やれやれ
都合が悪くなる人たち、というエントリを読みました。
この人たちは一体何を守りたくてこんなことを書いているんでしょうね。
最初に親鸞会は、自分たちは教義的に絶対に正しい。本当に親鸞聖人の教えが広まることが都合が悪いと考える人たち(本願寺)が、自分たちを非難攻撃しているんだ、といっていました。
それが最近はどこを見ても親鸞会に対する教義批判であふれるようになって、「自分たち以外にも親鸞聖人の教えを曲げている人はいるのに、それらを批判しないで親鸞会ばかり批判するのはなぜか」と言い始めました。
本当に親鸞聖人の教えを守りたいのならば、親鸞会に対する教義批判に対して応えたらいいのに、それには一切沈黙したまま。ブログのコメント欄も閉じ、mixiでは都合の悪い書き込みは削除するチート行為。会員が講師に質問などしようものなら、「批判サイトを見ている危険人物」扱いです。
「教え以上に優先し、守ろうとしているものがあるから、あの状態で結束できるのだと思われます。」
これ、誰がどう見てもあなた方のことでしょ?
本当に教えが大切なら、親鸞会に対する教義批判に腰をすえて応えたらいい。それが出来ないで「私たちは、非難攻撃などもとより折り込み済み」とか、本当に情けないですよね。
そもそも親鸞会を批判しているのは本願寺ではなく、そのほとんどが脱会者です。
どうしてこれほど多くの脱会者が親鸞会を批判しているのか、少しは真剣に考えてみたらどうだろう。それは教義が誤っていたからだけではない。高森会長やあなた方講師部員の言動、組織の腐敗、金の問題といったことに対して、怒りの声をあげているのです。
そんなことはこのブログだけでもちょっと見ればすぐに分かることでしょう。
今も昔も会員に対して「親鸞会への批判は本願寺の陰謀」という言い訳でごまかしてきたけど、もうそんな詭弁はとっくに通用しないレベルに来ている。
なぜそのことに気づかないのだろう。
ブログのプロフィールを見ると著者はもうすぐ50歳になろうという人物です。
30年間親鸞会で都合の悪い情報や自分の信念を崩しそうな事柄から目をそむけ続け、自分をごまかし、自己を正当化する理屈を考え続けてこの歳まで来たのでしょう。
実にかわいそうです。
私は自分の人生ではこんな50歳を絶対に迎えたくない。勇気を出して決断して良かったと思う。
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コメント
>親鸞会を批判しているのは本願寺
会員への印象操作だと思ってたけど、もしや本気?
この人もう妄想症なんじゃないの。真生会に入院したら? 手遅れだけど。
投稿: | 2010年5月11日 (火) 21時28分
脱会した人が批判してましが、間違ったことを批判したならば仕方ないが、何一つ間違ったことを行ってませんからね。お金のことや偽装勧誘。事実ですから。
投稿: | 2010年5月11日 (火) 22時14分
もう少し、親鸞会幹部も第三者の意見に耳を傾けてもらいたい!無理か(苦笑)。
投稿: | 2010年5月11日 (火) 22時16分
> だとすると、巷をにぎわす、かまびすしい非難中傷は、親鸞聖人の教えを明らかにしたいという意志からというより、親鸞会を排除したいという意志がまず先にあり、教えの正邪はその口実みたいなもの、と裏読みされても仕方ないと思われます。
>
> なぜ排除したいのか?
>
> 察するに、
> 親鸞会が「正統な親鸞聖人の教え」を伝えていると、多くの人が認知すると、大変、都合の悪くなる人たちが存在するということです。
>
元会員の者です。
親鸞会では自分たちの思いを絶対視するあまり、自分たちの非を認めず、
相手の思いや立場をわきまえない押し付けが多く、不快な思いをし続けてきました。
教義も、その教義から派生する活動内容や言動もすべて正しいように
勘違いしている人が多くいます。
「自分たちこそ正しい」との旗を振りかざし、好き放題するため、
親鸞会の人たちの言動によって多くの人が傷ついています。
そのような意味で、親鸞会の正当性が主張されると甚だ迷惑で深いです。
私のような思いをもった脱会者が多く、「親鸞会を排除したい」との思いは
それらの人たちの共通認識のように思います。
もし、親鸞会が人に迷惑をかけない団体なら、どれだけ正当性が広まって、
親鸞会の認知度がアップしてもまったく迷惑ではありません。
どうぞ、好きにして下さいという感じです。
その存在が人を不幸にしたり、迷惑なので、批判、非難しているのです。
まだわかりませんか、高森先生、幹部のみなさん。
投稿: 親鸞会の自覚のなさには怒りすら覚える | 2010年5月12日 (水) 00時09分
まったくコメントに書かれている方の通りだと思います。親鸞会へ関わった方が大なり小なり皆影響を受け、中には人生の全てを親鸞会と共に歩んでいる人もいます。本来心から気を許せる家族、友人とも疎遠になり一体何を求めようとしているのでしょうか。
本来仏教とは今、私が送っている日常生活を通して自分とはどういうものなのか、を聞いていく道しるべなのではないでしょうか。
投稿: | 2010年5月12日 (水) 06時59分
何十万人と信心決定しなくても正しいと思い込んだんだ
もう30年は振り返っても注意してくれる友達との記憶が無いんだよ
元会員の忠告も外の意見、高森と違った説ってことで撥ねたんだから
幹部どもは名に考えているんだろうね
確信犯も居るのではなかろうか…
講師部一人一人が気づかないと泥沼のままだと思う
投稿: | 2010年5月12日 (水) 07時26分
いくつかあるなかで、正しい教えなら、正体をオープンにし、きちんと収支報告をして、何かモノを言うならば正すのが本来の在り方です。
親鸞会を非難するのは、教えより組織やお金に対してですよ。
投稿: | 2010年5月12日 (水) 13時48分
親鸞会を構成する要素
○絶対権力者会長
○都合のよい部分の聖教を断章した、ご都合主義的教義
○絶対服従組織
○教義上の脅迫的かつ強力な組織による勧誘・献金システム
○教義に加えて教義と直接関係ない異常な常識を会員に刷り込むことによる、親鸞会人間の育成
すべての点において、非人道的で、どこにも正当な要素がないのが親鸞会だとわかります。
以上のことから、弱小組織にも関わらず恐ろしいほど酷いために、多くの人間から深い恨みを買っているのが親鸞会です。
投稿: | 2010年5月12日 (水) 21時02分