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投稿:仏縁と我が身を守る事、どちらが大切なのか

会員の仏縁を守ること、それとも講師、または会としての存続を守ること、どちらが大切なのでしょうか?
おそらく後者かもしれません。
そう感じ取られることは多々あります。
例えば、週刊現代や宝島、またはネットといった公の目に触れる物での対応。もし、「自分達が正しい、雑誌、ネットは間違っている」というのであれば、それなりの対処をすれば良いでしょう。
「本願寺の仕業」、「批判だけしていて、正しい教えは説いていない」だから放っておく、ブログのコメントも受け付けない、、、では、納得しないでしょう。間違っていれば、ネットでもどんどんを論破すれば良いと思いますが、、、その気配は感じません。
会員がそんな状況を見て、正常な心で居られるのでしょうか。
講師のブログは会員も普通に見られると思いますので(批判サイトではないので反対派されないでしょう)、普通に考えれば「講師の方々がバッサ、バッサと論破してくださる」と思うでしょう。でも、コメントを受け付けない。。。
どういうことですか?
「批判の者を放っておく、無視しておく」のが良いのでしょうか。

そのように、会員の仏縁と講師や会の保身どちらが大事なのか、これを考えさせる事が過去にありました。
この件で、私の仏縁は無くなった、無くなる、切れるきっかけを講師、会自らが起こしたと思っています。

その内容とは、数年前の除名騒動です。
当時の私は、参詣も年に数回、地区の行事には参加しない、と言った状態で、熱心にやっている方からすれば、かなり”危険な”状態だったと思います。
そんな私にある日、担当講師より突然1通のメールが来ました。
メールの内容は、K氏(皆さん、お分かりかも知れませんが、あえて伏せています)の除名についてです。
私は学生時代に短期間でしたが担当講師としてK氏にお世話になりました。
だから、関係していた、ということで連絡が来たようです。

メールが届いたのは正確な年月は忘れてしまいましたが、確か2006年か2007年の2~3月ごろだったと思います(K氏が除名になった後です)。
メールの正確な内容は覚えていませんが、「K(呼び捨て)からメールなど連絡があったか?」という内容でした。
この時点で、私はK氏が除名されたとは知りません。
なので、通常であれば「Kさん」、「K講師」というはずなのに、いきなり「呼び捨て」メールでしたので、「何故だろう?」と思うのは当然だと思います。
実際にK氏からは連絡はありませんでしたので「ありません」と返信しました。
それだけのやり取りでした。
理由も何も書いてありませんでした。
ただ、元同じ学生部だった方々の中には、実際にメールを貰った人はいたようです。
恐らくニフティ(親鸞会でメーリングリストなどで使用していたプロバイダ)に来ていたと思いますが、私は既にニフティを解約してしまっていたので届かなかっただけかもしれません。
よって、そのK氏からのメールがどの様な内容だったか、知りません。
突然、こんなメールを突然貰えば、当然”何かがおかしい”と思い、一体何が起こっているのか、そして理由が知りたくなります。色々な方面から情報をなんとか聞き「除名になった」ことを聞かされました。しかし、理由は「分からない」ということでした。
そこで、本当の理由を知りたいとネットなどで調べていたら、「さよなら親鸞会」、2ちゃんねるなどの存在を知り、事実を知った次第です。
自分で言うことでもありませんが、学生時代よりも明らかに遠のいており、いつ「辞める」、「辞めさせられる」と言ってもおかしくない状況だったと思うのですが(この状況は担当講師も分かっていたはず)、このメールが送られてきたことで、より不信に思うようになりました。
第一、突然、人に理由も告げずにそのようなメールを送ってくる、また、「~さん」、「元~講師」と呼んでもいいはずなのに、いきなりの呼び捨て。。。
仏法者、講師として、という以前に大人としてどうなのでしょうか。
子供の喧嘩で、翌日からあだ名から呼び捨てに変わったようなものです。
でも、そういう団体なんですよね。昔(学生時代)からそうでした。

この事について、大きな不信を持った私は、担当講師にメールで聞きました。
まず、私から「メールで不信を持った」と告げた上で、文章を書きました。
この時のメールを送った理由の答えは、
「Kは本会を非難しているため、早急に確認したかった」ということでした。

「ではなぜ、それを正して、その道に戻そうとしないのか。それが恩同朋、恩同業であないか」、「 ”一連の除名騒動”に関係した調査メールを貰ったから、不信になった」、と言っても、謝罪の1つもなく、「あなたの考えは間違えです。(私が)正しく聞いていないから、そんな間違えた事を考えている。Kは大変恐ろしい罪を作っている。どれだけ正そうとしても直らなかった。だから除名になった。どれだけ正そうとしたか、知らないで(私が)話をしている」で終わりました。
そんなこと、私が知ることはありません。
当然です。
同じ講師部員の仲間として、どうなんだと思いました。
身内の揉め事を会員に飛び火させて欲しくなかったです。
そういう理由があるなら、なぜ初めに言わなかったのか。。。
全ては、私が正しく聞いていないのがいけないんですね。

それから約2年が経ちました。
先日、再三来ていた連絡に答える形で直接担当講師に会い、話をしました。
(放っておくと面倒な事になっても困るので、仕方なく会いました)

まず、メールの件について話をしました。
「あの、一件で、一気に不信になった」と。
それに対する回答は、
「あなたの気持ちも判る。突然あのようなメールが送られてくれば困惑するのは当然だとおもう。でも、あの方法は仕方がなかった」とのことでした。
言い分としては(講師単独、会の方針かわかりませんが)、” 「除名された」理由を説明すると悪影響になる可能性があるため、荒いやり方ではあったが、それを告げずにメールの有無を確認した」”ということでした。
除名の本当の理由を言えば影響があると思っていたのでしょう。。
まずは、K氏との縁を切ることが目的だったようです。
これは、この担当講師の独断ではなく、一人でもK氏と関係のあった人がいる支部全てで行われていたようです。これも学生部時代の友人から聞きました。
しかし、そのようなメールを送ってきても、その後のフォローは全くありませんでした。
”連絡が無かった=K氏との縁は無い”という事で安心したのでしょう。。。
本来であれば、送られてきたメールの内容をそのままお伝えできれば良かったのですが、携帯に送られてきたメールで、機種変更などしてしまいましたし、何より不愉快でしたので、削除してしまいました。
すみません。

一体何がしたいのでしょうか。
本当に仏縁を守りたいからなのでしょうか。
知られたらマズイことでもあるんじゃないですか?
(内情、実は嘘だった、、、がバレるなど)
もし、自らの教えが正しく、会員を信じていれば、わざわざそんなことしなくても良いのでは?
そうやって動くことで、親鸞会にとってはより悪い方向になる事を考えていたほうがいいかもしれませんよ。
会員さんも一人の人間です。何かおかしいと思えば、、、、どういう行動を起こすか、分かっているはずだとおもいますが、、、どうなのでしょう。

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コメント

http://www.shinrankai.or.jp/
高森会の公式ホームページ

ですが、どこにも 今まで うそ を ついていました
との 謝罪 の 言葉 が 見当たりません

悪いことをすれば、謝らなくてはなりません

今からでも、遅くないですから 謝罪 して下さい

投稿: | 2010年5月19日 (水) 01時34分

会員の皆さん、S会は「嘘」をつきまくっている上に、それに対する謝罪も何もない「不誠実」極まりない団体です。

なぜ、まだわからないのか…

冷静に考えたら、親鸞聖人の教えを正しく伝えていないなんてすぐわかることだらけです。

親鸞聖人がされなかったこと、いっぱいやってるでしょ。

何故本尊を夜中取り返しにいくの?
あなたがたが作ったアニメで親鸞聖人は信楽房の持っていった正ご本尊取り返した?

そのあと辞めていくものはお金払えという誓約書を書かせた?

これくらい気付いたら?

投稿: | 2010年5月19日 (水) 02時16分

親鸞聖人がいわれなくても、高森さんがいわれたらやらないといけない。根拠は講師部正則!意味ないよ

投稿: | 2010年5月19日 (水) 07時11分

時代によってかえてるところはあるでしょう。しかし何でもかんでもかえていいわけやない。夜中に訪問するのが正しいかどうか?普通に考えてわかるでしょうよ。

投稿: | 2010年5月19日 (水) 12時22分

親鸞会作成のアニメ四部の最初の方に、へんなばぁちゃんか何かが「大事なものは捧げ物じゃ~」と言っている台詞を今でも覚えてる。

あれは、正に会長の本心だったんだろうね。まさか親鸞聖人に言わせる訳にもいかないから、わざわざあーいう登場人物を出して、貴重な制作費と時間をかけてまで、言わせたんじゃないかと思ってしまうよ。
最近の親鸞会の凋落振りを見ると。

投稿: | 2010年5月19日 (水) 22時54分

やることなすことが悪業ばかりやからいいふうには解釈してもらえない。

投稿: | 2010年5月19日 (水) 23時22分

もう何を言っても駄目かもと思う。脱会の意思を伝え親鸞会組織の問題点を話すと、高圧的な態度で会批判は絶対に許さないと脅す。後は本尊を返せの一点張り。飽きれてしまいます。お互い違う道にいくのに、挨拶もないのかなあ。寂しいですね。親鸞会の人達は。

投稿: | 2010年5月20日 (木) 09時40分

会の批判については内容と意義を本部宛に着払いでおくったらよい(笑)。

投稿: | 2010年5月20日 (木) 23時20分

http://say-move.org/comeplay.php?comeid=71015

ダミーサークル

投稿: 四畳半神話大系 5話 | 2010年5月21日 (金) 07時53分

批判は許されないから、体質改善ができないんです。
仏法をお伝えするのが善とおしえられます。
じゃあ夜中に訪問したり、本尊を夜中に取り返しに行くのが善ですか?
住居不法侵入すなわち犯罪行為です。
親鸞聖人がそんなことをおしえられるわけない。
時代によって違うところはあるでしょう。一般常識から考えたら
判ると思います。

投稿: | 2010年5月21日 (金) 12時18分

そもそも仏縁て何ですか?
親鸞会が言ってるのは高森顕徹との親和性ですよね
会長の言葉により感動する、より同調する、より追従する、それが仏縁ある人ですよね?
キヨモリ氏のような仏教書が好きで仕方ないって人を仏縁深い人とは別枠にカウントしているようだから、仏縁の定義というのには、高森会長との関係性が不可欠なのでしょう
「宿善まかせ」の宿善を仏縁と言いかえてもいましたよね、求める救いは高森会長と自分が合っているか?にかかっている訳ですね。
しかも高森会長がどういう人間か?ステージの客席から見たことしかない人ばかりだってトコが、間抜けですね。

投稿: | 2010年5月21日 (金) 21時34分

仏縁だとか後生の一大事だとかといっているけれど、

高森教というのは怪鳥が世界中で他の誰も持ち得ない能力を持った存在だっていう宗教なんですよ。よって怪鳥がすべての支配権を持って当然とされるのです。

怪鳥は、普通の人間と本質的に質の違う存在であり、
自ら欲するままに命令し、報いを与え、罰を科する権利を持つ。
無条件服従をせよといわれるのもそこから派生するのですし、
怪鳥の支配を承認し、怪鳥を賛美や勧誘や献金によって喜ばせ、
怪鳥から是認されることが高森教の善となるのです。

逆に言うと、この教義における根本的な罪は怪鳥の支配に対する反抗です。
批判はもちろん教義や運営に疑問を持つことは不服従であり許されないのですが、
何よりも「信心決定した」と宣言することこそ怪鳥の支配を脅かす反逆となり除名対象となるほどの重大な罪になります。
普通の人間には、普通の人間のままでいて怪鳥の絶対不可侵の優位性と怪鳥の支配を認める義務があるからです。
なお、パクリ元の書物を読むことが罪になるのも怪鳥の支配を脅かすからに他なりません。

怪鳥の本質的な優位性と普通の人の無力さは次のような言葉が使用されます。
 蓮如上人以来の善知識
 全因縁
 深い御心
(なかには会館が火災に遭った日に法座を開いたことで賛美されるという不可解なものも随分あるのですが。)
 後生の一大事
 必堕無間
 心常念悪
 曽無一善
 逆謗
 宿善の薄い者
 など

使える言葉ならなんでも使うというだけの話です。
浄土真宗ではありません。

なぜ批判に応えないのか。
怪鳥が絶対という宗教にしてみれば、批判は罪悪でありかつ価値がないものだからです。
ただ、たいていの人はいつか自分をごまかし続けることができなくなるときがくるものです。心身がその不自然な状態に抵抗するようになるでしょう。人間ですから。
そのとき、批判に耳を傾けられたらいいのですが。

投稿: | 2010年5月22日 (土) 01時58分

(誤)怪鳥の本質的な優位性と普通の人の無力さは次のような言葉が使用されます。
(正)怪鳥の本質的な優位性と普通の人の無力さの説明には次のような言葉が使用されます。

投稿: | 2010年5月22日 (土) 02時09分

自分を守ることはそんなに難しくない。悪い言い方だが、学生ならば親に富山に行くといわずに富山へ行くわけやから、先輩や講師にも同じように言えるはずでしょう。先輩は後生後生と脅すが、親の反対強調すればまず問題はないから。ただし状況と場の雰囲気を考えて。大学生だから自分で判断しろという輩もいるが、常識はずれの金額を使わせ、たくさん留年させるやつの親鸞会に賛成する人はいない。
社会人は仕事で何とかなるから。

投稿: | 2010年5月23日 (日) 14時25分

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