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だから誰もついてこない

大前提が崩れるとき、というエントリを読みました。自分たちに向けられる批判に全く答えられなくなったと思ったら、今度は真宗大谷派の批判を始めました。「自分たちも間違っているかもしれないが、もっと間違っているところがあるじゃないか」とでも言いたいのでしょうか。

信者を騙して教団の金で自分の御殿を建てさせたり、主要な著作がほとんど大沼法竜のパクリだったり、教義批判からは逃げてばかりで、さらに弟子の講師部員はみんな口ばっかり。こんな教祖の率いる教団の中にいる人が、

船内の豪華絢爛な世界も、乗客たちの笑顔も、それがやがて沈み行く船の中のひとコマと知っている観客は、その〃幸せ〃を見るに忍びないのです。

と書いても、普通の常識を持った人からは「バカじゃないの?」と思われるだけでしょう。そもそもこのブログを書いている人物の人生自体も「やがて沈みゆく船の中」にいる訳であり、自分自身が「臨終に崩壊しない信仰」を持っているかどうかさえ明らかにできないのですから。

そういえばこのブログから、「浄土真宗を憂う」という弘宣部が作ったサイトにリンクが貼られていました。もともと弘宣部というのは平気で誤魔化したりウソをつく集団なので内容は殆ど信用できませんが、親鸞会の講師部員を息子に持つ住職が大谷派の寺を出たのは事実です。

高森会長が「本願寺を離脱した」というのが実際には「僧籍を剥奪された」のが事実であるように、彼らも自分から寺を出ていったように思えますが実際は追い出されたというのが正しいでしょう。

今までも宗派を離脱していった寺は多くあったのに、彼らにそれができなかったのはご門徒の支持を全く得られなかったからです。それを「宗務当局側の術策で後一歩のところで頓挫」と彼らは書いていますが、それなら一体何人のご門徒が住職と一緒に大谷派を出て親鸞会に入ったか書いたらいいと思います。絶対に書けませんから。

独りよがりな「真実」とやらを振りかざしてご門徒の気持ちを考えず、かえって親鸞会への不審を与えるだけだったから誰もついてこなかったのです。この人、今も「大谷派住職」という肩書きで親鸞会の発行物に本願寺の批判を書いていますが、私はご門徒に見捨てられ親鸞会にしかよりどころの無くなった人が、親鸞会に言われるがままに提灯記事を書いているようにしか見えません。

この事実は多くのことを私たちに教えてくれます。ご門徒や彼らの周りの住職、教務所の人たちには本当に彼らを心配した人も少なくなかったにも関わらず、「真実を知らない人たち」と見下し、自分たちの信仰や教義の正当性を省みることなく、彼らは最後の最後まで自分勝手に大勢の人に迷惑をかけ続けました。思えば親鸞会の通常の活動でもこんな事が多いのではないでしょうか。

親鸞会を脱会する人がいても「後生の一大事が分からないから」「苦しい求道に負けた敗残者」と勝手に決め付けて見下し、親鸞会を批判されると「本願寺の陰謀」とヒステリックに叫んで撥ね付けるばかり。これでは周囲が付いてゆけなくなるのも当然だから、自分たちと価値観の合う人ばかりで集まって「そうだ、僕たちは間違ってない」とお互い確認しあう。

「やがて沈み行く船の中のひとコマと知っている観客は、その〃幸せ〃を見るに忍びない」と言っている著者も全く同じでしょう。そのちっぽけなプライドが臨終のなんの役に立つのかは知りませんが、あなた方のそういった「盲信」のおかげで高森一族が「船内の豪華絢爛な世界」を楽しんでいることくらいはそろそろ気付いてもらいたいものです。

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コメント

少なくとも、この世に救いがあると思っていたら、どんな境遇の人に対しても救いへの歩みを感じるはず。しかしススム君の言い分は、全く無駄な生活をおくる人ばかりだ!というもの。
この食い違いは、三世を言いつつも、今の一生へ執着させる高森教義独特の齟齬ですね。
今死んだらーとキリキリ舞いしなさい、という教祖の刷り込みが効いてます

投稿: | 2010年5月17日 (月) 09時31分

> 今死んだらーとキリキリ舞いしなさい、という教祖の刷り込みが効いてます

「今死んだらーとキリキリ舞いしたら、救われる」というのが教祖の教えですね。
会員は、どうしたらキリキリ舞いできるだろう、と思っている。
なにか、向かう方向が異常ですよね。

投稿: | 2010年5月17日 (月) 10時16分

確かに異常です
この「キリキリ舞い」の教えが効いて、精神的な孤立や、社会的疎外感がうれしくなってしまうのです。それを奴らは仏縁と呼ぶのです

投稿: | 2010年5月17日 (月) 16時04分

退会して3年。数日前にこのブログを初めて見ました。過去ログ、私の白道を全て読み、衝撃を受けています。会を離れる前、「会の体制はおかしい」と感じていたこと全て、正しかったのだとわかりました。しかし「教え」からおかしかったとは…。まだ混乱しています。私が誘って入会した親友が、まだ真摯に会員を続けています。彼女のことを思うと、申し訳なさで、ここ数日、よくねむれません。私のせいで彼女の決して少なくない時間とお金を会に費やさせてしまったのですから…。今、現在も。「会って話さねば」と思っていますが、正直怖いです。

投稿: | 2010年5月17日 (月) 17時01分

気にはなるでしょうが、気付くのは本人ですからほおっておくのも手段ですね。  
教えの理解の有無関係なしにおかしいところはたくさんありますから。

投稿: | 2010年5月17日 (月) 19時12分

そうですね、会って話したからといってすんなりとは伝わらないでしょう。相手の方はすでに自分の意思でうごいているのですから。
その方が迷いを感じたとき、相談に乗れる距離にいるのが良いでしょう。年一回の手紙くらいがよいです

投稿: | 2010年5月17日 (月) 23時30分

>私が誘って入会した親友が、まだ真摯に会員を続けています。彼女のことを思うと、申し訳なさで、ここ数日、よくねむれません。私のせいで彼女の決して少なくない時間とお金を会に費やさせてしまったのですから…。

あなたも同じように、他の会員さんから勧誘されて入会したのでしょう。
あなたの決して少なくない時間とお金を費やしているはずです。
つまり、あなたご自身もご親友同様、被害者です。
そんな風に自分を責めなくてもいいんですよ。

あなたを勧誘した会員さんも同じです。また他の会員さんから誘われて……
そうやって元を辿って行きつくところは、一人しかいません。
それが誰であるかは、言うまでもありませんよね。

責めるべき相手は、別にいます。
そしてその相手は、あなたのように眠れなくなることも、申し訳ないと心を痛めることすらもないでしょう。
それどころか、自分の元に金を運ぶ働きアリ程度にしか思っていないでしょう。

今は知ったばかりで混乱して、苦しい思いでいっぱいだと思います。
まずは深呼吸して、ゆっくりと心を落ち着かせてみてください。
そして、ゆっくり眠って気力・体力を確保してください。
それからもう一度、考えてみてはいかがでしょうか。

親鸞会への疑いや不満の無い会員さんにいきなり問題点を話しても、効果がない場合もあります。
彼女に話すためには何が必要なのか。今はその時なのかどうか…。

話すこと自体も、本当に本当に怖いことだと思います。
ですが、あなたにとって大切なのはご親友との関係でしょうか?それとも、ご親友自身でしょうか?
また、彼女とあなたの立場が逆だった場合、あなただったらどうしてほしいと思うでしょうか?
事実を知った時は傷つくかもしれませんが、知らないままでは身も心も人生も何もかも奪われてしまいます。

退会後もあなた方が親友であるというのは、とても大きなことのように私は感じます。
あなたがかつて会員であったことは大きな助けになります。
ご親友が親鸞会に不安や疑問を持った時、あなたになら話せるのではないでしょうか。

あなたを今苦しめている辛さや怖さは、ご親友を助ける力に変えることができます。
ご親友が気付いた時、あなたと同じように混乱して苦しむかもしれません。
経験しているあなたなら、それを分かち合えるのではないでしょうか。

投稿: | 2010年5月18日 (火) 00時28分

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