悪くないなんていいません。(親鸞会が悪いのは言うまでもありません)
しかし、将来高森会長のような人間が出てきても、被害が最小限になって欲しい、そのために東西本願寺には少しは責任があるのだから、対策を(説法)して欲しい、というぶるうのさんの気持ちには共感します。
投稿: | 2010年6月13日 (日) 23時59分
東西本願寺の責任があるとすれば、分不相応な規模と名誉を抱えていることだな。墓守を生業するだけならば巨大な組織や伝統を笠にきる必要はない。
親鸞会のような怪しげな団体が肥大化できたのはある意味本願寺のおかげ
わたしは親鸞会を棄てて本願寺に対してもの興味も失せた。良識があるならば自分達の有り様を見直すべきでしょうね。そういう人は少数派なのでしょうが
投稿: | 2010年6月14日 (月) 07時39分
墓地に老人ホームに病院増築、学校などなど。現代の吉崎御坊のごとく同朋の里で生活が完結できるようにするには、まだまだたくさんの建物、施設が必要やな。それぞれに孫たちが理事長となって経営していくのがワシの夢や。ホンマにカネは何百億、何千億あっても全然足りないね。カネを出し惜しみしてる学徒はまるで仏法が分かってない。有り金を残らず御放射にまわさなければ、真剣に善に向かっているとは言えないのや。
投稿: | 2010年6月14日 (月) 08時09分
(東西本願寺、特に西は)「もっと真剣に親鸞会対策をしなさい」という意味でなら、ほとんど情報が入ってこないから意識のやりようもない、というのが正直なところなんだと思います。未だに住職とかの中では、本願寺座り込みの事件だったり、かつて盛んだったお寺に来る→木像本尊を見て論争を仕掛ける、みたいなところで止まってる人が多いのではないでしょうか。
意識する人も少ないので情報も少なく、情報も少ないので意識することもできなくなるという状態が長く続いていったんだと思います。
実際関係者でも、上層部しか知らされてない情報とかがあることが脱会した人の話でようやくバレてきたようなものですから…
それにしても「生きる意味(目的)」に始まり「絶対の幸福」を目標とする自分たち(自教団)の方向性を(手段に問題はあるとはいえ)世に訴えかけてきたのは親鸞会の方でしょうね。
東西本願寺にだって真摯に法を伝える人だっている、それは確かです。がそれはほぼ全て「お寺の中で」です。寺院の存在価値は決して否定はしません。しかし、寺院でなければ伝道できないわけじゃない。むしろ仏とも法とも知らない、伝えるべき人はお寺の外にたくさんいるはず。
また、お寺で僧侶が話す時、僧侶は本人が望まなくてもある種の権威を背負ってる(ここはお寺でこの人は仏教の話を取り次ぐ者=えらい人なんだ、と思われる)ことを忘れてはいけない。お寺で話をしている限りその権威に守られながらであり、それだけで十分なことをしていると思ってるようでは今後も本願寺教団は衰退していくでしょう。お寺の中で正しい教えを説いて、聴聞に来てくれないかな~と願ってる「だけになってしまってる」姿勢は、僧侶が危機感を持って改めていかなければならないと思います。
投稿: | 2010年6月14日 (月) 08時59分
本願寺やご門徒のことを勝手に馬鹿にして見下してきた(いる)のはT会のほうだと思います。もちろん本願寺も人間の集まりで理想のユートピアではないと思いますし何かと問題もあるでしょう。しかし
今まで本願寺側の人が反論や意見をしようにも、誹謗中傷としてまともに反論もせず(できない)、的外れのビラを撒いたり、座り込みをしたり。真面目に聞法されようとするご門徒を守るには無視するより仕方がない、もう関わるなということになったのではないでしょうか。実際言葉とは裏腹に、ワシ(会長)の言うことに間違いがあるか、とばかりに意見や批判に耳を傾ける姿勢が会長や会側に少しでもあったとは思えないのですが。今もないでしょう。もちろん出身母体の本願寺や団体にも責任の一端はないとは言えないのかもしれない。でも何よりそういう会長の傲慢さやご法義に対する真摯な姿勢の欠如とそれを許し追従し加担した会員(私も含めて)がこれだけ会長の我が儘を肥大化させた教団を形成していったのではないでしょうか。
投稿: | 2010年6月14日 (月) 09時11分
現在の宗教法人法は、性善説的考え方で、宗教というのは世の中をよくする良いものだという考え方で作られています。
宗教法人の集金、固定資産税は非課税、宗教法人が経営する店の利益は、普通の会社が3割課税される場合は、3割のうちの2割が母体宗教法人への布施として認められる、税金の額が3分の1になるそうです。
これで儲けが出せない親鸞会ビジネス、さすが未来が見通せる善知識素晴らしいですね。
投稿: | 2010年6月14日 (月) 21時28分
>確かに真宗坊主はクソばかりだが、中には真摯にご法義を説く坊主もいるよ。
法を説く僧侶がいるのは否定はしないが、外に出て草の根で法を説くという開発精神はあまりないのでは?
宣伝もそれほど必死じゃないし、そもそも僧侶の数からすると、法を説く僧侶が少なすぎるのでは。
開発精神という意味では、親鸞会の講師は「よくやるなぁ」と思う。
団体としては教義も、活動内容も最悪だが。
投稿: | 2010年6月15日 (火) 01時43分
↑
何が悲しくて無理やり人に法を説かにゃならんの。
浄土真宗のご法義は、「本願を信じ念仏を申せば仏に成る」がアルファでオメガでしょ。
人は生きて死んでいくということは、一人ひとりの存在に関わることだから、誰も代わる事は出来ないって『無量寿経』にもあるでしょ。教団や組織や善知識に頼るって求道がおかしいって事が判らないのかな。だから組織やカルトの高森会に騙されるんだよね。
言葉は義を指す指であり、善知識は方向を示すだけの存在なんだけど、それに何を求めたいのかな。
高森会が本願寺に変わっただけじゃ、今の民主党のように看板を変えただけで意味がないんだよ。同じ過ちをおかしなさんな。
投稿: 林遊@なんまんだぶつ | 2010年6月15日 (火) 02時51分
善知識なる言葉に罪があるのだよ
由緒正しい寺の門主や、不思議体験をした人、サトったお方、「こういう善知識なしには何も進まないんだから、皆で善知識を祭り上げよう」ってのがマズいんでしょ
善知識とゆうものの認識を改めて、ひろい意味で教えを考えるべき
投稿: | 2010年6月15日 (火) 08時08分
親鸞会講師は法をとくのが仕事。しかし、どうでもいい関係の無いことで時間とられてるからな。
投稿: | 2010年6月15日 (火) 12時36分
林遊びさんへ
>何が悲しくて無理やり人に法を説かにゃならんの。
>浄土真宗のご法義は、「本願を信じ念仏を申せば仏に成る」がアルファでオメガでしょ。
私も難しいことはよく分かりませんが、
浄土真宗の教えを知らない人に、法を説き教えを広めようとする必要はないということ?
それとも、(無理矢理、強引にとは言いませんが)僧侶が教えを広める必要はあるということ?
何もしなければ教えは広まらないとは思いますし、法を説く僧侶の方も存在していますが、林遊さんは何がいいたいのですか?
親鸞会のように「強引に」「義務感で」法を説くことは必要ないってことがいいたいのですか?
林遊さんの言われるように『浄土真宗のご法義は、「本願を信じ念仏を申せば仏に成る」がアルファでオメガでしょ』という法義の中身を知らない人がほとんどだと思うのですが。
投稿: | 2010年6月16日 (水) 19時27分
投稿: | 2010年6月16日 (水) 19時27分さんへ
このブログは主に偽装勧誘等にみられる親鸞会の反社会的側面を公けにするという趣旨のブログだと思います。
ですのでそれと関係なく一方的に自論を述べる(しかも高圧的な口調)ようなマナーの悪い人とは関わらない方がいいと思います。
ちなみに林遊氏という人物は自分の管理サイトに他人の著作物を720 * 1000pxの巨大なiframe内に無断で表示するような人です。
余計なおせっかいかとは思いますが、スルーしたほうがよろしいかと。
相手をするとせっかくのぶるうのさんの記事の意図するところから離れていってしまいますので。
投稿: victims | 2010年6月16日 (水) 20時10分
昔 くそ森会長は 大幹部 を 2名 認定 して いたが
今 うそ森 が 認定 している 大幹部は 何名いるのだろう?
投稿: 元気ですか ひさしぶり | 2010年6月20日 (日) 19時09分